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O plus E 2019年Webページ専用記事#4
 
その他の作品の短評
  (注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています。)  
   
   『ダンスウィズミー』:『ウォーターボーイズ 』(01)『スウィングガールズ』((04)の矢口史靖監督の長編映画10作目である。青春映画が得意で,コメディセンス抜群の監督だが,全作品で自ら脚本を書いている。本作は,その面目躍如たる内容で,さすがと言うべき脚本だ。独身OLが主人公のコメディであり,ミュージカルであり,そしてロードムービーでもある。一流会社に務めるOLの静香は,元来ミュージカル嫌いなのだが,遊園地で怪しい催眠術師に出会い,「音楽が流れ出すと,身体が勝手に動き出し,歌って踊ってしまう」という術をかけられてしまう。術を解いてもらうため,その催眠術師(宝田明)の行方を追う旅が描かれている。主演は『旅立ちの島唄~十五の春』(13)の三吉彩花だが,結構美人で,歌もダンスも上手い。スカートをひらひらさせて踊る姿が絶品で,矢口監督指示の特訓の賜物のようだ。バック転や宙吊りも披露する。共演は,お笑い芸人の“やしろ優”とシンガーの“chay”。3人でのコーラスは,しっかりハモっている。暴走族やサラ金までが踊り出すミュージカル・シーンが楽しく,振り付けが素晴らしい。『マンマ・ミーア!』(09年2月号) や『ラ・ラ・ランド』(17年3月号)を彷彿とさせるシーンもたっぷり用意されている。
 『アートのお値段』:テーマは現代アートで,多数の芸術家,批評家,コレクターのインタビューで構成されるが,ちょっと異色のドキュメンタリーだ。監督は,建築家である父親を描いた『マイ・アーキテクト ルイス・カーンを探して』(03)でアカデミー賞ノミネートを果たしたナサニエル・カーンで,単に美術界の潮流を作品面から捉えているだけでない。表題から分かるように,アート作品の価値,市場形成の仕組み,高額取引の現状を経済的視点,社会学的視点から浮き彫りにしている。このため,オークション主催者やキャラリー経営者までも含め,総勢27名にインタビューを行っている。監督は,観客に代わって,自由で辛辣な質問を浴びせかける。ただし,納得が行く答が得られる訳ではない。芸術家と金銭,市場の関係は,摩訶不思議だ。アートとしての価値と価格の間には関係性はないとまで喝破している。現役作家のジェフ・クーンズ,ラリー・ブーンズ,ゲルハルト・リヒター,ジョージ・コンドらの作品や制作風景が描かれている。故人のアンディ・ウォーホル,ジャスパー・ジョーンズ,ロイ・リキテンスタインらの作品もお目見えし,計約150点が次々と登場する。どれも魅力的で,目がくらくらする。このドキュメンタリーそのものが,洗練されたアートだと感じる。ただし,少し残念なのは,盛り沢山過ぎ,目まぐるしく,会話の理解と作品の観賞が両立できないことだ。字幕版だとこれは苦しい。登場人物の肩書きと名前を追うのも精一杯だった。
 『劇場版おっさんずラブ LOVE or DEAD』:「おっさんずラブ」なる題名をいきなり聞いたら,まず引いてしまい,絶対に見ない類いの映画だ。TVドラマで人気を博し,昨年の「新語・流行語大賞」のトップテンに選ばれたことは知っていた。ついに邦画界も時流に乗ってLGBTブームかと思う半面,それを茶化したコメディが成功するのか不思議な気もした。噂によると結構真面目な男性同士の恋愛もので,プロデューサは女性3人だという。その好奇心から,これは外せないなと意気込んで試写会に出向いた。劇場版となると,TVシリーズを見逃した新しい観客のために,脚本も俳優陣も豪華にして全体をリブートしているのかと期待したが,残念ながらそうではなかった。TVシリーズ完結編での感動のエンディングの後日譚で,1年後の出来事だという。即ち,TVドラマファンだけがターゲットで,いきなり映画からの観客は眼中にない訳だ。中年男性同士の恋愛ではなく,33歳のダメ男サラリーマン・春田創一(田中圭)は,直属上司の黒澤武蔵部長(吉田鋼太郎)から想いを寄せられ,同時にエリート後輩の牧凌太(林遣都)からも告白されるという設定である。あらすじを読んで,この3人の関係を把握していたが,それを知らずに観たら,この劇場版はさっぱり理解できなかっただろう。それでも,TVドラマが前提のギャグや台詞と思しき箇所にはついて行けなかった。会場では結構笑いがあったのが,その種の笑いだと想像するしかなかった。単独でこの映画の出来を評価するなら,コメディセンスはせいぜい中の下レベルだ。炎の中でのクライマックス・シーンは,劇場版にしてはチープだった。想定観客であるTVシリーズのファンを喜ばせるのは大いに結構だが,それだけの映画だと思う。上司と部下の不思議な関係という点では,『釣りバカ日誌』シリーズのように,作品を重ねる後に内容も充実して行った事例もある。本作はもっとユニークな設定ゆえ,映画でもシリーズ化して成功するかは微妙だ。それには,TVドラマに従属しているようではダメで,『男はつらいよ』シリーズのように一般大衆の共感を呼べるよう,映画としてのスタイルを確立させる必要がある。しかし,TVでの再々放映,年末の特番の噂もあるようだから,きっとTV局がドル箱扱いして手離さないだろう。
 『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯』:2年前の『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名はカメジロー』(17)は,試写を観る機会がなかったのだが,気になるドキュメンタリー映画であった。数々の映画賞を受賞したと知って,ますます気になっていたが,続編が公開されると聞き,前作をDVDでじっくり観て予習してから,本作の試写に臨んだ。2本とも,戦後,占領下の沖縄で米軍の圧政と戦った現地の政治家・瀬長亀次郎氏の実像と沖縄の戦後史が描かれている。前作で初めて同氏の名前を知った人が多いようだが,筆者は半世紀前の学生時代から,沖縄の左翼系指導者として名前は知っていた。祖父の名前が「カメジロー」(字は違うが)だったこともある。なるほど,演説は巧み,論理は明解,魅力的な人物だ。まさに不屈の人で,彼の活動なくして,沖縄返還はなかっただろうと感じさせる。さしずめ,沖縄のネルソン・マンデラで,沖縄初の衆議院議員も当然だと感じる。佐藤栄作首相との国会での論戦の記録映像は圧巻だ。改めて,あの時代に米国がよく返してくれたなと思う。両作品を通じて,沖縄が背負ってきた米軍基地の負荷,日米安保下での諸問題が実感できるが,前作の最後は少し違和感があった。現在の辺野古反対運動は,カメさんの思想とは少し違う気がした。沖縄の痛みは分かるが,変節漢で偽善者としか思えない県知事(翁長雄志)まで登場させたのは感心しなかった。続編である本作でも,関係者の証言,カメさんが遺した膨大な日記からの引用が多々ある。政治的メッセージを少なくし,人物像を深く掘り下げているのに好感がもてた。
 『トールキン 旅のはじまり』:英国の文献学者であり作家,詩人であるJ・R・R・トールキンの半生を描いた伝記映画である。言うまでもなく,ファンタジー文学「ホビットの冒険」「指輪物語」の著者であり,当映画評欄にとっては『ロード・オブ・ザ・リング』3部作(01-03),『ホビット』3部作(12-14)の原作者ということになる。本作は,これまで余り語られることのなかった著者自身の物語を映画化している。映画は,第1次世界大戦に従軍中の戦場から始まり,少年期の回想シーンに移る。幼くして父を亡くし,12歳で母が急死したことから孤児となったトールキンが,後見人の神父の支援を得て名門校に進学し,そこで出会った仲間3人と「芸術で世界を変えよう」と誓い合う様や,3歳年上のエディスとの恋物語が描かれている。友人4人組は全員オックスフォードかケンブリッジに進学,年上の恋人はピアニストというから,単なる庶民の物語ではない。最近,下層階級の荒んだ生活の映画ばかり観てきたこともあり,友情と秘密結社,文学と絵画に関する知的会話等々,彼らのハイクラスな話題が新鮮に感じられた。美しい音楽とともに物語は淡々と進むが,何度か映像は大戦中の戦場シーンに戻る。そこでは,ドラゴンが火を吹いたり,モンスターが出現したり……。主人公の文学への才能が開花する様子をVFX 映像で描いている訳だ。監督はトールキンに心酔するフィンランド人のドメ・ドメ・カルコスキで,主演には『X-Men』シリーズでビーストを演じたニコラス・ホルトを起用している。映画は物語の着想を得たという前半生で終わるが,改めて『ロード・オブ…』を見直したくなった。
 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』:あの映画職人クエンティン・タランティーノ監督の9作目だ。日頃から,映画は10本しか撮らないと公言しているので,ラス前の本作はさぞかし力が入り,凝りまくっているだろうと予想できた。表題は,彼が敬愛して止まないマカロニ・ウェスタンの巨匠セルジオ・レオーネ監督の『Once Upon a Time』3部作(69, 71, 84)にちなんでいる。半世紀前のハリウッドを舞台にした映画愛に満ちた作品で,監督自らのラブレターであると同時に,業界人や映画オタクへのプレゼントだとも言える。こうなると,映画雑誌は言うまでもなく,新聞雑誌の映画評欄もこぞって本作を取り上げ,評論家達は自らの映画愛を披瀝する。「キネマ旬報9月上旬号」は,20ページも割いていた。映画本編を観る前に,この種の論評だけでもかなり楽しめる。主演はレオナルド・ディカプリオとブラッド・ピットで,全盛期を過ぎた人気男優リック・ダルトンと彼専属のスタントマンのクリス・ブースという役柄を与えている。20年以上前からライバル視されていた2大スターを初共演させ,固い友情で結ばれたバディものに仕立てているのが心憎い。中盤まで,この2人の役柄を入れ替えたらどうなる? と想像しながら眺めていたが,それは有り得なかった。落ち目の自分に思い悩んで涙する繊細なリックはレオ様,終始マイペースで底抜けに明るいクリスはブラピを最初から想定したような脚本だ。映画は,1969年2月8, 9日,半年後の8月8日の日中から深夜の3日間だけを描いている。監督の思い入れは,60年代のカリフォルニアと映画業界の実態,劇中劇の西部劇の演出,あの忌まわしいシャロン・テート殺害事件の扱いに表われている。この事件を知らないと,本作の価値は半減するので,若い映画ファンは,事件の概要を予習してから観ることを勧める。さてさて,筆者はと言えば,'69年当時は学園闘争に明け暮れる大学生で,同時に洋画も邦画も見まくっていたので,161分の長尺の隅々までを熟視して楽しんだ。ミニスカート,ベルボトムのジーンズ,当時のフルサイズ・カーやスポーティ・カー,TVガイド誌の表紙や市中のビルボード等々,何もかも懐かしい。人気TV番組は『FBI』『ボナンザ』に言及し,実名で登場するスティーブ・マックイーン,ブルース・リー役には,いかにもと思える俳優を起用しているのも嬉しい。そして,ラスト35分間の運命の日……。ネタバレになるので結末は書けないが,タランティーノ流のバイオレンス活劇が炸裂する。これは快感以外の何ものでもないとだけ言っておこう。
 『タロウのバカ』:菅田将暉が凖主役というのでこの映画を観たが,全く好きになれなかった。きっとこの種の作品を高く評価する評論家もいることだろう。無視しようかと思ったが,一言書いておきたくなった。「壊れゆく世界を生きる少年たちの刹那的な輝き」とのことだが,単に社会への同化ができない3人の少年の過激な行動を描いているに過ぎない。それぞれに事情はあるのだろうが,そんな心情を一々映画にして何になる? 犯罪者予備軍の自己正当化としか思えない。脚本・監督は大森立嗣で,渾身のオリジナル脚本だという。これまで『まほろ駅前』シリーズ(11, 14)や『さよなら渓谷』(13)『日日是好日』(18)等で,むしろ好きな監督の1人だったのに,この暴力映画はまるで園子温監督じゃないか。主人公タロウ(YOSHI)は,戸籍も持たず,一度も学校に通ったことのない少年というが,それがどうした?『存在のない子供たち』(19年7・8月号)の少年も同じだが,もっと必死で生きていたぞ。母親が自堕落で,子育て放棄していたというなら,『マイ・エンジェル』(同号)の少女エリーや,後述の『僕のワンダフル・ジャーニー』の少女CJもしかりだが,2人ともタロウよりまともに育っている。3人つるんでの言動や行動は不愉快そのもので,試写会でなければ早々と席を立っていただろう。いくら廃品処理場が対象とはいえ,ガソリンを撒いて,火をつけるシーンは,時節柄まずいんじゃないかと感じた。過酷な現実に目を背けたくなるのは,この少年たちではなく,この映画を観る観客だと思う。
 『アス』:『ゲット・アウト』(17年11月号)の鬼才ジョーダン・ピール監督の最新作だ。アカデミー賞で作品賞にノミネートされ,脚本賞でオスカーを得ただけのことはある。今回も全く新しい感覚のホラーだ。7・8月号で取り上げた『ポラロイド』『チャイルド・プレイ』のラース・クレヴバーグ監督とは,また違う新感覚である。物語は1986年,少女アデレードが遊園地にあったミラー・ハウスに迷い込んで遭遇するエピソードから始まる。そして30数年後の現在,彼女の家庭ウィルソン一家の前に,自分たちそっくりの親子4人が現れて,一家に襲いかかる。この不思議で恐ろしい現象は,隣家にも町中にも起っていた……。凶暴なそっくり人間の襲撃をかわし,敵を倒す過程もしっかり楽しめる展開だ。このまま謎は不明のままサバイバルに勝利するのか,そんな訳はないぞと思ったら,大きな種明かしが待ち受けていた。ちょっとこんな展開は思いつかなかった。主演は,オスカー女優のルピタ・ニョンゴ。いつの間にか母親役を演じる女優に成長していた。母は強い。その上,ラストはもう一発,強烈なオチがついていた。単なるホラーでなく,SFホラーとでもいうべき設定だ。前作でも書いたが,恐らくこの監督は数種類のオチを用意していて,覆面テスト上映の結果,この結末が選ばれたのだろう。
 『僕のワンダフル・ジャーニー』:何年か前に,似た題名の映画を観た覚えがある。愛犬家ラッセ・ハルストレム監督による『僕のワンダフル・ライフ』(17年10月号)で,原題は『A Dog's Purpose』,愛する飼い主に再会するため,3度も生まれ変わる犬の物語だった。ちなみに,これを探す内に『僕らのワンダフルデイズ』(09年11月号)も出て来たが,末期ガンの中年サラリーマンが高校時代の仲間とバンドを再結成する邦画で,全く無関係である。さて,原題『A Dog's Journey』の本作もテーマは同じく犬の輪廻転生で,前作で飼い主イーサン(デニス・クエイド)との再会を果たしたベイリーが,続編の本作でも3度生まれ変わる。ただし,ベイリーが探し求める相手はイーサンの孫娘CJ(キャスリン・プレスコット)に代わっている。イーサンから今後は彼女を見守るよう依頼されたからである。監督は,長編デビュー作となるゲイル・マンキューソ。音楽担当のマーク・アイシャ厶が書いたスコアが心地よく,各出演者の老けメイクも見事だ。犬の演技も,言うまでもなく素晴らしい。一般的には,少し涙し,倖せになる映画だろう。ただし,筆者のように2年前に愛犬をなくした人間には辛い。どうしても思い出してしまい,同じ奇跡を信じたくなる。
 『人間失格 太宰治と3人の女たち』:2010年頃,太宰治生誕100周年を記念し,代表作が立て続けに映画化された。そのトリであった『人間失格』(10年2月号)は,映画初出演の生田斗真が瑞々しく,印象的だったので,またかと思ったが,本作は小説の映画化ではなかった。遺作「人間失格」を表題に冠しているが,自殺を繰り返した破滅型の小説家の伝記とも言える内容である。監督は写真家の蜷川実花。これが監督4作目だが,彼女が太宰役に選んだのは,小栗旬。なるほど,これは似合っている。前作『Diner ダイナー』(19)の主演の藤原竜也も坂口安吾役で登場する。実名で登場する3人の女性の視点から太宰を描いているが,これは監督が解釈した「ダメ男」のアイコンとしての太宰治で,女性達の言動はかなりの部分フィクションだろう。3人の女性を演じるのは,宮沢りえ,沢尻エリカ,二階堂ふみで,この揃い踏みだけでも,一見に値する。役柄的には,愛人&弟子役のエリカ様が一番ぴったりなのだが,扱いはやや軽かった。前半は平板で少し退屈だったが,中盤以降,破滅度が進んでくると実花流の演出が威力を増し,二階堂ふみの演技力が最後の愛人の存在を際立たせる。そして,満を持していた正妻役の宮沢りえが,この映画の止めを刺す。さすがだ。いつもながら,この監督はビジュアルセンスがウリなのは理解できるが,音楽センスには欠けているなと感じた。
 『アイネクライネナハトムジーク』:“Eine Kleine Nachtmusik”は,モーツァルトが作曲したセレナーデの名曲だが,本作はこの大作曲家ともオーストリアとも無関係だ(勝手に欧州製の音楽映画かと思った方が悪いのだが…)。それを題名にした邦画で,人気作家・伊坂幸太郎の連作短編集の映画化作品である。連作そのものは,作者とシンガーソングライターの斉藤和義の交流の中から生まれたものらしく,本作の主題歌も彼の新曲が採用されているが,さほど音楽性が高い映画ではない。仙台を舞台とした恋愛群像劇で,オール仙台ロケというから,「ご当地映画」とも言える。メインは三浦春馬と多部未華子が演じる恋人同士だが,成田瑛基と貫地谷しほりの不器用な恋愛劇,若手では萩原利久と恒松祐里の高校生カップルなど,何組もの男女が登場する。テーマは男女の出会いと,その出会いで結ばれたことへの後日評価と言えようか。「幸福な<出会い>の連鎖から生まれた奇跡のラブストーリー!」とのことだが,それほどのものか? この種の映画は,エピソードのどれかに自分の恋愛観を投影できることを喜ぶ若者を観客として想定しているのだろう。正直なところ,筆者の年代は,軟弱な男女の態度と会話にイライラした。とりわけ,10年間も交際し,同棲している相手にプロポースすることを躊躇する男にも,すぐに返答をしない女にも,どういう神経をしているのか不思議だった。この映画は人生讃歌なのか,それとも逆説的若者批判なのか?スカッとしたのは,濱田マリ演じるドライな主婦の割り切り,風変わりな夫(矢本悠馬)と結婚した美人妻(森絵梨佳)の人生観であった。監督は新鋭の今泉力哉。連作短編集は,意外と1本に映画にまとめにくいものだが,その点ではそこそこ上手くこなしていたと評価しておこう。
 
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