O plus E VFX映画時評 2023年9月号

『コカイン・ベア』

(ユニバーサル映画/パルコ配給)




オフィシャルサイト[日本語][英語]
[9月29日よりTOHOシネマズ日比谷他全国ロードショー公開中]

(C)2022 UNIVERSAL STUDIOS


2023年8月17日 大手広告試写室(大阪)

(注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています)


クマが主役のパニック・コメディ, 表情描写が秀逸

 楽しい映画だ。配給会社による宣伝文句では,「ワイルド・パニック・アドベンチャー」となっているが,これは絶対に「パニック・コメディ」と表現する方が適切だ。ある出来事により,巨大なクマが麻薬のコカインを食べてしまって凶暴化し,人間を襲うという映画である。実話が基になっていて,残虐な死体が登場する物語をコメディというのは不謹慎だと思われるかも知れないが,やはりこの映画は「コメディ」としか言い様がない。奇想天外&前代未聞の爆笑物語なのである。
 冷酷な麻薬王のシド(レイ・リオッタ)は大量の麻薬を米国に運び込むのに,巧妙な手口を使っていた。南の国境からセスナ機を飛ばし,コロンビア産のコカインの入ったバッグを地上に投下した後,それを部下たちに回収させる方法である。1985年のある日,運び屋のアンドリューは予定通りジョージア州北部の森にバッグを投下するが,誤って自分自身も落下して死んでしまった。
 学校をサボって滝のある森に来た13歳の少女ディーディーと友人の少年ヘンリーは,森で小さな包み見つけ,これがニュースで見たコカインだと察する。そこに,既にコカインの味を知っていた巨大なクマが現われるが,クマが白い粉をむさぼっている間に必死で逃げる。ディーディーがブラッド山の森に向かったと知った母親のサリ(ケリー・ラッセル)は,自らも森にやって来て,森林警備隊員のリズ(マーゴ・マーティンデイル)と野生動物管理官のピーターらと捜索を開始する。一方,コカインを回収したいシドは,手下のダヴィード(オシェア・ジャクソン・Jr.)と息子のエディ(オールデン・エアエンライク)にブツの在り処を探させる。この騒動に,地元の非行少年3人組,ベテラン刑事のボブ(イザイア・ウィットロック・Jr)と新人の婦人警官,救急隊員,ハイキング中の男女らも巻き込まれて,ハイになったクマに次々と襲われることになる……(写真1)


写真1 R指定の残虐シーンのはずが、なぜか滑稽

 一見残虐なシーンに見えて,そのプロセスが滑稽であり,見事な爆笑劇に仕上がっている。ここで注意すべきは,実話はごく一部で,映画の大半はフィクションだということだ。1985年9月11日午前1時頃,アンドリュー・カーター・ソーントン2世なるコカイン密輸業者が,30kgの前後のコカインが入ったダッフルバッグ3個を空から投げ捨てたこと,セスナ機を自動操縦に切り替えて自らも脱出を試みたが,パラシュートが開かずに,テネシー州の住宅地の砂利道に落下して即死したことまでは真実である。その4ヶ月後に,ジョージア州チャタフーチーの荒野で体重80kgのクロクマ(ツキノワグマ)の死体が発見された。解剖したところ,胃には15kg以上のコカインがあり,脳出血,高熱,呼吸不全,腎不全,心不全を併発して死亡したことが判明した。このクマが食べた以外のコカインは,他の動物が食べたか,人間が持ち逃げしたかは不明である。余談ながら,落下して死亡した人物が麻薬密輸業者となる前の経歴は,陸軍空挺部隊員,競走馬の調教師,麻薬チームの警察官,麻薬取締局の捜査官,弁護士だったいうから驚く。映画以上に数奇な人生だったようだ。
 何のことはない,クマは被害動物であり,人間を襲ったりはしていない。それをコカインでハイになり,人間を襲うという物語に仕立てた時点でコメディである。「ある日,森の中,ハイになったクマさんに出会った……!!」なるキャッチコピーだけで楽しくなり,口ずさみたくなるではないか。クマが薬物過剰摂取で死んだ事件を,「クマがコカインで完全に酩酊したらどうなる?」と考えて物語を書いたのは,脚本家のジミー・ウォーデンだ。それを映画の企画としてプロデュースしたのは,『スパイダーマン:スパイダーバース』(19年Web専用#1)のフィル・ロード&クリス・ミラーの売れっ子コンビである。監督には女優のエリザベス・バンクスが起用され,製作にも名を連ねている。監督業は『ピッチ・パーフェクト2』(15年10月号)『チャーリーズ・エンジェル』(19)に続く3作目である。女性監督がこの種のパニック映画のメガホンをとることは珍しいが,かなりコメディセンスがあり,今後も監督としての活躍が期待できそうだ。
 劇中でコカイン中毒になるクマは,体重200kg超の牝のマレーグマとして描かれている(写真2)。クマの群れは登場せず,同じクマであることを観客に分からせるため,鼻には傷をつけ,右耳の一部を欠けさせているそうだ(映画に熱中していて,筆者は気が付かなかった)。劇中で名前は出てこないが,脚本家がこのクマを「コーキー」と呼んでいるようなので,以下ではこの名前を使用する。


写真2 クマがこの包みに味をしめたのが騒動の発端

 昔のパニック映画ではないから,人間が着ぐるみに入って演技するようなお粗末なクオリティは通用しない。訓練して映画で演技をさせられるような巨大なクマはいないから,勿論すべてCGでの描写である。以下,当欄の視点からその出来映えを詳述する。
 ■ VFXカットは全体で約800あり,その内コーキーの登場場面は300以上とのことだ。今月号の別項の『ジョン・ウィック:コンセクエンス』は1,523カット,『ドラキュラ/デメテル号最期の航海』は約1,200カットだったから,それに比べると少ないが,ほぼクマ1匹を描くだけであるから,決して少なくはない。むしろ,全編でこのコーキーが何度も登場して,様々なデジタル演技をしているということになる。CG/VFXの主担当はWeta FXで,他にRising Sun Pictures, Halon Entertainment, Lola VFX, Clear Angle Studios等も参加している。クマの描写に関しては,Weta FXだけが担当したようだ。『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズ3部作 (01〜03)のピーター・ジャクソン監督が設立したニュージーランドのスタジオで,その後もVFX業界の大手として多数のハリウッド作品にも参加している。上記3作の他に『キング・コング』(06年1月号)でもアカデミー賞視覚効果賞を受賞し,『猿の惑星』シリーズ3作(11〜17)では多数のCG製の猿を見事に描いているので,クマを質感高く描いて本物らしく見せるのはお手のものである。最近,VFXを多用しておきながら,その画像を公開しない映画が多いが,本作は幸いにもWeta FXがメイキングビデオや画像類を公開してくれているので,それに基づいて代表的シーンを紹介する。
 ■ まず,簡単な例から始めると,走り始めた救急車にコーキーが跳び乗るシーンである(写真3)。静止画で見ると何でもない合成だが,走り去る救急車の速度に応じてコーキーの跳躍をきちんと整合させ,不自然さを感じさせない動きデータを作成する必要がある。


写真3 救急車へのジャンプシーン(下:完成映像)

 ■ 写真4は,コーキーを撹乱させておき,その間に逃げようと,東屋の屋根からボブ刑事がコカインを撒き散らすシーンである。下で口を開けているコーキーとコカインの白い粉との合成が絶妙だ。おそらくこの粉自体がCG描画だろう。口の周りにコカインの粉を残している描写も,いかにも自然でそれらしい(写真5)。この後,コーキーがディーディー達に粉を吹きつけるが,その表情や粉の動きもリアルだ。


写真4 振り撒かれたコカインを, 口を開けて待ち受ける(下:完成映像)

写真5 口の周りの食べ残しが絶妙((下:完成映像)

 ■ コーキー単独での動きは比較的簡単だが,人間と絡むシーンの合成は,しっかりプレビスしておく必要がある。頭部だけの模型が用意されていて,質感はかなり高い(写真6)。演技をする俳優の前において,気分を出させ,視線を調整するための小道具なのだろう。CGで描くコーキーの動作は,MoCapパフォーマーのアラン・ヘンリーが1人で演じている。『ジャングル・ブック』(16年8月号)『ジュマンジ/ネクスト・レベル』(19年Web専用#6)等で,様々な野生動物や奇妙な生物を演じてきたベテランである。彼は,黒装束で両腕にエクステンダーを着け,クマの鼻口部がついた黒ヘルメットを被ってリハーサルや本番で撮影現場に登場する(写真7)。俳優との位置関係を調整し,彼自身が4つ足で移動する時の体重のかけ方を調整するための恰好である。


写真6 頭部だけのリアル模型は演技のガイド用

写真7 クマ役の演技者は,こんな恰好で体重移動を調整

 ■ その代表的な利用シーンが写真8で,コーキーが部屋の扉を押し破り,その扉の上を歩いて人を下敷きにする。このシーンでのクマになり切ったアランの動き(写真8上)はあくまで目安であり,撮影後にWetaのスタジオに戻り,コーキーの動きを表現する正確なMoCapデータ(写真8中)を収録している(写真9)。VFX合成での位置合わせには,扉に付されていた赤丸のマーカーが使用されている。


写真8 扉を破って侵入シーンのメイキング(下:完成映像)

写真9 上記を正確に合成するためMoCapデータを収録

 ■ MoCap俳優のアランが関係しない人間との絡みの代表例は,木の上のピーターが襲われるシーンだ(写真10)。木の上のピーターは本物だが,コーキーが木を駆け登り,ピーターを襲うカットでは,3D-CGオブジェクト間で前後判定し,動きを付けている。アングルによってはピーターもCGダブルを利用していると思われる。


写真10 木の上に逃げても襲われるシーン(下:完成映像)

 ■ コーキー1匹だけの描画となると,最近のVFX映画としては,作業量的には少ない方だ。質的にも,体毛の描写はWeta FX社にとっては朝飯前だろう。本作で感心したのは,コーキーの動きよりも表情の豊かさである。コカインを食べて悶える様子や食べ過ぎて眠ってしまうシーンは,可愛く感じてしまう(写真11)。仕草抜きで,顔だけを見ていても,当初は剽軽な表情で,次第に不機嫌になり,やがてかなり怒り狂った顔になる(写真12)。いずれもいい出来映えだ。メイキング映像では,MoCapはあったが,Facial Capturingは見当たらなかった。全く使っていなかったとしたら,手付けの操作で顔の筋肉を動かして表情を作っていることになる。類人猿や異星人のように人間に似た目鼻口の位置関係ならFacial Capturingも効果的だが,クマとなると人間の顔の動きを伝えてもそれらしく見えないのだと思われる。考えてみれば,実物のクマの怪訝な顔,困った顔,疲れた顔などを見た人物はまずいない。見た気になるのは,擬人化したマンガ的な表現の場合だけである。となれば,クマが苛立っているとか,ハイになっているとか,観客にそう思わせるような表情を創作すれば済むわけだ。終盤に登場する2匹の子グマ(写真13)を愛らしく感じるのも,同じ理屈である。ともあれ,本作のコーキー母子の表情は,なかなか見事な出来映えであった。


写真11(上)味をしめて歓喜の悶絶, (下)食べ疲れて一眠り

写真12 各種の感情表現が秀逸(なるほど鼻の上に傷,右耳に欠損がある)

写真13 ハイキング客のビデオに映っていたクマの母子
(運び屋の落下死から2日後の日付が記録されている)
(C)2022 UNIVERSAL STUDIOS

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