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O plus E VFX映画時評 2023年8月号
 
その他の作品の論評
  (注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています)  
 
  ■『ジェーンとシャルロット』(8月4日公開)
 7月上旬に一度オンライン試写で視聴したのだが,もう一度見直して,別の感慨をもった映画である。まずは,フランスの人気女優シャルロット・ゲンズブールの初監督作品であり,母親ジェーン・バーキンとの母娘関係を描いた映画だというので,大いに惹かれた。題名に実名があるのも,過去に『なまいきシャルロット』(85)『シャルロット・フォー・エヴァー』(86)『僕の妻はシャルロット・ゲンズブール』(01)があり,すべて当人が実名で登場する劇映画であった。後の2作は,それぞれ父親のセルジュ・ゲンスブールと夫のイヴァン・アタルが監督・主演した映画でもあるので,本作も実の母娘が共演する劇映画だと思っていた。実際は,有名人である実の母と娘が語り合い,行動を共にする様子を記録したドキュメンタリー映画であったが,それなりに興味深かった。
 映画は,2018年の母ジェーンの(歌手としての)日本公演時から始まる。続いて,滞在中の日本旅館で,2人の会話の映像記録が始まる。娘シャルロットが母と頻繁に会うために本作を撮ることにしたと告白し,母がそれを少し躊躇する様も収録されている。しばらく中断した後,NY,パリ,ブルターニュで再会し,交流を深める様子の映画撮影も進行する。しばしば2人ともノーメイクで登場するが,舞台では別人のように若々しく,美しいのは,さすがと思える。特に興味深かったのは,父セルジェが娘に遺した家を母ジェーンが30年ぶりに再訪するシーンだ。一般公開もされていて,まるでアートギャラリーかと思うようなユニークな邸宅である。映画撮影カメラを通して接する母娘は,かなり特殊な関係であり,少し説明を要する。
 共に女優兼歌手であるが,母は英国生まれでパリ在住,近年は歌手が主体だった。娘は俳優が本業で,NY暮らしも長かったため,人気稼業の2人は滅多に顔を合わせていない。母は3人の娘を生んだが,全て父親が違う。シャルロットは次女だが,母は自殺した写真家の長女ケイトの方を愛していたのではという,嫉妬めいた感情をもっていた。本作のナレーションはシャルロット自身で,そのことも赤裸々に述べている。まさに,常人では理解できない出自と家庭環境である。録音形態,トークに演出はなく,生々しいが,それゆえに本音をぶつけ合う母娘が親密になり,次第に打ち解けて行く様子は,まるでドラマを観ているような気分になった。
 本作は,娘シャルロットが母との関係を整理・再確認するためのものと理解したのだが,7月16日に母ジェーンの訃報が伝わってきた。東日本大震災時に日本への応援メッセージを表明し,復興支援や募金活動にも熱心な人物であっただけに,その旨の報道も相次いだ。そこで改めて本作を見直して,これは数奇な人生を生きた女性の魂の記録でもあると実感した。演技ではないラストシーンは感動ものだ。この映像記録を残せたことを,シャルロットは誇りに思っていることだろう。

■『インスペクション ここで生きる』(8月4日公開)
「ここで生きる」と言うからには,居心地が悪くないか,夢がある,将来を託するに足る目標を見つけたのかと想像してしまうが,およそそれには程遠い映画であった。主人公のフレンチは,黒人でゲイであり,友人だけでなく,母親からも見放され,16歳からの約10年間ホームレス生活を送っていた。このままではいけないと,すがる思いで海兵隊入隊を決意する。時代は2005年,イラクかアフガニスタンに派遣され,そこでの激しい戦闘に参加する映画なのかと思ったら,それも違っていた。全く戦闘シーンはなく,入隊後の3ヶ月間,ブートキャンプ(新兵訓練施設)での厳しい訓練や過酷な生活の実態が詳しく描かれている。
 規律が第一の軍隊なら当然のことと思ったが,ここまでの苛烈さ,低い待遇は想像以上であった。これが映画で描かれると,米国といえども,入隊志願者は激減するのでは思えてくる。3ヶ月間の新人訓練と聞くと,自衛官候補生が射撃訓練中に上官を銃殺した事件を思い出す。程度の差はあれ,日本の自衛隊でも,新人訓練の厳しさは似たようなものだろう。この映画は誰が見るのだろう? 政府が自衛力強化を打ち出している中で,こちらも応募者が減るのではと心配になってしまう。
 ただですら厳しいしごきを受ける中,フレンチがゲイであることが知られ,激しい差別に晒される。本作は,この閉鎖社会の中で「自分を諦めない」と戦い続けたマイノリティの主人公の物語である。観ていて愉快な映画ではないが,心を打つものがある。主演は,歌手としても活躍するジェレミー・ホープで,ゴールデングローブ賞ドラマ部門の主演男優賞にノミネートされただけのことはある演技であった。苛烈な訓練生活の描写も生々しいが,彼を遠ざけようとする母親との関係も真に迫っていた。それもそのはず,本作はこれが長編デビュー作となるエレガンス・ブラットン監督の実体験であり,当然,自ら脚本を書いている。即ち,黒人で同性愛者であり,既に海兵隊を除隊し,現在は映画監督である訳だ。在職中に映像記録担当としてキャリアを始め,その後,大学,大学院卒業後,ドキュメンタリー映画で頭角を表わしたようだ。本作のネタは,2度と使えない。むしろ,次作以降で,映画人として人生を再スタートした物語を語ってくれる方が興味深く,観てみたい。

■『シャーク・ド・フランス』(8月11日公開)
 フランス初の「サメ映画」で,同ジャンルの金字塔『ジョーズ』(75)へのオマージュだそうだ。公開日が2週間先の『MEG ザ・モンスターズ2』が控えていたので,当初は2本まとめてメイン欄で語ろうかと考えたのだが,この映画を先にざっと眺めただけで,早々に諦めた。サメの大きさが5mと23mで段違いなのは分かっていたが,本作にはサメの全身姿が殆ど登場しない。大半が海上に見えている背ビレと尾ビレの一部だけで,ようやく見せてくれた顔面や全身は,お粗末極まりない張りぼてのような姿で,それもごく短時間だった。実際はアニマトロニクスだったようだが,それでも『MEG ザ・モンスターズ2』のCG製の見事な特大サメとは比較にならないし,メイン欄で取り上げる価値はないと判断した。
 そうでありながら,サメが人を襲うパニック映画としては,しっかり楽しませてくれる。『MEG ザ・モンスター』(18年Web専用#4)の記事でも書いたのだが,サメ映画はB級で,それに徹した方が面白い。問題は同じB級でも,どこにスパイスを利かせるかだ。本作の舞台は,フランス南西部のリゾート地ラ・ポワントの海岸で,主人公は早期退職間際の女性海上警察官のマジャ(マリナ・フォイス)である。仕事熱心だがぶっきらぼうな警官は,フランシス・マクドーマンドに似合いそうな役だ。本作の監督・脚本は若手の双子監督であるルドヴィック&ゾラン・ブケルマなので,コーエン兄弟の『ファーゴ』(96)の女性警官を意識したのかも知れない。このマジャを巡る人間関係や仕事ぶりが,本作を単なるサメ映画でなく,捻りの利いた社会風刺映画にしている。
 冒頭は全くコメディタッチであったが,サメの登場と共に一気にモンスター映画となる。マジャは見事に大ザメの捕獲に成功するが,環境保護のためにインド洋に放流する予定だったのに,檻を破って逃げ出してしまう。既に引退していたマジャは,再びサメ退治に乗り出す……。この間のマジャに対する個人攻撃やリンチが凄まじい。僅かな事件で,すぐに暴動を起こすフランス人の国民性なのかと思ってしまう。邦題は「サメ映画のフランス代表」の意であるが,原題は『L'annee du requin』で「サメの年」だ。「ラ・ポワント海岸は,今年はサメの年だったが,来年は別の事件が起こり,今年のことなどすぐ忘れてしまう」という皮肉が込められている。

■『アウシュヴィッツの生還者』(8月11日公開)
 主人公はポーランド在住のユダヤ人で,ナチスの強制収容所に入れられたが,所内でのボクシングの試合に勝ち続けたことで生き延びることができた。無事に生還後もボクシングを続けたという「実話」らしい。その映画なら既に観て記事も書いたはずなのに,再公開するのかと思ってしまった。そちらは,約1年前に公開の『アウシュヴィッツのチャンピオン』(22年7・8月号)だった。いずれも実話であり,上記の概要もほぼ同じとなれば,混同するのも無理はない。収容所の描き方,処遇などが違うので,興味があれば是非両作を見比べて欲しい。
 大きな違いは,向こうがポーランド映画であるのに対して,本作は米国映画である。それは,両者の戦後の人生が違うからだ。『…チャンピオン』のタデウシュ・“テディ”・ピエトシコフスキは強制収容前からプロボクサーであり,解放後もポーランドの軍や教育機関に所属してボクシングを続けた。本作のハリー・ハフトはプロではなかったが,同胞のユダヤ人相手の試合で才能を発揮する。戦後は米国に移住し,プロボクサーとして活躍する。無敗の王者ロッキー・マルシアノ(映画『ロッキー』(76)のロッキー・バルボアではない!)に挑戦したというのも史実のようだ(当然,負けた訳だが)。このため,戦後の話が主体だが,収容所時代はフラッシュバックとしてモノクロ映像で描かれている。負けた方が殺されるという過酷な条件で,破れて死んで行った仲間への罪の意識がPSTDとして彼を苦しめる。また,生き別れになった恋人レアをずっと探し続けるが,2人の運命の皮肉を描いたサブストーリーも大きな見どころである。
 映像で驚いたのは,主演のベン・フォスターの収容所時代の体形だ。まさに骨と皮だけの極端な痩身で,28kg減量して撮影に臨んだという。かつてクリスチャン・ベールが『マシニスト』(05年3月号)のために約30kg体重を落とした姿も凄かったが,こちらの方がもっと痩身に見える(B・フォスターの方が長身のためか?)。劇中では,「収容前の平時」「収容後の悲惨な体形」「特別扱いで少し太る」「戦後の現役ボクサー時代」「引退後の肥満体形」の5種類で登場する。この順のように,一旦痩せて少しずつ戻したのか,痩せる途中にも撮影したのかは不明だが,減量/増量を加減する俳優もいつ撮影するかを決める監督も大変な職業だなと感じた。

■『バービー』(8月11日公開)
 世界中の誰もがその名を知っている着せ替え人形を主人公にした実写映画で,ファッション映画の側面ももっている。知名度からかなりのヒット作となると思ったが,3週間前に公開された北米での興行成績では予想を遥かに上回るメガヒットとなった。当欄は「当て外れ」と「期待通り」の2つの視点から語るつもりだったが,例の「きのこ雲騒動」ですっかり白けてしまった。同週公開の『オッペンハイマー』のテーマが何であれ,本作の内容とは何の関係もないはずだ。と思ったのだが,本作の製作者達は国内の観客だけしか考えずに作った映画だと思えてきた。
 ピンク一色で楽しげな予告編を見ただけで,ワクワクした。重力など存在しない完璧な「バービーランド」で,屋根の上からふわりと降りてくる主人公の姿で,これはCG/VFX満載のコメディ映画と思ったのだが,ほぼその種のシーンはなく「当て外れ」だった。冒頭シーケンスで,女の子たちが人形を壊し,空に投げ上げるシーンは,言うまでもなく『2001年宇宙の旅』(68)のパロディ(音楽を含めて)だ。この分なら,著名映画のパロディを満載した痛快映画かと期待したのだが,それも外れだった。この2つの外れは,当欄と筆者の勝手な思い込みだから,メイン欄扱いしなければ済む話だ。
 夢の国バービーランド内の女性は全員バービーで,男性は全員ケンという驚くべき世界だが,マーゴット・ロビー演じる1人の「バービー」が, 幼なじみの1人の「ケン」を伴って人間世界(リアルワールド)にやってくる。そこで遭遇するトラブルは『魔法にかけられて』(08年3月号)と同工異曲であるし,バービーに「人間になりたい」と言わせるのは,最近の『リトル・マーメイド(23年6月号)を含む「人魚姫」ものの変形版とも言える。ただし,ラブストーリーの要素はない。人間社会の荒波の中で,このバービーが人生で大切なものを見つけることは,監督から現代女性に向けてのメッセージであると受け取れた。監督・脚本は,『レディ・バード』(18年5・6月号)のグレタ・ガービック。いかにも女性監督が描いた女性のための映画で,男は添え物に過ぎない。その添え物が主客逆転を狙うのが,物語の味付けである。相手役のケンには人畜無害(に見える)のライアン・ゴズリングを起用している。舞台となるのがLAであるだけに,観客は『ラ・ラ・ランド』(17年3月号)の彼の役割とその結末を思い出すことだろう。
「期待通り」だったのは,主演のM・ロビーの輝くような存在感だった。ナイスバディで脚も長く,目鼻立ちがはっきりしているのは,バービー人形のイメージにぴったりだ。『スーサイド・スクワッド』シリーズのハーレイ・クインは当たり役だが,この破天荒なサイコパスと健康そのもののバービーはコインの裏表に思えた。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(19年Web専用#4)『スキャンダル』(20年1・2月号)『バビロン』(23年2月号)と立て続けに女優の役を演じたが,本作ではバービー人形を演じているという「作りもの感」を見事に表現していた。それにピッタリの俳優だ。
 というのが,筆者の印象であるが,この映画の見方や感想は個々人のバービー人形体験によって異なると思う。映画は徹底して米国のバービー文化をベースに描いている。分かったようなつもりで観ていたが,製作側は他国の観客の視点など何も考慮していないのだと気づいた。

■『クエンティン・タランティーノ 映画に愛された男』(8月11日公開)
「長編映画を10本撮ったら,映画監督を引退する」と公言している奇才Q・タランティーノ監督(以下QT)についてのドキュメンタリーだ。彼の1作目から8作目までに出演した俳優と関係者の計17名のインタビューを中心に,各映画の名場面,メイキング映像,ハイライトシーンやエピソードのアニメ化映像等々で,QT愛がたっぷりと語られる。副題は「映画人に愛された男」の方が適切で,「映画人&映画ファンに…」でも良かったかと思う。監督はドキュメンタリー専門の女性監督のタラ・ウッドで,リチャード・リンクレイター監督を俎上にした次に本作を手がけ,現在はティム・バートン監督のドキュメンタリーを制作中だという。
 本作では8本が,「第1話 革命」「第2話 強い女性&ジャンル映画」「第3章 正義」の3部構成で紹介される。まず彼の原点たる『レザボア・ドッグス』(93)『パルプ・フィクション』(94)からなる第1話で,映画界に衝撃を与えたことが分かる。(個人的にはすべて観ていたが)当欄で紹介し始めたのは第3話分からで,『イングロリアス・バスターズ』(09年11月号) 『ジャンゴ 繋がれざる者』(13年3月号)『ヘイトフル・エイト』(16年3月号)の3本が含まれる。これらをまとめて「正義」と称したことに感心した。
 この順に振り返ると,脚本は巧みになり,カメラワークも洗練され,映画の完成度は上がったが,QTの情熱は今も変わらない。現場主義者で,撮影中にも脚本が膨らむという。スクリプターや録音技師を含め,スタッフは殆ど同じで,編集担当のサリーが特別な存在のようだ。印象的だったのは,終盤に登場する収監中のハーヴェイ・ワインシュタインへの告発メッセージである。QTが重用したユマ・サーマンや他の女優たちへの性加害の新事実を知り,25年来の盟友であったこの権力者と訣別して,第9作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(19年Web専用#4)はソニーと契約したという。
 第10作目を撮り終えたら,余生でQTが何をするのか,皆が想いをはせている。この映画が観ながら,なぜ第9作にはわずかしか触れてないのか不思議だった。本作は『21 Years: Quentin Tarantino』の題名で撮影が始まり,QTの全作品に関与していたワインシュタイン・カンパニーと契約していたが,#MeToo醜聞で倒産した同社から,タラ・ウッド監督が権利を買い戻し,ようやく『QT8: The First Eight』の題名で公開にこぎ着けたのが,『ワンス…』と同じ2019年のことだったようだ。そこから日本での公開まで,なぜ4年もかかったのかは不明だが,よくぞ実現してくれたと感謝したい。

■『ソウルに帰る』(8月11日公開)
 韓国生まれたが,乳児の時に国際養子縁組制度でフランス人夫妻に育てられた女性が,ふとしたことから故国に戻り,自分の原点を探し求め,思いがけない方向に人生を歩んでしまう物語である。題名から分かる通り,ソウルが中心で,韓国内の他の都市でもロケをし,韓国人俳優も多数登場するが,韓国映画ではなかった。映画国籍は,フランス,ドイツ,ベルギー,カタールであり,劇中でのセリフは,フランス語,韓国語,英語で語られている。
 25歳のフレディは日本観光にやって来たが,悪天候で着陸できず,故郷のソウルに降り立つ。折角の2週間の休暇だからと故国で過ごすことにし,ホテル従業員のテナや居酒屋で知り合った現地の男女達とも仲良くなる。一方,昔の写真の裏に書かれていた番号から,実の父母の居所が判明する。既に離婚していた母からは面会を拒絶されるが,父や親族とは再会することになる。ただし,異国で育ったフレディには故国は別世界であり,自由な思想の彼女には実直な父親の韓国流の愛情表現を素直に受け容れられず,申し出を拒んでしまう。この辺りで筆者などは憤慨してしまった。ずっと不愉快な顔の嫌な女だ。自分から探して,親に連絡して,その態度はないだろう。親切にしてくれた韓国人にも,なぜそんなに突っ張るのか。「ぶっ壊したい」とは,何様のつもりか!
 このまま推移して結末を迎えるのかと思ったが,その後,8年間も物語は続く。2年後もソウルにいるかと思えば,その5年後には出張でソウルに来ている。フランス系のコンサル企業にいたかと思えば,軍需産業に転職している。行きずりの男とセックスし,別の男をパートナーにしている。父や親族との交流も続いていて,ようやく母親とも再会でき,涙を流す……。なるほど彼女は異国人であり,自己のアイデンティティというが,終始身勝手で,相手の立場は考えない。韓国文化には馴染めないのに,離れることはできない。不思議な人物だ。
 監督・脚本は,カンボジア出身のフランス人監督のダビ・シューで,友人の体験を基にこの物語を書いたという。意図的に嫌な女を描いたのかと思ったが,そうでもないらしい。フレディを演じたのは,これが映画初出演のパク・ジミンで,8歳の時に韓国からフランスに渡った女性である。嫌な女と少し可愛げがある女性を演じ分ける演技力は大したものだ。見かけは典型的な韓国人で,それも原始的な顔である。これは日本人の偏見や蔑視ではなく,劇中で韓国人の若者がそう表現していた。

■『もしかしたら私たちは別れたかもしれない』(8月11日公開)
 今度は本物の韓国映画だ。20代の大半を共に過ごした男女が,30代を迎えてどういう次のステップに向かうかをリアルに描いた恋愛ドラマだという。所謂韓流の甘いラブストーリーではない。題名からは,破局寸前のカップルか,一旦は別れたがヨリを戻す男女の物語かと思ったが,それも違う。
 美大で知り合った画学生同士のジュノ(イ・ドンフィ)とアヨン(チョン・ウンチェ)は,親友から恋人関係になり,長年同棲を続けてきた。ジュノは公務員志望だが,何年間も合格せず,ずっと浪人生活を送っている。ロクに試験勉強もせずに,バイトや遊びに明け暮れる典型的な「ダメ男」だ。若い頃の細野晴臣に似ている。一方のアヨンはしっかり者の女性で,美術への道を諦め,不動産屋に勤めて生計を支えている。桑子真帆似の美形だ。誰が考えてもジュノにはもったいない。もう我慢の限界とブチ切れた彼女は,ケンカ別れをしてしまう……。
 物語の行方は,「失って気づく,本当の気持ち。訪れる新たな出会い,そして再会の瞬間。ほろ苦くも不器用で愛おしい大人のラブストーリー」という宣伝文句から想像して頂こう。「夢と現実,愛と別れの間で葛藤する30 代女性の心理を繊細に表現し,作品に深みを与えている」というのは,少し理解できた。監督・脚本は新人監督のヒョン・スルで,これが監督デビュー作である。かつての短編に監督自身の実体験の肉付けしてあるというので,てっきり女性監督かと思ったが,男性監督であった。ということは,彼も「ダメ男」であったのか…。
 上記の『ソウルに帰る』のような不快感はなく,観やすいので最後まで観てしまったが,さほど含蓄のある映画でなく,心に沁みる映画でもなかった。男女関係,友人関係はそのまま日本でも通用する。同世代で,目的なく生きている若者には,恰好の反面教師にはなるかと思う。そうでない世代の大人にとっては,最近の韓国事情を映像から学ぶ役には立つ。特に,韓国の不動産事情や怠惰な若者が何をしているかは参考になった。

■『ミンナのウタ』(8月11日公開)
 題名の大半は片仮名であるので,平仮名表記のNHKの音楽番組やサザンオールスターズのヒット曲とは無関係だ。Jホラーの旗手・清水崇監督の最新作ホラーである。何しろ,『呪怨』(00)は怖かった。大半のホラー映画に怖さを感じない筆者も,清水監督の『呪怨』にだけは震え上がった。ハリウッドリメイク作の『JUON/呪怨』(05年3月号)も十分に怖く,完成披露試写会で近くにいた若い女性は,終始下を向いて泣いていた。そんな最恐監督の新作で,原点の『呪怨』に通じる表現を使って恐怖心を掻き立てるという。大いに愉しみであった。
 7人組ダンス&ボーカルグループの「GENERATIONS from EXILE TRIBE」が主演で,7人全員が実名で登場する。メンバーの小谷隼が,パーソナリティを務めるラジオ番組の収録中に,不穏なノイズの中から「カセットテープ,届き…ま…した…?」という少女の声を聴く。さらに,放送局の地下倉庫から30年前から放置されていたカセットテープが見つかり,A面には「ミンナノウタ」と書かれていた。まず,小谷隼が公演のリハーサル後に失踪してしまう。そして,テープの呪いの歌を聴いた者が自ら口ずさんでしまうことから恐怖が伝染し,メンバー達は行方不明になるか,不可解な事件に巻き込まれる。果たして,彼らは生きて生還できるのか…? なるほど,「ビデオテープを見たものが1週間後に死ぬ」という『リング』シリーズと好一対の設定である。「山村貞子」に対応するのは,30年前に死んだ女子中学生の「高谷さな」であった。
 ここで,テープの謎の詳細や結末は書けない。『呪怨』ほどではないが,かなりの恐怖を感じさせる仕掛けが用意されている。実名で登場するGENERATIONSが落命することはなく,最後にライヴステージを見せてくれることを期待してしまうが,他がどんどん死んでいっても不思議はない。さすが最恐監督と思える演出なので,ホラー慣れしていない観客は覚悟しておいた方がよい。

■『ふたりのマエストロ』(8月18日公開)
「マエストロ」は,芸術分野の大家,巨匠を指す言葉だが,特にクラシック音楽の指揮者に対してよく使われる。当欄の紹介作品でも,邦画の『マエストロ!』(15年2月号)や女性指揮者の伝記を描いた『レディ・マエストロ』(19年9・10月号)は,まさにこの使い方をしていた。本作はフランス映画で,2人の指揮者が登場するが,同世代のライバル同士ではなく,輝かしいキャリアで名声を得た父と実力を発揮し絶頂期にある息子の指揮者親子の物語である。息子の才能は認めつつも,音楽界の注目が自分から離れて行くことに父が苛立ちを感じ,絶えずいがみ合っているので,ライバルだと言えなくもない。
 自らの誕生日に携帯電話が鳴り,クラシック界の世界三大劇場の1つであるミラノ・スカラ座の音楽監督就任要請であったことから,父・フランソワは有頂天になり,美酒に酔いしれる。ところが翌日,息子・ドニはスカラ座の総裁に呼び出され,自分への就任要請の誤りであったことを告げられ,困惑する。長年の念願が叶ったと思い込み,既にイタリアへの転居を決め,人気サッカークラブ「ACミラン」のシーズンチケットまで手配していた父に,とても自分の口から真実を告げることはできない……。こう書いただけで分かるように,全くのコメディタッチで物語は進行する。
 監督・脚本は,フランス出身で俳優としても活躍するブルーノ・シッシュだ。主演のドニ役は,イスラエル出身のイヴァン・アタルで,この号の冒頭の『ジェーンとシャルロット』でも触れたように,シャルロット・ゲンズブールの夫である。父・フランソワ,母・エレーヌは,それぞれベテラン俳優のピエール・アルディティとミュウ=ミュウが演じている。筆者が気になったのは,パスカル・アルビロが演じるドニの元妻ジャンヌだった。既に離婚し,ドニには新しい恋人がいるのに,引き続きドニのマネージャー役を務めていて,一緒にイタリア生活を楽しむつもりでいる。2人のマエストロの物語のはずなのに,母・元妻・恋人らの女性陣が活き活きと描かれていた。キービジュアルとして父子が並んで指揮する姿が描かれているので,物語の決着は想像できる。数々の美しいクラシックの名曲が流れる中,もう少しシリアスなヒューマンドラマでも良かったかと感じた。

■『高野豆腐店の春』(8月18日公開)
 次は勿論邦画であり,こちらも家族もののヒューマンドラマであるが,ほのぼの系であることは題名からも想像できる。広島県尾道市で豆腐店を営む父娘が主人公で,藤竜也と麻生久美子が配されている。題名中の「春」は,麻生久美子の役名であり,2人の未来をも暗示している。生粋の職人で,豆腐一筋の父・辰雄は妻に先立たれ,出戻り娘・春と2人で暮らしている。自ら心臓病を抱えていることから,娘の再婚相手探しにも気を病んでいる。辰雄の悪友4人組と再婚相手候補を面接する下りが笑いを誘う。父娘それぞれのラブストーリーが同時並行的に進行するのがこの物語の味噌で,音楽もマッチしている。
 監督・脚本は『オレンジ・ランプ』(23年6月号)の三原光尋だが,本作は彼のオリジナルストーリーだ。過去に,藤竜也を『村の写真集』(05)では写真家,『しあわせのかおり』(08)では料理人に配したが,これが3度目のタッグで,職人三部作を完結させたかったという。かつて,無口で渋くて格好良かった藤竜也が,剽軽でとぼけたけた爺さん役をやるとは思わなかった。古風だが,頑固一徹ではなく,チャーミングだ。監督のお気に入りの4人組(徳井優,菅原大吉,山田雅人,日向丈)の他,中村久美,桂やまと,小林且弥等の助演陣の描き方が見事だ。地味な監督だが,背伸びせず,心を込めた一作であると感じる。縦書きのエンドロールも嬉しかった。
 そう思うゆえに,少しだけ注文をつけておこう。候補者面接時に巨人ファンをいじるのは笑えるが,なぜカープファンだと断言しないのか? 監督は大阪出身で,阪神ファン,アンチ巨人なのだろうが,舞台が尾道なら,赤ヘル一辺倒の方が自然だ。理髪店,食堂,自宅にマスコット人形や応援グッズが置かれていたが,それだけじゃ物足りない。随所にきめ細やかな配慮があり,履歴書4通の記載内容も完璧で矛盾がなかった。それに従うと,この物語の時代設定は2015年秋から2016年春頃である。なぜ,そう断らないのだろう? 監督は2021年5月からロケ地探しを始めたというから,7〜8年前に撮影した映像を眠らせていた訳ではなさそうだ。それが少し残念だったが,安心して観ていられる好い映画だ。

■『エリザベート 1878』(8月25日公開)
 19世紀に生きたオーストリアの皇后エリザベートの物語である。知名度ではマリー・アントワネット,ビクトリア女王,エリザベス1世ほどではないが,同時代の王族の中では随一の美貌の持ち主で,「シシィ」の愛称で呼ばれた自由闊達な人物であったという。彼女の人生は同国でミュージカル化され,日本では宝塚歌劇でも演じられて,女性ファンに人気があるようだ。昨年からNetflixで『皇妃エリザベート』(シリーズ1,全6話)が配信されているので,知名度もかなりアップしたことだろう。
 それらが少女時代か,皇帝フランツ・ヨーゼフに求婚され,16歳で皇妃となる以前から描いているのに対して,本作は彼女が40歳の1878年だけに特化している。伝記ものとしては,珍しい絞り方だ。これまでに語られなかった素顔を新解釈で大胆に描いているとのことである。脚本・監督は,同国の実力派女性監督のマリー・クロイツァーだが,自国の皇妃となると,知識や思い入れも相当なものに違いない。この人物の映画を観るのが初めての筆者は,何が新解釈か分からないので,人物相関図を眺めつつ,監督の誘導通りに本作を楽しむことにした。
 原題は『Corsage』で,フランス語で「コルセット」のことである。当時の高貴な女性の常用品だが,エリザベートはそれを人一倍締め上げ,長年,美貌と体形維持に専心していた。本作は,知識欲に溢れ,反骨精神旺盛な彼女が,40歳という人生の転機を迎え,どんな行動をとったかを中心に描いている。筆者の注目は,皇妃を演じる主演がヴィッキー・クリープスであったことだ。最近の主演2作『ベルイマン島にて』(22年3・4月号)『彼女のいない部屋』(同年Web専用#5)で印象的な演技を見せ,今最も輝いている女優の1人である。実年齢も皇妃に近い39歳であり,ドイツ語も英語も堪能な彼女の起用は,見事なキャスティングだと感じた。本作では,気品と威厳を備えた皇妃を堂々と演じていた。
 余り描かれたことない王族の日常生活の描写が興味深かった。晩餐での作法,女官との会話,乗馬好きもさることながら,病院慰問で負傷兵や精神病患者に語りかけることにも驚いた。実際には1878年の出来事だけでなく,後年のエピソードも盛り込んでいるようだが,「流浪の皇妃」と呼ばれた彼女の人生を,監督独自の現代風解釈で描きたかったのだろう。「コルセット」はその象徴であり,自由を渇望し,遂にはそれを脱ぎ捨てる行動に至る……。音楽も斬新で,19世紀を描いた映画と思えぬ選曲であり,型に嵌まらない王族の物語に相応しい。

■『ファルコン・レイク』(8月25日公開)
 女性監督の作品が続く。監督・脚本は,カナダ出身でフランスを拠点に活動している女優シャルロット・ル・ボンで,これが監督デビュー作である。親子4人のフランス人家族が夏季休暇でカナダ在住の親友の家を訪れるが,その中の13歳の少年と滞在先の16歳の少女の一夏の出来事を描いている。と聞くと,灼熱の太陽の下,キラキラ輝く,明るい青春映画を想像するが,もっと繊細で,少し陰鬱な映画であった。原作はフランス人のバンド・デシネ(フランス語圏の漫画)作家バスティアン・ヴィヴェスの「年上のひと」で,邦訳本もあるそうだ。原作ではフランスの海沿いのブルターニュが舞台だが,本作はカナダ・ケベック州のローランティッド地域の湖畔に舞台を移している。モントリオールの北西にある自然豊かな場所であり,フランス語圏である。フランス人とカナダ人の俳優を起用していて,少し英語が登場する以外は,基本的にフランス語の会話が交わされる。
 まもなく14歳になるバスティアン(ジョセフ・アンジェル)は,2年ぶりに再会したクロエ(サラ・モンプチ)が随分大人になっていることに驚いた。いつものように数日間を一緒に過ごす内に,恋心を抱くようになり,2人の距離は急速に縮まる……。16mmフィルムで撮影した4:3スタンダードサイズの映像はかなり暗く,試写室の映写機の不具合かと思ったくらいだ。しばらくして,この仄かな暗さは意図的であり,「青春の憂鬱」を暗示しているのだと理解できた。戯れながらも心を通わせる2人を,親の目線でなく,自分がこの年齢の時,この女性と知り合ったらどうするかと感情移入してしまった。
 映像が気になっただけでなく,サウンドも異色だった。会話と効果音だけで,劇伴音楽が全くない。2人が抱き合うシーンからようやく音楽がつく。そして,思い掛けない結末となり,そこからは印象に残るインド風音楽が流れる。エンドロールは物悲しい旋律となり,この映画の余韻に浸ることができた。すべて計算づくの演出であり,デビュー作がこのクオリティとは,大したものだ。

■『君は行く先を知らない』(8月25日公開)
 映画の題名とメイン画像1枚から,どんなジャンルの映画なのかを想像する癖がついている。しばしば,その予想の当否や期待通りであったかも記事中に書いているが,本作は全く想像がつかなかった。カラフルなセーターを着たあどけない少年の画像だったが,彼がどこかに連れられて行くとしても,それ以上は全く分からない。本作は,イラン映画のロードムービーであった。監督・脚本は,パナー・パナヒ。政府から20年間の映画製作と海外渡航を禁じられながら,秘かに海外の映画祭に出品を続けている「あの巨匠パナヒ監督の最新作なのか!」と身構えたが,違っていた。イラン政府から制約を受けているのは父親のジャファル・パナヒで,本作は息子パナーの監督デビュー作である。当然,子供の頃から映画製作の手ほどきは受けているはずで,政府の検閲を気にしながらも,父が国内で発表できないテーマを描こうとしているに違いない(注:ジャファル・パナヒ監督の最新作は9月号に掲載する)。
 親子4人がレンタカーを借りて,国の北西部の国境近くに向かう長距離ドライブ中の出来事を描いている。劇中では明言されていないが,目的地はトルコとの国境のようだ。運転は寡黙な長男が担当し,助手席には母親,後部座席に両手と足を骨折したギプス姿の父親と6歳の騒々しい次男が座っていて,老いた愛犬も同乗させている。これはパナヒ一家であり,この父親がジャファル,長男が本作のパナーなのかと想像してしまうが,イラン人俳優が演じ,身近な人々のエピソードを盛り込んでいるようだ。リンゴを食べながらの父と息子のぎこちない会話,母親が長男をいたわる言葉から,何か訳ありで,どうやら長男だけが旅立つのだと分かってくる。
 一面の砂漠や殺伐とした荒野が続くが,国境近くになり,次第が緑豊な山岳地帯に入る。そこで,長男だけが引き離されるが,同じような家族が何組もいる。果たして彼らはどこへ向かうのか……。これ以上は書けないが,イランという国の若者が直面する厳しい現実を描いていることは確かなようだ。本作のキャッチコピーは,「この旅の行く先を知った時,我々は深い感動に包まれる―」であった。感じるものはあったが,「感動」はしなかった。ただし,無事国境を越えることができた若者の未来が明るいものであり,いつの日か彼らが安心して故国に帰って来られることを祈りたくなった。

■『卒業 Tell the World I Love You』(8月25日公開)
 次もアジア映画だが,「青春ドラマが熱い」を標榜するタイ映画で,男子高校生の友情がテーマだ。タイ映画はあまり観たことがなかったのだが,国際的なカンニング計画を描いた『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』(17)は抜群に面白かった。同じ監督の『プアン/友だちと呼ばせて』(22年7・8月号)は当欄でも紹介したが,少し年齢層は上で,余命僅かな青年が親友と共に,元カノを順に訪ねるという異色の青春映画であった。本作の監督・脚本はポット・アーノンで,メイン画像には3人の若い男性が描かれている。女性の姿は殆どなく,カーチェイスや雨中での格闘が描かれる徹底した男の世界だ。高校生でありながら,ヤクの売人に走ったり,拳銃所持者までがいる乱れ振りに,少し驚いた。
 奨学金を得て中国留学をめざす優等生の「ケン」は,幼馴染みで親友の「タイ」(国名でなく,青年の名前)の家に居候していたが,ある夜,麻薬の密売組織から足を洗おうとして袋叩きにされて「ボン」を助ける。組織から仲間と見做されたケンは報復を受け,タイに迷惑をかけまいと彼の家を出て,ボンとの同居生活を始める。大怪我をしたケンにボンが献身的な看護をしたことから,2人の友情は強固になるが,タイとの関係は複雑なものになる……。彼らは所謂ゲイではないが,友情以上のものを感じさせる関係である。LGBTQ映画と仁侠映画の義兄弟の中間のような描き方だと感じた。
 もう1人,組織側で悪役の「ニック」も重要な役柄で,実質4人の青春映画である。困ったのは,同じような髪形で,(貧しいためか)同じような服装で登場するので,簡単に見分けがつかないことだ。主演で,少し顔立ちが個性的なケイだけは識別できたが,残る3人は誰が誰だか分からない。同じアジア人でこれだから,西洋人にはもっと難しいだろう。そう考えると,登場人物はずっと多いのに,『東京リベンジャーズ』シリーズの方がずっと個性的であり,悪役ぶりもバトルの迫力も数段上だ。ただし,これはアクション映画としての評価であり,本作はケイが奨学生試験に合格したことから,映画の行方が一変する。現在の日本では考えられないが,タイの若者にとって,海外留学は人生の一大事であり,周りにもそう映るのだろう。そんな若者の未来を示唆する青春映画を作っていられることに,ある種の羨ましさを感じた。

■『あしたの少女』(8月25日公開)
 さらにアジア映画が続く。舞台は極東に移り,既に映画大国である韓国で,IT企業の実習生の過酷な労働形態を問題視した社会派映画である。2017年に実際に起きた現役高校生の自殺事件を基にしていて,それに追いこんだ企業側の責任や韓国における受験地獄,就職地獄の実態も描いている。こうした話題を映画にしてヒットするのは,韓国先進国であるだけでなく,まもなく国民1人当たりのGDPで日本を追い越そうとしている経済先進国であること証拠だと感じた。監督・脚本は,『私の少女』(14)で監督デビューしたチョン・ジュリ監督で,8年ぶりの2作目である。前作で女性警官を演じたペ・ドゥナとの再タッグで,今回もまた警官の役だ。
 卒業を控えた女子高生のソヒ(キム・シウン)は,担任教師の手配で大手の通信会社の下請けのコールセンターに実習生して派遣され,解約を希望する顧客を翻意させる応対役で,過酷なノルマがあった。体のいい低賃金労働者で,契約書に記載された時間給も満足に支給されない。彼女の指導役であった若い男性チーム長が,成績不振を会社から責められ,車中で練炭自殺を図る。それにショックを受けて塞ぎ込むソヒに,新チーム長は出勤停止の懲戒処分を課し,相談をした担任教師からは罵倒され,両親からの理解も得られなかった彼女は,絶望のあまり,凍てつく郊外の貯水池に入水自殺する……。
 コールセンターの手口,実態がよく分かり,きっと日本でも同じようなものだと想像できる。一方,就職実績を稼ぎたい高校教員の態度は驚くべきもので,さすがに日本ではこんな高校はないだろう。かなり誇張されているとしても,これは酷い。就職地獄の扱いも,いかにも過剰反応民族だなと感じてしまう。
 ソヒの入水自殺後,物語は一変する。この事件に疑問を抱いた女性刑事オ・ユジン(ペ・ドゥナ)は,労働搾取の実態を捜査し始める。教育庁や労働省の誠意のない答弁,責任回避のたらい回しは,日本もお役所仕事と同じか,それ以上だ。一見ぶっきらぼうな刑事が,上司の反対を押し切って徹底捜査する様は,まるで女ダーティ・ハリーで,大抵の観客は拍手喝采する。こんな刑事がいるはずはないが,娯楽映画はこれで良い。告発映画がきっかけで労働搾取にメスが入るのは,大いに歓迎だ。

■『春に散る』(8月25日公開)
 そして,ここから2本が邦画である。ノンフィクション作家・沢木耕太郎の長編小説の映画化作品で,少しロマンチックな題名だが,佐藤浩市と横浜流星のW主演で,ボクシングに生きる男たちを描いた硬派の物語である。ボクシング映画には感動作が多いが,監督が『護られなかった者たちへ』(21年9・10月号)『ラーゲリより愛を込めて』(22年Web専用#7)の瀬々敬久となると,しっかり骨太のヒューマンドラマに仕立ててくれると期待した。
 年々渋い演技に磨きがかかり,今どんな映画でも,どんな役柄でも観たくなる俳優が佐藤浩市だ。本作の役柄は,ある出来事がもとで渡米したが,40年ぶりに帰国した元ボクサーの広岡仁一である。横浜流星が演じるのは,若手ボクサーの黒木翔吾で,不公平な判定で心が折れ,路地裏で通りすがりの仁一と拳を交えたところ,一撃で倒された。一度は諦めたボクシングをゼロからやり直すには,仁一に教えを乞うしかないと頼み込む。一度は固辞した仁一だが,熱く迫る翔吾に心を動かされ,「一瞬だけに生きる」師弟関係が生まれる。
 横浜流星はあまり好きな若手俳優でなかったが,元極真空手のチャンピオンであり,最近は演技力もついたので,この役は似合うと直感した。本作の役作りためにボクシングを始め,プロテストにも合格したという。かつて仁一が所属したジムの後継者や旧友との交流,仁一の兄の死去と姪との同居等が絡んで,物語が進行する。紆余曲折を経て,擬似親子のような師弟が挑戦する世界タイトル戦が本作のクライマックスとなるのは,誰もが期待した通りの展開である。
 ボクシング映画での指導者(トレーナー/セコンド役)で比べたくなるのは,洋画で『ミリオンダラー・ベイビー』(05年5月号)のクリント・イーストウッド,『ザ・ファイター』(11年4月号)のクリスチャン・ベール,邦画なら『あしたのジョー』(11年2月号)の香川照之や『ケイコ 目を澄ませて』(22年11・12月号)の三浦友和である。本作の佐藤浩市の存在感は,邦画の2本よりも圧倒的に上だった。洋画の2本とは比較しづらいが,黒木翔吾よりも広岡仁一の物語が多いので,そのパートとでの演技力が光っていた。3度あるボクシングの試合シーンは,それなりにしっかり作られていたと思うが,フットワークが少なく,余裕がない感じがした。
 助演陣は,橋本環奈,山口智子,窪田正孝,片岡鶴太郎,哀川翔,坂井真紀,小沢征悦とかなりの豪華版だ。ドラマ部分で人生訓めいたセリフが多いが,もっと少ない方が感動度が増したと思う。旧友役の片岡鶴太郎が好い味を出していた。嬉しくなったのは,仁一の姪・佳奈子役の橋本環奈の存在で,男臭い映画の中での清涼剤であり,彼女の登場場面で心が和んだ。

■『シーナ&ロケッツ 鮎川誠 ~ロックと家族の絆~』(8月25日公開)
 北九州出身のロックギタリスト・鮎川誠の伝記&追悼映画である。日本のロックシーンに大きな影響を与えた「シーナ&ロケッツ」のリーダーであり,伝説のギタリストとのことだ。1978年の結成以来,ヴァーカルの愛妻のシーナと共に歩んで来たが,2015年のシーナの急逝後も,娘2人を加えたバンド活動を継続していた。その活動記録であったが,2023年1月に鮎川誠自身も膵臓ガンで逝去したことから,本作は彼の追悼映画にもなっている。一旦,TBSの番組『シーナ&ロケッツ 鮎川誠と家族が見た夢』として放映,TBSドキュメンタリー映画祭で上映された後,未公開映像を加えて再編集され,劇場公開に至っている。
 鮎川誠は,1948年久留米市生まれで,九州大学卒業。筆者より1学年下だが,まさにビートルズに傾倒した「団塊の世代」である。伝記中で,彼の学生時代に米軍戦闘機が構内に墜落した事件で学生運動が先鋭化する部分は,懐かしかった。バンドとしてのプロデビューには少し時間はかかったが,ハーフで長身のイケメンとなると,若い頃からもてたことだろう。シーナも美形であり,バンドの人気も出る訳で,それだけでロック界のスターになる素質を備えていたという気がする。あまり期待せずに本作を観たのだが,その時間を割くだけの価値はあった。
 当欄では,アーティストの伝記映画を積極的に取り上げていることはご存知の通りだが,その大半は世界的なミュージシャン,作曲家,デザイナー,画家,写真家等々である。その基準で言えば,主人公の知名度は低く,世界水準には達していない。TVでの追悼番組で終わってもおかしくないのが,劇場公開映画となっただけで,注目度も映像記録としての価値も上がる。こうした記録を遺せるかどうかは,故人の純粋な業績だけでなく,人脈,人徳,時代への適合性の総合力による。国内でも,団塊の世代前後で,一時代を築いた著名なミュージシャンは十指に余る。彼らが長生きした場合,伝記映画はもとより,追悼番組すら作られない可能性が大だ。影響を受けて故人を偲ぶ下の世代もあまり残っていないからである。この伝記映画を観ながら,著名人の商品価値は鬼籍に入るタイミングに依存すると感じてしまった。
 
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