O plus E VFX映画時評 2023年10月号掲載

その他の作品の短評

(注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています)


  ■『アンダーカレント』(10月6日公開)
 短評欄は今月も邦画から始めたい。先月は公開日に合わせた「関東大震災」関連の映画から始めたが,今月はこの映画から語り出したかっただけである。「undercurrent」は「底流,暗流…」の意だが,本作では登場人物の日常に漂う「心の奥底」の意味で使われている。原作は,2004年発表の豊田徹也作の同名の漫画で,国際的評価が高い伝説的ロングセラーだそうだ。監督・脚本は,今泉力哉。既に若手から中堅にさしかかる年齢だが,この数年,作品数が急増している。当欄では『アイネクライネナハトムジーク』(19年Web専用#4)『あの頃。』(21年1・2月号)『かそけきサンカヨウ』(同9・10月号)『窓辺にて』(22年Web専用#6)の4本も取り上げている。
 主人公は,家業の銭湯「月乃湯」を継いだ関口かなえ(真木よう子)だが,ある日突然,夫の悟(永山瑛太)が失踪してしまう。銭湯組合の紹介で雇った堀隆之(井浦新)は真面目な仕事ぶりだったが,自らの過去は一切話さない。かなえは友人・菅野(江口のりこ)の紹介で,探偵・山崎(リリー・フランキー)に,悟の行方の探索を依頼する。ようやく山崎は悟の居所を突き止めて来るが,その一方で堀は「月乃湯」を出て行こうとする…。
 銭湯ものであるが,かつてのTVドラマ「時間ですよ」のような女湯を頻繁に映す男性観客サービスはない(原作にはあるが)。『湯道』(23)のように,銭湯の客が多彩なエンタメ映画でもない。夫が失踪し,探偵が調査するのは『湯を沸かすほどの熱い愛』(16年11月号)と同じだが,本作は家族愛の映画ではない。いかにも単館系の監督がヒューマンドラマで起用するお馴染みの出演者たちで,初期の是枝裕和監督作品を思い出す。寡黙な男に井浦新,胡散臭い探偵にリリー・フランキーは正にハマリ役だ。リリーが歌うカラオケシーンには,驚き,呆れた(原作にある場面だが,結構,歌が上手い)。
 前半は淡々とした進行だったが,訳あり人間の集まりで,後半はミステリータッチの不思議な物語となる。セリフも構図も,基本的には原作に忠実な映画化であるが,1点の無駄もない演出だ。原作者に断って,結末にプラスαを加えたという。それが知りたくて,原作コミックの最終章だけをKindleで購入し,観比べた。圧倒的に,この映画の思わせぶりなラストシーンの方が好い。結局は,映画全編を見直し,原作本も全章購入してしまった。

■『白鍵と黒鍵の間に』(10月6日公開)
 邦画を続けよう。魅力的な題名で,筆者のお気に入りの池松壮亮が,1人2役で銀座の夜をリアルに描いた物語に登場する。この映画にも原作があり,現役のジャズピアニストで,エッセイストの南博の「白鍵と黒鍵の間に -ジャズピアニスト・エレジー銀座編-」とのことだ。元はエッセイであるから,当然,作者の実体験と主観での記述である。それを劇映画化しているからには,かなり脚色され,フィクションを織り交ぜていることになる。監督・共同脚本は,冨永昌敬。当欄では,『パンドラの匣』(09年10月号)『南瓜とマヨネーズ』(17年11月号)『素敵なダイナマイトスキャンダル』(18年3・4月号)の3本を紹介している。上述の今泉力哉監督の『あの頃。』の脚本も担当していた。監督作品のほぼ全てで自ら脚本を書き,原作がある作品が多い。即ち,この監督にとって「脚色」は大の得意ということになる。
 本作の時代設定は,1985年から1988年だ。原作者の南博は1960年生まれで,現在63歳であるから,学生時代から卒業後に,夜の銀座でジャズピアニストとして活躍し始めた頃の青春放浪記である。銀座の景観再現は見事で,ネオンサインもなるほどそうだったと思い出す。昭和末期,バブル景気が始まった頃であり,夜の歓楽街はいずこも不夜城のようだった。そんな銀座のクラブ,バー,キャバレーの違いや,そこで働くバンドや演奏者等の関係の描写は,原作者ならではの体験に基づいている。助演陣は,仲里依紗,森田剛,高橋和也,クリスタル・ケイ,松尾貴史,佐野史郎らで,曲者揃いのバンドマンやヤクザなどを演じている。
 話題の池松壮介の2役は,1人は「南」,もう1人は「博」として登場する。「博」はジャズピアニスト志望で,まだ駆け出しの若者だが,一方の「南」は既に敏腕ピアニストとして評判の売れっ子で,2軒の高級クラブを掛け持ちで出演する男である。髪形や服装で2人を描き分けているが,池松壮亮も繊細に演じ分けている。カード裏表のような「南」と「博」の運命がどこでどう交錯するのかが,この物語の肝であるので,ここで書くことはできない。何か変で,特別な訳ありで,トリックもありそうと感じるが,結末は予想できなかった。意外ではあったが,この結末,脚色は,個人的には好きになれなかった。原作を生かしつつ,別の脚色,演出で観たかった気もするが,意欲作であることは間違いない。

■『アントニオ猪木をさがして』(10月6日公開)
日本人なら誰もが知る人気プロレスラーの伝記ドキュメンタリーだ。2022年10月に79歳でこの世を去ったが,少し早かった気がする。先月の『シーナ&ロケッツ 鮎川誠 ~ロックと家族の絆~』(23年8月号)で,追悼映画が作られるかは「著名人の商品価値は鬼籍に入るタイミングに依存する」と書いたが,この熱血漢なら,時期に関係なく追悼伝記映画が作られたことだろう。
 ブラジル生まれの日系2世だと思っていたが,そうではなかった。横浜市生まれで,14歳で移住し,力道山にスカウトされて,17歳で帰国している。ブラジル暮しはたった3年間だが,彼が暮らした農場や,通っていた市場も登場し,まだ当時の想い出を語る人物もいる。この辺りは,普通の伝記ものの取材である。プロレスラーとして名を成し,参議院議員選挙も2度当選し,記憶に残る個性的な活動をした人物だけに,この追悼映画もかなりユニークな構成となっている。親しい友人,知人が語るドキュメンタリーパートでは,新日本プロレスの関係者,写真家の原悦生,お笑い芸人の有田哲平,俳優の安田顕らが,アントニオ猪木の人間性や想い出を語る。貴重なアーカイブ映像で本人の肉声が聞けるのも,よくある伝記映画だ。ユニークなのは,6代目神田伯山の名調子の講談での男・猪木の生き様と,3つの時代(1980年代,1990年代,2000年代)での猪木の人気ぶりと影響を再現した短編ドラマ3編である。
 プロレスラーとしては,ジャイアント馬場と同日のデビュー,紆余曲折あっての「新日本プロレス」設立と成功,そして世界中が注視したモハメド・アリとの世紀の一戦を思い出す(試合は期待外れだったが)。倍賞美津子との結婚・離婚,国会議員として「スポーツ平和党」の結成,イラクでの日本人人質解放に貢献等は,誰もが知るところだ。この映画で初めて見て驚いたのは,キューバのカストロ議長とサシで酒を酌み交わすシーンである。すぐに人の心を掴み,愛される存在であったかの証拠だと言える。少しだけ残念だったのは,その追悼映画が「新日本プロレス」の宣伝臭が強過ぎることである。ただし,福山雅治の爽やかなナレーションと彼がプロデュースした軽快な主題歌がそれを補ってあまりあった。

■『リバイバル69 伝説のロックフェス』(10月6日公開)
 今度は洋画のドキュメンタリー映画だ。題名から,また1969年8月に米国NY州で開催された伝説の「ウッドストック・フェスティバル」に関する映画と思われるだろう。それではなく,本作は約1ヶ月後の9月に,カナダのトロントで開催された「トロント・ロックンロール・リバイバル1969」の記録映像を中心とした映画である。ただし,演奏シーンを延々と収録した映像ではなく,開催に漕ぎ着けるまでの証言が中心だ。舞台裏の映像も盛り込まれ,むしろそれが興味深い。
 このコンサートを「カナダのウッドストック」「もう1つのウッドストック」と称しているが,それは後付けの宣伝文句で,本家ウッドストックとは縁もゆかりもない。同じ野外コンサートであるが,本家が8月15〜17日の3日間開催で30組以上が出演し,約40万人の観客を集めたのに対して,こちらは9月13日だけ12時間の公演で,観客は約2万人に過ぎず,比較にならない。そもそもの音楽フェスティバルの趣旨とテーマが違う。本家はカウンターカルチャーとしてのロックが中心で,70年以降の新ロックに繋がる多数のミュージシャンが出演している。平和と反戦を訴えるピッピーたちが集まり,それが社会現象となったことから,後日,音楽史に残る歴史的イベントと持ち上げられることとなった。
 一方,本作のコンサートは,1950年代のロックンロールのリバイバルがテーマで,かつての人気シンガーを集めようとした。言わば「懐かしのメロディ」で一儲けの企画である。チャック・ベリー,リトル・リチャードといった元祖ロックのレガシーや,50年代の人気シンガーのジーン・ヴィンセントやジェリー・リー・ルイスを目玉としていた。若い世代には馴染みがないので,往年のヒット曲を紹介しておこう。G・ヴィンセントの“Be Bop A-Lula”は,デビュー前のビートルズが何度も演奏していた曲で,ジョンとポールは各々のソロアルバム「Rock 'N' Roll」と「Unplugged (The Official Bootleg)」でカバーし,いずれも1曲目に収録している。一方,J・L・ルイスの“火の玉ロック”は,『トップ・ガン』(86)や『トップガン マーヴェリック』(22年5・6月号)の重要場面で歌われていた。時代を象徴するヒット曲の扱いである。その他の出演者では,シカゴは同年デビューしたばかりの駆け出しバンドで,アリス・クーパーは急遽G・ヴィンセントのバック演奏に駆り出された若造だった。
 そんな陣容を集めた上に,当時人気のドアーズをトリに据えたが,チケットは1週間前で2千枚しか売れていなかった。慌てて,ジョン・レノンを口説き落とし,エリック・クラプトンまで帯同させたというのが凄い。当時のビートルズは解散寸前の状態で,ジョンはステージで歌いたかったようだ。一旦OKしたが,ジョンが当日朝にドタキャンしてきた。それを翻意させ,ロンドンからトロントまで来させて,警官隊警備の下,会場で出迎える。曲目決定やリハーサルは機内で行ったというのにも驚く。この顛末だけでも,本作は観るに値する。
 このコンサートの意義は,当初予定通りの1950年代の再現と,ジョンが率いた「プラスティック・オノ・バンド」のデビュー公演(約40分)の2つに大別できる。長くなったので,後者は「サントラ盤ガイド」の項で詳しく語ることにする。

■『イコライザー THE FINAL』(10月6日公開)
 この秋もアクション映画が続々と公開される中で,「そうだ。この男がいたんだ」と思い出した。『イコライザー2』(18年9・10月号)からは5年振りで,デンゼル・ワシントン演じる主人公のロバート・マッコールは,銃がない時も何でも武器にして19秒で敵を一網打尽にする最強男だ。さらにパワーが増したのか,本作では9秒で敵を始末することが予告編でも強調されている(もっとも,岡田准一演じる『ザ・ファブル』(19年5・6月号)は6秒だから,まだ負けているが)。元DIA捜査官で既に現役引退しているが,警察が逮捕しない極悪人を個人的に抹殺するハリウッド版「必殺仕事人」である。
 監督は前2作と同様のアントン・フークワで,これが5作目のタッグである。本作では「仕事人」の前置きはなく,シチリア島で敵を9秒瞬殺することから物語が始まる。敵の頭目から目的物は取り戻したものの,孫の少年に撃たれて重傷を負う。かろうじてフェリーでイタリア本土に渡るが,意識不明で倒れているところを憲兵警察官に見つけられ,田舎町・アルタモンテに運ばれて,人格者のエンゾ医師(レモ・ジローネ)の手術で九死に一生を得る。リハビリに3週間かかり,なかなかアクションシーンは登場しない。その間にこの美しい町と温かい人々が気に入り,町を破壊しようとする地元マフィアに鉄槌を下し,全員抹殺してしまう展開だ。観ている側は,こんな悪共はさっさと殺してしまえよと感じる(笑)。アルタモンテなる町は実在せず,世界遺産のアマルフィ海岸にある架空の町という設定のようだ。
 リーアム・ニーソンやジェイソン・ステイサムの主演作ほど粗製乱造でなく,トム・クルーズ,キアヌ・リーブス主演作ほどの大仰な大作ではない。アクションは少なめだが,終盤は1人ずつ倒して行く過程が心地良い。「必殺シリーズ」の中でも,急所を一突きする殺害シーンは仕掛人・藤枝梅安を彷彿とさせる。ヒロインはカフェの女給のアミーナ(ガイア・スコデラーロ)で,なかなかの美形だ。もう1人,マッコールが情報を与えて麻薬密輸組織を調査させるCIA職員エマ・コリンズをダコタ・ファニングが演じている。彼女の「何で私を選んだの?」の問いに,我々は「子供の頃,『マイ・ボディガード』(04)で共演したからだよ」と答えてしまいたくなる(笑)。恐らく,そういう観客の目を意識したキャスティングなのだろう。本編では最後にその答が明かされるが,前作までのファンなら理解できるネタである。
 本作の最大の不満は,原題が『The Equalizer 3』であるのに,邦題は「THE FINAL」とし,広報宣伝でも「最終章」を前面に打ち出していることだ。この結末なら,そのまま第4作が作られても矛盾はないのに,勝手に「最終章」を強調するのは国内配給会社の独断で,やり過ぎじゃないのか!? そう思ったのだが,配給元はソニー・ピクチャーズだった。親会社がこれで完結と決めて広言した以上,意地でも続編は製作しないとなると仕方ないが,やはりこのシリーズは続けて欲しい。

■『シアター・キャンプ』(10月6日公開)
 楽しくワクワクするミュージカル映画だ。日本ではディズニー配給網からの公開だが,所謂ディズニー風のミュージカル・アニメではない。かといって,ブロードウェイのヒット作の映画化でもない。ディズニーに吸収された「20世紀スタジオ」系列の「サーチライト・ピクチャーズ」提供作品である。ただし,インディーズ精神での映画製作で良作を生み出している同社でも,ミュージカル映画は珍しい。それというのも,サンダンス映画祭で上映されて絶賛を浴びた作品を,配給権争奪戦の結果,同社が勝ち取ったという代物だからである。
「Theater Camp」とは,一定期間,寝食を共にして演劇テクニックを学び,最後の成果発表会で上演する形式の合宿型演劇学校である。米国では長い伝統があり,夏季休暇中のサマーキャンプとして,明日のスターを夢見る少年少女が参加するようだ。正統派の演劇の場合もあるが,本作に登場するのは,ミュージカル専門のスクールである。物語は,名門スクールの創始者の校長が開校直前に突然倒れて,意識不明になることから始まる。演劇に無関心だった息子が急遽経営に乗り出すが,出資者を繋ぎ止め,破綻寸前のスクールを存続させるには,キャンプ終了時に傑作ミュージカルを披露する必要がある。残された時間は3週間,変わり者の教員たちと奔放な在校生が,寝食を忘れて新作完成に奮闘する……。
 監督は,俳優のモリー・ゴードンと私的にもパートナーのニック・リーバーマンで,これが2人の監督デビュー作である。モリーと共に映画にも出演するベン・プラットとノア・ガルヴィンが共同脚本に参加している。即ち,この4人でかつて製作した同名の短編を長編化し,内3人が主役級で出演するというスタイルである。その他,子供たちを含め,出演者の大半は「Theater Camp」の経験者であり,まさにその体験を作品の完成にぶつけ合っている。映画自体はフィクションなのだが,展開も演技もあまりにリアルで,これは実話なのかと思ってしまう。音楽的には,コーラスが見事だった。
 この映画でミュージカル俳優を志す若者や,地方に多数ある小劇団の公演を見たくなる観客もあることだろう。筆者の場合は,映画の冒頭で登場する「バイ・バイ・バーディー」が懐かしかった。E・プレスリーの兵役騒動をモデルにしたブロードウェイ・ミュージカルの名作で,同名映画(63)と挿入歌数曲が日本でもヒットした。主演で主題歌を歌ったのはアン・マーグレット。その直後,同じ監督の『ラスベガス万才』(64)で彼女がプレスリーの相手役に起用されたことから,さらに話題を呼んだ。ビデオを借りて,この両作を久々に観たくなった。

■『栗の森のものがたり』(10月7日公開)
 題名からは少年少女向きのファンタジーアニメを想像してしまうが,もっと暗く幻想的な物語だった。詩情豊かな映像でつづった「大人の寓話」だというので,あながち外れてもいない。本作は,当欄では初めて取り上げるスロヴェニア映画だ。公式の映画国籍としてはイタリアとの合作となっているが,同国の出身の新鋭監督がイタリアとの国境近くのスラヴィァ・ヴェネタで撮った映画である。「栗の地」であり,季節になると大きな森は金色と銅色に美しく染まる。時代設定は1950年代であるので,当時はまだユーゴスラヴィアだった。第二次世界大戦後の貧困で多くの住民が故郷を捨て,本作は未来のない土地に「取り残された者」の物語として語られる。
 全体は「しみったれ大工,マリオ」「最後の栗売り,マルタ」「帰らぬ息子 ジェルマーノ」の3章構成だが,長さは均等ではなく,マリオとマルタが知り合う第2章が最も長い。戦争に出かけて帰らぬ夫を待つ若い妻のマルタ(イヴァナ・ロスチ)は栗売りで生計を立てていたが,誤って大量の栗を川に流してしまう。重病の妻を抱えた棺桶作り職人マリオ(マッシモ・デ・フランコヴィッチ)がそれを集める手助けをしたことから,2人の交流が始まる。それぞれの過去の回想内に回想があり,さらに「回想内の回想内の回想」も登場し,少し複雑な時間構造となっている。現実に戻り,マリオは「俺をいい思い出にして欲しい」とマルタに援助を申し出て,「思い出を残したことを自らの思い出とする」ことに満足する。この絶妙の落とし所に感心した。見事な「寓話」だ。
 監督・共同脚本・編集のグレゴル・ボジッチは,まだ30代の若手である。脚本家マリーナ・グムジの協力の下,ロシアの文豪チェーホフの短編小説から着想を得て,国境地帯に伝わる昔話や寓話を織り交ぜて脚本を書いた。映像的には,17世紀オランダの画家フェルメールとレンブラントの絵画を参考にしたという。なるほど,室内で語り合う人々の陰影表現はレンブラントであり,マルタの青い服での立ち姿はフェルメールの「青衣の女」「水差しを持つ女」を彷彿とさせる。若手監督とは思えぬ文学的素養,審美眼の持ち主である。他愛もない邦画のアニメを見た後だったので,尚更,彼我の差を感じた。
 一点だけ分からなかったのが,馬車に乗った若い女性2人が,シルヴィ・ヴァルタンの「アイドルを探せ」を歌って踊る最終章の1シーンである。1950年代が舞台の物語に,1964年の大ヒット曲を使ったのは,単純な記憶違いなのだろうか? それとも時間を超越する強いメッセージとして,この曲を選んだのだろうか?

■『オペレーション・フォーチュン』(10月13日公開)
 お馴染みジェイソン・ステイサム主演のスパイアクション映画だ。主演作だけでも,前々月の『MEG ザ・モンスターズ2』(同8月号)と本作が続き,年明けに『エクスペンダブルズ ニューブラッド』(24年1月号予定)が控えているから,ハリウッドスターとしては,かなりの出演頻度だ。監督は,これが5度目のタッグとなる英国人監督のガイ・リッチー。16年ぶりタッグの前作『キャッシュトラック』(21年9・10月号)でも呼吸が合ったノンストップアクションを見せてくれたので,本作も娯楽映画としては水準以上だろうと期待した。ただし,軽快過ぎるくらい軽快なコメディであった。
 本作での役柄は,英国諜報局MI6御用達の辣腕エージェントのオーソン・フォーチュンで,ウクライナの研究施設から盗まれた謎のアイテム「ハンドル」を取り戻す任務を引き受ける。この依頼を受ける条件として,プライベートジェットと指定の超高級ワインを要求するので,一体何様かと思うところから物語は始まる。ワインの味は映画では分からないが,このプライベートジェットの機内の豪華さに圧倒された。100億ドルの闇取引を阻止すべく,急ぎ天才ハッカー,スナイパー等を集めて即席チームを編成し,悪名高き武器商人グレッグへの接触を図る。演じているのがヒュー・グラントというだけで,極悪人らしくなく,既にコメディ色が濃厚だった。軽口を叩きながら敵と接する様は,まるでロジャー・ムーアかピアーズ・ブロスナン時代の007映画(ダニエル・クレイグは生真面目過ぎた)で,特技をもつプロチーム編成は『M:I』シリーズ風,そして荒唐無稽さは『キングスマン』シリーズのノリであった。そもそも『キングスマン』が007のパロディであるから,本作はスーパーパロディになる。豪華さとオフザケを強調し,早過ぎるテンポで駆け抜けると本作になるという目論みだ。
 舞台は,ロンドンからマドリード,LA,モロッコ,カンヌ,トルコ,ドーハへと移り,世界7ヶ国縦断をウリにしている。J・ステイサムらしいアクションシーンはあるが,彼は単独行動でハードボイルド風の方が似合う。チーム紅一点のサラ役のオーブリー・プラザは個性的な女性であったが,敵方のグレッグを悩殺するほどの美女という感じはしなかった。今回のミッションチームの妙は,映画スターのダニー(ジョシュ・ハートネット)なる役柄をメンバーに加えたことだと思う。全編がお気楽過ぎて,緊迫感,危機感は全く感じなかったが,この映画はこれでいい。誰よりも,監督自身が楽しんで作ったと感じられる。出演者たちは,ハイテンポの演技を要求され,楽しむ余裕はなかっただろう。監督ほどは無理でも,観客はその何割引かで楽しめば十分だ。

■『死霊館のシスター 呪いの秘密』(10月13日公開)
 お馴染みの「死霊館ワールド」の8作目である。そこまでの人気なら,今から追いかけようという読者のために,このシリーズを整理しておこう。原点は『死霊館』(13年11月号)で,実在の心霊研究家エド&ロレイン・ウォーレン夫妻が1971年に体験した「アナベル事件」を描いていた。当欄は評価を与えて絶賛し,原題『The Conjuring』(「心霊を呼び出す」の意)を「死霊館」とした邦題も絶妙だった。続編の『死霊館 エンフィールド事件』(16)『同 悪魔のせいなら,無罪。』(21年9・10月号)も現実に視認された心霊現象がベースで,時代設定は1977年と1981年である。
 第1作に登場した気味の悪いアナベル人形のスピンオフ・シリーズが3作作られ,時系列は『アナベル 死霊人形の誕生』(17年10月号)『同 死霊館の人形』(15年3月号)『同 死霊博物館』(19年9・10月号)の順で,それぞれ1958年,1970年,1972年の設定である。そして,別のスピンオフ作として,『…エンフィールド事件』でロレインが遭遇した悪魔の尼僧ヴァラクのルーツをテーマとした『死霊館のシスター(18年9・10月号)が生まれた。主演の修道女アイリーン役のタイッサ・ファーミガが,ロレインを演じるヴェラ・ファーミガの21歳下の末妹というのも話題であった。本作はその正統な続編で,彼女がアイリーンを再演している。シリーズの創始者ジェームズ・ワンが引き続き製作担当だが,監督はコリン・ハーディから,『…悪魔のせいなら,無罪。』のマイケル・チャベスに交替している。気心知れたコンビだが,スピンオフ5作はすべてフィクションであり,現実にあった心霊現象とは無関係である。
 本作の時代設定は,前作から4年後の1956年で,アイリーンは見習いから,正規のシスターに昇格している。フランスで起きた神父殺人事件を始め,欧州各地の教会や修道院で奇妙な事件が頻発し,悪魔の仕業とされた。前作ではヴァチカンから派遣されたバーク神父と共に行動したが,本作のアイリーンは,教会から依頼により,単身で発端となった南仏タラスコンの修道院に向かう。前作で彼女を助けたフレンチー役のジョナ・ブロケが,今回は修道女学校の整備員モーリスとして登場する。なぜ名前が違うのかが,本作の鍵なのである。前作で一旦退けた悪の元凶「シスター ヴァラク」が彼に憑依していることはすぐに分かるが,今度は現地のシスター・デブラ(ストーム・リード)や寄宿学校教員のケイト(アナ・ポップル・ウェル)とどう協力し合ってヴァラクを退散させるかが,本作の見どころである。
 原題は『The Nun II』。男性の登場人物はほぼモーリス1人で,シリーズ全体としてもフェミニズムを貫いた作品となっている。ロケ地には,エクサンプロバンスの男子寄宿学校を主として使い,礼拝堂部分はタラスコンの教会を使って映画用に装飾したそうだが,いずれも立派な建物で,荘厳な音楽と合わせて,堂々たるゴシックホラーの雰囲気を醸し出している。こうした場所をすぐに手配できるのが欧州ならではだ。シリーズ中の重要作ではないが,他とは独立しているので,入門編として,このスピンオフ2作から入るのも悪くないと思う。

■『アアルト』(10月13日公開)
 フィンランドのデザイナー,アルヴァ・アアルトの人生と作品を描いた伝記ドキュメンタリーである。世界的な建築家としても,その名を知られている。1898年生,1978年没であるから,当欄でしばしば紹介する最近の著名な建築家やファッション・デザイナーよりは,少し上の世代の人物である。筆者は,名前を知っている程度の知識しかなかったが,本作を観て,建築界,美術界に与えた影響の大きさを初めて知った。モダンアートの旗手,改革の推進者として偉大なる存在である。戦前は,ロックフェラーやヒトラーまでもがデザインを依頼していたようだ。
 配偶者は,4歳年上のアイノ・マルシオで,ヘルシンキ工科大学(現,アアルト大学)の先輩であり,1923年に発足したアルヴァ・アアルト建築事務所で働き始めたことから,翌年アルヴァと結婚する。正に公私に渡るパートナーで,2人の共同デザイン作品も数多い。斬新な建築物にはそれに合った家具や食器も必要との考えから,1930年代は家具・インテリアのデザインにも熱心だった。気がつけば,筆者の周りにある椅子やガラス器は,彼らの作品(スツール60, ボルゲブリック,アアルトベース等)の模倣品ばかりだった。アイノは1949年に54歳で早世するが,アルヴァは3年後に同事務所のエリッサと再婚する。アイノを尊敬し,遺志を継いだ才女である。アルヴァの活動の名マネージャー,プロデューサー的存在で,夫妻の設計図面や資料の管理も担当した。芸術家にとっての理想的な再婚例だなと感じた。
 アルヴァは生涯現役で,約300棟もデザインしている。築後60〜70年経っても,まだしっかり残っている建築物ばかりだ。サナトリウム,図書館,学生寮も手がけ,国民年金協会ビル,ルイ・カレ邸,フィンランディア・ホール,リオラの教会等々は,コンセプトとその実現方法に感心した。本作の監督は,フィンランド生まれの女性監督ヴィルピ・スータリで,アイノとエリッサに対する敬愛の念が伝わってくる。数々の建築物の外観,内装を捉えたカメラワークが素晴らしい。音楽は少し暗めの鎮魂歌のようだったが,本作は同国の映画最高峰のユッシ賞で音楽賞と編集賞を受賞している。

■『宇宙探索編集部』(10月13日公開)
 中国製のSF映画である。思わずそう書いてしまったが,これをSFと呼べるかどうか疑わしい。「宇宙探検」に向かう訳ではなく,「宇宙」のシーンすらなく,すべての出来事は地球上である。大学のサークルか宇宙オタクの同好会を描いた映画かというと,それも少し違う。「…研究会」ではなく,「…編集部」である。即ち,宇宙オタクが読む「宇宙探検」なる雑誌の編集部を描いた映画なのである。約30年前に人気があった雑誌「飛碟探索」がモデルだそうだ。「飛碟」とは中国語でUFOのことで,UFOの飛来と外星人の存在を固く信じる編集長と,彼に率いられた編集部員の活動を描いた映画なのである。大学のサークルと言えば,この映画の元は「北京電影学院大学院」の卒業制作として作られたもので,それが映画業界関係者の目に止まり,支援を受けて再製作され,劇場用映画として日の目を観たという代物なのである。
 本作は大きく2つのパートに別れている。前半は廃刊寸前の雑誌の編集部内での騒動を描いたドタバタコメディであり,中盤以降は宇宙人の仕業と思われる証拠が残る中国西部の村への調査旅行の冒険物語である。まず,90年代の雑誌創刊当時の溌剌とした若手編集者タン・ジージュン(楊皓宇)の姿から始まるが,30年後(即ち,現代)はくたびれた編集長になっていた。編集部のあるオンボロビルは,これが現代中国の光景なのか,創刊は戦前で,60年代が今なのではないかと疑うほどだ。街行くクルマが映って,ようやく時代設定に間違いはないと分かる。新たなスポンサーを求めて,ご自慢の(30年前の)宇宙服姿を編集長が披露するが,脱げなくなって救急車やクレーン車を呼ぶ騒ぎに……。抱腹絶倒,呆れるほどの面白さだ。腐れ縁で働く中年女性編集部員チン・ツァイロン(艾麗婭)との掛け合いも絶妙だ。
 地球外生命体の痕跡を残す「鳥焼窩村」での冒険物語には,破天荒な人物の登場や奇妙な出来事の出現があり,語り尽くせないので,観てのお愉しみとしておこう。脱力コメディ一辺倒ではなく,最後に妙に哲学的なシーンも登場する。これは,『2001年宇宙の旅』(68)へのオマージュなのだろうか? とはいえ,全体にチープ感が漂い,脚本も演出も編集も素人映画の域を出ない。CG/VFXを利用すれば完成度は上がったのにと思うが,低予算映画ではそれも難しかっただろう。S・スピルバーグやC・ノーランがこれだと困るが,「卒業制作の改良版なら,まあこれでいいか」と納得する。本作の監督コン・ダーシャンは,この映画で一躍注目の若手監督の仲間入りをしたが,本作の魅力は素人っぽさであったことを忘れずに,素直に成長して行って欲しいものだ。

■『春画先生』(10月13日公開)
 今更と思いながらも,この題名の映画の試写を申し込むのに少し気恥ずかしさを覚えた。それでも観たかったのは,主演,ヒロインを始め,助演陣のキャスティングが魅力的だったからである。映画はR15+指定で,日本の商業用映画で初めて無修正の浮世絵春画が画面に登場するという。ネット上のアダルトサイトで,そのものズバリの本番映像が流れている時代に,いまさら江戸時代の木版画性交シーンがスクリーンに出ても,若者が興奮することもあるまい。となると,春画という題材で,いかに説得力のある刺激的な物語を展開してくれるかが鍵である。
 主人公は,真面目だが変わり者の春画研究者の芳賀一郎(内野聖陽)で,妻を亡くしてストイックな生活を送っていた。ヒロインは独身OLの春野弓子(北香那)で,ある偶然から芳賀と接して,奥深い春画の魅力に取り憑かれ,「春画先生」の弟子となる。必然的に先生に恋心を抱くが,2人が愛人関係に発展するのか,情欲シーンはどう描かれるのかが,この物語の見どころである。
 北香那は,今年NHK大河ドラマ『どうする家康』で同性愛者を演じていたので,そのパロディで本作でも実はレズなのかが関心事だった。助演陣では,先生の「春画大全」執筆を督促する編集者・辻村俊介役は,柄本佑だった。最近は真面目な好青年も多いが,野卑で下賎な男を演じさせたら天下一品だ。先生の家政婦・本郷絹代に配されたのは,白川和子。かつてのロマンポルノの女王が,75歳の老婆役でどんな役割を果たすのか興味津々だ。芳賀の元妻の姉の藤村一葉役は,TVドラマ『家なき子』(94)での強烈なセリフで度肝を抜いた安達祐実。同じく名子役だったダコタ・ファニングとイメージが重なるが,図らずもダコタは上述の『イコライザー THE FINAL』で大人の女性として登場していた。既にアラフォーの安達祐実が,先生と弓子の間で一騒動起こすのかも大いに楽しみであった。
 前半は素晴らしい出来映えだった。弓子に対して「春画の魅力」を解説する先生の蘊蓄は,教養講座としても十分な出来映えだ。何よりも「春画先生」が頗る魅力的な人物である。内野聖陽の高い演技力が生み出した人物像で,本作は彼の代表作として記憶に残るだろう。その反面,先生と弟子・弓子の愛欲関係を描いた後半は今イチだった。元同性愛者役でないなら,北香那は普通の女優で,ヒロインには弱過ぎる。2人にSMプレイをさせるのはやり過ぎだ。柄本佑のいい加減な男ぶりは合格点だが,彼を同性愛者にするのは,どうでもいい味付けである。老婆の白川和子が若い北香那に嫉妬するのは少し笑えた。安達祐実は,可もなく不可もない演技だった。
 原案・監督・脚本は,『黄泉がえり』(03)『どろろ 』(07年2月号)の塩田明彦。当欄では,数年前に青春音楽映画『さよならくちびる』(19年5・6月号)を取り上げている。自身のオリジナル脚本ならどのようにもできたはずだが,企画が意欲的すぎて,後半の纏め方に苦労したのだろう。類した題名のNetflix配信『全裸監督』(19, 21)と比べると,脚本力の弱さを感じる。主演の山田孝之と内野聖陽は好い勝負だが,黒木香役に抜擢された森田望智の熱演に比べたら,本作の北香那はやはり個性がなさ過ぎる。内野聖陽が演じる「春画先生」が絶品だったので,余りに惜しいと感じた。相手役を替え,先生が「春画の魅力」を伝え続ける続編の登場を期待したい。

■『おまえの罪を自白しろ』(10月20日公開)
 邦画が続く。露骨すぎてセンスのない題名だが,真保裕一の同名小説の映画化なら仕方ないか。いや,さほど著名な原作でもないので,映画化で別の題名に変えても良かったかと思う。主人公は政治家一族の宇田家の次男・晄司で中島健人が演じている。自ら設立した建築会社が倒産して,止むなく父・清次郎(堤真一)の議員秘書を務めている。よくあるパターンだ。この父が首相に忖度して,公共事業で不正を働き,8億円を浪費したというので,マスコミには悪徳代議士のレッテルを貼られて追求されていた。何やら「モリカケ事件」を思い出す。そこに,長女・麻由美の娘が誘拐されるという事件が起きるが,犯人の要求は身代金ではなく,翌日午後5時までに記者会見を開き,祖父・清次郎に謝罪させろというものだった。残された時間は24時間,晄司は父をなじりながらも,怨恨による犯罪の裏を探り,姪を安全に救出するために奔走する…。
 事件を追及する正義感のマスコミならともかく,堤真一に悪徳代議士は似合わない。一大疑獄事件ならともかく,たった8億円の不正もちっぽけに感じた。助演は,池田エライザ,山崎育三郎,中島歩,美波,尾野真千子だったが,選挙支援ボランティア役の尾野真千子が地味に感じた。乱歩賞作家の真保裕一ならミステリーで,こんな政治的社会派映画は似合わないと思った。時間経過が早過ぎて,前半だけで記者会見から少女発見まで進んでしまう。変だなと思ったら,後半は全く別の要素の映画となり,そこからは十分楽しめた(内容は書けないが)。
 アイドルグループSexy Zoneの中島健人はキラキラムービーの出演が多かったが,当欄で高評価した『ラーゲリより愛を込めて』(22年Web専用#7)では足の不自由な青年を演じ,好い味を出していた。本作の主役は少し荷が重いかなと思ったが,まずまず無難にこなしていた。父・清次郎役の堤真一は,やはり存在感があり,さすがと思える演技である。元々悪徳とは思えないこのキャスティングが物語の鍵とも言える。冷静に考えれば,不満も多かった。逆恨みが原因の報復犯罪なら,首相の親族の誘拐であるべきだ。与党の悪辣な政治家の描き方も浅い。監督は,『舞妓Haaaan!!!』(07)の水田伸生。TV局のディレクター出身で,当欄では『花田少年史 幽霊と秘密のトンネル』(06年9月号) 『252 生存者あり』(08年12月号)『あやしい彼女』(16年4月号)を取り上げているように,様々なジャンルを経験していて,演出力のあるベテラン監督だ。本作はもっと骨太にできたはずなのに,脚本が少し弱いように感じた。

■『極限境界線 救出までの18日間』(10月20日公開)
 韓国映画のヒット作だ。英題は『The Point Men』であるから,邦題は海外で起きた事件を描いた同系統の『モガディシュ 脱出までの14日間』(22年Web専用#4)に似せたのだろう。ソマリアの内乱時に大使館員達が脱出する同作に対して,本作はアフガニスタンの砂漠でタリバンに拉致された韓国人23名の救出作戦を描いている。時期は,9・11後にビンラディンを追って米軍がアフガン入りした以降で,一昨年夏の駐留軍の撤退までの間のいつなのだろうと思ったが,2007年に実際に起きた事件のようだ。ただし,映画の冒頭で実話ベースであるが,登場人物はフィクションである旨が断ってあった。
 W主演はファン・ジョンミンとヒョンビンで,これが初共演というのは意外だった。『工作 黒金星と呼ばれた男』(19年7・8月号)『ただ悪より救いたまえ』(21年11・12月号)のファン・ジョンミンは,急ぎ現地入りした外交官チョン・ジェ役で,冷静で知的な役柄だ。一方,先月『コンフィデンシャル:国際共助捜査』(23年9月号)で紹介したばかりのファン・ジョンミンは現地工作員パク・デシク役で,コメディタッチの前作に比べるとワイルドな感じで,本作の方が一層イケメンに感じる。意図的にタイプの違う2人の共演を強調していて,最初は何かと対立するが,途中からは協力し合うバディ関係として描いている。
 実話ゆえに,最後に事件解決することは自明だが,交渉過程はなかなか見ものだった。韓国軍の撤退とタリバン戦士の解放を求めるタリバンとの単純な交渉ではなく,英国人詐欺師が登場したり,韓国政府上層部との意見のすれ違いも現地を混乱させている。交渉期限切れで人質が1人ずつ殺される様子も実話ならではの緊迫感だ。政治劇だけでなく,バイクでチェイスもあり,アクションも盛り込んでサスペンス性を高めている。
 監督は,イム・スルレ。フランス留学し,パリ第8大学で映画学を学んだという女性監督だが,当欄で紹介するのは初めてだ。コロナ禍の最中の制作ながら,徹底したリアリティの追求が見事だった。砂漠と山岳地帯,街もリアルだったが,政治的にも混乱のアフガンで撮影できる訳はなく,どこで撮影したのかと思ったが,やっとのことでヨルダン政府の許可を得て,300人のスタッフで現地入りしたという。ラクダもターバンも,相手のイスラム人もリアルで,5カ国が飛び交う現場で,衣装,デザイン,小物等もアフガニスタン文化の専門家の監修を得ている。公用語のパシュトー語を話せる韓国在住のアフガニスタン人や同国を舞台とした映画出演経験のあるハリウッド俳優を起用したというから,韓国映画界の本気度を感じる。途中で殺害された人数や最終的な解放人数も実話と全く同じで,韓国政府が支払ったとされている機密の身代金の推定金額も劇中では明示されていた。

■『私はモーリーン・カーニー 正義を殺すのは誰?』(10月20日公開)
 実話が続く。原子力企業の労働組合の代表で,被害者でありながら,有罪判決を受けた女性が闘う社会派映画である。時代は,福島原発の大事故の翌年の2012年で,フランス国策原子力企業アレバ社は,中国と技術提携を結び,低コストの原発建設を計画していた。労働者の雇用と会社の未来を守るため,この計画に反対して,内部告発した組合トップのモーリーン・カーニーは,ある日,自宅で暴漢に襲われ,両手両足を縛られてレイプされてしまう。その事件の模様を供述するが,それが自作自演の「虚偽の告発」と見做され,逮捕されて有罪とされる。日本人の感覚なら,それで逮捕,有罪とは驚くが,フランスでは罷り通るらしい。大統領の交替から,親会社の電力公社EDFの関与,アレバ社のCEO解任までが絡む国家的スキャンダルの内幕を国民に知らせることを意図した政治映画の側面をもつ。その一方で,ジャン=ポール・サロメ監督は,1人の女性の精神的苦痛と,そこからいかに立ち直ったかに焦点を当てた映画だと語っている。
 主人公のモーリーンを演じたのは,名女優のイザベル・ユペール。『エル ELLE 』(17年9月号)でもレイプされるが,その犯人を自ら捜し当て,そのレイプ犯と昵懇になるという色情狂の女社長役だった。最近の『EO イーオー』(23年5月号)では,夫を亡くした伯爵夫人役で,奇妙な性癖の人物で余り好い印象はなかった。打って変わって,本作では,知的で行動力のある女性で,美しい金髪と黒縁の眼鏡がよく似合う。若々しく,とても現在70歳には見えない。彼女の盟友で,元アレバ社CEOのアンヌ役のマリナ・フォイスも同様で,『シャーク・ド・フランス』(23年8月号)での女性海上警察官役とは随分印象が違った。女性蔑視の社会と闘う知的な彼女らの描き方は,モーリーンに寄り添って支え続けた女性雑誌記者カロリーヌ・ミシェル =アギーレが著した原作の影響かと思われる。
 映画化されたことから,モーリーンが最終的に無罪判決を勝ち取ることは明らかだった。検察側が見逃していた証拠を見つける過程の描き方はミステリータッチで心地よかったが,終盤はやや駆け足気味で,丁々発止の法的劇でないのが残念だった。警護やモーリーンを逮捕する「警察」には,「国家憲兵隊」という言葉が多用されていた。地方の警察活動を担当するフランスの警察組織の一般用語で,「ジャンダルムリ」の訳語である。日本人は,戦時中の治安維持・防諜を担ったMilitary Policeを思い出し,悪いイメージしかない。本作の字幕で「国家憲兵隊」を再三使ったのは,主人公に自白を強要し,冤罪に陥れた悪者の印象を与えたかったからかと想像した。

■『悪い子バビー』(10月20日公開)
 写真では主人公はどう見ても中年に近い薄汚い男性で,どうして「悪い子」なのか不思議だった。バビーは,異常な愛情をもつ肥満体の母親に35年間も自宅に監禁され,外の世界に全く出たことのない男性だった。嫌悪感を覚える汚い部屋である。ある日,父親と名乗る男が帰ってきて,バビーの身辺も一変する。外は猛毒で一歩出れば即死すると教えられていて,ガスマスク効果を試すため,両親の頭部をラップで包んで落命させてしまう。困ったバビーは初めて外界に出るが,社会体験なしの彼が大暴走する映画である。
 設定から,『ルーム』(16年4月号)を思い出した。納屋に7年間監禁された女性が,その中で強姦され,妊娠・出産して,子供が5歳の時に脱出に成功する。外の世界を知らない子供が社会的適応に戸惑うシーンが印象的だった。それにヒントを得た拡張版かと思ったが,本作の方がずっと古く,1993年製作の映画である。ヴェネチア国際映画祭で審査員特別賞を受賞したが,本邦では『アブノーマル』なる題でVHSソフトとして発売されたに過ぎない。それを原題『Bad Boy Buddy』に則して改題し,今回劇場初公開となった訳である。5歳と35歳では随分違うし,まともな母親や祖父母の支援もなく,まさに純粋無垢なバビーが様々な人々と出会い,アブノーマルな行動で,次々と大騒動を引き起こしてしまう。その描写に,ただただ呆れた。
 監督・脚本は,オランダ生まれ,オーストリア育ちのロルフ・デ・ヒーア。3大映画祭の常連のようだが,よくもこんな奇妙で,全く先が読めない脚本を書いたものだ。耳にした言葉を,後でバビーがオーム返しに発することで思いがけない出来事が起こる面白さに,病みつきになりそうだ。善意の人も悪意の人も登場し,留置場,教会,研究施設,バンド演奏の舞台,重度障害者施設等々で,バビーの振る舞いが次第に自然に見えて来る。信奉するにもバカにするにも,常に「神」の名が登場する。神を同じくする異なる宗教間の対立を皮肉として描いているが,直近のガザ地区騒動の最中では,笑ってもいられない。このままバビーが阻害され,悲惨な運命で終わるなら救いはなかったが,物語のオチには少し和んだ。

■『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』(10月20日公開)
 さすがに206分は長かった。かなり疲れた。内容的には150分程度でも描けると思うが,206分かけて観るだけの価値は十分にある。退屈して眠くなる訳ではない。中身が濃くて真剣に観るゆえに疲れるだけだが,FBI捜査官が登場する辺りから物語は佳境に入り,残る約80分は時間も忘れて観てしまう。さすが巨匠マーティン・スコセッシと感じ入る出来映えだった。主演は同監督作品に6回目の主演となるレオナルド・ディカプリオで,共演はこれが10回目の名優ロバート・デ・ニーロとなると,駄作である訳がない。ただし,スコセッシ監督作品での共演が初めてというのは少し意外だった(別監督作品では30年前に共演済み)。噂を聞いた時には,例によって,NYが舞台の物語なのかと思ったのだが,1920年代のオクラホマ州オセージ郡が舞台で,実際に起きた先住民の連続殺人事件を描いている。
 レオ様演じるアーネスト・バークハートは何の取り柄もない独身男だったが,事業で成功した叔父(R・デ・ニーロ)を頼ってオクラハマ州にやって来る。ただちに彼は同地に住むオセージ族の女性モリー(リリー・グラッドストーン)と恋に落ち,結婚に漕ぎ着ける。この先住民族は,居住地で見つかった石油の鉱業権をもっていて,種族全員が富豪であった。モリーの資産を狙った叔父が,彼女の親族を次々と殺害する計画にアーネストが利用され,身の危険を感じたモリーの依頼で,ワシントンから捜査官が調査にやって来る……。原作はジャーナリストのデヴィッド・グランが2017年に著した「花殺し月の殺人 インディアン連続怪死事件とFBIの誕生」である。同書は捜査官の視点で描かれていたので,映画化権を取得したデカプリオは自らトム・ホワイト捜査官を演じるつもりだったが,スコセッシ監督はアーネストの法廷記録を精査し,映画はオセージ族の視点に変え,主人公も彼に入れ替えたという。
 メイン欄の『ザ・クリエイター/創造者』のページでも述べたが,本作の製作費2億ドル(約300億円)はCG多用作以外では,破格の金額だ。同州にオセージ族所有の広大な空き地を確保して,1920代を再現した街を作り,44人以上の役柄をオセージ族の俳優に演じさせている。365mの線路を敷き,そこに本物の蒸気機関車を運び込んだというから,半端ではない。同時代のクルマが多数登場することはいうまでもなく,家屋内の内装や調度類,登場人物の衣装もすべて本物だと感じてしまう。まさに2億ドル分の威厳と風格を感じる映画に仕上がっている。
 演出・演技も完璧だった。モリー役のL・グラッドストーンはオセージ族ではないが,別の先住民族の血を引いている。19世紀の英国首相ウィリアム・グラッドストンの遠縁だという。ノーブルかつエキゾチックな顔立ちで,彼女なしでこの映画は成り立たなかったと思う。多数の登場人物がいたはずだが,主演の2人と彼女の3人しか印象に残っていない。同じく1920年代を描いた『ジャイアンツ』(56)を思い出した。3人の関係は異なるが,ジェームズ・ディーン,ロック・ハドソン,エリザベス・テイラーの3人しか記憶に残らなかったのと似ている。もう1人,ジェシー・プレモンス演じる捜査官を入れたとしても,本作はこの3.5人の映画だと言える。
 前評判では,レオ様が正真正銘のクズ男を演じるとのことだった。確かに1990代のような美青年ではなく,体重も大幅増加し,その上,本作では口を「ヘの字」にし,下顎を突き出して,意図的に卑しい顔に見せている。それでも時折真顔になった時は,凛々しく整った顔立ちだった。叔父に頭が上がらず,複数の殺人の段取りをするのだから,感心した人物ではないが,「史上最低のクズ男」というほどではない。観客の大半は彼に感情移入し,同情すらしてしまうだろう。「最低のクズ男」は集客のための誇大広告,同情を誘うのは,スコセッシ監督の演出力のなせる技である。では,これで再度のアカデミー賞主演男優賞かと言えば,まだこれからどんな対抗馬が現れるかに依存する。数々の映画祭で,3人が主演男優賞,助演男優賞,助演女優賞を獲得し,GG賞ドラマ部門の最有力候補は確実だが,(例年述べているように)アカデミー会員はへそ曲がりが多いから,本命は外し,後から舞い込んだダークホース的作品に投票する可能性の方が大だと予想しておく。
 もう1点述べておこう。この映画はマスコミ試写ではなく,公開後にシネコンのIMAX上映で観た。『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』(23年6月号)と同様に,IMAX級の大スクリーンは適していないと感じた。アップのシーンが多く,顔が大き過ぎて気味が悪い。人間に顔はしかるべき視野角以内で見ないと,大き過ぎて違和感を感じる。大画面の端から端まで高速で移動する物があったり,急激なカメラワークも目が疲れてしまう。初めからIMAXを意識した撮影でないと,このいう現象が起きてしまうので,本作は通常のスクリーンで観ることを勧める。

■『ビー・ガン|ショート・ストーリー』(10月20日公開)
 長尺映画から一転して,こちらはたった15分の映画だ。イントロとエンドロールを除くと12分余しかない。中国のビー・ガン監督が,上海を拠点とする猫グッズ販売の会社「Pidan」の依頼でPVを作ったところ,評判が良く,カンヌ国際映画祭の短編部門で上映されたという異色作だ。ただし,15分では2時間弱の通常の映画と同じような興行は成り立たないから,1コイン(500円)で観られるという世界最初の実験的試みだそうだ。
 中身は,黒猫が案山子に「この世の中で一番大切なものは?」と尋ね,3人の奇人と会うことを勧められるという物語である。最初に出会うロボットは,余りロボットらしいルックスではない。2番目に会う女は記憶をなくすために麺を食べているが,麺で記憶がなくなるのか? 3番目の悪魔のマジックショーは,映像編集で演出されている。撮影テクニックは凝っているが,黒猫はCGでなく本物なのだろうか? 3奇人の他にもう1人登場するが,余り書くとネタバレになるので,これ以上は止めておこう。
 まるで映画サークルか,芸大の学生の作品のようなタッチだが,画質・美術・照明・編集・音楽はプロの映画制作者ならでは産物だ。黒猫の最初の問いの答えが出たのかは,観てのお愉しみで,自由に考えれば良い。500円であっても時間単価は高く,電車賃まで払っては割に会わない。通勤途中に立ち寄れる場所にあるか,同じシネコンで他の映画も観るなら,一見に値する作品だと思う。

■『ドミノ』(10月27日公開)
 主演は,ベン・アフレック。監督としての才能が抜群なので,もっと彼の監督作を観たいのだが,むしろ俳優業に未練が出たのか,近年はネット配信映画の主役やお馴染のバットマン役で再三登場している。春に5年ぶりの監督作『Air/エア』(23年4月号)があったばかりなので,本作は純然たる主演男優だ。製作や脚本にも全く関係していない。
 役柄は刑事ダニー・ロークで,最愛の一人娘ミニーが行方不明になったことから,心身のバランスを崩し,カウンセリングを受けている。そんな彼に銀行強盗計画の匿名通報が入り,急いで駆けつけて目的の金庫を開けると,そこにあったのはミニーの写真だけだった。怪しげな男(ウィリアム・フィクトナー)を追い詰めるが,男は屋上から飛び降りて姿を消す。彼は「絶対捕まらない男」で,その後も再三ダニーを翻弄する。ダニーは不思議な占い師(アリシー・アリシー・ブラガ)に辿り着いて,男の正体と娘の居所を探るが,現実と見紛う世界に足を踏み入れてしまい,物語は二転三転する……。
 という在り来たりの概要を書いたのは,本作の前宣伝で「ドンデン返し映画」が強調されていたからだ。「冒頭5秒,既に騙されている。」「想像は,必ず 覆される」「想像の3周先を行く驚愕のラスト」とまで言われると,紹介記事はどこまで書くべきか困ってしまう。予告編に「脳をハッキングしている」のセリフや幻覚と思しき映像が出ている以上,単純に誘拐犯人を追ったり,ラストバトルで娘を間一髪救出する類いのサスペンス映画でないことは明らかだ。中盤まではワクワクしたが,後半は種明かしが大体読めてしまう。個人的感想としては,「うーむ,やられた」と思うほど驚愕の結末ではないと言っておこう。
 監督・原案・脚本は,メキシコ系米国人のロバート・ロドリゲスで,いつものように撮影監督・編集も自ら担当している。既に監督作品20本を超えている彼が「20年温めた企画」というから,彼の思い入れが強く,物語を複雑にし過ぎだと感じた。この種の映画の行方はどのようにも描けるので,結末も複数パターン用意してあったはずだ。観客には,自分ならこうすると対案を考える愉しみもある。

■『SISU/シス 不死身の男』(10月27日公開)
 例年にも増して,各映画雑誌での秋のアクション映画特集は熱を帯びていた。本作は必ずその中に入っていて,強調されていたのは,主人公が異色であること,戦闘のバイオレンス度が高く,痛快極まりないことだった。なるほど,他はJ・ステイサム,K・リーブス,D・ワシントン,G・バトラーらが主演のフランチャイズ映画が大半で,マンネリ気味とも言える。それに対して,本作はフィンランド映画で,時代は第二次世界大戦末期の1944年,初老の不死身の男がナチスの戦車隊を1人で撃退する物語である。
 フィンランドは,隣接するソ連に蹂躙され,さらにナチスの侵攻で国土を焼き尽くされた可哀想な国だ。それゆえ,戦後の東西対立の中でも長年中立国であったが,ロシアのウクライナ侵攻でNATO加盟を決めたという政治的背景をもつ。その過去の歴史の中でも最も悲惨であった,ナチスの焦土作戦の被害にあった時代を描いている。主人公は,愛犬をつれ,北部のラップランドの凍てつく荒野を旅する老兵アアタミ・コルピ(ヨルマ・トンミラ)で,偶然,金塊を掘り当てる。それを運ぶ途中にナチスの戦車隊に出くわし,金塊を略奪しようとする敵を一網打尽にする。彼は1人でソ連兵300名を殺した「伝説の兵士」であった。それを知らないナチス兵とのやり取りが笑える。戦いには,ナイフ,銃,パンチ,さらには地雷,ガソリンまでも使う。極め付きは,金塊採掘用のツルハシ1本で戦車隊を倒すアクションシーンの痛快さだ。正に痺れる。
 基本は娯楽アクション映画だが,その一方でこの国が受けた戦争の悲惨さ,無慈悲さも観客の目に焼き付けようとしていると感じた。戦争となると,どの国の兵士も,ここまで無法者の態度になれるのかと嘆息する。当然,男性中心の映画であるが,少しだけ登場する女性たちが起こす行動には思わずニヤリとしてしまった。銃で撃たれたアアタミが,自らの身体に切り開き,弾丸を摘出するシーンも印象的だった。ラストの銀行シーンは別の意味で印象深く,最後まで痛快さが貫かれている。題名の「SISU」は,日本語に翻訳不能というから,それは字幕担当者がサボっているだけかと思ったら,フィンランド語でも上手く説明できないと劇中で語られていた。それなら止むを得ないが,強いて言えば,「折れない心」「意志の強さ,反骨精神」等を表わす言葉らしい。覚えておこう。

■『愛にイナズマ』(10月27日公開)
 石井裕也監督のオリジナル脚本による最新作だ。当欄が最も注目する日本人監督の1人だが,ほぼ全作品を気に入っている訳ではなく,当たり外れ(と評者が感じる)映画も少なくない。その一方で抜群の才能だと感じることもしばしばだ。
 主演は松岡茉優で,相手役には窪田正孝。松岡茉優は時々妙な役の映画もあるが,概ね好感度を下げない若手女優で,筆者のお気に入りの筆頭格だ。本作では,映画監督での成功を夢見る女性・折村花子を演じ,彼女が運命的な出会いをする空気の読めない男・舘正夫に窪田正孝が配されている。2人とも石井監督作品には初登場だが,花子の父・治,長兄・誠一,次兄・雄二を演じる佐藤浩市,池松壮亮,若葉竜也らは,石井組の常連だ。
 映画監督デビュー寸前だった花子は,卑劣なプロデューサーに騙され,全てを失い,失意の底に落ちる。正夫に励まされ,泣き寝入りをせずに反撃することを決めた花子は,10年以上も音信不通であった「ダメダメな家族」を頼る。彼らを出演させ,自分にしか撮れない映画で世の中を見返してやると息巻く……。映画界を描いているが,所謂,映画愛に溢れる映画とは違う。花子をいびり続ける助監督の荒川(三浦貴大)などは,これ以上ない嫌な奴だ。後半に登場する携帯電話会社の窓口女子社員にもムカつく。石井監督の現代社会に対する「怒り」の爆発のような映画だ。前半の全員マスク姿は,その象徴だ。花子と正夫の出会いのシーンでの会話にも,家族が揃った撮影シーンの暴言の応酬にも呆れる。理屈っぽさと直情の合わせ技のような映画なのである。
 約6割が経過し,携帯にかけた電話1本から映画のモードが急変する。「ユーモア溢れる痛快な反撃の物語」から「不思議な家族の大きな愛の物語」へと転じる訳だ。散々異色な演出をしておいて,最後はしっかりオーソドックスな家族愛で終わらせている。最初から普通の家族愛の物語なら,詰まらなかったことだろう。各俳優の役柄は,彼らのイメージと違う奇妙な人物ばかりだ。役作りに少し苦労しただろうが,演じていて楽しかったと思われる。物語展開の節々で,雷鳴のシーンが入る。『愛にイナズマ』は,なかなか好い題だと感じた。

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