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O plus E 2022年Webページ専用記事#2
 
その他の作品の短評
  (注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています)  
 
   『タミー・フェイの瞳』:GG賞のドラマ部門の主演女優賞ノミネート作品であったので,その特集ページで紹介すべきだったのだが,受賞結果発表時(日本時間1月10日)でも,本邦での公開時期は決まっていなかった。ところが,Disney+で配信される旨の発表が1月20日にあり,2月2日から配信が始まっていたが,そのことを知らず,本作を視聴したのが2月下旬であった。公開日順の原則から,後追いでこのページの先頭に追記しておこう。色々な意味で『愛すべき夫妻の秘密』(22年Web専用#1)と好一対のライバル作品である。共に米国での人気TV番組に出演する実の夫婦の物語であり,女性側の視点で描かれている。両作品ともアカデミー賞主演女優賞の有力候補だ。『愛すべき…』は,1950年代の人気番組『アイ・ラブ・ルーシー』が題材で,主演のルシル・ボール(ニコール・キッドマン)とデジ・アーナズ(ハビエル・バルデム)の夫婦関係の危機の1週間が描かれていた。一方,本作は1970年〜1980年代に宗教番組(キリスト教福音派の伝道番組)『PTLクラブ』で大成功を収めたタミー・フェイ(ジェシカ・チャステイン)とジム・ベイカー(アンドリュー・ガーフィールド)夫妻の愛憎物語である。映画はタミーの少女時代から始まり,大学時代に知り合った2人が結婚し,人気番組をもつに至る前半は,典型的なサクセスストーリーだった。中盤以降はその栄光が崩れ去る物語で,夫婦それぞれの不倫,ジムの献金不正利用や脱税,ライバルの陰謀等が描かれている。やがて夫ジムは逮捕され,投獄されて,2人は離婚する……。不愉快な映画だ。1980年代に日本語番組があったそうだが,全く知らなかった。そもそも日本人の大半は興味のない宗教伝道番組であり,知名度は『アイ・ラブ・ルーシー』の比ではない。米国では一斉を風靡した分,醜聞による番組の凋落は目立ったことだろう。演技としては,J・チャステインの熱演の方が上に思えたが,GG賞でN・キッドマンが受賞したのは元の番組の好感度の差も知れない。今年のアカデミー賞では,夫役のH・バルデムも主演男優賞候補であるのに対して,A・ガーフィールドは本作ではなく,『 tick, tick… BOOM! : チック,チック…ブーン!』(22年Web専用#1)で同賞候補となっている。この点でも,ジム&タミー夫妻,特にジム・ベイカーの印象の悪さが影響しているのかと想像する。注目すべきは,本作がアカデミー賞で「メイクアップ&ヘアスタイリング賞」部門にノミネートされていることだ(GG賞にこの部門はない)。子役俳優が演じる少女時代を除いて,J・チャステインはすべての場面で特殊メイクを施して登場する。付け睫毛,厚化粧,エラの張ったタミー・フェイ本人に似せた見事なメイクで,予め知っていなければ,これがJ・チャステインだと分からない。実のタミー・フェイは一目で彼女だと分かる個性的な顔立ちだが,歌手としての実力はかなりのものだ。J・チャステインは,劇中での歌をすべて自ら歌唱している。まさにタミーに成り切っていて,本作は彼女の演技を論じるためにだけ存在すべき映画だ。他の価値はない。
 『ギャング・オブ・アメリカ』:本誌1・2月号は1月18日から2月末までの公開作品をカバーする方針だったのだが,対象が多過ぎて掲載し切れなかった。試写を見る時間的余裕がなかった映画もあれば,観ておきながら記事を書く時間と紙幅がなかった映画もある。その取捨選択の判断基準は,単に試写を観た順や記事執筆に気の向いた順であり,必ずしも作品の出来映えではない。本作などは,テーマからして,じっくりオンライン試写で観ようとしている内に締切が来てしまった類いである。その後視聴したら,予想通り,実話ベースのかなりの骨太のクライムムービーだった。題名が大袈裟で,それほどの大物なのかと訝ったが,本編を観てそれも納得した。原題はシンプルな『Lansky』。1912年にNYにやって来たユダヤ系ロシア人の移民の子,マイヤー・ランスキーがその人で,伝説のマフィア王,米国ギャング史に残る人物である。物語は1981年のマイアミから始まる。妻子と別居し,生活資金にも困窮する作家デヴィッド・ストーン(サム・ワーシントン)は,老いたマフィアのランスキー(ハーヴェイ・カイテル)から自伝の執筆依頼を受け,これを承諾する。「自分の存命中は,語った内容を公開しない」ことを条件に,コーヒーハウスでのインタビューが始まる。映画としては,1910代から1980年代まで,時代を往き来しながら,半世紀以上に渡るギャング達の暗黒史が描かれる。少し嬉しかったのは,名優H・カイテルの語り口と,若き日のランスキーを演じるジョン・マガロの演技がぴったり符合していることだ。「Murder Inc.」なる殺人請負会社を設立する半面,ギャンブル・ビジネスでの利権に目を付け,ラスベガスを今日の姿にしたという経営センスに感心した。単なる犯罪映画ではなく,記者ストーンの私的エピソード,家庭や愛人関係が物語に幅をもたせ,終盤,彼の資産を捜査し始めたFBIとの3者関係が緊迫感を高めている。監督・脚本はエタン・ロッカウェイで,彼の父ロバートが実際にランスキーのインタビューを行ったという。事情は不明だが,死後もランスキーの自伝は出版されなかったようだ。父から聴いたエピソードを綴ったこの映画が,事実上の「マイヤー・ランスキー回顧録」ということか。
 『君が落とした青空』:こちらはオンライン試写は観たのだが,純粋に作品レベルが低く,本誌掲載対象から外した映画だ。それでも,このWeb専用ページに残したのには,確たる理由がある。主人公は男女高校生で,原作がケータイ小説となると,当欄では通常スキップする対象だ。小説アプリ「野いちご」で「切ない小説ランキング」1位を獲得したと聞いたからではない。むしろ,安っぽい恋愛ものだと認定されているようなものだ。主演女優・福本莉子,相手役の松田元太は全く知らない若手俳優で,マイナス要因にしかならない。いま勢いのある「ハピネット・ファントム・スタジオ」の配給作品であったから? それは少しだけあった。監督が,同社配給の『軍艦少年』(21年11・12月号)のYuki Saitoであったことは,プラス要因で,第2の採択理由だった。最大の理由は,筆者が大好きな「タイムループもの」だったからである。それも,同じ1日が繰り返すタイプとなると,これは外せない。昨年は,まさにそのタイプの『パーム・スプリングス』(21年3・4月号)と『明日への地図を探して』(同)を同時に紹介した。その後,未見だった同系統作品もせっせと観て,ループ発生の原因や仕掛け,解消理由等をメモし,分類・分析している。即ち,マイコレクションに加えたかった訳である。さて,本作の骨格はと言えば,主人公は高校3年生の実結と修弥で,「毎月1日は必ず一緒に映画を観に行く」という約束をしていた(「映画の日」だから,映画化されることを意図した原作者の計算だろう)。その当日,修弥が急用でドタキャンしたが,それでも現地に向かった実結の目の前で,修弥が交通事故で落命してしまう。パニックで気を失った実結が目を覚ますと,再度1日の朝で,これが何度も繰り返される……。若い男女の他愛ない恋愛劇でも,ループ発生の理屈づけが真っ当であれば納得するし,解消方法の発見とその実行が「ループもの」の味わいどころだ。本作は,いずれも全く語るに値しなかった。ほぼ同じことを繰り返すだけで,1日毎のバリエーションもお粗末だ。結末は軟弱そのもので,全く切なくない。同じ青春ものでも,『明日への地図…』とは雲泥の差だ。そもそも,主演の男女の顔立ちが大人っぽ過ぎで,高校生に見えない。勿論,演技は稚拙きわまりない。『軍艦少年』で,しっかりヤンキーバトルを描き,軍艦島の光景を楽しませてくれたと同じ監督と思えない凡作だった。これは演出力以前に,原作と脚本の問題だ。日本の映画界の実情を考えれば,若手監督には原作を選ぶ権限などなく,軽々しく脚本に口出しも出来ないだろう。製作プロダクションが期待をかけ,同じ監督に2作連続してメガホンをとる機会を与えるのなら,こんな高校生の作文程度の原作や安直な脚本で映画を撮らせては行けない,と苦言を呈しておこう。
 『オペレーション・ミンスミート ナチを欺いた死体』:本作は久々に試写室で観たが,単にその機会が1・2月号の締切後だっただけに過ぎない。ここでの「ミンスミート (Mincemeat)」とは,第二次世界大戦中の対ナチス戦で,英国諜報部MI5がとった極秘作戦名であり,その舞台裏を描いた戦時のスパイサスペンス映画である。実話に基づく映画化で,奇想天外な作戦でナチス・ドイツ軍を欺いた軍事作戦と聞くと,どんな駆け引きと緊迫感のあるアクションシーンがあるのかとワクワクした。その期待に反して,本作はスパイアクション映画ではなく,人間関係の会話が中心の生真面目な軍事作戦映画であった。時代は1943年,劣勢だった英国軍はイタリア・シチリア島を攻略する計画を立てるが,沿岸はドイツ軍の防備が固かったため,英国軍将校たちはドイツ軍を欺く欺瞞作戦を思い付く。「英国軍がギリシャに上陸する」という偽の機密文書を持たせた死体を地中海に流し,ヒトラーを騙して兵力をギリシャに向かわせるという奇策である。映画化のための脚色かと思ったが,最近まで詳細が伏せられていた史実だそうだ。チャーチル首相がこの作戦を承認し,ヒトラー総統は見事に騙され,この上陸作戦の成功が連合国軍の反転攻勢のきっかになったというから,さらに驚く。著名なノルマンディー上陸作戦の1年弱前のことである。物語としては,二重三重スパイが暗躍するものの,時代描写が暗く,やや単調で面白みに欠けた。皆地味で,美女すら登場しない。戦闘,爆撃は,終盤の上陸シーンでようやく描かれる程度だ。監督は,『恋におちたシェイクスピア』(98) 『マリーゴールド・ホテルで会いましょう』(13年2月号)のジョン・マッデン。作戦はモンタギュー少佐(コリン・ファース)とチャ厶リー大尉(マシュー・マクファディン)中心に展開するが,ちょっと注目したいのはジョニー・フリン演じるイアン・フレミング少佐だ。諜報将校の彼が軍務の傍ら何をしていたかは,見てのお愉しみとしておこう。彼が本当にこの作戦に参加していたかは不明だが,おそらくスパイ映画好きの観客のためのサービスだろう。
 『ナイル殺人事件』:こちらは,一昨年暮の公開予定が何度も公開延期されていた映画で,やっと観ることができた。大抵はネット配信に権利を売却したくない大作だが,本作もかなりの製作費がかかっていると感じるゴージャスな作りだった。アガサ・クリスティのミステリーの映画化作品で,ケネス・ブラナー監督が自ら名探偵エルキュール・ポアロを演じる2作目である。前作『オリエント急行殺人事件』(18年1月号)のラストで,ポアロがエジプトに向かうと言っていたので,2作目はこれだと容易に予想できていた。そう言えば,1970年代に大ヒットしたポアロ・シリーズの1作目と2作目もこの順だった(ただし,ポアロ役はアルバート・フィニ―からピーター・ユステイノフに変わっていた)。クリスティ作品の名作と言えば,「アクロイド殺し」「オリエント急行殺人事件」「そして誰もいなくなった」が衆目の一致するところだが,本作の原作「ナイルに死す」は知名度では落ち,謎解きの面白さも平凡なレベルである。「オリエント急行殺人事件」がオールスターキャストで映画化しやすいのに対して,エジプトを舞台にすることで,観光要素と豪華さが増すことが採用理由なのだろう。今回も全くその路線だった。キャストの豪華さでは前作に劣るが,観光度は数段上である。多数のピラミッド,スフィンクス等の古代遺跡がたっぷり登場し,ナイル河畔と豪華クルーズ船の航行シーンも目を楽しませてくれる。クリスティものの難しさは,ある程度安定して客を呼べる知名度の半面,原作を外し過ぎるとファンに酷評されることだ。だからと言って,余りにそのままだと工夫がないので,そのさじ加減が難しい。本作の事件は,原作の発行年の1937年に設定されているが,その前に1917年の戦争に従軍中のポアロが登場する。負傷して,口髭を生やすことになるというエピソードが付いているのが珍しい。登場人物では,著名な作家のサロメをジャズシンガーにしているのが大きな相違点だ。事件や謎解きの基本骨格は変えず,付加的なエピソードで装飾している訳である。目立ったCGシーンはないが,VFXはかなり利用されていると感じて観ていた。それでも,エンドクレジットでDNEG中心に,多数のVFXアーティストが起用されていることに驚いた。ということは,観光用の景観の大半はVFXということか。そう感じさせないのは大したものだが,そのスチル写真が殆ど提供されないので,当欄のメイン記事にしなかった次第だ。
 『ハード・ヒット 発信制限』:まず言っておくなら,エンタメとしては抜群に面白い。韓国製のノンストップアクション映画で,クライムサスペンスだとも言える。本作は2015年製作のスペイン映画『暴走車 ランナウェイ・カー』のリメイクだが,韓国映画界は結構邦画もリメイクしていて,いずれもうまく自国に合わせている。それができるのは,演出力に自信があるからだろう。主人公は銀行支店長のソンギュ(チョ・ウジン)で,子どもたちを学校へ送り届け,そのまま職場へ向かうとする運転中に,車中に置かれていたスマホに非通知電話がかかってくる。「車から降りれば,仕かけた爆弾が爆発する」と告げられ,目の前で部下のクルマが実際に大爆発する。車中から大金を手配する中で,警察に追われる事態になってしまい,凄まじいカーアクションが繰り広げられる……。まさに息をもつかせぬ展開にすっかり魅せられた。その反面,じっくり考えれば,主人公にここまでの対応を求める犯行計画は成功確率が高くなく,知的な犯人の計画とは思えない。社会派映画に見せたかったのか,犯行動機の描き方にも少し違和感を覚えた。そこで,未見だった原典のスペイン映画をレンタルビデオで観ることにした。基本骨格も結末もほぼ同じで,セリフに至るまで90%コピー版だと言える。ところが,その差の10%で,原作映画の方がリアリテイが高いと感じた。韓国版の長所としては,舞台となった釜山の景観が美しく,支店長夫人も爆発処理班の女性班長も美形だった。誇張が多過ぎて非現実的であるが,カーアクションの演出は上出来で,エンタメとしては楽しめる。
 『焼け跡クロニクル』:これだけ面白いドキュメンタリー映画は観たことがない。自宅が全焼して,家財も仕事道具もほぼすべてを失った家族の再起の記録映像であるから,「面白い」は失礼で,「興味深い」と言い換えるべきかも知れない。2018年7月,京都・西陣の狭い路地奥の古い家屋から出火し(原因は漏電らしい),近隣への類焼は僅かで済んだが,出火元は全焼し,家族は着の身着のまま焼け出された。世帯主は映画監督の原將人で,当人は新作映像が入ったPCとHDDを取りに戻り,火傷を負って救急搬送され,即日入院した。ところが,連絡を受けて急ぎ自宅に戻った夫人(女優の観音崎まおり)が,火事最中の模様や当日夜からの家族(大学生の長男と5歳の双子の女児)の避難生活をスマートフォンやタブレットで記録していた。いくらプロとはいえ,その咄嗟の判断には畏れ入る。こうした被災者の当座の居場所として公民館の一室が提供され,日本赤十字からの救援物資「安眠セット」が届くということを知り,驚き,感心した。ただし,たった3日間で追い出されるというのに,再度驚いた。焼け跡の光景も凄まじい。約50年間の監督人生の全作品のフィルム,脚本,映画機材が黒焦げになった姿は痛々しく,心中を察するに余りある。これまで,この監督のことは全く知らなかった。高校生で作った映画が受賞し,「天才映画少年」と言われた人物らしい。その一方で,当時68歳の監督に5歳の女児がいるという事実に,そのバイタリティにも感心した。様々な人々の支援を受け,クラウドファンディングでこの映画が出来上がったそうだ。滅多とない体験の記録であり,見事な編集のドキュメンタリーゆえに,少し贅沢を言っておきたい。当初の避難生活の後は,2ヶ月後にクルマの運転をする監督の姿と,現在に至る双子の女児の姿,そして美しい京都の光景が延々と続くだけである。恐らく,生きていて良かったと実感された監督夫妻の想いが込められているのだろうが,どこにでもある観光スポットの映像など,この半分も要らない。半年後,1年後,2年後,どんな支援を受け,生活を立て直されたかの記録こそ観たかった。夫人は「原まおり」名義で共同監督としてクレジットされているが,顔は見せず,声だけの登場だ。彼女の母親としての姿も見せて欲しかったところだ。「天才映画少年」の美意識としては,そんな俗なものを入れたくなかったのだろうが,「クロニクル」と称する以上,それらを含めてこそ,出資者やこの映画を観る観客への関心に応えることができると思う。
 『ムクウェゲ 「女性にとって世界最悪の場所」で闘う医師』:今度は憤りを感じる映画で,これだけ内容が腹立たしい映画はそうそうない。中身がつまらなくて怒っている訳ではない。こちらもドキュメンタリー映画だが,描かれている現実に悲憤し,それを看過している国際社会や,それに対して何も出来ない自分が余計に腹立たしい訳である。副題の「世界最悪の場所」とは,アフリカのコンゴ民主共和国・東部の町ブカブだ。豊富なレアメタルの産地で,その利権をむさぼる武装勢力が女性達をレイプし続けている。傷ついた女性5万人を救い,2018年にノーベル平和賞を受賞した婦人科医デニ・ムクウェゲの献身的な活動を追った映像記録である。無償で治療するこの医師の奮闘ぶりも印象的だが,彼の病院に年間2,500~3,000人の女性たちが運ばれるという事実に驚愕する。性的欲求からの犯行ではなく,人民を屈服させ,恐怖感を与えるための行動だという。若い女性だけでなく,52歳の女性は目の前で夫を殺されてレイプされ,8歳の女児までも被害者だという。何たる残酷さ,理不尽だと,憤りを感じない人はいないだろう。レイプ犯は逮捕してもすぐに釈放され,厳罰を与えられないという。何という国だ。武将勢力に組み込まれた後,村に戻った男性が,自分もレイプと殺人を繰り返してきたことを全く悔いずに平然と話すシーンには,更に驚いた。このドキュメンタリー映画を作った監督は,日本人女性ジャーナリスト・立山芽以子で,ナレーションは常盤貴子だった。上映中は憤りばかりだったが,その後の人生を立て直して明るく生きる女性たちの姿が,せめてもの救いだった。
 『余命10年』:邦画の若い男女のラブストーリーだが,この題名からは難病,悲恋ものであることは明らかだ。よくあるパターンだが,実話であり,不治の病の作者の闘病記というので,余りお軽い内容ではなさそうだ。気になったのは,存在感のある小松菜奈が主演だということ。つっぱりタイプが似合うのに,純愛ものの主演で大丈夫なのか,見てみたくなった。それだけの理由で,他の出演者も監督も知らずに試写に臨んでしまった。登場する助演陣が,黒木華,リリー・フランキー,松重豊とくると,またまたお馴染みの顔ぶればかりで,日本映画界の層の薄さを実感する。しかも,それぞれがいかにもいかにもの役ばかりだ。ハマり役ばかりで,しっかりそれを演じているから,ハズレではない。演出も良かった。恋のお相手役は坂口健太郎。最初の同窓会シーンでは,少し崩れたイメージで,誰だか分からなかった。次第に実直な青年として描かれるようになり,本領を発揮する。最終的には,本作でのベストの演技は彼だと感じた。オーソドックスな悲恋映画で,誰もが少し涙してしまう。それゆえ,こうした真面目な悲恋映画は余り観たくない。観終ってからようやく,監督は『新聞記者』(19) 『ヤクザと家族 The Family 』(21年1・2月号)の藤井道人だと知った。なるほど,演出力のある実力派監督が,悲恋ものを描くとこうなるのかと納得した。ただし,小松菜奈はやはり,つっぱり役か翔んだ存在の方が似合うと思う。
 『永遠の1分。』:邦画が続く。コメディ映画で,脚本は『カメラを止めるな!』(18年Web専用#3)の上田慎一郎となると,またあっと言わせるオチで楽しませてくれると期待した。真面目な悲恋ものの口直しには丁度いいなと思った。監督は「カメ止め」の撮影監督を務めた曽根剛で,既にLA, 台湾,韓国,欧州での監督経験があり,本作は彼の8年前からの構想を「カメ止め」チームで実現したのだという。いいじゃないか。ただし,東日本大震災の3.11をテーマにコメディが成立するのかが,少し気になった。物語自体も劇中の登場人物もそのことに逡巡している。主人公は米国人映像ディレクターのスティーブ(マイケル・キダ)で,3.11のドキュメンタリーを撮るために来日し,被災地を訪れるという設定である。当然のことながら,大震災当時の映像や現在も復興がままならない被災地の風景が登場し,人々へのインタビューで,いつものように胸が痛む。映画の後半では,現在のコロナ禍の話題も盛り込んでいる。「“笑い”がもたらす癒しの力で人々が困難や葛藤を乗り越えて行く」という言葉を信じて観続けることにした。演じる俳優たちは,皆英語が上手い。外人も日本語が達者だ。それもそのはず,ラッパーのAwitchをはじめ,日本生まれで渡米した日本人や,米国生まれで,来日して日本に住みついた西洋人を起用している。以下,ネタバレを記さないとこの映画を論じられないので,ここから先は注意されたい。劇中で,主人公自身がコメディを目指すものの,ギャグやパロディは一向に登場して来なかった。時々くすりと笑えるが,大笑いにはほど遠い。サプライズもなければ,最後のオチもない。「カメ止め」の名のもとに観客の関心を引いておいて,実は真面目な3.11ドキュメンタリー風のヒューマンドラマであった。いや,こちらが勝手にそう思い込んだだけだった。そーか,「3.11を題材にしたコメディ映画」ではなく,これは「3.11を題材にしたコメディ映画を創る人の物語」だったのだ。
 『林檎とポラロイド』:少しユニークな設定のSF映画だ。記憶喪失を引き起こす奇病が蔓延する世界を描いている。原題は『Mila』,英題は『Apples』なので,単なる「林檎」だけなのだが,邦題には「ポラロイド」が入っている。映画の国籍としては「ギリシャ・ポーランド・スロベニア合作」だが,セリフが何語なのか分からなかった。監督・脚本はギリシャ映画界の新鋭クリストス・ニクで,これが監督デビュー作というから,多分ギリシャ語なのだろう。主人公(アリス・セルヴェタリス)は中年男性だが,名前は出てこない。林檎は彼の好物で,毎日食べている。朝は普通に隣人や犬と挨拶を交わしていたのに,夜バスの中で目覚めると,流行の奇病に感染し,記憶を失っていた。医師から「完治はしない。記憶が戻った患者はゼロだ」と告げられ,国立神経病院記憶障害課が開発した「新しい自分」プロジェクトに参加する。カセットテープで送られて来る課題に従って行動し,その記録を「ポラロイド写真」に撮っておくという訳だ。クリストファー・ノーラン監督の『メメント』(01年10月号)を思い出すが,緊迫感はだいぶ違う。「自転車に乗る」「仮装パーティーで友達を作る」「高さ10mからプールに飛び込む」等々の指示に従って物語は進行する。これが医学的に記憶回復に役立つと認められている療法なのか,それともこの映画の見せ場を作るために適当に選んだミッションなのか。おそらく後者だろう。カラー映像だが,4:3のスタンダードサイズの画面だった。正方形のポラロイド画面に近いフォーマットを選んだそうだ。感情を抑えた淡々とした演技で,上映時間は90分だが,短く感じなかった。驚きも大きな感動もないが,なかなか味のある面白い映画だった。ケイト・ブランシェットが絶賛し,製作総指揮に名を連ねている。
 『アンネ・フランクと旅する日記』:あの世界的なベストセラーの「アンネの日記」を直接映画化したものではない。作者のユダヤ人少女アンネ・フランクの新たな著作が最近発見された訳でもない。日記の中で,アンネは自ら生み出した空想上の友人キティーに語りかける形式で出来事を綴っているが,そのキティーの視点からアンネの生涯や当時の世相を描くアニメーション映画である。監督・脚本は,『戦場でワルツを』(09年12月号)のアリ・フォルマン。同作は実写映像をトゥーン・シェーディングで絵画調に変換したアニメ作品であったが,本作は旧来のセルアニメ調の画法が基調で,一部3D-CGをベースとしたと思われる事物も登場する。アニメというイマジネーションの産物を表現しやすい映像形式で,「アンネの日記」を新たな切り口で語り直すことを意図したという。アムステルダムにある実在の博物館「アンネ・フランクの家」には,「アンネの日記」の原本が展示されているが,嵐の夜,日記に異変が生じ,その文字列が浮き上がり,その中からキティーの姿が現れるという設定だ。この登場シーンは,なかなかの見ものだった。その後,キティーが日記を開くと彼女は過去に移動してアンネと再会し,学校での出来事や恋について語り合う。そして,アンネが日記を閉じるとキティーは現代に戻る。即ち,キティーが時空を旅する物語となっている。カラフルな映像で,アンネが青春を謳歌する日々を描く一方,ナチスの支配する町での隠れ家生活,家族と共に東へ向かう運命までしっかりと描いている。「アンネの日記」の世界を巧みに要約しつつ,現代の難民問題に対する政治的メッセージを込めていると感じられた。監督の意図した試みは成功の部類に入ると思う。
 『プレゼント・ラフター』:始まって数分で完全に魅せられ,全編126分を食い入るように見入ってしまった。NYブロードウェイの舞台劇をライヴ撮影し,劇場映画化した「松竹ブロードウェイシネマ」の1作である。カラフルで鮮やかな映像,素晴らしいカメラワーク,舞台俳優のセリフは聴きやすく,観客の笑い声とのミキシングのバランスも絶妙だった。TVで見る舞台中継とは映像品質が雲泥の差と言える。「シネマ歌舞伎」を続けている松竹の映像事業の多角化の一環で,ブロードウェイ舞台を対象としているが,松竹のスタッフが現地に出向いて撮影したのではない。この映像化が専門のストリーミング会社BroadwayHDと提携し,日本語字幕スーパーを付した作品を,松竹の配給ルートで映画館上映している訳である。調べてみると,同じような映像プロジェクトとして「ナショナル・シアター・ライブ(NTLive)」があり,英国ナショナル・シアターで上演された傑作舞台を映画化して劇場公開している。日本では2014年から毎年数作が公開されているようだ。一方,「松竹ブロードウェイシネマ」では,2020年夏から劇場公開が始まっていて,本作が第8作目である。もう少し事情を明かせば,通常の映画のマスコミ試写と同じルートで視聴できる案内は初めてであったので,筆者やいつも試写室で顔を合わせるプレス関係者で,この種の映画は初めてであった面々は,一見して感激し,舞台劇の面白さを再認識したという訳である。本作はミュージカルではなく,コメディ舞台の収録作品である。ブロードウェイ・ミュージカルは何作も現地で見たが,音楽抜きの舞台劇は未体験だった。ましてやテンポの速いコメディとなると,筆者の英語ヒアリング力では歯が立たず,敬遠していた訳である。それが字幕付きで観られるのは嬉しい。さて,前置きが長くなったが,このコメディの時代設定は1900年代前半,主人公は中年の人気喜劇俳優のギャリーで,腐れ縁の妻,長年の付き合いの敏腕秘書,恋仲の女流作家,ギャリーに好意をもつ男性作家等々,個性的な面々に囲まれて,ギャリーが歩む人生の迷路が描かれている。この舞台劇の作者は,1920〜30年代に活躍した英国の劇作家で,ファッションリーダーでもあったノエル・カワード。この名前を聞くのは初めてだが,チャーリー・チャップリン,マレーネ・ディートリッヒ,イアン・フレミング,ウィンストン・チャーチルとも交流があったセレブだという。ギャリーを演じる主演男優はケヴィン・クラインで,2017年のこの舞台の演技でトニー賞を受賞している。もう1つの話題は,美人女優コビー・スマルダーズのブロードウェイ・デビュー作だということだ。『アベンジャーズ』シリーズで,サミュエル・ジャクソン演じるS.H.I.E.L.D.長官ニック・フューリーの傍にいた副長官役のあの美女である。記録を調べれば,トム・クルーズ主演の『ジャック・リーチャー NEVER GO BACK 』(16)で,彼の後任の陸軍女性捜査官を演じていたのも彼女だったようだ。本作ではアクション女優姿ではなく,正統派の美人らしいファッションで,ギャリーの恋人役を演じている。舞台劇らしい典型的なワンシチュエーション・ドラマで,入れ替わり立ち替わり,軽妙な掛け合い,ウイットに富んだ会話が続く。これは字幕版に限る。日本語吹替にしたら,この傑作コメディのテイストはとても味わえないだろう。という訳で,多数の映画を見る映画通で,筆者同様,舞台劇には久しくご無沙汰しているという読者に,是非一見することを勧めたい逸品である。
 『ウェディング・ハイ』:コメディ映画が続く。本作の脚本は,お笑い芸人出身でマルチタレントそして活躍するバカリズムで,監督の大九明子よりも上位にクレジットされている。OLたちの派閥争いバトルを描いた『地獄の花園』(21年5・6月号)で,脚本家としても稀有の才能の持ち主だと感じたので,1も2もなく本作も観ることにした。今回も完全オリジナルスト―リーで,テーマは結婚式とその披露宴。OLのヤンキーバトルのように非現実的な設定ではなく,平凡なカップルのどこにでもある結婚披露宴をどのようにコメディ化するのが楽しみだった。新郎新婦役は中村倫也と関水渚だが,それぞれの親族,友人,会社の上司で多彩な人物が登場する群像劇である。式場の敏腕ウェディングプランナーを演じる篠原涼子が主演扱いとなっている。前半は結婚式&披露宴の教本のような内容で,やや面白みにかけたが,中盤になって,出たがり揃いの披露宴参加者の個性が炸裂する。筆者のお気に入りは,新郎の上司の財津部長(高橋克実)で,この披露宴のために必死で「笑い」を学ぶ姿勢が健気で,いじらしい。来賓の祝辞が長過ぎたため,1時間の短縮を強いられたスタッフが考えた荒技が抱腹絶倒ものだった。とりわけ,4つの余興を同時進行させるシーンが出色だ。終盤は,祝儀泥棒(向井理)と結婚式をぶち壊しに来た元カレ(岩田剛典)が絡むドタバタ劇で,もう一度大笑いできる。いやー,楽しかった。今後もバカリズムの脚本作品は必見ものだ。
   
 
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