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O plus E VFX映画時評 2023年7月号
 
その他の作品の論評
  (注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています)  
 
  ■『Pearl パール』(7月7日公開)
 昨年紹介した『 X エックス』(22年Web専用#4)の前日譚である。前作の題名が単純な上に,しかも関連性を感じない続編名になったので思い出せない読者も多いと思うが,史上最高齢の殺人鬼夫妻が,映画撮影に来たチームを次々と惨殺する物語と言えば分かるだろうか。その妻の老婆パールが,若き日にいかにして殺人鬼になったか描いている前日譚なのである。前作は1979年のテキサスの農場が舞台であったが,本作も同じ農場で,時代設定は第一次世界大戦の末期の1918年となっている。前作を復習していなくても話は通じるが,老婆がかつては女優志望であったこと,ワニを使った殺害をしていたことを知っていると,なお面白い。パールの挙動を,驚かずにすんなりと見ていられるからだ。
 製作・監督・脚本・編集のタイ・ウェスト,主演のミア・ゴスは前作の引き続きの登板である。というと,老婆役の女優を,インディ・ジョーンズのハリソン・フォード並みに若返らせたのかと思うかもしれない。前作で,彼女は若い女性マキシーンと老婆パールの2役を演じていて,老婆側が重い特殊メイクであったと知れば,この前日譚は実年齢のままで主演できることが納得できるはずだ。即ち,今回が初の単独主演作であり,製作総指揮にも名を連らね,脚本の一部にも参加している。
 テキサス生まれのパールは,若くして結婚したが,夫が出征したため,実家で厳しい母親と身体が不自由な父親と暮らしていた。父の介護と家畜の餌やり中心の退屈な毎日の中で,ある日町に出た時,内緒で映画を見たことから,華やかな映画スターになることを夢見る。母親から「お前は一生農場から出られない」と諌められたことから,抑圧されてきた彼女の狂気が爆発し,無慈悲かつ凶暴な殺人鬼と化してしまう……。
 劇中で登場するアヒルやワニはCGだろうが,牛,羊の大半は本物に見えた。彼女が空想するミュージカルシーンは映画愛に満ちていた。映写技師と知り合い,映写室から映画を観るシーンは,著名作へのオマージュであることは言うまでもないだろう。終盤の独白シーンの長回しは印象的だった。最後まで観た読者に,少し情報を提供しておこう。前作の老夫婦の夫の姓が「ハワード」であることに注意すると,より面白味が増してくる

■『サントメール ある被告』(7月14日公開)
 フランス映画で,徹底的に女性のための映画だ。これが長編劇映画デビュー作となるアリス・ディオップ監督はじめ,脚本,撮影担当も女性で,出演者も男優は主人公達の夫と予審判事役程度だった。生後15ヶ月の娘を海岸に置き去りにして殺害した罪で起訴されたロランス・コリー(ガスラジー・マランダ)の裁判を,主人公の作家ラマ(カイジ・カガメ)が傍聴する形式の法的劇である。実際にあった事件の裁判記録の弁論や証言をそのままセリフとして使ったという異色作で,ラマは監督の分身だろう。よくあるハリウッド流の法廷劇映画とは全く異なり,検事や弁護人でなく,裁判官が被告に質問する。勿論すべてフランス語であり,裁判もフランス流だ。
 犯行動機を問われ,被告は「自分にも分かりません。裁判で知りたいと思います」と答えて,無罪を主張する。我が子を殺した犯人の心理を裁判官や弁護士が分析する展開で,まるで不条理劇を観ている気分だった。ラマは大学の講師も務める知識人だが,妊娠中である。マタニティブルーなのか,自らが母から受けた影響や女性にとっての「母と子」の問題を深く考えるようになり,テーマは精神医学や呪術の世界にまで及ぶ。最終弁論からラストまでが圧巻であった。(少しネタバレになるが)判決は,映画中では明かされない。閉廷後,ラマ,ロランス,関係者の様々な表情が映り,最後は数ヶ月後のラマの姿で幕を閉じる。この間,セリフは一切なく,音楽だけが流れている。伝説の歌手ニーナ・シモンが歌った“Little Girl Blue”で,前奏にはクリスマスキャロルの“Good King Wenceslas”が使われていた。この曲の歌詞が,監督が意図したことを物語っているように思えた。
 文学畑の教養ある女性が見る映画だと感じた。男は添え物で,子種を提供するだけの存在なのかと思えてしまう。筆者には,主人公,被告の心中は全く分からず,感情移入もできないまま終わってしまった。試写室の客席は声もなかった。理解できない宗教音楽/オペラ/バレエに接して圧倒された感覚に近い。参考にすべき映画は,『ヒロシマ・モナムール/二十四時間の情事』(59)『王女メディア』(69)だと言われても,筆者ごときの映画評論者には太刀打ちできない。上記のニーナ・シモンの“Little Girl Blue”だけは,感覚的に素晴らしさを理解できた。彼女も監督も被告もまた黒人女性である。

■『CLOSE/クロース』(7月14日公開)
 続いては,ベルギー人監督ルーカス・ドンの長編第2作目である。アカデミー賞では国際長編映画賞,ゴールデングローブ賞では外国語映画賞にノミネートされ,カンヌ国際映画祭ではコンペティション部門のグランプリを受賞している。「観客が最も泣いた映画」と称されたと聞くと,筆者などはアラ探しをしたくなる方だが,本作では素直に主人公の少年の喪失感と悲しみに感情移入し,エンディングでは少し目も潤んでしまった。
 主人公は幼馴染の13歳の少年レミとレオで,24時間行動を共にする親友2人の物語だ。長編デビュー作が,バレリーナを目指すトランスジェンダーの主人公を描いた『Girl/ガール』(18)であったので,それなら本作は『Boys/ボーイズ』の方が相応しく,こちらもLGBTQ映画だと思いがちだが,監督は「友情を性的な関係と捉えるべきでない」と否定している。そう思われたくないゆえ,別の題にしたのだろう。家族公認の仲の2人だったが,中学校の入学早々,級友から怪しげな目で見られ,からかわれる。レオは次第にレミと距離を置くようになり,傷ついたレオは大喧嘩の後,命を絶ってしまう……。具体的な自死の場面は登場させず,絶妙の色使いの中で,レミのやり場のない後悔と自責の念を表現している。
 見事な脚本と演出だが,2人とも美少年で,とりわけレオ役のエデン・ダンブリンの女の子かと思う秀麗さが物語のリアリティを高めていた。レミ役のグスタフ・ドゥ・ワエルも端正な顔立ちで,もう少し彼の出番が多くても良かったかと思う。事件は実話ではないが,監督は自らの思春期体験の投影で「自分はレオでありレミでもある」と語っている。さぞかし監督も美少年であったのだろうと写真を見たら,現在も俳優にしてもいいようなイケメンで,印象はレミに近かった。

■『ナチスに仕掛けたチェスゲーム』(7月21日公開)
 この数年,当欄で取り上げた「ナチス」や「ホロコースト」に関する映画はかなりの数になる。愉快な話はなく,悲憤慷慨したくなる作品ばかりだが,現代人の我々が忘れてはならない歴史的事実として,避けずに向き合ってきた。その場合,注意を傾けたのは,映画の製作国と,ドキュメンタリーに近い形で史実を描いた映画か,フィクションでメッセージを伝える映画なのかである。本作の原典は,オーストリアの作家シュテファン・ツヴァイクが1942年に書いた小説「チェスの話」で,この小説の完成直後に亡命中の彼は自殺している。当時から,自らの命をかけてナチスに抗議したとされたベストセラーで,既に映画化も舞台劇化もされている。それを敢えて21世紀の今,再映画化した監督はドイツ映画界を背負う新鋭フィリップ・シュテルツェルである。即ち,ナチスに併合され,自由と尊厳を奪われた被害国の作家の最後の書を,加害国の映画人たちが再び世に問おうとしている。
 映画の主人公は,妻と共にロッテルダムから豪華客船でアメリカに向かうヨーゼフ・バルルトーク(オリヴァー・マスッチ)で,かつてウィーンで公証人を務めていた。船内ではチェスの大会が開かれていて,世界王者が腕自慢の乗客を次々と倒していた。船のオーナーから依頼され,彼は世界王者との一騎打ちを引き受ける。ヨーゼフがチェスの達人であるのには,悲しい過去があった。ドイツがオーストリアを併合した日に,ゲシュタポから貴族の資産の預金番号を教えることを強要される。拒絶した彼はホテルに監禁され,精神的拷問を受ける。偶然手にしたチェスのルールブックを丸暗記したことで狂気から逃れることができた。ところが,船内での王者との対決が白熱化するにつれ,彼の脳裏にはゲシュタポとのやり取りが蘇り,ヨーゼフの心は錯乱して行く…。
 船内でのチェスの試合にまつわる出来事とかつての監禁時代の苦悩とが交互に登場する。定番の映画手法であるが,後者が辛かった。監視の目を盗み,紙で作った駒でチェスの定石を取得するシーンは興味深いが,精神的に追い詰められるシーンの長さに退屈する(それがナチス側の意図だから当然とも言えるが)。世界王者とゲシュタポの担当者に同じ俳優(アルブレヒト・シュッフ)を起用しているのは,ヨーゼフが精神的錯乱を起こすことを強調するためだが,観ている側も少し混乱してくる。その混乱が頂点に達した時,物語は想像もつかない意外な結果で終わる。これ以上は,書けない。

■『世界のはしっこ,ちいさな教室』(7月21日公開)
 ひたすら暗かった上記からは一転して,色鮮やかで,こころが和む映画を紹介したい。ドキュメンタリー映画で,世界の過疎地で,就学できない子や,識字率の低い子供たちに教育を与える女性教師たちの奮闘振りを描いている。対象は3件で,アフリカとアジアとシベリアの代表事例を選んでいる。女性教師は三者三様で,彼女らの教育風景が何度も入れ替わる。
 サンドリーヌは,アフリカのブルキナファソ国の首都ワガドックで夫と2人の娘と暮らす主婦だが,自国の未来のために教員になることを志し,新人教師として僻地ティオガガラ村の小学校に赴任する。彼女はスマホを持っているが,赴任地の電波事情が悪くしばしば途切れる。15歳以上の識字率は世界最低の41.2%で,それを向上させるのが国策だ。ソーラーパネルを市場で1枚単位で売っているのに驚いた。それを自腹で購入し,子供たちが夜でも勉強できるよう,夜間の電灯用に使わせていた。
 タスリマは,人口1億6,630万人をかかえるバングラディッシュの未婚女性で,女性の権利のために戦っている。国の北部の自らが住む村の教師となり,家では弟妹や甥姪の教育を,学校では後輩たちが児童婚の犠牲にならないよう,中学校への進学を勧めている。モンスーンの影響で1年の半分は水没し,学校教育は船の中で行われている。親の貧困のため,教育の普及もままならない。
 スヴェトラーナは,ロシア連邦サハ共和国の遊牧民エヴァンキ族の女性で,2人の娘の母親である。遊牧生活を送る同胞のため,トナカイが引くソリで子供達が待つキャンプ地を駆け回っている。1ヶ所で10日間しか授業できない。通常の義務教育の他に,種族の伝統を守る独自カリキュラム(魚釣りやトナカイの捕まえ方)も取り入れているのが印象的だった。
 教育年限が終り,巣立ってゆく生徒達を見送る姿が美しい。3人に共通しているのは,教師であることの誇りと歓びだ。国情や貧富の差はあれど,教育の大切さを感じさせてくれる映画であった。

■『裸足になって』(7月21日公開)
 監督・脚本は,モスクワ生まれ,アルジェリア育ちの女性監督ムニア・メドゥールの長編第2作で,高い評価を得た『パピチャ 未来へのランウェイ』(20年9・10月号)と同様,再びアルジェリアを舞台に,同作の主演リナ・クードリと再タッグを組んでいる。『パピチャ…』は1990年代の内戦時代に,女子大生たちがファッションデザイナーを目指す物語だった。それから20年後が舞台の本作も,テロリストが横行し,他国への不法移民が後を断たない不安定な社会である。主人公は母と2人で暮すバレエダンサーのフーリア(L・クードリ)で,賭博の逆恨みから男に襲われて重傷を負い,踊ることも声を出すこともできない身体になってしまう。失意の底の彼女の支えとなったのは,同じく心の傷をもつ聾の女性たちで,彼女たちにダンスを教える歓びで,フーリアも救われて行く……。『コーダ あいのうた』(22年1・2月号)で主人公の父親役を演じてアカデミー賞助演男優賞に輝いた聾者のトロイ・コッツアーが製作総指揮に名を連ねている。
 主人公が途中から声を失うのは,阪本順治監督の『せかいのおきく』(23年4月号)と酷似しているので,さしずめ「アルジェリアのおきく」である。ただし,おきく(黒木華)が糞尿売買の中次(寛一郎)との微笑ましいラブストーリーに発展するのに対して,同じ難役でもフーリアにはそんなエピソードはなく,他の女性たちとだけの交流に留まっている。阪本作品に比べて,本作にはあまり未来への希望が感じられない。メドゥール作品にはアルジェリアの貧困やイスラム社会で女性が受ける不自由さのアピールやメッセージ性ばかりが目立っていて,ゆとりがないと言えようか。
 次作もまた主演には,リナ・クードリを起用するつもりらしい。幼少期にアルジェリア内戦から逃れて両親とともにフランス渡り,今や人気女優となった彼女は,絶対に監督が手放したくない手駒に違いない。その逆はどうか? 『パピチャ…』から本作までの間に彼女は,4作品に出演していて,当欄ではそのすべてを紹介している。『スペシャルズ!(副題略)』(20年Web専用#4)『フレンチ・ディスパッチ(副題略)』(22年1・2月号)『GAGARINE ガガーリン』(同号)『オートクチュール』(同年3・4月号)の4作で,確かに売れっ子だ。この中で,『オートクチュール』は女性監督シルヴィー・オハヨンの作で,主役級であり,お針子のチーフが後継者として目をかける不良少女の役であった。その他は,男性監督の作であり,主人公の憧れの少女か,一目惚れされる女性といった個性のない役ばかりだ。ルックス的には,黒木華よりもかなりの美形である(強いて言えば,歌手の城南海に似ている。小柄であるし,年齢も近い)が,監督の性別で,ここまで役柄の違いが目立つ女優も珍しい。女性に好かれる重い役ばかりでなく,普通に明るく,爽やかなラブストーリーも経験し,女優としての幅を拡げて行ってもらいたいのだが,そろそろその転機だろう。

■『アンノウン: 宇宙の起源に迫る,究極の望遠鏡』(7月24日配信開始)
 今月は短評欄がやや少なめだったので,個人的に視聴した作品の中から,2本を当欄で紹介しておきたい。まずは,7月にNetflixから4本(毎週1本)配信開始された「Unknown」シリーズの1本で,副題通り,天文学の歴史を塗り替えると言われている「ジェイムズ・ウェップ宇宙望遠鏡 (JWST)」の開発計画の経緯,打上げ成功や運用の実態を描いたドキュメンタリー映画(64分)である。41光年先までの宇宙に存在する天体を観測でき,各天体が発した光が地球に到達するまで時間を利用して,約135億年前の宇宙の起源を探ることもできるという。邦題は生真面目だが,原題の『Unknown: Cosmic Time Machine』の方が魅力的だ。JWSTの名称は,1960年代に「アポロ計画」を主導したNASAの第2代長官の名前からつけたという。
 少し蘊蓄を傾けておこう。1990年から運用されている「ハッブル宇宙望遠鏡」は,スペースシャトルで宇宙に運ばれ,地球周回軌道上を飛行し,30年以上に渡って天体を観測し,データを地球に送って来ている。天体が発する可視光で観測するという意味では,従来型の光学望遠鏡であった。後継機のIWSTでは,星の誕生後,赤方偏移する光を正確に捉えるため,近赤外光を反射鏡で集光して高解像度センシングする。主鏡は18枚の正六角形から構成され,直径6.5mの大きさをもつ(ハッブルは2.4m)。打ち上げロケットの口径に収まらないため,折り畳んで搭載し,宇宙空間で展開する。地球上からロボット制御して,数nmの精度で位置合わせするという。こうした説明が丁寧で,ビジュアル的にも優れている。とりわけ,遮光板と主鏡の展開シミュレーションが,CGで描かれているが,その映像が素晴らしかった。
 2011年の予定が遅れ,2021年12月25日に打ち上げが成功し,地球から約150万km(月までの距離の約4倍)のハロー軌道に到達した。観測データを着色した初めての画像は,2022年7月11日にバイデン大統領が公開したところ,その美しさに世界中が息を呑んだ。その後も,驚くような映像が次々と公開され,筆者はすっかり魅了されている(子供の頃は,天文学者志望だった)。それゆえ,JWSTのことをまとめて語るドキュメンタリーの出現を待ち望んでいた訳だ。日本では,小惑星探査機「はさぶさ」の成功で,映画も数本製作され,宇宙探査に興味をもつ若者が急増した。IWSTの成功で,世界レベルで宇宙物理学を志向する若者が増えることだろう。
 本編中では,開発や運用の関係者10数人が登場し,計画や実験段階での障害や成功要因を語る。その主役の1人は,トーマス・ザブーケンNASA科学局長だ。さすが,立法府からの予算削減要求やメディアの追求をくぐり抜けて来ただけのことはある堂々たる解説ぶりだ。女性科学者2人の登場させ方も印象的だった。1人は,NASAゴダード宇宙飛行センター所属の宇宙物理学者アンバー・ストローン博士で,根っからの宇宙オタクだ。15年以上,この開発計画に従事し,今回の成功が彼女の人生で最大の出来事であったことが伝わってくる。もう1人は,ミッション・オペレーション・センター所属のスカーリン・ヘルナンデス宇宙エンジニアで,JWST観測用視覚化ツール担当で,望遠鏡の展開システムのコードと手順を開発している。ラテン系の女性で,19歳でNASAに採用されたことを誇りに思っている。彼女らを登場させて,職業選択の道が拓けていることをアピールするのも,政府の広報戦略の1つなのだろう。日本でも,優秀なリケジョを増やす政策を期待したい。

■『警視庁捜査一課 ルーシー・ブラックマン事件』(7月26日配信開始)
もう1本もNetflix配信のドキュメンタリーで,テーマは2000年7月に起きた英国人女性の失踪事件である。当時は連日のようにメディアに取り上げられ,約半年後に,遺体が海岸近くの洞窟から発見されたことも覚えている。その後の報道は殆どなく,すっかり風化してしまい,犯人にどういう判決が下ったのかも知らなかった。これを機に調べたところ,2015年に英国人記者リチャード・ロイド・パリーが著した「黒い迷宮 ルーシー・ブラックマン事件15年目の真実」が出版され,BBCがTV番組化したそうだ。それ以前に,国内では,高尾昌司著「刑事たちの挽歌 警視庁捜査一課『ルーシー事件』」が出版されていて,本作の山本兵衛監督は,同書によって映画化を思い立ったとのことだ。Netflixからの配信となったのは,この事件の顛末を世界中に知ってもらいたくて,監督自らが良質のドキュメンタリーを生み出しているNetflixと交渉したという。
 映画は,20数年前のこの事件捜査の発端から詳しく解説してくれる。元スチュワーデスで,六本木のクラブでホステスとして働いていた女性ルーシー・ブラックマン(当時21歳)が行方不明になった事件であり,手がかりがなく迷宮入りしかけたところに,捜査チームの大増員があり,別の捜査班が加わった事情も語られている。どうやら,被害者の父親の働きかけで,来日中の英国ブレア首相から捜査要請があり,当時の森首相から警視庁上層部への圧力があったようだ。辣腕捜査チームは,ローラー作戦で容疑者を絞り込み,多数の性犯罪事件を起こした犯人の逮捕に至るが,全く自白が得られず,ルーシーの遺体も見つからなかった……。
 ここまで観て,『ロストガールズ』(20年Web専用#2)と酷似していると感じた。10人以上の売春婦が殺害された連続殺人事件の映画化作品で,行方不明の娘の行方を探す母親が,地元警察の怠慢を糾弾しながら奔走し,ようやく遺体発見に漕ぎ着ける映画であった。犯人不明の未解決事件であったが,その後,別件で逮捕された犯人の自供で,この事件の犯人であったことが判明している。母親と父親の違いはあれど,本事件捜査でも,父親の熱意が警察組織を動かしたことは間違いない。何度も来日し,懸賞金まで出して情報提供を求めていたことも盛んに報道されていた。本作にも,実父ティム・ブラックマン氏は何度も登場し,娘の想い出を語っている。
 実を言うと,この映画は途中まで全くつまらなく,退屈してしまった。事件や捜査の状況を,担当した元警察官達が語っているのだが,整然とした語りで,しかも正規の捜査チームに対する気遣い発言ばかりが目立ち,生々しい発言が出てこない。関与したはずの現役警察官が1人も登場せず,インタビューに応じたのは退職後の人物ばかりであることに,警察組織の壁を感じてしまった。成功体験をいきいきと語るNASA関係者のようには行かない。劇映画の『ロストガールズ』のように誇張して描く訳にも行かず,ドキュメンタリーの限界を感じた。そう思いつつ,我慢して観ていたが,終盤のルーシーの遺体発見に至るドラマは見応え十分だった。自白がないので,殺害や遺体遺棄シーンは映像化できなかったのだろうが,遺体遺棄場所探索と遺体発掘は,捜査班の難業を再現映像として描くことができたからだと思う。
 本作も,インタビューでの登場者に触れておこう。T・ザブーケン科学局長に相当する主役は,山代悟警部(当時)で,別部隊から増員されたチームのリーダーあり,彼にチームの結束がいかに固かったかは,映像からも実感できる。本作にも,印象的だった女性が2人いる。丸山とき江警部補(当時)と山口光子巡査部長(当時)で,まだ女性警察官が少なかった時代の警察組織での勤務形態の問題点を的確に語っている。この犯人の卑劣さ,性犯罪への社会の感心の低さに対する発言も傾聴に値する。上記の『アンノウン…』と同様,こうした意識の高い女性を登場させて発言させることは,今や海外のメジャー作品の映画制作では,必須項目の1つなのだろう。それが,女性就業の後進国日本で,働く女性や雇用主の意識改革につながるなら喜ばしいことだ。

■『658km,陽子の旅』(7月28日公開)
 最後の1本も,邦画で締め括りたい。「TSUTAYA CREATORS' PROGRAM 2019」の脚本部門・審査員特別賞の受賞作で,『#マンホール』(23年2月号)の熊切和嘉監督がメガホンをとっている。TCP受賞作は,『哀愁しんでれら』(21年1・2月号)『この子は邪悪』(22年Web専用#5)等,ホラー系の秀作が多かったが,本作は題名通り,主人公の女性の長距離ロードムービーである。主演の菊地凛子が「初の邦画単独主演」というのが,意外であり,是非観たくなった。アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督の『バベル』(07年4月号)で,役所広司の娘役でブレイクし,アカデミー賞助演女優賞候補になったのは今でも鮮明に覚えている。それ以来,外国人監督に可愛がられ,洋画での出演が多かった。『パシフィック・リム』シリーズでの森マコ役も印象的だったのか,たまに邦画に出演しても,『テラフォーマーズ』(16年5月号)『大怪獣のあとしまつ』(22年1・2月号)等,奇妙な映画の奇妙な役ばかりが印象に残っている。
 そんな彼女の本作での役柄は,就職氷河期世代の42歳の在宅フリーターの独身女性・陽子である。夢への挑戦に挫折し,何となく東京暮らしを続けている日常生活から抜け出せないでいる。ある日,20年以上疎遠であった父の訃報に接し,従兄・茂(竹原ピストル)に急かされて,故郷の弘前市に向かうことになる。彼の運転するクルマに同乗して,家族と青森へと向かうが,高速道路のSAでのトラブルに気を取られた従兄の不注意で,陽子はその場に置き去りにされてしまう。初冬の寒さの中,着の身着のままで所持金はたった2千円,彼女は逡巡しながらも,ヒッチハイクしながら北に向かうことを決意する。果たして翌日正午の出棺までに,彼女は実家に辿り着くことが出来るのか……?
 42歳は菊地凛子の実年齢であり,人生にもがき苦しむ女性の東北縦断の旅である。計7台(最後はバイク)を乗り継ぐが,懸命に働くシングルマザー(黒沢あすか),人懐こい女の子(見上愛),怪しく不快なライター(浜野謙太),心暖かい夫婦(吉澤健,風吹ジュン)等々,途中出会う人物の描写が面白い。ぶっきらぼうな主人公のセリフや挙動も見事な演出だ。熊切和嘉監督は,デビュー作『空の穴』(01)で起用した菊地凛乎が,その後国際的スターになったことから,「日本での主演代表作を撮りたい」と思っていたという。間違いなく,本作は彼女の代表作であり,彼女自身もそう認めている。好い映画だ。
 
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