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O plus E VFX映画時評 2023年5月号
 
その他の作品の短評
  (注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています)  
 
   『EO イーオー』(5月5日公開):今月は,まずこのかなりユニークな映画から始めよう。ポーランド映画で,監督・脚本・製作は老匠イエジー・スコリモフスキである。1960年代から活躍している監督だが,俳優・脚本家・画家でもあり,長編映画の監督はこれが7年ぶりとのことだ。全く知らなかったが,『アベンジャーズ』(12年9月号)には俳優として出演し,ロシア人スパイを演じていたという。本作の本邦公開日に85歳を迎えるが,まだまだ美的センスと創作意欲は健在なようだ。本作はカンヌ国際映画祭の審査員賞をはじめ,多数の映画賞を受賞し,アカデミー賞では国際長編映画賞にノミネートされていた(残念ながら,受賞は逃した)。何がユニークかと言えば,主人公は人間ではなく,灰色のロバであることだ。言葉を話せる訳ではないが,放浪するこのロバの目で見た人間社会の温かさや愚かさを鮮烈なタッチで描いた現代の寓話である。
 EOと名付けられたロバは,ポーランドのサーカス団に飼われていて,心優しい女性カサンドラ(サンドラ・ドルジマルスカ)のパートナーとして,幸せな生活を送っていた。ところが,動物愛護団体の抗議により,サーカス団は廃業となり,EOは農場に移されてしまう。そこを逃げ出したEOは夜の森を彷徨い,放浪の旅が始まる。道中では,サッカーチームに勝利の女神扱いされたり,労働を強いられたり,瀕死の重傷も負う。ロバは可愛く,素朴で善意の象徴として描かれているが,人間の善意や,悪意や,偶然による災厄にも遭遇し,やがて北イタリアの美しい邸宅まで辿り着くことになる……。
 映像的にも見どころ満載で,逆流する滝と橋のシーンに圧倒される。詩的なタッチの幻想的なシーンも随所に見られる。多数の牛の群れもよくぞ撮ったなと感心するが,その群れを牽引する形になったEOの運命は……。ロバに演技をさせるのは難しいから,撮影には6頭のロバを使ったそうだ。たった88分で,多くは語らないが,エピソードの繋がりが見事で,中身は濃い。こういう映画もあるのかと,老匠の腕に感心した。
 『帰れない山』(5月5日公開):EOの到着地から選んだ訳ではないが,次はイタリア映画で,北イタリアが舞台の美しい大人の青春映画である。 イタリア人作家パオロ・コニェッティのベストセラー小説の映画化作品で,上述の『EO イーオー』と本作が,第75回カンヌ国際映画祭で同時に審査員賞を受賞している。ちなみに,この時のパルムドール(最高賞)受賞作は『逆転のトライアングル』(23年2月号)で,『別れる決心』(同1月号)のパク・チャヌクが監督賞,『聖地には蜘蛛が巣を張る』(同4月号)のザーラ・アミール・エブラヒミが女優賞,『ベイビー・ブローカー』(22年Web専用#4)のソン・ガンホが男優賞,という結果であった。
 モンテ・ローザ山麓の過疎の村グラーノが舞台で,夏休みに山を愛する両親に連れられてトリノからやって来た少年ピエトロは,同じ12歳の牛飼いの少年ブルーノと出会い,意気投合して親友となる。やがて父ジョバンニはこの村に移り住むが,父と疎遠になったピエトロは父の悲報を聞いて村にやって来て,ともに31歳になったブルーノと再会する。2人で父の遺言の家を建てることになり,その後も変わらぬ友情の物語がピエトロのナレーションで語られる……。
 北イタリアから見るアルプスの光景が頗る美しい。特撮でなく,本当に狭い稜線を歩き,登り終えた頂きから周りの山々を撮っている。実際にロバが荷物を運び,山腹を走っている。氷河までも登場する。中盤以降,ピエトロは自分探しに,ネパールからヒマラヤに向かう。ヒマラヤの景観も凄い。これだけの景観をバックにした劇映画を描くのには,相当な準備が必要だったことだろう。原作に忠実な映画化だというが,作品としての価値は,小説よりもこの映画の方が断然上だと感じた。この景観を眺めずして,この物語はあり得ない。
 本作の監督・脚本は,ベルギー出身のフェリックス・ヴァン・ヒュルーニンゲンとシャルロッテ・ファンデルメールシュである。映画を観る前に,2人は実生活でもパートナーであり,「友情の物語を,ラブストーリーとしてアプローチした」なる発言を知って,一瞬たじろぎ,恐る恐るこの映画を手探りで観てしまった。監督は男性同士のカップルであり,これはゲイの映画なのではないかと……。これは邪推で,監督は子供もある実の夫婦であり,劇中の2人も異性の伴侶を見つけ,その上で真の男の友情で結ばれた者同士であった。彼らの葛藤と友情が最後まで貫かれている。楽しい映画ではなく,涙する映画でもないが,心に残る映画であった。
 『それでも私は生きていく』(5月5日公開) : 続くはフランス映画で,上記のカンヌ国際映画祭で「ヨーロッパ・シネマ・ レーベル賞」を受賞した作品だ。夫と死別し,娘と暮らすシングルマザーの心の機微を描いた物語である。パリで通訳者として働き,8歳の娘と暮らすサンドラの悩みの種は,アルツハイマー病の父ゲオルグの姿であった。彼女が慕う父はかつて哲学教師として尊敬を集める存在であったが,神経変性疾患を患い,徐々に視力と記憶を失いつつある。サンドラはその痛々しい姿を目の当たりにし,父の老いを認められず,無力感を覚えていた。そんな中で,サンドラは旧友クレマンと再会し,夫の死後5年後に新たな恋心を抱いてしまった自分に驚く。妻子あるクレマンも彼女の思いに応じるようになり,2人の激しい愛欲シーンが繰り返される……。
「父の病に対する悲しみ」と「新たな恋の歓び」という背反する2つの感情がサンドラの中で共存し,同時並行で物語が進行する。母であり,娘であり,恋人でもある,という1人の女性の本音の映画であり,人生讃歌である。監督・脚本は,『未来よ こんにちは』(16)のミア・ハンセン=ラブ。前作『ベルイマン島にて』(22年3・4月号)でも紹介したように,フランスを代表する監督であり,欧州を代表する実力派女性監督である。かつて彼女自身の父親の病の中で,新たな創作への情熱が湧いたことから,この物語を思い付いたという。ダメ男と好都合な男ばかりを描く女性監督作品が多い中で,その域を完全に超越した実力派であることを再認識した。
 監督にばかり目が行って,主演女優名を確認するのを忘れていた。フランス映画で何度も見かけた顔であり,さほど美人ではないが,魅力的で気になる存在なのだが,名前を思い出せなかった。観賞後に「レア・セドゥ」であることを知って,少し驚いた。それなら,落命するジェームズ・ボンドの愛を受けたマドレーヌではないか。髪は長く,英語で話していたせいもあるが,筆者の中では,2作連続のボンドガールとこの映画のシングルマザーとは全く別の女優として映っていた。007映画のマドレーヌはあくまでボンドのための存在だが,本作の彼女は『マリー・アントワネットに別れをつげて』(12年12月号)や『たかが世界の終わり』(17年2月号)で観た,もっと存在感のあるフランス人女性である。製作の意図を汲んで見事に演じ分けているなら,こちらも別の女優と思えば好い訳だ。そう思いながらも,マドレーヌもボンドの死の5年後には,別の男とこうなってしまうのかと想像してしまった。
 『銀河鉄道の父』(5月5日公開) :題名は 『…夜』ではなく,『…父』である。それじゃ,宮沢賢治でなく,最近鬼籍に入った「銀河鉄道999」の生みの親である松本零士の伝記か,彼の作画工房を描いた映画かと思う人もいるかも知れない。ポスターを見たら,そうではないことはすぐに分かるだろう。主演の役所広司は松本零士に全く似ていないし,時代はもっと昔だ。「父」が強調されているように,本作は宮沢賢治の父・政次郎とその家族の物語であった。原作は門井慶喜の同名小説で,直木賞受賞作である。父を主人公として据えるからには,紹介するに足る人物であり,彼が中心の家族も語るに足る物語を展開するに違いない。加えて,監督が『孤高のメス』(10年6月号)『八日目の蝉』(11年5月号)の成島出であるなら,駄作である訳はない。役所広司とは『聯合艦隊司令長官 山本五十六 -太平洋戦争70年目の真実--』(12年1月号)『ファミリア』(23年1月号)に続く3度目のタッグであり,呼吸もぴったりのはずだ。そんな期待をもって心待ちにした一作である。
 物語は,明治29年から昭和10年までが描かれている。宮沢賢治の生家は,岩手県で質屋を営む裕福な家庭であったが,長男の賢治は家業を継ぐことを拒み,適当な理由をつけては,自分の好きな人生を歩もうとする。農業大学に進学するかと思えば,人工宝石で一儲けしようと考える。その一方で法華宗にのめり込んで,奇行を繰り返し,周囲の人々を困らせる。そんな中,賢治の一番の理解者であった妹・トシが結核にかかり,早世してしまう。その闘病中の妹を励ますために書いた童話が自らの進む道と悟った賢治も,やがて同じ病に冒され,昭和8年に37歳の生涯を閉じる。
 詩人・童話作家として名高い宮沢賢治は,その作品からも純粋で透明な人柄であることが分かるが,青年期は無邪気な変人として描かれている。厳格な父が賢治の奇行を忌み嫌うのかと思いきや,溺愛する息子をついつい甘やかしてしまう政次郎の言動が微笑ましい。全編を貫かれているのは,微笑み,涙する「家族愛と希望の物語」である。祖父・田中泯,父・役所広司,賢治・菅田将輝という親子3代のキャスティングが絶妙だ。妹・森七菜,母・坂井真紀も好演で,とりわけ森七菜が演じるトシは,彼女のこれまでのベスト演技だと思う。宮沢家の家具や賢治の愛用品を忠実に再現したという美術班,華美ではないが上品な宮沢家の着物を担当した衣装班の仕事も見事で,明治・大正・昭和初期を描いた映画として刮目すべき出来映えだ。 <
 『アルマゲドン・タイム ある日々の肖像』(5月12日公開):家族もののヒューマンドラマが続く。時代も場所も一変して,こちらは1980年代前半のニューヨークが舞台で,ユダヤ人中流家庭の12歳の少年ポール(バンクス・レペタ)が主人公の物語である。普通の公立校に通っていたが,教育熱心な母(アン・ハサウェイ)の意向で,優秀な兄と同じエリート私立学校に転校させられる。芸術志向の多感な少年ポールは,この学校の教育方針に馴染めず,次第に両親,兄,学校教師に反発するようになる。クラスの問題児であった黒人少年ジョニーと親友になるが,彼らがある夜に起こした些細な悪事が,2人の未来を大きく隔ててしまう…。
 何ということのないストーリーなのだが,この少年を見守りながら感情移入してしまう。時代背景,家庭環境,学校での出来事の描写がリアルで,語り口が巧みだからだ。製作・監督・脚本はジェームズ・グレイで,彼自身の自伝的作品であると聞いて納得した。当欄では過去に『アンダーカヴァー』(09年1月号)『エヴァの告白』(14年2月号)『アド・アストラ』(19年9・10月号)の3本を紹介しているが,いずれも高評価を与えていた。作風の異なる作品を見事にこなす監督が,自ら幼少期に体験した社会の生きづらさや時代の空気を誠実に描くとこうなるのかと,その観察力と表現力に感心した。
 ポール少年が唯一心を許せる家族であった祖父を演じていたのはアンソニー・ポプキンス。社会の辛辣な現実と守るべき道徳観を教えてくれた温厚で寛大な人物として描かれている。一方,学校に大きな影響力を持つ「トランプ家の娘」として登場するのは,ジェシカ・チャステインだった。尊大で,権力的な態度の女性役が似合っていた。ドナルド・トランプ前大統領の娘イヴァンカでは年齢が合わないなと思ったら,彼の長姉のマリアンだったようだ。40年前からこの一族は傲慢で下品だったということにも,妙に納得してしまった。
 『TÁR/ター』(5月12日公開):ようやく,この話題作の記事を書く時期になった。アカデミー賞授賞式前に試写を観ることができず,噂と予告編だけで予想印をつけて失敗した顛末は,「第95回アカデミー賞の予想(+結果分析)」(23年2月号)に書いた通りだ。主演女優賞部門で『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(同3月号)のミシェル・ヨーと本作のケイト・ブランシェットをライバル視したのだが,それを除いても,前者が7部門受賞であったのに対して。本作が6部門ノミネートで無冠という結果に少なからず驚いた。この結果を知ってから本作の試写を観たので,本来ジャンルが違う映画であるのに,『エブエブ』と本作では何がそんなに違うのか,点検する気分で臨んでしまった。その意味で,以下の記事は素直な初見の感想や解説でなく,少し偏った見方になっているかも知れない。
 主人公のリディア・ターは,世界有数の女性指揮者兼作曲家で,米国の5大オーケストラの指揮者を経験した後,伝統あるベルリン・フィルの首席指揮者に就任した実力者だ。マーラーを愛し,ベルリン・フィルで唯一録音を果たせていなかった交響曲第5番の演奏と録音の重圧の中で,楽団の演奏が彼女の要求水準に達していないことに苛立っていた。作曲家としては,エミー賞,グラミー賞,アカデミー賞,トニー賞の全てを制していたが,新曲の創作に苦しんでいた。そんな中で,絶対的な権力者として君臨するリディアが指導していた若手指揮者が自殺するという事件が起き,疑惑をもたれて追い詰められて行く……。
 音楽映画としては出色の出来映えであり,特にクラシックファンにとっては,選曲も演奏もたまらない魅力だろう。演奏シーンにも徹底したリアリズムが追求され,これが16年ぶりの長編映画というトッド・フィールド監督の脚本・演出も精緻を極めている。昇り詰めた女性が反発を招き,坂を転がるように落ちぶれて行く展開は,伝記映画でよくあるパターンだが,K・ブランシェットの演技は鬼気迫るものがあり,彼女しか演じられなかった役だと思う。リディアは実在の人物ではなく,音楽的なモデルは,レナード・バーススタインとヘルベルト・フォン・カラヤンだとされているが,それをなぜ女性指揮者として描いたのだろう? 自ら製作・脚本も担当した監督は,LGBTQ映画として描きたかったのではないかと想像する。高名な芸術家やスポーツ選手の女性がレズビアンなのはよくあるケースだが,本作のリディアもそれを公言している。最近の傾向なら,ジェンダー問題を自作に盛り込みたくなるのは映画監督の本性だろうが,本作はその要素が目立ち過ぎる。K・ブランシェットの熱演には感心しても,観客にとって不愉快な映画であったことが『エブエブ』との差であったと感じた。
 『フリークスアウト』(5月12日公開) :とてつもなく奇妙だが,破天荒ゆえに楽しいイタリア映画だった。宣伝文句は「超人サーカス団 VS ナチス・ドイツ!」であり,「世界が熱狂した異能力バトル・エンタテインメント!」なる惹句も付されている。舞台となるのは第二次世界大戦下のローマで,ユダヤ人の団長イスラエルが率いるサーカス団「メッツァ・ピオッタ」は,たった5人の小所帯だった。光と電気を操る少女,アルビノの虫使い,多毛症の怪力男,磁石人間の道化師らは,異能者ゆえに普通の暮らしができず,片寄せ合って生きていた。ナチス・ドイツの影響が強まる中,戦火を逃れて全員でアメリカに脱出するはずが,イスラエル団長が突然姿を消してしまう。団長を慕う少女マティルデを残し,他の3人はベルリン・サーカス団に加わるが,その団長のフランツはナチスの勝利のため,異能力者を探して人体実験を繰り返す恐ろしい男だった……。
 ポーランドやフランスのナチス侵攻はしばしば映画に登場するが,同じ枢軸国のイタリアの首都もナチス占領下にあったことは余り知られていない。監督・脚本・製作・音楽担当のガブリエーレ・マイネッティは1976年生まれであるのに,この占領下を「20世紀の最も暗い時代」と称している。多くのイタリア人にも染みついている忌まわしい過去なのだろう。前半,4人の異能者はゲテモノ扱いだったが,フランツ団長を始めとするナチスが異常人格者集団の様相を呈し始めると,彼らと戦う異能者4人の方がまともな人間に見えてくる。
 電気を使う少女マティルデ(アウロラ・ジョヴィナッツォ)が愛らしく,保護したくなる存在だった。彼女を中心とした女性映画として描こうとしている意図も読み取れた。チェンチオが操る多数の虫やマティルデが発する光は,当初は単純なCGで描かれているだけだったが,マティルデ中心の映画となるにつれ,CGのレベルも向上し,分量も格段に多くなった。しかるべきスチル画像があったなら,メイン欄で紹介したかったほどだ。ラストは圧巻で,娯楽映画としては上々の出来映えである。イタリアのアカデミー賞と呼ばれる「ダビッド・ディ・ドナテッロ賞」には16部門にノミネートされ,撮影・美術など7部門で受賞したというのも頷けた。
 『MEMORY メモリー』(5月12日公開):異能者がナチスと戦う型破りの娯楽映画の後は,オーソドックスなアクション・サスペンス映画だ。リーアム・ニーソン主演と聞いただけで,どんな映画か想像できてしまい,「また定番なのか」「せめて,何か新しい工夫が欲しい」の声が出ることだろう。この2年間だけで4本も紹介したが,いずれも抜群の戦闘能力をもつタフな主人公ばかりだった。ただし,今回は展開と結末が少し違う。
 舞台となるのはテキサス州のエルパソで,主人公のアレックスは,裏社会で絶対の信頼を得てきた凄腕の殺し屋だったが,アルツハイマー病に冒され,自ら余命僅かだと悟っていた。記憶も怪しくなり,引退を決意したが,最後の仕事として2人の殺害を請け負う。1人目は殺したが,2人目の標的が10代前半の少女だと知り,契約を破棄する。「子供は殺さない」とする彼の信念に従ったためだが,この少女が巨大人身売買組織と関係していたため,組織とFBIの両方から目を付けられる……。
 それだけなら,余生を孫と過ごすために引退を希望するFBI捜査官であった前作『ブラックライト』(23年3月号)と大差ないのだが,本作では共演者のクオリティが違った。ガイ・ピアース,モニカ・ベルッチという大物俳優2人が加わったことで,ストーリーと人間関係が複雑になっている。とりわけ,FBI捜査官を演じるガイ・ピアースはW主演とも言える重要な役柄で,地元警察の妨害で捜査が進展しない彼を,犯罪者のアレックスが𠮟咤し,支援するという変則バディ関係に発展する。その分,痛快なニーソン映画のファンにとってはやや物足りない結末だっただろうが,筆者には十分楽しめた。物忘れが激しくなったアレックスが腕に書き留めた文字で記憶を辿るシーンは,ガイ・ピアースの出世作『メメント』(01年10月号)を知る映画ファンなら,思わずニヤリとするはずだ。映画の題名も,2つの意味の掛け詞となっている。
 『ライフ・イズ・クライミング!』(5月12日公開):恐るべき,胸が熱くなるドキュメンタリー映画だ。題名通り,困難なクライミングの挑む人物を描いた邦画だが,それだけのことなら驚かない。驚嘆すべき映像なら『フリーソロ』(19年7・8月号)『アルピニスト』(22年Web専用#4)で紹介済みだし,日本人クライマーの輝かしい業績なら,最近『人生クライマー 山野井泰史と垂直の世界 完全版』(22年11・12月号)で取り上げたばかりだ。最初「パラクライミング」と聞いた時は,「パラグライダー」の「パラ」で,空中移動と組み合わせた登攀なのかと思ったが,そんな訳はなかった。「パラリンピック」「パラ競技」の「パラ」だというので,四肢の不自由な障害者がスポーツクライミング競うことだと理解したが,本作の主人公はさらに少し違った。何と,全盲者であり,室内競技だけでなく,屋外の岩山を登るのだという。そんなことができるのかと,驚嘆した。
 人生の途中で視力を失ったクライマー・コバこと小林幸一郎氏(現在,55歳)がその人だ。視力がある内にクライミング経験があったとはいえ,2014年から2019年まで世界選手権4連覇という偉業で,既にレジェンド中のレジェンドだそうだ。当然,いくら練習を積んでも全盲者が未体験の岩山を登れる訳はなく,アシストする人物が必要だ。「サイトガイド」と言い,前や後について声で指示を出す。小林氏のパートナーは,ナオヤこと鈴木直也氏(現在,47歳)で,彼自身もクライマーである。本作は,2人の10,000kmに及ぶアメリカ大陸への冒険の旅の記録で,ユタ州に聳え立つ砂岩フィッシャー・タワーズの尖塔に立つことも目標に含まれている。
 道中で,世界7大陸の最高峰を制覇した全盲クライマーのエリック・ヴァイエンマイヤー氏を訪問して再会するが,この人物の言葉も含蓄があった。他人を信じて行動することの大切さ,達成感を共有する歓びの描写に,胸が熱くなる。そして,ついに驚異の尖塔に立つ姿の美しい映像に感動する。これは感動ではなく,驚きというべきか? いや,やはり感動である。
 『ソフト/クワイエット』(5月19日公開) :白人至上主義の女性たちが暴走し,おぞましい犯罪へと発展する過程を全編ワンショット撮影したリアルタイム・スリラーだという。製作国はというと,こんな映画を作るのは,住民がマイノリティへの差別を公然と口にし,現在被告である前大統領を支持する国しか有り得ない。低予算のB級映画で,テーマがヘイトクライムとなると,避けて通る方が無難に思える。それでも観る気になったのは,製作会社がホラー&スリラー得意のブラムハウス・プロダクションで,創業者のジェイソン・ブラムが製作を担当した作品は,『ザ・ギフト』(16年11月号)『ゲット・アウト』(17年11月号)『ブラック・フォン』(22年Web専用#4)等々,ユニークで楽しめるスリラー映画が多かったからだ。本作の監督・脚本のベス・デ・アラウージョはこれが長編デビュー作だという。監督自身はブラジル人と中国系米国人の混血女性であるので,白人至上主義者の訳はない。であれば,このテーマをどう描くのか,お手並みを拝見することにした。
 幼稚園教師であるエミリー(ステファニー・エステス)は,長身の金髪美人だが,根っからの白人至上主義者で,「アーリア人団結をめざす娘たち」なる会を設立し,その第1回会合を教会の部屋で開いた。ミニKKKのような会である。集まった白人女性は6人で,有色人種の社会進出や移民の増加に我慢がならない彼女らは意気投合するが,過激な発言が神父の耳に入り,教会から追い出されてしまう。6人の内,話し足りない4人は2次会を開こうとエミリーの自宅に向かう途中,食料品店で出会ったアジア系姉妹と揉め事になり,彼女らの自宅を荒らしに行くことにする。少しだけ懲らしめて溜飲を下げるつもりが,どんどんエスカレートして制御が利かず,後戻りできない犯罪へと突入してしまう……。
 犯罪行為を隠蔽しようとして,深みに嵌まってしまう展開は,犯罪小説や犯罪映画の定番のパターンだ。長回しのワンショット撮影も,今や珍しくもないが,本作の場合は,上手くテーマにフィットしていたと思う。手持ちカメラで迫ると,生々しさ,素人犯罪らしさが強調される。ライブ進行は,観客に一休みする余裕を与えず,物語に引っ張り込む効果がある。監督自身は,本作を社会派映画でヘイトクライムへの警鐘のつもりで撮ったのかも知れないが,筆者はエンタメ映画として楽しんでしまった。4人の女性の年齢,職業にバラエティをもたせたのは,物語を面白くする効果があったと思うが,本気でこの種のカルト小集団を作るなら,もっと均質な白人層になってしまうと思われる。その意味では,少しリアリティに欠けた。ただし,こういう映画を作ると,自分たちならもっと上手くやるという連中が増えてしまうことを危惧する。いや,分断化されたアメリカ社会には,既に犯罪行為スレスレのレベルでヘイト活動をしている会がいくつもあるに違いない。
 『少年と犬』(5月19日公開):題名から,小学生くらいの少年と犬とが心を通わせるハートウォーミング映画を想像してしまうなら,大外れだ。核戦争で荒廃してしまった未来社会を描いた,全くのディストピア映画である。原題は『A Boy and His Dog』で,その直訳である邦題は間違いではないのだが,Boyといっても主人公は既に18歳である。かなりのイケメンで,犬とはテレパシーで交信するという,異色のバディ映画でもある。この映画の製作年は1975年である。通常,リバイバル上映作品は取り上げないのだが,本作は日本初公開だというので,対象にすることにした。配給会社がなぜ今頃になって公開するのかと言えば,劇中で描かれている時代は2024年,即ち,もう来年なのである。なるほど,それは興味深い。所謂「過去から見た未来」なのである。1975年当時の映画人たちが,約50年後の世界をどう予想していたかを伺い知ることができる。
 物語としては陳腐なブラックコメディであったが,未来社会の描き方は大いに楽しめた。第3次世界大戦は1950年から33年続いて,一旦戦争は終結した。その後,第4次世界大戦が核戦争となり,たった5日間で終わったという。1950年は朝鮮戦争勃発の年であり,東西両陣営は(現在のウクライナ侵攻と同様)核は使わず,通常兵器で1988年まで戦い続けていたことになる。偶然なのか,ほぼベルリンの壁崩壊,東西冷戦終結の時期に近い。次なる核兵器応酬の第4次世界大戦により,地上はすべて荒廃した砂漠となり,2024年に人類は地上と地下のシェルターに別れて暮らしていた。地上は女性と食べ物を求めての略奪社会となり,地下では階級社会が形成されていた。地下住民は全員気味の悪い白塗りの顔で登場する。放射能の影響なのか,遺伝子変異で女性が生まれない社会になってしまっていた……。今,ロシアがウクライナで核兵器を使えばこうなってしまうとの暗示のようであり,女性が生まれないことは,先進国での少子化現象への警鐘のようにも受け取れた。
 原作はSF作家ハーラン・エリスンの同名小説で,サム・ペキンパー監督作品の常連俳優L・Q・ジョーンズが監督を務めている。主人公の青年ヴィックは,地下から来た少女クイラに出会い,彼女を追って地下世界に降りて行くが,地上で生き延びた貴重な研究対象扱いされ,大騒動を起こすという筋立てである。未来予測としては興味深かったが,映像的には見どころはなかった。まだCGもVFXもない時代で,ジョージ・ルーカス監督が特殊効果満載の『スター・ウォーズ』で度肝を抜いたのが1977年であるから,1975年公開の本作に多くを求めるのは無理な話だ。むしろ,ヴィックと犬のブラッドが砂漠を彷徨うシーンは,その後登場する『スター・ウォーズ』に影響を与えたように思えた。名作『ブレードランナー』は1982年,『未来世紀ブラジル』は1985年の公開であるから,ディストピア映画としての本作は,SF映画の先端を走っていたと言える。
 『宇宙人のあいつ』(5月19日公開):続いてもSF映画で,宇宙人は登場するが,こちらも地球上だけでの出来事で,宇宙空間や他の惑星は登場しない。邦画のコメディで,焼き肉屋を経営する真田家の家族4兄妹の物語である。その次男・日出男(中村倫也)が実は土星人で,23年間地球人に成りすまして暮らし,地球人の生態を観察してきたが,まもなく土星に戻るという。その残された3日間の出来事が描かれている。即ち,「現代版 かぐや姫」の物語だ。なぜ23年間かと言えば,それが土星の1年間に相当するからだそうで,物理的条件の違いからか,日出男は地球上では様々な超能力を発揮する。それらはCG/VFXで描かれていて,レベルは高くないものの,結構楽しんで観ることができた。
 日出男の素性を唯一知っていたのは,親代わりの長兄・夢二で,バナナマンの日村勇紀が演じている。彼の登場場面が多いというだけでコメディは確実で,前半はハチャメチャのギャグ,軽口の連発であった。三男・詩文役は柄本時生で,とぼけた味の個性派であるから,ギャグの受け手としてはぴったりだ。残る日出男と長女・想乃は誰でも務まる役柄と思ったのだが,想乃役の伊藤沙莉が好い味を出していた。前半のギャグから一転して,ペーソスを交えた後半の家族愛の物語を支えるのは,彼氏と別れ,シングルマザーとなることを決意する彼女の存在である。
 日出男が土星に帰還するには地球人を1人連れて行く必要があるというので,真田家の家族会議は紛糾する。さて,その結果,迎えに来たロケットに乗って,宇宙空間に飛び立ったのだが……。映画通には,物語の行方,着地点は読めるだろう。家族愛の映画なら,それを外さず,観客の満足度を高めることも肝要だ。娯楽映画は,かくありたい。監督・脚本は,『荒川アンダーザブリッジ THE MOVIE (12年2月号)の飯塚健だった。そう言えば,同作では金星人が登場していた。
 『最後まで行く』(5月19日公開):2014年公開の同名の韓国映画を,『新聞記者』(19)の藤井道人監督が岡田准一,綾野剛のW主演でリメイクしたクライムサスペンス映画である。前作『ヴィレッジ』(23年4月号)は故河村光庸プロデューサーに遠慮し過ぎたのか,仰々しい大作仕立てが合わなかったのか,演出の冴えが今イチであったが,本作は藤井監督らしいハードタッチの演出で,ノンストップアクションを見事に描いている。既に中国やフランスでもリメイクされているヒット作を改めて手がけるとは,よほど自信があったのだろう。
 年末の夜,雨中を危篤の母の病床に向かい運転中の刑事・工藤(岡田)は,突然飛び出して来た男を撥ねてしまう。勤務先からは監察が入るのですぐ警察署に戻るよう督促され,パニック状態の彼はこの男をトランクに入れてしまうが,遺体の処理を巡って窮地に陥る。その事実を知っていると脅して来たのは県警本部の監察官・矢崎(綾野)で,工藤の幼い娘を誘拐し,隠した遺体と交換することを要求する……。
 前半は訳あり刑事の岡田准一を中心に物語が展開し,後半は冷徹無比の監察官の綾野剛の存在感が際立ってくる。基本骨格は韓国版を踏襲していて,冒頭シーンも遺体を母親の棺桶に隠すことも同じであったが,結末は異なるというので,事件の行方には片時も目が離せなかった。工藤の犯罪行為がバレずに済むのか,思わず見守ってしまう。このリメイク作では,隠し金を取り出す手口,矢崎と義父の関係等々,かなり独自の拡張を加えていて,ヤクザの組長・仙葉を演じる柄本明の役割も見どころである。欠点はと言えば,邦画の常だが,クライマックスからラストまでの後日談が長過ぎる。ここまで「最後まで行く」必要はなく,韓国版,フランス版と同じエンディングの方が良かったかと思う。
 『クリード 過去の逆襲』(5月26日公開):ボクシング映画の金字塔『ロッキー』シリーズのスピンオフ作品として登場したが,これでもう3本目だ。いずれも出来が良く,「ロッキーの魂を受け継いだ」とか「後継シリーズ」とか言わなくても,もう堂々と『クリード』シリーズで通用する。前作までをご存知ない読者のために触れておくと,ロッキー(シルベスター・スタローン)と死闘を繰り返したアポロ・クリードの息子アドニス(マイケル・B・ジョーダン)が若き主人公で,父のライバルであったロッキーにトレーナーを依頼するのが1作目『クリード チャンプを継ぐ男』(16年1月号)だった。2作目『クリード 炎の宿敵』(18年Web専用#6)は,父の命を奪ったイワン・ドラゴの息子ヴィクターがアドニスに挑戦状を叩きつける因縁の対決を描いていた。できれば本作の観賞前に,時間がないなら後でもいいから,前2作を観ておくことをお勧めする。
 本作で,S・スタローンは製作陣に名を連ねるだけで,脚本にも参加していないし,トレーナーのロッキー役としても登場しない。製作・監督は,主演のM・B・ジョーダン自身であり,これが監督デビュー作である。魂は引き継いでも,既にロッキー離れを果たしたとも言える。しかも,これが初体験とは思えぬ演出の冴えで,監督としての才能を感じる。今後が楽しみだ。
 物語は,26勝1敗の王者アドニスが最終戦を飾って引退するところから始まる。そーか,第1作からもう7年半も経っているのだ。現役ボクサーの選手生命からすれば,引退を考える時期でおかしくない。現実世界なら,引退して自分のジムを開いたり,解説者になったりするだろうが,それでは映画にならないので,何かが起こるはずだ。そう思っていたところに登場したのは,刑務所を出所したばかりのデイム(ジョナサン・メジャース)で,アドニスの幼馴染みの訳あり男だった。かつての実力は自分の方が上との自負があり,服役に関してアドニスに恨みをもつ彼は,アドニスの後継者を破壊して,チャンピオンになってしまう……。
 そうなると,アドニスが引退を撤回して現役復帰するだろうと誰もが想像するが,物語はその通りに展開し,結末も容易に予想できる。そうと分かっていても,リング上での戦いに迫力があれば,何事も許せるのがボクシング映画の醍醐味だ。アドニスの過去を巧みに盛り込み,彼の母,妻,娘に関するエピソードも絶妙に配している。脚本・編集・音楽がいずれも見事で,完成度が高い。
 『THE KILLER/暗殺者』(5月26日公開):題名通りの韓国製の殺し屋映画だ。引退した伝説の最強の殺し屋が主人公というから,リーアム・ニーソンかジェイソン・ステイサムに演じさせたいような役柄だ。上記のニーソン映画が物足りなかったというアクション映画ファンには,こちらがオススメだ。主人公ウィガンを演じるチャン・ヒョクは韓国が誇る肉体派俳優らしいが,顔は少し細面で,抜群の美男俳優ではないが,そこそこのイケメンである。邦画なら,西島秀俊か竹ノ内豊に殺し屋を演じさせたら,こういう感じになるだろう。
 実にスマートで,クールな殺し屋だ。暗く,薄汚れた暗黒街が舞台かと思えば,住居も豪華だった。財テクで成功し,豊かな生活を送っているという設定である。妻が友人と数週間の旅行に出かける間,その友人の娘である女子高生ユンジを預かったところ,目を離した隙に彼女が人身売買組織に拉致されてしまう。気楽に保護者で過ごすつもりだったウィガンは,妻に知られない内にユンジを救出しようと,かつての暗殺者パワーを全開にし,単身で組織と渡り合う……。ボクシングやテコンドーで肉体を作り上げたというだけあって,見事な身のこなしで,無敵ぶりを発揮する。銃撃戦は元より,斧を使う武侠アクションも登場する。これまで当欄で,この男優の主演映画を取り上げる機会がなかったのが残念だった。
と思ったのだが,過去の出演作一覧を眺めたら,何と20年以上前に紹介した『火山高』(01)に主役で登場しているではないか。「韓国版マトリックス」「アジア発のスーパー3次元アクション」との触れ込みの武侠SFX映画であった。主人公の金髪の男子校生を演じていたようだが,今スチル画像を見ても,全く別人に見える。当時から武闘派であったが,20年も経つと,こうしたクールな中年の殺し屋が似合うようになるのが興味深い。地味な題名からは想像できない,韓流映画とは思えぬスタイリッシュなアクション映画である。観て損はない。
 『THE WITCH/魔女 ―増殖―』(5月26日公開):韓国映画が続く。題名も上記と似ているが,かなり趣きは異なる。単純に悪漢を倒す痛快アクション映画ではなく,こちらはホラー性を帯びたバイオレンス・アクション映画であり,CG/VFXもしっかり使われている。本作の主人公も凄まじい戦闘能力をもっているが,普通の生身の人間ではなく,人体実験で改造され,殺人兵器となった少女である。少し注意しておきたいのは,『THE KILLER/暗殺者』が予備知識なく,単独で観ても全く問題ないのに対して,本作は『THE WITCH 魔女』(18)の続編と言える映画であることだ。「あらすじ」だけ読むと前作と似ていたので,一話完結形式の独立した物語かと思ったのだが,その真逆であった。遺伝子操作で超人的なアサシンを養成する「魔女プロジェクト」が主体となる物語であることを,予め知っておいた方が良い。とりわけ,このプロジェクトの創始者であるペク総括(チョ・ミンス)が,前作でどのような役割を果たしていたかを知っておかないと,本作を正しく理解できないからだ。ともあれ,DVDレンタルでもAmazon Primeのネット配信でもいいから,前作を先にしっかり観ておくことをお勧めする。
 前作の少女ジャユンは,8歳の時に施設を抜け出し,ある農家にたどり着く。記憶を失っていたが,親切な夫婦の娘として高校生まで育つという設定であった。一方,本作の少女には名前がない。秘密研究所アークが襲撃され,その時初めて外界に出た彼女が,ある牧場に辿り着くというのは似ているが,彼女を受け入れ,守ってくれたのはギョンヒ(パク・ウンビン)とデギル(ソン・ユビン)の姉弟である。アークから抹殺指令を受けた女性工作員,謎の超能力者集団「土偶」,姉弟を狙う地元の犯罪組織がこの牧場に押し寄せ,クライマックスでは魔女完全体の少女を加えた「四つ巴」の壮絶バトルが展開する。前作でジャユンを演じたキム・ダミの名前もクレジットされているので,魔女ジャユンがどんな形で再登場するのかも,本作の愉しみの1つだ。
 脚本・監督は,勿論,前作に引き続きパク・フンジョンで,主人公の少女には1408人のオーディションから選ばれた美少女シン・シアを起用している。韓国最大の観光地である済州島でオールコケを敢行し,オープンセットも設けたという。それにしては,韓国で最も温暖な火山島で雪景色というのが不思議であったのだが,60年ぶりの大雪に遭遇したとのことである。監督は,このシリーズを「魔女ユニバース」なる壮大な構想に育て上げたいらしい。それを期待するなら,エンドロールの最後までしっかり見逃さずに点検しておく必要がある。
 『波紋』(5月26日公開):素直に面白かった。思わぬ拾いものだったと言えば,監督に失礼だろうか。あまり期待していなかったのは,翌週に『怪物』『渇水』が控えていて,漢字2文字の邦画が計3本もあったので,関心が分散していたからかと思う。既に独特の感性で描く「荻上ワールド」を築き上げている荻上直子監督の最新作であるから,もっと注目しておくべきであった。2012年以降,5年に1本という寡作であったのに,昨年の『川っぺりムコリッタ』(22年Web専用#5)に引き続いての新作の登場は喜ばしい限りだ。
 恒例の荻上監督自身のオリジナル脚本で,今回の主テーマは「宗教団体」である。主人公の須藤依子(筒井真理子)は,夫も息子も去った家に独りで住み,静かな生活を送っている。庭に枯山水の波紋を描き, 信仰する教団が崇める「緑命水」のボトルを大量に買い込んでいる。勝手に家を飛び出して,11年ぶり帰って来た夫(光石研)が癌治療の高額医療費を要求し,遠方に就職している長男(磯村勇斗)が聴覚障害者の恋人を連れて来たことから,彼女に穏やかな生活に波風が立ち始める……。
 主人公の依子は監督の分身なのかと思いきや,共感し難い,嫌な人間として描いたという。「狂った女たちの話」でもあるらしい。いや,女だけでなく,男もだ。身勝手な夫,どこか感覚がずれた息子の恋人,パート先のスーパーで何でも値切る客(柄本明)等,接したくない人物ばかりである。新興宗教にのめり込む信者たちの気味の悪さ,滑稽さもあぶり出している。キャッチコピーは「絶望を,笑えー」で,いつものようにどこかコミカルだ。ホームレスやゴミ屋敷も登場し,東日本大震災のトラウマ,障害者へのヘイト,ペット愛等々も描かれている。1つ間違えば,宗教団体&信者,障害者支援団体,震災復興支援団体からクレームが来そうなネタの連発だが,見事なタッチのブラックユーモアで描き切っている。上記以外の助演陣は,江口のりこ,安藤玉恵,木野花,キムラ緑子らの芸達者で,「荻上ワールド」が全開だ。
 
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