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O plus E 2022年Webページ専用記事#4
 
その他の作品の短評
  (注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています)  
 
   『彼女たちの革命前夜』:1970年前後に世界中で吹き荒れた女性解放運動「ウーマンリブ」の象徴的な出来事を描いた映画である。 「Women's Liberation Movement」の意味で,このカタカナ略語自体は和製英語とのことだ。今では殆ど聞かなくなって死語に近いのは,その後も解放運動は継続され,女性の社会的活動に対する理解が進んだからだろうか。本作の舞台は英国で,主人公のサリー・アレクサンダー(キーラ・ナイトレイ)はバツイチのシングルマザーで,改めて学問をやり直そうとロンドン大学に入学する。学内で知りあった活動家のジョー(ジェシー・バックリー)に感化され,次第に女性解放運動にのめり込む。旧来の英国流の家父長制に反発する彼女らが標的にしたのは,女性をモノとしか扱わず,見た目の美しさだけで品定めする「ミスコンテスト」の粉砕だった。「ミス・ユニバース」「ミス・インターナショナル」と並ぶ世界3大ミスコンの1つ「ミス・ワールド」の1970年世界大会の会場に乱入し,治安妨害で多数の女性活動家が逮捕され,5人が起訴されるという事件の顛末を描いている。今なら当然と思える主張なのに,この時代の戦う女性達の態度は好きになれなかった。この映画を観て改めて不快に感じた。恐らく,観客にもそう感じさせる意図的な描写なのだろう。娘の世話を両親に押し付け,抗議活動に没頭するサリーに対して,母親が「解放とは,自分の仕事を他人にさせることか?」と問う発言は辛辣だ。気が強く,正論をはく主人公サリーは,K・ナイトレイのハマリ役と言える。活動家達の主義・主張を皮肉まじりに描く半面,ミスコンでの上位入賞を目指す女性たちの描き方が本作のもう1つの柱となっている。ミス・グレナダのジェニファー(ググ・バサ=ロー)や南アフリカ出身の黒人パール(ロリース・ハリソン)は美しく,魅力的だ。最後に実在の4人の女性の現在の姿が映り,その後,彼女らがどういう人生を歩んだかを紹介する字幕が流れる。てっきり,1970年当時を知る男性監督の視点での映画だと思ったのだが,監督のフィリッパ・ロウソープは1961年生まれの女性だった。脚本家の2人も女性である。もう1つ驚いたことに,標的にされたミスコンなどはもう消滅したのかと思ったのだが,3大ミスコンはいずれも半世紀以上経った今も存続していた(ミス・インターナショナルのみコロナ禍で2年間中止)。応募する女性が世界中にいるから成り立つイベントである。家父長制への反発と美しいと評価されることへの願望は,今も別ものということか。
 『ベイビー・ブローカー』:既に一般のニュースでも報道されていたので,カンヌ国際映画祭での本作の結果はご存知のことだろう。『万引き家族』(18年5・6月号)で最優秀作品賞のパルムドールを受賞した是枝裕和監督の自らの脚本・編集による韓国映画で,主演は翌年同賞を得た『パラサイト 半地下の家族』(19年Web専用#6)の名優ソン・ガンホというので,当然再度のパルムドール受賞が噂されていた。結果はソン・ガンホの「最優秀男優賞」とキリスト教関連団体から贈られる「エキュメニカル審査員賞」の2部門受賞に留まった。本作のテーマは,子供を捨てる母の想いで,「ベイビーボックス」(赤ちゃんポスト)に捨てたはずの新生児を巡る騒動を描いている。是枝監督お得意の家族を描いたヒューマンドラマのオリジナル脚本である。これが是枝監督の長編映画の16作目だが,当欄での紹介は9作目で,最近はほぼ一貫してこの種のテーマだと言える。ソン・ガンホ演じる主人公のハ・サンヒョンの正業はクリーニング店主だが,児童養護施設出身のドンス(カン・ドンウォン)を相棒にして,子供を欲しがる家族に新生児を売り渡す「ベイビー・ブローカー」を裏稼業にしていた。一旦赤ん坊を捨てた若い女ソヨン(イ・ジウン)が思い直して取り戻しに行ったところ,2人が連れ出したことを知り,紆余曲折があって,3人で適切な養父母探しの旅に出るというロードムービーとなっている。彼らが擬似家族の感情を持ち始めるのは『万引き家族』の同工異曲とも言える。ブローカーは犯罪だとして,彼らの旅路をスジン刑事(ぺ・ドゥナ)が執拗に追跡するクライムムービーの側面も有している。セリフやロケ地の選択はよく練られていると感じたが,その反面,同じようなシーンが続き,緩急の付け方が乏しかった。是枝作品としては,『海街diary』(15年6月号)『万引き家族』の方が数段上だと思う。1人ずつの境遇や心の中を描こうとして,作品全体のメリハリがなくなり,その分,感動度がいつもより少なかった。笑いも少なく,少し余裕がない感じがした。俳優もスタッフも韓国人で,通訳を介しての演出では,是枝作品らしい味付けが十分できなかったからかと想像する。
 『ブラック・フォン』:素晴らしいホラー映画だ。少年たちだけを狙う変質者の連続殺人犯(シリアルキラー)が登場するので,サイコスリラーに分類してもよい。エンタメ作品としては,今年これまでに観た中で一番面白かった作品だ。表題は直訳すれば「黒電話」で,一昔前の電話機と言えばこれしかなかった。日本では,高額の電話債権を買って日本電信電話公社と契約すると,供給される電話機はこれに決まっていた。ようやくその自由化がなされたのは,1985年のことで,認定を受けた市販の電話機を自分で購入して,モジュラージャックで接続することが許された。今から37年前のことである。欧米でもやはりこの種の黒電話が主流であったようだ。黒電話でも,卓上型と壁掛け型があるが,本作に登場するのは後者だ。原作はジョー・ヒル作の短編小説で,その邦題自体が「黒電話」である。舞台となるのは,1978年の米国デンバーで,俗称グラバーに誘拐された少年が監禁される地下室に,壁掛け式の黒電話が設置されている。コードが切れていて電源も通信線も通じていないので,電話機の機能を果たさないはずだが,なぜか電話がかかって来て,監禁されている少年フィニー(メイソン・テムズ)に語りかける。誰がかけてくるかは,観てのお楽しみとしておこう。エクソシスト系の悪罵払い映画ではないが,ホラーらしい仕掛けは施されている。フィニーの妹のグウェン(マデリーン・マックグロウ)には夢による予知能力があるというのが鍵だ。登場シーンは少年フィニーが圧倒的に多いが,主演扱いは殺人犯役のイーサン・ホークだ。気弱で誠実な恋人役か最近は好人物の父親役が多く,こうした悪役は珍しい。もっとも,殆どのシーンでフェイスマスクを着けているので,予備知識がないと誰だか分からない。監督は『エミリー・ローズ』(06年2月号)『ドクター・ストレンジ』(17年2月号)のスコット・デリクソン。そう言えば,前者もホラーだった。
 『モガディシュ 脱出までの14日間』:見応えがある秀作が続く。こちらは韓国映画のヒット作で,1991年のソマリアの内乱時の大使館員脱出を描いたサスペンス映画である。ソマリアは「アフリカの角」と呼ばれるL字型の地形をしたアフリカ東端の国であり,「モガディシュ」はその首都の英語表記名である。他の国では「モガディシオ」とも表記されているが,日本人がかつて報道で頻繁に耳にした時は「モガジシオ」と発音されていた。まず1977年9月に日本赤軍が起こした「ダッカ日航機ハイジャック事件」では,バングラディッシュのダッカのジア空港での身代金交渉後にハイジャック機が向かう移送先候補が「ソマリアのモガジシオ」であった。実際には,この日航機はアルジェリアに向かう。続いて,翌月に起きた「ルフトハンザ航空181便ハイジャック事件」では,最初からハイジャック機はモガジシオに着陸させられる。この空港内で,西ドイツの特殊部隊が機内に突入し,テロリストを全員射殺したことが話題になった。アルジェリアもソマリアも当時は親東側諸国であり,左翼過激派組織や第三世界の革命組織の支援国であった。当時のソマリアはエチオピアと戦争中であり,その停戦後の1988年には内戦が勃発している。そんな政情不安な国と知りつつ,韓国も北朝鮮も国連加盟を目指して,多数の投票権をもつアフリカ諸国にロビー活動を行っていた。とかくいがみ合う両国間の情報操作や妨害工作の描写は笑えたが,それぞれの大使や参事官の人物描写はよくできていた。そんな中で,内戦が激化し,現政権を支持する各国の大使館は反乱軍の略奪や焼き討ちの対象となり,命の危険が迫る。暴徒に大使館を追われた北朝鮮のリム大使(ホ・ジュノ)は,不倶戴天の敵であった韓国のハン大使(キム・ユンソク)を頼る決意をし,両国が力を合わせて決死の脱出劇を試みることになる。こういった筋立てだけで韓国ではヒット間違いなしと思うが,何とこれが実話で,長らく語られなかった史実だそうだ。国外脱出を迫られる大使館内の描写は,昨夏のアフガニスタンのカブール陥落,今年のロシア軍によるウクライナ侵攻時も,さぞかし似た状況だったのだろうと想像できる。大使館員とその家族が4台の車に分乗して市内から空港に向かう道中,車体に書籍と砂袋を配して銃弾を防ぐ対策は,当時の関係者から取材してのものだろう。アクション映画の演出としての見せ場でもある。何よりも,よくぞこんな映像を作ったものだと感心するのは,暴動,銃撃,廃虚のような町の描写だ。現在,韓国ではソマリアは渡航禁止国指定されているというので,モロッコでのロケを敢行したというが,自国でもないのに,多数の現地人を動員して,1990〜91年の様子をよくぞここまで再現したものだ。ソマリアからケニアへの移動には,軍用機を手配し,利用しているから,韓国映画界の本気度が分かる。
 『わたしは最悪。』:もうこの題名だけで,どんな映画だろうと興味津々だった。アラサーの女性が主人公のノルウェー映画だが,「異彩を放つラブストーリー」との触れ込みだ。原題は『The Worst Person in the World』で,劇中で浮気相手の恋人が彼女に投げかける言葉だが,1人称で自分を「最悪」と呼ぶとなると,少し印象が違う。舞台は首都のオスロで,ユリヤ(レナーテ・レインスヴェ)は成績優秀で,文才や芸術的センスも豊かな女性だ。明るく溌剌とした活動的な女性を見ると,「何がそんなに最悪か?」と感じてしまう。一回り年長のグラフィックノベル作家アクセル(アンデルシュ・ダニエルセン・リー)と恋人関係になり,同棲生活を始める。その一方で,紛れ込んだパ―ティで若く魅力的なアイヴァン(ヘルベルト・ノルドルム)と知り合い,新しい恋が始まる……。情報も刺激も溢れる現代ゆえに,人生の充実感を味わえる生き方を模索する彼女の姿が本作のテーマのようだ。この映画は,事前知識の有無でかなり印象が異なると思う。各国映画祭で高い評価を受け,ポール・トーマス・アンダーソン監督らが激賞している。今年のアカデミー賞でも国際長編映画賞部門にノミネートされ,惜しくも我が国の『ドライブ・マイ・カー』(21年7・8月号)に破れたとのことだ。筆者はその前提で本作を観たためか,何がそんなに斬新なのか,評価の高さが理解できなかった。遊び心もあるようだが,恋愛過程の描き方が露骨過ぎ,互いの放尿を見せ合うシーンなどは呆れ返った。これは「最悪」だ。観客や評論家の感性を試される映画かも知れない。筆者などは,若者の感覚を理解できない旧人類の代表かと思う。予備知識なしにこの映画を観て,等身大の自分を見るようで,感激する同年代の女性がかなりいるのだろう。監督・共同脚本は,デンマーク生まれで現在48歳のヨアキム・トリアー。彼の過去作『テルマ』(18年Web専用#5)には,当欄はサイコ・ホラーの傑作として最高点評価を与えている。
 『哭悲/THE SADNESS』:台湾映画のパンデミックものだという。今回の新型コロナウイルスCOVID-19が大きな話題となった頃,当然,感染症の恐怖を描いた映画はということになり,先ず想い出したのは『コンテイジョン』(11年11月号)だった。次に想い出した『28日後…』(02)は人々が感染し凶暴化する新型ホラー映画であった。『ワールド・ウォーZ 』(13年8月号)『新感染 ファイナル・エクスプレス』(17年9月号)も同系列だが,むしろゾンビ映画と言える代物だった。いずれも,感染症の恐怖への警鐘というより,サバイバルがテーマのエンタメ作品に属する。COVID-19後は,様々なヒューマンドラマやドキュメンタリーが登場するだろうと予想していたが,まだ収まらない内に,早くも登場したのかとの思いだった。まず冒頭は,なかなか好いCG映像から始まる。題名からは,大切な人を亡くした深い悲しみを描いた映画かと想像してしまうが,そんな生やさしい映画ではなかった。当初は風邪程度かと思われたウイルスが脳を侵すように変異し,人々を凶暴化させる。開始15分で既に血まみれで阿鼻叫喚の世界となった。感染者たちは罪悪感を感じながらも暴力衝動を抑え切れず,殺人と拷問を繰り返すため,その後は地獄絵図の連続だった。よくぞこんなエグイ映画を作ったものだと呆れた。エンタメ性はゼロだ。ゾンビ映画が可愛く感じてしまう。オンライン試写で観た場合,この稿を書くに当たって細部を再点検することが多いのだが,本作は2度と観る気になれなかった。ただし,途中で止める気にもなれず,最後までしっかり観てしまった。これ以上,筆者にはどう表現していいのか適切な言葉が出て来ないので,他誌のレビュー文をいくつか列挙しておこう。「史上最も狂暴で邪悪」「我々の忍耐力が試される」「悪意と苦しみの底なし沼」「内臓を抉られる衝撃」「地獄があるとしたら,この映画のことだ」「二度と見たくない傑作」等々,全くの同感だ。
 『X エックス』:続いては,1979年のテキサスを舞台としたホラー映画で,史上最高齢の殺人鬼夫婦が若者たちを様々な手口で殺害するというのがウリだ。芸術的で斬新なポルノ映画を製作して一旗上げようという野心的な映画クルーたち6人が,撮影のため予約してあったテキサスの農場を訪れる。ストリッパー出身の主演女優とそのマネ―ジャー,別のブロンド女優とベトナム帰還兵の男優,自主映画製作の学生監督とその恋人の録音担当の女子学生の3組のカップルだ。一方,人里離れた農家に棲んでいたのは,人生のやり直しが出来なかった殺人鬼の老夫婦だった……。監督・脚本のタイ・ウェストの名を知ったのは初めてだが,2013年に「25人の注目すべき35歳以下の映画監督」の1人に選ばれたそうだ。現在41歳で,過去の監督作品8本もほぼすべてホラー系のようだ。あらゆる年代の低予算ホラー映画に通暁しているというだけあって,様々な映画へのオマージュが鏤められているのだろう。手の込んだ殺戮シーンもおそらくそうで,ワニに食べさせるという手口まで登場するとだけ書いておこう。物語の鍵となるのは,老婆パールが若く美しい主演女優マキシーンに昔の自分を投影し,彼女につきまとうことである。即ち,監督が意図したのは「若さと老いの合わせ鏡」の描写であり,英国人女優ミア・ゴスを起用し,パールとマキシーンの二役を演じさせている。彼女が老婆を演じるシーンでのメイクは見事で,顔や肌はほぼ完璧だった。その半面,老婆姿の着衣でも,身体の線が若いと感じてしまうのが欠点だった。映像的には,大人しく見えた女子学生ロレインが自らも出演したいと言い出し,ポルノ女優へと変身するシーンも見ものだった。
 『神々の山嶺(いただき)』:フランス製のアニメ映画だが,原作は夢枕獏作の同名の山岳小説だという。この間にギャップを感じたが,途中に谷口ジロー作画による漫画版があり,それをアニメ化している。同氏の作品はフランスで絶大な人気を誇り,芸術文化勲章のシュバリエ章を授与されていると聞くと納得が行く。ただし,筆者にとっての夢枕獏と言えば,安倍晴明が主人公の「陰陽師」シリーズの作家であった。当欄では,CGを駆使したその実写映画化作品『陰陽師』(01年10月号)『陰陽師II 』(03年10月号)を紹介している。伝奇バイオレンス小説が得意なはずだが,この原作は山岳小説の傑作で,「柴田錬三郎賞」を受賞したようだ。漫画版も文化庁メディア芸術祭マンガ部門「優秀賞」を受賞というから,物語の骨格がしっかりしているのだろう。本作は,生前の谷口ジローの要請を受けた映画プロデューサー,ジャン=シャルル・オストレロや監督のパトリック・インバートらが共同脚本を担当し,7年の歳月をかけて製作したという。フランスでの劇場公開は当然フランス語であったのだろうが,登場人物をフランス人に変えたり,登頂対象をアルプスに変更したりせずに,原作通り,日本人の登山家・羽生丈二と雑誌カメラマン・深町誠が主人公の物語で,目指すはエベレスト南西壁の冬期無酸素登頂という枠組みはそのまま踏襲している。今回の日本での劇場公開は,すべて日本語吹替版だ。「マロリーはエベレスト初登頂に成功したのか?」は,本作を彩るサブテーマだ。1924年に消息を絶った伝説の英国人登山家マロリー卿の遺品と思しきカメラを羽生がもっていたことから,エベレスト登頂の歴史が塗り変わるかどうかも物語に組み込まれている。映画を観始め,ここまで知って,筆者はようやく気付いた。この物語は既に日本で実写映画化されていて,当欄では『エヴェレスト 神々の山嶺』(16年3月号)を紹介している。羽生を阿部寛が,深町を岡田准一が演じていたことも思い出した。いま読み返すと「邦画としては出色の登山映画」と評しているように,なかなかの出来映えであった。ところが,これを2Dセル調アニメで描いただけで,全く別の映画に思えてしまう。2Dアニメの欠点は人物の表情表現能力に乏しいことだが,本作の場合は,谷口ジローの漫画版よりもさらに無表情に描いている。その一方で,山々の描写はユニークでアートセンスに溢れた見事な画調で,スケール感のある素晴らしい山岳映画を描き出していた。3D-CGで描いた方がずっとリアルに描けるのにと思いながら観始めたのだが,物語が進行するに連れ,この映画はこの2Dタッチでこそ活きると感じ始めた。人間性溢れる冒険物語を素朴なアニメのタッチで包んだ映画とでも言えようか。リアリティを追求するなら,同日に公開される次項の『アルピニスト』に到底敵わない。一気にこの2本の山岳映画を観て,比べてみることを勧めておきたい。
 『アルピニスト』:ドラマ仕立てもドキュメンタリーも含めて,多数の山岳映画を紹介してきたが,本作はその最高峰の1つだ。どの映画でも,感嘆するようなクライミングシーンを見るたびに,「これは一体,誰がどうやって撮ったのだろうか?」と不思議に思うが,本作はカメラアングルもカメラワークも,その極致とも言える逸品だった。いきなり登場する切り立った山肌へのフリークライミングのシーンに痺れる。クライマーのアップから思いっきりカメラを引いたり,下から上から縦横にアングルが変わる。随伴して登山するパートナーのカメラでも,対面する壁面からの撮影でも,こうは行かない。撮影のメイキングシーンだけでも観たいほどだ。少しして,命綱や人工的支点を使用しないフリークライミングの歴史が分かりやすく語られる。この分野のトップクライマーたちを描いたドキュメンタリーかと思ったが,主対象はただ1人,カナダ人の若き天才アルピニストのマーク・アンドレ・ルクレールだった。この分野のベテラン,ピーター・モーティマー監督とニック・ローゼン監督がタッグを組み,マークに密着撮影した2年間の記録の編集結果だという。彼らのプロ撮影チームの20年間の経験と技量があって初めて成り立つ映像だと理解できた。被写体のマークの人柄も素晴らしく,技量,体力,精神力には驚嘆する。恋人のブレット・ハリントンも女性クライマーであり,2人が世界中を旅してクライミングを楽しむ会話は微笑ましい。映画本編は93分だが,中身が濃かったためか,ずっと長く感じた。個人的には,残り10数分の手前で終わる方が希望だった。それなら,素直に撮影方法,ドキュメンタリーの編集の見事さだけを褒めて,感激ものだと書けたからである。ただし,ラストのその10数分で,一気にドラマとしての感動度が増すと言っておこう。
 『ザ・ウィローズ』:松竹ブロードウェイシネマの『プレゼント・ラフター』(22年Web専用#2)を観て,すっかり魅せられてしまい,続けて本作の試写にも足を運んでしまった。ただし,こちらはNYブロードウェイの舞台でなく,英国製の舞台ミュージカルをライヴ撮影し,映画として上映する作品である。実を言うと,『プレゼント・ラフター』の場合は,試写室でのマスコミ試写を見逃してしまったため,追加で提供されたオンライン試写で観た。音楽映画でなく,コメディ舞台であったので,音質的にはそれでも問題なかった。ミュージカルとなると,生演奏の舞台公演も,ミュージカル映画も多数観ているので,この種のシネマ版が音質的に太刀打ちできるのか,試写室で確認したかったからである。本作は英国の作家ケネス・グレーアムの名作児童文学をミュージカル化したもので,擬人化された動物たちが登場するファンタジー作品だ。上演されたのは,英国でも屈指の伝統ある石造り大劇場「ロンドン・パラディウム」で,ロンドンのソーホー地区のウエストエンドに位置している。英国王室主催の演奏会の開催劇場であり,1963年にビートルズがデビューした劇場だそうだ。その意味でも興味津々である。主演はヒキガエルの「ミスター・トード」で,演じているルーファス・ハウンドはかなりの名優のようだ。モグラの「モール」,ネズミの「ラッテイー」,アナグマの「バジャー」,カワウソの「ミセス・オッター」が破天荒なミスター・トードの仲間だが,イタチの「チーフ・ウィーズル」率いるギャングたちが彼らの屋敷を襲ってきたことから起こる騒動を描いている。人間社会を擬した動物たちが織りなす心温まる物語だ。前半はセリフも少なく,ほとんど歌,それも大合唱のコーラス曲の連続で圧倒された。後半がセリフやソロ歌唱も多くなって,カメラワークも各俳優のアップが中心となる。滅多に映画ではお目にかかれない舞台俳優が大きな舞台を縦横無尽に使って動き回るダイナミズムも味わえる。とにかくゴージャスだ。音質的には,生演奏に敵わないのは言うまでもないが,通常の映画よりは圧倒的なサウンドボリュームである。勿論,音響効果の良い大きな劇場で観るのに適している。欧米の名演舞台を日本語化した舞台では興醒めだし,さりとて重要な意味をもつセリフや歌詞を正確に聴き取れない日本人にとっては,字幕付きのシネマ版の存在は間違いなく価値があることを再確認した。このシネマ版監督は,2012年ロンドン五輪開会式の映像監督であったティム・ヴァン・ソメレンであり,カメラワークが見事なことも保証付きだ。
 『ソー:ラブ&サンダー』:『ドクター・ストレンジ マルチバース・オブ・マッドネス』(22年Web専用#3)に続く,MCU (Marvel Cinematic Universe)の29作目だ。オールスター映画の『アベンジャーズ』シリーズでの出演以外の単独ヒーローの劇場用長編映画としては,雷神ソーの主演作はこれが4作目で,MCU中でも最多である。既にビッグ3の内,アイアンマンは死亡し,キャプテン・アメリカが現代から姿を消してしまった以上,残る雷神ソーの主演作には期待が大きかった。それがメイン記事扱いしなかった上に,MCUでは過去最低の☆とは,当欄の愛読者も驚かれたことだろう。予兆は既にあった。当Webサイトの読者は,3作目『マイティ・ソー バトルロイヤル』(17)をクリックして眺めて頂きたい。既に「アメコミものにも飽きてきた」と書いている。この記事では,日本語字幕版の「お笑いモード」が全く馴染めないと言いながらも,字幕版にはそう悪印象はもっていなかった。本作での宣伝文句が,「今度のキャラクターは奇ソー天外!」「“ソー”サプライズな大冒険!」などというバカバカしい駄洒落を連発するのには辟易したが,国内の広報チームのレベルが低いだけだと思っていた。それゆえ,マスコミ試写は「字幕版」の回を選んだのだが,本作はその字幕版も絶悪だった。そもそも,コメディアンである監督タイカ・ワイティティを継続登板させるのが大問題だ。彼の笑いのセンスが,我々日本人には合わない。いや,そもそも偉丈夫の雷神ソーにファンが期待するヒーロー像自体に,まるでマッチしていない。映画のどこをとっても,何1つ面白くなかった。全く笑えなかった。これまで,MCU作品には大きな敬意を表し,高評価を与えて来たゆえに,本作は酷評し,今年のゴールデンラズベリー賞の有力候補だと評しておこう。以下,記録を残すため,主要登場人物について触れておこう。『アベンジャーズ/エンドゲーム』(19年Web専用#2)での激闘以降,ソーと行動を共にしていたはずの「ガーディアンズチーム」は前半少し登場するだけで,さっさといなくなってしまう。ソーがアスガルド星の王座を譲ったヴァルキリー(テッサ・トンプソン)は,相変わらず,酒豪の肝っ玉ネエチャンだが,そもそも魅力がない。ソーの地球上の恋人だったジェーン(ナタリー・ポートマン)が本作では再登場するが,何故かあの最強のハンマー「ムジョルニア」を自在に操る「新生マイティ・ソー」として現れた。そもそも地球人の彼女がなぜこんなことになるのか,意味不明だ。そして,全宇宙の神々を抹殺しようとする悪役ゴアを,あろうことか『ダークナイト』シリーズ3部作で「バットマン」を演じたクリスチャン・ベールに演じさせている。ライバルのDCコミックスのヒーローを,こんな下らない悪役で貶めようとは,品性を疑う。何ともったいないキャスティングだ! CG/VFXの主担当はMethodsだが,その他膨大な数のCGアーティスト&クリエータたちが,このオフザケに付き合わされたのが気の毒だ。このような駄作映画が続くようだと,VFX史に残る貢献をしたMCUの栄華も長くないなと感じた。
 『WANDA/ワンダ』:MCUの新作を酷評した後にこの題名だと,「アベンジャーズ」の女性メンバーを想像されてしまいそうだが,『ワンダヴィジョン』(21年3・4月号)の主人公ワンダ・マキシモフの映画ではない。本作の主人公がワンダ・ゴロンスキーであり,超能力とは縁もゆかりもない,米国の底辺社会に生きる女性の悲しい物語である。舞台となるのは,1970年前後のペンシルベニア東部の田舎町だが,現代から約半世紀前を描いている訳ではない。1970年の作であり,ヴェネチアで最優秀外国映画賞を受賞し,カンヌでも上映された唯一の米国映画だったが,米国では1週間上映されただけで,黙殺されたという曰く付きの映画だ。監督はバーバラ・ローデンで,長編映画はこれ1作だけのようだ。16mmで撮影し,劇場用に35mmにプリントされていた「忘れられた小さな傑作」を,マーティン・スコセッシが設立した映画保存財団とファッション産業のGUCCIが資金を提供し,2010年にデジタル修復したという。ただし,当時の画質を再現するために,意図的に低品質にされている。主人公のワンダは全くのダメ女で,酒浸りの毎日で,家事も何もしない。夫には捨てられ,2人の子供の親権もあっさりと譲っている。まさに下層階級の代表であり,底辺を彷徨う女性をロードムービー仕立てで描いている。1970年当時の描写(モール,安レストラン,ファッション,家具類)が懐かしい。女性達の大半はミニスカートだ。そのまま自堕落で終わるのか,人生讃歌に転じるのかと思って観ていたが,終盤の展開も結末も意外であった。このレベルの事前知識で観ることを勧める。現在の映画からすれば,主人公の女性の描き方はさほど珍しくないが,これが1970年の作で,この監督は当時『エデンの東』(55)のエリア・カザンの妻であり,脚本・主演も本人だと知ると,かなり印象が変わるはずだ。当時としては珍しい女性監督の作で,かつ自らが主演して底辺の女性を演じているのは,やはり画期的だったと思う。B・ローデンは既に没しているが,「モデルとなった犯罪者の女性がいた。自分と同い年で,それに影響されてこの映画を作った」というメッセージが残されている。上記の『彼女たちの革命前夜』と比べたくなる女性だが,この監督自身は「ウーマンリブ」など全く知らなかったという。
 『戦争と女の顔』:時節柄,ウクライナを描いた映画が(少し古くても)関心をもって語られ,その一方で,本作がベラルーシの作家の小説を映像化したロシア映画と聞くと,やや批判的な目で見てしまいがちだ。特別軍事作戦とやらに作家や映画監督は何の責任もないので,純粋に映画の内容で評価しようと思うが,戦争の悲劇を描いた物語となると,むしろ複雑な気持ちになる。原作はノーベル賞作家スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチによるノンフィクション「戦争は女の顔をしていない」で,邦訳は文庫化され,コミック版も存在するようだ。この名作をドラマ化し,2人の女戦士が辿った運命を描いた本作は,第72回カンヌ国際映画祭ある視点部門で監督賞と国際映画批評家連盟賞を受賞している。時代は 1945年の秋,第2次世界大戦の終戦直後で,舞台となるのは荒廃したソ連のレニングラード (現サンクトペテルブルク)である。主人公の1人イーヤ(ヴィクトリア・ミロシニチェンコ)は,大戦時に従軍経験があり,PSTDを抱えながら,町の病院に看護師として勤務している。ある日,PSTDの発作で,預かって育てていた戦友マーシャ(ヴァシリサ・ペレリギナ)の息子を死なせてしまう。やがて,戦地から帰ってきたマーシャも心に傷を抱えていた。2人は人生の再建を期すが,その後の物語展開がすさまじい。既に子供を産めない身体となっていたマーシャは,イーヤに自分の子供を死なせた以上,代わりに子供を産んで返せと迫る……。マーシャを妻にしたいという若い男性サーシャは母親に大反対されるが,この母とマーシャとの対決シーンにも息を呑んだ。監督・脚本は,巨匠アレクサンドル・ソクーロフ門下生の新鋭カンテミール・バラーゴフ。時代に翻弄された女性たちがテーマだが,その一方で,現代風女性的な一面も描いている。純粋なLGBTQ映画ではないが,それに近い描写も登場する。暗い時代のはずなのに,映像の色調は明るく,赤と緑の対比が印象的だった。
 『バッドマン 史上最低のスーパーヒーロー』:フランス映画で,「バットマン」ならぬ「バッドマン」である。題名だけで,いかにもいかにものパロディ映画で,おふざけコメディだと分かる。評論家筋の評点は低くても,徹底したパロディ映画は好きな方だ。原題は『Superwho?』,キャッチコピーは「ハリウッドよ,これがヒーローだ?!」というから,いいパロディ・センスだ。単なるドタバタ,下ネタ,悪ノリは困るが,フランス映画なら,ウィットに富んだくすぐり,洒落たセリフ,皮肉を込めた上質のパロディで笑わせてくれることを期待した。映画『バッドマン』の主役に起用された男が,撮影途中に自動車事故で記憶喪失になり,自分はスーパーヒーローだと錯覚して,巻き込まれた強盗事件で大活躍する…というナンセンス物語だ。この「バッドマン」は,黒マントは着けていないが,「バッドスーツ」を着用し,「バッドモービル」で疾走する。執事は「ウォルター」,敵役が「ピエロ」というのも,いかにもそれらしい。映画セットを使ったアクションドタバタが楽しい。劇中の映画監督名が「アラン・ベルモン」で,これはかつての2大スター,アラン・ドロンとジャン=ポール・ベルモンドのもじりだろう。パロディとしては,スパイダーマンの逆さキスシーン,ゴミ箱のフタが「キャプテン・アメリカ」の盾のデザイン,ウルヴァリン風の男が指パッチン,強盗は旧『スーパーマン』シリーズの敵役にそっくり…等々,枚挙にいとまがない。主題歌は「踊るポンポコリン」に似ていたが,これは偶然の一致だろう。監督・主演はフィリップ・ラショーで,共同脚本にも参加している。少なくともコメディ映画としては「最低」ではなく,スーパーヒーロー映画への愛が感じられた。監督自らが最も楽しんで主役を演じていたことだろう。
 『キャメラを止めるな!』:こちらもフランス映画だが,パロディではなく,あの大ヒット作『カメラを止めるな!』(18年Web専用#3)の正規のリメイク作品である。紛らわしくないように,しっかり邦題も「キャメラ」にして,識別しやすくしている。監督・脚本は,アカデミー賞5部門受賞作『アーティスト』(12年4月号)のミシェル・アザナヴィシウスというから,少し驚いた。あの傑作B級映画をどう料理し直すのか,フランス人シェフの腕が楽しみだった。上映時間は83分,第1部はワンカット長回しのゾンビ映画の完成映像,第2部はその企画とキャスティング,第3部は生中継の撮影現場の様子,という基本骨格は変わっていない。フランス人俳優やスタッフを起用しているが,役名も半数は欧州人の名前だが,ゾンビ映画中の役名は,監督の日暮,カメラマンの細田はオリジナル版「カメ止め」を踏襲し,他もチナツ,ナツミ,ケンといった日本風の名前となっている。日仏の掛け橋として,オリジナル「カメ止め」と同じTVプロデューサー役で竹原芳子が登場する。この人はその存在だけで,笑えてくる。加えてフランス語を全く解さず,一々通訳を通してトンチンカンな発言をするから,尚更おかしい。邦画の熱烈ファンは,このフランス製「キャメ止め」とオリジナル「カメ止め」をじっくり比べたくなることだろう。その意味では筆者も同じだが,原点を知っているゆえに,初めて本作を観るフランス人と同じようには捉えられない。その立場から評価するなら,この「キャメ止め」はあまり面白いと感じられなかった。とりわけ,監督の妻ナディア役(ベレニス・ペジョ)が美人過ぎて,オリジナルの味が出ていない。あの「ポン!」がないのも寂しい。娘役との間に年の差がなく,母と娘に見えないのも欠点と思えた。ともあれ,あの「カメ止め」は,初めて見るゆえの楽しさだったのかと再認識した。
 『炎のデス・ポリス』:試写室での観賞でなく,オンライン試写での視聴を選んだ。「プロの殺し屋 vs. ワケあり詐欺師 vs. イカれたサイコパス vs. 正義感溢れる新米警官」が織りなすワン・シチュエーションドラマという触れ込みだったので,細部を何度でも見直せるオンライン試写を選んだ訳だ。しばらくおいていたら,配給会社に力が入っているのか,「まだ観ていないのか」「観たら,感想を聴きたい」との督促が来た。なるほど,力を入れるだけのことはある快作だった。4人の内,「正義感溢れる新米警官」が,女性で黒人というのがミソだ。曲者揃いのポリスアクションだが,警官がバタバタと死ぬ。キレッキレの銃撃戦が最大のセールスポイントだ。 傷ついた女性主人公ヴァレリー(アレクシス・ラウダー)は,誰を信用していいのか? エンタメとしては見事な脚本だと言える。サイコパスの殺し屋アンソニーを演じるトビー・ハスがいい味を出していた。主役としてクレジットされていたジェラルド・バトラーは,本作では正義の味方ではなく,プロの殺し屋だが,やや存在感が薄かった。と思ったのだが……。前半は少し退屈だが,後半ぐっと盛り上がる。題名の意味も最後で分かる。監督は,『スモーキン・エース/暗殺者がいっぱい』(07年5月号)『特攻野郎Aチーム THE MOVIE 』(10年9月号)のジョー・カーナハン。こういうバイオレンス映画,銃撃戦を撮らせると腕は確かだ。
 
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