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O plus E誌 2017年2月号掲載
 
その他の作品の短評
  (注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています。)  
   
   『ショコラ ~君がいて,僕がいる~』:類似の題の映画は過去にも何本かあったが,本作は,20世紀初頭にフランスで実在した史上初の黒人芸人の物語である。肌の色から,この芸名になったのだろう。演じるのは『最強のふたり』(11)のオマール・シーで,見事に剽軽さと繊細さを演じ分けている。コンビを組む白人芸人フティットを演じるのは,ジェームス・ティエレ。C・チャップリンの実の孫だというが,なるほどよく似ている。前半の2人でのサーカス芸は絶品だ。相当練習したことだろう。後半,自立心に目覚めたショコラが,相棒と対立するようになり,やがて結核で死去する。シリアスなドラマになるのは止むを得ないが,こうした歴史上の人物を発掘し,遭遇させてくれるのも映画の魅力だ。エンドロールの前に,リュミエール兄弟が撮影した彼らの記録映像が流れる。まさに20世紀は新たな「映像の世紀」であったことが実感できる。
 『アラビアの女王 愛と宿命の日々』:こちらも20世紀初めの物語で,主人公は上流階級の生活を捨て,アラビア各地を巡ったという英国人女性というから,誰もが名作『アラビアのロレンス』(62)の女性版を想像する。原題は『Queen of the Desert』だが,邦題はそのアナロジーを助長するかのようだ。砂漠に魅せられ,イラン,ヨルダン,シリアを旅し,イラク建国にも関わったガートルード・ベルは実在の人物であり,英国軍人T・E・ロレンスよりも20歳年長で,1906年に彼らは実際に出会っている。監督はドイツの鬼才ヴェルナー・ヘルツォークで,ニコール・キッドマンが主演,ジェームズ・フランコ,ダミアン・ルイス,ロバート・パティンソンら男優陣が脇を固める。N・キッドマンは40代後半に見えない美しさだが,英国貴族には見えても,砂漠を生き抜くタフな女性には見えない。その分,物語にも骨太感がないのが,少し残念だった。
 『未来を花束にして』:題名ほどロマンチックな映画ではない。英国で婦人参政権の獲得に向けて戦った女性たちの物語だ。当然政治的メッセージもたっぷり含まれ,政治史,社会運動史の教科書になりそうな内容である。時代は1912年,女性には参政権だけでなく,子供の親権も認められていなかった。約100年後の今日,英国だけでなく,多数の国で女性首脳が実現していることに感慨を覚える。主演のキャリー・マリガンが童顔ながら,次第に自立心が芽生えて行く過程の描写が見事だ。高名な運動家を演じるメリル・ストリープの貫録も,さすがだ。正義と平等を求めて戦おうとする彼女らを応援しつつも,過酷な労働環境や官憲の虐待を正視するのは辛い。映画としては,女性解放の歴史を語りつつ,当時の男性の様々な価値観も浮き彫りにしている。この種の自己主張のための戦いは,他人を傷つけるテロと紙一重というメッセージも込められていると感じた。
 『スノーデン』:3年前に米国政府の違法な情報収集活動を暴露した青年エドワード・スノーデンの物語である。既にアカデミー賞受賞作のドキュメンタリー『シチズンフォー スノーデンの暴露』(16年6月号)を紹介したが,こちらは劇映画仕立てで,監督は社会派映画が得意なオリバー・ストーンだ。軍隊時代から始め,彼が「国のために」を志向していたことを強調する。恋人のリンゼイを登場させたことも,物語に深味を増している。香港での取材,機密の暴露後のメディア報道,ロシアへの亡命,その後の米国政府の対応を語るエンディングは実話の重みを感じるが,映画全体としては面白みに欠ける。主演のジョセフ・ゴードン=レヴィットはこの役に似合っているが,筆者には,この人物が職場も安定も捨て,思い切った行動に出た「真剣味」が感じられなかった。人物描写をもっと誇張した方が楽しめたと思うが,比較的最近の事件ゆえ,事実から大きく逸脱したフィクションにはできなかったのだろう。
 『エゴン・シーレ 死と乙女』:オーストリア出身の表現主義の画家の生涯を描く。20世紀初頭に独特の画風で将来を期待されたが,スペイン風邪に罹患し,28歳で早逝している。主演男優は伊勢谷友介に似た超イケメンだが,実在の人物もしかりだ。長年兄を支えた妹やモデルのヴァリ役も皆美形で,全員オーストリアの俳優が演じている。「音楽映画」に対して「絵画映画」があるとしたら,まさに本作がそうだと言える。画家が主人公であるだけでなく,多数のシーンが驚くほど絵画的だ。屋外の建物,公園,室内の調度,衣装にいたるまで,名画で見た光景を思い出す。マネ,ドガ,ゴッホ,ルノアール等,欧州絵画の名画へのオマージュだと思われる。監督はそう言及していないので,これは美術監督の拘りなのかも知れない。裸身,性交シーンが頻出するが,全く猥褻に感じさせないのは,この画家の芸術家魂が伝わってくるからだと思う。
 『僕と世界の方程式』:主人公は自閉症で意志疎通に難のある少年で,数学の特殊能力をもつ。となると,先月の『ザ・コンサルタント』の主人公とそっくりだが,長じて闇企業の会計士や必殺のスナイパーになる訳ではない。物語は高校生時代までで,国際数学オリンピックへの参加を基軸に,母と子の心の触れ合い,中国人少女との淡い初恋を描いている。主演は上述の『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』のエイサ・バターフィールドだが,9歳児を演じる子役少年が似ているのが嬉しい。原題は『X+Y』で,数学と「男と女」を掛けたのだろう。この題のままでも良かったと思うが,最後まで観ると,邦題もなかなか味のある題であることが分かる。監督は,これが長編劇映画デビュー作となるモーガン・マシューズ。心温まる物語の演出は悪くないが,脚本が少し淡泊過ぎる。数学の天才ぶりや競技会の緊迫感はもっと誇張し,盛り上げても良かったかと感じた。
 『ホームレス ニューヨークと寝た男』:人種のるつぼであり,最新アートやファッションの発信地であるニューヨークは,現代ライフスタイルをリードする町でもある。当欄では,老女のファッション,老舗デパート,ストリート・カメラマン等々に関するドキュメンタリー映画を紹介してきた。どんな人物が登場しても不思議ではないが,本作の被写体マーク・レイは飛び切りユニークだ。かつてはモデル,現在はファッション写真家として,長身で高級スーツが似合う52歳のイケメン男性であり,人生の成功者にしか見えない。実態は,6年間マンハッタンの雑居ビルの屋上で暮らすホームレスである。その彼を3年間密着して撮影し,200時間余の映像を編集した本作は,現代NYの別の顔も見せてくれる。この映画の公開で,彼はどうなるのだろう? 屋上での不法滞在は不可能になる。映画出演料が支払われ,普通の安定した生活になるのなら,頗る皮肉な結末だ。
 『君と100回目の恋』:邦画で最近急増している若者向け胸キュンドラマ(「キラキラ映画」とも言うらしい)に対して,当欄は半数以上は無視し,一々目くじらを立てないことにした。この方針を立てたばかりなのに,やはり一言言いたくなった作品だ。誕生日である7月31日に事故で落命する女子大生を,幼馴染みの青年が何度もタイムスリップして救おうとする物語で,コミックやケータイ小説が原作ではなく,オリジナル脚本である。脚本自体は可もなく不可もなく,青春映画の平均値だが,問題は主演カップルの内,ヒロインのmiwaだ。美形の人気シンガーソングライターだが,『マエストロ!』(15年2月号)での映画初出演を,「ユニークな役柄を上手く演じている。私が監督なら,また使ってみたくなる素材だ」と評したように,俳優としても有望株だ。名監督につけてじっくり育てるべきなのに,こんなフツーの映画の主役に起用してはいけない。演技が薄っぺらくなるだけではないか!
 『たかが世界の終わり』:何の予備知識もなく観た方が意外性を楽しめる映画と,監督の意図や結末を知って観た方が演出の妙を味わえる映画がある。本作は明らかに後者に属する。監督はフランス映画界の若き俊才のグザヴィエ・ドランで,カンヌ国際映画祭のグランプリ受賞作だ。主演はイケメン男優のギャスパー・ウリエルで,自らの死期が近いことを告げに12年ぶりに実家に戻って来た作家を演じる。兄(ヴァンサン・カッセル),兄嫁(マリオン・コティヤール),妹(レア・セドゥ)という仏映画界の人気スターを揃えた助演陣が豪華だ。いきなり観ると,家族内の口論の連続に辟易し,不快感を覚える。とりわけ,V・カッセルとL・セドゥの兄妹喧嘩が凄まじい。元は舞台劇で,飛び交う多くのセリフの中に,互いに距離感の取れない家族内の愛情表現を描いている。そう分かると,ようやく名優たちの演技力を楽しめるようになり,もう一度観たくなる
 
  (上記の内,『君と100回目の恋』は,O plus E誌には非掲載です)  
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