head
titlehome略歴表彰学協会等委員会歴主要編著書論文・解説コンピュータイメージフロンティア
| TOP | アカデミー賞の予想 | サントラ盤ガイド | 年間ベスト5&10 |
titletitle
 
O plus E 2022年Webページ専用記事#6
 
その他の作品の短評
  (注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています)  
 
   『RRR』:例によって,このWeb専用ページの冒頭は,9・10月号に間に合わなかった映画だ。しかも,インド映画史上で稀にみるVFX大作だというのに,しかるべきスチル画像が提供されないので,メイン記事扱いができず,こうして短評欄で語らざるを得ない次第である。監督が大ヒット作『バーフバリ 伝説誕生』『バーフバリ 王の凱旋』のS・S・ラージャマウリとなると,娯楽大作で,面白くない訳がない。上映時間は2部作の合計よりは短いが,それでも179分もあり,たっぷりと楽しめる。時代は1920年の英国植民地時代のインドで,反英独立運動の炎が各地で燃え上がっている。主人公の1人は,南インドのゴーンド族の闘士コムラム・ビームで,妹マッリを英国総督夫妻に連れ去られたことから,その奪還のために首都デリーにやってくる。もう1人は総督指揮下の警察官のA・ラーマ・ラージュで,反英闘争の志を秘めた人物だ。それぞれ,NTR Jr.とラーム・チャランが演じている。インド映画は国内だけで多数の言語に吹替えられていることは以前に述べたが,本作はテルグ語で作られ,この2人はテルグ語映画界の2大スターだそうだ。ビームとラーマは映画の前半で意気投合し,無二の親友となる。立場上,ラーマはビームを逮捕せざるを得ず,ビームは拷問にかけられるが,この種の娯楽大作ではハッピーエンドとなることは最初から約束されている。2人とも実在の人物らしいが,現実に2人が会ったことはなく,その点では物語は全くのフィクションである。映像はボリウッド作品らしく,鮮やかかつ高精細だった。物語は極めて分かりやすく,高尚ではないが,大作らしい風格がある。お馴染みの歌と踊りのシーンは勿論登場するが,パーティでのビームとラーマのダンス対決は圧巻だった。トップスターともなると,ここまでの技量が必要なのかと感心する。アクション,チェイス,カメラワークも派手で,ワイヤーアクションも多用されている。CG/VFXの見どころは,「森の中でのビームと虎の戦い」「鉄橋を走る貨物列車の炎上と落下,それに続く少年救出の曲芸シーン」「総督公邸へのトラックの突入と多数の猛獣の出現」「総督公邸へのCG利用と大群衆の描写」等々が挙げられるが,画像を見せながら解説できないのが残念だ。CG/VFXの主担当はインド最大手のMakuta VFXで,英国の雄MPC,DNEG傘下のReDefine,ハリウッド系のDigital Domain, Rhythm & Hues Studios, Craft VFX等も名を連ねている。その他,エンドロールを見ただけでも,redchillies.vfx, Surpreeze, Alzahra VFX, Firefly Creative Studio, Mindvisons, Knack Studios, Betta VFX等から多数のクリエータたちが参加していたことが分かる。主要スタジオが作成したVFXメイキング映像はYouTubeにアップされているので,「Visual Effects for the Indian blockbuster “RRR”」「RRR|VFX Breakdown by Digital Domain (2022)」「RRR - VFX Breakdown by Craft-VFX」等々を見て頂きたい。
 『MONDAYS/このタイムループ,上司に気づかせないと終わらない』:既に10月14日から東京,大阪,名古屋で先行公開されているが,10月28日の全国順次公開の数日前に視聴する機会を得た。興味を惹いたのは,何といっても異色のタイトルであり,しかも筆者が大好きなタイムループものであることだ。過去の同系統作品を分析しているというから,嬉しいではないか。時代は現代で,さる大都市にある小さな広告代理店の社内が舞台である。多分東京で,どこにでもあるオフィス風景だ。主人公は,既に他社への転職が決まっている女子社員・吉川朱海(円井わん)で,最後の仕事を完璧に仕上げて転職したいと日々の仕事に打ち込んでいる。ある日,後輩の男子社員2人に「僕たち,同じ一週間を繰り返しています!」と指摘され,いくつも証拠を見せられて,ようやく納得する。その後,1人ずつ仲間を増やしていくが,ループ脱出の鍵となるのは,永久部長(マキタスポーツ)にこの事実を気付かせることだ。彼が腕にしている「呪いの数珠」がループの原因と思われたからだ……。劇中で,当欄でも紹介した映画『オール・ユー・ニード・イズ・キル』(14年7月号) 『ハッピー・デス・デイ』(19年Web専用#3)と,この分野の古典『恋はデジャ・ブ』(93)の名前が登場するが,これだけとは少し淋しい。監督・脚本は,これが長編2作目となる竹林亮だが,本作の前に見直したのがこの3作だったようだ。少しユニークなのは,同じ日を繰り返すのではなく,月曜の朝から1週間のループが始まるのと,そのことに気付く人物が徐々に増えることくらいだ。ずばり言って,タイムループものとしてはさほど面白くなかった。ループの原因や脱出方法もあまり説得力がない。その一方で,「新感覚オフィス・タイムループ・ムービー」と名乗るだけあって,身近なオフィス風景をシニカルに描いている点が秀逸で,楽しい。徹底した低予算のワンシチュエーション映画だったので,元は舞台劇なのかと思ったのだが,オリジナル脚本のようだ。部長が月曜の朝に「みんな泊まり? 若いねぇ」と声をかけるように,この広告代理店もブラック企業として描かれている。所詮,サラリーマンの仕事なんて同じことの繰り返しだと喝破している。それでいて,「これって...,仕事のスキルを身につける,いい機会かも?」「この仕事,うまくいくまで繰り返して,最高の状態で転職してやる!」なる発言があるのは健気だ。少し気になったのは,ループは10/25(月)から始まり,10/29(金)までが描かれていることだ。これは昨年の曜日であり,時間を気にした映画なら,今年の10/24(月)に始まり,全国公開の10/28(金)に合わせるべきだろう。昨年公開予定で製作したのが,コロナ禍で延期になったのだろうか? それとも,既に過去の出来事だと言いたかったのだろうか? この機会にタイムループの代表作を紹介しておくと,当欄では『ミッション:8ミニッツ』(11年11月号)『LOOPER/ルーパー』(13年1月号)『ハッピー・デス・デイ 2U (19年Web専用#3)『パーム・スプリングス』(21年3・4月号)『明日への地図を探して』(同号)を取り上げている。その他,『トライアングル ~殺人ループ地獄~』(09)『パラドクス』(14)『エンドレス・ルーーープ』(22)も見応えのあるループ映画である。
 『アムステルダム』:豪華キャストの映画だが,まず主演トリオの人選に惹かれた。第1次世界大戦に従軍した米軍負傷兵のバート(クリスチャン・ベール)とハロルド(ジョン・デヴィッド・ワシントン),彼らを担当した看護師ヴァレリー(マーゴット・ロビー)の3人で,彼らはアムステルダムの病院で知り合い,意気投合し,「何があってもお互いを守り合う」と誓い合う関係となった。ハロルドとヴァレリーは恋人関係になるが,ある日突然ヴァレリーは姿を消してしまった…。『ダークナイト』3部作のバットマン役のC・ベール,『スーサイド・スクワッド』シリーズのハーレイ・クイン役のM・ロビーは紹介するまでもないだろう。J・D・ワシントンは,この2人ほど知名度は高くないが,『ブラック・クランズマン』(19年Web専用#2)『TENET テネット』(20年9・10月号)で存在感のある演技を披露した黒人男優で,デンゼル・ワシントンの息子と言えば,思い出してもらえるだろうか。映画は1930年代のニューヨークから始まり,帰国後も連絡を取り合っていた医師のバートと弁護士のハロルドは,変死を遂げた元上官の検死と真相究明の依頼を受けるが,思わぬ殺人事件の容疑者となってしまう。嫌疑を晴らすために奔走する中で,ヴァレリーと再会するが,世界を揺るがしかねない巨大な陰謀に巻き込まれてしまう……。彼ら3人の他に,ラミ・マレック,マイケル・シャノン,マイク・マイヤーズ,ゾーイ・サルダナ,テイラー・スウィフトという豪華助演陣で,極め付きは復員軍人の大きな影響力をもつ将軍役で御大ロバート・デ・ニーロまでが登場する。アカデミー賞授賞式での平手打ちの被害者(口では加害者?)クリス・ロックも顔を見せる。監督はデヴィッド・O・ラッセルで,当欄では『ザ・ファイター』(11年4月号)『世界にひとつのプレイブックー』(13年3月号)『アメリカン・ハッスル』(14年2月号)の3作品を紹介している。同じ俳優を何度も起用する傾向のある監督だが,C・ベールは『ザ・ファイター』『アメリカン…』に続いて,3度目の主演起用だ。それも,かなり印象の異なる,エキセントリックな人物を演じさせている。本人の希望もあるのだろうが,これは意図的な演出と思われる。バートとハロルドの関係は,白人&黒人のバディもので,これはハリウッド映画の定番の1つだ。このハロルドは知的で魅力的な男性,検死専門の黒人看護師イルマ(Z・サルダナ)も魅力的な女性として描かれているが,まだ黒人差別が当り前の時代に,簡単にヴァレリーやバートと恋仲になってしまうのは,余りにも不自然で,作為的演出と感じてしまう。史実とフィクションを混ぜた壮大な物語で,動員俳優が豪華となれば,正統派の演出を期待したのだが,物語は二転三転して落ちつきがなく,軽口やギャグも多過ぎる。『ザ・ファイター』には感動したのに,本作のタッチはどうにも好きになれなかった。読み直してみたら,『アメリカン…』の紹介記事でもほぼ同じことを書いていた。面白い素材なのに,少し惜しい映画だ。
 『ノベンバー』:映画観客は大別すると,①全く事前知識なしで,いきなり映画本編を観ることをモットーとする観客,②予告編やチラシ等で予備知識を得てから,映画の理解度を高めようとする観客に分かれる。①が観賞前にこの記事を読む訳はないから,当然,当欄は②の前提でこの記事を書いている。その想定であっても,本作は通常以上の事前知識を得ておくことを勧めたい映画である。映画国籍はちょっと珍しいエストニアで,当欄で取り上げるのは初めてだ。ラトビア,リトアニアと並ぶ北欧の「バルト三国」の1つで,3ヶ国の中では最も北に位置している。本作の舞台となるのは,そのエストニアの寒村で,時代は19世紀のようだ。全編鮮やかなモノクロ映像のダークファンタジーだが,北欧のもつ神秘的かつ幻想的な雰囲気を醸し出すのに,モノクロ映画という選択は適している。映画の公開は10月29日からだが,題名は「11月(November)」だ。霜が降り始める雪待月に入った11月1日が「万聖節」,翌日が「万霊節」で,この時期に死者が蘇って帰って来ることは知っておいた方がいい。日本のお盆に相当するが,目に見えない霊ではない。この映画では,生きている家族の目の前に姿を見せ,一緒に食事しながら会話し,サウナにまで入るという描写で,少し驚く。もう1つ知っておきたいのは,古いエストニア神話で伝わる「使い魔クラット」なる不思議な存在だ。主人である村人の依頼で,隣人の家畜や食料を盗んだり,命じられた諸雑務をこなす。古代のエストニアでは,他人の物を盗むことが当り前だったようだ。最初に登場するクラットは,枝のような3本足の生物だが,形状は決まっていない。家財道具,農具,頭蓋骨で作り,悪魔と取引して魂を入れると,出来上がったクラットは自律的に動作する。現代風に言えば,「お手伝いロボット」と言えようか。映像的には,CGは用いずに,特撮技術で動きを表現しているようだ。物語は,美しい村娘リーナが青年ハンスに想いを寄せるが,ハンスはそれを歯牙にもかけず,ドイツ人男爵の娘に一目惚れする。ハンスが想いを遂げるため,悪魔と契約したことから,恐ろしい出来事が起こる……。悲恋物語としてはそう複雑な構成ではないが,描かれている世界が奇妙奇天烈で,頭がクラクラした。若者3人以外は醜悪な老人ばかりで,その上,精霊,人狼,疫病神,魔女,悪魔等々が出現するから,尋常なファンタジーではない。デジタル先進国として知られる現代のエストニアとはかけ離れた世界だ。監督・脚本はライナル・サルネットで,2000年に出版されたアンドルス・キヴィラフクのベストセラー小説に神話的要素を加えて映画化している。両者とも同国の出身である。筆者は本作に感激した訳ではないが,カルト的人気が出ても不思議はないと考え,紹介することにした。
 『チケット・トゥ・パラダイス』:この映画も,主演男優&女優の組み合わせで食指が動いた作品だ。その主演は,ジョージ・クルーニーとジュリア・ロバーツ。かなり歳を重ねたとはいえ,このレベルの人気スター2人の起用となると,出演料も安くないだろうから,それに値する出来映えを期待してしまう。本作での役柄は,結婚生活5年間で離婚し,その後20年も経つ熟年の元夫婦のデヴィッドとジョージアだが,今は顔を見るのも嫌という関係だ。それでも,一人娘のリリー(ケイトリン・デヴァー)の大きな行事毎に顔を合わす破目になるというのがいかにも西洋社会である。そう言えば,大ヒット作『オーシャンズ11』(02年1月号)でも,主人公のダニエル・オーシャンとその元妻のテスという関係だった。続編は,テスも計算に入れた『オーシャンズ12』(04)と題していた。その他,『コンフェッション』(03)や『マネー・モンスター』(16)も合わせて計4回も共演しているので,息が合っていない訳がない。本作では,顔を合わせる度にいがみ合っているという時点で,結末がどうなるのかは容易に想像できる。これは,物語展開の波乱万丈度,結末の意外性をウリにする映画ではなく,軽口の洒落た会話,ハイセンスな衣装,観光地バリ島の美しい海やリゾートホテルの豪華さを楽しむ映画である。優秀な成績でロースクールを卒業し,将来は有能な弁護士として活躍することが既定路線であった愛娘リリーが,卒業旅行でバリ島に行き,「現地で見つけた青年と結婚する」と連絡してきたことから,デヴィッドとジョージアは仰天する。何とか娘の早期結婚を阻止しようと,2人はバリに向かうが……。この映画を観て,すぐに『マンマ・ミーア!』(09年2月号)を思い出してしまった。音楽は軽快だったが,ABBAの曲ではない。ミュージカル映画ではないし,同作に比べると登場人物もそう多くない。それでも,熟年の男女+愛娘が美しい島で繰り広げるラブコメディという共通項の上に,監督が続編の『マンマ・ミーア! ヒア・ウィー・ゴー』(18年Web専用#4)のオル・パーカーとなると,受ける印象が似てくるのは当然と言える。エンドロールでのNG集や舞台裏も楽しい。反戦や人種差別等の政治的メッセージを含むシリアスなドラマばかり観ていると,こういう屈託のない「トロピカルリゾートコメディ」もたまにはいいなと感じてしまう。と言いながら,あまり高い評点をつけなかったのは,ほんの少し何かが足りないと感じたからだ。口当たりはいいが,軽食過ぎて満腹感に欠ける。オリジナルスコアは美しいが,挿入曲が物足りない。ドラマの終盤も,今イチ盛り上げ足りないからだ。ハリウッドメジャーが大物俳優を起用した映画なら,観客の大半はもう少し上の満足度を求めていると思う。
 『ソウル・オブ・ワイン』:当映画評の短評欄はドキュメンタリー作品を重視し,とりわけ著名な画家,音楽家,デザイナー等を取り上げる教養講座的な色彩をもたせている。本作の対象はフランスの高級ワイン作りで,一見上記とは異なるように思えるが,全くそんなことはない。まさに「芸術的」とも言える高級ワイン作りに携わる人々を描いたドキュメンタリーである。当初は,幅広い「ワイン学入門」レベルの解説を想像したのだが,教養レベルを通り越し,上級編よりさらに上のワイン作りの「神髄」「奥義」「秘伝」レベルに達している。世界超高級ワイン「ロマネ=コンティ」を筆頭に,ブルゴーニュの代表的ドメーヌ(生産者)たちの語りと四季の映像を中心に構成されている。ワインは少々嗜む程度の筆者には無縁の,超高級品の世界である。それでも,枝借り,倉庫内での試飲,蒸発分の補填,樽作り,収穫,大樽内での葡萄踏み等々,成程と納得する印象的な舞台裏シーンが続いた。上級ソムリエ,生産者,醸造学者たちが,グラン・ヴァン(偉大なワイン)の香りや味わいを語る表現が文学的,詩的で,フランス語の美しさと見事にマッチしていた。誤解を怖れずに言うなら,これが韓国語やイスラム語の汚い音と抑揚だと,およそ詩的には響かないだろう。終盤,2人の日本人(いずれもパリ在住のレストラン経営者)が登場し,1945年製のお宝ワインを飲んで感激の言葉を発している。この部分は日本語での会話だが,自分がその幸運に接したような気分で,嬉しくなってしまった。
 『シグナチャー~日本を世界の銘醸地に~』:ここから邦画が5本続く。まずは,上記と全く同じ日に公開されるワインの映画だ。長い伝統と圧倒的な品質を誇るフランスと,明治以降の約150年間に本格的なワイン作りに取り組んだ後発国の日本では,かなりの差があることは間違いないが,映画のテイストもまるで違う。こちらはドキュメンタリーではなく,俳優が演じるドラマ仕立ての伝記映画だ。主要人物も所属企業も実名で登場し,主人公は現在シャトー・メルシャンのGMで醸造家の安蔵光弘氏である。彼が東大大学院を卒業してメルシャン(株)に入社し,勝沼ワイナリー製造課配属から,世界で認められるワイン作りに成功するまでの半生を描いている。後述の『ランディ・ローズ』に記した伝記映画の分類では,明らかに③だが,知名度が低いどころか,よほどのワイン通か業界関係者しか名前を知らないだろう。彼が薫陶を受けた麻井宇介(本名:浅井昭吾)氏は,「現代日本ワインの父」と呼ばれる存在だそうだが,筆者はその名も本作で初めて知った。全編にワイン愛が溢れているのは,監督・脚本の柿崎ゆうじのせいだろう。この監督の前作『ウスケボーイズ』(18)は,麻井宇介門下生の若者3人を描いた小学館ノンフィクション大賞受賞作「ウスケボーイズ 日本ワインの革命児たち」の映画化作品で,海外で多数の映画賞を受賞している。ワイン熱愛者の監督はその姉妹編として本作を企画し,自ら脚本も書いたようだ。安蔵光弘役の平山浩行は,これが映画初主演である。妻・正子役の竹島由夏は『ウスケボーイズ』に続いて同じ役で起用され,麻井宇介役はベテラン俳優の榎木孝明が演じているが,映画ではこの2人の存在感が大きい。情熱と奮闘による成功物語であるが,語り口は淡々としていて,感情移入しやすい。安蔵夫妻のラブロマンスは微笑ましく,今時(といっても,約20年前だが)こんな素朴なカップルがあるのかと驚く。ワインの品位に合わせて,爽やかな香りと軽やかなテイストにしたのだろうか。表題の「シグナチャー」とは,特別な思い入れのあるワインに醸造責任者がサインすることを指すそうだ。
 『桜色の風が咲く』:次は,若くして盲ろう者(盲聾者)となりながら,日本で初めて大学(東京都立大学文学部)入学を果たし,現役東大教授である福島智氏とその母・令子さんの実話を基にしたヒューマンドラマである。この設定だけで,これは絶対に観なければならない作品だと思った。苦難を乗り越えて,世界で初の大学の常勤教員となった快挙の裏には,どれだけの努力があったかを知りたかったからである。物語は,眼球が肥大するという難病をもつ三男・智が,3歳で右目を失明し,9歳で左目の視力を失って全盲となる過程を克明に描いている。神戸市出身の彼は,東京の盲学校高等部に通うため単身生活を始めるが,18歳で聴力も失い,全盲ろう者となってしまう。観ているだけで,辛くなる物語だ。青年期の智は田中偉登が演じ,母・令子を小雪が演じているが,智を励まし,生きる希望を与え続ける母を主体に描いた映画となっている。とりわけ,母・令子が思い付いた指点字(ゆびてんじ)が,その後,盲ろう者の有力なコミュニケーション手段となったという事実だけで感動する。映画が努力と激励の綺麗事だけで済ませず,不誠実に見える眼科医(リリー・フランキー)への不満,末っ子にかかりっきりの妻と兄2人の面倒を見る夫・正美(吉沢悠)とのギクシャクとした関係も,遠慮なく見事に描かれている。監督は,『パーフェクト・レボリューション』(17年10月号)の松本准平。同じく身障者の実話をベースとした同作の脚本や演出も好い出来だった。この映画は,大学入学を果たした智の未来を応援する家族の姿で終わっている。人間讃歌のドラマとしては合格点だが,筆者個人としては不満が残った。これじゃ,普通の盲ろう者の母子の物語の域を出ない。大学入学から卒業,教員・研究者としての生活,博士論文の執筆,それをサポートする周囲のことも描いて欲しかった。こうした人物に博士号を授与し,教授にした東京大学も偉いが,本人の努力と不屈の精神も並大抵のことではなかっただろう。福島智氏は,手話通訳士との結婚,離婚を経験し,指点字通訳者と再婚している。ホーキング博士を描いた『博士と彼女のセオリー』(15年3月号)のように,そうした人間模様まで描けていたら,もっと素晴らしいヒューマンドラマになったと思う。それでは尺が長くなり過ぎるので,無理な注文かも知れないが。
 『窓辺にて』:邦画の恋愛映画となると,原作はコミックや女流作家のライトノベルが多いのだが,本作は今泉力哉監督のオリジナル脚本で,長年温めていたテーマだという。その主演が稲垣吾郎となると,この2人のどちらが勝つのかに興味をもった。というのは,これまで当欄で紹介した今泉作品は,『アイネクライネナハトムジーク』(19年Web専用#4)と『かそけきサンカヨウ』(21年9・10月号)の2本で,監督の演出力は認めながらも軟弱な男たちの描き方に不満が残った(原作通りだったのかも知れないが)。一方の稲垣吾郎は,『半世界』(19年1・2月号)で演じた古風で寡黙な炭焼きの父親が絶妙で,改めてその演技力に感心した。かつて三池崇史監督のリメイク作『十三人の刺客』(10)で演じた明石藩の暴君役も好評だった。即ち,筆者の評価の物差しで,監督の脚本力&演出力と,主演男優の演技力のいずれが,より印象深いかを楽しみにしたのである。稲垣が演じる主人公の市川茂巳は,将来を嘱望された若手作家であったが,現在はフリーライターとして暮している。編集者の妻・紗衣(中村ゆり)が担当する人気若手作家(佐々木詩音)と浮気していることを知りつつ,それに何も感じなかった自分にショックを受ける。その一方,高校生作家・久保留亜(玉城ティナ)の文学賞受賞作品「ラ・フランス」に惹かれ,そのモデルとなった男友達に会わせて欲しいと接触する……。今泉ワールドと言えば<等身大の恋愛感情>だが,本作は単純なラブストーリーではなく, 3組の夫婦と1組の若い恋人同士など,様々な人間模様を描いている。助演の中では,世捨て人・カワナベ(斉藤陽一郎)の存在と,タクシー運転者が語る競走馬とパチンコ談義が面白かった。全編143分はなかなかの力作で,多くの会話の中に監督が語りたかったことが詰まっていて,純文学的作品の趣きがある。途中は別々のテーマに思えた「創作」と「恋愛」が,終盤でようやく繋がる。ただし,「書くこと」「描くこと」「語ること」に興味があり,この映画で観客を感動させようとはしていないと感じた。監督 vs. 主演に関しては,淡々とした稲垣吾郎の演技も味があったが,本作に関しては今泉力哉監督の「人間観察力」に軍配を上げたい。余談だが,主人公と高校生作家の2人が喫茶店で食べるパフェが頗る美味しそうだった。
 『あちらにいる鬼』:次も大人の恋愛を描いた邦画だが,かなり趣きが異なる。直木賞作家・井上荒野の同名小説の映画化で,妻子ある気鋭の小説家・白木篤郎と,離婚経験があり,若い男と同棲する女流作家・長内みはるとの不倫関係,それを黙認している白木の妻・笙子という奇妙な三角関係を描いている。誰が考えても,荒野の父・井上光晴と瀬戸内寂聴(当時は,まだ瀬戸内晴美),母・郁子がモデルであることはすぐ分かる。即ち,幼い娘の目から見た父の不倫という変則の私小説映画だ。監督は,多作で何でもこなすベテラン廣木隆一で,原作をかなり忠実にかつ巧みになぞっているようだ。よって,3人の関係もほぼ実話と考えられる。彼らを演じるのは,豊川悦司,寺島しのぶ,そして広末涼子。廣木監督 ×(豊川+寺島)といえば,『やわらかい生活』(06年7月号)のトリオだ。ユニークで印象に残る佳作だったが,あれからもう16年も経つのかと感慨深い。白木(井上)と長内(瀬戸内)の2人の出会いからしばらくは,何たるふしだらで道徳心のかけらもない男女かと,気分が悪くなる。この2人が平気で別の相手とも情交を重ねるのを知ると,次第に感覚が麻痺して,常人とは全く異なる人種はこうなるのかと感じ始める。こんな役を違和感なくやれるのは,息の合った豊川&寺島コンビだからだろう。とりわけ,嫌な女を演じた時の寺島しのぶは絶品だ。当時まだ子供であった作者が,どこまで父親の乱れた愛欲関係を知っていたのか,かなりの部分は想像や創作ではと思ったのだが,井上荒野は瀬戸内寂聴とも交流をもち,直接取材したという。父親の不倫を描き,しかもその相手から小説を絶賛されたというのは,やはり常人の物差しでは測れない一族だ。文学的才能が遺伝すると思えないから,井上荒野が同じ道に進んだのは,父親を反面教師としつつ,彼やその愛人を超える作家になろうとしたのではないか。そんな思いが伝わってくる作品だった。題名中の「鬼」は,当初は作者の家庭を破壊した瀬戸内寂聴を指すのかと思ったのだが,(映画を観る限り)破天荒だった父親のことと解釈するのが妥当なようだ。この映画の見どころは,寺島しのぶの剃髪シーンで,本当に剃っていた。
 『土を喰らう十二ヵ月』:邦画の最後は,実にユニークな映画だ。原作は水上勉のエッセイ「土を喰う日々-わが精進十二ヵ月-」(1978)で,それを人間ドラマ化している。原作者は福井県出身だが,少年時代の京都の禅寺での修行経験をもとに,58〜59歳の頃,自ら包丁を振るい,1年間に渡って精進料理を作った模様を雑誌連載したクッキングエッセイである。本作の監督・脚本は中江裕司で,原作の世界観を気に入って,自ら脚本を書いた和風グルメ映画と言える。一応ストーリーはあるが,波乱万丈の展開ではない。観客によって全く受け取り方が異なり,評価,好き嫌いも分かれる映画だと思う。よって以下では,客観性は意識せず,全くの主観での感想を列挙する。主演は,沢田研二と松たか子。亡き妻の遺骨と共に信州の山荘で暮す半隠遁生活者の作家ツトムと,彼の編集担当者で東京から訪ねて来る恋人の真知子という設定である。ツトムは,畑で作った野菜や山で採取した山菜で自ら精進料理を作って暮している。まず最初の違和感は,沢田研二の起用とこの2人の関係だった。沢田研二は,かつての『太陽を盗んだ男』(79)『魔界転生』(81),最近の『キネマの神様』(21年7・8月号)等,主演作も多く,そこそこ演技力もあるのだが,この映画のツトムには似合わない。このGSの大スターは,京都出身ではあるが,原作者・水上勉の枯れた雰囲気とはほど遠い。現在は実年齢74歳に相応の容貌で,劇中で設定の63歳には見えない。最近の63歳はもっと若い。かつてのジュリーならともかく,実年齢45歳,劇中では30過ぎの設定の松たか子が,この小汚い爺さんの恋人というのも理解できない。実生活で16歳年上のミュージシャンが配偶者であることを考慮しても,この違和感は最後まで消えなかった。身勝手な義弟夫婦の登場には苛立ったが,映画全体はほのぼの感に溢れている。手作りの葬儀シーンには,思わず「いいね!」を押したくなった。主人公がようやく到達する死生観にも賛同者は少なくないと思う。料理研究家・土井善晴が担当しただけあって,登場する精進料理は美しく,1年半かけて撮ったという四季の映像に見事にマッチしていた(あまり食べたいとは思わなかったが)。となると,伝統楽器を使った和風音楽が劇伴するのかと思うのだが,何と,登場する音楽は一貫してフリー・ジャズだった。これも結構マッチしていた。沢田研二自らが歌うエンドソング『いつか君は』は,劇中の台詞に比べれば,好い出来だと感じた。やはり,老いてもプロ歌手だ。
 『ランディ・ローズ』:原題は『Randy Rhoads: Reflections of a Guitar Icon』で,若くして鬼籍に入った天才ギタリストの伝記ドキュメンタリー映画である。伝記映画や伝記ドキュメンタリーは,大別して次の3つに分けられる。①誰もが知る著名人の生涯もしくは半生を取り上げ,改めてその偉業や類い稀なる才能をしっかりと見せてくれる映画,②映画・音楽・芸術作品等での表の顔は知られている人物を,新発見の資料や関係者の証言から,知られざる顔や精神的内面に迫る作品,③知名度は低いが,まとまった映画という形で取り上げることで,その魅力,才能,業績等を世に知らしめる作品,の3種である。本作は典型的な③タイプの映画で,筆者が全く聞いたことのない人物だった。映画になるからには,それだけの才能,カリスマ性があることは確実なのだろうと予想したが,正にその通りの魅力あるミュージシャンだった。知らなかったのは,筆者が苦手なヘビー・メタル分野だったこともあるが,当該音楽分野でブレイクし始めた絶頂期に,25歳の若さで他界してしまったからである。苦手なメタルのはずなのに,素晴らしいテクニックでのギター・リフに魅せられた。音色もさることながら,ルックスの良さも人気を呼ぶ大きな要因だったのだろう。ロックバンドには,ヴィジュアル面も大切で,観客を魅了するスターの存在が不可欠だ。映画としては,1970年代にランディ・ローズ自身が立ち上げたバンド「クワイエット・ライオット」時代の話が長い。そして,既にハードロック界のスターであったオジー・オズボーンのオーディションを受け,「Ozzy Osbourne Band」の初代ギタリストとなり,哀愁を帯びた演奏で一躍スターとなる。ところが,1982年不慮の飛行機事故で落命してしまう。その馬鹿げた事故の原因が克明に描かれているだけに,観客がやるせなさを感じてしまうこと必至だ。なぜ今この映画が製作されたかと言えば,2021年にロックの殿堂入りを果たし,今年が没後20周年に当たるからだと思われる。監督はアンドレ・レリス。この監督の名前も作品も知らないが,この伝記ドキュメンタリーを作ったくれたことに感謝しておこう。
 『ペルシャン・レッスン 戦場の教室』:第二次世界大戦中にナチス親衛隊に捕えられ,強制収容所送りとなりながら,そこから生還したユダヤ人青年の物語である。ナチスのユダヤ人迫害映画と聞くだけで胸が痛むが,ユニークな着想の映画ゆえ,大いに楽しめた。映画国籍としては,ロシア,ドイツ,ベラルーシの合作で,台詞は独・伊・仏・英の4カ国語が使われている。監督はウクライナのキーウ出身で,カナダ在住のヴァディム・パールマン。2020年製作だから実現したが,今後しばらくはこの組み合わせで映画が作られることはなさそうだ。時代は1942年,主人公はユダヤ人青年のジル(ナウエル・ペレーズ・ビスカヤート)で,ペルシャ人であると偽って,ドイツ軍将校のコッホ大尉(ラース・アイディンガー)に偽のペルシャ語を教える物語だ。いくつかの逸話と収容所内の出来事を繋いだという意味で実話ベースだが,創作部分のアイディアが見事で,脚本も優れている。大尉の求めで,全くインチキのペルシャ語をデッチ上げる工夫が,実に面白い。収容所内でのドイツ軍の蛮行は相変わらずで,目を背けたくなるが,それだけリアリティが高いということになる。農場,雪原,殺伐とした土地の描写も極めてリアルだ。その一方,収容所内に複数の女性が登場し,嫉妬や色恋沙汰が絡むというのが珍しい。生き延びることは予め分かっているのだが,ジルの嘘がバレたらどうなるのだろう,結末はどうなるのだろう,と手に汗握ってしまう。ラストも秀逸だが,それは観てのお愉しみとしておこう。
 『奈落のマイホーム』: 最後は,韓国製のパニック映画だ。監督は『ザ・タワー 超高層ビル大火災』(13年8月号)のキム・ジフン。その続編ではないが,同じ路線のサバイバルアクション映画である。今回は空に伸びる高層ビルではなく,視線を下げ,地下500mの世界を描いている。地盤沈下により,巨大陥没穴「シンクホール」が出現し,マンションが丸ごと地下深くまで飲み込まれてしまう。そこからの脱出物語の人間ドラマで,当然CG/VFXも使われているが,分量もシーンの魅力度も『ザ・タワー…』には敵わない。こうした穴は,国内では福岡市や調布市での事例が報じられていたので記憶に残っているが,韓国ではその何倍ものシンクホール事故が起きているそうだ。それにしても,地表面で広汎な領域に及ぶのでなく,縦方向にこんなに地中深くまで陥没するものなのかと,一瞬たじろいでしまった。まるで,巨大なエレベータホールだ。主人公のドンウォン(キム・ソンギュン)は平凡な会社員で,11年もの節約生活でようやくソウルの一等地に念願のマンションの1室を購入した。会社の部下を招いて披露パーティを開いていたところ,明け方になって突然地響きが起こり,あっと言う間に出現したシンクホールの穴に部屋ごと全員が飲み込まれてしまうという展開である。反りの合わない隣人マンス(チャ・スンウォン)の存在が,この物語を盛り上げる。前半は一貫してコメディタッチで,ずっとその調子で物語が進行する。その分,あまり緊迫感がない。穴はCGで,少し嘘っぽく,チープ感がある。一方,穴に陥没してしまったマンションの各部屋はセットであり,よく出来ている。やがて,地下水による浸水が始まり,大雨により危機が迫ってくる。後半はサバイバルエンタメとしても,ヒューマンドラマとしても,しっかりと描かれていた。「あり得なそうで,あり得る決死のサバイバル劇!」というキャッチコピーが秀逸だ。『ザ・タワー…』ほどの迫力とスケール感はないが,娯楽大作としては上々の出来映えだった。
 
  ()  
   
  Page Top  
  sen  
 
back index next
 
     
<>br