O plus E VFX映画時評 2024年11月号
(注:本映画時評の評点は,上から,,,の順で,その中間にをつけています)
アカデミー賞で作品賞,主演男優賞の5冠に輝く『グラディエーター』(00年7月号)の24年半ぶりの続編である。四半世紀ぶりと言ってもいいだろう。この前作で華麗な復活と言われたリドリー・スコット監督が,再度メガホンをとっている。『エイリアン:ロムルス』(24年9月号)でも再三メディアに登場していたが,それは第1作『エイリアン』(79)の監督として「生みの親」扱いを受けていたに過ぎない。同作では製作の1人に名前を連ねていただけだが,本作では堂々と前作以上の拘りで,撮影・衣装・音楽・VFX等の細部に関与している。現在86歳で,大物の現役監督としては,クリント・イーストウッドの94歳に次ぐ最長老の1人である。よくぞこの年齢で,こんな大作の細部にまで目配りするものだと,ただただ感心する。
元々長編監督デビューは40歳と遅いスタートだったが,『エイリアン』の後,『ブレイドランナー』(82)で高い評価を得た。その後,『テルマ&ルイーズ』(93)[当欄では,4Kリマスター版(24年2月号)を紹介]でオスカー監督候補となった程度で,作品数も少なく,半ば忘れられた存在であった。それが,62歳の時,お得意のSFとは無縁の重厚な史劇『グラディエーター』でカムバックしたので驚いたのである。それ以降,巨匠としてコンスタントに大作をヒットさせていることは,年齢知らずの驚異的なエネルギーであると言える。
オスカー5冠の中に視覚効果賞もあったように,当欄にとっては,史劇にCG/VFXが効果的に使われていたことが意義深かった。その後の監督作品19本の内,16本を当欄で紹介し,内9本がメイン欄扱いである。即ち,常にウォッチすべき監督の1人であり,半数はVFX大作として待ち受けるべき重要人物なのである。
ただし,この続編が登場するとは思わなかった。監督の復活作であるのと同時に,主演のラッセル・クロウ,敵役のホアキン・フェニックスのブレイク作でもあった。監督はその後もこの2人を主演とした映画を撮っている。ところが,前作は主人公のマキシマスが,敵役のコモデゥスを刺し殺した後,自らも力尽きて絶命するエンディングであった。これでは続編の作りようがないではないか,と思ったのだが,後述するように,実に巧みな設定で続編として許容できる物語に仕上げている。
最近の2作『最後の決闘裁判』(21年Web専用#5)『ナポレオン』(23年12月号)も歴史ものであるから,その勢いで,この続編に向かったのかと思われる。撮る以上は完璧を期すのがこの監督の信条であるから,前作以上のリアリティでローマ時代の剣闘士を描くもの思われた。果たせるかな,完成披露試写案内に付されていた画像(表題欄の画像)を観ただけで嬉しくなってしまった。
【前作のおさらいとその波及効果】
前作の概要をざっと眺め,同作が映画業界に影響と意義を語ることにしよう。
時代は西暦180年,栄華を誇ったローマ帝国五賢帝の最後の1人,マルクス・アレニウス帝(リチャード・ハリス)の末期である。皇子コモデゥス(ホアキン・フェニックス)の人徳や正義感のなさに失望し,皇帝は勇猛で無欲な軍団長マキシマス・メリディアス(ラッセル・クロウ)に帝位を譲ることを決意した。このことを実子コモデゥスに伝えたところ,父親に愛されていなかったことに逆上し,その場で父アレニウス帝を殺害してしまう。さらに,嫉妬の余り,マキシマスの故郷を襲い,妻子を殺害して自宅を焼き払った。悲嘆にくれるマキシマスは意識を失うが,目が覚めた時に商人の一団に捕えられ,奴隷市場に売り払われてしまった。
やがて,彼を奴隷として購入したプロキシモ(オリヴァー・リード)に才能を見出され,彼の剣闘士団に加えられて,帝都ローマに戻る機会を得る。一方,卑劣なコモデゥスは,父は病死したと偽って帝位に就き,民衆を苦しめる貴族中心の圧制を行っていた。紆余曲折を経て,剣闘士マキシマスはコロセウムで宿敵コモドゥスと対決し,彼を刺殺する物語である。
マキシマスはこの過程で,元恋人であり,皇帝の娘でコモドゥスの姉であるルッシラ(コニー・ニールセン)に再会する。彼女の手引きで,コモドゥスの独裁に反対するグラックス元老院議員(デレク・ジャコビ)に引き合わされ,亡きアレニウス帝の復讐として,コモドゥスと刺し違える覚悟でいることを告げる場面も含まれていた。
完成度の高いドラマであったが,賞賛された理由は1950〜60年代に多数作られた歴史スペクタル映画,即ち古代ギリシャ,ローマやその周辺国の歴史や神話に基づく叙事詩的映画を復活させたと見做されたからである。かつて,TVの普及により映画観客が減少することを恐れたハリウッドは,映画ならではの大型画面に相応しい大作映画の題材として,豪華で華麗な宮殿や激しい戦闘を含む歴史冒険物語を選び,『十戒』(56)『アレキサンダー大王』(56)『ベン・ハー』(59)『スパルタカス』(60)『クレオパトラ』(63) 『ローマ帝国の悲劇』(64)等を製作した。まさに大鑑巨砲主義と言える映画企画であった。『ベン・ハー』はアカデミー賞11部門受賞という輝かしい成果を得たが,莫大な製作費を投じた『クレオパトラ』の不評と興行的不振が,この路線が廃れるきっかけとなった。後追いで作られた「剣とサンダル(Sword & Sandal)映画」と呼ばれたイタリア製の粗悪な史劇映画の乱発も,観客に失望感を与えることに拍車をかけた。
『グラディエーター』の成功は,CG/VFXの発展期に作られたことにもよる。それまで,怪獣・怪物,ロボット,UFO,宇宙空間等々の描写用と思われていたCG技術が,宮殿やコロセウム(円形闘技場)のような歴史的建造物,群衆や多数の戦士を描くのにも有用であることを証明した。これはビジュアル面での向上だけでなく,製作費の削減にも寄与していた。その波及効果として,CG/VFXを積極的に利用した『トロイ』(04年6月号)『アレキサンダー』(05年2月号)『キングダム・オブ・ヘブン』(同6月号)『300 <スリーハンドレッド>』(07年6月号)『アレクサンドリア』(11年3月号)『ポンペイ』(14年6月号)『エクソダス:神と王』(15年2月号)等の史劇が活発に作られるようになったと言える。
【続編としての本作の概要】
この続編の時代設定は前作の20余年後となっている。上記で名前を挙げた人物の内,アレニウス帝,マキシマス,コモドゥスの3人は劇中で死亡し,プロキシモ役のオリヴァー・リードは映画公開前に他界したので,もはや出演させられない。残るルッシラ役のコニー・ニールセンとグラックス議員役のデレク・ジャコビは,この続編にも継続出演している。よって,表題欄の画像で見た新たなグラディエーター(剣闘士)役やその敵役はすべて新たな俳優が演じている。
映画は,ローマ帝国の海軍が北アフリカのヌミディアを攻撃するシーンから始まる。激しい戦闘の結果,ヌミディアは破れてローマ帝国の軍門に下る。この中で奮戦した戦士ハノ(ポール・メスカル)は愛妻のアリーシャ(ユーバル・ゴーネン)を失い,自らはローマ軍に捕まってしまう。彼は軍を率いていたアカシウス将軍(ペドロ・パスカル)を終生の敵として憎み,必ず妻の復讐をすると心に誓う。
罪人扱いされ,ローマに連れて行かれたハノは,奴隷商人・武器商人からローマ政府の高官に上り詰めたマクリヌス(デンゼル・ワシントン)に気に入られ,訓練士ヴィッゴ(リオル・ラズ)の指導の下で剣闘士として育てられる。一方,ローマは,カラカラ(フレッド・ヘッキンジャー)とゲタ(ジョセフ・クイン)なる双子の皇帝が支配していたが,いずれも無能かつ残忍な皇帝でローマ帝国は衰退の道を歩んでいた。ヌミディアで戦果を上げたアカシウスはマキシマスの訓練を受けた有能な将軍で,皇帝の娘であったルッシラは彼の妻となっていた(写真1)。
剣闘士として注目を集め始めたハノは,ルッシラの息子(即ち,元皇帝の孫)の「ルシアス」であることが判明する。時の皇帝に粛清されることを恐れたルッシラが,15年前に幼い息子をアフリカの地に逃がしていたのであった。さらに母から,彼がマキシマスの子供であることも明かされる。この部分で回想シーンとして前作の映像が流れ,ラッセル・クロウの姿も2度登場する。全く巧妙な種明かしであり,観客はルシアスがこの続編の正統な主人公であることを理解する,という手はずである。
コロセウムを舞台とした何度かの戦闘でルシアスが勝利を収め,観客である民衆の英雄となって行く。各戦闘の場面が本作の胆であるが,各々のビジュアル的な見どころは後述する。この中で,愚かな皇帝に叛逆を企てた罪でアカシウス将軍は一剣闘士に格下げされ,彼を宿敵とするルシアスとの戦いも実現する(写真2)。この戦いでルシアスが勝利してこの続編の幕を閉じると思う観客が多いことだろうが,そうはならない。2人の愚帝を始末して,皇帝の位置を狙っていた男との戦いが待っていた。それが誰であるかは容易に想像できるが,ここでは伏せておく。最後は彼とルシアスとの1対1の剣の戦いとなるとだけ言っておこう。
前作の粗筋と比べれば分かるように,見事なまでに前作をなぞったかのような物語展開であり,ラストシーンも前作を思い出させる演出だ。その前作も『ベン・ハー』の焼き直しと言われていたので,かつての歴史スペクタクル映画のDNAを引き継いでいる訳である。前作は帝位就任予定の英雄とそれに嫉妬した皇子との戦いであり,よくある後継者争いだ。この続編のルシアスは皇帝の孫かつ英雄の息子という二重の高貴の血を引く若者で,彼が罪人の身から頭角を表わすのは,典型的な「貴種流離譚」である。もっとも,マキシマスとルッシラはそこまでの関係であったのか,いつルシアスを生んだのかという疑問は残るが,そうでないという証拠もない。母ルッシラを演じるC・ニールセンの実年齢(59歳)も,P・メスカル(28歳)と母子関係を演じておかしくない年齢差である。そう考えると,矛盾のない範囲で,よくぞこんな好都合な時代設定,人間関係の物語とキャスティングにしたものだと感心した。
本稿はビジュアル面ばかり論じるので,忘れない内にここで書いておこう。音楽は重厚で,いかにも映画音楽であった。エンドソングも堂々としていて,歴史劇大作に相応しい曲であった。
【主要登場人物のキャスティング】
P・メスカルがこの続編の主役の剣闘士ルシアスと知った時,かなり違和感があった。本作での顔写真を見た時にも,その思いは変わらなかった。『aftersun/アフターサン』(22)でオスカー・ノミネートされ,注目を集めたが,当欄で紹介した『異人たち』(24年4月号)での印象が強かったからである。同じタワマンに住む主人公(アンドリュー・スコット)の部屋を訪ねて来て,やがて情交をかわすようになるゲイ青年の役だった。実生活での彼は同性愛者ではないが,いかにもゲイのパートナーから好まれそうな細面のイケメンである。どう見ても,ふてぶてしいまでの存在感があったR・クロウの後継役に相応しいとは思えなかった。ところが,剣闘士姿の写真3を見て驚いた。この役のために8kg増量し,筋トレで上半身を徹底的に鍛えたという。上腕の太さは顔の幅ほどもあり,マッチョそのものの体形ではないか。これでは,誰も文句のつけないようがない。
アカシウス将軍役のP・パスカルは,当欄の記事中で再三名前を出しているベテラン俳優だが,当初,写真3の剣闘士対決シーンの画像にも違和感があった。多彩な役を演じる助演男優で,例えば『マッシブ・タレント』(23年3月号)では,映画好きの大富豪,実は国際犯罪組織の首領というコミカルな役を演じていた。これまで主人公と張り合う主役級の俳優でも,アクション俳優でもなく,その上P・パスカルとは親子ほどの年齢差があったからだ。ルシアスは一方的に将軍を宿敵扱いしていたが,戦士であった妻が戦争中の死亡したのは止むを得ないことであり,前作のコモドゥスのような卑劣漢ではない。母親の配偶者である人格者として描かれているので,ルシアスも次第に彼に敬意をもつようになる。という訳で,このキャスティングにも対決の結果にも納得できた。
母親ルッシラは前作と本作を繋ぐ重要な役で,継続出演のC・ニールセンは,今も気品ある美しさでこの役を演じていた(写真4)。『ワンダーウーマン』シリーズでは主人公ダイアナの母のピッポリタ女王を演じていて,高貴な役を演じ慣れているのだろう。途中で流れる前作のシーンでは,驚くほどの美しさだった。弟のコモドゥスがシスコンだったのも無理はない。
謎の男マクリヌスを演じるデンゼル・ワシントンの経歴は,今更紹介するまでもないだろう。P・メスカルが若手男優ゆえに,本作に重みをもたせる役目として彼を配したと思われるが,それに相応しい重厚感があった。出番も多く,影の主役とも言える存在である。
双子の皇帝カラカラとゲタの内,カラカラ帝を演じた若手俳優のF・ヘッキンジャーは,これまでに紹介したことがない。トム・ハンクス主演の西部劇『この茫漠たる荒野で』(21年Web専用#1)に出演していたようだが,どんな役であったか全く記憶にない。一方,弟ゲタ帝役のJ・クインは実年齢では6歳年長で,注目を集める英国人男優である。『クワイエット・プレイス:DAY 1』(24年6月号)の後半で,主人公の少女サラと行動を共にし,ピザを買って来てやった英国人男性エリックを演じていた。彼の次作はMCU37作目の『The Fantastic Four: First Steps』で,それに続く『アベンジャーズ』シリーズでも「ヒューマン・トーチ」を演じることが決定している。旧『ファンタス・フォー』シリーズでは,後に「キャップテン・アメリカ」を演じるクリス・エヴァンスが演じていたスーパーヒーローであり,全身炎となって飛行する。ちなみに,上記アカシウス将軍役のP・パスカルは,この新シリーズで,チームリーダーの「ミスター・ファンタスティック」を演じることになっている。ゲタ帝に虐げられ叛乱を起こそうとした将軍が今度はリーダー役であるから,皮肉なキャスティングである。
【衣装&甲冑,ロケ地と美術セット】
歴史大作らしく衣装,甲冑,刀剣類のデザインはしっかりしている。前述の1950〜60年代の大作はもっと華美であったという気もするが,そういう映画バブル期と比べても意味はない。前作と比べると,アカシウス将軍の戦闘服に描かれた模様(写真5)には威厳があり,権力を得た後のマクリヌスの衣装(写真6)は成金趣味の金ピカという風に,細かな気配りを感じた。画像がないので掲載できないが,マクリヌスの豪邸は見応え十分である。豪邸セットは約1,000平方米(約300坪)の広さがあり,空に向かって開かれた吹き抜け,中庭,プール,巨大な階段があり,手描きの人造大理石を1,000個以上使って描いたという。この豪華さも成金趣味だ。
前作成功後の続編であるだけに,最も時間も製作費もかけたと感じたのは,最重要のコロセウムやその周辺の建造物を描くためにロケ地に設けたオープンセットである。ロケ地も前作と同様,アフリカのモロッコと地中海のマルタ島を利用している。冒頭のローマ軍のヌミディア包囲戦は,前作同様,モロッコのワルザザート市近郊で撮影され,前作や『キングダム・オブ・ヘブン』で使った大規模なセットが今も残っていたので,それを手直して使ったという。問題は砂漠の中にあるというこのセットを,どうやって海沿いに見せ,ローマ海軍のガレオン船が押し寄せて来るように見せるかである。後述のようなVFX処理を前提としていることは言うまでもない。
もっと大規模であったのは,本作の主役ともいうべきローマのコロセウムを中心としたオープンセットである。前作では,3層の建物の1部分のみを造り,上2層分はCGで描いたが,今回は円周の40%を3層で建造し,残る60%をCGで描く方式を採用している(写真7)。モロッコとは逆に海岸近くに作られていて,海は後で消去するというのが興味深い。コロセウム・セットは画像を見ると随分大きく見えるが,高さは古代ローマの本物の1/3らしい。よって,高さ,全体の大きさは完成映像ではCG的に拡大される。闘技場の外壁や内部の装飾も,VFX処理で補うことを前提とした素朴な造りである。それでもこれだけの広さと背景となる建造物があったゆえに,アクションシーンのリハーサルが円滑に進んだことは容易に想像できる(写真8)。
コロセウム周辺の建築物も,すべてをCGに頼るのでなく,将軍の凱旋シーン等を撮影するために,いくつかはセットを建てている(写真9)。これらの建物は写真7のコロセウム周辺にも映っている。
剣闘士訓練を受けたルシアスのデビュー場所は,上記の大きなコロセウムではなく,ローマ郊外の村アンティウムにある小さな闘技場である。この小コロセウムは土台作りから始め,360度分の円形闘技場セットを造り上げている(写真10)。場所は不明だが,こちらはマルタ島ではなく,モロッコの砂漠の中かと思われる。写真11はエキストラの観客を入れての撮影前の準備風景である。
人物の演技はスタジオ内でのブルーバック撮影,背景はほぼすべてCG描写してVFX合成,という単純な方式でもコロセウムでの剣闘シーンを撮れないことはない。実際,『DUNE/デューン 砂の惑星』(21年9・10月号)の巨大な三角形の闘技場,『ワンダーウーマン 1984』(20年Web専用#6)のオリンピック・スタジアムでの出来事は,この方式で描いている。この両作の場合は,意図的に奇妙な形状を採用したゆえにCGに頼らざるを得なかったとも言えるが,その分,闘技場内での演技のスケールは限定されてしまう。R・スコット監督は,それを嫌い,写真8のようなリハーサルが出来るような撮影環境を選んだ訳である。これだけの広さがあるゆえに,4〜12台もの複数台カメラで同時撮影が可能となった訳である。
いくら本物重視の撮影を重視すると言っても,『エイリアン:ロムルス』でフェイスハガーやゼノモーフの実物大模型やアニマトロニクスを制作したのとは,スケールが違う。上記のような大型闘技場セットの導入ができたのは,前作『グラディエーター』の成功とその後のR・スコット監督の実績ゆえに許された贅沢な撮影方法なのである。
今年公開されたVFX大作の総製作費の一覧を以下に示す。本作への期待の大きさが,一目瞭然である。
(a) 『アクアマン/失われた王国』(1月号) $205 million
(b) 『DUNE/デューン 砂の惑星』(3月号) $190 million
(c) 『ゴジラ×コング 新たなる帝国』(4月号) $135–150 million
(d) 『猿の惑星/キングダム』(5月号) $160 million
(e) 『マッドマックス:フュリオサ』(同上) $168 million
(f) 『デッドプール&ウルヴァリン』(7月号) $200 million
(g) 『ツイスターズ』(8月号) $155 million
(h) 『フォールガイ』(同上) $125–150 million
(i) 『エイリアン:ロムルス』(9月号) $80 million
(j) 『シビル・ウォー アメリカ最後の日』(10月号) $50 million
(k) 本作『グラディエーターII 英雄を呼ぶ声』 $250 million
[参考:『ゴジラ-1.0』(23年11月号) $10–15 million]
【CG/VFXの見どころ】
自信のなせる術か,監督や製作陣の方針なのか,嬉しいことに重要なシーンのスチル画像が多数公開され,メイキング映像もYouTubeで公開されている。プロダクションノートでは制作過程も詳しく解説されていたので,以下ではその要点のみを述べる。
■ まずは冒頭のローマ軍のヌミディア侵攻からである。陸の上がってからの攻防は過去の遺産のセット内だけで可能としても,砂漠の中に作られた砦セットに押し寄せるローマ軍の船団を描くには,海を描き加えることは必須である。このシーンは全く見事に達成されていた(写真12)。海の他に,長く横に伸びた外壁もそのすぐ内側の区画もCG製と思われる。火玉や火矢も大半はCG描写だが,船からの発射を撮影する必要があった場合は,安全を考えて,実物の火矢をセットまで届かない距離に止めたという。人が乗船できる実物ガレオン船は2隻しか作らなかったので,残りの船も船上の人もCG製である(写真13)。実物の船2隻は全輪駆動の遠隔操作式プラットフォームに乗せ,砂漠の砂の上で操縦して揺れながら海上を進むように見せている。それでも,本当の海の上で撮影するよりも効率的だったのだろう。
■ アンティウムの小さな闘技場でルシアスが戦う相手は,人間ではなく,獰猛なヒヒであった(写真14)。体重40kgの肉食動物のヒヒ12匹と戦って,生き残った者だけが正規の剣闘士になれるというプロテストなのである。映画の日本語字幕では「サル」になっていたが,どう見ても顔は「ヒヒ (baboon)」であり,監督のインタビューでもそうなっている。もっとも,ヒヒは霊長目オナガザル科の哺乳類であり,「サル」には違いないが…。身体には毛はなく,犬のようにも見えた。これはモデルにした本物のヒヒ一匹が脱毛症であったので,異様な動物に見せるため,そのままCGモデルのテクスチャにしたそうである。撮影時には,12人の黒衣のスタントマンに松葉杖を使って演技させ,それを後処理でCGに置き換えている。
■ 本命のローマの大きなコロセウムは,さすがと言える出来映えだった。当然,前作のコロセウム(写真15)と同じ構造であるが,IMAX大画面での投影に堪えるだけの高精細映像として描かれている。上空からの俯瞰映像は,闘技場セットをドローン撮影し,CGで加工しているが,かなり大きく見える(写真16)。ルシアスの入場場面は,意図的に前作のマキシマスのそれと似せている。その背景のコロシアムの観客席は,写真8で見た仮説セットよりも遥かに雄大である(写真17)。確かに,高さは約3倍になっている。
■ 前作のマキシマスは虎と戦ったが,2000年当時はまだCGで生きている虎にように描く技術はなかったので,本物の虎の映像との合成やトリック撮影である(写真18)。さすがに10数年後の『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』(13年2月号)では,CGで本物そっくりに精巧に描けるようになっていた。だからと言って,ルシアスにも虎と戦わせることはせず,本作では「サイ」を登場させている(写真19)。当然,今回はCG製のサイが克明に描けているが,遠隔操作で頭を振り,目鼻も動かせ,本物そっくりの皮膚を被せた機械式のサイも制作し,コロシアム内を移動させたという。完成映像の一部として,カメラを引いたシーンでこの機械式のサイを残しているかも知れない。
■ 本作での最大のスペクタクルは,コロシアム内の底面を水浸しにし,その中で海戦を行うシーンである(写真20)。水中には多数の人食いイタチザメが待ち受けているので,戦いに敗れて水中に落ちると落命必至という残虐な趣向の見せ物である。人食い鮫は無理でも,水中がイルカやシャチであれば,水族館やテーマパークのアトラクションにすれば人気が出そうだ。単なる映画の中での趣向かと思ったら,コロセウムを水浸しにすることはローマ時代に実際に行われていて,水を引き込むための水道橋まで造られていたそうだ。ローマ人は余興好きであり,コロセウムは水上ショー観賞の施設でもあったようだ。本作のコロセウム内の水は基本的にCG描画であるが,ご丁寧にも水を注入する場面も登場する(写真21)。海戦用の船は,CGと実物の船との併用である(写真22)。後者を使ったシーンの撮影のため,浅瀬のプールを別途用意し,底に平らな船を浮かべて撮影している。このシーンの背景のコロセウムは,当然CG映像である。完全に水中のシーンはもっと深いプールでの通常の撮影に鮫を描き加えている。
■ その他のVFXの出番としては,アカシウス将軍が凱旋し,宮殿で皇帝に謁見するシーンがある(写真23)。写真9のオープンセットが使われ,VFX加工されている。コロセウム周辺やさらにカメラを引いた視点からのローマの景観も素晴らしい(写真24)。前作から四半世紀の間のCG/VFX技術の進歩を感じる光景である。もう1ヶ所,郊外からローマ市街地に入る場所にある凱旋門を描いた場面も印象的だ(写真25)。門の上部をCGで置き換えているので,ローマでない欧州のどこかに実在する門を撮影して加工したのかも知れない。この門のために現地で出向いて撮影するのなら,いっそフルCGでも十分じゃないかと思うのだが…。本作のCG/VFXの大半はILMが処理し,FramestoreとSSVFXがほんの一部を担当している。老舗ILM担当作品は見事に駄作揃いで同情すると何度も書いたが,ようやくドラマもまともな映画を担当でき,喜ばしいことだ。少なくとも本作の担当CGアーティストたちは,ほぼ同時進行の『ヴェノム:ザ・ラストダンス』(今月号)の担当でなく,やり甲斐を感じたことだろう。
【総合評価】
多数の画像を使って解説したように,本作のCG/VFXは大満足であり,ほぼ満点である。(現時点では)来年春のアカデミー賞視覚候補賞の最有力候補と思われる。映画全体に対しても賞賛の声が多く,本年度ベスト1と評価する記事も見受けられた。
それは知りながら,かなり迷った末に,当欄の総合評価をとせず,1ランク低くした。個人的には十分楽しんだし,オーソドックスな史劇で続編としては満足できる出来映えだと思うのだが,余りにも前作をなぞり過ぎであり,新しさを感じなかったからである。古典的な歴史スペクタクル映画の伝統を継承するという目的ならこれで十分で,興行的にも成功するだろう。ただし,映画企画としては安全策過ぎる。同じR・スコット監督の作品なら,『ブラックホーク・ダウン』(02年3月号)や『プロメテウス』(12年9月号)には挑戦心が感じられ,映画制作技法としても斬新であった。本作の場合。個々のVFXシーンの実現での新しい試みは感じたが,映画全体の印象が古くさいのである。
既にネット配信の定額料金で,良質の映画が手軽に見られる時代になっている。間違いなく,劇場用映画に求めるものが変わりつつある。通常料金よりも高額なのに,最近IMAX観賞する人がかなり増えていると感じる。大画面,大音量適しているかという点では,本作はそれに値する作品だと思う。ただし,『DUNE/デューン 砂の惑星』の方がより適している。あるいは,若者なら,もっと外連味たっぷりでエンタメに徹したトム・クルーズ作品,『トップガン マーヴェリック』(22年5・6月号)や『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE』(23年7月号)こそ,IMAXで観たい映画に選ぶと思う。
映像フォーマットだけが適していても,それでは1960年代と同じだ。内容的には復古的過ぎて,すぐに飽きられるか,最初から敬遠される可能性も高い。映画人のトップランナーであるならば,映画新時代を感じさせる作品を生み出して欲しいのだが,86歳の老匠にそれを求めるのは酷かも知れない。後日,この映画が市場でどう受け止められるのか,若年層,中年層,高齢者はどんな評価を下すのかを見ることを楽しみにしている。
()