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(注:本映画時評の評点は,上から,,,の順で,その中間にをつけています) | ||||||||||||||||||||
■『福田村事件』(9月1日公開) 今月は,邦画3本から始める。公開日の9月1日が,関東大震災から100年目に当たっていて,その関連の映画から紹介したかったからだ。大震災の混乱の中,「朝鮮人や共産主義者が井戸に毒を入れた」というデマが流れ,多数の在日朝鮮人や共産主義者が殺されたことは広く知られている。朝鮮人と間違えられた中国人や日本人も被害者となったようだが,千葉県の東葛飾郡福田村(現在は野田市の一部)で起こった事件では,香川県から行商に来ていた15名の日本人の内,9名が自警団を中心とした地元住民に惨殺された。大震災から5日経った9月6日のことである。この事件の詳細を検証し,歴史的考察を加えた書籍「福田村事件―関東大震災・知られざる悲劇」(辻野弥生著,崙書房)が出版されている。本作は,この書籍に触発され,時代背景も含めて,虐殺事件の顛末を劇映画として制作している。筆者は,この映画の存在により初めてこの事件を知り,あまりの出来事に驚愕した。 監督は,ドキュメンタリー映画が専門の森達也。これが初めての劇映画である。この事件を映画化したかったところに,脚本家の荒井晴彦に誘われ,彼の企画に合流する形で監督を引き受けたそうだ。製作会社,配給ルートからして,典型的な単館系作品であるが,製作費は流行のクラウドファンディングで集めたという。出演者も無名俳優を想像したのだが,かなりの豪華キャスティングであった。主演は朝鮮から故郷の福田村に戻ってきた夫妻(井浦新&田中麗奈)で,村の船頭(東出昌大),行商団のリーダー(永山瑛太)の他,柄本明,ピエール瀧,水道橋博士といった芸達者が脇を固めている。印象的だったのは,奔放な妻を演じる田中麗奈,真実の報道を主張する新聞記者役の木竜麻生で,主義主張のある女性を魅力的に描いているのは,いかにも現代風だ。 流言飛語に基づく集団行動とはいえ,当時の普通の日本人はここまで平気で人を殺せるのかと驚く。虐殺事件が主題であるから,愉快な映画でないのは当然だが,個人的にはこの脚本が好きになれなかった。淡々と事件の経過を客観的に描いて欲しかったのに,思想性の強い時代背景を会話の中に盛り込りこんだり,村社会の閉鎖性・醜さを強調した物語となっている。即ち,事件とは直接関係ないフィクション部分が多過ぎる。被差別部落出身の行商団の生活の苦しさはまだしも,人妻と船頭の不倫シーンなどは,この映画には要らない! この脚本家は,群像劇にして,多数のエピソードを盛り込む方が,映画として楽しめると思ったのだろうか? 演出は素晴らしい。この事件を映画化した勇気にも敬意を表したいゆえに,つまらない愛欲シーンが残念だった。 ■『こんにちは,母さん』(9月1日公開) 次は,松竹 100周年記念作品で,山田監督は 91歳で90作目,主演の吉永小百合は78歳で123作目である。長年の山田洋次ファンとしては,もっと倍賞千恵子を使って欲しいのに,また吉永小百合なのかと思った。彼女が主演の『母べえ』(08年2月号),『母と暮せば』(15年12月号)に続く,「母」3部作の集大成だというから,それなら仕方がないなと諦めて試写を観た。観終わって,これなら吉永小百合で止むを得ないと納得した。役名は違えど,これは『男はつらいよ』シリーズのマドンナ「歌子さん」の未来像なのである。 前2作がしっかり涙するシリアスドラマであったので,本作も同系列の母子ドラマを想像したが,全くのコメディ映画であった。息子夫妻の離婚問題,会社を引責辞職等で,現代社会を皮肉っているが,息子役が大泉洋なら,シリアスになりようがないとも言える。原作は劇作家・永井愛の同名の戯曲だが,映画としては,かなり山田流に脚色されている。それも,ほぼ完全に寅さん映画調であり,同シリーズのファンのための映画である。 舞台となるのは,スカイツリーが見える東京・向島の足袋屋で,隅田川河畔も再三登場する。寡婦の神崎福江が主人公で,独り暮しをしていたが,大学生の孫・舞(永野芽郁)が家を出て,祖母の家に住み着いている,即ち,団子屋→足袋屋,葛飾区柴又→墨田区向島,江戸川→隅田川と,川二筋分都心に近づいただけで,ほぼ相似形だ。2階に上がる階段や向かいに見える店舗の風景など,そっくりだと感じさせるように仕組んでいる。下町風情は,『家族はつらいよ』シリーズ3作よりもずっと寅さん的で,世田谷の一家は後継シリーズらしくなかった。 他の助演陣は,寺尾聡,宮藤官九郎,YOU,田中泯らで,山田組常連の北山雅康,神戸浩や,関取の明生(立浪部屋)まで登場する。山田監督はいつものように,俳優に役柄に合った演技を求めるより,俳優の個性に合わせた脚本を書いている。福江の交流仲間は寅さんのテキ屋仲間,教会の牧師(寺尾聡)は午前様,足袋屋を手伝う孫娘はさくらの変形版だが,『男はつらいよ』ファンには,それを考えるだけで楽しい。(ネタバレになるが)極め付きは,福江が牧師(寺尾聡)に恋をするが,その恋が実らないことだ。まさに逆マドンナであり,言わば「女はつらいよ」なのである。あの吉永小百合に失恋させてしまうのかの驚きすら覚える。寅さんファンとしては,3部作の完結編でなく,吉永・大泉・永野のトリオで,ここからもう1,2作作って欲しいものだ。 ■『バカ塗りの娘』(9月1日公開) この題名だけで,一体何の映画だろうと思わせてしまう。まさか,コテコテに厚化粧した知性のかけらもない若い女性のことではないだろうし……。青森が誇る伝統工芸の津軽塗のことだった。完成までに48工程もあり,「バカに塗って,バカに手間暇かけて,バカに丈夫」と言われるまでに「塗っては研いで」を繰り返すそうだ。そういう厚化粧なら大歓迎だが,「何だろう?」と思わせる題名で,まず成功している。主演は堀田真由と小林薫で,父の後を継いで伝統工芸の道を歩もうとする女性を描いている。監督・脚本は『まく子』(19)の鶴岡慧子で,若手女性監督らしい感性を感じる映画だ。家業を継ぐ父娘関係という意味では,先月の『高野豆腐店の春』(23年8月号)の同工異曲だが,「津軽塗」の作業工程を丁寧に描いている分,本作は文化映画としての価値が高い。 映像としては,いきなり鮮やかな赤の塗りから始まる。作業工程がよく分かり,全編で惚れ惚れする美しさだ。セリフがなく,父娘が黙々と作業しているシーンも再三登場する。物語も緩やかな進行で,寡黙で根っからの職人気質の父親に小林薫はよく似合う。一方の娘役は,特に堀田真由である必要はなく,素朴な感じがする若手女優なら誰でも良かったのだろう。特に東北出身という訳でもない(実際は滋賀県出身)。結果的に,演技は合格点を与えられるレベルに達していた。 「津軽塗」の作業工程と出来上がった絶品の漆器を描くだけで,本作の価値はあるが,一応家族の物語がついていた。仕事一筋の父・清史郎に愛想を尽かして家を出た母,祖父と父に反発して家業を継がず,美容師となった兄・ユウにより,家族はバラバラになっていた。漫然と父の手伝いをしていた娘・美也子が「私,漆続ける」と言い出す決意や,祖父の葬儀にやって来た母や兄に対する父の態度の演出は絶妙だった。その反面,兄が同性愛者であることを盛り込んだ脚本に疑問を感じた。流行のLGBTQを入れたかっただけとしか思えない。ピアノに描いた漆のイラストは美しかったが,国際性をもたせようとした結末も,少し安っぽく感じた。惜しい! ■『ホーンテッドマンション』(9月1日公開) 洋画のトップバッターは,ディズニーパークの人気アトラクションの映画化作品だ。筆者が最初に体験したのは半世紀以上前の1976年の秋で,米国加州アナハイムのディズニーランドでのことだった。この時に最も感激したのが,「カリブの海賊」「ホーンテッドマンション」「イッツ・ア・スモールワールド」の3つだった。この西洋式お化け屋敷は,日本の古びた幽霊屋敷に比べて建物も内装も豪華だった。そこに愉快なゴーストたちが登場しても一向に怖くなかったが,この時すぐに「映画にしたら面白いだろうな」と感じた。このアトラクション自体は,アナハイムの他に,フロリダ,東京,パリのディズニーパークで体験できる(パリでは「ファントム・マナー」と呼ばれている)。当然この半世紀の間に,それぞれ何度かリニューアルされている。 パーク・アトラクションの実写映画化は,「カリブの海賊」の方が先で,原題のカタカナ表記の『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』(03年9月号)として公開され,大ヒットして続編4作が作られた。その2匹目の泥鰌として,エディ・マーフィー主演の『ホーンテッド・マンション』(04年4月号)が登場したが,全くの駄作で,続編は作られることなく,1作で姿を消した。それから19年後のこのリブート作は,登場人物は一新されているが,呪われた館に棲む999人の亡霊が1,000人目を待ち受けるという基本設定は継承されている。その他,映画中では,マダム・レオタの頭部がある「水晶玉」や「どこまでも続く長い廊下」「縦に伸びる部屋」等の原アトラクションの重要アイテムも登場するが,物語はオリジナルストーリーである。 前作でE・マーフィーは大邸宅の売却を依頼された不動産屋役であったのに対して,本作で主演のロザリオ・ドーソンが演じるのはシングルマザーで医師のギャビーで,9歳の息子を連れてNYからニューオリンズ郊外の古い屋敷へと引っ越してくる。破格の廉価で掘り出し物と思ったからだが,2人は不気味な怪奇現象に遭遇することになる。そこで,悪霊払い専門のケント神父(オーウェン・ウィルソン)に依頼し,心霊写真家のベン,霊媒師のハリエット,悪霊の歴史に詳しい学者のブルースを集めてもらう。彼らはいかにも癖のある面々で,この4人と母子が,ボスキャラである「首のないハット・ボックス・ゴースト」が操る亡霊たちと格闘する……。 前半はCGもそこそこ,物語もそこそこで,さほど面白味はなかったが,後半はVFXのオンパレードとなっていた。そうでありながら,メイン欄で紹介しなかったのは,魅力ある画像が殆ど入手できなかったからである。メジャー作品ゆえに終盤はしっかり盛り上げているが,子供が見るには,上映時間123分は少し長いと感じた。それでも,さすがディズニー映画だと感じさせる娯楽映画に仕上がっていて,前作よりは数倍楽しめた。 ■『アステロイド・シティ』(9月1日公開) 絶賛を浴びた『グランド・ブダペスト・ホテル』(14年6月号)の鬼才ウェス・アンダーソン監督(以下,WA)の最新作である。もうそれだけで観なくてはと思う映画ファンも少なくないことだろう。先月号の『クエンティン・タランティーノ 映画に愛された男』(23年8月号)で,同じく鬼才のQT監督が長編映画10本撮ったら引退すると広言していることを述べた。こちらWAは,本作で既に11本目である。当欄では,第4作『ライフ・アクアティック』(05年5月号)以降をすべて紹介している。QTのことを「映画人に愛された男」だと称したが,WAの場合は,映画人の中でも俳優たちから出演することを熱望される監督である。その証拠に,本作は過去最高の超豪華キャスティングだ。メイン画像は登場人物が勢ぞろいした記念写真であったので,映画が始まる前に,キャスト一覧と首っ引きで,何人見分けがつくか,誰がどんな役なのか調べるのに時間を費やしてしまった。 時代は1955年,アステロイド・シティは米国南西部の砂漠の町で,人口はたった87人,座席12のダイナー,給油機1台のガソリンスタンド,10部屋のモーテル,公衆電話1台があるだけである。勿論,架空の町だ。少し離れた場所に紀元前3007年9月23日に落下した隕石による巨大クレーターがあり,観光名所となっている。隕石落下の日に,ジュニア宇宙科学賞の授賞式があり,5人の少年少女とその家族が招待された。その式典の最中に宇宙人が到来し,町は大混乱に陥る。この事実を隠蔽しようと軍は町を封鎖するが,子供たちは外部に情報を伝達しようとする……。この概要だけで,ワクワクするSFだ。この基本ストーリーに付随して,少年ウッドロウと戦場のカメラマンの父オーギー(ジェイソン・シュワルツマン)が,少女ダイナとその母で映画スターのミッジ(スカーレット・ヨハンソン)のそれぞれに恋をするというオマケのWロマンスも描かれている。 もうこれだけでも付いて行くのが精一杯なのに,上記は劇中劇であり,この舞台劇「アステロイド・シティ」を紹介するTV番組があり,そのTV番組制作の舞台裏までが,映画の随所に挿入されている。原案・監督・脚本・製作のWAは,「観客は,女優が女優役を演じ,さらにその女優役が女優役を演じるのを観ることになるんだ」と語っているが,あーややこしい。頭が混乱すること必定で,1度観ただけではさっぱり分からなかった。豪華俳優陣を追い過ぎたために物語の理解が疎かになったためかと反省し,熟視しながら2度目のマスコミ試写を観たのだが,やはり歯が立たなかった。 WA映画は好き嫌いが分かれ,彼の映像世界に魅了される全面肯定派と不快感を覚える否定派に二分されるという。筆者の場合は,好き嫌いの中間派ではなく,作品毎に「絶賛」と「理解不能」に分かれる。これは凡人の筆者の評価基準が揺れ動くためでなく,WA自身が1作毎に作風を変えているためと思われる。『グランド…』は意図的に万人受けする映画にしたが,前作『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ,カンザス・イヴニング・サン別冊』(22年1・2月号)と本作は全くの逆路線を歩んでいる。「少し捻ってみましたが,理解できますか?」「これでも貴方達は私の映画を絶賛しますか?」と批評家や映画通を試しているように思えた。 ■『ウェルカム トゥ ダリ』(9月1日公開) 20世紀を代表する偉大な画家の1人,サルバトール・ダリの伝記映画である。シュルレアリスムの代表的作家でもあり,そのユニークな画風も奇抜な容貌も,1度見たら忘れられない存在だ。この頗る個性的な人物を,一体誰が演じるのかと思ったら,シェイクスピア役者出身で個性派男優のベン・キングズレーだった。あのピンと撥ねた口髭だけでダリに見えるが,さらに大きく目を見開き,大仰な仕草で語りかける姿で,まるで本物のダリがそこにいるように感じる。監督は『アメリカン・サイコ』(00)のメアリー・ハロンで,カナダのベテラン女性監督だが,見事なキャスティングだと感じた。 映画は1985年に始まる。著名な画家のダリが火事で重傷を負ったというニュースが流れ,画廊勤務であったジェームス・リントン(クリストファー・ブライニー)は,かつてダリと過ごした日々を思い出す。そして,舞台は1974年のNYへと移る。即ち,本作は彼の目から見た70年代半ばのダリと,伴侶兼敏腕マネージャーであったガラの活動と生活を描いている。ポップカルチャー全盛の時代で,ダリは絵画だけでなく,ファッションや音楽でも才能を発揮し,高級ホテルに20年間住み,連日セレブを招いてパーティ三昧の日々を送っていた。『ジェーンとシャルロット』(23年8月号)も常人とは異なる価値観のセレブ達だと思ったが,この「ダリ・ランド」の異様さはその比ではない。劇中のジェームスのセリフ「別の惑星にいるようだ」が言い得て妙だった。 1974年のNY市中の再現が見事だ。筆者は1976年にマンハッタンに滞在したが,まるでその時代にタイムスリップした気分になった。ダリだけでなく,ガラを演じたバルバラ・スコヴァも実物のガラとイメージが似ている。若き日のダリを演じたのは,『ザ・フラッシュ』(23年6月号)のエズラ・ミラーだった。実物の若いダリの方がイケメンだが,B・キングズレーに少し似ているE・ミラーを選んだのだろう。ダリのお気に入りのミューズのリアに本物のトランスジェンダーを起用する等,細部への気配りも万全だ。それゆえ,自分自身の奇行も作品の一部として振る舞ったこの時代のダリにリアリティを感じながら,この伝記映画を堪能した。 ■『PATHAAN/パターン』(9月1日公開) インド映画界のスターであるシャー・ルク・カーンが主演のスパイアクション映画で,ボリウッドの大ヒット作だそうだ。もっとも,日本に輸入されるインド映画は,同国内でのヒット作ばかりであるが…。 インド政府と政治的に敵対する隣国パキスタンのカーディル将軍が,集団Xなるテロ組織のジム(ジョン・エイブラハム)に連絡をとる。元インド諜報機関RAWの最強エージェントだったが,政府に裏切られたことからに恨みを抱き,将軍の要請で母国インドへのテロを計画する。一方のS・R・カーン演じる主人公のパターンもRAWエージェントであったが,ミャンマーでの作戦実行中に大怪我を負う。脅威の回復力で現場復帰した彼は,一線を退いていた元エージェント達を集めて,RAW内にJOCRなる特殊部隊を立ち上げ,テロ集団Xの計画を阻止するために戦うことになる……。大統領暗殺計画やインド科学者の誘拐計画があったり,パターンが罠に嵌って捕まったりと,物語は二転三転するが,敵を間一髪で倒すシーンの反復で,この種の娯楽映画は落ち着くところに落ち着く。問題は,観客にどれだけの爽快感と満足感を与えるかだけである。 主人公のパターンは,パワフルで,ひたすら恰好いい。「開幕投手で,先頭打者で,二刀流」などという表現が出て来るのには笑える。サルマーン・カーンが演じる同僚のタイガーも,負けず劣らず恰好いい。ワイヤー宙づりが多く,空中から平然とビル屋上に飛び降りるシーンには呆れた。金庫も事務所もビーチも豪華だ。ロケはUAEのドバイ,スペイン,ロシアと巡って,いずれも景観は壮大だ。カーアクションはハリウッド並み,音楽はマカロニウエスタン風で,どこかの映画で観たシーンが続く。映像は明るく,ワイドで,女性は美形ばかりだ。繊細さと緊迫感には欠けるが,これがボリウッド流娯楽映画だと言われれば,それでいいんじゃないかと思ってしまう。一件落着後,歌って踊る定番シーンが登場して,観客は安心して余韻に浸れる。お見事だ。 ■『6月0日 アイヒマンが処刑された日』(9月8日公開) この日付は何なのか,まず題名が気になった。アドルフ・アイヒマンはナチスの最重要戦犯で,アウシュヴィッツ強制収容所へのユダヤ人移送に指導的役割を果たした人物である。戦後はアルゼンチンに潜伏していたのを,イスラエル秘密諜報機関(モサド)が突き止め,1960年に捕獲するまでの顛末は『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男-』(16)で紹介したが,本作はその後日談に当たる。4ヶ月にわたる裁判の末,同年12月に死刑が確定した。そして,絞首刑執行の時期として,イスラエル国が死刑を行使できる唯一の時間帯,翌年5月31日から6月1日の真夜中が選ばれたという訳だ。 問題は,死刑執行よりも,遺体処理の方法であった。遺体が遺族やナチス関係者に渡らないよう,死亡確認後に焼却し,遺灰は海に撒くことが決まった。ところが,イスラエルでは律法で火葬を禁じているため,火葬設備が存在しなかった。このため,秘密裏に小型焼却炉を製造し,それを刑務所に持ち込んで処刑後すぐに火葬する極秘プロジェクトが発足する……。主人公は鉄工所に就職したことから,焼却炉製造を担当することになる移民少年のダヴィッド(ノアム・オヴァディア)で,ゼブコ社長(ツァヒ・グラッド),設計図を入手した刑務官,イスラエル警察の捜査官等が織りなす物語が展開する。 監督・脚本は,ジェイク・パルトロウ。人気女優グウィネス・パルトロウの弟で,ベラルーシ系ユダヤ人の父から第二次世界大戦とユダヤ人の歴史は聞かされていたという。本作に関する彼の拘りは2つある。1つはセリフにはヘブライ語を採用したことだ。共同脚本にはイスラエル人監督の協力を得,キャストにはイスラエル人俳優を起用している。それによって,これはイスラエル映画であり,ユダヤ人の視点から描いた物語であることが強く実感できた。2つ目は,アイヒマンの姿は何度も登場するが,徹底して彼の顔は出さなかったことだ。この死刑囚の罪や人間性の判断は観客に任せ,本作では,彼を死刑執行の対象物としてだけで描いている。 一方,最も印象的に残ったのは,映画中盤での捜査官ミハ(トム・ハジ)の描き方だ。裁判で自らのホロコースト体験を証言した彼は,ユダヤ人協会主催のツアーに招待されてポーランドを訪れ,ゲットー跡地で地獄体験を参加者に語る。この部分だけが英語だ。それに続く,協会の女性との会話も心に沁みる。忌まわしい歴史を風化させないためにも,こうした証人や証言が必要というメッセージなのだろう。我々日本人も原爆被災体験を語り継ぐ必要があることを,改めて痛感した。 ■『ヒンターラント』(9月8日公開) 表題はドイツ語で,監督・脚本がオスカー受賞作『ヒトラーの贋札』(07)のシュテファン・ルツォヴィツキーだったので,何となくまたナチスものかと思ってしまった。ポスターの絵柄が荒廃した街で,そこに「この狂った世界に,生きる価値はあるのか」なるキャッチがあったためかも知れない。本作の時代設定はもう少し前で,第一次世界大戦後のオーストリアを舞台に,敗戦国の敗北感,精神的苦痛の中で起きた猟奇殺人事件を描いている。画像的にもメンタル的にも暗い映画であることは間違いない。 主人公は,ロシアでの長い収容所暮しを終えて帰国した元刑事のペーター(ムラタン・ムスル)で,帰宅した家に家族の姿はなく,故国は荒廃していた。警察には復帰したが,いきなり遭遇したのは戦友の遺体で,拷問の痕跡があり,犯人も同じ帰還兵であることを示していた。そこから次々と同じような復員兵殺しが起こり,ペーターはボロボロの心身に鞭打って真相究明に動き出す……。これもまた,戦争の悲惨さを訴える一方法なのであろうが,愉快な映画でないことは確かだ。ただし,ミステリータッチで進行する連続殺人事件とその犯人探しは,さすがオスカー監督と思わせる語り口で,終盤の展開には固唾を呑んだ。徹底した男の映画であるが,ヒロインは法医学者のケルナー博士(リブ・リサ・フリース)で,彼女の存在が少し潤いを与えてくれた。 映像のことも少し語っておこう。殺伐とした土地,古い工場の煙,大きなビルや塔…,一体どこでロケをしたのかと思うところだが,全編ブルーバック撮影だそうだ。欧州には今も古い街並みが残っているとはいえ,さすがに第一次世界大戦直後の世界を実写だけで描くのは難しく,VFXの出番となる。それでも全編背景合成の必然性はないが,監督は実験的作品だという。背景画像は,手書きのマット画,実写写真を加工したもの,CG生成画像の色々な形態が考えられるが,CGが中心と思われる。意図的に歪んだ世界に見せているのも,その効用の1つだろう。多少カメラワークをつけたシーンや動的な背景オブジェクトもあったが,ほぼ固定視点の静止画であったのは製作費の制約のためかと思われる。当欄の視点からすれば,さほど画期的な実験とも思えないが,意欲的な監督が表現方法の幅を拡げるのは喜ばしいことだ。少なくとも本作は,全編を同じ手法で通したことにより,同じ暗いトーンの荒廃した世界で統一することに成功していたと言える。 ■『熊は,いない』(9月15日公開) もっと題名を信じるべきだった。「いない」というものの,熊の出没に関する騒動を描いた映画かと思い,CG製の熊が登場するなら『コカイン・ベア』と組み合わせて語ろうと思ったのだが,題名通り全く出てこなかった。CG製どころか,張りぼても剥製も,熊は影も形もなく,気配も被害もない。セリフの中に少し出て来るだけである。「イランの村で起きたある掟にまつわる事件」を描いていて,「“熊”とは何か? その答えは映画の中にある」そうだ。何かを考えさせることが,監督の意図なのである。 監督・脚本・製作は,イランの名匠ジャファル・パナヒ。政治的理由で20年間映画製作することをイラン政府禁じられている訳あり監督であることは,先月の『君は行く先を知らない』(23年8月号)でも述べた。同作は長男のパナー・パナヒ監督の作だったが,本作は父ジャファル自身の作であり,主演男優でもある。『人生タクシー』(17年4月号)では,自らタクシー運転手役として登場し,乗り合わせた客との会話を記録したという体裁をとっていた。本作では,実名の映画監督ジャファル・パナヒ本人として登場する。現実の置かれた立場そのままで,隣国トルコでの映画撮影を国境近くの村から助監督に遠隔指示しているという設定である。その映画は,国外脱出を計画している男女の姿を追うドキュメンタリードラマだったが,この2人が行方不明になる。一方,監督が滞在するイランの村で出会った愛し合う男女は禁断の恋で,こちらも村を捨てて国外に逃げようとし,パナヒ監督もこの事件に巻き込まれる……。まさにリアルとフィクションすれすれのところで,2組の男女を通してイラン社会の問題点をあぶり出している。 イスラム原理主義に基づくイラン社会の閉鎖性,不自由さ,女性蔑視の陋習を告発的に描いているのは毎度のことだ。この映画を観て,改めて何という嫌な国だと感じてしまうから,監督の目論見は成功していると言える。衝撃だったのは,この映画の発表後の2022年7月に,パナヒ監督は当局に収監されてしまったことだ。政治体制批判の罪で2010年に禁固6年の判決を言い渡され,その後保釈されたが,今回は実刑を執行するための収監だと報道されている。現在も服役中なのか,その後の詳しいことは伝わって来ていない。なるほど,ここから約5年間身辺拘束すれば,判決通りの2030年近くまでこれまでのようなゲリラ的な方法でも,映画を発信できなくなる。そうなると,ますます本作への注目が集まり,パナヒ監督のメッセージが世界中に伝わるということを,イラン政府は気付かなかったのだろうか? ■『ダンサー イン Paris』(9月15日公開) この題名からまず思いつくのは,パリ・オペラ座のバレエダンサー達である。当欄では,350年の歴史を誇る国立バレエ団の厳しい練習風景や華麗な舞台の模様を,何度もドキュメンタリー映画として紹介してきた。本作はその類いの1本ではなく,ある女性ダンサーの挫折と新たな出発を描いた劇映画である。主人公のエリ―ズはパリ・オペラ座バレエ団に所属し,エトワール(ダンサーの最高位)を目指すダンサーであるが,本作はクラシックバレエに留まらず,むしろ別の種類のダンスを正面から取り上げているのが大きな特長である。この映画を論じるのに,最近の2作品と比べて語りたい。 まず1本目は,『テノール! 人生はハーモニー』(23年6月号)だ。ラッパーの青年がオペラ座に寿司の出前を配達したことから,オペラ歌唱教室の一員となり,正規のテノール歌手のオーディションに臨むという物語だった。オペラとラップという全く異色の音楽ジャンルを結びつけ,プロのラッパーにオペラの定番曲を堂々と歌わせるシーンが見どころであった。一方,本作では,伝統ある様式美の「クラシックバレエ」に対して,自由な表現形式の「コンテンポラリーダンス」が登場する。同分野で世界を牽引する「ホフェッシュ・シェクター・カンパニー」が全面的に本作に支えていて,その創設者で振付師のホフェッシュ・シェクターや代表的なダンサーのメディ・バキが本人役で出演している。バレエとは全く違う様式のダンスとして描かれていて,その動きの素晴らしさに圧倒された。このダンスの練習風景を目にするだけでも,本作を観る価値がある。 もう1本は『裸足になって』(23年7月号)である。暴漢に襲われ,踊ることも声を出すこともできなくなったバレエダンサーの女性が,失意の底から立ち直り,同じ心の傷をもつ聾者の女性たちにダンスを教える歓びで,新たな人生を歩み出す物語であった。本作のエリ―ズもバレエダンサーとしての将来を断念するが,その事情が少し異なる。オペラ座での晴れの舞台に出演中に,恋人の裏切りを目撃して心が乱れ,足首を負傷し,医師から元に戻れない可能性を宣告される。失意の彼女は,料理人のアシスタントとして働いていたが,著名なダンスカンパニーの練習風景に遭遇する。その独創的な踊りに魅了され,この新しい分野のダンサーとして再出発することを心に誓う……。この両作の筋書きは似ているが,ダンスのクオリティが圧倒的に違っていた。 余り予備知識なく観たのだが,エリーザを演じるマリオン・バルボーの本格的な踊りに驚いた。『ブラック・スワン』(11年5月号)のナタリー・ポートマンも,『裸足になって』のリタ・クードリも,猛特訓の甲斐あってかバレエダンサーらしく踊っていたが,M・バルボーの踊りはその比ではなく,素養があるといったレベルではなかった。それもそのはず,オペラ座バレエ団の現役の上級ダンサーであり,既にコンテンポラリーダンスもマスターしていたという。本作の監督は,フランスの名匠セドリック・クラピッシュで,「エリーズには,ダンスができる俳優でなく,演技ができるダンサーを選びたかった」と語っている。まさにそれを実践して,クラシックとコンテンポラリーの両方で,エリーズの見事な踊りを見せてくれた訳だ。素晴らしい身体表現の映像美である。 さて,気になるのは,映画初出演で主演し,セザール賞の有望新人女優賞にノミネートされたマリオン・バルボーの将来である。映画に見入ってしまうと,まるで彼女は怪我が原因でクラシックバレエから引退したような錯覚をしてしまうが,本人はバリバリの現役バレエダンサーである。それでいて,本作で演技をする歓びを感じ,俳優も続けたいようだ。果たしてこの世界でも二刀流が通用するのかどうか,今後に出演作に注目したい。 ■『名探偵ポアロ:ベネチアの亡霊』(9月15日公開) 監督・製作・主演は,シェイクスピア俳優のケネス・ブラナー。彼がエルキュール・ポアロを演じるのは,『オリエント急行殺人事件』(18年1月号)『ナイル殺人事件』(22年Web専用#2)に続く3作目である。監督歴も長く,自伝的作品『ベルファスト』(22年3・4月号)ではアカデミー賞脚本賞を受賞しているが,本シリーズでは,監督業よりもポアロ役を演じることを楽しんでいるように見える。3作目ともなると,個性的な口髭もすっかり板に付いてきた。前2作は原作も著名で,過去にも映画化されていたのに対して,この「ベネチアの亡霊」というのは全く知らなかった。アガサ・クリスティの長編ミステリーは全66作,ポアロものは半数の33作で,15〜16作は読んでいたはずなのに,全く記憶にない。それもそのはず,原作小説は31作目「ハロウィーン・パーティ」で,映画化もこれが初めてである。しかも,舞台をロンドン郊外から,イタリアのベネチアに移し,原作には「亡霊」も出て来ないというので,映画化で映えるよう脚色されているのだと解釈した。 時代は第二次世界大戦後の1947年で,2度の大戦で疲れたポアロは既に引退して,ベネチアで隠遁生活を送っていた。旧友の作家から,子供の亡霊が出るという屋敷でハロウィンの夜に開催される降霊会に参加して,謎めいた霊能者のトリックを見破ることを依頼される。最愛の娘を亡くした元オペラ歌手が,娘の霊の声を聞きたいと切望して開く降霊会であったが,あり得ない方法での殺人事件が連続して起こる。ポアロ自身も命を狙われた挙句,恐ろしい子供の霊を見たり,不思議な声を耳にする……。共演者で楽しみにしたのは,『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(23年3月号)でオスカー女優となったミシェル・ヨーだった。霊媒師役なので,カンフーアクションはないだろうが,物語の鍵を握る奇妙な人物としての活躍を期待した。 観光都市ベネチアを舞台にしたのは,大作映画として成功していたと思う。市中の景観は目の保養になり,エンディングの空から見た町は頗る美しい。夜のベネチアの街や橋も,『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE 』(23年7月号)で観たばかりだが,その記憶とも重なり,効果的だった。本作の原題は『A Haunting in Venice』で,亡霊が出る屋敷というのも上記の『ホーンテッドマンション』と繋がるものがあった。タイアップ企画ではないのだが,観客側が勝手に相乗効果を起こしてしまうと言える。残念だったのは,ミシェル・ヨーはさほど重い役ではなく,早々と姿を消してしまうことだ。原作にない役柄のせいもあるが,多少の脚色ではなく,一部の登場人物名を流用しているだけで,殺人動機も殺害方法も全く異なる。原作扱いの小説とは全くの別物と考えた方が良い。 その反面,ミステリー映画としての構成はしっかりしていた。大嵐の夜になり,誰も途中で出入りできない。ポアロ以外の人物は9名だが,途中で2人死ぬので,残る7人が容疑者だ。最後にポアロが全員を集めて謎解きをしてみせる基本スタイルは,完全に踏襲されている。謎解きのヒントは,しっかり伏線として描かれていたことを観客も確認し,納得して満足感に浸れる。本格ミステリー映画としては十分合格点であり,楽しめる。 ■『ミュータント・タートルズ: ミュータント・パニック』(9月22日公開) 本作は画像入りのメイン欄には掲載できず,短評欄扱いになってしまった。その最大の理由は,今月はメイン欄の対象が多く,本作の紹介に費やす十分な時間がなかったからである。また,本作は実写&CGではなく,フルCGアニメであったため,優先度を下げざるを得なかった。当欄がこの愛すべき亀たちの映画に注目していたことは,前2作『ミュータント・タートルズ』(15年2月号)『ミュータント・ニンジャ・タートルズ:影(シャドウズ)』(16年9月号)を読んで頂ければ分かるはずだ。同じ配給ルートであるので,当然その続編だと思っていたのだが,全く別路線で登場したのは意外だった。4匹の亀忍者たちのキャラ設定は同じだが,監督,声優,CG担当会社の全てが異なっている。 この路線変更の機会に,過去作を整理しておこう。原典は1984年に出版開始された米国製コミックだが,TVアニメで人気を博し,長編映画は今回で8作目である。まず,1990年前半に実写映画『ミュータント・タートルズ』(90)が公開され,これがヒットしたため,続編2作が作られている。完全な実写であり,4人組の俳優は,亀の甲羅を背負い,顔は緑色のフェイスマスクを被って演技していた。まだCG活用作は希少であり,当映画評も存在しなかった時代である。一方,上記2作は,CG/VFXを多用したアメコミの実写映画化が完全に定着してからであり,じゃんけん後出しでの再船出であった。この間に,フルCGアニメの『ミュータント・タートルズ -TMNT-』(07)が製作されているが,日本未公開であった(DVDでは入手できる)。予告編を見る限り,当時の平均的なフルCGアニメの画調を採用している。さらに昨年,別のフルCGの『ライズ・オブ・ミュータント・タートルズ: THE MOVIE』(22)がNetflixから配信されている。こちらは背景はリアルな3D-CGで描き,亀たちは漫画映画風のセル調で描いている。原作コミックのタッチで描き,完全なお子様向きアニメ映画である。 さて,CGアニメとして3作目の本作であるが,今回の路線変更は,アメコミ界が実写&CG映画全盛からフルCGへ回帰している潮流の1つだと感じた。その大きな理由は,制作コストを抑えるためだろう。よって,同じCGでも,実写&CG版でILMがFacial Captureを活用して描いた亀たちの表情の豊かさはない。フルCG版での新潮流を打ち出した『スパイダーマン:スパイダーバース』シリーズほどの斬新さもない。それでも,最近のCGアニメの平均水準はクリアしている。とりわけ,夜や地下の暗いシーンが多い本作では,それに相応しいライティングが採用されていて,これは上出来だった。 CGにかけるコストは削減したが,その分,脚本や演出に注力したと感じられた。本作の時代設定は,上記の実写&CG版より少し遡り,タートルズ4人組が15歳の高校生となっている。直接の前日譚ではなく,普通のカメ達がミュータント化した経緯や,ウサギのスプリンターに育てられこと,人間社会からは嫌われている存在であることに触れながら,新たな物語を展開させている。終盤は悪役のスーパーフライトとの戦い中心だが,全体としては青春映画の色彩を強く打ち出している。テンポが良く,音楽も軽やかな楽曲中心で,ティーンエイジャーを対象にしたアニメ映画はかくあるべしとの見本のような映画だ。監督・脚本はジェフ・ロウ。これが監督デビュー作であるが,当欄が「ギャグアニメの逸品」と絶賛した『ミッチェル家とマシンの反乱』(22年Web専用#2)の共同脚本を書いただけのことはある。 本作の試写は日本語吹替版を観たのだが,実は英語版(字幕版)が気になっていた。スプリンターの声がジャッキー・チェン,スーパーフライの声がアイス・キューブであったからだ。劇場で観る方には,今回の字幕版はそれを選択するだけの価値があると言っておこう。 ■『ロスト・キング 500年越しの運命』(9月22日公開) 英国映画で,ここでいう「ロスト・キング」とは,1485年に戦死した英国王リチャード三世のことである。15世紀の人物であり,我々日本人には王位継承順も家系も分からず,馴染みが薄いが,英国人なら誰もが知る存在らしい。シェイクスピアの戯曲の題名にもなっている。本作は,2012年9月,約530年後に遺骨が発見された経緯を,コミカルなタッチで映画化している。 本作の主人公は,この遺骨発見の立役者であった女性フィリッパ・ラングレーで,『シェイプ・オブ・ウォーター』(18年3・4月号)のサリー・ホーキンスが演じている。女主人公の遺跡発掘への関与となると思い出すのが,キャリー・マリガン主演の『時の面影』(21年Web専用#1)だ。夫が遺した土地の塚(墳丘墓)から考古学上の大発見をするという物語で,時代は1939年,こちらも英国が舞台だった。歴史上の大発見としては,本作の方が圧倒的に上のようだ。何しろ,遺骨の科学的分析から,リチャード三世が正規の国王であると英国王室が認定し,2015年に再埋葬の式典が開催され,フィリッパはエリザベス女王からMBE勲章を授与されている。 劇中のフィリッパは夫と別居中で,職場でも上司に認められず,難病の「筋痛性脳脊髄炎」に苦しむ鬱屈した女性として描かれている。ある日,舞台劇「リチャード三世」を観たことが契機で,すっかりこの国王の熱烈ファンになる。シェイクスピアが100年後にこの国王を残虐な人物として描いたことから,一般には悪人の評価らしい。フィリッパは彼の名誉回復を望む「リチャード三世協会」に入会し,遺骨発掘運動をリードする。様々な文献を精査し,当時の教会の敷地はレスター市の社会福祉事務所の駐車場になっていると推定し,資金集めして発掘に漕ぎ着け,遂に地中から遺骨を発見する。 面白いのは,熱烈に思い込むことから,彼女の前にリチャード三世の幻影が頻繁に登場することだ。勿論,それはスティーヴン・フリアーズ監督の脚色によるフィクションだが,この国王役はハリー・ロイドが演じている。余談になるが,終盤の再埋葬式典の部分で,ベネディクト・カンバーバッチの名前が登場する。映画中ではただそれだけだったが,遺骨のDNA鑑定で彼がリチャード三世の血縁であることが判明し,大聖堂での記念式典でリチャード王に捧げる詩を朗読したとのことである。であれば,幻影役とまでは行かないまでも,どこかでカメオ出演してもらいたかったと思う。 ■『ファッション・リイマジン』(9月22日公開) 英国映画が続くが,テーマも映画のスタイルもかなり違う。同国の女性ファッションデザイナー,エイミー・パウニーの活動を描いたドキュメンタリー映画である。と言っても,世界的に名前を知られる大御所の伝記映画ではない。2017年に英国ヴォーグ誌の最優秀新人賞を受賞したデザイナーであるから,この業界では若手であり,自ら「業界の異端者」と任じている。大量消費と豪華さの追求が当り前であったモード業界で,自らがクリエイティブ・ディレクターを務める「Mother of Pearl」を環境問題に配慮した「サステナブルな」ブランドに変革し,それを業界全体に及ぼそうとしているからだ。その挑戦に共感したベッキー・ハトナー監督が,18ヶ月間密着取材し,このロードムービーを作った。 まず,「毎年一千億着の服が作られ,購入した年の内に60%が捨てられる」「業界全体のCO2排出量は,中国,米国に次ぐ世界第3位」という数字に愕然とする。まるで「ファッション界のアル・ゴアか!」と思う訴え方だ。父親が環境活動家で,水も電気も暖房もないトレーラーで育った彼女は,衣服の製造工程を最小限の水と化学肥料で済ませ,オーガニックで追跡可能な原材料だけを用いたいと考える。それに適した羊毛と絹糸を求めて,世界中を探しまくる。洗浄(スカーリング),加工,糸に染色の過程も点検する。そうして得た材料で製作するファッションの新ライン名を「No Frills(飾りは要らない)」と名付け,デザイン的にもシンプルさ強調している。そのコレクション発表会までの奮闘ぶりが描かれている。 地球の裏側まで訪れて素材を求める情熱,数々の障害を乗り越えて発表会に間に合わせる劇的な展開は,まるでかつての「プロジェクトX」だ。何という見事な生き方かと感心し,思わず応援したくなる。No Frillsの発表会は大成功で,彼女のポリシーに共感した著名人も登場する。ただし,話題性ゆえに共感は呼んでも,それが持続するのかが気になってしまう。素材とデザインは別物であり,ファッション性だけに着目する購買層は次第に離れて行くのではないかと…。その前に,業界全体に彼女のビジネスモデルが浸透し,「サステナブル」が当り前になっていることを願わずにいられない。 ■『コンフィデンシャル:国際共助捜査』(9月22日公開) 次は韓国映画の刑事ものだ。あまり個性の題名だが,見覚えがあったので,既に観た作品なのかと思ったが,そうではなかった。題名が続編らしくないだけで,5年前の『コンフィデンシャル/共助』(18年2月号)の正統な続編とのことだ。それでもすぐには思い出せなかったのだが,主演の2人の顔を見て,北朝鮮のイケメン刑事と韓国の庶民派刑事の凸凹コンビのバディものであったことに気がついた。庶民派とは聞こえがいいが,要するにカン刑事を演じる醜男のユ・ヘジンの顔は一度見たら忘れないだけのことである。一方,イケメンだが,さして個性がなかったリム刑事役のヒョンビンは,この5年の間にNetflixドラマ『愛の不時着』で大ブレイクしたため,この前作や彼が犯人役であった『ザ・ネゴシエーション』(19年7・8月号)までが再公開されるという人気ぶりである。 さて「国際共助」というからには,本作は凸凹コンビが海を渡って欧米か中近東で大活躍するのか,それとも紅毛碧眼の外人刑事たちが韓国にやって来るのかと思ったが,これも予想が外れた。強いて言えば,後者に近い。冒頭の舞台はNY市内だった。FBI捜査官のジャックが北朝鮮の国際麻薬組織を率いるチャン・ミョンジュン(チン・ソンギュ)を逮捕したが,北のリム刑事が身柄引き取りにやって来る。その移送中に組織に襲撃され,チャンを奪還されてしまう。一旦,北朝鮮に戻ったチャンが10億ドルと共に姿を消し,偽造パスポートで南に潜入したと聞き,リム刑事が南にやって来る。さらに,FBIのジャック捜査官も韓国にやって来て,2人の仲介役としてカン刑事が加わり,前代未聞の北×南×FBIのチームでチャンと10億ドルの行方を追う……。ジャック捜査官を演じるダニエル・へニーは韓国系米国人で,韓国語が話せ,しばしば韓国映画やドラマに出演している。何のことはない,結局は典型的な韓国映画なのである。 好い味で物語を引っ張るのは,前作同様,カン刑事だ。彼の単独主演作はあり得ないのだろうが,コンビでもトリオでも,彼の個性が活きる。彼の家族(恐妻とその美人の妹)も再登場し,コメディタッチの会話が心地よい。北とFBIが仲違いした時,「俺たちはアベンジャーズだ!」と言って,協調体制を鼓舞する。「ホビット」や「アントマン」の名前までが出て来て,会場の笑いを誘う。その一方で,アクションの切れ味はよく,ラストバトルのスケールも大きかった。エンタメ映画としての完成度は高い。唯一欠点を言えば,5年前は南北融和で,米国大統領まで38度線の非武装地帯まで出向く外交関係だったが,現在の国際情勢は全く違う。こんな3国共助関係は不自然に感じるが,エンタメ映画にそんな固いことをいうのは野暮かも知れない。 ■『ハント』(9月29日公開) 韓国映画が続く。警察ものに近いが,こちらは国家安全企画部(旧中央情報部KCIA)内の部門間の対立が主テーマで,時代は全斗煥政権の1980年代である。諜報活動の重要機密が北に漏れたことで組織内全体が「二重スパイは誰か?」と疑心暗鬼に陥り,さらに後半では全大統領の暗殺計画にまで及ぶ。緊迫感は高く,上記の『コンフィデンシャル…』のコメディタッチとは180度違う。スパイアクション映画であり,ポリティカル・サスペンス映画でもある。監督・脚本はNetflix配信ドラマ『イカゲーム』で主人公を演じたイ・ジョンジで,これが監督デビュー作だ。自ら安全企画部海外班のパク・ピョンホ次⻑を演じ,盟友チョン・ウソンが対立する国内班キム・ジョンド次⻑を演じるというW主演を果たしている。 映画を観に行く前に本稿を読まれる読者に,大切な注意をしておきたい。この2人の顔立ちがかなり似ていると,予め留意されたい。韓国映画の主演男優は大抵似たような美男顔だが,本作では共にスーツ姿,髪も7:3分けで登場し,実年齢もほぼ同じあるから始末が悪い。『観相師-かんそうし‐』(14年7月号)『ただ悪より救いたまえ』(21年11・12月号)で準主役だったのがイ・ジョンジ,『レイン・オブ・アサシン』(11年9月号)でミシェル・ヨーの相手役だったのがチョン・ウソンと言われても,益々混乱する。日頃から両俳優を何度も眺めている韓国人なら分かるのだろうが,たまに韓流映画を観る程度の日本人観客には識別できない。おまけに役名も俳優名も皆似ているから名前も覚えにくい。物語の前半で2人の立場と発言を区別できていないと,海外班と国内班のスタンスや行動を混同してしまう。部下が誰なのかを手掛かりにするか,2人並んだ時,少し背が高いのが国内班のキム次長と覚えておくのがコツである。 物語は,全斗煥政権と国民感情,当時の南北関係を知っていると実感しやすい。1980年代の韓国の街や屋内はしっかり再現されていたと感じた。筆者は1990年代,2000年代に何度も韓国を訪れ,その高度成長を目の当たりにしたので,これは1980年代だなと思う。両班の対立構図と疑心暗鬼の描写は上々で,拷問や激闘もリアルだった。ただし,東京の市街地で北と南が派手な銃撃戦を起こすシーンはやり過ぎだ。そんなことがあればすぐ警視庁が駆けつけるし,重大な国際問題になる。終盤の二重三重の逆転には驚くが,意外性を強調し過ぎだと感じた。後味は余り良くなかった。 ■『ルー,パリで生まれた猫』(9月22日公開) 徹底的に猫好きのための映画である。いや,この映画を観て,猫好きになる方もおられるだろう。主人公はパリに住む10歳の少女クレムで,800人の中から選ばれたキャプシーヌ・サンソン=ファブレスが演じている。一方,猫側の主役は,クレアが屋根裏で見つけたキジトラの仔猫だ。クレアはルーと名付け,両親の反対を押し切って飼い始める。しばらくパリでの描写が続くが,この一家が別荘に向かう辺りから物語も景観も一転する。パリからクルマで約5時間,フランス北東部のドイツとの国境にあるヴォージュ山脈の森の中である。この別荘に常駐していて,クレアが魔女と呼ぶ老女マドレーヌ(コリンヌ・マシエロ)との再会と彼女の教えが,クレアの人生に影響を与え,心の支えになる。仔猫のルーにとっては,マドレーヌが飼う大型犬ランボーや森の中の動物との出会いが瑞々しい。自然の中での生活が,ルーの野性を呼び起こすことになる。森の中も雪山も美しい。 予備知識なく観たのだが,全くCGは使っていなくて,すべて本物の動物のようだ。まるで動物ドキュメンタリーのように感じられ,物語はあってなきに等しいのかと思ったが,原作はモーリス・ジュヌヴォワの小説「RROÛ」(邦訳はなし)だという。とういうことは,動物たちが気ままに振る舞うのではなく,しっかり訓練し,演技させている訳である。監督は,動物映画専門のギョーム・メダチェフスキで,ミュリエル・ベックが率いる動物トレーナーチームが関わっている。猫がネズミを襲い,鳩と戯れるのは自然の行動であり,イノシシに追われ,ミミズクに追われるシーンは訓練による演出のようだ。ルーが恋する白猫のカリーヌにも見事な演技が付けられている。一体どうやって撮ったのか,不思議に思える。 そうした物語進行の中,終盤ルーに起こる出来事に気を揉み,クレアに感情移入して観てしまう。単純なハッピーエンドではないとだけ言っておこう。大人しく点滴を受ける様子や,ラストのルーの演技が見事だ。 ■『ジャンポール・ゴルチエのファッション狂騒劇』(9月29日公開) 今月はもう1本,ファッションデザイナーのドキュメンタリー映画がある。ただし,上記の『ファッション・リイマジン』とは全く性格を異にしている。こちらがフランス映画で,フランス人の名の通った高齢のデザイナーだというだけでなく,エイミー・パウニーとはクリエイターとしての姿勢がかなり違う。「真逆」とまで言ってもいいくらいだ。伝記映画なのか,創作活動の現場を描いた映画なのか,それともモードコレクションの発表会の舞台裏を見せる映画なのかと言えば,どれも答えは「Yes」である(仏語で「Oui」と言うべきか?)。対象は,既製の枠組みでは収まらない恐るべきミュージカルショーで,「ファッション・フリーク・ショー」と称している。その初演までの舞台裏を未着取材した映像記録が本作である。 「ジャンポール・ゴルチエ」は,せいぜい名前を聞いたことがあるだけだった。オンワード樫山とライセンス契約したメンズ・プレタポルテもあったようだが,服を買ったことはない。いや,日本人の平均的サラリーマンが買うようなファッションではないようだ。ゴルチエの経歴を読むと,1952年生まれで,18歳でピエール・カルダンの弟子になり,1997年にオートクチュールコレクション「Gaultier Paris」を立ち上げたこと,2004年からはエルメスのレディース部門を兼務していたこと等が記されている。ファッションだけに留まらず,ダンス,音楽,映画等の様々な創作活動に興味があり,フランス文化を担う存在であるようだ。 「ファッション・フリーク・ショー」は彼の活動の集大成ともいうべきショーであり,幼少期からの伝記が描かれている。企画・脚本・演出はゴルチエ自身だ。時代を反映した音楽が流れ,大きな映像投影,ダンスに加えて演劇もあり,各年代のガルチエは俳優が演じている。かつての名作ファッションや最新ファッションを着たモデルたちも続々と登場する。壮大な自叙伝エンタテインメントショーで,2018年のパリ公演では25万人が,ロンドン公演を加えると30万人が熱狂した。この映画の監督は,ドキュメンタリー専門のヤン・レノレ。マドンナ,カトリーヌ・ドヌーブ,マリオン・コティヤールといった大物俳優やアーティストのインタビューがあるが,それ以外は絶えずゴルチエ自身がしゃべり続けている。それを無視して,ファンションだけを眺めていたら,その斬新さにも驚いた。多数のスタッフとキャストが奮闘してショーの開幕を迎えるまでの狂騒ぶりも圧巻だった。 ■『ジャム DJAM』(9月29日公開) 映画国籍としては,フランス・ギリシャ・トルコとなっているが,印象としてはギリシャ映画だ。ギリシャのレスボス島に住む若い女性ジャムが主人公で,トルコのイスタンブールに向かい,フランスから難民支援に来たボランティアの女性アヴリルと出会い,2人が織りなすロードムービーである。レスボス島は古代ギリシアの詩人サッフォーの伝説が残る島で,エーゲ海の碧い海が頗る美しい。ギリシャの領土だが,アテネからは遠く,対岸のトルコがすぐ近くに見える島である。映画中では,イスタンブールの美しい街並みも登場する。 時代設定は2016年11月で,母を亡くしたジャム(ダフネ・パタキア)は元水兵の継父(母の再婚相手)のカクールゴス(シモン・アブカリアン)と2人で暮らしていた。互いに「臭いジイさん」「アバズレ」と呼び合い,軽口で応酬し合う関係だ。大事な船のエンジンのロッドが壊れたため,継父の依頼でジャムはイスタンブールに向かう。特注のロッドは無事入手したものの,スリの少年達にそれを盗られたり,出会ったアヴリルと奔放な珍道中を繰り広げる等,能天気で楽しいガールズムービーとなっている。その一方で,亡き祖父の家に母の遺品を取りに行く下りや,母と継父の出会いの物語は「ちょっといい話」だ。終盤は,島のレストランが借金で差し押さえられるという騒動も描かれている。 見どころは,音楽とダンスを愛するジャムが,踊り,歌うシーンの数々だ。旅の道中も常に小さな楽器「バグラマ」を携行していて,それを弾きながら歌うブルース調の「レンベティカ」が心を癒してくれる。ギリシャとトルコの融合音楽で,難民たちの心の歌だそうだ。監督・脚本は,アルジェリア出身でフランス在住のトニー・ガトリフ。自身のルーツである遊牧民ロマの文化と音楽に根ざした映画を撮り続けているが,本作もその一環である。同監督の代表作で音楽性の高い『ガッジョ・ディーロ』(97)のデジタルリマスター版が本作と同時に公開されるので,併せて観ることをオススメする。 | ||||||||||||||||||||
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