O plus E VFX映画時評 2023年10月号

『ザ・クリエイター/創造者』

(20世紀スタジオ/ウォルト・
ディズニー・ジャパン配給)




オフィシャルサイト[日本語][英語]
[10月20日よりTOHOシネマズ日比谷他全国ロードショー公開中]

(C)2023 20th Century Studios


2023年9月21日 大手広告試写室(大阪)

(注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています)


CG/VFXは秀逸で大満足だが, AIと近未来予測に難あり

 先月はメイン欄で紹介すべきCG/VFX多用作が7本もあり,書き切れずに2本は短評欄に移さざるを得なかったが,今月は対象作がたった1本である。語るに足る作品が減った訳ではない。既に試写を見終えた作品ならいくつもあるのだが,今年から「○月号」と名乗る対象を当該月に国内公開される作品に限ったために,こういう谷間的な状況になったに過ぎない。よって,ネット配信ドラマの中から,VFX多用作を無理に探すことはしなかった。
 とは言いながら,その1本(即ち,本作)がCG/VFX的に取るに足らない映画だったらどうしようかと少し心配した。それは全くの杞憂で,堂々たるCG/VFX多用作で,そのクオリティも高かった。CGモデルのデザイン的にも秀逸で,ヴィジュアルに関しては大満足であった。ところが,こういう映画に限って,描かれている世界や物語設定が感心せず,作品として不満が残った。難解であった訳でも,演出が稚拙であった訳でもない。同じ日にマスコミ試写を観ていたメディア関係者には,結構感動していた者もいたから,深く考えずに素直に観れば,少しカタルシスを感じる映画だったのかと思う。
 内容は,近未来社会を描いた典型的なSF映画で,中でも定番のディストピアものである。またこれか,SF作家や脚本家は他に描きたいネタはないのかと,長年不満に感じてきた。加えて,その中に登場するAIの扱いも薄っぺらで,フィクションとはいえリアリティを感じなかった。これは本作に限ったことではないのだが,いつかこの不満を述べたかった。他のディストピア代表作も参照しつつ,本作を俎上に乗せて,苦言を呈することにした。
 そう決めて,苦言の論旨を整理し始めたのだが,本作のCG/VFXメイキングに関する海外の記事を読んでいる内に,少し心が揺らいできた。VFX超大作だと思ったのに,本作は製作費が少なく,VFXシーンの制作にはかなり苦労したようだ。それでヴィジュアル的にこの完成度に仕上げたのは賞賛に値する。同情心が芽生えて,批評精神が萎え始めたのだが,CG/VFXへの賞賛とディストピア&AIへの不満は別物である。いや,CG/VFXが素晴らしいゆえ,それが描かれる安直な物語と近未来設定が残念なのだと言える。そう考え直し,当初の予定通り,賞賛と不満の両方を述べることにした。

【物語の概要】
 AIが進化し,ロボットは人間社会に馴染んでいた。2055年にAIが暴走して,核弾頭がLAを破壊し,100万人が死亡した。事態を重く見た米国政府と西側諸国はAIを根絶することを宣言する。
 一方,東南アジアを中心としたニューアジア地域は,引き続きAIと共存する道を選び,AIたちはいくつかの集落を形成していた。米軍はニューアジアにいるAIの主要設計者ニルマータを暗殺するため,空から集落を破壊する高度な宇宙ステーションUSS NOMAD(北米軌道モバイル航空宇宙防衛)を開発する。
 2065年,米国陸軍のジョシュア・テーラー軍曹は潜入工作員としてニューアジアに派遣された。現地人のマヤと結ばれ,マヤは妊娠するが,NOMADの攻撃に巻き込まれ,落命してしまう。妻を失って絶望の底にあったジョシュアは,2070年,創造者ニルマータが開発した新兵器を破壊する任務を引き受け,再びニューアジアに向かう。それがあるはずのアジトを探し当てたが,そこに女の子の姿をしたドロイドしかいなかった(写真1)。彼はこの子をアルフィーと名付け,行動を共にする内に親近感を覚え,軍の命令に背いて彼女を守り通すことを決意する(写真2)


写真1 これが最強AIの少女アルフィー。
少年のように見えるのは, 少年時代のダライ・ラマ14世のイメージか?

写真2 ジョシュアは,この女の子を守り通す決意をする

 紆余曲折があるが,この間にアルフィーこそが最大の能力をもつ超進化型AIであることが判明する。マヤの生死をめぐる出来事もあるが,ここでは省略する。最終的に,AIを滅ぼそうとする人間側の軍と迎え打つAIドロイド軍の決戦となり,アルフィーが大きな役割を果たす。

【監督,キャスティング,ロケーション】
 監督・共同脚本は,ギャレス・エドワーズ。英国人のVFXアーティストで,低予算映画の『モンスターズ/地球外生命体』(10)が話題になり,『GODZILLA ゴジラ』(14年8月号)の監督に抜擢され,さらに『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』(17年1月号)のメガホンもとった。とんとん拍子の出世のシンデレラボーイである(と言っても,もう48歳だが)。これまでに撮ったのは,自主製作も含めてSF映画のみであり,CG/VFXにも通暁している。本作のストーリーは彼の原案だが,『ローグ・ワン…』の脚本担当であったクリス・ワイツと共同でオリジナル脚本を書き,次回作はこのネタで行こうと決めていたそうだ。
 主人公のジョシュアは,『ブラック・クランズマン』(19年Web専用#2)『TENET テネット』(20年9・10月号)でも主役を務めたジョン・デビッド・ワシントンが演じている。デンゼル・ワシントンの息子であるから,今月は『イコライザー THE FINAL』と本作で,親子の揃い踏みだ。アジア人の妻マヤには,香港系英国人のジェンマ・チャンが配されている。『キャプテン・マーベル』(19年3・4月号)『エターナルズ』(21年Web専用#5)でも準主役級の役柄であった。
 そして,AIドロイド軍を率いるハルマ役は,我らが渡辺謙で,後述する「シミュラント」なるAI形態の1種であり,英語と日本語の両方を話す(写真3)。エドワーズ監督の,ハリウッド版『GODZILLA ゴジラ』で芹沢猪四郎博士を演じたことから,続編の『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』(19年Web専用#3)でも同じ芹沢博士を演じていた(エドワーズ監督は交替)。その他の助演陣は,スタージル・シンプソン,アリソン・ジャネイ,ラルフ・アイネソン等で,あまり名のある俳優は登場しない。


写真3 AIドロイドを率いるシミュラントのハルン

 AIを巡っての東西対立で,「ニューアジア」なる地域名にしていたのが印象的だった。仮想敵国を大国の中国やインドとするのをぼかすためにこういう曖昧な名称にしたのかと思ったが,どうやらそうでもないらしい。ネパール,タイ,ベトナムあたりが中心で,渡辺謙は出演しているものの日本の存在感は薄い。実際には,撮影チームは,タイ,ベトナム,カンボジア,ネパール,日本,インドネシア,イギリス,アメリカの8カ国,80ヶ所を訪れたそうだ。まず,現地で気に入った場所の映像を大量に撮影しておいて,ポストプロダクションでその映像をVFX加工するというのが,エドワーズ監督の基本方針のようだ。

【ディストピア映画に関する苦言】
「ディストピア(dystopia)」は「ユートピア(utopia)」の反意語で,日本語では理想郷に対して,暗黒郷,破滅郷,絶望郷,悲観的未来像などと呼ばれている。未来に限ったことではなく,現代でもあり得るが,近未来を描いたSF映画で描かれることが多い。大別すると,次の2形態に分類できる。
(1) 核戦争の結果,人間が起こした環境破壊,宇宙人の侵略等で,地球人類が住める場所が壊滅的になる。生き残った人間が,限られた地域や地下で暮すことを余儀なくされている。 (2) 権力者(独裁者,進化したサル,AI,異星人等)の強権により,社会生活や行動が管理された社会となり,人間の尊厳が損なわれ,自由が制限されている。
 勿論,両者のミックスやバリエーションも数多くある。「ディストピア」と意識されていない時代まで遡れば,文学作品ではいくらでもありそうだが,明確にディストピア小説と呼べるものは,オルダス・ハクスリー「すばらしい新世界」(1932),ジョージ・オーウェル「1984年」(1949)が代表作とされている。
 SF小説に限れば,どうだったのだろう? SF小説の黄金時代は,1940〜50年代で,それまでの他愛もない「科学読みもの」から,物理学や天文学に関する知識を盛り込んだSF小説が登場し,小説としての完成度も向上した。これは「ハードSF」と呼ばれ,アイザック・アシモフ,ロバート・A・ハインライン,アーサー・C・クラークが「Big 3」とされていた。続く1950後半から1960年代は,まさに宇宙開発競争の時代であり,楽観的な未来論が主流で,21世紀は輝く科学技術の時代と思われていた。当然SF小説への感心も高まり,1920年代に登場していた能天気な「スペース・オペラ」の新作も続々と発刊された。
 それが飽きられた頃に,一気に「ディストピアSF」への舵を切ったのは,ウィリアム・ギブスンの「ニューロマンサー」(84)である。ブルース・スターリングがそれを追い,彼らを教祖とする「サイバーパンク」全盛時代となる。コンピュータの進化,インターネットの普及によって,この流れが加速したことは言うまでもない。それが飽きられてからの「ポストサイバーパンク」を語ると長くなるので省略する。筆者の私見では,21世紀以降は,SF小説の冬の時代であり,かつての愛読者はSFに戻らず,新しい読者を獲得する魅力に欠けている。CG/VFXの発展により,ビジュアルに訴えるSF映画が人気を得ても,文字離れした若年層はSF小説に目を向けなくなったとも言える。
 誤解なきように言っておくが,筆者は「ディストピアSF」「ディストピア映画」を全く否定している訳ではない。ディストピア・ベースでも,そこから展開する物語が斬新かつ魅力的で,映画の完成度が高ければそれで良い。苦言を呈したくなるのは,近年のSF映画の中で,ディストピアの比率が高過ぎる上に,工夫がなく,余りにも似たり寄ったりの映画が多いからだ。
 歴史から振り返ろう。『華氏451』(66) 『時計じかけのオレンジ』(71) 『ブレードランナー』(82)『未来世紀ブラジル』(85)等は,「ディストピア映画」の範疇に入り,いずれも名作とされている。類似作品が少ない時代で,かつ映画としての完成度が高かったからである。いずれも,CG/VFXの利用は皆無に近い。
 当映画評が始まって以来のこのジャンルの映画は,ほぼ漏れなく取り上げているはずである。宇宙人が地球を破壊する映画は『2012』(09年12月号)等,多数あるが,撃退したものは含めない。地球は人類滅亡の危機でも,そこから宇宙に飛び出してからを描いた『インターステラー』(14年12月号)等も数えない。純粋に,人類が地球に残ってディストピア状態にある作品に限ると,すぐに『ゴッド・ディーバ』(04年6月号)『アイランド』(05年8月号) 『アイ・アム・レジェンド』(08年1月号)『エリジウム』(13年10月号)『移動都市/モータル・エンジン』(19年Web専用#1)等の名前が出てくる。シリーズものも多く,『マトリックス』シリーズ『ハンガー・ゲーム』シリーズ『メイズ・ランナー』シリーズ『ダイバージェント』シリーズが挙げられる。邦画では,『20世紀少年 3部作』(08, 09)『進撃の巨人 前後編』(15)がその類いだ。すぐに思い出せない,つまらなかった映画も入れれば,もっとあるだろう。いかに安易に類似作品を生み出しているかが分かるはずだ。
 少し異色で特筆すべきなのは,フィリップ・K・ディック(1928〜1982)作品の映画化である。当欄で取り上げたディストピアものだけでも,『クローン』(01年11月号)『マイノリティ・リポート』(02年11月号)『スキャナー・ダークリー』(06年11月号)『トータル・リコール』(12年9月号)『ブレードランナー 2049』(17年11月号)と,5本もある。彼の著作活動は1960〜70年代が中心だが,当時はさほど評価された作家ではなかった。存命中の映画化作品は『ブレードランナー』(82)だけであった(原作は「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」(68))。死後にここまで注目されるのは,当時のSF小説の中では,抜群に視点がユニークで,映画化して楽しめるアイデアに溢れていたからと考えられる。
 前述したように,SF小説は冬の時代であり,こういう作家はすぐには見つからない。価値のあるSF映画を作るためには,ディストピアから一旦脱却して,新しい視点でのオリジナル脚本を書ける脚本家を育成すべきだと思う。

【AIの描写に関する苦言】
 過去に何度かAIブームはあったが,2010年代以降のAI技術は間違いなく世の中を変えつつあり,生成AIにより一段と進化しつつある。そうした技術開発のフェーズとは無関係に,SF映画では古くからAIを劇中で描いてきた。
 代表例は,『2001年宇宙の旅』(68)で,木星に向かう宇宙船ディスカバリー号を制御・管理していたコンピュータHAL9000だ。人間に対して反乱を起こしたHALには,間違いなくAIソフトが搭載されていて,自己学習する機能が備わっていたと解釈できる。前述したように宇宙開発ブームの真っ只中で,楽観的未来論の全盛期でもあったから,この映画が与えた衝撃は大きかった。HAL9000は漠然としたAIとして描かれていたのではなく,自然言語による音声対話機能や視覚認識による読心術のように具体的に描かれていたゆえに,(まだ技術的には未知数であっても)リアリティがあり,説得力があった。後年, HALの機能がどこまで実現可能になったかを科学者達が大真面目に議論し,原作小説中でHALが開発されたと書かれた年の1997年に「HAL伝説」(早川書房刊)なる書籍が出版されている(写真4)


写真4 D・C・ストーク編(日暮雅道監訳):「HAL伝説—2001年コンピュータの夢の現実」,早川書房 (1997)

 一方,楽観論の代表は,S・スピルバーグ監督の『A.I.』(01年7月号)だろう。地球温暖化により人間が住める環境が制限された社会という前提は,かなりディストピアっぽいが,高度なAI機能で感情をもつロボットは見事なまでの楽観論で描かれている。人間に反抗するどころか,少年ロボットは人間になることを望んでいる。まるでピノキオか人魚姫のAI版である。この夢物語には呆れたが,CG的には素晴らしい出来映えで,単なる童話として観るなら,これもありかなと感じた。
 通常のディストピア映画におけるAIは,圧倒的に悪者である。あるいは悪人が入手して,悪事を働くパワフルな道具の場合もある。いずれでも構わないが,ここまでAIが話題になる時代なら,その能力や形態は,リアリティのある描き方をして欲しいというのが筆者の願望だ。形態として,AIソフトの場合もあるから,ロボット=AIではない。一方,人間のように振る舞えるロボットの場合には,その頭脳としてAIが搭載されていることは確実だ。
 個人的には,急速に発展した深層学習がAIなのか疑問に思うが,画像認識で威力を発揮していることは認めざるを得ない。そこにChatGPTのような生成AIが登場するに至っては,人間のように振る舞う,あるいはそれ以上のものを,映画で「AI」と呼ぶことは許容していいだろう。ただし,顔認識,将棋AI,自動運転,生成AIでの文案作成等々で,使われている基幹技術はかなり違う。人間が開発したAIは万能ではないから,少し勉強して,何が出来て,どこまでの能力があるのか,陰に陽に映画中で描いて欲しいものだ。それでこそ,AI時代のSF映画である。
 現実世界でも進化しつつあるAIを,単に人間に脅威を与える存在として描くのでは単細胞すぎる。それでは,宇宙人はどの惑星から来てもすべて同じく好戦的であり,独裁者はヒトラーでも,プーチンでも,金正恩でも同じだということになる。警鐘のために人類への脅威を描くのなら,きちんとした科学的分析も添えるべきであり,そうでないディストピア映画は,未来予測ではなく,ただの駄作に過ぎない。
 核弾頭を入手したテロリストが核攻撃に使うことはあっても,AIが暴走して核爆発を引き起こすことは有り得ない。核のスイッチを,AIが管理するネットワークと接続していることなどないからだ。銀行のオンラインシステムがしばしばダウンするくらいだから,行政やライフラインを管理するAIシステムが暴走して社会生活に影響することはあっても,いきなりディストピア状態になるとは考えにくい。所詮,フィクションであり,娯楽映画であるなら,百歩譲って,AIが感情をもったり,人間に反旗を翻す可能性は認めるとしても,そのAIと闘う手段は,合理的で説得力のある描き方であって欲しい。そのAIソフトが基にしているアルゴリズムと学習データが判明すれば,AI技術者は対処方法を考えることができるはずだ。やみくもにラストバトルのアクションで殲滅するのでは,能がなさ過ぎる(本作は,そのパターンではないが)。
 本作のAIは,機能や行動原理の説明のない「悪しきSF」であるが,AIドロイドの形態は大別して2つに分かれていた。
① シミュラント (simulant; 模造人間):人間そっくりに作られ,人間のように話し,同じように振る舞うことができるドロイドで,意志や感情をもっているように感じる。渡辺謙演じるハルンがこの種類で,いずれも両耳を含む後頭部から頸部が機械部品として露出しているので,すぐに区別できる。人間を改造して作った場合があることも示唆している。アルフィーも見かけ上はこの種類だが,圧倒的な超能力を有していて,別格的な存在である。
② その他のロボット:上記ほどの知能はなく,比較的単純な行動しかできない。形態としては,人間風の顔ではなく,様々なデザインの武骨な頭部になっている(写真5)。首から下は人間の形状だが,一部で機械部品が露出したり,全身がメカロボット風の場合もある。戦士で登場することが多いが,集落では農民や僧侶として働いている場合もある(写真6)。SWシリーズのストームトルーパー(帝国軍の歩兵)のような白黒のワンパターンでなく,デザイン的に工夫しているが,その具体的描画に関しては後述する。


写真5 頭部だけユニークなAIドロイドの兵士

写真6 寺院で鐘をついているのは僧侶か?

 以上のように描き分けているが,俳優の顔をほぼそのまま使えるシミュラントは,ハルン以外に個性のある存在を登場させていない。東西対立構図なのに,ニューアジア側の政治家や軍人は登場しない。それでは,監督がアジアの景観を撮りたかったというだけで,AIたちを西側に封じ込め,かつ壊滅させようとする合理性がない。LAの被害は甚大であったとしても,東側諸国が一致して,既に便利で役に立っているAIを根絶することに合意するだろうか?
 実は,ニューアジアのAIたちは人間と敵対したがっている訳ではないことが判明するが,その辺りの展開は見てのお愉しみとしておこう。

【他の大作映画との製作費の比較】
 話題を変えて,製作費に移ろう。本作の製作費は$80 millionと公表されている。それがどこまで含むのは定かではないが,他作品も同基準であると考えて,相対比較することにした。
 まず,最近メイン欄で取り上げた作品の製作費は,下記である。

(a)『ワイルド・スピード ファイヤーブースト』(5月号) $340 million
(b)『リトル・マーメイド』(6月号) $300 million
(c)『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』(同上) $295–300 million
(d)『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE 』(7月号) $291 million
(e)『マイ・エレメント』(8月号) $200 million
(f)『MEG ザ・モンスターズ2』(同上) $129-139 million
(g)『グランツーリスモ』(9月号) $60 million
(h)『ジョン・ウィック:コンセクエンス』(同上) $100 million
(i)『コカイン・ベア』(同上) $30–35 million

 なるほど, (a)(c)(d)のような人気シリーズの最新作は確実に興行収入が見込めるので,相当高額の製作費を投じている。主演級俳優のギャラも破格なのだろう。ディズニー作品の(b)(e)となると,単発作品でもかなりの高額である。(f)は続編でもランクは落ち,(i)は元々大作扱いされていない。(h)は単館系作品でスタートし,1作目から順に$20, 40, 75 millionと増額され,4作目でようやく大台に達した訳である。上記の製作費からすると,本作の80 millionは相対的に低予算で,超大作並みのVFXシーンを演出するにはかなり無理がある。
 一方,当欄が短評扱いした(即ち,CG/VFX多用作でない)作品となると,下記のようになる。

(j)『アステロイド・シティ』(9月号) $25 million
(k)『名探偵ポアロ:ベネチアの亡霊』(同上) $60 million
(l)『イコライザー THE FINAL 』(10月号) $70 million
(m)『オペレーション・フォーチュン 』(同上) $50 million
(n)『死霊館のシスター 呪いの秘密 』 $38 million
(o)『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン 』(同上)  $200 million

 (l)(n)の金額から判断すると,フランチャイズ映画でもCG/VFX多用作でないと製作費は相当下がる。(j)は多数の人気俳優が出演し,トム・ハンクスやスカーレット・ヨハンソンが主演してこの額なのかと驚くが,出演料も単館系基準だとこれで済むのかも知れない(あるいは,ギャラ抜きの計算か?)。それで行くと,今月紹介する(o)はかなりの大作の範疇に入る。ハリウッド作品以外は公表されていないが,大半は$10未満であり,インディーズ系は$3 million(日本円で約4.5億円)に達していない映画も数多くある。
 なお,G・エドワーズ監督の過去作では,『GODZILLA ゴジラ』は$160 million,『ローグ・ワン…』は$200 millionであったから,今回の80 millionが予算不足だと嘆いていたのも無理はない。それで,下記のような上質のCG/VFXシーンを生み出したのは,やはり賞賛に値する。

【CG/VFXとその見どころ】
 ■ まず第一に注目すべきは,USS NOMADのデザインだ。何が新しいか一言で言えないが,惚れ惚れする美しさで,SF映画史に残る宇宙ステーションのデザインである(写真7)。地上に垂直に照射する殺人ビームとの一体感も見事だ。『インターステラー』のリング状の母船エンデュランス号も斬新であったが,美しさでは遥かにこちらが上だ。その他,いくつかの飛行艇が登場するが,着陸すると足を出して,ロボットのように歩けるタイプはユニークだった(写真8)。月面コロニーに向かうシャトルが終盤登場するが,これも優れたデザインであった。


写真7 これがAI殲滅のために開発されたUSS NOMAD

写真8 空から降りてきて, 着陸時に2本の脚を出す

 ■ AIドロイドでは,耳の部分だけ見れば,シミュラントだと識別できるというアイディアは出色だ。両耳の部分は空洞で,向こう側が見えるというのも印象的だった(写真9)。まず撮影しておいて,後処理でこの部分を追加するのは,VFX的には容易である。VFXに通暁しているエドワーズ監督ならではの着想だと感心する。実際には俳優の顔を3Dスキャンし,耳と後頭部を差し替えたCGモデルも併用して,最終映像を描いているようだ。その他のロボットも写真5, 6のような場合は,俳優の姿を後処理で大きめの頭部に差し替えるだけだから,比較的簡単である。これなら,様々なデザインの頭部を用意するのも,さほどの経費増にならない。アルフィーが橋の上で対峙する自爆ロボットは,俳優の映像で頭部から腹部までを覆い,さらに手足も加工していると思われる(写真10)。全体がメカに見えるロボットの場合は,当然フルCG描画だろう。写真11のように,俳優が演じるドロイドと混在させているシーンも登場する。当然,この場合のフルCGロボットの動きは,MoCapデータだと考えるのが普通だが,本作では全くMoCapは採用していないという。となると,ロボットのボクシング・シーン(写真12)はどうやって描いたのだろう? たどたどしい動きで良ければ,適当な手付けアニメーションでも描ける気がする。こういうところでもコストダウンを心がけていたのかと想像する。


写真9 耳の部分は円筒状の空洞で, 向こうが見える

写真10 橋の上に登場した自爆ドロイド

写真11 オールメカ型のドロイドも混在して登場する

写真12 ロボットのボクシングシーンはどうやって描いた?

 ■ エドワーズの監督は,徹底してアジア各地での映像収録に拘ったようだ。タイの橋のシーンはその典型で,帰国後の後処理で爆破を描き加えている(写真13)。崖の上に金色のドームをCGで描いたシーンも,背景のヒマラヤの山々は本物のようだ(写真14)。アジアの夜の町は,どこかで撮影して持ち帰り,アジアらしさを残しつつ,近未来に見えるよう加工している(写真15)。ちょっと笑えるのは,その中の日本語の看板だ。誰かが書いた横書きの「パッピーボウル」を縦書きにしたのだろうが,日本人が誰もいないVFXスタジオだったのか,「ッ」や「ー」をそのまま抜き出して縦に配置したようだ。


写真13 タイの木製の橋の爆破シーン

写真14 ヒマラヤ山中にある金色のドーム

写真15 ニューアジアの夜の街(下の日本語の看板は笑える)

 ■ 低予算であったため,綿密な打ち合わせはなく,監督からは粗い指示しかなく,詳細はVFX各社に任せたようだ。CGアーティスト側の苦労話で語られていたのが,巨大な戦車のデザインである(写真16)。監督からは「丘の上に大きな戦車登場」しかなく,大きさや形状の指定もなかったそうだが,重量感のある好いデザインだ。大きな自由度を与えられ,クリエーター達は楽しくデザイン&描画したことだろう。画像はないが,ラスト30分は圧巻だった。国際宇宙港もNOMADの内部の描写も素晴らしい。次から次へと新しいデザインのドロイド達が登場する。ラストバトルの描写もしかりで,何の制約もなく,勝手にストーリーを展開できるなら,いくらでも斬新なシーンが描けるという見本である。『GODZILLA ゴジラ』や『ローグ・ワン…』ではCG/VFXはかなり褒めたのだが,大作の雇われ監督に裁量権はなかっただろう。その監督が自らの脚本で,やりたい放題描けばこうなってしまう訳だ。その上,音楽は一流中の一流のハンス・ジマーに依頼している。それじゃ,$80 millionで経費節減に苦労したのも当然である。CG/VFXの主担当は,『ローグ・ワン…』以来,親交のあるILMで,大半を同社が担当している。それでいて,他にMARZ, Crafty Apes, Atomic Arts、Folks VFX, Fin Design + Effects,Outpost VFX,Misc Studios, Territory Studio, Jellyfish Pictures等々も参加させているのは,残りは低予算で作業してくれるスタジオを選んだのだと想像できる。コスチュームデザインはWeta Workshop, プレビズはProofが担当で,大事な部分は妥協せず,大手を起用したのはさすがだ。


写真16 大型の戦車が, AIたちの集落を襲う
(C)2023 20th Century Studios

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