O plus E VFX映画時評 2023年11月号掲載

その他の作品の短評 Part 1

(注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています)


■『人生は,美しい』(11月3日公開)
 題名からは,誰もが英題は『Life Is Beautiful』だと思うはずだ。その通りなのだが,ロベルト・ベニーニ監督・主演のイタリア映画の名作『ライフ・イズ・ビューティフル』 (97)のリメイク作ではない。本作は韓国映画のミュージカル・コメディだが,誤解を避けるため,意図的に邦題は日本語にしたのだろう。イタリア映画の原題は『La vita è bella』で,両作とも英題は同じだが,本作は堂々とworld-wideにこの題で通しているようだ。ちなみに,本作は香港では『給自己的情歌』で少しニュアンスが違うが,台湾では『人生真美麗』でほぼ直訳で公開している。イタリア映画に対しては,香港は『美麗人生』,台湾は『一個快樂的傳說』であったから,漢字圏の国は両作を同じ内容と思わせない工夫をしているようだ。
 ベニーニ監督の名作は,ユダヤ系の親子3人がナチスの強制収容所から生き延びる過程を,力強く,明るく描いていた。本作は,ホロコーストほど悲惨ではないが,肺ガンで余命2ヶ月の宣告を受けた専業主婦のセヨン(ヨム・ジョンア)の物語である。時代設定は現代で,彼女が「死ぬまでにやりたいこと10箇条」をリストアップするのは定番だ。その中に「初恋の人に会いに行く」があるのも有り得るパターンだが,典型的亭主関白の夫ジンボン(リュ・スンリョン)を伴っての珍道中というのがミソである。なかなか初恋の男性ジョンウの居場所が見つからず,木浦,東灘,釜山,清州から小さな島の甫吉島まで,韓国全土を渡り歩くロードムービーとなっている。公開時50歳のヨム・ジョンアは,2児の母役で,少しオバサン風であるが,若い頃は美形であったと思わせる。女子高校生時代を演じるパク・セワンが飛び切り可愛く,かつ2人の顔立ちが似ているのが嬉しい。
 終盤,少しホロリとさせるシーンもあるが,基本的には全編で明るく,笑いを誘う。それを支えているのは,全15曲の楽曲で,絶えず歌って踊っている。オリジナル曲ではなく,1970年代から2000年代にヒットした国民の誰もが知る曲で,歌詞が物語にマッチした曲を選んでいる。その内4, 5曲は数十人が,路上や公園や軍隊の訓練場で踊っていた。ディズニー映画は言うに及ばず,インド映画も顔負けのボリュームであった。

■『私がやりました』(11月3日公開)
 軽快な映画が続く。フランス映画で,原題は『Mon crime』だ。有名映画プロデューサーの殺人事件を描いたクライムミステリーで,参考人として尋問された新人女優が,一転して容疑者となり,逮捕される…。となると冤罪で,真犯人が「自分の犯罪」だと認めるのか言えば,間違いではないが,だいぶ様子が違う。こういう邦題になっただけで,コメディだと分かるだろう。「犯人の座」をめぐって3人の女性が繰り広げる騒動で,監督・脚本は名匠フランソワ・オゾンだ。『8人の女たち』(02)と『しあわせの雨傘』(11年1月号)に続き,女性の地位向上を魅力的に探求した3部作の最終章だという。
 舞台となるのは1935年のパリで,売れない新人女優のマドレーヌ(ナディア・テレスキウィッツ)は,大物プロデューサーのモンフェランから役を与える見返りに愛人関係を要求される。この点では,現代の#MeToo問題とそっくりだ。抱きついてきた男を突き飛ばして帰宅したが,この間に彼は射殺されていた。事件の立件を急ぐ判事に容疑者に仕立てられるが,彼女は同居する親友の女性弁護士ポーリーヌ(レベッカ・マルデール)と相談し,「裁判での証言が新聞に載って宣伝になる」と判断して判事の筋書きに同意する。法廷では,ポーリーヌは最終弁論で「正当防衛」を主張し,マドレーヌは涙の被告人を見事に演じ切って,無罪となる。その結果,悲劇のヒロインは一躍有名スターとなり,豪邸も得る…。
 話はこれでは終わらない。マドレーヌの成功に嫉妬して,かつての大女優のオデットが「自分が真犯人で,名声も富も私のもの」と言って乗り込んで来る。演じるのは,あのイザベル・ユペールだ。先月の社会派映画『私はモーリーン・カーニー 正義を殺すのは誰?』(23年10月号)では冤罪の被告人が無罪を勝ち取る真面目な役であったが,本作は『エル ELLE 』(17年9月号)並みの怪演で,正にハマり役の困った熟女だった。
 オゾン監督は彼女をコミカルに描くともに,司法・警察のいい加減さもこき下ろしている。その半面,1930年代のパリの風景,アールデコ風のインテリア,女性達の華麗な衣装等への気配りも怠りない。軽妙洒脱を絵に描いたような映画だが,過去のオゾン作品とは一味違う。近作の『婚約者の友人』(17年11月号)『2重螺旋の恋人』(18年7・8月号)『グレース・オブ・ゴッド 告発の時』(20年7・8月号)『Summer of 85』(21年7・8月号)と比べてみると,この監督の手腕がよく分かる。

■『理想郷』(11月3日公開)
 次はスペイン&フランスの合作映画だが,軽妙さとは無縁の映画だ。キラキラしたユートピアだと思わなかったが,「理想だと思ったその土地は,地獄でした」のコピー通り,重苦しく,救いはないのかと逃げ道を探したくなるヒューマンドラマである。フランス人の夫妻が余生を過ごすのに,スペインの緑豊かな山岳地帯ガリシア地方の小さな村を選んで移住し,有機野菜栽培を始める。村に点在する廃虚の修繕も,過疎化が進む貧しい村の活性化に繋がると考えた夫妻の思惑とは裏腹に,村民の態度は冷たかった。とりわけ隣人の兄弟シャンとロレンソは敵対心丸出しで,彼らから激しい嫌がらせを受ける(例えば,井戸にバッテリー液を流され,野菜は全滅する)
 前半は,夫アントワーヌ(ドゥニ・メノーシェ)の視点で進行する。彼は必死の抵抗と説得を試みるが,都会から来た理性的な他所者の言葉は,未来のない地元の野獣的な住民には通じず,反感と怒りを招き,不幸な出来事へと発展する。この間で,スペイン語,フランス語,ガリシ語が入り乱れる。1997年にスペインに移住したオランダ人夫妻に起きた実話がベースとなっている。
 後半は,夫が行方不明になっても,フランスに戻らず,この村で独り住まいを続ける妻オルガ(マリナ・フォイス)が主人公の物語だ。帰国と同居を勧める娘の説得に応じず,自分の人生に対する強い意志をもつ女性を見事に演じ切っている。主演のM・フォイスは,『シャーク・ド・フランス』(23年8月号)と上述の『私はモーリーン・カーニー…』(23年9月号)に続いて,短期間に3度目の登場だ。『私は…』では,I・ユペールの盟友アンヌ役であったが,本作のオルガが最も魅力的な女性であった。I・ユペールの上記の怪女ぶりとは真逆の凛とした主役に,何たる違いかと驚いてしまった(笑)。
 この種の対立やいじめは,どの国のどの組織にもあり得る話なのだが,日頃から洋画のヒューマンドラマの方が感情移入しやすいと感じる。小説ならそうではないのに,邦画だと安っぽく,嘘だらけに思うのは,恐らくよく見る日本人俳優でイメージが違うと,途端に物語の作為を感じやすく,作り物感が強くなるためかと想像している。その点,洋画だと役柄そのものを抽象的に捉え,物語のエッセンスをピュアに受け止めてしまうのではないか。字幕という記号的な情報の介入が,物語への没入の純化を高めているというのが私見である。

■『サタデー・フィクション』(11月3日公開)
 ずばり言えば,暗い映画で,分かりにくい映画だ。太平洋戦争開戦直前の7日間を描いたスパイ映画で,物語は1941年12月1日から始まる。即ち,日本軍の真珠湾攻撃の直前で,開戦は必至であり,日本軍がどこを襲うかを探る諜報活動がテーマである。舞台となるのは,日米欧中の諜報員が暗躍する魔都・上海で,映画の冒頭は「1937年11月に上海は陥落したが,日本軍の侵入を免れた英仏租界は“孤島”と呼ばれていた」なる文から始まる。監督は上海出身の名匠ロウ・イエ(婁燁)で,これが監督作11作目で,上海を舞台とする映画は4作目である。マーティン・スコセッシ監督のNYに関する思い入れと相似形のようだ。原作としては,女スパイが主人公のホン・インの小説「上海の死」がベースで,そこに中国共産党の女性闘士を描いた横光利一の小説「上海」を織り交ぜた複雑な脚本となっている。
 主人公は,人気女優のユー・ジン(コン・リー)で,フランス情報機関の工作員という裏の顔ももっていた。新作舞台の主演のため,久々に上海を訪れる。孤児院生活から救い出してくれた恩人ヒューバート(パスカル・グレゴリー)から,日本の海軍少佐・古谷三郎(オダギリージョー)に接触し,奇襲作戦の情報を得るという任務を命じられていた。物語は,治外法権のある「孤島」内での各国の諜報活動,中国内の政治的対立,日本軍の思惑が複雑に絡み合い,劇中では中国語・英語・フランス語・日本語が頻繁に切り替わる。そんな中で,物語の鍵となるのは,ユー・ジンが古谷の亡き妻・美代子に瓜二つだという点だ。銃撃戦で負傷した古谷の病床で,彼女が催眠術をかけて情報を聞き出すシーンは圧巻だった。
 物語の分かりにくさは,原題が『蘭心大劇院』なのに,海外では『Saturday Fiction』であることとも無縁ではない。即ち,前者はユー・ジンが出演する劇場名で,後者はそこで演じる舞台劇の題名である。小説「上海」をベースにした劇中劇のセリフが映画本編にも再三登場し,観客を混乱させる。異色のスパイ映画であり,終盤は緊迫感もある。「暗い」と言ったのは,物語でなく,映像そのもののことだ。監督が一度はやってみたかったモノクロ映画であるが,決して「美しい鮮やかなモノクロ映像」ではない。ただただ単純に暗く,人物の識別や表情の読み取りにも苦労した。時代を象徴するには「モノクロ」も悪くないが,この映画はカラーで観たかった。

■『火の鳥 エデンの花』(11月3日公開)
 日本が誇る「漫画界の神様」の手塚治虫のワイフワークを映画化したアニメ作品である。若い世代には「ブラックジャック」が代表作かも知れないが,筆者の世代には「火の鳥」は格別の思いがある名作だ。『沈黙の艦隊』(23年9月号)の中でも書いたが,「火の鳥」は筆者の漫画歴の中でもBest 1なのである。本作は,アニメ制作会社の「STUDIO4°C」が,7年の歳月をかけて製作した初の劇場用映画だそうだ。プレス資料を見ると,監督・キャラクター原案・絵コンテ担当の西見祥示郎,キャラクターデザイン・総作画監督の西田達三,エグゼクティブプロデューサーの田中栄子の3氏の思い入れと,本作に賭ける意気込みがひしひしと伝わってくる。愛読者としての思い入れにかけては筆者も引けを取らないので,その視点から本作を論じてみたい。
 壮大なテーマの「火の鳥」は,全12編からなる連作のシリーズである。過去と未来を往復し,次第に現代に近づくという円環構造になっている。見かけ上は1話完結ではあるが,ある編の重要人物が別の編に現われて,物語が繋がっていることもある。本作は,第8章に当たる「望郷編」をアニメ化している。もう少し厳密に言えば,マンガ少年版の「望郷編」が原作で,それをかなり脚色している。「火の鳥」は掲載していたマンガ雑誌は何度も休刊になったという不幸な歴史がある。新たな掲載誌に移るたびに,手塚治虫自身が過去作のストーリーを変え,絵も描き換えているのは,決定版を求める愛読者には嬉しいことではなかった。筆者にとっての個人的Best 1は,雑誌COM連載の「黎明編」から「復活編」までの6編であり,特に「未来編」と「復活編」が秀逸だと評価している。後半の6編は原作者が迷いながら描いた不安定な作品群であり,COM版とマンガ少年版で内容が全く異なる「望郷編」は,余り好きになれない作品だ。
 本作では,訳あって地球から逃亡したロミ(宮沢りえ)と恋人のジョージ(窪塚洋介)が,辺境惑星エデンに降り立つ。厳しい辺境生活で,まもなくジョージは事故で落命する。ロミは息子カインのために少しでも長く生きようとコールドスリープに入るが,機械の故障で1300年間も眠り続ける。眠りから覚めたロミは新人類が築いた町の女王となるが,望郷の想いが強くなり,悲しみに暮れる。それを知った心優しい少年コム(吉田帆乃華)は2人で地球に行こうと,広大な宇宙へと飛び出す…。原作に描かれている近親相姦の話題は除いている,1300年も眠らせ,ロミを死なせないのも本作の改変だ。ほぼ同じ内容で,結末だけを変えた『火の鳥 エデンの宙』(全4話)がDisney+からネット配信されている。筆者は両方を見比べたが,五十歩百歩で,さほどの違いを感じなかった。映像が美しいので,映画館で観る価値はある。
 画調は,人物は2Dセル調の単純な線画で,背景は3D-CGベースの精緻な描画である。日本のアニメファンには馴染みやすいスタイルだ。岩型宇宙船のデザインは,良くできていた。国際的にはフルCGの方が通用しやすいが,見慣れるとこれでもいいと思える。ただし,人物はオリジナルの手塚マンガ風の顔立ちで描いて欲しかったところだ。大幅に脚色されたこの「望郷編」は,ある意味で典型的な手塚調のSFアニメとなっている。20世紀半ばの宇宙開拓時代から見た未来なのである。「火の鳥」フリークの筆者の目で見て,絶賛はしないが,十分許容できる手塚アニメに仕上がっていた。

■『おしょりん』(11月3日公開)
 驚いたことに,この映画の冒頭は「福井県ニュース」(約4.5分)から始まった。県内の観光名所,味の名産品,伝統工芸から恐竜博物館までが紹介されている。2024年3月に北陸新幹線が延伸され,現在の石川県金沢駅から先に6駅(福井県内に4駅)が新設され,敦賀駅が終着となる。それとタイアップした地域振興のCMであった。やがて新幹線の走行映像はトンネルを抜けると雪原を走る蒸気機関車へと替わる。空を舞う美しい丹頂鶴の姿とともに,ようやく題名の「おしょりん」が登場する。そうだった。明治時代の眼鏡作りを描いた映画を観るのであった。
 作家・藤原陽子の同名小説の映画化作品で,日本の眼鏡の95%を生産する同県の眼鏡産業をゼロから立ち上げた増永一族を描いた実話である。舞台は福井県足羽郡麻生村で,物語は明治28年9月から始まる。主人公は庄屋の長男・増永五左衛門(小泉孝太郎)に嫁いだ妻・むめで,北乃きいが演じている。和風美人で,まさに適役だ。大阪で働いていた五左衛門の弟・幸八(森崎ウィン)が帰郷し,過疎の村を救う新産業として眼鏡作りを提案する。そこから先は,艱難辛苦はあるものの,基本的はオーソドックスな開発成功物語である。眼鏡のフレーム作りの素材選択や工程説明は丁寧で,津軽塗を描いた『バカ塗りの娘』(23年9月号)と好一対だ。時代考証もしっかりしていた。ロケでは現存する昔ながらの家屋(重要文化財を含む)を利用し,道具類はすべて本物で,全編で質感はたっぷりだった。
 監督・脚本は児玉宜久。この監督は,以前にも福井県を舞台とした『えちてつ物語~わたし,故郷に帰ってきました。~』(18年11・12月号)』を撮っていた。同県出身なのかと思ったら,東京都出身者だった。同作の縁で,再度依頼されただけらしい。『えちてつ物語』ほど他愛ない映画ではないが,本作の演出もNHKの朝ドラのレベルに留まっていた。芸達者な助演陣,かたせ梨乃,榎木孝明,津田寛治,佐野史郎,東てる実らの演技力も活かされていない。ヒューマンドラマとしての感動度も今イチだ。ただし,県をあげての地域振興の熱量には好感が持て,応援したくなる。金沢以西に行ったことのない読者には,北陸新幹線延伸を機に,東尋坊,永平寺,三方五湖には,一度行ってみることを勧めたい。

■『ナイアド その決意は海を越える』(11月3日配信開始)
 最近観たNetflix独占配信作品を2本書き加えておこう。同社だけでも毎月多数の映画がネット配信されているが,その中から厳選した秀作2本である。まずは,64歳でフロリダ海峡を泳いで渡った女性マラソンスイマーを描いた映画である。監督は『フリーソロ』(19年7・8月号)でアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞に輝いたエリザベス・チャイ・バサルヘリィとジミー・チンの夫婦監督だった。他にも『MERU/メルー』(15)や『リターン・トゥ・スペース』(22年Web専用#3)等の優れた冒険ドキュメンタリーを生み出しているので,当然本作もそうだと思ったのだが,これは夫妻監督初の劇映画として製作されていた。ただし,内容は達成者本人の著書「対岸へ。オーシャンスイム史上最大の挑戦」(三賢社刊)があるように,完全な実話であり,ほぼその内容に沿った描いたヒョーマンドラマである。
 1949年NY生まれのダイアナ・ナイアドがその人で,キューバの首都ハバナから米国フロリダ州キーウェスト間の海峡の横断遠泳が目標である。26歳の時にNYマンハッタン島の周囲45kmを8時間弱で泳ぐ新記録で注目を集めた女性スイマーである。28歳でフロリダ海峡横断に挑戦したが,失敗して一旦は引退した。ところが,どうしても諦め切れず,60歳を過ぎてから再挑戦を決意し,練習を再開する。既に全盛期の体力はないはずなのに,還暦後にこの挑戦心をもつことには感心したが,映画を見始めて,それほどの偉業なのかと怪しんだ。全行程で伴走船がいて,複数のスタッフな様々な世話をしている。こんな見守りつきの水泳に意味があるのか? さらに,英仏間のドーバー海峡横断は何度も達成されており,寒い海のドーバーに比べて,温暖なフロリダの海峡がそんなに大変なのかと……。
 映画を観る内に,少し考え直した。ヒマラヤ登頂とて大人数のチームで挑み,シェルパも雇用する。カーレースは,ピットの助けがあっても完走がままならない。五輪級の競技はいずれも一流コーチが付き,様々な練習メニューが用意されている。真に困難な挑戦で他に例がないなら,しかるねきチーム編成をして,万全な態勢で挑むのも当然ではないかと。ドーバーとは圧倒的に条件が違っていた。ドーバーが約34kmで,約15時間余の横断泳であるのに対して,フロリダ海峡は約160mもあり,最低で40数時間を不眠で泳ぐ必要がある。加えて厄介なのは,常時多数のサメが泳いでいて,毒クラゲも襲って来る海域なので,その対策が不可欠である。嵐にも頻繁に遭遇するという。サメよけのケージに入っての成功例はあるが,ナイアドはケージなしでの挑戦だという。なるほど,それなら,サメとクラゲ対策を施し,天候や海流分析の専門家からなるチーム力で臨むのも理解できる。その場合とて,最後まで泳ぎ切れるかは,ナイアド1人の体力と精神力によるものだ。
 それでも復帰後に3度の挑戦に失敗し,ようやく2013年に計5度目の挑戦で目的を達成する。映画では簡略化されていたが,5台の伴走船,40人のスタッフを伴って,実質177kmを53時間かけて泳ぎ切った。成功すると分かっていても,ヘトヘトになりながら,キーウェストの浜辺に独力で辿り着いた姿には感動した。同時撮影の映像記録はあったはずだが,これを劇映画として描いたのも正解だと思う。ダイアナを演じた主演女優は,名優アネット・ベニングで,彼女を励まし続ける親友兼コーチのボニー役をジョディ・フォスターが演じている。このオスカー女優2人の掛け合いが絶妙で,女性中心のヒューマンドラマとしても出色の出来映えとなっている。この映画に励まされ,人生の再出発を期す女性観客は少なくないだろう。

■『ザ・キラー』(11月10日配信開始)
 もう1本は,鬼才デヴィッド・フィンチャー監督の最新作で,前作『Mank/マンク』(20年Web専用#6)に引き続きNetflix独占配信を選択したことになる。同作は映画史に残る名作『市民ケーン』(41)の誕生秘話であり,共同脚本家のハーマン・J・マンキーウィッツの伝記映画でもあった。同年のアカデミー賞最多10部門にノミネートされ,撮影賞,美術賞を受賞した秀作であったが,一転して本作はエンタメ性の高いクライムサスペンスである。フランス製のグラフィックノベルシリーズ『The Killer』の映画化作品で,主人公の殺し屋クリスチャンには『プロメテウス』(12年9月号)『エイリアン:コヴェナント』(17年9月号)のマイケル・ファスベンダーが配されている。
 全体は7章構成だが,「第1章 パリ/標的」は主人公の暗殺者の語りで始まる。暗くて寒いビルの一室で,向かいのビルの標的を狙撃する好機を伺っているが,知的な風貌とクールな語りに痺れる。当然,観客の誰もがゴルゴ13並みの絶妙な射撃を期待するが,何と彼はこの暗殺に失敗してしまう。痕跡を残さぬ後始末と国外脱出はさすがプロと思わせる手際で,舞台は「第2章 ドミニカ共和国/隠れ家」へと移る。彼の自宅は何者かに荒らされていて,留守宅を預かっていた愛人の女性は重傷を負っていた。襲撃者は,暗殺の依頼人か手配師が失敗したクリスチャン彼を抹殺するために送り込んできたと思しき男女で,ただちに彼は反撃を開始する。舞台はニューオーリンズ,フロリダ,NY,シカゴへの目まぐるしく移り,クリスチャンは恐るべき闘争能力で次々と敵対人物達を殺戮して行く……。
 数えてみれば,本作はフィンチャー監督の長編13作目で,過去作12本はすべて観ていて,当映画評連載開始後の8本は欠かさず取り上げていた。『ファイト・クラブ』(99年12月号)や『ゾディアック』(07年6月号)は肌が合わないと感じたが,『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』(09年2月号)以降の5本はすべて評価をしている。この監督は多彩な作品を手がけているが,サスペンスものでのストーリーテリングと緊迫感の演出が非凡な監督との印象が強い。
 本作には,出世作となった『セブン』(95)のような味わいを感じてしまった。猟奇殺人事件を追う刑事たちと自らの狙撃失敗を冷静に分析する暗殺者では,随分立場が違うのだが,映画作りのテイストが似ていると感じた。それもそのはず,本作の脚本は『セブン』のアンドリュー・ケヴィン・ウォーカーで,フィンチャー監督とは5度目のタッグである。撮影監督は『Mank/マンク』でオスカーを得たエリック・メッサーシュミット,音楽担当は『ソーシャル・ネットワーク』(11年1月号)以降のフィンチャー作品を支えてきたトレント・レズナー&アティカス・ロスのコンビとなると,本作もまた評価となったのは当然の成り行きであった。

■『ぼくは君たちを憎まないことにした』(11月10日公開)
 この題名なら,本来は憎むべき相手(敵?)がいるはずだが,それが卑劣な競争相手なのか,強盗や詐欺団のような犯罪者なのか想像できなかった。少しして,テロで妻子を殺された夫が,テロリスト達に宛てたメッセージではなかったかと気付いた。ただし,学校での銃乱射事件だったのか,群衆の中にクルマで突入したテロなのか,いつどの国で起きた出来事なのか全く思い出せなかった。本作は,パリ同時多発テロ事件で最愛の妻を亡くした夫が,残された1人息子とどう生きて行くかを綴った同名の手記の映画化作品であった。
 2015年11月13日の夜,パリ中心部のレストランやバー,音楽公演の劇場,郊外のサッカー競技場等をISIL(イスラム国)が襲撃したテロで,死者130名,負傷者300名以上を生んだ大惨事である。本作の主人公は,ジャーナリストのアントワーヌ・レリスで,ヘアメイクアーティストの妻エレーヌは友人とバタクラン劇場に出かけ,銃撃に遭遇して落命する。事件は知ったが,安否が分からぬままアントワーヌはパリ中の病院を奔走するが,ようやく遺体と対面できたのは2日後だった。残された生後17ヶ月の息子メルヴィルを保育園に送り届け,食事,入浴や身の回りの世話をする中で,「僕は君たちに憎しみを贈ることはしない。憎悪に怒りで応じることは,君たちと同じ無知に陥ることになるから。君たちの負けだ。僕たちは今まで通りの暮らしを続ける(後略)」という決意表明をFacebookに投稿する。それが世界中の反響を呼び,ルモンド紙に転載されたことでアントワーヌは一躍時の人となるが……。悲しみくれながらも,力強く生きようとする彼の2週間が描かれている。
 この夫を演じたのは,ピエール・ドゥラドンシャン。『エッフェル塔~創造者の愛~』(23年3月号)でエッフェルの友人の記者役,『私はモーリーン・カーニー 正義を殺すのは誰?』(同10月号)でモーリーンに自作自演だと追求した警部役の男優である。前者の名前がアントワーヌ・ド・レスタックで,同じアントワーヌであることに運命めいたものを感じた。言うまでもなく,両作よりも,主演の本作で最も繊細な演技を見せていた。
 夫が狂ったように妻の行方を探すのは,自分もそうするだろうし,息子と2人で生きて行くこともできると思う。ただし,こんな高潔なメッセージを犯罪者に送る自信はない。これが話題になったことは思い出したが,どんな事件だったか覚えていなかったことに,少し恥じ入った。この映画では,当然,劇場での銃撃の模様がリアルに描かれ,最後は元気に暮す親子の現在の様子や,実在の人物の顔写真を登場するものと思っていた。本作の監督・脚本は,ドイツ人のキリアン・リートホーフ。この監督は,犠牲者やその家族を再び傷つけないためもその種の描写は避けたという。実話ベースの映画の通俗的な表現を期待したことに,もう一度恥じ入った。

■『花腐し』(11月10日公開)
 題名から内容を予想する前に,どう読むのか分からなかった。「はなくたし」と読むそうだ。万葉集の歌からとった言葉らしい。当然邦画であり,原作があって純文学だと想像できる。綾野剛と柄本佑のW主演というので,余り純文学向きではないなと思いつつも,食指が動いた。意気投合した男2人の回想談義であり,それぞれの過去を語る内に,同じ女性を愛していたことに気付くという設定である。原作は,松浦寿輝の同名小説で芥川賞受賞作とのことだ。
 家賃を払えず事務所に居候している男・栩谷(綾野剛)が大家に依頼され,取り壊したい家屋に居座る住人・伊関(柄本佑)に立ち退き交渉に訪れる。前者が斜陽産業のピンク映画の監督(綾野剛)で,後者が脚本家志望だが,5年間何も書けずにいる居住者(柄本佑)で,2人が愛した女性は,売れない若手女優・祥子(さとうなおみ)であった。部屋は新宿から大久保の間にある木造二階建てのアパートとなると,このキャスティングにも納得できた。劇中の現在は2012年で,これをモノクロで描き,祥子が登場する2000年以降の過去をカラーで描くといった変則の上映方法を採用している。
 監督・共同脚本は荒井晴彦。『Wの悲劇』(84) 『大鹿村騒動記』(11年7月号)等の脚本家として高名だが,監督は『火口のふたり』(19)以来で,これが4作目である。彼が企画・脚本を担当した『福田村事件』(23年9月号)では,「人妻と船頭の不倫,愛欲シーンは不要だ」と書いたが,この映画の設定ゆえ,裸体や性交シーンが何度も登場する。荒井監督自身がピンク映画畑の出身だ。原作者・松浦寿輝は詩人で東大名誉教授の純文学者である。原作は新宿の性風俗街に通う男とそこで働く女性を描いた短編であるが,それをピンク映画監督と脚本家の会話に大幅に脚色してしまった腕には感心した。ただし,物語も会話もおよそ面白くなかった。大胆な演技の「さとうなおみ」はこれまで知らなかったが,魅力的な女性だ。ロックバント「ゲスの極み乙女」の女性ドラマーで,その時は「ほな・いこか」と名乗っているらしい。

(11 月後半の公開作品は Part 2に掲載しています)

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