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O plus E 2019年Webページ専用記事#1
 
その他の作品の短評
  (注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています。)  
   
   『バスターのバラード』:Netflixオリジナル作品を当欄で取り上げるのは初めてのことだ。勿論,個人的には前々からこのネット配信を愛用して,旧作は何本も観ている。「オリジナル作品」と言っても,すべてが企画から製作全般に関わっている訳ではなく,上映・配信の独占的権利を得ているだけのものも含まれる。新作の場合,米国内では劇場での限定的先行上映もあるらしいが,日本ではそれはなく,いきなりネット配信される。マスコミ用試写会の案内は来ず,プレスシートもない。良作であっても,配信開始日を意識していないと,ついつい当欄での紹介の時期を逸してしまう次第だ。今回は,配信開始後だいぶ経っているが,アカデミー賞ノミネートの2作品を授賞式前に語っておくことにした。まずは,昨年11月16日から配信されているコーエン兄弟の最新作で,第91回アカデミー賞には脚色賞,主題歌賞,衣装デザイン賞の3部門にノミネートされている作品である。『トゥルー・グリット』(11年3月号)以来の西部劇であり,短・中編計6部作のオムニバス形式である。西部劇でオムニバスというのは,ちょっと珍しい。6話は独立していて,エピソード間に繋がりはないが,統一したタッチで描かれている。共通テーマは「死」だが,第5話まではコメディタッチで,意外な死,理不尽な死が,スパイスがたっぷり利いた味付けで描かれている。それらを俯瞰する形のメタ・エピソードが第6話「遺骸」で,死神に伴われてのあの世に向かう馬車での会話となっている。この最終話だけが少し難解だが,第5話までのブラックユーモア溢れる描き方こそ,まさにコーエン兄弟の面目躍如たる逸品だ。映画全体の題名にもなっている第1話「バスターのバラード」と第2話「アルゴドネス付近」は軽快そのものだったが,第3話「食事券」の驚くべき結末に心が寒くなる。と思いきや,第4話「金の谷」で観客の予想を外し,そのまま第5話「早とちりの娘」のラブロマンスを暖かく見守っていたら,理不尽でやるせない結末を見せつけ,観客を翻弄する。いやー,惚れ惚れするような上手さだ。
 『ROMA/ローマ』:次なるは,昨年夏から各国の映画祭に出品・上映され,インターネット上では暮の12月14日から配信されている話題作である。ゴールデングローブ賞で監督賞,外国語映画賞に輝いた後,アカデミー賞では作品賞,監督賞,脚本賞,美術賞等,最多10部門にノミネートされている。製作・監督・脚本は,『ゼロ・グラビティ』(13年12月号)でオスカー監督となったアルフォンソ・キュアロン。その実力と美意識からすれば,この数のノミネートも不思議ではないが,まだまだネット配信映画をB級以下の作品と見なす風潮からすれば,これは快挙だ。外国語映画賞部門にもノミネートされているので,イタリア映画なのかと思ったら,メキシコ映画だった。そーか,イタリアの首都の英語表記は「Rome」だったか。本作は,メキシコシティの住宅地区「Colonia Roma」からとった題名とのことだ。政情不安定で,暴動が多発した1970年代のメキシコで,同地区に住む中産階級の一家と住み込み家政婦の約1年間を描いた映画である。監督の出身地というから,少年時代の原体験を描いた半自伝映画と考えられる。特筆すべきは,この映画は65mmフィルムで撮ったシネスコサイズのモノクロ上映であることだ。1970年代の映画は既にほぼすべてカラーであったが,監督の少年時代の心的印象はモノクロなのだろう。どう考えても,玄人好みのこのフォーマットは単館系でひっそり上映するのに適しているのに,全世界のネット配信網と契約したというのも驚きである。このモノクロ映像が極めて鮮やかで,頗る美しかった。これまた監督の脳裏に鮮やかに焼き付いている光景なのだろう。派手なアクション,目を見張るスペクタクルがある訳ではない。夫婦間の別居から離婚,妊娠が発覚したら途端に去って行く不誠実な男等々,よくある出来事を描いているに過ぎないが,知らず知らずの間に引き込まれる作品だ。脚本と演出が秀逸という他はない。本作では,監督自身が撮影も編集も担当し,お馴染みの長回しショットも多用している。出産シーン,海で子供たちを救出するシーンの緊迫感も,この長回しゆえに,これはドキュメンタリーかと感じてしまう。なるほど,様々な映画祭で話題になったことが納得できる出来映えだ。できれば,その予備知識なしに試写室で観て,先に高評価を与えたかったのに,後追いの絶賛となってしまったのが残念だ。
 『フロントランナー』:表題は,候補者選抜レースの先頭を走る最有力候補者の意である。1988年の米国大統領選で民主党候補者確実と思われたゲイリー・ハート上院議員が,女性スキャンダルの過熱報道で出馬断念に追い込まれるまでを描いた社会派映画だ。マリリン・モンローとの艶聞まであったJ・F・ケネディ大統領はもっと凄かったのに,政治家の私生活,下半身のモラルを問う風潮が生じ,選挙民に寛容さがなくなった時代へのターニングポイントだったという。その翌年,我が国では週刊誌が宇野総理の「3本指問題」をすっぱ抜き,それを海外メディアが大きく取り上げたことから,首相は早期退陣を余儀なくされた。これが平成元年で,東西冷戦終結の年でもあるから,確かに時代の潮目だったのだろう。主演は『X-Men』シリーズを卒業したヒュー・ジャックマンだが,本作は精悍さより,生真面目で,マスコミ対応が不器用な政治家を演じている。大統領選を戦うチームの激しさ,丁々発止ぶりはいつもながら感心する。本作では,夫人役のヴェラ・ファーミガの存在が光っていた。娘,不倫相手,選挙チームの女性運動員等の女性の描き方が細やかで,現代風だ。不出馬表明で,選挙民に大統領選のあるべき姿を訴えるハート議論のメッセージは,心を打った。それで,大げさな醜聞を流すメディアは変わったのか? 現職大統領は少数民族蔑視,女性蔑視というか,むしろ無類の女好きである。多数の女性との不適切な関係,大統領選でのロシアとの密約は,誰もが有ったのだろうと推測している。その不都合な報道を「フェイクニュースだ!」で一蹴できるのだから,厚顔無恥は強い。ゲイリー・ハートはマスコミに負けたが,現在はマスコミがトランプに負けている。これは米国民が寛容になったからだろうか? いや,近視眼で目先の強気発言を心地よく思っているだけで,長期的には米国の威厳と国際的信用が落ちて行くことを看過しているに過ぎない。30年後に現政権のことを描く映画が登場するなら,世界の秩序と良識が壊れ始めた分岐点であったことを指摘する映画になっていることだろう。
 『母を亡くした時,僕は遺骨を食べたいと思った。』:試写を観ていても,低評価しか与えられない映画は紹介せずにスルーしてしまうことが少なくない。本作もそうしようと思ったのだが,少し苦言を呈しておきたくなった。興味をかき立てたのは,勿論,長く刺激的な題名ゆえである。本作の主演は,安田顕。そういえば,『家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。』(18年5・6月号)の夫役も彼だった。好んで異色作に出演している訳ではないだろうが,平凡な中年男そのものだ。題名からは,母親思いの息子が歩む人生と心の葛藤,感動のヒューマンドラマを想像してしまう。テーマはほぼその通りなのだが,マザコンとも思える息子の思いが吐露されているだけで,感動とはほど遠かった。監督・脚本は『さよなら渓谷』(13)『日日是好日』(18)の大森立嗣というので期待したのだが,凡作だった。原作は宮川サトシの自伝エッセイ漫画で,実話だというが,単に自分の母の想い出,家族内での出来事を綴っているだけだ。どこの家庭にもある話で,一々他人様に語るほどのエピソードではない。原作は未見だが,同じレベルの拙い物語だとしたら,こんな幼稚な私的体験を掲載・発刊する業界は,よほどの人材不足,ネタ不足なのだろう。それを,こけ威しの題名をウリに実写映画化しようとした映画人も同罪だ。時間の無駄だった。
 『ビール・ストリートの恋人たち』:一昨年のアカデミー賞作品賞に輝いた『ムーンライト』(16)以来となるバリー・ジェンキンス監督&脚本作品で,今年は主人公の母親役のレジーナ・キングが助演女優賞を受賞した。ロマンティックな題名通り,(今度は男同士ではなく)普通の若い男女カップルの物語である。時代もシチュエーションも違うのに,一見して『ムーンライト』の続編のような印象を受ける。それもそのはず,監督はこの2作の脚本を連続して一気書いたというから,同じテイストだと感じる訳だ。原作は米国人作家ジェイムズ・ボールドウィンが1974年に発表した小説「If Beale Street Could Talk」で,ほぼ原作通りに映画化したという。舞台となるのは1970年代のニューヨークのハーレムであり,黒人解放運動にも関わった作家の作品ゆえに,愛し合う黒人カップルが様々な迫害に合う様が描かれている。「第91回アカデミー賞の予想」記事でも書いたが,玄人好みの映画だ。映像や音楽はこの監督の豊かな感性の産物であり,カットバックの多用も綿密な計算の上で構成されていると感じる。素直に観れば,巧みな描写で,いい映画だと思う観客が多いだろう。それを認めた上で,誤解を恐れずに言うなら,評者はこの映画を好きになれない。黒人青年が身に覚えの無い強姦事件の犯人とされ,収監されてしまう様に強い憤りを感じるが,裁判の様子や白人弁護士がどう対処したのかの描写はない。ピュアなラブストーリーを描きたいなら,いくらでも別のテーマがある。プロテスト映画にしたかったのなら,『それでも夜は明ける』(14年3月号)や『デトロイト』(18年2月号)のような描写の方が,メッセージ性は高い。実力ある監督だと思うが,「どうです。上手いでしょ。感動するでしょ」と語りかけている風に感じてしまった。
 『グリーンブック』:題名の「Green Book」とは,かつて存在した米国の黒人専用の旅行ガイドブックだそうだ。人種差別が堂々と横行した時代には,(特に南部では)黒人が利用できるホテルやレストランも限られていたから,こんな案内本が必要だった訳である。時代は1962年,イタリア系白人のトニーが天才黒人ピアニストのドクに運転手として雇われ,南部を巡る演奏ツアーに同行する物語で,実話を基にしている。ヒット作『最強のふたり』(11)とは白人,黒人の関係が逆だが,バディ映画としては,こちらも出色の出来映えだ。監督のピーター・ファレリーは,コメディ映画の名匠だけあって,黒人差別問題を暗いシリアスな映画でなく,洒落た,楽しいロードムービーとして見せてくれる。ロバート・ケネディ司法長官,KFCのエピソードは痛快であり,大笑いする。それでいて,しっかり差別や虐待に反発する主張も入っている。主演のトニー役は,ヴィゴ・モーテンセン。『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズで,貴公子アラゴルンを演じたあのイケメン男優が,こんなデブで粗野な中年男を演じるとは思わなかった。一方,上品な芸術家のドク役は,目下,売れっ子中の売れっ子のマハーシャラ・アリ。『ムーンライト』(16)で助演男優部門のオスカーを得てブレイクし,別項の『スパイダーマン:スパイダーバース』『アリータ:バトル・エンジェル』にも出演している。自らピアノも演奏している。この主人公2人の対比が見事だ。ジャズ中心の挿入曲もオリジナル・スコアも絶品で,別項のサントラ盤ガイドも一読して頂きたい。既に,ゴールデングローブ賞を3部門で受賞し,アカデミー賞でも5部門でノミネートされている。筆者の予想では,GG賞と同様の3部門(作品賞,助演男優賞,脚本賞)の本命作品である。
 『九月の恋と出会うまで』:高校生男女が主役のキラキラムービーはスキップしているが,それでも邦画の若い男女の恋愛映画は多数公開される。その中で,敢えて本作を観る気になったのは,原作小説が「書店員が選んだもう一度読みたい文庫」の恋愛部門でトップであったからではなく,原作者がSFやミステリー分野の作家に分類されていたからだ。それなら,安直に最近流行のタイムトラベル要素を入れたのではなく,しっかりした土台の上に物語が構築されていると思えた訳である。主演は,高橋一生と川口春奈。この女優の映画は初めてだが,綾瀬はるかに少し似ている。物語は,新しいマンションに転居したばかりの独身女性が,「1年後の未来からの声」に導かれ,殺人鬼に遭遇することなく,危うく難を逃れることから始まる。前半は巧みな語り口で,小説家の男性の口を借り,タイムパラドックスに関するもっともらしい説明もなされている。この種の映画は,ほぼハッピーエンドが約束されているので,結末は容易に想像できたが,ただの軟弱なデートムービーのレベルで終わってしまった。終盤にもう一ひねりか二ひねりを加え,せめてキアヌ・リーブスとサンドラ・ブロック主演の『イルマーレ』(06年9月号)並みの緊迫感を与えて欲しかったところだ。そもそも,命が救われてから1年後がタイムリミットという設定自体が妙である。最初の声を聞いて行動した9月14日に既に過去を変えてしまっているし,9月27日に死ななかったことの影響も,その時点からすぐに生じているはずだ。
 『天国でまた会おう』:いやー,楽しかった。「これぞ映画だ。入場料以上の価値がある」と感じた逸品である。エスプリが利いたフランス映画で,ハリウッド製とは明らかに異なるエンタメ・フレーバーがたっぷりとかかっている。原作は,大ベストセラー「その女アレックス」で一躍知名度を上げたミステリー作家ピエール・ルメトール作の同名小説で,こちらも数々の文学賞を受賞したベストセラーのようだ。時代は1918年から1920年,第1次世界大戦の戦場で九死に一生を得た2人のフランス人帰還兵が,国を相手に仕掛けた大胆な詐欺事件がテーマである。所謂コンゲームで,終盤は手に汗握るサスペンスを想像したが,大分様相は違っていた。戦争を痛烈に皮肉り,戦後社会では,いかにもいそうな胡散臭い人物を登場させ,思いっきり茶化している。本作は,フランスのセザール賞に13部門ノミネート,5部門(監督賞,脚色賞,撮影賞,美術賞,衣装デザイン賞)受賞だというので,どんなセットや衣装が登場するのか楽しみにしていたが,その期待通りだった。富豪の邸宅内の室内装飾,豪華ホテルの調度と,2人が暮す粗末の家の対比が見事だった。主人公の1人,エドゥアール(ナウエル・ペレーズ・ビスカヤート)は富豪の子息で,類い稀な画才の持ち主だが,戦争で負傷し,顔の下半分を失ってしまう。中盤以降は,自らデザインした仮面(ちょっと『オペラ座の怪人』(05年2月号)を思い出す)を着けて登場するが,次々と変える多彩な仮面が見ものだ。彼の父親や姉の人物造形も面白い。脚色賞を得た脚本は,監督と原作者の綿密な共同制作の産物で,結末は原作からかなり変更したという。その最後まで登場する,もう1人の主人公アルベールの出番が多いが,さして特長のない中年男である。却って演じるのは難しいだろうと思ったが,アルベール役は監督本人(アルベール・デュポンテル)だった。「他に適した俳優が見つからなかったため,自ら演じた」というが,それなら,この味のある演技にも納得が行く。
 『運び屋』:最近の洋画では珍しい,古くさい題名だが,邦画であっても同じだ。映画界のレジェンド,巨匠クリント・イーストウッドの10年ぶりの監督&主演作ゆえに,地味な題名でも十分なのだろう。高齢の麻薬の「運び屋」の事件にヒントを得ているが,家族との逸話は全くフィクションのようだ。『グラン・トリノ』(08)の続編かと思えるような老人が主人公で,逮捕時87歳の犯罪者を,撮影時87歳の老優が演じる。映画版の「エイジ・シュート」で,同年齢になるまで待っていたのだろう。高齢での演技はそう珍しくもないが,この年齢での監督&主演は稀有だろう。父に反発する長女役が実の娘のアリソン・イーストウッドで,彼を庇う捜査官役が監督業の後継者と目されるブラッドリー・クーパーだから,お友達キャストでの映画化だ。それも,このストーリーなら悪くない。仕事一筋で家族を省みない態度は,まるで一昔前の日本の父親で,アメリカにもいるんだなとの思いがする。映画音楽にも一家言ある監督だけに,劇中での挿入歌の選曲もハイセンスだった。とりわけ,トビー・キースが歌うエンドソングの"Don't Let the Old Man In"が秀逸だった。そこからソフト・ジャズ,ピアノとトランペットの壮大な曲へと続く3曲のバランスも絶品で,しみじみとした余韻に浸れる仕掛けである。これで☆半分おまけだ。
 『ウトヤ島,7月22日』:日本では殆ど報道されなかったが,2011年7月22日にノルウェーの首都近くのウトヤ島で起こった無差別銃乱射テロを再現した映画である。発砲事件開始から収束までの72分を1カットで描いているという触れ込みだったが,映画全体97分が1カットであった。音楽もカット割りもなく,犯人の姿も見えず,犯人の数も目的も分からない。登場人物は実際の被疑者達を類型化してあるが,ほぼ同じ体験を味わえるようにとの製作意図である。[よって,興味を持たれた読者は,これ以上の予備知識はもたずに観て,以下は後で読まれることを勧める……]実際には,32歳の極右思想の持ち主の単独犯行であり,これに先立つ政府庁舎爆破事件と併せて史上最悪の77人を,島では69人を殺害している。本作は,事件被害者への鎮魂の意味を込めて,ノルウェー人監督が生存者の証言をもとに,島内を逃げ惑う女性の視点で描いている。現実に体験すれば恐怖の連続であっただろうが,映像での追体験は,緊迫感はあるが,スリラー映画のような恐怖感はなかった。やはり映画だと,我々は演出で恐怖を感じているのだと再認識する。97分1テイクは,主演女優には相当な重労働だっただろう。『カメラを止めるな!』(18)を観た目には,撮影部隊,スタッフは相当な苦労だったとも想像してしまう。ところで,同じ事件を扱った映画『7月22日』(18)も存在する。Netflixオリジナル作品として,本作より少し前に配信開始されている。監督は『ボーン…』シリーズのポール・グリーングラスで,こちらは犯人の姿も見せ,爆破事件の実行から,ウトヤ島での犯人逮捕,救急医療,重症を負った少年のリハビリ,裁判シーンまで,このテロ事件の全容を見通せる。言わば,外国人記者が事件を報道するような姿勢で描いている。本作と同作の順で見ると,一段とこの事件への理解が増す。それにしても,これだけ大量殺人を犯した確信犯に,最大で21年の刑しか与えられないとは,ノルウェーの量刑制度に驚いてしまう。遺族ならずとも,死刑制度の復活を望むのが自然だと思う。世界中の死刑廃止論者はこの2作を熟視すべきだ。
 『マイ・ブックショップ』:自宅の書店前で本を1冊携えて佇む女性の姿,キャッチコピーが「私と本との一期一会」とくると,「書店員が選んだオススメ洋画」のNo.1になりそうな雰囲気だ(そんなランキングは存在しないが)。原作は同国ブッカー賞作家ペネロピ・フィッツジェラルドの小説で,1959年の英国東部の小さな海辺の町が舞台となっている。町に本屋が1軒もなかったことから,夫を戦争で失った未亡人が,町の古い家を改造して,念願であった書店を開こうとする。それを知った地元名士の老夫人の数々の妨害やいじめに遇う物語である。本にまつわる話だけに,劇中では「華氏451」を初めとするレイ・ブラッドベリの著作,当時のベストセラーの「ロリータ」,冒険小説の「ジャマイカの烈風」等々が登場する。主演は,英国人女優のエミリー・モーティマーで,シーンが変わる毎に別の衣装で登場する。女性監督(イザベル・コイシェ)ゆえの演出である。派手ではないが,いずれも清楚で可愛い服ばかりだ。そういえば,彼女は『メリー・ポピンズ リターンズ』(19年1・2月号)でマイケルの姉ジェーンとして登場する場面でも,いつも可愛い服を着ていた。そういう映画なら,ハッピーエンドとなるのが普通なのだが,本作はそうはならなかった。少し驚く結末とともに,本作の語り手が誰であったのかの種明かしもなされる。その未来の姿が,一抹の救いとなっている。
 
 
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