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O plus E VFX映画時評 2023年2月号
 
その他の作品の短評
  (注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています)  
 
   『すべてうまくいきますように』(2月3日公開):フランス映画の終活ドラマである。監督・脚本は,『まぼろし』(01)『8人の女たち』(02)の名匠フランソワ・オゾン。短評欄を拡大して以降,当欄では『婚約者の友人』(17年11月号)『2重螺旋の恋人』(18年7・8月号)『Summer of 85』(21年7・8月号)の3本を紹介した。1作毎に大胆にテーマを変える監督だが,本作は脚本家エマニュエル・ベルンエイムの自伝的小説「Everything Went Fine」を映画化している。実業家として成功した父アンドレ(アンドレ・デュソリエ)が脳卒中で倒れ,一命は取り止めたものの,身体の自由が利かなくなったため,安楽死を望むようになる。彫刻家の母クロード(シャーロット・ランプリング)は長期の鬱で別居状態であったため,娘エマニュエルとパスカルの姉妹が父親の意志の強さに翻弄される。
 尊厳死はフランスでは禁止されているが,気楽に行ける隣国のスイスでは合法のため,同国での処置を手続きすることになる。日本では想像できないが,彼の国では現実的なテーマのようだ。自伝的小説で名前からも分かるように,主役は長女エマニュエルで,国民的女優ソフィー・マルソーが演じている。10代半ばからスーパーアイドルだったが,当欄では『007/ワールド・イズ・ノット・イナフ』(00年3月号)で演じた悪女のボンドガールが印象的だった。昔は妖艶な魅力を振りまいていたが,年齢ともに痩せて,今も魅力的な美女だ。重いテーマの暗い映画を想像しがちだが,芸術や美食を楽しみ,ユーモアを愛した父親であったためか,全体のトーンが明るく,人間模様の描写が優れていた。最期の落としどころも見事で,さすが名匠だけのことはある。
 『バイオレント・ナイト』(2月3日公開):題名はSilent Nightのもじりであり,年末定番のクリスマスもので,サンタクロースが活躍するアクションコメディである。米国では12月2日公開で,他の各国もその前後であったのに,日本だけ季節外れの公開なのが少し残念だ。ただし,マスコミ試写は市中でXmasイルミネーションが輝く12月22日に観たので,試写室の面々の気分はノリノリで,ハッピーな気分だった。本作は,1100年間生きてきた本物のサンタクロースが,イブの夜に富豪の家の金庫を襲った強盗騒ぎに巻き込まれ,奮闘するという物語となっている。彼は,橇で空を舞い,煙突と暖炉から各家に入り,袋から多数のプレゼントを出すというマジックは使えるが,戦闘能力はなく,単に力が強い肥満体の老人という設定である。
 サンタの存在を信じなくなった最近の夢のない子供たちに嫌気がさして,お疲れ気味のサンタクロースを演じるのは,脇役俳優のデヴィッド・ハーパーだ。『ヘルボーイ』(19年9・10月号)では筋骨隆々の主人公を演じていたが,『ブラック・ウィドウ』(21年7・8月号)では,ソ連が生んだスーパーソルジャーのレッド・ガーディアン役で髭面のデブ男であった。本作での体形は後者に近い。武装強盗団の頭領スクルージー役には,個性派の悪役が多いジョン・レグイザモが配されている。名作「クリスマス・キャロル」の主人公名を悪役に使うという洒落っ気も楽しいし,強盗団が本物のサンタと知って驚き慌てるシーンも抱腹絶倒ものである。トナカイが橇を引いて空を駆け巡るシーンは勿論CGだが,それ以外に目立ったVFXシーンはなかった。一方,音楽は標準的な劇伴スコアの他に,軽快なクリスマスソングが数曲流れていた。季節外れであることを承知の上なら,エンタメ映画として十分楽しめる。
 『FALL/フォール』(2月3日公開):凄い映画だ。韓国製のパニック映画だが,何がそんなに凄いかと言えば,高所での極限状態を描き,観客の緊張感を維持し続ける演出が絶品だ。「高所恐怖症の人は絶対見ないでください!」をウリにしていたのはロバート・ゼメキス監督の『ザ・ウォーク』(16年1月号)で,9・11テロで倒壊した高さ411mのWTCトレードセンターのツインタワー間に張ったワイヤー上を綱渡りする冒険を描いていた。実話の映画化である。ドキュメンタリーで筆者が最も痺れたのは,『フリーソロ』(19年7・8月号)で,装備も命綱もなしにヨセミテ国立公園の高さ975mの絶壁に挑戦するクライマーの姿を捉えていた。本作は,若い女性2人が高さ600mの鉄塔に登って生じたトラブルからの生還を描いている。眼下を見下ろす恐怖感は,上記2作品に勝るとも劣らないレベルだ。全くのフィクションだが,その分物語に自由度があり,観客に自分ならどうするだろうと考えさせる演出となっている。
 クライマーの夫・ダンを落下事故でなくして落ち込むベッキー(グレイス・フルトン)を励ますべく,親友のハンター(ヴァージニア・ガードナー)が今は使用されていない超高層テレビ塔に登り,頂上から遺灰を散布する計画をもちかける。頂上への到達には成功するが,老朽化した梯子が崩れ落ち,2人は頂上の狭い足場で数日を過ごすことになる……。というのが物語の骨格だが,ほぼ全編が2人だけのワンシチュエーション・ドラマである。勿論,高さ600m鉄塔はCG製で,2人の姿はVFX合成だが,本当に鉄塔の上にいるとしか見えない。どこまでが本物か,どこからが特撮かを想像するのも楽しみの1つだ。ただし,スタジオ内撮影の合成ではなく,崖の上に高さ20mのセットを組み,その上での演技をさらに1.5m上部から撮影したというから,女優2人や撮影クルーの肝っ玉にも感心する。
 鉄塔の頂上まで約30分で達してしまうので,残り1時間強をどうやって持たせるのかと思ったが,あの手この手の色々な出来事で一喜一憂させられた。スマホとドローンの充電シーンは,なかなかのアイディアである。CG製のハゲワシとの戦いも見ものだ。サバイバルの決め手となった落とし所も見事だった。監督・脚本は『ファイナル・スコア』(18)のスコット・マン。所詮はフィクションで,エンタメ映画だと思いつつも,実際にこんな事件を起こす若者がいたら,迷惑な話だと言わざるを得ない。絶対に真似しないように!
 『仕掛人・藤枝梅安』(2月3日公開):今年が池波正太郎生誕100年ということで,様々な企画が始まっている。全著作の殆どを読んでいる筆者としては喜ばしい限りだ。出版社からは企画出版や代表作の案内が舞い込み,スカパー!や時代劇専門チャンネルでは新年から過去のTVシリーズが続々と放映/配信されている。最も嬉しいのは,3大シリーズの内,「鬼平犯科帳」と「仕掛人・藤枝梅安」が新キャストで映画化されることだ。前者で新たに火付盗賊改方長官・長谷川平蔵を演じるのは,十代目・松本幸四郎。最初のTVシリーズの主役は祖父の初代・松本白鸚(八代目・松本幸四郎),人気を不動にしたのは叔父の二代目・中村吉右衛門であったから,歌舞伎ファンでなくても興味は尽きない。この映画は来年(2024年)公開とのことだが,先に公開されるのが後者の2部作だ。即ち,ここで紹介する本作と4月号で紹介する『仕掛人・藤枝梅安2』である。筆者は一気に2本の試写を観たが,まとめて語りたくなるのを我慢して,第1部だけに触れることにしよう。
 鍼医者・藤枝梅安役と言えば,ファンの誰もがイメージするのは,1972年に始まったTVシリーズ『必殺仕掛人』の緒方拳だ。原作の文庫本のカバーに彼のイラストが使用されているくらい定着している。その後,田宮二郎,萬屋錦之介,小林桂樹,渡辺謙,岸谷五朗等の錚々たる男優が演じているが,今回の2部作で抜擢されたのは豊川悦司だ。これまでのトヨエツの役柄からすると少し違和感を感じたが,実際に映画を観てみると,素晴らしい「藤枝梅安」だった。加えて,相棒の楊枝職人・彦次郎を演じる片岡愛之助とのコンビが絶妙だ。風貌として,小林桂樹&田村高廣のコンビに似ているのも,嬉しい配慮だと感じた。梅安の愛人・おもんに菅野美穂,手伝いのおせき婆さんに高畑淳子,針の恩師・津山悦堂に小林薫というのも,見事なキャスティングである。
 物語は,原作の第1話「おんなごろし」が主体だ。ファンの誰もが知っている原点なので,ここで語るのは止めておこう。時代劇専門チャンネルが中心の製作チームだけあって,時代劇としての風格がある。セット,小道具,料理,所作,セリフ,どれも細やかな配慮がなされている。インビジブルVFXを駆使していて,現代を感じさせるシーンは全く登場しない。池波小説らしく,2人の食べる料理が頗る美味しそうに見えるのも,嬉しい配慮だ。強いて言うならば,針や吹き矢での仕掛けのシーンはあるが,アクション映画としての面白さはない。池波正太郎通は激賞するはずだが,全体が上品過ぎて,初見の若い映画ファンには物足りなく感じるかもしれない。しかし,そういう観客層は本作に興味を示さないだろうから,この映画はこれでいいと思う。当欄は,文句なく評価だ。
 『バビロン』(2月10日公開):『ラ・ラ・ランド』(17年3月号)のデイミアン・チャゼル監督のオリジナル脚本による娯楽大作で,今年のGG賞,アカデミー賞の複数部門にノミネートされた話題作だ。同作のスタッフをほぼそのまま起用し,1920年代のハリウッドを舞台に,カラフルな映像,豪華なファッション,熱狂的なジャズミュージックで,ゴージャスでクレイジーな時代を描いている。上映時間3時間9分というのでたじろいだが,なるほどそれだけのことはある充実度,満足感で,さすがD・チャゼルだと納得した。
 物語は大きく3つのパートに分かれていて,冒頭約30分は,ド派手な乱痴気パーティが延々と続く。黄金時代とはいえ,ハリウッドの連中はこんな馬鹿騒ぎを繰り返していたのかと呆れた。続いては,サイレントからトーキーへと向かう映画革命の波の中,映画撮影現場の様子や舞台裏の人間模様が外連味たっぷりに描かれる。映画ファンにとってはロケシーンやスタジオでの当時の集音風景も興味深い。終盤1時間弱は,賭博での高額の借金を巡り,主人公たちとギャング団との確執や攻防が緊迫感を伴って進行する。
 主演はブラッド・ピットとマーゴット・ロビーで,それぞれサイレント時代の大スターのジャック・コンラッドと彼に認められて頭角を現す新進女優ネリー・リロイを演じている。知名度からこの2人が強調されているが,実質的な主役は,映画製作者を夢見る青年マニー・トレスで,メキシコ人男優のディエゴ・カルバが抜擢された。GGのミュージカル・コメディ部門ではこの3人がノミネートされたが,D・カルバが主演男優賞候補,B・ピットが助演男優賞の候補であったことは,映画を観て納得した。最も華があったのは,恐れ知らずの女優ネリーを演じたM・ロビーで,DCEUのハーレイ・クイン役よりも強烈な印象を与えてくれる。顔立ちは,全盛期のソフィア・ローレンを彷彿とさせるものだった。
 衣装も音楽も派手だが,フルバンドでのジャズ中心の音楽は圧倒的で,とりわけトランペットが印象的だった。CG/VFXは老舗ILMが担当し,象,毒蛇,ワニ等を見事に描いていた。そして,監督の映画愛と映画への造詣の深さを物語るのが,最後に登場する映画史に残る名作の数々だ。『雨に唄えば』(52)『ベン・ハー』(59) 『2001年宇宙の旅』(68)の登場は当然であるが,『トロン』(82)『ターミネーター2』(91)『ジュラシック・パーク』(93)『マトリックス』(99年9月号)までが現れたのには,当映画評としては喜ばしい限りだった。
 『対峙』(2月10日公開):多数の人物が入り乱れ,乱痴気パーティをした大作から一転して,次は2組の夫婦の対話が大半を占める映画だ。教会の1室を借りて,ほぼ4人だけで会話する1シチュエーション・ドラマである。同じ2組の夫婦でも,テーマはハチャメチャ口論のコメディ『おとなのけんか』(12年3月号)とはだいぶ違っていた。本作で対峙するのは,高校銃乱射事件の加害者の両親と被害者の両親で,いずれも息子が死亡している。事件の6年後に実施された実話がベースというから,会話の真剣さが違う。冒頭のお互いを気遣い,探りを入れながらの差し障りのない世間話が空々しい。その演出が見事だ。しばらくは4人とも冷静さを保っていたが,質問が核心に迫ると,我を忘れて自己主張に転じてしまうのは『おとなのけんか』と同じだ。
 4人とも有名俳優でないのがいい。知っていれば,どうしても過去作のイメージがつきまとうが,無名に近いと観客も事件の模様を陪審員のように客観的に捉えることができる。事件の細部の状況は,両親たちの会話から観客に想像させる方法を採っていたが,映画なのだから,再現映像も欲しかったなと感じた。なるほど,関係者は皆傷ついていることが分かる。それでいて,銃規制は話題にすらならない。心を病んだ人物には,事前も事後も社会的ケアが必要だと誰もが感じるはずだ。その必要性は理解できるが,この映画の111分は長過ぎる。ここまで聞きたくないので,90分程度で十分だ。
 『コンパートメントNo.6』(2月10日公開):カンヌ映画祭のグランプリ受賞作品で,監督・脚本はフィンランド・コッコラ生まれ,ヘルシンキ在住の有望株ユホ・クオスマネンだ。主人公はモスクワに留学中のフィンランド人女子学生ラウラ(セイディ・ハーラ)で,恋人は女性教授のイリーナだが,同性愛の濡れ場シーンは登場しない。彼女が1人でモスクワから世界最北端駅ムルマンスクの近くにあるペトログリフ(岩面彫刻)を見に行く旅を描いていて,ほぼ全編がロードムービーである。大半が列車旅だが,途中から船や自動車での移動も登場する。列車内で粗野で下品なロシア人男性リョーハ(ユーリー・ボリソフ)と同室になったことから,前半はこの男への嫌悪感丸出しの描写が続く。時代は1990年代だが,こんな劣悪な環境での旅など,日本人には信じられない出来事だ。中盤以降,この2人が次第に打ち解け,恋人同士になる展開が,この映画の見どころだ。当初ぶっきらぼうに見えたラウラの表情の変化が楽しく,次第に可愛く見えてくる。
 モスクワでの日常生活,車内で遭遇する他の旅客,乗務員,目的地近くで知り合う人々と交わす会話も,興味深い。携帯電話やSNSはない時代の人々の会話や連絡方法だから尚更だ。悲劇も,戦いも,大きな冒険もない映画で,何ということのない結末である。人物描写や雪国の景観を愉しむ映画であって,劇的な物語を期待すると外れだ。カンヌ好みの映画であるが,たまにはこういう映画もいいなと感じた。この時代,国境を接するフィンランド人とロシア人は親しく友好的に交流していたことが分かる。ロシアのウクライナ侵攻により,NATO加盟を申請したフィンランドは,今後ロシアとどう付き合って行くのかが気になりながら観てしまった。
 『崖上のスパイ』(2月10日公開):中国映画で,巨匠チャン・イーモウの最新作だ。かつては『初恋のきた道』(00)や『サンザシの樹の下で』(11年7月号)等の美少女を起用した純愛ものは絶品なのに,『HERO』(03年9月号)『王妃の紋章』(08年5月号)等の大作映画は苦手という印象があった。それでも,さすがに夏季・冬季2度の北京五輪の開会式総監督を務めると,大作の演出にも磨きがかかってきた。ところが,近作の『グレートウォール』(17年4月号)はやはり大味であり,『妻への家路』(15年3月号)や『ワン・セカンド 永遠の24フレーム』(22年5・6月号)のようなヒューマンドラマの方が,この監督の本来の演出力が発揮されていると感じられた。本作はこの両極のいずれでもなく,その中間に位置している。
 題名通り,この監督初のスパイ・サスペンス映画であることをウリにしている。時代は1934年,ソ連で特殊訓練を受けた中国共産党のスパイ4人(男女各2人)が2組に分かれ,日本の傀儡政権下の満州国のハルピンに潜入し,極秘作戦「ウートラ計画」を実行する。任務は,日本軍の秘密施設から脱走した証人を国外脱出させ,日本国の蛮行と欺瞞を国際社会に晒すことだった。日本がどれだけ悪く描かれるのかと少し見構えたが,日本人は登場しなかった。満州国の特務警察と中国共産党の諜報員間での裏切り者や二重スパイたちが騙し騙される映画で,中国人同士の心理戦である。派手なアクションはないが,音楽がアシストして緊迫感を高めている。歴史ものではあるが,史実に基づく実話ではない。そう言えば,この巨匠の漢字表記は「張芸諜」であるから,1度諜報ものをやってみたかったのも知れない。
 大型セットを作り,大規模なロケを敢行しているから,大作の部類に入る。本作も雪だらけの世界で,樹氷が美しい。監督は温暖な陝西省西安の出身というから,こういう雪景色にも憧れたかと思う。主演はスパイチームのリーダーを演じるチャン・イーだが,何と言っても目を惹くのは,『ワン・セカンド…』でデビューしたリウ・ハオツンの可憐さ,美しさだ。巨匠の女優に対する審美眼だけは,昔と変わらず健在だ。映画そのものは中国共産党礼賛で,中国人以外には面白くも何ともないが,リウ・ハオツンを観るための映画だと解釈すれば許せる。
 『小さき麦の花』(2月10日公開):同じく中国映画だが,上記ほどの大作でも巨匠の作品でもなく,かなり地味めの映画だ。題名だけで,地方の農村を舞台にした,貧しい家庭の心を打つヒューマンドラマだと予想したが,全くそのものズバリの佳作,感動作であった。暗い映像を想像していたが,色調は明るく,色鮮やかで,中国西北地方の農村が舞台となっている。主人公のヨウティエ(有鉄)は農家の四男坊,見合い結婚させられたクイイン(貴英)は内気な障害者で,ともに家族の厄介者だった。中国映画史上でも稀に見る地味な夫婦で,しかも生活は余りにも貧しい。これが2011年の中国なのか,クルマが登場しなければ,まるで50年前かと思う。貧しくとも,次第に心を寄せ合う2人の夫婦生活は幸せそうで,観ていて癒される。泥と萱で家を建てるシーンが素晴らしい。ロバも名演で,本物の燕の巣が登場する。
 監督・脚本は若手有望株のリー・ルイジュン(李睿珺)で,本作は故郷の甘粛省張掖市花牆子村を舞台に撮影したという。妻クイインを演じるハイ・チン(海清)は,人気女優としての素顔と劇中での容貌が余りに違う。いかにプロの俳優とはいえ,ここまで地味な障害者に化けられるのかと驚く。一方の夫役ウー・レンリン(武仁林)もさぞかし名優なのかと思えば,本物の農民で,監督の叔父(叔母の夫)だそうだ。その他の登場人物の大半も現地の住民だというから,リアリティが高いのも納得できる。間違いなく泣ける映画だが,何でこんな終わり方にするのかと,複雑な思いだ。この映画が大ヒットというのに少し驚いた。北京で立身出世や上海で富裕層を目指している若者だけじゃない訳だ。中国共産党の独裁者に導かれ,ひたすら経済大国,軍事大国を目指してきたように見える国も,捨てたものじゃないなと感じた。
 『呪呪呪/死者をあやつるもの』(2月10日公開):中国映画のほのぼの感に浸っていたら,次は韓国製のホラーサスペンスだった。呪術師が死者を蘇らせて操ることは想像できるが,「呪」が3つも並ぶからには相当怖いのかと想像してしまう。「Kホラー」とでも称するのかと思ったら,少し違った。本作の監督・脚本は,『新感染 ファイナル・エクスプレス』(17年9月号)をヒットさせたヨン・サンホである。高速弾丸列車中で発生したパンデミックがテーマの映画を「新感染」と名付けた日本の配給会社の洒落っ気に感心した。それゆえ,列車パニックものであることに注意が向いていたが,ただのウイルス感染ではなく,感染者がゾンビと化す筋書きであった。次なる『新感染半島 ファイナル・ステージ』(20年11・12月号)は前作から4年後の物語で,ウイルスが蔓延し,ゾンビが朝鮮半島全体を支配しているという設定だった。もはや列車は登場しなかったが,ゾンビの数は凄まじく,まさにノンストップ・サバイバル・アクションの名に相応しいものだった(映画としての出来映えはさほどではなかったが…)。今にして思えば,朝鮮半島全体が感染ということは,北朝鮮も含まれるのかという疑問が残る。わずか1日で国家が壊滅したというから,余りの感染力に北の将軍様もソンビになったのだろう。
 閑話休題。この両作から,ヨン・サンホ監督は「Kソンビ」の旗手の称号を得たようだ。ゾンビ映画の始祖であるジョージ・A・ロメロ監督を敬愛しているだけあって,サンホ監督もこの称号は満更でもないようだ。本作は,「呪い」と「Kゾンビ」を組み合わせ,ロメロ流ゾンビから進化したサンホ流ゾンビで,ゾンビ映画史に1ページを刻むという意気込みのようだ。映画の主人公は,ニュースチャンネル「都市探偵」の共同代表で女性ジャーナリストのイム・ジニ(オム・ジウォン)で,ある殺人事件の犯人だと名乗る呪術師が,彼女に取材されることを求める。スンイル製薬会長が公に謝罪しなければ,今後「3人の殺人」が起こると予告する。なるほど「呪呪呪」の訳だ。やがて2件の殺人が起こり,ジニは旧知の呪術師ソジン(チョン・ジソ)やジニに憧れるインターン生のジェシー・ジョン(イ・スル)の力を借り,女性トリオでゾンビ集団に立ち向かう……。
 本作のゾンビは高い感染力で増殖するタイプではなく,別の原因で落命した死者たちを呪術の力でゾンビとして蘇らせるというものだった。呪術師に操られたゾンビは,目的を果たすと朽ち果てた死者の顔に一変し,粉々になって消滅する。このメイクやCG利用も悪くない。数の上では「新感染半島…」に負けるが,製薬会社の人体実験の被害者であるゾンビ達100人が一糸乱れぬアクションやカーチェイスを繰り広げる。そのスピード感は,確かにかつてのゾンビ映画にはないものだ。感動作でも社会派映画でもなく,人生賛歌も全く含まれないが,物語は二転三転で見ていて飽きない。主人公も敵役もなかなかの美形で,エンタメ映画としてはかなり楽しめる。
 『#マンホール』(2月10日公開):次は邦画のスリラーで,ワンシチュエーション・ドラマだ。自らの結婚式の前夜に,仲間達が開いてくれたパーティからの帰路,酩酊して深いマンホールに落ちてしまった男の苦闘を描いている。ワンシチュエーション劇の原作は舞台劇であることが多いが,本作は全くのオリジナル脚本で,主人公が穴の中からスマホでSNS投稿を繰り返し,その画面が再三登場するという映像を前提とした構成である。不動産会社のエリート社員・川村俊介を演じるのは,これが6年ぶりの映画主演となる「Hey! Say! JUMP」の中島裕翔。監督は「私の男」(14)の熊切和嘉,原案・脚本は『マスカレード・ホテル』シリーズの岡田道尚で,広報宣伝では,このトリオの作品であることが強調されている。設定としては,目が覚めると主人公は既に穴の中であったこと,落ちた時に足を負傷しため独力で脱出できないこと,スマホは健在だったので警察に連絡するが全く取りあってくれないこと,このハイスペック男はSNSを縦横に駆使して救助を求める能力を有していること等々で,典型的な単身サバイバル劇である。
 少しユニークなのは,パーティ開催は渋谷だったのに,GPSで場所を特定しようとしても全く別の場所が出てしてしまうことだ。当然,製作サイドは,観客が主人公の視点で映画の展開を追い,「なぜこんな穴にいる? ここは何処だ?」の思いに感情移入することを期待している。この種の映画は,終盤に種明かしがあり,大きなどんでん返しがあることは予想できるので,「見事なオチだ。監督にしてやられた」と感じさせることが出来るかも評価ポイントである。ずばり言えば,筆者の評価では,前者は上々で,後者では不満が残った。
 視聴サイドとしては,スマホ画面はもう少しゆっくり見せて欲しかった。主人公が焦る割には,緊迫感は余り感じない。むしろ,夕方までにスマホはかなり使っていたはずだから,深夜に電話をかけまくって,バッテリーがいつまで持つかが気になってしまう。辻褄が合わない点もいくつかある。営業成績No.1で社長令嬢との結婚が決まり,元カノを捨てたことから,周りの恨みを買う立場であることは分かるはずだ。何の穴であるかも自分で気付かない訳がない。とはいえ,このジャンルの映画の水準は十分クリアしているので,自分ならスマホをどう使うかを考えながら楽しむのには適している。
 『ベネデッタ』(2月17日公開):監督は『トータル・リコール』(90)のポール・ヴァーホーベン。「しばらく名前を聞かなかったが,久々に鬼才監督の意欲作」と書いたのは『エル ELLE』(17年9月号)の時だったが,本作はその時以来の監督作である。出世作『トータル・リコール』以外にも,『ロボコップ』(87)『スターシップ・トゥルーパーズ』(97) 『インビジブル』(00年10月号)等で,SF映画が得意の印象が強いが,本作は17世紀のイタリア・ペシアにあった修道院が舞台である。映像は鮮やか,衣装やセットも豪華で,かなりの製作費を投じて時代背景を描写していることが実感できる。実在したという修道女ベネデッタ・カルリーニの物語を,分かりやすい語り口でぐいぐいと引っ張る。
 幼い頃から聖母マリアと対話し,奇蹟を起こす少女というので,もっと敬虔な人物達の物語なのかと思いきや,修道院は何事も金まみれで,可憐だったベネデッタも次第に稀代の悪女に見えてくる。「才能,幻視,狂言,嘘,創造性で登り詰め,本物の権力を手にした女性」とのことだ。監督自身が「私の映画の多くは女性が中心にいる」と語るように,『エル ELLE』以外にも『氷の微笑』(92)『ショーガール』(95)『ブラックブック』(06)のヒロインはいずれも個性的な女性ばかりだった。過激な暴力表現と性的描写がこの監督の特徴だが,本作でもそれは遺憾なく発揮されていて,強烈な映像の連続に圧倒される。17世紀の裁判記録に記載されているというベネデッタ(ヴィルジニー・エフィラ)と若い女性バルトロメア(ダフネ・パタキア)の同性愛シーンも,この時代のペストの脅威を描いた残酷なシーンも,この監督の真骨頂だ。
 英国人女優のシャーロット・ランプリングが演じた冷静かつ合理的な修道院長の存在感が光っていた。神の存在を信じなかった修道院長と神の言葉が聞こえると人々を欺いた修道女,敬虔なキリスト教徒達はこの物語をどう受け取るのだろうか? 教義を信じる者やそれを利用する者,「げに恐ろしきは宗教かな」と感じてしまった。
 『いつかの君にもわかること』(2月17日公開): 養子縁組や里親を巡る物語は,この数年だけでも『朝が来る』(20年5・6月号)『1640日の家族』(22年7・8月号)『シスター 夏のわかれ道』(同11・12月号)を紹介してきた。いずれも良質のヒューマンドラマであったが,本作はかなり印象が違う。我が子を養子に出す相手探しがテーマだが,なぜそうしなければならないかの事情と時間的制約が他作品とかなり異なるからだ。舞台は英国のある町で,主人公は33歳の窓拭き清掃員のジョンで,シングルファーザーとして4歳の息子マイケルを育てている。妻はマイケルの生後間もなく家庭を捨て,他国に行ってしまったからだ。子育てと家事と仕事に追われる中で,余命僅かなことを医師に宣告され,彼は衝撃を受ける。自分の死後に幼い息子が一緒に暮す「新しい親」を探すため,彼は奔走する。何組もの「家族候補」と面会したが,条件の合う相手が見つからず,残された時間は僅かとなり,彼は苛立つ……。
 結末には感動が待っていると予想しつつも,どう紹介しようかと迷いながら観た映画だ。監督・脚本は,『おみおくりの作法』(13)でヴェネチア国際映画祭4冠に輝いたウベルト・パゾリーニ。劇中の主人公の苛立ちとは裏腹に,この監督は淡々とこの物語を描き,特に大きな出来事も驚くような展開にもならない。題名中の「君」は勿論息子のマイケルだが,大人になって読むように数々の手紙や思い出の品を残そうとする。この映画の鍵は,どれほど主人公に感情移入できるかだ。子供をもったことのある人物なら,間違いなく出来るはずである。マイケルを演じるダニエル・ラモントは,100人の候補者の中から選ばれたそうだが,頗る可愛い。さほど可愛くなくてもこの映画の価値は変わらないが,ラストショットのマイケルの表情が目に焼き付く。
 『シャイロックの子供たち』(2月17日公開):「シャイロック」とは,ウィリアム・シェークスピアが16世紀末に書いた戯曲「ヴェニスの商人」に登場するユダヤ人の金貸しの名前だが,強欲で無慈悲な守銭奴の代名詞となっている。そのことを思い出せない観客のために,本作の冒頭に,この舞台劇の有名な判決シーンが登場する。といっても,本作にシャイロックなる人物が登場したり,「ヴェニスの商人」をベースにしている訳ではない。原作はベストセラー作家・池井戸潤の同名小説で,大手銀行で起きた現金紛失事件をめぐる人間喜劇である。既に全5話でTVドラマ化されているそうだが,この映画は小説版やTV版にはない独自のキャラクターが登場するオリジナルストーリーで,結末も異なるというので,予備知識なく観ることにした。
 監督は,同作家の『空飛ぶタイヤ』(18年Web専用#3)を手がけた本木克英。少し前にフリーになったが,長らく松竹社員であったサラリーマン監督で,どんなジャンルでも,どんな脚本でも,卒なくこなす。好い意味でのプロの監督であり,外れはない。主役は,東京第一銀行長原支店営業課のベテランお客様係・西木雅博課長代理で,個性派俳優の阿部サダヲが演じている。もっとハチャメチャな主人公を想像したのだが,意外と真面目で正義感の強い人物だった。ある日,多額の現金紛失事件が起き,彼は部下の北川愛理(上戸彩),後輩の田端洋司(玉森裕太)と共に,事件の裏側を探っていく。謎解きの手口は,かつての「刑事コロンボ」や『相棒』シリーズの杉下右京(水谷豊)を彷彿とさせる。同作家の「半沢直樹」のテイストも少し取り入れているようだ。助演陣は,佐藤隆太,柄本明,柳葉敏郎,橋爪功,佐々木蔵之介…と豪華で,彼らを見事に使いこなしているのは,さすが本木克英監督だ。「世紀の大暴露エンターテインメント!」というだけあって,権力関係,癒着,脅迫,女子行員間のいびり等々,銀行の実態がよく分かる。
 『劇場版 センキョナンデス』(2月18日公開):真っ先に言っておくと,こういう野次馬報道のドキュメンタリーは嫌いではない。ただし,本作の案内が届いた時には,一体これは何なのかと訝った。当欄用に届くマスコミ試写の平均レベルと比べると,知的レベルが怪しかったからである。「ラッパーと時事芸人が忖度なしの突撃取材を敢行!」「型破りな政治ドキュメンタリー」とある。個人的には選挙報道は好きな方に入る。それも雑誌,TV報道,YouTube動画までであり,劇場用映画となると,時間をかけて観るほどのものか,読者に紹介するだけの価値があるのかを考えてしまう。「突撃取材」と言うからには,マイケル・ムーアをかなり意識しているようだ。ムーア映画も大好きなので,その水準には達していないと思いつつも,ともかく観ることにした。
 突撃取材を敢行するのは,ラッパーのダースレイダーと「時事芸人」を自称するプチ鹿島の2人だった。日頃はYouTube番組「ヒルカラナンデス(仮)」を配信しているが,同番組のスピンオフとして選挙取材企画を立て,劇場用映画にしたそうだ。同行するカメラマンはいるが,プロの監督はいなくて,彼ら自身である。その点では,M・ムーアと同じだ。取材対象は,2021年4月の衆議院選挙の香川1区と,2022年7月の参議院選挙の大阪選挙区と京都選挙区だった。前者は,常勝の平井卓也氏(自民党)と毎回接戦で敗北している小川淳也氏(立憲民主党)の一騎打ちの様相の中,平井氏の実弟が経営する四国新聞の報道を徹底的にこき下ろしている。後者は,両選挙区での立憲民主党と日本維新の会との対決を,面白おかしく茶化しながら取材している。
 ずばり言って,内容がお粗末そのものだった。メンタルにアマチュアなのはいいが,映像編集も音楽もド素人だ。ロクな編集をしていないので,108分は長く,情報量が少ない。早送りで十分なのに,オンライン試写にそのモードがなかった。ムーア映画と比べて,ターゲットが遥かに小物だ。巨悪でも,社会制度の不備でもない。もはや現在のメディアに不偏不党などあり得ず,四国新聞など糾弾するに値しないのに,それに費やした時間が長過ぎる。後半では,参院大阪選挙区「特命担当」の菅直人元首相は,お笑い芸人並みの存在だった。図らずも,安倍元首相の銃撃事件が起こり,辻元清美候補が絶句し,涙する場面をライブ取材できたのは,この映画にとって幸運(?)だったと言える。どう見ても,観客から入場料をとる映画になっていない。映画にしたという実績をウリにしたいだけだろう。記事にすべきか迷ったが,応援の意味を込めて載せることにした。高い志をもって,M・ムーアに追いつき,追い越して欲しい。
 『ワース 命の値段』(2月23日公開):9.11同時多発テロに関する映画は既に何本もあったが,全く違った視点からの後日談だ。原題は単なる『Worth』だが,この副題が付くだけで重みが違う。犠牲者の認定対象と補償金の算出根拠をめぐる問題を描いた社会派映画で,「あなたの“命”はいくらですか」の重いテーマを突きつける。全員一律は悪平等にも思えるが,WTCの上階にあった優良企業の役員と食堂の皿洗いで,こうも算出額が違うのかと愕然とする。気に入らなかったのは,もう1つのキャッチコピーだ。「オバマ夫妻も惚れ込んだ,傑作社会派エンターテインメント」とは,何事だ! 徹底した硬派の,この真面目な映画のどこがエンタメなのか,宣伝担当者の見識を疑う惹句だと感じた。
 国や飛行機会社への損害賠償の提訴を放棄することを条件に,政府が「9.11被害者補償基金プログラム」を発足させる。約7,000人の「命の値段」を決める全権を委任された特別管理人は,言わば「汚れ仕事」であり,これを無報酬で引き受けたのは,ケネス・ファインバーグ弁護士だった。この実在の人物を演じるのは,マイケル・キートンで,かつての『バットマン』シリーズや『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(15年4月号)とは全く異なる印象の,直球勝負の演技である。彼と司法長官との会話,被害者遺族との交渉,チームでこの案件に臨んだ法律事務所の描写は,まあこんなものだろうと感じたが,被災地での貼り紙等は,よくぞ再現したなと感心した。誰もが知る一大事件であるだけに,監督のサラ・コランジェロの脚本担当のマックス・ボレンタインも,細部の描写に気配りしたことだろう。
 補償金申請の期限は2003年12月22日で,活動期間は約2年間,全対象者の80%の参加申請の獲得という期限と数値目標のあるミッションは困難を極めた。被害者遺族の個々人の事情には同情し,涙するが,公平・公正の基本ルールの前には,観客とて解を見出せないだろう。被害者を救うために引き受けたのに,遺族たちから拒否される弁護士チームにも同情してしまう。これだけの人数を投じて無報酬とは,法律事務所を維持できるのかと心配になった。果たして期限までに目標の80%を達成できたのかは,映画館で観て確認して頂きたい。
 『逆転のトライアングル』(2月23日公開):昨年のカンヌ国際映画祭のパルムドール受賞作で,アカデミー賞では作品賞・監督賞・脚本賞の3部門にノミネートされている話題作である。監督・脚本はスウェーデンの鬼才リューベン・オストルンドで,前作『ザ・スクエア 思いやりの聖域』(18年3・4月号)に続いての2作連続パルムドール受賞は,3人目の快挙だそうだ。となると,少し構えて観てしまいがちだが,その必要はない。シニカルではあるが,前作のような観客の理解力を試すがごときタッチではないので,肩の力を抜いて斜に構え,最新作の出来映えを点検してやろうくらいが丁度良い。原題は『Triangle of Sadness』なので,邦題の「逆転」がいつどのように起こるかを楽しむ映画である。
 主演は,人気が落ち気味のモデルのカール(ハリス・ディキンソン)と,人気上昇中でインフルエンサーとしても注目を集めるヤヤ(チャールビ・ディーン)で,文字通りの美男美女のモデルのカップルだ。全体は3部構成だが,終始この2人の視点で物語が進行する。C・ディーンは2020年8月に32歳の若さでこの世を去ったので,本作が遺作となった。「Part 1 カールとヤヤ」はレストランの支払いに端を発するこの男女の口論で,映画全体にとっての監督のジャブのようなものだ。
 中心となるのは「Part 2 ヨット」で,ヤヤが招かれた豪華客船中で遭遇する出来事だ。乗り合わせたセレブや成金たちのレベルが半端ではない。アル中でマルクス主義者の船長(ウディ・ハレルソン)や高額チップをはずめば何でもやってくれる客室乗務員の態度も笑いを誘う。現代の階級社会を徹底的に茶化している。荒天でこの船が難破し,海賊に襲われ,漂流後に辿り着いた無人島でのサバイバルを描いたのが「Part 3 島」だ。島で抜群の生存能力を発揮して女王のように振る舞うようになるのは,トイレの清掃係のアビゲイル(ドリー・デ・レオン)だった。見事なブラックユーモアである。筆者はPart 2はコーエン兄弟風の風刺,Part 3はウェス・アンダーソン監督流の語り口のように感じたが,その逆だと言われても納得する。オスカーには手が届かないと思うが,可能性があるのは「脚本賞」だろう。
 『アラビアンナイト 三千年の願い』(2月23日公開): 今更「アラビアンナイト(千夜一夜物語)」については語る必要もないだろう。これまでに映画化作品が多数あることも衆知の通りだ。題名からは,本作もこの古典的冒険物語集を新解釈で映画化しているように思えるが,ちょっと違う。原題は『Three Thousand Years of Longing』で,邦題は副題扱いしている。原作は,英国人作家A・S・バイアットの短編集「The Djinn in the Nightingale's Eye」だというから,「アラビアンナイト」の名前はどこにも出てこない。この短編集が古今の名作や逸話を現代風にアレンジしたもので,その中にアラビアンナイト風の物語が含まれているらしい。
 製作・監督・脚本は,『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(15年7月号)のジョージ・ミラー。このバイオレンスアクション・シリーズの印象が強いが,その一方でファミリー映画の『ベイブ 都会へ行く』(00年3月号)やフルCGアニメの『ハッピー フィート』シリーズもヒットさせている。この不思議なプロデューサー&監督が,上記の短編集に魅せられて映画化したとのことだ。主演はティルダ・スウィントンで,古今の物語や神話を研究するナラトロジー(物語論)が専門の英国人女性アリシア・ビニー博士を演じている。講演でトルコのインタンブールを訪れ,バザールの土産物屋でガラスの小瓶「ナイチンゲールの目」を購入する。ホテルに帰って洗面所で洗っていると蓋が外れ,中から巨大な魔人のジン(イドリス・エルバ)が現れる。彼は「解放してくれた御礼に3つの願いごとを叶えてあげよう」と言い出すので,明らかにアラビアンナイトの「アラジンと魔法のランプ」を意識したファンタジーである。
 アラビアンナイトは残忍な王の気を鎮めるため,妃のシェラザードが千一夜に渡って聞かせる物語であるが,本作では魔人が瓶に閉じ込められた経緯とその後の3つの出来事をアリシアに語る。各エピソードは絢爛たる色彩美や造形美に溢れていて,しっかりCG/VFXも駆使して描いている。1時間以上の枠物語が終り,現実世界に戻った後,魔人と博士が愛し合う関係になるのが本作のミソだ。アリシアがロンドンに戻った後,2人がどういう結末を迎えるかは,観てのお愉しみとしておこう。
 『日の丸~寺山修司40年目の挑発~』(2月24日公開):TBS DOCは,劇場公開や映画祭上映を前提としたドキュメンタリー映画の新ブランドで,「テレビも,SNSも超えて,映画で伝えたいことがある」を標榜している。当欄では既に『戦場記者』(22年11・12月号)を含む4作品を紹介しているが,本作もそのTBS DOCの1作だ。監督はTBSドラマ製作部所属の若手社員・佐井大紀で,これが初監督作品である。原点は,劇作家・寺山修司の発案で実現した1967年の報道番組『日の丸』で,これを半世紀以上経った現代に蘇らせ,現代人の視点から「日本人の正体」に迫ろうという企画だ。TBS DOC扱いではないが,TBSに残されていた映像を復刻させた『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』(20年3・4月号)を意識していると思われる。
 原点の『日の丸』は,「建国記念の日」の初の施行日の2日前の1967年2月9日に街頭インタビューを行い,街行く人々に「あなたにとって,日の丸とは何ですか?」「あなたは,祖国と家庭とどちらを愛していますか」等の10の質問を矢継ぎ早に浴びせかけ,その様子の映像だけで番組を構成したそうだ。本作では,まずその一部を見せ,続いて2022年に監督自らが街頭になって全く同じ質問のインタビューを行なった模様が流れる。さらに第3部として,関係者・有識者のコメントを収録している。55年後の日本人の意識に変化はあったのか,何も変わらないのか,自らの存在を考えさせる問題提起ということらしい。2つのインタビューを対比させるという着想は悪くないが,筆者には殆ど驚きも感動もない,退屈なドキュメンタリーであった。
 その理由は,いずれのインタビューも回答者の反応や答えはほぼ予想通りで,何の違和感もなかったからだ。大半のアンケートやインタビューは誘導尋問で,主催者の意図が透けて見えるが,その範疇を超えていない。「建国記念の日」の制定には,当時の知識人の大半は反対で,マスメディアはこぞって軍国主義復活に繋がるとの論調だった。1967年当時,米国でも日本でも,ベトナム戦争反対のデモが日常化していた。そんな世相の中,『日本人』はオピニオンリーダーでありアジテーターであった寺山修司ゆえに実現した番組企画だったのだろう。56年後の今観ても,一般市民に当惑や苛立ちはあったものの,大いに有り得る自然な回答だと感じた。当時の政府自民党がこの報道を偏向番組扱いにしたのにも納得できる(それに賛同している訳ではないが)。
 ロシアのウクライナ侵攻が起こり,北朝鮮や中国の脅威が語られ,防衛費予算増額に反対よりも賛成が多くなった2022年に実施した街頭インタビューなら,聴衆の反応は完全に想定の範囲内だ。その意味で情報的価値はなく,コメンテーターの発言もつまらなかった。この点では,話題を呼んだ『三島由紀夫…』とは価値が大きく違う。復刻して見せてくれた三島由紀夫の姿は鮮烈であり,当時会場にいた面々のその後の経歴やインタビューでの発言にも重みがある。
 意欲は買えるものの,本作には,未熟なジャーナリストの習作以上のものを感じなかった。ただし,まだ28歳で,これが初監督作品ということを考慮すれば,もっと経験を積み,優れたドキュメンタリー映画を生み出してくれることを期待したい。
 
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