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O plus E誌 2017年3月号掲載
 
その他の作品の短評
  (注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています。)  
   
   『愚行録』:上質のミステリー映画で,脚本も演出もしっかりしている。さすが,邦画製作でも成功している洋画メジャーのワーナーらしい力作だ。原作は,人気作家・貫井徳郎の直木賞候補作で,監督は短編映画出身の石川慶で,これが長編デビュー作となる。主役は一家惨殺事件の真相を追う週刊誌記者・田中武志で,妻夫木聡が好演している。前半は,記者が事件発生の1年後に,被害者の友人4名への取材中心だ。彼らが学生時代や新入社員時代に経験した,羨望・嫉妬・駆け引きが入り乱れる物語の描写が生々しい。後半は一転,記者・田中と幼児虐待の罪で拘留中の妹・光子(満島ひかり)の生い立ちに関わる驚愕の物語へと急旋回する。ネタバレになるので,詳しくは書けないが,数々の伏線が繋がる見事な結末だ。物語はこれで完結し,余韻を楽しむ映画なのだが,その後,彼らはどうなったのだろうかと,後日談を知りたくなる。
 『ラ・ラ・ランド』:まだ映画賞シーズンが始まる前から,配給会社の担当者は,アカデミー賞の大本命作で,ゴールデングローブ賞受賞は確実だと宣言していた。かなり誇大広告だと思ったが,最初の試写を観た途端,その豪語も当然だと納得した。原題『LA LA LAND』中のLAは,勿論ロサンゼルスの意で,女優の卵(エマ・ストーン)とジャズ・ピアニストの男(ライアン・ゴズリング)の恋の顛末を描いている。これぞハリウッド製ミュージカルの伝統を継承する正統派の音楽映画であり,10年に一度の大傑作だ。監督・脚本は,『セッション』(14)のデイミアン・チャゼル。そのほとばしる才能,音楽センス,編集センスの良さに脱帽する。LAのフリーウェイ上で撮影した冒頭の長いワンカットは活気に溢れ,丘の上で男女が踊るダンスシーンは映画史に残る名場面に数えられるだろう。冬春夏秋と四季を描き,5年後に待っていた結末は,ほろ苦く,魔法のような至福の「エピローグ」だ。
 『トリプルX:再起動』:この主人公が戻って来るとは思わなかった。『ワイルド・スピード』シリーズのヴィン・ディーゼルに007ばりの秘密諜報員役を演じさせた『トリプルX』(02年11月号)以来, 15年ぶりの再登場である。2005年にアイス・キューブに後任のxXxを演じさせた続編があったので,これが3作目で,V・ディーゼルは2度目の主演となる。第1作はスタント・アクションの凄まじさを褒めたが,本作も冒頭からぎんぎんにぶっ飛ばす。前半のスケボー・シーン,中盤の海の上でのバイク・チェイスは圧巻だ。余りのハイペースに付いて行けず,誰と誰が戦っているのかも識別できず,逆に退屈に感じてしまう。美女が沢山出て来るのは嬉しいし,共演のドニー・イェンの武術も絶品だ。最後にチーム仲間の紹介が入り,続編への伏線となっている。楽しみなシリーズになりそうなので,その期待を込め,本作の評点は低めにしておこう。
 『素晴らしきかな,人生』:ウィル・スミス主演のヒューマン・ドラマで,ビジネスでの成功者だが,6歳の女児をなくした父親の苦悩が描かれている。E・ノートン,K・ウィンスレット,K・ナイトレイ,H・ミレン,N・ハリスら助演陣が,とびきり贅沢だ。前半,無口なW・スミスに対して,E・ノートンの存在感が際立っていた。たった97分の短尺なのに,そう感じさせないのは,エピソード満載のためだろう。少し詰め込み過ぎの感があるのは,豪華出演陣の出番を作ったためなのか。途中でエンディングが読めてしまうが,人生讃歌の映画なら,この結末で悪くない。問題は,何の関係もないのに,名作『素晴らしき哉,人生!』(46)に似せた陳腐な邦題をつけたことだ。原題は『Collateral Beauty』。本編字幕では「幸せのオマケ」と訳されていた。ヒット作『幸せのちから』(06)と同系統の映画なら,『幸せのおまけ』の方がずっと良かったと思う。
 『アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発』:「ヒトラー」を題名中に入れた映画は多いが,今度は1月公開の『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』(15)に続いて,ホロコーストの重要戦犯を冠したいようだ。原題は,単に「Experimenter(実験者)」。表題からはまるでナチの残党のように思えてしまうが,スタンレー・ミルグラム博士は米国イェール大学助教授の心理学者で,両親はユダヤ人移民である。彼の実験は1961年の裁判での被告人アドルフ・アイヒマンの証言を裏付けるものだが,映画は彼のその後の心理実験をも含めて描いている。主演ピーター・サースガードで,実験の意義や社会的反応を観客に語りかける手法を多用している。まるで,社会心理学の学会発表か特別講演を聴いているかのようだ。夫人役のウィノナ・ライダーの存在が,この映画の緩和剤となっている。かつての「いしだあゆみ」に似ていると感じた。
 『マン・ダウン 戦士の約束』:表題の『Man Down』は軍隊用語で,同胞の死傷や戦線離脱を指す言葉らしい。主演はシャイア・ラブーフ,アフガニスタンでの戦闘から帰還した米国海兵隊員のPTSDものというので,C・イーストウッド監督の『アメリカン・スナイパー』(15年3月号)を思い出した。大筋では同系統の作品と言えるが,冒頭から近未来のディストーピア映像が登場するので,一体何だろうと思わせる。帰還後の故郷の町は荒廃し,住民たちも行方不明というSF設定だ。かつての家族団欒風景,上司による作戦失敗の事情聴取,主人公の新入隊員時代の厳しい訓練等々,映像は色々な過去に飛ぶ。もっと素直な時間順か,フラッシュバックはせいぜい数回にしてくれと言いたくなるが,この構成自体が本作の肝であり,伏線である。どこまで書いて良いか迷う映画であるが,CG/VFX場面もかなり登場するとだけ言っておこう。
 『クリミナル 2人の記憶を持つ男』:スパイ・アクション,クライム・サスペンスに属する作品で,主演は久々のケヴィン・コスナー。何と,暴力的で救いのない凶暴な死刑囚を演じる。捜査中に殺害されたCIAエージェントの記憶が彼の脳に移植され,特殊任務に就くという筋立てである。まだまだ実現性は低いが,科学的にはあり得るという設定で,その手術シーンの描写はなかなかの見ものだった。後半,転写された記憶が甦り,捜査官の妻子と心を通わせるシーンの演出も楽しめる。助演陣も,ゲイリー・オールドマン、トミー・リー・ジョーンズ,ライアン・レイノルズと豪華だ。最後が少々クサイが,ハリウッド製のエンタメなら許せる範囲だろう。批評家は高い点数をつけないだろうが,スピード感に溢れ,入場料分の観客満足度はあると思う。手術やチェイスやミサイル発射等で,VFXもかなり利用されていて,使われ方も悪くない。
 『きょうのキラ君』:ポスターを見ても,題名からしても,いかにも流行の胸キュン,キラキラ・ムービーだ。スルーしようとして,「この手の映画は,大抵,少女コミックが原作,ドジな女子と横暴な男子の組み合わせ,恋に落ちても,やがてどちらが難病で…,のどれかだろう」と軽口をたたいたら,その全部が当て嵌まるという。そーか,そこまで典型的なら眺めてみようかと,今月の1本だけ試写を観て,Webページに追記することにした。なるほど,明るく,幸せな気分にはなる。ただそれだけで,他には何もない。これじゃ,歴史も社会も人間性も,何も学べない。高校生の男女を描いた映画だが,これじゃ中学生レベルだ。最近の若者は,自宅と学校とその間の通学経路にしか活動範囲がないのかと毒づいたら,それも自分中心5mの範囲しか関心がないのだという。それでも,入場料を払った若者たちが,美男美女のカップルのハッピーな状態を見て,しばし感情移入できるなら,それでいいじゃないかと思う。所詮,大衆向け娯楽映画に,観客は人権や平等主義に関する小難しい議論や哲学的思索を求めていない。であっても,製作側はもう少しまともな脚本になるよう心掛けて欲しい。「勝手に教会に入っちゃいけないよ!」「前夜に厳しい説教を垂れた親が,もう翌日に理解を示すのは軽過ぎないか?」「手術を決意し,米国で執刀するだけで直るなら,最初からそうしろよ!」とだけ言って,矛を収めよう。
 『アサシン クリード』:世界的な人気を誇る同名のビデオゲームの実写映画化作品だ。本来ならカラー画像付きでメイン欄で語るべきCG/VFX多用作品だが,今月号は盛り沢山のため,短評欄でしか紹介できないのが残念だ。その選択をせざるを得ない理由の1つは,想定観客層が狭く,原作ゲームの世界観に通じたファン以外に訴えるものが少ないからだ。字幕翻訳も,このゲームに通暁した関係者の協力を得ている。その半面,新たなキャラクターを登場させ,画質的にも音響的にも,劇場用映画とするだけの豪華な仕上がりとなっている。主演はマイケル・ファスベンダー,助演もマリオン・コティヤール,ジェレミー・アイアンズと豪華だ。主人公は,遺伝子操作で15世紀ルネッサンス期のスペインで活躍した祖先の記憶を追体験し,テンプル騎士団と戦う。1988年,2016年,1491年の3つの時代間の移動を大鷲が誘導し,各時代の都市のCG描写が見事だ。
 『ラビング 愛という名前のふたり』:副題が示すように,表題は実在の主人公夫妻の姓である。時代は1953年,米国の州によっては,白人と黒人の結婚が法律で禁じられていた。彼らはそれを認めるワシントンD.C.で結婚式を挙げるが,故郷のバージニア州では逮捕されてしまう。本作は,彼らの事件がきっかけとなり,最高裁判決で異人種間婚姻が合法化されるまでを描いた映画である。現代の我々が,僅か60余年前の蛮行を理不尽に感じるのは,米国の自由と平等の精神を当たり前のように感じているからだろう。米国はこの平等主義の徹底を急ぎ過ぎたのかも知れない。品性のかけらもない新大統領を誕生させた白人たちの逆襲は,その反動の表れだが,それで世界中が混乱するのは大迷惑だ。皮肉にも,黒人の妻を守ろうとする誠実な白人男性リチャード・ラビングを演じるジョエル・エドガートンの顔立ちは,思慮分別のない新大統領に少し似ている。
 『フレンチ・ラン』:革命記念日前夜のパリ市中で爆弾テロが発生し,米国CIAの暴れん坊黒人捜査官(イドリス・エルバ)が事件の真犯人を追う。図らずも彼とコンビを組むのは,逮捕した白人の天才的スリ(リチャード・マッデン)という構図だ。白黒は裏返しだが,『48時間』(82)の系譜を引くバディものである。テロを装った悪人一味の陰謀や真の黒幕が明らかになるまで,二転三転のノンストップ・アクションが続く,予想通りの展開だ。よくあるパターンのエンタメ映画だが,スリ技の効果的な使い方が楽しい。クライマックスの銀行襲撃のアイディアも悪くない。英語と仏語の使い分けもきちんとなされていて,語り口が心地よい。結末は上述の『トリプルX:再起動』にそっくりだが,娯楽作品としては本作の方が上出来だと評価しておこう。
 『スイッチ・オフ』:時代は近未来,カリフォルニア北部の森の中で父と若い姉妹が暮らしている。突如,世界中が停電になり,電話も電気も使えなくなる。原因不明,復旧の見込みなしで,ガソリンも生活物資も入手できない生活となる。途中で父親が事故死し,対立しながらも,理解し,助け合う,姉妹のサバイバル生活がテーマだ。監督はパトリシア・ロゼマで,主演はエレン・ペイジとエヴァン・レイチェル・ウッド。女性監督らしいタッチで,姉妹の性格の違いや女性ゆえに遭遇する出来事を細やかに描いている。社会と隔絶した山中で,自力で生き延びようとする決意は理解できるが,この結末は予想できなかった。同じ状況で自分ならどうするかと自問自答すると共に,現実にこんなことは有り得ないという思いが錯綜する。批評家の評価は高いのに,一般観客の満足度が低めなのも頷ける。
 『ロスト・エモーション』:核戦争で世界の99.6%が破壊された近未来を描く,いわゆるディストーピアものだ。製作総指揮は老匠リドリー・スコット。『エイリアン』(79)『ブレードランナー』(82)等,SF映画史に残る名作を生み出した巨匠であるから,自らメガホンを取らなくても,SFの描き方に抜かりはない。遺伝子操作で感情をなくした人間だけの共同体「イコールズ」が描かれている。建築家・安藤忠雄が設計した建物は,無機的で怜悧な雰囲気を醸し出している。淡々と進む物語展開の中で,次第に恋愛感情が芽生える男女を演じるのは,『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(15)のニコラス・ホルトと『トワイライト』シリーズのクリステン・スチュワート。あの全身白塗り男とヴァンパイアになることを選択した女性の組み合わせだ。抑えた演技の中から湧き上がる彼らの禁断の恋に,最近の和製キラキラ・ムービーにはない気高さが感じられた。
 『哭声/コクソン』:韓国の2大映画賞である「青龍映画賞」「大鐘賞」でそれぞれ5部門受賞を果たした話題作だ。日本の國村隼が前者の助演男優賞と人気スター賞の2冠に輝き,外国人初の受賞となった。前述の『クリミナル…』とは逆に,批評家受けするタイプの映画だと言える。ある田舎の村に,正体不明の他所者(日本人)が住み着いて以来,村人が自分の家族を惨殺するという事件が次々と起こる。連続猟奇殺人事件であり,韓国版エクソシストとも言うべき内容だが,伏線や種明かしはないので,ミステリーではなく,サスペンス・ホラーの範疇に入る。恐怖心を煽る手口は,Jホラーや西洋風ホラーとも一味違っている。善良な警察官ジョングを演じるのは,名脇役のクァク・ドウォンで,これが初主演作だという。監督は,デビュー作の『チェイサー』(08)が大ヒットしたナ・ホンジン。強烈なリアリズムがウリだが,この監督の演出はどうも好きになれない。
 『わたしは,ダニエル・ブレイク』:昨年のカンヌ国際映画祭のパルムドール受賞作で,監督は3大映画祭の常連である英国の名匠ケン・ローチ。80歳になった同監督の「集大成にして最高傑作」というコピー文句も,あながち誇大広告でないと感じる逸品だ。妻を亡くし,心臓病を抱える孤独な老人ダニエル(デイヴ・ジョーンズ)と2人の幼児を育てる貧しいシングル・マザーのケイティ(ヘイリー・スクワイアーズ)の心の触れ合いを丁寧に描いている。貧困に同情するが,英国の役所の官僚的で杓子定規な対応に憤りを覚え,中盤までは不愉快極まりない映画だった。終盤,隣人を助け合う心の描写は,この監督の真骨頂を見る思いだが,物語は観客が望まない形で結末を迎える。そして,ケイティが代読する最後のメッセージに感動し,誰もが涙する。やはり,結末はこれで良かった。原題を直訳した題名が,見事にこの映画の本質を語っている。
 
  (上記の内,『きょうのキラ君』は,O plus E誌には非掲載です)  
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