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O plus E VFX映画時評 2023年3月号
 
その他の作品の短評
  (注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています)  
 
   『バルド,偽りの記録と一握りの真実』(配信中):既に昨年の12月18日からNetflixで配信されている映画だが,その存在に気付かず,アカデミー賞撮影賞部門にノミネートされているというので,急いで観た次第だ。監督・共同脚本は,『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(15年4月号)『レヴェナント:蘇えりし者』(16年4月号)で,2年連続アカデミー賞監督賞に輝いたアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥだ。メキシコ出身の監督で,久々に母国メキシコに戻って撮影し,監督の若き日の思い出を随所に鏤めたという。監督の自伝的な映画と言えば,アルフォンソ・キュアロン監督の『ROMA/ローマ』(19年Web専用#1),ケネス・ブラナー監督の『ベルファスト』(22年3・4月号)を思い出す。この両作が,監督の幼少期の家族ぐるみの想い出を描いてあったのに対して,本作はLAで活躍するジャーナリスト兼ドキュメンタリー映画製作者のシルヴェリオ(ダニエル・ヒメネス・カチョ)が故郷のメキシコに戻る旅の途中で,自らの内面や家族との関係と向き合い,自らが犯した過去の愚かな行状を考え直すという体裁を採っている。
 ライバルの上記両作は,アカデミー賞でそれぞれ10部門,7部門にノミネートされ,前者は監督賞を含む3部門,後者は脚本賞でオスカーを得ている。一方,イニャリトゥ監督の上記監督賞受賞の2作品は,『バードマン…』は9部門ノミネートで作品賞を含む4部門受賞,『レヴェナント…』は最多12部門ノミネートで 3部門受賞と,いずれも輝かしい結果を残している。それに対して,本作は撮影賞部門のみノミネートだ。作品としての出来映えは劣っているのかと言えば,残念ながらその通りだ。かなり個性的な作風で,好き嫌いが別れる映画となっている。ディスコで主人公が踊るシーンが印象的だが,道で人がバタバタ倒れ,広場に死者の山が築かれる場面はもっと印象的で,勘弁してよと言いたくなる。自伝そのものではなく,自ら体験した時代背景の中で主人公の自虐的な想いを綴っているとも言える。
 撮影賞ノミネートというので,その点を中心に眺めた。大半でワイドレンズを用いて遠近法を強調している。手前の物体が大きく写り,歪んで見えるのは承知の上だ。奥行きのある構図で前後方向の移動を多用しているのも意図的な演出で,室内シーンでは異色と言える。屋外の鳥瞰シーンは絵画的であり,逆光の多用も目立った。驚くほど明るくカラフルなシーンと,暗い中の僅かな照明のシーンの使い分けには,照明・撮影のプロの仕事だと感じた。果たしてこれが3度目の「撮影賞」に値するかも,評価が分かれるところだろう。
 『フェイブルマンズ』(3月3日公開):こちらはスティーヴン・スピルバーグ監督の自伝的映画で,上記の『ROMA/ローマ』や『ベルファスト』に近い構成で,少年期から青年期の家族全体での体験を基に描かれている。原題は『The Fabelmans』で,定冠詞付きの複数形は「フェイブルマン家」の意だ。本作は,ゴールデングローブ(GG)賞のドラマ部門の作品賞,監督賞を受賞し,アカデミー賞では7部門にノミネートされ,有力候補3強の1つに数えられている(筆者の予想は「第95回アカデミー賞の予想」を参照のこと)。
 主人公の少年サミー・フェイブルマンは,4歳で父母と一緒に映画館に行き,初めて観た映画(『地上最大のショウ』)にすっかり魅せられてしまう。自ら映画を作る職に就くこと目指すものの,科学者の父バート(ポール・ダノ)からは相手にされず,ピアニストの母ミッツィ(ミシェル・ウィリアムズ)から8ミリカメラをプレゼントされ,夢を追い求め続ける…。とここまでは,インド映画の『エンドロールのつづき』(23年1月号)にそっくりだ。違っているのは,特定の映画館が舞台になっているのではなく,サミーの高校生時代の出来事や映画監督を志してハリウッドで修業を始める青年期までが描かれていることである。
 父親の転勤に伴い,一家でニュージャージーからアリゾナ,カリフォルニアに転居したことで,転入先の高校でユダヤ人であることを理由に凄惨ないじめに遭う。スピルバーグ監督にこんな時代があり,それを赤裸々に描いていることに驚いた。高校生最大のイベントの「プロム」で失恋を経験したエピソードは微笑ましく,彼が製作し上映された映画からは才能のほとばしりが感じられる。あくまで「自伝的」であり,多少のフィクションは交えているのだろうが,観客に見せる映画のツボを心得ていて,それを若き映画人に教えているかのようだ。
 極め付きは,ラスト10数分間の出来事だ。(ネタバレになるので詳しく書けないが)あの伝説の巨匠と,こんな接点があったとは驚きだ。誰もがサミーが夢に向かって羽ばたく姿を応援したくなる。2時間31分を全く長く感じさせない,見事な出来映えだ。
 『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(3月3日公開):アカデミー賞候補作が続く。最多の10部門,11ノミネートの話題作で,筆者の一推し作品である。その第1の理由は,主演がミシェル・ヨーであることだ。若い映画ファンには馴染みは薄いだろうが,元は香港製のカンフー映画で頭角を現し,最も輝いていたのは,ハリウッド進出して『007/トゥモロー・ネバー・ダイ』(97)のボンドガールで成功を収め,続いてアン・リー監督の武侠映画『グリーン・デスティニー』(00)で大スターの地位を築いた頃だろう。最近は,アニメ作品の声の出演,大作ではカメオ出演が続き,『ガンパウダー・ミルクシェイク』』(22年3・4月号)では,熟女3人組の1人という扱いであった。それが,本作では全編を通じての堂々たる主演であり,マルチバースを縦横に往き来しての八面六臂の活躍をする。お得意のカンフーアクションを披露するシーンもたっぷりあり,ファンにとってこれ以上ないプレゼントだ。
 本作の役柄は,破産寸前のコインランドリー経営に悩む平凡な主婦エヴリンで,いかにも普通のオバサンの風体だ。優柔不断で頼りない夫(キー・ホイ・クァン),惚けが進行する頑固な父親(ジェームズ・ホン),反抗期が終わらない娘(ステファニー・スー)の扱いにも悩まされている。税金の不正申告を指摘され,国税庁に出向くが,嫌味な監査官(ジェイミー・リー・カーティス)にたっぷり絞られて閉口する。そこに突如として「別の宇宙から来た夫」が出現し,「全宇宙にカオスをもたらす強大な悪を倒せるのは,エヴリンだけだ」と告げる。そこから先は,物語も登場人物も変幻自在で,類い稀なる「異次元間アクション映画」が展開する。
 流行の「マルチバース(並行宇宙)もの」であるが,Dr.ストレンジやアントマンが移動する程度の数ではなく,ハンパではない多数のバース間を渡り歩く。元々の上記の5人の性格付けが見事だが,個々のバースでその性格や能力も一変し,ハチャメチャぶりが際立っている。そもそも,馬鹿馬鹿しい変な行動で「バース・ジャンプ」が可能となるという発想がユニークだ。誰がこんな奇妙な脚本を書いたのかと思えば,「タニエルズ」なる監督コンビ(ダニエル・クワンとダニエル・シャイナート)自身だった。よくぞこんな物語を思いついたと呆れ,それを演じた俳優達にも感心する。『2001年宇宙の旅』(68)の類人猿のシーン,『タイタニック』(97)のラストシーン等々のパロディも登場するから,この監督コンビも相当な映画好きなのだろう。本作でミシェル・ヨーを起用したのは,筆者と同様,香港映画が大好きで,20数年前の彼女の姿に惚れ込んでいたに違いないと思われる。
 『エッフェル塔〜創造者の愛〜』(3月3日公開) :フランスの首都パリの象徴たる観光名所のこの塔は,設計者であるギュスターヴ・エッフェルの偉業を讃えて同氏の名前が残されている。1889年開催のパリ万国博覧会を記念して建築されたことは知っていたが,先にNYの「自由の女神像」(1886年完成)でも実績を上げていた人物だとは知らなかった。本作は,その完成までの苦難を描いた開発夜話であり,同時進行で彼が想い出の女性に捧げる愛の物語を描いている。前者はほぼ史実に基づく展開だが,後者は全くのフィクションのようだ。
 物語は,あるパーティーの席で万博記念のシンボルモニュメントのコンペに応募しないかとエッフェル氏(ロマン・デュリス)が誘われることから始まる。久々に再会した友人の記者の妻から「自分も野心作を見てみたい」と言われたことから,乗り気でなかったエッフェルは,「パリの中心に,高さ300mの金属製の塔を建設する」と公言してしまう。当時の世界最高の建築物は169mのワシントン記念塔であったから,300mという数字がいかに挑戦的な目標であったかが分かる。この友人の妻アドリエンヌ(エマ・マッキー)がエッフェルの元恋人で,秘めた想いを抱き続けた女性であったので,男の見栄が後世に残る建築物,世界遺産を生んだという訳である(勿論,フィクションであるが)。
 奇抜過ぎる形状に対する反対運動,資金難で計画中止の危機,労働者のストへの対処等々,実話ベースの展開は面白かった。土台は実物大セットで作り,展望台や高層部分は巧みにCG合成している。躯体の鉄骨の接合部のリベット位置を調整するシーンは見応えがあった。一方のアドリエンヌとのラブストーリーは,まずまずの出来映えだった。名声のある建築家のエッフェルですら身分違いの恋愛として破談になるのは,フランスの貴族がそこまでのセレブなのかと少し驚いた。もっと波乱万丈の展開でも良かったかと思うが,映画全体に彩りを添えるという意味では,成功していたと思う。
 『丘の上の本屋さん』(3月3日公開):題名だけで,ほのぼのとしたいい映画で,数々の古今の名作が語られ,文部省特選タイプの映画かと想像できる。少年と古書店主の老人の交流と聞くと,ハートウォーミングものであることも確実だ。問題は,どこの国のどの町,どんな丘の上なのかだ。景観も気になった。こういう映画を作るのはフランスかイタリアだろうと予想したが,イタリア映画だった。イタリア中部に位置するアブルッツォ州テーラモ県にあるチヴィテッラ・デル・トロントで,「イタリアの最も美しい村」の1つに数えられているそうだ。息を呑むような眺望で,石造りの歴史ある街並みも美しかった。音楽も見事にマッチしていた。-->  古書店主のリベロ(レモ・ジローネ)は,店の外から本を眺めていた移民少年のエシエン(ディディ―・ローレンツ・チュンブ)を気に入り,次々と少年が読むべき本を貸し与え,本の読み方を教える。その選択と順序が注目の的だが,「ミッキーマウス」「ピノッキオの冒険」「イソップ寓話集」「星の王子さま」「白鯨」…といった類いだ(全リストは,公式サイトにある)。この古書店に集まる人々も個性に溢れていて,隣のカフェ勤務の恋する青年ニコラへの恋愛指導もエピソードとして描かれている。
 監督・脚本は,クラウディオ・ ロッシ・マッシミ。ローマ生まれで,多数の歴史・文化ドキュメンタリーを生み出してきた映画人のようだ。何もかも出来過ぎの優等生のような映画だったが,☆☆☆評価にしなかった。無駄がなさ過ぎで,もう少しゆとりと遊びがあっても良かったと感じたからだ。上映時間は84分。いつもなら短いと嬉しいのだが,ここまで駆け足でなく,少年の読後の感想と勧めた店主の解説&助言をもっと聴きたかった。
 最後に店主が少年にプレゼントした本が何かは,映画館で確かめて頂きたい。
 『ブラックライト』(3月3日公開):お馴染みのリーアム・ニーソン主演のアクション映画だ。少々飽きたが,もはやこの種の役しかやらせてもらえないようだ。であれば,少し工夫し,目先を変えて新鮮さを出すか,かなりの強敵や美女を出してもらいたいものだ。『96時間』シリーズのような元CIA諜報員ではなく,今回は現役のFBI捜査官トラヴィス・ブロックを演じている。凄腕ではあるが,娘の救出に向かうのではなく,孫娘と過ごす時間が欲しくて引退を申し出るという好々爺だ。ところが,旧友のFBI長官直々に慰留され,敵に捕まった秘密捜査官を救出するという影の任務に就いている。それじゃ,代わり映えしない。監督は,『ファイナル・プラン』(21年7・8月号)と『マークスマン』(同Web専用#6)でタッグを組んだマーク・ウィリアムズであるから,急には変わらない。
 それでも,少し作風を変えて来たかなと感じたのは,ニュース記者のミラ・ジョーンズ(エミー・レイヴァー・ランプマン)が登場し,何やら巨悪を追求するスクープ記事を書きたがっていることだった。即ち,ただのアクションサスペンスに留まらず,社会派映画のフレーバーを振りかけようとしているように思えた。潜入捜査員のダスティが彼女にコンタクトしようとしている謎に迫る前半は快調だった。ところが,中盤から様相が変わる。結局はFBI組織の腐敗と戦うことになり,誰が黒幕かも分かってしまう。それじゃ,警察ものの典型パターンだ。しかも,次に起こることがほぼ見えてしまう。結末まで分かってしまったと言いたいところだが,筆者の予想よりも安直で,ゆる過ぎる着地だ。社会派映画気取りが中途半端で,アクションも前半のカーチェイス以外は控えめだった。それならいっそ,いつものように能天気なアクション一辺倒の方が楽しめたと思う。
 とはいえ,ニーソン映画の一定水準には達しているので,熱烈ファンを満足させることはできるだろう。
 『ホーリー・トイレット』(3月3日公開):目を覚ましたら思わぬ場所にいたというワンシチュエーション・ドラマは,先月紹介した邦画の『#マンホール』(23年2月号)を思い出す。こちらはドイツ映画で,主人公の建築技師フランク(トーマス・ニーハウス)が閉じこめられたのは,工事現場の仮説トイレの中だった。横倒しになっている上に,右腕に鉄筋が突き刺さっているから,逃げられないことは同じだが,傷口が痛そうで,観ている方も気分が悪くなりそうだ。僅かな穴から外を見ると,ダイナマイトが仕掛けられていて,34分後に隣接した建物を爆発させるという。一緒に吹っ飛んでしまうことは確実で,本作の方が絶体絶命状態である。
 設定はバカバカしいが,トイレ内にあった小道具を次々に駆使して,サバイバルを試みるアイデアが秀逸だった。やがて,これは偶然の事故ではなく,権力者が保身のために仕組んだ謀りごとに嵌められたことが判明する。この工事には日本企業が関連していて,現場で「君が代」が流れるのには,笑ってしまった。ブラックユーモアも満載で,悪人が徹底的に悪人らしい。最後までこの仮設トイレ内で貫徹しているのも見事だった。ラストの一言もキマっている。「空前絶後の新感覚バキュ〜ム・スリラ〜!!」なるコピーに偽りはない。監督はルーカス・リンカーで,これが長編デビュー作だ。ユーモアセンス,サービス精神も豊かなので,次作も観てみたい。
 『ビリー・ホリデイ物語 Lady Day at Emerson’s Bar & Grill』(3月10日公開):ビリー・ホリデイと言えば,1950年代まで活躍した米国の黒人女性歌手だが,名前を聞いた程度で,顔も経歴も何を歌っていたのかも全く知らなかった。昨年の伝記映画『ザ・ユナイテッド・ステイツ vs. ビリー・ホリデイ』(22年1・2月号)でのアンドラ・デイの熱演により,人種差別と闘った反骨のシンガーであることを知った。それ以来,顔も声もA・デイの姿が焼き付いていた。ところが,本作でビリーを演じたオードラ・マクドナルドのライブパフォーマンスにより,一挙に彼女の印象に塗り替えられてしまった。
 1959年3月,ビリーはフィラデルフィアの小さな寂れたクラブの舞台に立ち,ジャズの数々の名曲を歌う合間に,自らの苦悩と葛藤の人生を辛辣かつ軽妙に語った。死の4ヶ月前の,一夜限りの伝説のステージを再現したのが,このミュージカル映画だという。ビリーを演じるA・マクドナルド自身も,抜群の歌唱力と演技力を備えたブロードウェイの大スターであり,2014年に本作で最多となる6度目のトニー賞を受賞したという。その大ヒット舞台を,「松竹ブロードウェイシネマ」シリーズの1作として楽しめるというので,これを見逃す手はない。『プレゼント・ラフター』(22年Web専用#2)ですっかり気に入ったように,ブロードウェイまで出かけなくても,見事なカメラワークと音質で,字幕付きのミュージカル劇を満喫できる訳だ。
 生憎,降雪の影響で列車が運行休止となり,松竹試写室に行けなかった。後日オンライン試写で観る羽目となったが,それでもA・マクドナルド演じるビリーのステージは素晴らしかった。(本物は知らないはずだが)まさに「ビリー・ホリデイが乗り移ったかのよう」という形容がピッタリの迫力である。ところが,どう見てもこれはブロードウェイの舞台を収録したものではない。小さなクラブの中で,観客を前に歌っているとしか見えない。口にする酒は偽物だろうが,観客に語りかけながら,彼女は煙草まで吸っている。大きな舞台上に楽団や観客の座席を配して,演技しているのではない。それもそのはず,ニューオーリンズの「カフェ・ブラジル」を貸し切り,1回限りの有観客のライブショーを行い,それを収録したのだという。
 1959年のビリーの最後のステージも凄かったのだろうが,このライブパフォーマンスも凄い。いくら慣れたセリフと歌だとはいえ,90分を絶え間なく,ほぼ1人で演じ切るのは驚嘆する演技力だ。映画館で観る場合は,余り大きな劇場ではなく,音響効果の良い,小さめのシアターで観る方が,再現の追体験に適している。
 『Winny』(3月10日公開):2000年代前半に起きた「Winny事件」の顛末を描いた邦画の法的劇映画である。無垢で無防備なソフトウェア開発者の若者が,サイバー犯罪の犯人にされた事件であり,当時その推移を気にしていたので,騒ぎの大きさは今でもよく覚えている。最高裁まで争って最終的に勝訴したことも知っていたが,まもなく被告であった開発者自身が早逝したことはショックであった。その裁判の模様が,今になって映画化されるとは思いも寄らなかった。
 ネット経由でデータのやり取りが簡単にできるフリーソフトWinnyを開発し,「2ちゃんねる」に投稿したのはIT研究者の金子勇氏で,京都府警に逮捕され,著作権法違反幇助罪で起訴された。Winnyにより,映画,ゲーム,音楽等の違法コピーが相次いだためである。本作では,被告人だけでなく,弁護士も参考人として証言した警察官も,すべて実名で登場する。当の弁護人自身が監修しただけあって,裁判の進行,法廷の描写はリアルで,日本の裁判映画としては出色の出来映えだった。主任弁護人の反対尋問は見事であったし,法定で被告人に自作のゲームソフトを実演させたというのにも驚いた。本作では,弁護士チームと被告人の交流や法廷対策を克明に描き,一審判決までを中心に構成している。
 主演の被告人・金子勇を演じるのは,東出昌大。素朴かつ剽軽で少し変わり者の研究者は,かつて颯爽とした主人公が多かった彼には珍しい役柄だ。18kg増量して臨んだだけあって,彼と主任弁護士秋田真志役の吹越満は,実在の人物に感じが似ていた。一方,W主演で壇俊光弁護士を演じた三浦貴大は,余り本人には似ていなかったが,一番の好演で,好い俳優に育ったなと感じた。助演の吉岡秀隆は,福岡県警の裏金問題を内部告発する仙波敏郎巡査部長を演じている。彼の定番の善人役で,代わり映えしないが,社会悪を許せない一途な人物を演じさせるのには,彼しか思いつかなかったのだろう。
 『オマージュ』(3月10日公開):韓国映画で,映画製作がテーマである。最近,映画愛に満ちた映画が多く,昨年の『ワン・セカンド 永遠の24フレーム』(22年5・6月号)に始まり,『エンドロールのつづき』(23年1月号)『エンパイア・オブ・ライト』(同号)『バビロン』(同2月号)と続き,そして極め付きが上述の『フェイブルマン』である。ここまで続くと,時代背景や意識の違いを気にして見比べてしまう。韓国映画と言えば,美男美女の歯の浮くようなラブストーリーか,目を背けたくなるバイオレンス・アクションが目立つが,そのいずれでもない映画界が舞台だ。本作もまた映画愛に溢れているが,映画監督としてはハンデを背負った49歳の女性監督が主人公である。当然,ヒューマンドラマとして優れていると予想できるが,韓国映画界の実力からすれば,こういう映画が出てくるのも頷ける。
 主人公の女性監督ジワンを演じるのは,アカデミー賞作品賞受賞作『パラサイト 半地下の家族(19年Web専用#6)で解雇される家政婦役を演じていたイ・ジョンウンで,本作でも地味なオバサン役だ。本作は監督のシン・スウォンの自己体験を投影したものというから,当然オリジナル脚本である。物語は,監督作品がヒットせず,生活にも困窮するジワンが,一部の音声が欠けた映画の修復作業を依頼されることから始まる。この映画は韓国初の女性判事の実話を描いた映画『女判事』(62)であり,音声だけでなく,フィルムの一部が欠落していた。フィルムが失われた真相を探りつつ,1枚の写真を頼りに,この映画を撮った女性監督ホン・ジェウォン(実在のホン・ホジョン監督がモデル)と女性編集者イ・オッキの関係を辿るという展開である。
 ジワン自体のモデルがシン・スウォン監督であるから,何重にも女性映画人が関わって来る映画だ。ジワンの家族内の立場や夫や息子との関係を含めて,物語は淡々と進むが,ラスト30分間が白眉だった。失われたフィルムを復活する過程の描写が素晴らしい。1960年代の映画制作を想像しつつ,現代女性が自分の人生を見つめ直す映画となっている。
 『コンペティション』(3月17日公開):こちらも女性監督が主役の映画だ。製作国はスペイン&アルゼンチンの合作映画だが,セリフは当然スペイン語だけだ。「華やかな映画業界の舞台裏で繰り広げられる天才監督と人気俳優2人の三つ巴の強烈な<激突(コンペティション)>を皮肉った風刺映画」だという。監督はアルゼンチン出身のガストン・ドゥプラットとマリアノ・コーン2人だから,監督の自伝的な映画でないことは確かだ。スペインからの主演は,ペネロペ・クルスとアントニオ・バンデラス。同国を代表する2大俳優の共演だ。アルゼンチンからは,ベテラン俳優のオスカル・マルティネスが配されている。となると,当然ペネロペとアントニオが人気俳優の2人で,彼らのラブロマンスの演技に異国出身の老監督が難癖をつける役割だと思っていた。
 映画が始まると,大富豪が人生の記念碑と自身のイメージアップが目的で,一流監督と人気俳優を起用した大作映画を作ることに決め,この3人が集められた。何と,何と,ペネロペが我が侭な女性監督ローラ役だった。残る2人が劇中で兄弟役を演じるが,1960年生まれのA・バンデラスが兄で,1949年生まれのO・マルティネスが弟役だというから,もうこれだけで観客側は呆気にとられる。女性監督が主役とはいえ,上記の『オマージュ』のほのぼの感とは程遠く,徹底したコメディであり,滑稽な馬鹿騒ぎと相手を騙す名演技が続く…。ほぼ全てリハーサルシーンなので,舞台劇のような感じがする。
 豪華キャスティングだけあって,ペネロペの衣装はすべてシャネル製であり,女性観客は目を凝らすことだろう。監督と両俳優が持参した著名映画祭の受賞トロフィを粉々にするシーンは,映画関係者はもしかして本物ではとハラハラするに違いない。3人のエゴと虚栄心がぶつかり合う小競り合いには,映画界ならさもありなんと納得してしまう。ほぼ全てリハーサルシーンで,舞台劇のような印象も受けた。素直な意味での映画愛ではないが,映画は楽しくなくっちゃと思わせる演出で,これも監督2人の変形の映画愛ではないかと思う。
 『The Son/息子』(3月17日公開):今年のアカデミー賞主演男優賞部門のノミネート作で,その主演男優はヒュー・ジャックマン。『X-Men』シリーズで最後にウルヴァリンを演じたのは『LOGAN/ローガン』(17年6月号)だったから,もう約6年前になる。その間の主演作は,最初が『グレイテスト・ショーマン』(18年2月号)で,19世紀の稀代の興行師役は,歌って踊れる彼に相応しかった。次の『フロントランナー』(19年Web専用#1)では,大統領選の最有力候補だったのに女性スキャンダルで出馬断念する上院議員役,そして『バッド・エデュケーション』(19)では父兄からの絶大な信頼がありながら,学校の運営資金を横領した教育長役,と汚れ役が続いた。もはやアクションとは無縁の演技派俳優を目指しているように見える。
 本作は,まさにその典型のようなヒューマンドラマだった。主人公のピーターは有能な弁護士で,再婚相手のベス(ヴァネッサ・カービー),新生児と幸せな生活を送っていた。そこに,別れた妻ケイト(ローラ・ダーン)と同居していた17 歳の息子ニコラスから,父親と暮らしたいと懇願され,自分の家に引き取る。最初は父子関係も順調に思えたが,やがて心の病を抱えたニコラスは「死にたい」と漏らすようになる……。愛情を注ぎながらも,心のすれ違いに悩む父親は難役であるが,そんな役をオファーされるようになったのかと言えば,その逆で,脚本に惚れ込んで,自ら製作総指揮,主演を申し出たという。脚本・監督は,アンソニー・ホプキンス主演の『ファーザー』(21年3・4月号)のフローリアン・ゼレールで,これが彼の「家族3部作」の2作目だ。本作も父親視点で物語が進行するので,『ファーザー2』でも良かったはずだが,物語は独立しているので,心の距離が離れて行く「息子」を強調したのだろう。
 何しろ,H・ジャックマン演じる父親ピーターが格好良過ぎる。どうしても自分本位のロジックで責めるので,これじゃ息子は堪らない。世の父親はこの映画を観ながら,息子がこうなったら自分はどうするだろうと,自問自答するに違いない。そもそも両親の離婚が最大の原因だと言いたいところだが,くたびれた前妻と20歳若く,魅力的な再婚相手とを比べれば,答えに窮するはずだ。このキャスティング自体が露骨で,男性中心の視点を代弁している。
 ピーターの父親役でA・ホプキンスが登場し,成功したはずの息子にも,高圧的で辛辣な言葉を投げかける。父子間の相克の負の連鎖がこの物語のテーマの1つということなのだろう。きっと3作目にも,シリーズのシンボルとして彼が登場すると思われる。今度は母と娘なのか,いや父と娘の物語なのだろうと予想しておく。
 『メグレと若い女の死』(3月17日公開):フランスの名匠パトリス・ルコントの最新作で,7年ぶりの長編映画だそうだ。その主人公に,フランスを代表する名探偵を選んだのが嬉しい。ベルギーの小説家ジョルジュ・シムノンが生み出した「ジュール・メグレ」で,パリ警視庁司法警察局特捜部に所属する警察官である。フランス製のミステリーでは「怪盗ルパン」が有名で,「メグレ警視」は古くからの推理小説ファンにしか知られていない。若い読者のために少し講釈しておこう。
 名探偵と言えば,誰もが知っているのが,「シャーロック・ホームズ」と「エルキュール・ポアロ」,日本でなら「明智小五郎」と「金田一耕助」だろうか。彼らは私立探偵なので,警察官で推理能力を発揮するのは,F・W・クロフツが生んだ「フレンチ警部」,西村京太郎の「十津川警部」あたりで,TVシリーズで人気を博した「コロンボ刑事」や『相棒』シリーズの「杉下右京」もその範疇に入る。西村京太郎が1971年に著した「名探偵なんか怖くない」では,エラリー・クイーン,ポワロ,明智小五郎に並んで,このメグレが「4大名探偵」として登場する。日米英仏4カ国の代表にしたかったこともあるのだろうが,少なくとも半世紀前は,メグレがフランスを代表する名探偵であったことは確かだ。
 筆者は学生時代に創元推理文庫やハヤカワミステリーで10冊程度読んだ覚えはあるが(当時はまだ「メグレ警部」だった),全冊は制覇していない。何度も映画化されたというが,観た記憶はない。それもそのはず,シムノンが1928〜1972年に発表した「メグレ」シリーズは100冊以上と言うから,とても読み切れない。映画化は10数作に及ぶが,大半は日本未公開らしい。母国でも最も新しい作品が1963年の『Maigret voit rouge』だというから,さすがにそれは見ていない。
 本作は1954年に上梓された「メグレと若い女の死」(邦訳は1972年発行)を映画化している。時代もほぼ原作通りで,1953年のパリが舞台だ。町やクルマもかなり古めかしいから,しっかりした時代考証で古き良き時代のパリを再現していると思われる。きっと監督が子供の頃に目にした光景なのだろう。名優ジェラール・ドパルデューが演じる長身で堂々たる体躯のメグレ警視も,格調高い物語の語り口も,昔読んだ文庫本でのイメージそのままだった。異常な殺人鬼の起した事件ではなく,普通の殺人事件であり,殺された不幸な女性,この事件に巻き込まれる若い女性を巧みに描いている。切れ味よりも地道な捜査が得意な捜査員(探偵)なので,快刀乱麻の謎解きよりも,予め観客に分かっている真犯人を追い詰めるタイプだ。『刑事コロンボ』に人情味のある『鬼平犯科帳』をミックスした感じだと思えばよい。
 若い女性が皆美人なのが嬉しかった。上映時間89分だが,中身が濃いのか,短く感じなかった。この監督と主演男優で,また何作か作って欲しい。
 『ハンサン ―龍の出現―』(3月17日公開):韓国映画の歴史もので,かなり見応えのある大作だ。描かれているのは,豊臣秀吉の朝鮮出兵の「文禄・慶長の役」で,まともにこの戦いを映画で見るのは初めてだ。もっともこれは日本側の呼称で,朝鮮側では「壬辰・丁酉の倭乱」と言うらしい。豊臣政権の野心から,明国の征服前に朝鮮半島を制覇しようとした一方的な侵略戦争であり,今日の「ウクライナ侵攻」と似たようなものだ。かつて「朝鮮征伐」なる記述も見られたが,何が「征伐」なのか,全く身勝手な話で,今考えると恥ずかしい。朝鮮側からすれば,迷惑千万な国難であったに違いない。
 両戦闘で日本軍を退けたのは,朝鮮水軍の李舜臣(イ・スンシン)将軍で,韓国では今も国民的英雄である。彼の英雄譚を3部作の大作として企画したのはキム・ハンミン監督で,その2作目の本作では,両軍の運命を変える分岐点となった「閑山島海戦」を描いている。1作目『バトル・オーシャン/海上決戦』(14)は韓国映画の興行記録を塗り替える大ヒット作だったが,日本では劇場公開されなかった。この映画が「丁酉倭乱(慶長の役)」の「鳴梁海戦」を描いていたのに対して,本作はその前日譚となっている。ただし,主役級の俳優は入れ替わっている。
 この映画を観てまず驚いたのは,日本軍のセリフはすべて日本語で語られていることだ。一部日本人俳優(あるいは日本語を話せる韓国人俳優)が起用され,日本語で話しているが,大半は韓国人俳優が韓国語で話し,それを日本語に吹き替えている(口の動きで分かる)。日本人観客にとってこれは極めて分かりやすい。それだけ歴史考証にも力を入れているようで,衣装や都市の景観も素晴らしい。朝鮮側の城や水軍の描写にはVFXが大量に駆使されているが,しかるべき画像が入手できなくて,当映画評のメイン欄で語ることを断念した。
 主演の李舜臣役は,『別れる決心』(23年1月号)のパク・ヘイルだった。事件の容疑者に思いを寄せるけしからん警察官から一転して,冷静沈着で戦略家の将軍を演じている。ライバルの敵将・脇坂安治役には,邦画『太陽は動かない』(21年Web専用#1)に出演していたピョン・ヨハンが抜擢されている。この脇坂安治が抜群に恰好良く,女性ファンを魅了することだろう。とはいえ,女性が殆ど出てこない,徹底した男性映画だ。日本軍の将を対等に扱い,朝鮮側に肩入れしない演出に好感が持てた。ただし,朝鮮側の地名に馴染みがないので,戦局の推移がよく分からなかった。音楽と戦闘の描写が単調で,面白みに欠けたが,一見に値する力作である。
 『妖怪の孫』(3月17日公開):まるでホラー映画かと思う題名だが,「日本の真の影に切り込む政治ミステリー劇場」と自称しているように,邦画の政治ドキュメンタリー映画だ。「日本の妖怪」と呼ばれたのは,太平洋戦争のA級戦犯を解かれ,公職に復帰後数年で総理大臣に上り詰めた岸信介元首相のことだ。その孫の故安倍晋三元首相が本作のターゲットで,実弟で岸家の養子となった岸信夫前外相は含まれていない。同じ製作スタッフ(企画:河村光庸,監督:内山雄人)の前作『パンケーキを毒見する』(21年7・8月号)は菅政権批判であったが,好物の「パンケーキ」を冠して茶化したように,少し及び腰で,さほど痛烈な政権批判になっていなかった。本作で「妖怪」まで持ち出して安倍長期政権の功罪を俎上に乗せるからには,最初から批判ありきだが,それが健全なメディアの取るべき姿勢であるから,問題はない。映画評欄としては,的を射ているか,映画として観るに値するかを採点するまでのことである。
 最初の40分弱は,在り来たりの安倍政権批判だった。TVや週刊誌での報道レベルの域を超えていなくて,聞き飽きた。何でも首相の舵取りのせいにするのは,安易すぎる。真のジャーナリズムなら独自取材で,核心を突いて欲しい。そう思ったところに,長年安倍一族を取材してきた共同通信社政治部記者の野上忠興氏へのインタビューが登場し,これは面白かった。60年安保当時の映像と共に,安倍晋三氏の幼少期,学生時代の写真も登場し,その性格分析が興味深かった。政権の維持には「やってる感」だけで十分とは,本人の本音発言で,安倍氏が見事なリアリストであった証拠だ。国民の大半もそう思っていたから,何度も選挙に勝て,最長政権になったのだろう。現役官僚への覆面インタビューには期待したが,つまらなかった。官僚制度自体が金属疲労を起していて,有能な人材が集まらない。職務に魅力がないからで,時の首相や官房長官の影響はそう大きくない。
「祖父を超える=改憲」が安倍氏の生涯の目標だったと喝破するなら,安倍長期政権をもってしても,それを達成できなかったことを,どうして責めないのか? 製作者側が最初から改憲反対だからだろう。単に現岸田政権が「軍国主義への復活」を引き継いでいると結ぶなら,2流野党の程度の遠吠えとしか思えない。それでも,『パンケーキ…』や『劇場版 センキョナンデス』(23年2月号)よりも,俎上の魚が大きく,真摯な批判精神が感じられたので,両作より上の☆☆評価とした。
 『赦(ゆる)し』(3月18日公開):同級生を殺害して収監された女子高生の再審の模様を描いた邦画だが,上述の『Winny』同様,国内でこうした本格的かつ良心的な裁判映画が作られることは喜ばしい。参考にした事件はあるものの,こちらは実話ではなく,フィクションである。少しユニークなのは,監督が日本在住のインド人監督のアンシュル・チョウハンであり,カナダ人脚本家ランド・コルターの原案を日本の少年法,刑法訴訟法に合うように置き換えたという点だ。
 17歳の高校生の福田夏奈は同級生の樋口恵未を残虐な手口で殺害し,未成年であったのに懲役20年の判決を受ける。7年が経過し,量刑が重過ぎると主張した再審請求が認められ,それに憤る被害者の両親が減刑を阻止すべく,再審法廷の証言台に立つ決意をする。映画の冒頭で感じたのは,登場人物のほぼ全員が嫌な人間ばかりだという印象だ。法廷戦術ばかりを気にする弁護団は売名目的としか思えないし,被害者の父・克(尚玄)は感情に任せた発言が過激過ぎる。母・澄子(MEGUMI)の再婚相手だけはまともに見えたが,彼も次第に苛立ちを露にする。加害者・夏奈(松浦りょう)に至っては,見事なまでの嫌な顔立ちで,この少女なら殺人を犯しかねない,減刑の必要などないと感じさせるほどだ(勿論,モデルであるこの若手女優の素顔はずっと魅力的だ)。
 いかにもこれは観客に対する印象操作であると分かるので,徐々に登場人物の行動や思考が変化して行くことは容易に想像できた。題名が「赦し」である以上,どこで,何が原因で「赦す」ようになるのかが,この映画の見どころだ。裁判劇としての進行はシンプルで,素直に感情移入できる。最大の見せ場は,父・克が刑務所内で受刑者・夏奈と接見する場面だが,ここで何が起こるかも予想できた。最後の判決場面まで観終えて,裁判長だけは冷静かつ客観的だったと感じた。その意味では,量刑は一時の感情に捕らわれず,法に基づいた正義が執行されるべきという主張が認められたことになる。
 『デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム』(3月24日公開):あれから,もう7年も経つのか…。それが,この映画を食い入るように眺めながら感じた第一印象だった。2016年1月に肺癌で69歳の生涯を閉じた稀代のロックスター「デヴィッド・ボウイ」の音楽人生に焦点を当てたドキュメンタリーである。いわゆる伝記映画ではないし,勿論,劇映画でもない。故人を偲ぶ追悼映画とはいえ,風貌が似た俳優に彼を演じさせようにも,唯一無二の存在であった彼を演じられる俳優などいる訳がない。関係者のインタビューは一切なく,ナレーションもない。膨大なアーカイブ映像から,本人の語りと歌だけを選び,全40曲が使われている。ただし,各曲が制作された時間順ではなかった。
 間違いなく音楽映画史に残る作品と思われたので,誰の音楽映画に近いのかを考えながら観てしまった。コンサートライブ丸ごとではないし,曲作りやリハーサル風景もないので,3公演の記録映像である『ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK - The Touring Years』(16)は匹敵しないし,マーティン・スコセッシ監督がNY公演を撮った『ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト』(08)でもない。強いて言えば,『エリック・クラプトン~12小節の人生~』(18年Web専用#6)が最も近いと感じた。2人とも生粋の英国人で,ほぼ同年齢(クラプトンが2歳上)で,音楽ジャンルも活躍した時代も近いからだろう。後で調べると,同作はクラプトン自身が自らの人生をきちんと語るナレーターであり,ほぼ時代順であった。本作の場合は,ボウイがアーティストとしての姿勢,人生の回想,死生館,ファッション,クリエイティビティ等について語った,テーマ別の編集となっている。奇抜かつ衝撃的なファッションで登場する分,ビジュアル的には本作の方が格段に上だ。アニメも登場し,映像的なコラージュも随所に配置されている。
 何しろ,カッコいい。若い頃から超イケメンだ。身長177cmは,英国人としてはそう高くないが,小顔で痩身のせいか,映像ではもっと長身に見える。どんな恰好をしていても,常にスーパースターの香りが漂っている。結婚経験があることが分かるだけで,妻子の話も両親の話もない。華麗なファッションをもっと観たかった。贅沢を言えば,映画出演時(できれば,『戦場のメリークリスマス』(83))のエピソードも欲しかった。親日家で,筆者の現住居の京都市山科区にも住んでいたというので,その頃の映像を期待したのだが,それらはなく,徹底して音楽中心の映画だった。全40曲の選曲は,ベストアルバムに近い。最後は,シンプルなメロディのヒット曲“Starman”と“Changes”で締めているのが心憎い。監督はドキュメンタリー映画を得意とするブレット・モーゲンで,音楽はボウイと交流があったトニー・ビスコンティが担当している。絶対に音響効果が優れた劇場で,できればIMAXシアターで観て欲しい映画である。
 『マッシブ・タレント』(3月24日公開):別の意味で唯一無二の映画で,間違いなく印象に残る映画だ。ただし,主演のニコラス・ケイジを知らない観客には,全く面白くないだろう。全盛期のアクション大作『ザ・ロック』(96)『コン・エアー』(97)『フェイス/オフ』(同)のどれかは観ておいて欲しいし,『リービング・ラスベガス』(95)でアカデミー賞主演男優賞を得た演技派であることも知っていれば万全だ。何しろ,本人とそっくりの経歴をもつハリウッド俳優ニック・ケイジを演じるという冗談のような映画だ。いやもう1人,劇中では幻影としてのニッキーが登場し,ニックに語りかける1人2役であるから,頭が混乱する。
 ハリウッド大スターのニック・ケイジは,最近全く売れなくなり,まともな役は与えられないドン底状態だ。多額の借金を抱え,妻とは別れ,娘にも愛想をつかされていた。もう自分にかつての栄光は取り戻せないのかと悩んでいたところに,スペインの大富豪ハピ(ペドロ・パスカル)から彼の誕生日パーティーに参加するだけで100万ドルのギャラを払うという高額オファーが届く。渋々顔を出すと,彼はニックの熱狂的ファンであり,映画の趣味も合い,意気投合してしまう。ところが,ハピの正体は国際犯罪組織の首領であり,ニックはCIAから彼の動向をスパイして欲しいと依頼される……。
 ニコラス・ケイジ自身はコンスタントに多数の作品に出演しているが,最近は助演が多く,製作側に回ることも多いので,本当に仕事がないドン底なのかと錯覚してしまう。そう感じさせるだけの演技力だ。ニックとニッキーの二重人格的な描き方に,どこまでがリアルか,フェイクなのか,観客は幻惑される。錯乱させたところに,後半は大真面目なアクション映画で,しっかり楽しめ,ニックに拍手してしまう。過去作のパロディ・シーンや小道具も登場するので,最盛期を知るファンには尚更嬉しい。監督・脚本は,ニコラスに出演依頼をしたトム・カーミガン。勿論,彼の大ファンである。
 『エスター ファースト・キル』(3月31日公開): 2009年公開のホラー映画『エスター』の前日譚とのことだ。前作のキャッチコピーは「正体が暴かれる時,全世界の心臓が,止まる」だった。当欄の紹介記事では「エスターを演じる子役イザベル・ファーマンの演技がスゴイ。とにかくスゴイ」と絶賛している。ただし,種明かしはしていないので,DVDで前作を見るか,ネタバレ記事を読んででも,主人公の正体を知っておいた方がいい。そうでないと,本作を堪能できないと思う。この事前知識を前提に以下を述べるので,容赦されたい。正体自体は,本作の前半で明らかになるので,全く予備知識なしで見ても,そこそこは楽しめるが…。
 前作の少女エスターは9歳の設定で,前日譚の本作は2年前の出来事だというので,単純計算だと7歳になる。新たな子役を探して来て,あのエスターだと思えるかどうかが鍵だが,何と,ウィリアム・ブレント・ベル監督は,引き続きI・ファーマンに演じさせることにした。彼女は前作公開時には12歳で,現在は26歳の大人の女優である。若作りの顔立ちとはいえ,一体どうやって26歳(撮影時は25歳)が7歳を演じたのか,それ自体がホラーと思え,この起用自体が最大の関心事である。
 本作はエストニアの精神病院から始まり,知能が高く,凶暴な美少女が脱走に成功する。彼女は行方不明者リストから自分に似た顔立ちの少女エスターを選び,ロシアの孤児院にいたという経歴を作り上げ,米国の裕福なオルブライト家に引き取られる。そこで起こる騒動は,オルブライト夫妻やドナン刑事を舞い込んで,前作とは異なる仕掛けの物語として展開する。
 実は,この少女は発育不全で,身長は10歳から伸びないが,実年齢31歳の大人(前作では33歳)であった。そうであっても,現在のI・ファーマンの身長は変えられないので,全身のショットは後ろ姿だけで,代役の子役を撮っている。顔が見えるシーンは,すべて上半身だけで登場する。見事なトリック撮影だ。メイクもあり,なるほど若く見え,子供に見えなくもない。それでも前作のエスターと見比べると,あのあどけなさはなく,無理がある。それは忘れて,31歳の凶暴な大人だが,子供の体躯の化け物だと思えば,十分通用する。
 前日譚でなく,前作で死んでいなくて,3年後くらいの設定でも良かったかと思う。今後も,この出来事の後の2年間に,色々渡り歩いて事件を起こしたことにすれば,続編はいくつも製作できる。ヒット作『ハロウィン』シリーズが終わってしまったので(最終作は4月号で紹介),代わりにこのモンスター少女のシリーズを作れば,固定ファンは確実に期待できると思う。
 『生きる LIVING』(3月31日公開):今年のアカデミー賞で,主演男優賞,脚色賞の2部門にノミネートされていた映画だが,残念ながら,オスカーは手に出来なかった。それでも,候補作に相応しい,風格と名演技を含む良作であることは間違いない。言うまでもなく,黒澤明監督の不朽の名作『生きる』(52)の英国版リメイク作だ。ノーベル文学賞受賞者の日系人カズオ・イシグロが脚本を担当していることも大きな話題である。黒澤作品を未見の場合は,先にDVDで予習しておくことなく,いきなり本作を観ることを勧めたい。主演のビル・ナイの演技にも満足でき,ヒューマンドラマとしても良作であると感じるはずだ。
 本作の時代設定は,黒澤作品とほぼ同じ1953年で,主人公の公務員ウィリアムズは毎日列車に乗って,ロンドンの職場に通っている。部下からは疎んじられ,代わり映えのしない事務処理に明け暮れる人生に,何の意欲も感じない毎日だった。ある日,医師から癌に侵されていて,余命半年だと宣告される。仕事を放棄して馬鹿騒ぎをしても空虚感は否めなかったが,かつての部下マーガレット(エイミー・ルー・ウッド)に再会し,彼女のバイタリティに触発されて,残る人生に価値ある仕事を遺したいと決意する…。即ち,ほぼ黒澤作品をなぞり,少し簡略化した素直なリメイク作となっていた。
 筆者の場合,1952年の黒澤作品公開時は4歳で,勿論同時期には見ていないが,何度かTVの名画劇場で見た覚えがある。今回もDVDで熟視し直して本作に臨んだが,これが失敗だった。余りに黒澤作品が素晴らし過ぎ,その印象が強烈で,本作を淡泊に感じてしまった。
 本作の冒頭で,1952年の記録映像が流れる。第二次世界大戦からの復興途中のロンドンの姿であり,その画調に近づけた本編映像では,SLや当時の自動車を登場させるなど,時代考証もしっかりしていた。問題は,ビル・ナイ演じる公務員が,スマートな紳士過ぎて,志村喬が演じた渡邉勘治課長ほどの野暮ったさがない。その分,癌末期の悲愴感も希薄だ。役所内の苦労や主婦連の苦情の描き方も迫力に欠ける。部下の若い女性も,小田切みきの方が圧倒的に良かった。黒澤作品の欠点は,余りにもお役所仕事批判が強烈過ぎることで,その描き方にリアリティを感じなかった。本作はその部分をほぼカットしている。そのためか,映画全体が少し大人しく,有名な公園でのブランコのシーンにも涙しなかった。これは,敗戦国の戦後を同時代に描いた邦画と,戦勝国の復興時代を現在から見た過去として描いた洋画との違いなのか,複雑な思いで観てしまった。
 『映画 ネメシス 黄金螺旋の謎』(3月31日公開):正直なところ,試写はしっかり観たのだが,この稿を書く段階になっても,どう評価し,どのように紹介するか,かなり迷った作品だ。題名に「映画」が入っているので,先にTVドラマ版かアニメ版があったことは,誰でも分かる。原作コミックもアニメ版もないが,元は2021年に日本テレビから放送された全10話のオリジナルドラマ『ネメシス』とのことだ。筆者のようなTVはNHKニュースとスポーツ中継しか見ない人間でも,主演が広瀬すずと櫻井翔であり,かなり人気を博したことは知っていた。ネットニュースのトップページを見れば,見出しから「ネメシス」の4文字を再三目にしてしまったからだ。劇場用映画化も頻繁に話題になっていた。その試写を観るのに,主演2人の名前以外の予備知識は得ず,プレスシートも読まずに臨むことにした。気合いの入った話題作のようなので,初見の観客を満足させる内容なのか徹底評価しようと考えた。邦画製作に熱心で,実績もあるワーナー・ブラザース配給作品なら,それに値する出来映えのはずだと考えたからである。
 横浜にある「探偵事務所ネメシス」が舞台で,探偵歴30年のベテラン栗田一秋(江口洋介)が社長を務めている。自称「名探偵」の風真尚希(櫻井翔)と,彼をフォローする天才的な探偵助手・美神アンナ(広瀬すず)が社員である。アンナが毎晩のように悪夢を見るようになり,その中で仲間たちが次々に悲惨な死を遂げる。ある日,夢に何度も登場する「窓」なる男(佐藤浩市)がアンナの目の前に現われ,「私たちが握手しなければ,夢は1つずつ現実になって行く」と警告する。この予言を阻止するため,アンナはかつての敵,天才・菅朋美(橋本環奈)に助けを求める……。
 探偵事務所だけあって,全編がミステリータッチで物語は進行する。かなり込み入った物語であるが,この1本でミステリーは完結している。その点では,不満はない。後でプレスシートを読み,全10話のドラマ版の主要人物を一堂に集めていることを知った。神奈川県警捜査一課員として勝地涼,中村蒼,富田望生,メネシスのサポートメンバーでは,大島優子,上田竜也,奥平大兼,加藤諒,南野陽子,真木よう子等,なるほど豪華メンバーだ。言うまでもなく,TVドラマ版の視聴者へのサービスだ。彼らの登場を意識したシナリオと演出である分,豪華ではあるが,不必要に複雑になっている。登場人物を減らした方が,好い映画になったと思う。
 映像としては,バーチャルプロダクションの利用シーンが随所に見られる。そのことはすぐに分かったが,問題はそれが謎の中心となっていることだ。ネタバレになるので,これ以上は語れない。それが,本稿執筆での最大の悩みのタネであった次第だ。
 付記しておくなら,筆者のミューズである広瀬すずだが,この役には合っていないと感じた。彼女の主演が前提で,少しでも活躍させようとしているが,欲張り過ぎの役だ。その前提がなければ,アクションが得意な若手女優を起用した方が好かったと思う。別格的な存在の佐藤浩市の使われ方も感心しない。もっと大きな役割にすべきなのに,少しもったいなと感じた。

 
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