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O plus E 2020年Webページ専用記事#6
 
その他の作品の短評
  (注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています。)  
   
   『シカゴ7裁判』:メジャー系の大作が軒並み公開延期になる中で,夏頃から単館系作品は堅実なペースで陽の目を見てきた。それらに時間と紙幅を割いたため,しばらくネット配信系の映画に目配りする余裕がなかった。久々にこの短評欄で,Netflixオリジナル映画の優秀作を数本取り上げておこう。まずは,ベトナム戦争への抗議活動で逮捕・起訴された被告7人(シカゴ・セブン)に関する法廷劇で,10月16日から配信されている。この裁判のことは全く知らなかったが,米国ではよく知られた事件だそうで,史実に基づくドラマである。時代は1968年,世界的に反戦ムードが溢れていて,米国では若者たちの良心的徴兵拒否が続いていた。日本でも全共闘運動の嵐が吹き荒れ,東大・安田講堂の攻防はその翌年の1月のことであった。1968年はメキシコ五輪の年,即ち米国大統領選の年であり,シカゴでの民主党全国大会の会場近くで起きた抗議デモの参加者と警察との間に起きた衝突が克明に描かれている。同時代に学生運動の一端に関わっていた筆者には,反戦側に過激な態度も,検察側の強硬な姿勢も想像がつき,頷くことばかりだ。とりわけ,ハネ上がりの2人(アビー・ホフマンとジェリー・ルービン)は,いかにもこういう学生運動家がいたなと思い出す。その一方で,米国ではこういう風に有罪にされてしまうのかと刮目し,陪審員の買収や盗聴には米国ならあり得ることだと納得する。最も印象深かったのは,裁判長の傲慢な態度であり,弁護側の証人として前司法長官が証言したのにも驚いた。被告らにはエディ・レッドメイン,ジョセフ・ゴードン=レヴィット,サシャ・バロン・コーエン,前司法長官にはマイケル・キートンらの名の通った俳優がキャスティングされている。監督・脚本は,アーロン・ソーキン。『ソーシャル・ネットワーク』(11年1月号)でアカデミー賞脚本賞を受賞し,初監督作品『モリーズ・ゲーム』(18年Web専用#2)では辣腕女性経営者の法廷劇を見事に描いていたから,この種の社会派映画は得意中の得意だ。これほど面白い法廷劇は久々だった。なかんずく「共謀事務所」の事務員のジョークは大いに笑え,この監督の余裕すら感じた。
 『Mank/マンク』:こちらも話題作だ。オーソン・ウェルズ監督・主演の不朽の名作『市民ケーン』(41)の誕生秘話を描いた映画である。この映画史に残る一作でアカデミー賞脚本賞を得た脚本家ハーマン・J・マンキウィッツの愛称が「マンク」で,名優ゲイリー・オールドマンが演じている。O・ウェルズからの依頼で,彼の初監督作品の脚本執筆の依頼を受けた彼は,アルコール依存症に苦しみながら,砂漠に囲まれた観光牧場に缶詰めになり,ようやく脚本完成にこぎ着ける。途中,何度も回想シーンが挿入され,ケーンのモデルとされる新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストの介入,加州知事選挙にまつわるエピソード等,製作の舞台裏や時代背景がよく分かる。セリフが洒脱で,皮肉もたっぷりだ。『市民ケーン』自体を彷彿とさせるモノクロ映像を踏襲し,1930年代のハリウッド周辺やスタジオ内を再現している。大半はCG/VFXの産物だろうが、モノクロなのでVFXシーンは少し作りやすい。カラーよりも細部の仕上げが楽だからだ。監督はデヴィッド・フィンチャーで,脚本は彼の父親ジャック・フィンチャーが2003年に書き上げた遺稿とのことだ。MGMとRKOの関係や,スタジオ内でのいざこざ等,ハリウッド映画界の内幕描写も生々しい。その映画化にメジャー系なら腰が引けるところを,新興勢力のNetflixゆえに実現できたのかと想像する。劇中でO・ウェルズを演じるのはトム・パーク。あまり馴染みのない男優だが,若き日のO・ウェルズには似ている。女優陣は,ハーストの愛人マリオン役にアマンダ・セイフライド,マンクのアシスタントのリタ役にリリー・コリンズが配されている。『市民ケーン』に関する一通りの知識があった方が,本作がもつ意味を理解しやすい。筆者は本作を観た後で『市民ケーン』を観直したが,かつてとは違った味わいで眺めることができた。
 『マ・レイニーのブラックボトム』:いわゆるブラック・ムービーで,2人の黒人俳優のパワフルな演技が堪能できる。マ・レイニーとは「ブルースの母」と呼ばれた実在の黒人女性歌手で,1920年代のレコード販売市場で絶大な人気を誇ったらしい。本作の舞台となるのは1927年のシカゴで,彼女と黒人ジャズバンドのレコーディング風景にまつわる人間関係と時代背景が描かれている。傲慢な女性歌手,野心家の若きトランペッター,ベテランのミュージシャン達が登場し,リハーサルの待機室で語られるのは黒人受難の数々の物語だった。直接白人から迫害を受けるシーンはないが,黒人アーチスト同士の対立の中に,彼らの悲しい人生や怒りが詰まっている。その底流には,100年以上にわたる不平等が横たわっている。観ていて辛いというより,腹立たしい。こんな映画は観たくないと思いつつ,引き込まれてしまう。劇作家オーガスト・ウィルソンが1982年に書いた戯曲を,デンゼル・ワシントンが映画化に乗り出し,ジョージ・C・ウルフ監督にバトンタッチしたとのことだ。興味深いのは,この原作が世に出るまで,こんな時代があったことを米国人の大半が知らなかったということだ。マ・レイニーを演じるのはオスカー女優のヴィオラ・デイヴィスで,実在のマに似せるため,メイクで無理に老けさせ,大胆に太らせている。もの凄い迫力だ。一方の才能あるトランペット奏者レヴィー役は『ブラックパンサー』(18年Web専用#1)のチャドウィック・ボーズマン。去る8月28日に鬼籍に入ったので,本作が彼の遺作である。末期の大腸癌での闘病中の演技は,まさに鬼気迫る熱演だった。合掌。
 『燃えよデブゴン/TOKYO MISSION』:ここからは一般の劇場公開映画だ。この題名からは,どう考えてもカンフーもののお馬鹿映画としか思えない。キービジュアルからも,かなり太めの間抜け面の男が主人公だと分かる。「待てよ,昔この題名のシリーズがあったはずだ」と調べてみたら,1978年の香港映画『燃えよデブゴン』があった。ブルース・リーと共演経験があり,彼を私淑するサモ・ハン・キンポーが自ら監督・主演したパロディ映画で,日本ではヘラルド映画配給で1981年に公開されている。主人公が小太りとはいえ,結構真面目なカンフー・アクション映画であったから,パロディではなく,オマージュ作品だったと言うべきか。ブルース・リーの『燃えよドラゴン』(73)の原題が『Enter the Dragon』なので,原題『肥龍過江』,英題『Enter the Fat Dragon』の同作の邦題を『燃えよデブゴン』としたのは妥当な選択だったと言える。この映画がそこそこヒットしたので,その後のサモ・ハン・キンポー主演作にはすべて「(燃えよ)デブゴン」を付したようだ。さて,原題(中国語)も英題も同じ本作は,日本が主たる舞台となることから邦題には「TOKYO MISSION」が付されている。一応リメイク作の扱いだが,設定はだいぶ違う。仕事一辺倒過ぎて婚約者に逃げられた熱血刑事フクロンが,ヤケ食いの余り,120kgに激太りするという。やっぱりお馬鹿映画かと思ったが,主演男優を知って驚いた。何と何と,『イップ・マン』シリーズのあのドニー・イェンではないか! 痩身で,冷静沈着な役柄は,『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』(17年1月号)の盲目の僧侶役でも踏襲されていたのに,何を好んでこんな超デブ男を演じるのだ? 素顔を思い出せないほどの特殊メイクを施され,この肥満体形でカンフーができるのか? こりゃ観ない訳にはいかない。メガホンをとるのは『るろうに剣心』シリーズのアクション監督の谷垣健治で,これが監督デビュー作である。ヤクザとの麻薬抗争で容疑者が日本に逃げ込んだというので,主な舞台は香港から東京に移り,歌舞伎町や築地が登場する。外連の連続で,カラフルな東京タワーは,いかにも香港から見た東京のイメージだ。日本側の捜査協力者・遠藤警部を演じるのが竹中直人というだけで,ハチャメチャなコメディであることは想像できる。それでも,果たせるかな,しっかりとアクション映画だった。この(仮装)体形で,これだけの鋭い動きが出来るのは流石だ。「太っても,最強」「デブだけどカッコいい!」というのは誇大広告ではない。エンタメとしては,素直に面白い。ただし,やはりドニー・イェンがこの役をやるべきだったかの疑問は残る。再度,番外編でイップ・マンを演じたとしても,きっと笑ってしまうに違いない。
 『甦る三大テノール 永遠の歌声』:言うまでもなく「三大テノール」とは,ルチアーノ・パヴァロッティ,プラシド・ドミンゴ,ホセ・カレーラスの3人のことである。本来ライバルで競演など考えられなかった3人を同舞台に立たせたコンサートは,1990年ローマで開催のサッカーW杯の前夜祭で実現された。本作は,その30周年記念として企画されたドキュメンタリー映画である。既にパヴァロッティは2007年に鬼籍に入っているので,もはや再結成は有り得ないが,3人揃ったステージは人気を博し,その後4回のW杯前夜祭だけでなく,17年間に何度も世界中で公演があり,我々を魅了した。英語では「Three Tenor」に過ぎないのに,日本では「三大テノール」と呼んだことも成功要因だろう。少なくとも,一般人のオペラへの関心を高めたことは,間違いなく大きな功績である。コロナ禍で,マスコミ試写の大半がオンライン試写となる中で,この映画は大きなスクリーン,音響効果の良い試写室で観たいと思い,外苑前のGAGA試写室まで足を運んだ。同じギャガ配給の『パヴァロッティ 太陽のテノール』(20年7・8月号)が素晴らしい出来映えのドキュメンタリーだったからである。ところが,残念ながらその期待は裏切られた。ステージ映像もそのサウンドも半分以上はTVレベルの品質だった。古い記録映像の画面は左右がカットされた4:3で,高音は割れてしまっていた(この試写室のせい? 元々?)。その半面,結成までの経緯,最初のリハーサル,各公演のバックステージの様子はお宝物だった。コンサートの記録映像では,94年W杯時のLAのステージでの「マイウェイ」の熱唱に,会場にいたフランク・シナトラが立ち上がって拍手する光景が感動ものだ。元は白血病を克服したカレーラスの快気祝いを兼ねたイベントであり,彼の伸びやかな高音の見事な復活劇であったことが伺える。ところが,この映画のインタビューに登場する彼は,痩せこけて弱々しく,6歳年長のドミンゴよりも老人に見える。どこか悪いのではないか,これで現役として歌えるのかと少し心配になった(去る11月の日本公演が延期になったのは,コロナ禍のためのようだが)。
 『ハッピー・バースデー 家族のいる時間』:ある家族の愛憎劇を描いたフランス映画で,誕生日を祝われるのは主演のカトリーヌ・ドヌーヴだった。昨年は是枝裕和監督の『真実』(19年9・10月号)で健在ぶりを目にしたが,古稀を過ぎてからの出演作は10指に余る勢いの現役の大女優である。彼女の役柄は,フランス南西部の自然に囲まれた邸宅で,夫のジャンや孫娘のエマと暮す老女のアンドレアだ。彼女の誕生日に子供や孫たちが一堂に会するが,その中に厄介者が久々に顔を見せて,騒動を起こすという物語設定である。よくある設定で,最近観た中では,邦画では『ひとよ』(19年Web専用#5),洋画では『ベン・イズ・バック』『家族にサルーテ!イスキア島は大騒動』(いずれも19年5・6月号)を思い出す。本作での問題児は3年間行方不明だった長女のクレール(エマニュエル・ベルコ)で,彼女が事実上の主演と言える。本音をぶつけ合うドタバタ劇で,各俳優の演技力が光っていたが,やはり個性豊かな長女役の鬼気迫る演技が抜群だった。監督・脚本はセドリック・カーンで,常識人の長男ヴァンサンも演じている。映画監督志望の次男ロマン(ヴァンサン・マケーニュ)が,小津安二郎作品のカメラアングルやカット割り等の撮影技法を長々と話題にするくだりは,日本人として少し誇らしかった。挿入歌のシャンソンがどれも美しい。楽しく,悲しく,愛しく,そして切なく,これぞ家族の物語だ。結末も,ハリウッド映画のようなベタな家族の愛情表現でないのがいい。
 『パリの調香師 しあわせの香りを探して』:フランス映画が続く。こちらはフランスの片田舎ではなく,花の都パリが舞台だ。主人公は有名ブランドの香水を調合してきた天才調香師の女性のアンヌで,ディオールの撮影協力を得て,エルメスの専属調香師の監修で実現した映画というから,映像も音楽も洗練されている。それならいっそ臭いの出る映画であって欲しかったが,テーマパークのアトラクションではないので,そこまでは無理だった。仕事の重圧感と多忙から,アンヌ(エマニュエル・ドゥヴォス)は4年前にあろうことか嗅覚障害になり,地位も名声も失ってしまう。その後,嗅覚は戻ったが,役所関係の地味な仕事しかなくなった彼女に運転手として雇われたギヨーム(グレゴリー・モンテル)は,定職がなく,離婚して娘の親権も奪われそうになっていた崖っぷちの下層階級の男だった。我が侭なアンヌに不器用なギヨームは振り回されるが,素直な物言いの彼の心遣いにアンヌが次第に心を開いて行き,やがてギヨームにも臭いを嗅ぎ分ける才能があることが判明する…。身分の違う孤独な2人の再起の物語で,結末がハッピーであることは副題から容易に想像できるだろう。気難しい女性主人と男性運転手の心の交流は,オスカー受賞作『ドライビング Miss デイジー』(89)を思い出す(女性主人公はぐっと若いが)。あるいは,衝突しながらも互いに尊重し合って行く関係は,同じフランス映画のヒット作『最強のふたり』(12年9月号)にも似ている。監督・脚本は,これが長編2作目のグレゴリー・マーニュ。この映画の冒頭で,運転手役の男優を見て驚いた。横顔がカルロス・ゴーン被告にそっくりだったからだ。出身国は違うので,血縁関係はないと思うが,同じフランスに住んでいたというだけで,ここまで似るものなのか(まさか,叔父は楽器ケースに入って不法出国した被告人と明かす訳に行かないだけじゃないだろうが)。ただし,彼が運転していたクルマは,ルノー製ではなく,メルセデス・ベンツだった。
 『聖なる犯罪者』:今度はポーランド映画だ。2019年の公開作品で,アカデミー賞国際長編映画賞部門のノミネート作である。主人公は,少年院に収監されていた20才のダニエルで,「聖人か? それとも悪人か?」「過去を偽り聖職者として生きる男」がキャッチコピーの物語である。院内で,ミサ等の助手を務めたことから,神父になることを希望したが,前科者にその道は開かれていなかった。仮退院を許されたダニエルは,小さな村の製材所に務めることになっていたが,偶然出会った少女マリアの前で「自分は司祭だ」とついた嘘から,代理の司祭を務める破目になり,地元住民たちから慕われて行く存在になってしまうが,やがて……。ポーランドで実際に起った事件に基づく実話のようだ。身分がバレないか,この先はどうなるのか,ずっと気にして観てしまう。テーマはチャップリンのサイレント映画『偽牧師』(23)と同じだというが,筆者は『男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎』(83)を思い出してしまった。シリーズ32作目でマドンナ役は竹下景子,寅さんが偽僧侶で,檀家の法事で法話までこなす物語である。本作の主人公とは,年齢も宗教も描き方も違うが,主人公に感情移入してしまうことだけは,同レベルだった。寅の気持ちも分かるが,主人公ダニエルの気持ちも痛いほど理解できる。監督・脚本は,ヤン・コマサ。これが監督3作目だ。いかにも単館系,感動系の作りだが,カソリック国では国民の宗教心が強く,聖職者にはここまで尊敬の念を抱くのかと感心した。登場人物は,罪深き人々の集まりだ。キリスト教文化はそれなりに理解できるが,日本ではこういうことは起きないだろう。主演のバルトシュ・ビィエレニアの実年齢は28歳だが,その眼差しが強烈で,深く印象に残った。
 『キング・オブ・シーヴズ』:次なるは英国映画である。平均年齢60歳以上の老人たちが犯した銀行の金庫破り事件の顛末を描いている。2015年に起きた実話であり,英国犯罪史上,最高齢かつ最高額の窃盗事件であったというから,この種の犯罪映画ファンにはたまらない設定だ。かつて「泥棒の王(キング・オブ・シーヴズ)」と呼ばれた主人公ブライアンを演じるのは。名優のマイケル・ケイン。彼は引退して平穏な暮らしをしていたが,妻に先立たれて人生の目的を失ったところに,旧友から宝飾店街の銀行の貸金庫を狙う大掛かりな犯罪計画を持ち込まれ,昔の仲間の老人たちに声をかけて,泥棒稼業に舞い戻る。犯罪集団を形成するのが,ジム・ブロードベント,トム・コートネイ,レイ・ウィンストンらの英国のベテラン俳優陣であるから,ワクワクする。『ハリー・ポッター』シリーズでダンブルドア校長を演じていたマイケル・ガンボンも,事件後の共犯者として登場する。綿密な計画を立て,実行に移し,宝石類の盗み出しに成功するまでが映画の前半だ。成功することは予め分かっていたが,警報破りの手口の描写は興味深かった。後半は,分配金を巡っての仲間割れ,事件の捜査から逮捕,公判に臨むまでだ。最近は監視カメラで,犯行の手口から容疑者はすぐ割り出せる。英国国民や近隣のEU諸国を驚かせた事件だったので,その顛末を正確に克明に描き出すことが目的だったのだろう。当時の報道を知らない観客にとっては,同じ設定で,純粋にフィクションとして描けば,もっと面白い結末になったのにと思ってしまった。
 『43年後のアイ・ラヴ・ユー』:ロマンチックな題名だ。原題はシンプルな『Remember Me』だが,こういう邦題をつけた配給会社の担当者には拍手を送りたくなる。文字通りのシルバー・ラブストーリーだ。若き日に愛した恋人の舞台女優リリィがアルツハイマー病に侵され,記憶を失いつつあることを知った元演劇評論家のクロードが,自分を思い出してもらおうと奮闘する物語である。ただし,単純な純愛物語ではなく,彼女の暮らす介護施設に,自らも同じ病であると偽って潜り込んだり,リリィには夫がいることから物語は少し複雑になる。クロードを演じる主演は,ブルース・ダーン。出演作を観るのは『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』(14年3月号)の半分惚けた老父役以来である。70歳の役だが,どう見ても80代であり,実年齢は84歳だ。リリィ役のカロリーヌ・シロルの実年齢は71歳だから,こちらはそう不自然でもない。B・ダーンは,悪役も崩れた役もこなす名優だが,かつての出演作の吹替版の声優は,クリント・イーストウッドと同じ山田康雄だった。よって,ちょっと崩れて,やや軟派なイーストウッドのイメージである。本作では,まさにその通りの老け方だった。毎日のように昔話をして,彼女の記憶を呼び起こそうとする純情な想いがいじらしい。シェイクスピア劇「冬物語」のセリフが粋だ。祖父を応援してくれる孫娘タニア(セレナ・ケネディ)とのやり取りも微笑ましい。監督・脚本は,スペイン生まれのマーティン・ロセテ。枯れた老人の恋なのはいいが,描写自体が淡泊だ。もう少し盛り上がりがあっても良かったのにと感じた。
 『ザ・スイッチ』:ずばり「連続殺人犯のホラー映画」+「女子学生が主人公の学園ものコメディ」である。いずれもよくあるジャンルだが,この組み合わせが面白かった。メイン欄の『ソウルフル・ワールド』の本文中で,「肉体の入れ替わりの面白さなら,『ザ・スイッチ』の方が上」と書いたが,「入れ替わり」自体もコメディ映画やサスペンス映画の定番の1つである。母と娘が入れ替わる『フォーチュン・クッキー』(03)はコメディで,顔だけ入れ替わる『フェイス/オフ』(97)はアクション・サスペンスの傑作だった。そう言えば,大ヒット・アニメの『君の名は。』(16)もそうだった。本作の原題は『Freaky』だが,この邦題の方が分かりやすくていいなと思ったのだが,既に同じ題名の『ザ・スイッチ』(18)が存在していた。筆者は未見だが,ディズニー・チャンネルで放映されていた映画(原題は『The Swap』)で,そちらも「入れ替わり映画」だというから紛らわしい。同作が高校生の男女の入れ替わりなのに対して,本作は大男の連続殺人鬼ブッチャーと気弱で可憐な女子高生ミリーの入れ替わりである。脇役俳優だが,悪役面で身長196cmのヴィンス・ヴォーンと,『名探偵ピカチュウ』(19年Web専用#2)でヒロインの新米記者を演じていたキャスリン・ニュートンというのも,正に組み合わせの妙だった。何しろ,身長差が目立つ。殺人犯がオネエ言葉を話したり,美形の女子高生が激しい形相で凄んだ上に次々と殺人を犯す。時々,本当に入れ替わったのかと感じてしまうのは,演出・演技の賜物だろう。『ゲット・アウト』(17年11月号)『透明人間』(20年Web専用#3)のジェイソン・ブラムが製作,2作連続で紹介した『ハッピー・デス・デイ』シリーズのクリストファー・ランドンが監督だから,ホラー・サスペンス性とコメディ・タッチの両立にぬかりはなかった。


(上記の内,緊急事態宣言のため『ザ・スイッチ』は公開延期となりました)
 
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