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O plus E 2022年3・4月号掲載
 
その他の作品の短評
  (注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています)  
   
   『ストレイ 犬が見た世界』:短評欄では,女性監督の作品を5本紹介する。まずは,香港生まれのエリザベス・ロー監督の長編デビュー作で,イスタンブールで人間と共存して生きる犬たちの生態を捉えたドキュメンタリー映画だ。トルコは「野良犬の安楽死や捕獲を違法とする希少な国」だそうだ。『猫が教えてくれたこと』(17年11月号)は「猫の目線」で見た人々の生活様式の映像だったが,対をなす本作は「犬の目線」で,人間社会の貧富の差,優しさや厳しさ,思想信条や政治経済までも描き出している。半年間に渡るローアングルからの密着取材の記録映像だ。世界初の聴覚言語も導入したそうだ。犬の鳴き声や人々の会話はマイクが捕えているが,解説的なナレーションはない。前半は大型犬ゼイティンと帯同するナザール中心の映像で,後半は愛らしい小型犬カルタルとシリア難民の少年ハリルの出来事が登場する。そこでも政治の非情が浮き彫りにされている。
 『ガンパウダー・ミルクシェイク』:こちらはイスラエル出身の男性監督の作だが,犯罪組織と戦う女性達の死闘を描いたバイオレンスアクションだ。主人公のサム(カレン・ギラン)は名うての殺し屋だが,標的の娘を匿ったことで組織に追われ,次々と現れる刺客を倒し,夜の街を駆け抜ける。超能力はないが,運動能力とチームワークで敵をなぎ倒す様が痛快無比で,ルックスからすると「女リーアム・ニーソン」だ。逃避行中に女性3人が仕切る図書館に駆け込むが,この熟女3人はサムの母と縁がある殺し屋だった。その中に『スパイキッズ』シリーズのカーラ・グギーノやボンドガールのミシェル・ヨーが含まれているのが嬉しい。前半のカーアクションシーンが楽しく,終盤のダイナーでのスローモーション映像が鮮烈だった。マカロニ・ウエスタンや任俠映画の香りがする。敵の親玉と単身対峙するサムの背中に,緋牡丹お竜でなく,唐獅子牡丹の健さんの姿を見た。
 『ベルファスト』 :今年のアカデミー賞の有力作で,作品賞,監督賞他,計7部門にノミネートされている。ベルファストは英国の一部である北アイルランドの首都で,ケネス・ブラナー監督の出身地である。言わば,自伝的性格の物語だが,1969年に起きた北アイルランド紛争時の約半年間だけの出来事だ。主人公の9歳の少年バディとその家族が,時代に翻弄され,ベルファストから逃れてロンドンに向かうまでを描いている。民族間紛争ではなく,宗教的対立で,同じ人種が激しくいがみ合った事実に嘆息する。時代背景を活写するとともに,その中で生き抜いた素晴らしい家族の物語でもある。現代のベルファスト市,劇中での映画や演劇はカラーだが,バディの日常生活はモノクロ映像で描いている。監督の同地の想い出は,暗く灰色だったからという。カメラワークも音楽も秀逸だが,同地出身のヴァン・モリソンの曲の挿入箇所選択が見事だった。
 『ナイトメア・アリー』 :本作もオスカー候補作で,4部門にノミネートされている。既に4年前にオスカー監督となったギレルモ・デル・トロのオリジナル作品で,時代設定は1939年,どさ回りの「カーニバル」が舞台となっている。ショービジネスと言えば聞こえがいいが,ゲテモノを見せる外連だらけの「見せ物小屋」で,日本でも1950年代には,サーカスの他にこうした「小屋」があった(入らなかったが)。CGで描いた半漁人ではなく,獣のような人間の「獣人《ギーク》」が登場する。カーニバル全体が非日常の世界で,主人公のスタン(ブラッドリー・クーパー)がはまり込むのは,「観客の心理読み」と故人の霊魂を呼び出す「幽霊ショー」だ。次第に興行師としての才覚を発揮し,上流世界を相手にして一獲千金の詐欺を目論む…。豪華キャストだが,女性陣の存在感が勝っていた。とりわけ,心理学博士役のケイト・ブランシェットの貫録は,B・クーパーの熱演を上回っている。この映画はそれに尽きる。それも計算ずくの配役だろう。
 『アンビュランス』:やはり,所詮はマイケル・ベイ映画だった。巨額の現金を奪った銀行強盗犯が警官隊に囲まれ,救急車をハイジャックして逃亡するというノンストップアクションである。裏社会に生きる白人の兄ダニー(ジェイク・ギレンホール),元海兵隊員で正義感の強い黒人の弟ウィル(ヤーヤ・アブドゥル=マティーン2世),救急車の後部座席にいた救急救命士のキャス(エイザ・ゴンザレス)の3人が織りなすドラマで,デンマーク映画『25ミニッツ』(05)のリメイク作だ。『トランスフォーマー』シリーズのような荒唐無稽な設定ではなく,それなりにリアリティがあると思ったのに,余りにもチェイスシーンが長過ぎ,かつバカバカしい。時速100kmで爆走する車内での外科手術など有り得ない。派手なアクション以外に取り柄はないのか? 同じ脚本,同じ俳優でも,別の監督なら,もう少しまともな娯楽映画になっていたと思う。もったいない。
 『オートクチュール』:女性監督の2本目は,フランスのファッション界が舞台だが,華やかなデザイナーの伝記物語でもドキュメンタリーでもなく,お針子の世界を描いている。主人公は高級ブランドのディオールのお針子のチーフと彼女が後継者と目をかけた不良少女の他,主要登場人物の全員が女性で,美形揃いである。アトリエを長年仕切ってきた定年間際のチーフ役はベテラン女優のナタリー・バイが演じ,粗野だが,手先が器用な少女ジャド役には『 GAGARINE ガガーリン』(22年1・2月号)のリナ・クードリが配されている。この2人の関係は『プラダを着た悪魔』(06年11月号)を思い出す。若い女性が見たら目を輝かすようなドレスが登場するのは勿論だが,ディオール専属のクチュリエールが監修したという職場(アトリエ)の雰囲気,数々のデッサン画,手仕事の繊細さは一見に値する。フランス語が美しいが,それにマッチした音楽も絶品だった。サントラ盤発売がないのが残念だ。
 『TITANE/チタン』:カンヌのパルムドール受賞作で「映画史を破壊する圧倒的怪作」というので,身構えて観てしまった。冒頭15~20分でなるほど怪作だ,狂気の沙汰だと納得した。幼少期に交通事故に遭遇し,頭蓋骨にチタンプレートを埋め込まれた女性アレクシアが主人公で,車に異様な反応を示し,衝動的殺人を繰り返す。指名手配され,逃亡生活中に知り合って共同生活を送るようになる相手は,息子を亡くし,妄想癖のある消防隊長のヴィンセントだった。かなり奇妙な関係だが,一旦,この前提を受け容れると,その後の展開は素直に見られる。嫌悪感から始まり,次第にこの2人に愛着を感じるようになり,これは「愛の映画」だと思わせる。そして,まさに快作らしい結末を迎える。主演は,これが長編デビュー作となるアガト・ルセル。よくぞこんな役を引き受けたと感心したが,監督がまだ2作目の女性監督ジュリア・デュクルノーと知って,再度驚いた。
 『アネット』:続いてはカンヌの監督賞受賞作で,上記にひけをとらない異色作だ。監督は鬼才レオス・カラックスで,兄弟バンドSPARKSが音楽アルバム用に準備していた物語を映画化し,ロック・オペラ・ミュージカルに仕立てている。全編のセリフは歌でつづるが,それもアフレコでなく,演技中にライブ収録している。主演は,アダム・ドライバーとマリオン・コティヤール。2人は恋に落ち,生まれた子供アネットが驚くべき存在だった…。そこから始まる夫婦の愛憎劇が,音楽と同期した強烈なビジュアルで描かれる。製作者から「息もせずに見ろ」「映画が気に入ったら友人に勧めろ」との注文がつく(それが宣伝文句だが)。乳児のアネットはただの人形で,成長後はパペット操作で演技させている。ラストは書けないが,CGは登場しない。ダークファンタジーとしては平凡な物語だが,音楽とビジュアルのコラボは見事だった。芸術作品の域に達している。
 『英雄の証明』 :今度はカンヌのグランプリ受賞作のイラン映画で,SNSでの毀誉褒貶が個人の人生を左右する恐怖を描いている。監督は2度のオスカー受賞経験のある名匠アスガー・ファルハディで,数々の国際映画賞を受賞している。主人公は借金を返せなかった罪で投獄されたラヒム(アミル・ジャディディ)で,仮釈放中に拾った金貨を落とし主に返したところ,美談の主として英雄扱いされる。その影響で決まりかけた定職の決定が進まないため,思わずついた小さな嘘が発覚し,一転して詐欺(ペテン)師扱いされてしまう…。ラヒムの元妻の兄は全くの頑固者で,就職先の面接員も融通が利かない。刑務所の上層部はご都合主義者,慈善団体の婆さんが理屈っぽく,不愉快な人間ばかりだ。なぜそこまで悪意に解釈し,すぐに警察に通報するのか。些細な借金で収監される半面,寄付金による嘆願で死刑を免れるというのにも驚く。こんな国には住みたくない。
 『スピリットウォーカー』 :韓国製のSFノンストップアクションで,実にユニークな設定だった。交通事故で目が覚めた主人公は,すべての記憶を失っていた。ただの記憶喪失ではなく,12時間毎に別人物に入れ替わる。といっても,同じ主演男優(ユン・ゲサン)だから,顔は変わらないが,見かけも変わっているという想定だ。自分は一体誰なのか,感情移入した観客をも煙に巻きながら,展開を楽しませる作戦らしい。組織とか,チーム長とか,犯罪映画であることは確かだ。徐々に主人公は謎を解き始めて,自分が大きな陰謀に巻き込まれていることを知る……。なぜこの薬でそれが起こるのか,組織の目的は何だったのか,観客満足度を上げるには,もう少し分かりやすい種明かしが欲しかった。主人公を同じ俳優で登場させず,VFX加工して,半分似せておく等の工夫があっても良かったかと思う。ハリウッド・リメイクが決定しているそうだから,それを期待したい。
 『私はヴァレンティナ』:アクション映画から一転してLGBTQもので,今度はブラジル映画である。17歳のトランスジェンダー女性(戸籍上は男性)の受けるいじめや葛藤を描いた青春ドラマだ。監督はこれが長編デビュー作となるカッシオ・ペレイラ・ドス・サントス。彼自身はゲイでもトランスでもないが,主演のヴァレンティナ役には,トランス俳優でYouTuberのティエッサ・ウィンバックを起用している。この数年間でトランス女性が主人公の映画を3度取り上げたが,ルックス的には同じ南米のチリ映画の『ナチュラルウーマン』(18年2月号)に似ている。少し太めだが,背も低く,お尻も大きく,顔の表情も女性にしか見えない。それでも,転入先の学校で出生名のラウルでなく,本人が望むヴァレンティナで登録するには,行方不明の父親の同意がいるという。こちらも融通が効かない不便な国だ。筆者は,いつしか彼女に感情移入し,応援していることに気付いた。[注:監督のことを「ゲイでもトランスでもない」と断定的に書いてしまったが,実はよく分からない。この長編の前に,複数のLGBTQ短編映画を発表していることは確かだ。]
 『ふたつの部屋,ふたりの暮らし』:次なるLGBTQ映画は,長年愛を育んでいた70代のレズビアン女性2人の物語だ。本邦公開までに1年以上かかったが,昨年のGG賞の非英語映画賞部門のノミネート作である。全編がフランス語だが,セザール賞,リュミエール賞で新人監督賞を受賞したフィリッポ・メネゲッティはイタリア出身の新鋭で,2人の老女の1人マドレーヌ役はフランスの名女優,もう1人のニナ役はドイツの名女優という,国際色豊かな欧州映画である。南仏モンペリエのアパートの最上階で向かい合った部屋に住む2人は,家族に内緒で部屋を売却し,イタリアに移住するはずが,マドレーヌが脳卒中で倒れたことから,計画がバレて苦境に陥ってしまう……。そこからはサスペンス映画風の描き方で,そうなると単なるLGBTQ映画でなく,若い男女カップルでも同じことだ。観客はニナの視点で見てしまい,2人の共同生活を応援したくなってしまう。
 『潜水艦クルスクの生存者たち』:2000年に実際にロシア製原子力潜水艦事故の23人の生存者の救出劇を描いている。映画の主国籍はルクセンブルグだが,監督のトマス・ヴィンターベアはデンマーク人,ロシア原潜の司令官ミハイル役のマティアス・スーナールツはベルギー人俳優,その妻ターニャ役はフランスの売れっ子女優レア・セドゥという布陣だ。2018年公開の映画なので,当時のL・セドゥは劇中と同じく身重であり,007最新作への出演は出産後のことだ。戦争でなく,軍事演習中に起きた事故で北極海の海底に沈んだ潜水艦クルスクだが,軍事機密の流出を恐れるロシア政府は救出に熱心でなく,異変を察知した英国海軍の准将デイビッド(コリン・ファース)は反対を押し切って救出に向かう……。潜水艦ものらしい緊迫感溢れる演出だが,残念だったのは,ロシア語と英語の使い分けがなく,セリフが全編英語だったことだ。これじゃフェイク映画だ。
 『バーニング・ダウン 爆発都市』:個性のない題名だが,さすが香港映画だと唸るアクション映画だった。主演はアンディ・ラウで,爆発処理専門の警官を演じる。本人も数年前,撮影中に重傷を負ったが,本作では勤務中の爆発で左足を失う役柄だ。義足をつけて懸命の回復を目指したが,現場復帰が許されず,自暴自棄になって退職し,テロリスト集団の計画に組み込まれてしまう…。冒頭の空港爆破シーンのCG/VFXが少しプア,煽り立てるような劇伴音楽もチープで,前半はB級テイストそのものだった。再度の爆発で主人公は記憶を喪失するが,病院からの逃亡劇の描写が過激で,すっかり魅せられてしまう。いかにも,映画ならではの展開だ。その記憶回復の仕組み,爆発処理班の活動,テロリスト集団の計画等々,脚本と演出が巧みで,中盤以降どうなるのかとハマってしまう。スケールの大きな娯楽作で,製作費44億円,興行収入230億円だけのことはある。
 『ハッチング―孵化―』:女性監督の4作目は,フィンランド製の斬新なホラーだ。短編シリーズで腕を磨いてきたハンナ・ベルイホルムにとってこれが長編デビュー作だが,脚本は2014年にあるイベントで知り合った女性脚本家イリヤ・ラウチの着想に基づいている。体操選手になることを目指す12歳の少女ティンヤは,ある夜に森で見つけた卵を部屋に持ち帰り,自分のベッドで温め続ける。キー写真での大きな卵と副題から,この卵からどんな怪物が登場するのか,誰もが想像力を働かせることだろう。卵から生まれた「それ」が,幸福そうに見えた家族の仮面を剥ぎ取って行くというのがテーマだ。教育ママも友人達も皆北欧の金髪美人だが,1,200人のオーディションで選ばれたティンヤ役のシーリ・ソラリンナは,やはり飛び切りの美少女だ。夜道での恐怖感の演出が巧みで,予想がつかない結末も見事だ。
 『ベルイマン島にて』:5作目の女性監督作品を生み出した監督は,女優出身のミア・ハンセン=ラブで,これが長編7作目という実力派だ。脚本も自ら執筆している。表題はスウェーデン東部のフォーレ島で,巨匠イングマール・ベルイマンが晩年を過ごした島であり,彼の家が残されている。そこに避暑と脚本執筆にやって来た米国人の映画監督夫妻の物語だ。年の差のあるトニーとクリスだが,物語はクリス(ヴィッキー・クリープス)の視点で進行する。ハンセン=ラブ監督自身が,年長のオリヴィエ・アサイヤス監督と結婚していた時期があり,彼女の心情が投影されていると思われる。さらに劇中でクリスが執筆中の脚本に従った映画が流れる。その主役はエイミー(ミア・ワシコウスカヤ)で,これがまた女性映画監督役だ。クリスとエイミーが似ていて,髪の毛の色で区別しないと混乱する。まさに「虚実皮膜,クリエイティブと実世界の間すれすれ」の作品である。
 『カモン カモン』:ホアキン・フェニックス主演の米国映画で,モノクロ映像で撮影されているヒューマンドラマだ。監督・脚本は,マイク・ミルズ。寡作ながら,実の父親を描いた『人生はビギナーズ』(10),母親を描いた『20センチュリー・ウーマン』(17年6月号)はともに含蓄深い良作だった。本作の主人公のジョニーはラジオジャーナリストで,妹に依頼され9歳の甥ジェシーの面倒を1週間見ることになる。途中LAでの共同生活が,急な仕事でNYに戻ることになり,ジェシーもNYまで連れて行くことになる……。伯父と甥とのやり取りの中で流れる過去の経緯の映像,格言や甥に読み聞かせる童話は,作り手の教養を感じる。ジョニーの本業でのインタビューはドキュメンタリー映画風で,現実社会の問題点を浮き彫りにしている。「未来ある存在の子供とどう接するか」,この単純で難しく,正解のないテーマに深く切り込んでいると感じられた。いい映画だ。
 『山歌(サンカ)』:誌上で各国巡りしてきたが,気がつけば,本号での邦画はこれ1本だけだった。舞台は現代の日本ではなく,時代は東京五輪後の1965年で,高度成長期の真っ只中である。場所は明記されていないが,群馬県山間部の小さな町のようだ。東京在住の中学生の則夫が,受験勉強のため,祖母の住む家にやって来る。そこで不思議な種族・山窩(サンカ)と出会い,人生の多くを学ぶヒューマンドラマである。山窩とは,山で暮らす貧しい漂泊民で,魚を取って,売ったりして生計を立てている。映画の冒頭から,美しい音楽に乗せた森や山の美しい光景が登場し,SLが山間を走る。劇中では,蝶や蛙や蜻蛉等の生き物,花,山,雲の自然の光景がふんだんに登場する。まさに花鳥風月映画だ。監督・脚本は笹谷遼平で,これも長編初監督作品だ。描きたい自然と音楽で精一杯で,物語は粗雑,山窩の掘り下げ方も今一歩だった。経験を積み,柔軟性が増せば,好い監督になるだろう。
 『手紙と線路と小さな奇跡』:2本目の韓国映画は,なかなか味のある題名だ。時代は1980年代後半で,まだソウル五輪前で,韓国の高度成長期前の素朴な時代である。1988年に開設された私設駅・両元(ヤンウォン)の実話をもとに,小さな駅作りに奔走する人々を描いている。主人公は,数学の天才の男子高校生ジュンギョン(パク・ジョンミン)で,線路は通っているのに駅がない村から,線路上を歩き,毎日往復5時間かけて高校に通っている。駅の開設請願のため大統領に手紙を送り続けていた。韓国映画にしては,主人公はイケメンでないが,同級生ラヒ役や姉ボギョン役の2人はかなりの美形だ。母親代わりの姉であるはずのイ・スギョンは弟より若く見えるが,その謎は後半で判明する。機関士の父親役テユンを演じるのは名優イ・ソンミン。時代も設定も異るが,この映画からは日本人の誰もが『鉄道員(ぽっぽや)』(99)を思い出すことだろう。ただし,涙はなく,明るい気分で旅立ちを迎える。
 『フェルナンド・ボテロ 豊満な人生』:本号のトリは,当欄が好んで取り上げる芸術家のドキュメンタリー映画だ。コロンビア出身の画家フェルナンド・ボテロの創作活動とその魅力に迫る。現在90歳だが,今も精力的に活動を続けている。作風はモダンアート,キュビズムに属するのかと思うが,抽象画ではない。そんな既成概念に収まらない個性的な絵や彫刻で,豊満な体型の人物や動物を描いている。ユーモアに溢れ,多彩な色使いも魅力的で,一度観たら絶対に忘れない。自画像や名前の語感から,当人もボテッとした肥満体の巨漢かと想像してしまうが,むしろスリムで,精悍な感じがするイケメンだ。本人の語りや,歴史家,キュレータのインタビューがあるのは勿論だが,3人の子供(長男,次男,長女)が,父親の作風を分析するのが好ましい。尊敬の念に溢れている。この映画を観たら,その公開日と同時に始まる展覧会にも行きたくなること必定だ。
 
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