O plus E VFX映画時評 2024年1月号

第81回ゴールデングローブ賞ノミネート作品
(+受賞結果)

(注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています)


◆今年は, 各部門でのノミネート作品数が増えた

 この特集記事を設けてから,今年で4回目となる。3年前はコロナ渦でアカデミー賞の日程が大幅に遅れたため,その予想記事の埋め草として,ゴールデングローブ賞(以下,GG賞)ノミネート作品の特集記事を掲載した。もはやそれが定番となったので,今年も続けることにした。改めて,当欄としての位置づけ,意義を書き留めておく。
 本線は,あくまでアカデミー賞の(筆者なりの)予想と事後評価(反省)である。所詮,業界内の祭り騒ぎであり,予想はそれに便乗したお遊びに過ぎないが,候補作,受賞作となったことで,当初本邦での予定がなかった良作が公開されることも少なくないので,語る価値はあると考えている。GG賞はその前哨戦のピークであり,当然アカデミー賞ノミネートとの相関性は高いが,予想はアカデミー賞にとっておいて,候補作の紹介だけに留めている(ただし,結果は授賞式後に追記する)。例年,賞狙いで,対象期間終盤の米国で公開され,噂すら聞いたことがない映画も少なくないので,この特集記事で目にしたことによって,読者がアカデミー賞予想や授賞式を楽しむ手掛かりにして頂ければ幸いである。
 第81回GG賞ノミネート作品は2023年12月11日に発表され,授賞式は1月7日夜に予定されている(いずれも現地時間)。昨年からの大きな変化は,各部門の候補作品数が5本から6本に増えたことである。新設部門として,「興行成績賞」(Cinematic and Box Office Achievement Award)が設けられた。米国内で$100 million,世界で$150 million以上の興行収入があった作品が対象で,今回は8作品が選ばれている。語るに値する部門なのか怪しいが,ノミネート数のカウント対象になっているので,とりあえず今年は候補部門欄の記載に入れた。
 映画部門のノミネート作品は計36本で,昨年と同数である。各部門のノミネート数は増え,新設部門もあったのに同数なのは,それだけ有力作品に偏りがちで,ヒット作の大半はいずれかの部門の候補になっているということだろう。最多ノミネートは『バービー』の7部門9ノミネートで,『オッペンハイマー』の8ノミネート,『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』『哀れなるものたち』の7ノミネート,『パスト ライブス/再会』の5ノミネートが続いている。
 当欄に記載するのは前3回と同様,①未紹介で,筆者が既に視聴した作品の一括掲載,②当欄で紹介済みのノミネート作品の一覧,③未視聴作品の掲載予定の一覧,の3種類である。日本での公開予定がないものがかなりあるため,現時点では,①10本,②13本,③6本である。

(例年通り,受賞結果は後日付記する。また,授賞式前に①で書き切れなかった作品は順次追記する。)


■『枯れ葉』(公開中)
[候補部門:主演女優賞(M/C),非英語映画賞]
 昨年12月に公開されていて,年末に映画館で観たのだが,当欄にトップで語りたくて,12月後半の短評欄には入れなかった。フィンランド映画で,監督・脚本・編集は名匠アキ・カウリスマキ。引退宣言したはずだったが,現役復帰したのは喜ばしい。個人的には何本か観ているが,当欄での紹介は初めてだ。『パラダイスの夕暮れ』(86)『真夜中の虹』(88)『マッチ工場の少女』(90)の労働者3部作に連なる4作目とのことである(残念ながら,筆者はいずれも未見)。かつて観た映画も淡々とした語り口の人間讃歌の映画であったが,本作も同じ調子で労働者階級の中年男女のラブストーリーを描いている。
 舞台は現代のヘルシンキで,工場労働者のホラッパ(ユッシ・ヴァタネン)とスーパーで働くアンサ(アルマ・ポウスティ)は,それぞれの友人と行ったカラオケバーで知り合い,たちまち惹かれ合う。名前も居場所も知らず,何度かのすれ違いを経て,お茶,映画,食事へと進行する。まるで半世紀前のカップルのようで,監督の青春時代はこうだったのだろう。スマホで連絡を取り合う場面とラジオニュースがなければ,数十年前の映画かと錯覚してしまう。2人とも独身の1人暮しだとすぐ分かるが,過去の恋愛/結婚歴や家族の話題は皆無だ。いずれもが理不尽な理由で解雇され,食事にも困り,まともな上着ももってないほどだが,この監督らしい結末で,最終的には心が和む。それには,愛犬の存在も一役買っている。その意味では,観客に不快感は与えない。
 低カロリーの和食のような趣きで,欧風の小津映画,弘兼憲史の「黄昏流星群」の映画版とも言える。最も異なるのは,衣服も壁の色が北欧流でカラフルなことだろうか。部屋にTVはなく,家庭や職場でラジオから流れる5回のニュースが,いずれもロシアのウクライナ侵攻に関するもので,それもロシア側の非人道的攻撃による被害の速報だった。監督は相当憤っているとのメッセージあるし,国家として長年の中立を捨てて,すぐにNATO加盟へと傾いたことも納得できる。
 第76回カンヌ国際映画祭の審査員賞受賞作で,清楚な単館系作品を好む映画通が待ってましたと喜ぶ映画だ。お気楽なキラキラムービーに慣れた若者たちがこの映画を観たらどう感じるのかが知りたくなった。

■『哀れなるものたち』(1月26日公開)
[候補部門:作品賞(M/C),主演女優賞(M/C),助演男優賞×2,監督賞,脚本賞,作曲賞]
 こちらは第80回ヴェネチア国際映画祭の金獅子賞(最高賞)の受賞作で,GG賞からアカデミー賞への賞獲りレースでも有力視されている。原作は英国人作家アラスター・グレイの同名のゴシックSF小説で,鬼才ヨルゴス・ランティモス監督と主演のエマ・ストーンは『女王陛下のお気に入り』(19年1・2月号)以来の再タッグである。同作で,オリヴィア・コールマンがアカデミー賞主演女優賞を受賞し,レイチェル・ワイズとE・ストーンはともに助演女優賞ノミネート止まりだった(GG賞はR・ワイズが受賞)。筆者はこの時に「R・ワイズとE・ストーン,どちらも好きな女優であるが,本作以降,映画界における2人の地位も入れ替わる気がする」と書いている。果たせるかな,監督は5年ぶりの本作で,E・ストーンを選んだ訳である。監督も彼女も製作に名を連ねている。
 とにかく凄い映画だ。物語も演出も音楽も美術も凄まじく,全く見たこともない異次元の映画である。上記の『枯れ葉』の低カロリー和食風と比べると,次々と出て来る創作エスニック料理とでも言おうか。物語はロンドンから始まる。自ら命を絶った若い女性ベラ(E・ストーン)は,天才科(学者ゴドウィン・バクスター博士(ウィレム・デフォー)の実験台にされ,幼児の脳を与えられて蘇生する。教え子のマックスがベラの経過観察の記録係となるが,純粋無垢なベラに恋をして,博士から結婚の許しを得る。ところが,結婚契約書作成を依頼された放蕩弁護士のダンカン(マーク・ラファロ)が,「自分の目で世界を見てみたい」ベラを誘惑し,一緒に旅に出てしまう。かくして,若い健康な肉体と幼児の心をもった女性が,リスボン,アレキサンドリアや道中の船上で様々な体験をし,パリでは売春婦となってしまう…。
 余りの自由奔放ぶりに随所で笑いを誘う。そのためGG賞ではコメディ扱いなのだろうか。破天荒な共演者揃いだが,その誰よりもベラの個性が勝っている。まさにE・ストーンの体当たり演技で,とりわけ売春婦時代が圧巻,強烈だった。作品全体としては,男性中心社会,特に女性の支配やセックスに関する女性観への痛烈な皮肉が込められている。風変わりさを強調するメイクや衣装も目を引いた。あらゆる束縛や偏見を吹き飛ばすベラが纏うのに相応しい。実験で生まれる奇妙な動物,各都市の建物,船と海等々は,CG/VFXの産物だ。メイン欄で語りたい作品だったが,その時間がなく,断念した。長らく映画業界に接していると,安直な映画は自分の方がマシな映画を撮れると思ってしまうが,こんな驚くべき映画は絶対に作れないと脱帽した。

■『カラーパープル』(2月9日公開)
[候補部門:主演女優賞(M/C),助演女優賞]
 巨匠スティーヴン・スピルバーグの1985年の名作のリメイク映画である。アカデミー賞では10部門11ノミネートされたのに,監督賞部門へのノミネートはなく,結果は全くの無冠に終わった。年末公開であり,それまで大衆用娯楽映画しか作らなかったスピルバーグが初めてシリアスドラマを描いたことが「賞狙い」と見なされ,アカデミー会員の反感を招いたと言われている。原作は黒人作家アリス・ウォーカーが1982年に著した同名のベストセラー小説で,ピューリッツァー賞を受賞していたが,映画は「黒人の心を理解していない映画化」とも酷評された。ちなみに,女性主人公のセリーを演じたウーピー・ゴールドバーグの映画デビュー作であり,彼女の舞台演技を見た原作者の推挙とされている。GG賞には5部門にノミネートされ,監督賞ノミネートもあったが,W・ゴールドバーグがドラマ部門の主演女優賞を受賞した。
 と当時を知るような偉そうなことを書いたが,今回のマスコミ試写を観るまで,その経緯を全く知らなかった。1980年代半ばは,筆者の人生で最も映画を観ていなかった時期で,旧作は見ていない。当時の住居(筑波研究学園都市)近くに映画館はなく,まだ世の中にレンタルビデオ店もなく,勿論DVDも存在していなかった時代である。後年『シンドラーのリスト』(93)でスピルバーグがオスカーを手にした時,「2度目の挑戦でようやくアカデミー会員の許しを得た」と報道されていた。その1度目がこの『カラーパープル』であったことも今回知った。
 なぜここまで長々とした前置きを書いたかと言えば,38年振りの再映画化であり,ミュージカル映画として再登場したことを,日米ともにセールスポイントしているからである(図らずも,旧作・本作の米国公開年は,阪神タイガースが日本一になった年と符合している。無論,映画とは関係ない)。本稿を書く前に,ネット配信で旧作をじっくり観たが,色々な意味で両作を比べて,その違いを語るに値すると感じた。この間の米国の人種差別問題,女性の社会進出の価値観の変化が,最近の映画にかなりの影響を与えているからである。まずは,本作の内容をざっと語ろう。
 物語は1909年の米国ジョージア州(原作者の出身地)から始まる。冒頭から,主人公のセリーが14歳で2人目の子供を出産するというのに驚く。すぐに権力的な父親に子供を取り上げられ,その後も行方が分からない。美形の妹ネティと仲が良かったが,その妹を見初めた男アーノルド(俗称ミスター)からの結婚希望に対して,父親は容貌の冴えないセリーと結婚させてしまう。父にも増して暴力的であるミスターとの結婚生活は悲惨で,前妻の子供達からも使用人以下の扱いをされる。父から犯されそうになったネティがセリーの家に駆け込んで来るが,今度はミスターに誘惑され,それを拒絶したことからネティは追い出される。泣きながら毎日手紙を書くと言って離れ離れになるが,郵便受けをミスターが見張っていたため,ネティの手紙がセリーに届くことはなかった……。
 ミスターの息子ハープと結婚した気の強い妻ソフィアが白人の市長を平手打ちにして逮捕・収監されたり,ミスターが想いを寄せるジャズ歌手のシャグが登場してセリーをテネシー州に連れ出す等々のエピソードが盛り込まれ,1947年の大団円まで,大河ドラマのような重厚なドラマが展開する。セリー,ネティ,ソフィア,シャグ等々,完全に女性中心の物語である。
 本作だけを観ての素直な感想は,白人からの差別以前に黒人間でこれだけの女性差別,貧富の差があることが驚愕であったし,女性の美醜をここまであからさまに(女性までもが)口にするのも驚きであった。旧作では父親に犯されて出来た子供だとされていたので,それでまともに五体満足で生まれたのかと不思議であったが,(少しネタバレになるが)後半,実父ではなく,母親の再婚相手であることが判明して,安心し,納得できた。じっと観ているのも辛い物語であったので,ミュージカル化していたことが救いであった。ただし,歌唱シーンは前半の半ばまでと終盤に集中していて,音楽挿入のメリハリも見事だと感じた。
 セリーが長年のうっぷんを晴らし,ミスターを罵倒して家を出るシーンは痛快であった。セリーをめぐる人間関係も最終的に妹ネティや彼女が育ててくれたセリーの子供たちと再会するのも,原作小説や旧作をほぼなぞっていた。旧作との最も大きな違いは,旧作の終盤が駆け足気味であったのを,セリーがパンツビジネスで成功する部分を強調して描いたり,ミスターと和解することを挿入している点である。また,原作は30年後の再会(即ち,1939年)。旧作は23年後の1932年の再会で終わっているが,本作はこれを戦後の1947年まで引き伸ばしている(ここでも38年後だ)。米国本土は直接太平洋戦争の影響を受けなかったとはいえ,当時の黒人たち(の一部)がここまで裕福だったのかと,少し疑問に感じた。
 スピルバーグは製作の1人に名を残すだけで,本作の監督には新鋭ブリッツ・バザウーレが抜擢された。ガーナ生まれの黒人で長編映画はこれが3作目だが,ラッパー,シンガーソングライターとしても知られ,4枚のアルバムを出している。大人のセリー役には,ブロードウェイミュージカルで同役を演じたグラミー賞歌手のファンテイジア・バリーノが再起用されている。2005年初演の舞台からは18年振りだが,セリーとネティ役に,少女時代と大人で別の俳優を起用しているのも, その他の部分もこのミュージカルの影響を受けている(そう言えば,2005年もタイガースのリーグ優勝の年だった)。言わば,旧作とミュージカル舞台からのリメイクだが,音楽もその両方の曲を流用し,旧作の音楽を担当したクインシー・ジョーンズが本作にも関与している。
 スピルバーグの旧作には落ち着きを,本作には躍動感を感じる。本作では,不遇でありながら健気に生きたセリーの人格や,自立心の強いソフィアのパワフルさが強調されているのも,時代の差だと感じる。少女時代のネティは,実写版『リトル・マーメイド』(23年6月号)のハリー・ベリーが演じているが,ネティの愛らしさが増し,高らかな歌声も魅力的であった。そうした観点から,両作を観比べることをお勧めする。その一方,来たるアカデミー賞で本作がどういう扱い受け,評価されるかも見ものである。ノミネート数からすれば旧作のクオリティが高かったことは言うまでもなく,無冠はアカデミー会員のねじ曲がった嫉妬心としか言いようがない。その埋め合わせが本作であるのか,逆に依怙地になるのか,興味深い。

■『ボーはおそれている』(2月16日公開)
[候補部門:主演男優賞(M/C)]
 監督・脚本は『ヘレディタリー/継承』(18)『ミッドサマー』(19)のアリ・アスター,主演は『ザ・マスター』(13年4月号)『ジョーカー』(19年9・10月号)のホアキン・フェニックスで,それでこの題名となると,何が起こるのかと身構えてしまう。キャッチコピーは「最凶コンビから貴方の精神に挑状―」だった。「最凶コンビ」は言われなくても分かっているが,「挑戦状」となると「受けて立とうじゃないか」と武者振るいする。上映時間が2時間59分と知って少し怖じ気づいたが,後には引けない。「ぼーと見ていて,恐れている」とチコちゃんに叱られそうだから,予めしっかり「あらすじ」を頭に入れた。小心者の男が母親の急死を知り,実家に戻ろうとする旅の途中で摩訶不思議な出来事に次々と遭遇する物語のようだ。
 冒頭は新生児の誕生シーンから始まる。まずこれが意外だった。この出産時に頭がおかしくなったと暗示しているのだろうか? 中年男のボー・ワッサーマンは事業で成功した裕福な母親の息子だったが,極度の不安症で,日頃からセラピストにカウンセリングを受けている。クスリは効かず,些細なことで神経をすり減らし,悪夢の日々を続いていた。ある日,少し前に電話で話したばかりの母が怪死したことを知り,慌ててアパートの玄関を出ると,世界は激変していた。現実なのか妄想なのかの区別がつかないまま,ボーは地図に載っていない道を辿って里帰りを果たそうとするが,それは延々と続く壮大な旅であった……。
 前半,ボーをクルマではねた外科医夫妻は親切だったが,何を企んでいるのか不明だ。その娘に変なドラッグの吸引を余儀なくされる。映画自体が奇妙奇天烈だが,ボーの頭がおかしいのか,周りがおかしいのか,変なことが起こるだけなのか,分からないまま快適なペースで物語が進行する。それなりに楽しく,あっという間に半分が過ぎた。後半がダラダラダラとつまらなかった(と筆者は感じた)。旅芸人一座の森の中の公演とヒッチハイクで自宅に戻って起こることが,ほぼ半々である。最後には夫妻の意図の種明かしがあり,それまでの体験はすべて幻影だった…になると想像していた。全くそうはならなかった。
 予想/想像や解釈は各人の自由だと,監督は言いたいのだろう。摩訶不思議さの説明はできないので,挑戦心のある読者は,自ら179分の試練を体験してもらいたい。その試練に堪えた者がこの映画をどう評価するか,監督は評論家や観客を試そうとしているかのように思えた。次作はぐっとコンパクトな短尺になると予想しておく。

■『落下の解剖学』(2月23日公開)
[候補部門:作品賞(D),主演女優賞(D),非英語映画賞,脚本賞
 上記の『枯れ葉』は審査員賞だったが,本作は同じカンヌ映画祭で最上位のパルムドール受賞作だ。このGG賞は4部門にノミネートされている。フランス映画で基本は仏語だが,英語や少しだけ独語も交わされる。主人公がドイツ人の女流作家で,フランス人作家と結婚して,家庭内では英語で会話しているからだ。登場人物の出自と場面に応じたセリフの使い分けにリアリティがあり,綿密に計算された映画だと分かる。監督・共同脚本のジュスティーヌ・トリエはフランス人女性監督で,長編4作目で大魚を釣り上げた。
 夫サミュエルの希望で一家はドイツからフランスの人里は離れた山荘に移り住んだ。交通事故で視覚障害のある息子ダニエル(ミロ・マシャド・グラネール)が犬の散歩から帰ると,父親は雪の上に血を流して死んでいた。窓からの転落死と思われたが,検死の結果,頭部への強打が死因と診断され,妻サンドラ(ザンドラ・ヒュラー)に嫌疑がかかり,犯人として逮捕されてしまう。彼女は旧知の弁護士ヴィンセント(スワン・ アルロー)に依頼して,落下の途中に物置の屋根に頭がぶつかったことが原因として,事故死または自殺を主張するが,前夜の激しい夫婦喧嘩を記録した録音データが発見され,窮地に陥る……。
 窓からの落下,屋根への激突での血が流れる位置の検証,息子の事故への責任感から夫が心を病んでいたことの証拠など,「解剖学」に相応しい分析が入る。題名の「落下(Fall)」は物理的な墜落だけでなく,夫の作家としての凋落や精神的落ち込みも意味しているのだろう。論理的な分析の一方で,法廷審理はかなり感情的な激論の応酬であり,米国の法的劇映画とはかなり印象が異なる。特に検事の追求は感情過多で,これでは完全に悪役であり,参審員の印象は被告に有利になると思えたほどだ。
 最終的には,息子ダニエルの証言が見事だった。こういうストーリーは,子育て経験のある母親にしか書けない。その一方,夫婦喧嘩で相手を非難する激烈な文言も体験者しか出て来ないセリフに思えた。被告人と弁護士の微妙な距離感も,訳ありの男女関係を想像させ,監督と共同脚本執筆者(男性)の関係の反映かと思われた。調べてみると,この男性(アルチュール・アラリ)も監督・脚本家であり,これまでも何本か共同執筆している。私生活でも事実上のパートナーであり,監督との間に2児をもうけている。なるほど,彼の存在を夫の弁護士の両方に使って,この見事な脚本は出来上がった訳である。
 1つ書き忘れていた。アスピリンを投与された犬の苦しそうな表情や動作が真に迫っていた。動物愛護協会のクレムがつかない範囲で何か飲ませたのかと疑ったが,カンヌで「パルムドッグ賞」(パルムドールのもじり)を受賞していたので,すべて演技だったようだ。安心したが,驚愕すべき訓練と演技だ。

■『マディのおしごと 恋の手ほどき始めます』(配信中)
[候補部門:主演女優賞(M/C)]
 ここからの5作は,時間がなく,授賞式までに書けなかった映画であり,内3本は既にネット配信中である。中でも,本作はこのGG賞ノミネートまで全くその存在を知らなかった。題名からするとお気楽なラブコメディのようだが,主演がジェニファー・ローレンスというのが,少し複雑な思いだった。彼女のデビュー当時の印象が鮮烈で,その後も当欄で激賞してことを熱心な読者なら覚えておられることだろう。
 デビュー作『あの日,欲望の大地で』(09年10月号)は主役のシャーリーズ・セロンの若き日を演じ,すぐに目に留まった。2作目『早熟のアイオワ』(08)[日本公開は2010年2月]で早くも主役に抜擢され,3作目『ウィンターズ・ボーン』(11年11月号)の過酷な運命を背負った少女役の演技は,多数の映画祭で主演女優賞を獲得した。この頃は,まだ10代である。その後,『X-MEN』シリーズのミスティーク役,『ハンガー・ゲーム』シリーズの主人公カットニス役で,彼女の出演作を見なかった年はなかった。その間に出演した『世界にひとつのプレイブック』(13年3月号)『アメリカン・ハッスル』(13)では,一転して未亡人や人妻役で,賞獲りレースでも注目の的だった(アカデミー賞とGG賞で主演女優賞,GG賞で助演女優賞を受賞)。筆者は「J・ローレンスはもうすっかり大人の女である。今後も何度か変身し,大女優に育って行くことだろう」と書いている。その予想に反して,この何年か目立った出演作がなく,筆者の記憶からもほぼ消えていた。それが久々の主演女優賞ノミネートというので,どんな姿で戻って来たのかが気になった。
 舞台はロングアイランド州のモントークで,32歳の貧しいUberドライバーのマディ・パーカーなる役柄だ。税金の未払いで車が差し押さえられ,家も失いそうになり,裕福な夫妻の求人広告に応じてしまう。19歳の内気な息子パーシーのデート相手となり,大学入学前に殻を破らせる役目だった。要するに,童貞を奪うセックスフレンドである。軟弱で不器用な青年相手に事が運ばず,タイムリミットが迫るが,一線を超えるとパーシーが夢中になってしまい,今度はこの役目から逃げ出すのに苦労する破目になる……。
 32歳は実年齢通りだが,結構セクシーで,全裸姿でも登場する。前半は下品極まりない映画で,これじゃラジー賞ものじゃないかと思ったが,中盤以降はそれも収まり,そこそこ楽しい青春映画であった。とはいえ,平凡なラブコメの域を出ず,M/C分野とはいえ,主演女優賞候補になるような演技には思えなかった。彼女が設立した映画製作会社Excellent Cadaverが企画した作品で,製作陣に名前を連ねているので,自ら選んだ役に違いない。どうせなら,もう少しマシな役を選べなかったのかと,嘆かわしい。「この下品なコメディは,J・ローレンスのコメディセンスと演技力によって,No Hard Feelings(「嫌な感じはしない」の意の決まり文句)映画だと言える」なる評価は,10年前の彼女の演技に魅せられた批評家や選考委員たちの,せめてもの応援メッセージなのかと思う。

■『ラスティン:ワシントンの「あの日」を作った男』(配信中)
[候補部門:主演男優賞(D),主題歌賞]
 米国の公民権運動の中で大きな役割を果たしながら,長らくスポットが当たることがなかった人物を描いたNetflix配信映画だ。彼の名は「バイヤード・ラスティン」であって,「ラスティン・ワシントン」ではない。原題は姓の『Rustin』だけなのに,日本国内用の副題がついたため,まるでデンゼル・ワシントンの係累かと読み違えがちである。ほぼ知られることのなかった人物である証拠に,片仮名のフルネームでネット検索しても,彼の伝記を記した「バイヤード・ラスティンの生涯:ぼくは非暴力を貫き,あらゆる差別に反対する」ばかりが上位で出て来て,姓名だけの記事がなかなか登場しない。日本国内用のWikipedia日本語版には,(現時点では)彼の見出しすらない。
 描かれているのは,リンカーンの奴隷解放宣言から丁度100年の日の1963年8月28日に,20万人が参加する首都ワシントンD.C.への抗議の大行進を実現させるため,彼が果たした役割である。マルティン・ルーサー・キング牧師も行進に参加し,リンカーン記念館前バルコニーの演説で「I Have a Dream」と何度も語ったことがよく知られている。映画は1960年から始まり,冒頭で1955年アラバマ州モンゴメリーで起きた「バス・ボイコット事件」に言及されている。人種差別への抗議運動の記念碑となった成功例だが,筆者はこの映画を観る前夜にNHK『映像の世紀バタフライ・イフェクト 塩の行進』の回を観て,偶然この事件のことを知った。続いて,上記の首都への大行進も取り上げられ,キング牧師は登場したが,「バイヤード・ラスティン」の名前は全く触れられなかった。その程度の扱われ方だった人物なのである。
 正義感と情熱に溢れ,組織力があった人物で,多数の人物と交流して20万人動員を実現させる過程が描かれている。その一方,ゲイであることにも触れられている。それも白人男性との同性愛であったゆえに,これまで英雄視されなかったのかと想像する。正直なところ,映画としては面白くなく,GG賞ノミネートでこの記事を書くために,義務感から見続けた。それでも,20万人の大行進の迫力は圧巻で,記念館前のナショナルモールを埋め尽くす人々(CG描写だろうが)とマヘリア・ジャクソンの熱唱に圧倒された。この偉業に対して,執行部10人が大統領執務室に招かれたが,ラスティンは参加せず,数週間前に公言したゴミ拾いを黙々と続けた。そういう謙虚な人物ゆえにこの映画を作ろうとしたのだろう。
 監督は『マ・レイニーのブラックボトム』(20年Web専用#6)で賞賛を受けたジョージ・C・ウルフ,主人公ラスティンを演じたのはコールマン・ドミンゴである。この黒人男優は,その『マ・レイニー…』や上記の『カラーパープル』,そして『グローリー/明日への行進』(15年6月号)『バース・オブ・ネイション』(16)『ビール・ストリートの恋人たちー』(19年Web専用#1)等々の名だたるブラックムービーに出演しているが,いずれも脇役であった。その彼を主演に抜擢したのは,本作の趣旨に見事に符合している。
 もう1つの話題は,本作の製作総指揮にバラク・オバマ元大統領とミシェル夫人が名を連ねていることだ。夫妻が創立したHigher Ground Productionsが製作し,提携先のNetflixから配信されているが,夫妻の劇映画への関与はこれが初めてである。日陰であったバイヤード・ラスティンなる人物に焦点を当てたのも夫妻の選択だろう。刑事告発されながら,今も自分にだけ焦点が集まるよう行動する前大統領とは大きな違いだ。

■『マエストロ:その音楽と愛と』(配信中)
[候補部門:作品賞(D),主演女優賞(D),主演男優賞(D),監督賞]
 こちらもNetflix独占配信映画だ。世界的指揮者でミュージカル「ウエスト・サイド物語」の音楽を作曲したことでも知られるレナード・バーンスタインと彼が愛し続けたフェリシア夫人を描いた実話ベースの愛のドラマである。監督第1作の『アリー/スター誕生』(18年11・12月号)で監督としての才能を披露したブラッドリー・クーパーが,この第2作目でも製作・脚本の上に自ら主人公の大音楽家を演じている。女優兼ピアニストである夫人のフェリシア・モンテアレグレ・コーン・バーンスタインには,『17歳の肖像』(10年4月号)『プロミシング・ヤング・ウーマン』(21年7・8月号)のキャリー・マリガンが起用された。製作総指揮には,巨匠マーティン・スコセッシやスティーヴン・スピルバークの名前も並んでいる。
 事前の評価が高かったので大いに期待したのだが,個人的には全く興味が湧かず,むしろ不快感を感じる映画であった。モノクロ映像で始まり,若い2人が成功する前の描写は瑞々しく,序章として許せた。その後はテンポが速過ぎ,セリフも多過ぎて,じっくり物語を楽しめない。音楽家としての業績の伝記映画を期待したのに,夫婦間のメンタル面の逸話が多過ぎる。こんな落ち着きのない男とは思わなかった。極め付きは,バイセクシャルとしてのあからさまな行動が,夫人を傷つけることの不愉快さであった。いくら音楽家として偉大でも,こんな人物は全く尊敬するに値しない。
 多少メイクのせいもあるが,B・クーパーはL・バーンスタインに風貌が似ていて,青年期から老年期までを見事に演じ切っている。この大音楽家の声は聴いたことはないが,恐らく口調もかなり似せているのだろう。一方,フェリシア夫人は,写真で見る限り,C・マリガンに全く似ていない。強いて言えば,夫人はサッチャー元首相に近い。顔の類似は別としても,この役にC・マリガンはミスキャストだと感じた。主演女優賞にノミネートされるくらいだから,演技力は高く評価されているのだろうが,彼女にはこんな役は演じて欲しくなかったと言った方が正しい。個人的な見解だが,彼女はいつまでも童顔で,愛らしい女性役がよく似合う。平凡な主婦が社会運動に没頭する『未来を花束にして』(17年2月号)でも,未亡人役であった『時の面影』(21年Web専用#1)でも,この愛らしさは活かされていた。彼女に年齢以上の老け役は似合わないし,加えて,本作のように同性愛者の夫に失望し,大声でなじるような役柄は,別の女優にして欲しかったと感じた。
 個人的な好みと,俳優の演技,監督の腕,映画としての評価は別のはずなのに,嫌悪感だけが残った。そういう風にこの音楽家を描きたかったのなら,見事にB・クーパーの演技力,演出力に翻弄されてしまったということになる。

■『すずめの戸締まり』(公開済)
[候補部門:アニメ映画賞]
 正直なところ,GG賞の「アニメ映画賞部門」に2本もノミネートされたことに驚いた。本作と次の『君たちはどう生きるか』が入選したのは,近年,東宝が米国でのプロモーションに力を入れ,公開館数が増えているのと,GG賞の選考委員,審査員が今回から急増し,候補数も1本増えたこと等が,総合的に寄与しているためかと思われる。長年の読者なら,当映画評では和製2Dアニメは特別な理由がない限り取り上げないとことはご存知だろう。その理由は何度も述べたので,繰り返さない。今回の特別な理由は,GG賞にノミネートされてしまったことに尽きる。昨年の候補作『犬王』(23年1月号)の記事を書いた以上,今年の2本を全く無視する訳には行かないからだ。
 避けて通るとしつつも,細田守,新海誠の両人気監督の作品は,過去の2本ずつ取り上げている。細田作品『バケモノの子』(15年7月号)『未来のミライ』(18年7・8月号)と新海作品『君の名は。』(16年9月号)『天気の子』(20年Web専用#3)である。熱心な読者に評価を求められたのと,毎回数十億円の興収を得る人気作の出来映えを,欧米の3D-CGアニメと比べておきたかったからだ。個人的には,細田作品の方が好みで,相対的に高評価を与えている。それでも,各々2本ずつで止めたのは,多数の紹介記事が存在しているのに,当欄が敢えて時間と紙幅を使う必要はないと考えたからだ。
 さて,3本目を書かざるを得なくなった本作である。日本国内は2022年11月の公開で,もう随分前の映画だと思ったのだが,米国での公開が23年4月であったため,今回のGG賞の対象になったようだ。英題はシンプルに『Suzume』である。原題は,鳥の「雀」が一体どんな戸締まりをするのだろうとだと思わせて,主人公の少女の名前が「鈴芽」に過ぎなかった。なかなか巧みなネーミングの広報戦略だと感心した。洋画は主人公名が題名のことは多いから,『Suzume』でおかしくはない。英語版を『Sparrow』に変えるより,一体何だろうと思わせる効果はある。
 今更当欄が内容を解説する意味はないのだが,後年読み返した時,どんな物語だった思い出せるよう最低限の概要を書いておこう。時代は現代で,主人公は宮崎県の小さな町で叔母と暮す17歳の高校生・岩戸鈴芽だ。ある日,扉を探しているという青年・宗像草太と遭遇し,不思議な「扉」の存在を知る。日本列島の下には「ミミズ」が蠢いていて,それが大きな災害をもたらすため,扉で封印しているだという。日本全国で扉が開き始めたため,2人で「閉じ師」として日本全国の戸締まりをして回る。宮崎を起点に,大分,愛媛,兵庫,愛知,東京と岩手の三陸海岸が登場するにロードムービーだ。「ダイジン」なる白猫や「サダイジン」なる黒猫が登場し,邪悪なミミズを退治するファンタジー映画にもなっている。
 『君の名は。』はタイムワープと身体の入れ替わり,『天気の子』は局所的大雨の超常現象だったが,本作では大地震をテーマにしている。東日本大震災に言及し,経由地からは近未来の南海トラフ地震を意識していることは明らかだ。いま映画化するなら能登半島も入れたことだろう。それならミミズじゃなくてナマズじゃないのかと誰もが思うが,古代神話の「日不見(ひみず)の神」が由来だそうだ。女神の「天宇受賣命(アメノウズメノミコト)」から,主人公名に「岩戸」や「スズメ」を選ぶなど,神話や祝詞を入れて,少し高級感(?)を持たせている。女性主人公であるが,流行の現代女性らしい強い主張は感じられない(男性監督のせいか?)。
 筆者の全体的な感想は,3年前の『天気の子』とほぼ同じであった。非日常が大好きな若者向きのテーマ設定であり,日本のアニメファンの勘所を押さえ,客寄せが上手い。さほど社会勉強にはならないし,教養の足しにもならないが,そういう映画は多々ある。固定層向きで,大の大人が観る映画ではないが,それで百数十億円稼ぐのだから,大したものだ。絵は相変わらず綺麗で,恣意的なライティングも悪くはなかった。単館系の実写映画は無理に暗くしたがるが,新海アニメで明るい青空が多いのは美点だ。筆者が注文をつけたカメラワークは少しはあるが,さほど進歩していなかった。観ていて不快に感じることはなく,この種のアニメが好きな観客が多いなら,それでいいんじゃないかと思う。

■『君たちはどう生きるか』(公開中)
[候補部門:アニメ映画賞,作曲賞]
 さて,GG賞を受賞してしまったこの映画は,日本国内は2023年7月14日公開で,欧州では10月から,北米では12月8日から『The Boy and the Heron』の題名で一般公開されている。「Heron」は「鷺」である。太平洋戦争開戦の日では嫌われるのではと思ったが,真珠湾攻撃は米国時間では12月7日であった。上記『すずめの戸締まり』はBlu-ray Discで観たのだが,こちらは稼げるだけ稼いでおこうという魂胆か,半年経つというのにDVD発売日の発表すらなく,まだ映画館で上映中だった。ただし,大半の映画館で最終回1回だけだったが,書くと決めた以上やむなく,近くのシネコンの21:15の回に出向いた。観客は筆者の他には,若いカップル1組だけだった(GG賞受賞以降,増えているかも知れない)。
 最低限の概要を書いておこう。時代は太平洋戦争中の日本で,主人公の11歳の少年・牧眞人は空襲で母を失い,軍需工場経営の父の再婚相手の家に疎開する。継母は亡き母の妹・夏子で、亡き母と瓜二つだったが,眞人は彼女にも学校にも馴染めなかった。ある日,失踪した夏子を追って婆やのキリコと森にに向かい,青サギに誘われ,大伯父が建てた塔へと入る。そこで母・久子の偽物を観た上に,不思議な「下の世界」に誘われる。ペリカンの大群に襲われたり,夢の中で大伯父と邂逅したりしながら,眞人と青サギは夏子を探す旅を続ける。最終的には,崩壊の始まった塔から脱出して現実世界に帰還し,終戦後は東京に戻る。映画の題名は,1937年に吉野元三郎が著した児童文学の書名であり,映画中では母・久子が遺してくれた本で,眞人が読んで涙するという形で登場する。
 前半は素直に物語に入り込めるが,例によって,後半は不快感を感じっぱなしの「宮崎ワールド」であった。異世界に入り込んで帰還するというのは,冒険小説やホラーによくあるパターンで,『すずめの戸締まり』もそうだったが,本作の場合,ワクワク感よりも苛々感が募った。国内公開直後から賛否両論だったが,勿論,筆者は否定派の意見に組する。入場料を払ったので最後まで観たが,DVDやオンライン試写なら途中で放り出しただろう。
 小説家・画家・音楽家の「巨匠」は,若い頃の瑞々しい感性はなくなり,ほぼ決まって,大仰で理解し難い作品が続く。「宮崎アニメ」は既に1990年代後半からその傾向が顕著だ。シンプルで分かりやすい作品は,恥ずかしいと思っているのだろうか? 意味不明,難解を高級と思わせて煙に巻くのは,新興宗教の教祖の手口だ。その教祖のご託宣を有難がる観客が少なくないから,周りも裸の王様に何も言えない。自分の近作が分かりやすいと思っているのなら,既に価値観が根元からずれている。小学生は無理でも,中学生以上が初見で素直に理解でき,何度も見る内に深い意味や味わいが感じられる作品が本物だ。それが出来ないなら,表現力不足と言わざるを得ない。価値が分かる観客だけが理解すれば良いと思っているなら,それは老人の傲慢だ。そもそも他人の小説の題名を借用し,大仰な題を踏襲していることがいかがわしい。英題のように「少年と青サギ」でいいじゃないか。
 ただし,冒頭の森と広大な「青鷺屋敷」の精緻な描画は素晴らしかった。その後は普通のアニメのクオリティなのだが,冒頭の迫力で教祖様の催眠術にかかってしまう。ご本人は絵コンテしか描いていないというから,それを指示通りに,圧巻のビジュアルにしてしまうアニメーター達が揃っている訳だ。考えてみれば,手間暇かければ,このクオリティの絵は作れる。他のアニメスタジオには,その余裕がないだけだ。筆者には,躍動感に溢れる『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』(23年6月号)や,分かりやすさと味わいを備えた『マイ・エレメント』(同8月号)の方が優れていると思えるのだが,GG賞の審査員たちは教祖様の知名度と虚仮威しの催眠術にかかってしまったのだろうか?


◆紹介済みのノミネート作と対象部門

■『AIR/エア』(23年4月号) 作品賞(M/C),主演男優賞(M/C)
■『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』(同上) 作品賞(D),主題歌賞,興行成績賞
■『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3』(23年5月号) 興行成績賞
■『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』(23年6月号) 作曲賞,アニメ映画賞,
 興行成績賞
■『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE』(23年7月号) 興行成績賞
■『マイ・エレメント』(23年8月号) アニメーション賞
■『バービー』(同上) 作品賞(M/C),主演女優賞(M/C),助演男優賞,監督賞,脚本賞,
 主題歌賞×3,興行成績賞
■『ジョン・ウィック:コンセクエンス』(23年9月号) 興行成績賞
■『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』(23年10月号) 作品賞(D),主演女優賞(D),
 主演男優賞(D),助演男優賞,監督賞,脚本賞,作曲賞
■『ナイアド 〜その決意は海を越える〜』(23年11月号) 主演女優賞(D),助演女優賞
■『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』(23年12月号) 主演男優賞(M/C)
■『ウィッシュ』(同上) アニメ映画賞
■『雪山の絆』(24年1月号) 非英語映画賞


◆今後紹介予定のノミネート作と対象部門

■『アメリカン・フィクション』(24年2月号) 作品賞(M/C),主演男優賞(M/C)
■『オッペンハイマー』(24年3月号) 作品賞(D),主演男優賞(D),助演女優賞,助演男優賞,
 監督賞
,脚本賞,作曲賞,興行成績賞
■『パスト ライブス/再会』(24年4月号) 作品賞(D),主演女優賞(D),非英語映画賞,監督賞,脚本賞
■『ブルックリンでオペラを』(同上) 主題歌賞
■『プリシラ』(同上) 主演女優賞(D)
■『異人たち』(同上) 主演男優賞(D)
■『関心領域』(24年5月号) 作品賞(D),非英語映画賞,作曲賞
■『May December(原題)』(未定) 作品賞(M/C),主演女優賞(M/C),助演女優賞,助演男優賞


[注]太字:受賞作
   (D):ドラマ部門
   (M/C):ミュージカル・コメディ部門


 アカデミー賞のノミネート作品は1月23日に発表され,授賞式は3月10日(いずれも現地時間)の予定です。2月下旬には恒例の予想記事を掲載する予定です。楽しみにして下さい。


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