O plus E VFX映画時評 2024年10月号
(注:本映画時評の評点は,上から,,,の順で,その中間にをつけています)
早くから楽しみにしていた映画だ。今年4月の米国公開前からである。当映画評のメイン欄の候補作を予め探しておくのに,かつては専門誌Cinefexが付帯サービスで公表していたWebページ「Upcomming Effects Films」を頼りにしていた。ところが,コロナ禍で同誌が廃刊になってしまい,そのページもなくなった。困っていたところに,新たに「Upcoming VFX Movies」なるサイトが登場した。その月別カレンダーには,製作中のVFX多用作の題名が公開予定日欄に書かれている。題名からポップアップするウィンドウには,監督名,主演級俳優名,VFX主担当,副担当が書かれている程度で,映画の内容までは分からない。そのカレンダーで,4/26の欄に『Civil War』なる題名があり,監督はアレックス・ガーランド,VFX担当がFramestoreであることを知り,大いに期待した。同監督のデビュー作『エクス・マキナ』(16年4月号)はオスカー受賞作であり,彼の新作なら間違いなくメイン欄で紹介するに値すると感じたからである。
それでも少し不思議に思ったことがある。「Civil War」は,「内戦,内乱」を意味していて,米国ではかつての「南北戦争」(1861-1865)を指す言葉として使われている。一方,ガーランド監督は,上記の後は『アナイアレイション -全滅領域-』(18) 『MEN 同じ顔の男たち』(22年11・12月号)を生み出したが,3作ともSFスリラーであった。宇宙空間やエイリアンが登場するSFではなく,近未来が舞台の奇妙な現象を描いた映画が得意なのである。その監督が160年前の国内戦争,言わば米国にとっての時代劇を撮るというのが意外だった。その時代をリアルに描くのに,CG/VFXを多用していたとしても不思議ではなかったが…。
当初予定より少し早い4/12に公開され,北米の興行収入は2週連続1位であった。話題作を連発するA24の製作・配給で,A24史上最大の製作費だという。ようやく,中身も伝わって来た。南北戦争映画ではなく,近未来を描いていて,大統領の独裁政治に反発して内戦が勃発し,カリフォルニア州(以下,CA)とテキサス州(以下,TX)が同盟を結び,政府軍と戦う映画らしい。なるほど,近未来にある得る恐怖を描くのならガーランド監督の守備範囲だ。まだ高齢のバイデン大統領が民主党候補であったが,大統領選挙の年の予備選挙中にそういう映画を公開する商業センスにも感心した。ただし,新興企業や知識人が集まるCAは典型的な民主党支持の州であり,一方のTXは頑迷で保守的な南部の州で,ガチガチのトランプ地盤ではないか。いつも敵対している2州の同盟が前提では,大統領選のシミュレーションにならないし,説得力のある近未来予測ではない。それでは恐怖も感じないのではないかと……。
しばらくして国内公開が10月と決まり,邦題には副題もついた。その中の「最後」の言葉を見て,はたと気がついた。CAとTXの同盟というのは,それまで犬猿の仲だった薩摩藩と長州藩の薩長連合のようなものではないか。それが幕府軍と戦うのなら,これは米国版戊辰戦争であり,「徳川幕府最後の日」として辻褄は合う。ジャーナリスト視点の映画だというので,江戸時代の瓦版屋が徳川将軍への取材を目指して,江戸城に向かう道中映画ということになる訳だ。この対立構図を近未来の米国に適用したと考えれば良い……と勝手に解釈して,本作を観るのを楽しみにした訳である(笑)。
【本作の概要と感想】
現職大統領の独裁政治が原因で,既に米国では19もの州が連邦政府から離脱していた。彼は憲法をねじ曲げて3期目まで居座り,FBIも解体していた。米国内の分断はますます加速し,テキサス・カリフォルニアの同盟からなる西部勢力(Western Forces, WF)と政府軍が全国で武力衝突を繰り広げている。WFにフロリダ連合も加担し,その主戦力はワシントンD.C.から200kmの地点まで迫り,もはや首都の陥落は時間の問題と見られていた。
そんな中,NYにいた戦場カメラマンのリー・スミス(キルステン・ダンスト)とロイター記者のジョエル(ヴァグネル・モウラ)は,14ヶ月も記者会見に応じない大統領への単独インタビューに挑む計画を立てる。危険な行動であるが,ジャーナリストとしての功名心と義務感からの発案であった。リーは2人の恩師である老記者のサミー(スティーヴン・ヘンダーソン)に同行を求める。一旦は固辞したサミーだったが,リーの身を案じて,しぶしぶ承諾する。ただし,NYからD.C.への直行は不可能で,かなり大回りし,ピッツバーグやウェストバージニアを経由して北上する。通常は約360km,車で3.5時間の距離だが,それを1,394kmも走って到達するルートしか選択の余地はなかった。いざ車で出発しようとすると,NYでの爆撃を逃れる際にリーが助けた新米カメラマンのジェシー・カレン(ケイリー・スピーニー)がジョエルを説得して乗り込んで来た。かくして4人は,WFの前線基地があるシャーロッツビル(バージニア州)へと向かう(写真1)。
高速道路は封鎖され,寸断された州道を辿るロードムービーである。道中では,内戦で無政府状態となり,荒れ果てた地方都市の様子や地元民の意識等が描かれていた。政府軍の捕虜を処刑する民兵,所属不明の狙撃兵間の銃撃戦に遭遇するが,中でも衝撃だったのは非戦闘員の死体遺棄現場だった(写真2)。戦争とはいえ,かくも簡単に人を殺すのかと感じてしまう。中国人記者2人が処刑され,4人にも危険が迫るが,サミーの機転で現場から脱出する。その際に被弾したサミーは,まもなく落命する。
WF前線基地に到着した3人は,旧知の従軍記者から,D.C.に残る政府軍は僅かで,まもなく最後の総攻撃が始まると知らされる。WFの首都急襲部隊への同行を許された3人は,リンカーン記念館での攻防を目の当たりにした後,遂にホワイトハウスの中へ侵入する……。
想像以上に素晴らしい戦闘映画,ジャーナリストの視点で描いた社会派映画であった。銃撃戦の迫力,とりわけ大音量が凄まじい。リアリティは満点だ。軍事関係者を顧問に据え,綿密な撮影計画を立てたのだろうが,従軍経験のない監督が描く戦闘に,現場にいたこともない観客がリアリティを感じるのは,一体どういうことかと思ってしまった。これが映画の魅力なのだろう。
名のある戦場カメラマンのリーの指導を受け,ジェシーが日に日に成長して行く姿が,この映画の基調となっている(写真3)。リーやサミーがジェシーにかける言葉には深みがあった。ガーランド監督のジャーナリスト魂に対する思い入れが感じられた。ジェシーが古いフィルムカメラを使っていたことも,その表われの1つかと思われる。とはいえ,銃弾飛び交う中,ここまで決死の取材活動を敢行する必要があるのかと驚いた。その部分に関しては,リアリティを通り越し,非現実的にすら思えた。それでも,最終的に彼らが得たものは,まさに報道価値があると納得してしまった。
「アメリカ最後の日」と言っても,核攻撃の応酬や地球外生命体の襲撃で合衆国全土が灰燼に帰す訳ではない。何をもって「最後」と解釈するかは,観客に委ねられている。筆者は,もはやこの分断と分極を収集できるリーダーは存在せず,かつての米国の栄光が戻って来ることはないという意味だと解釈した。3期目大統領の専制というだけで,その政治的背景の説明はなかった。WF内の組織への言及もなく,明確なリーダーがいる気配もなかった。即ち,西郷隆盛も大久保利通も木戸孝允もいない状態での討幕であり,維新後の青写真を描く指導者が不在と感じられた。
ガーランド監督は英国人であるゆえ,岡目八目の中立的な立場での米国への警鐘と思われたが,反トランプを表明しているので,そうではないのかも知れない。トランプが当選したら,3期目までやりかねないと感じさせる。大統領選で民主党に破れた場合は,今度は議会乱入を唆すだけでは済まず,トランプ支持の諸州を連邦政府から脱退させ,右寄りの米軍幹部を掌握してホワイトハウスに攻め込ませることも有り得るなと思わせてしまう映画であった。
【監督の演出と主要人物のキャスティング】
アレックス・ガーランド監督がメガホンをとった映画は上述の3本で,これがまだ4本目だが,それ以前に作家・脚本家として多数の映画に関わっていた。まず作家としての処女作が,ダニー・ボイル監督,レオナルド・ディカプリオ主演の『ザ・ビーチ』(00)の原作として採用された。続いて,同監督の『28日後…』(02)『サンシャイン 2057』(07年5月号)の脚本を担当し,『28週間後…』(07)では監督総指揮に加わっている。さらに他監督の『わたしを離さないで』(11年4月号)『ジャッジ・ドレッド』(13年2月号)の脚本で,脚本家としての名を高めた。いずれも近未来社会の憂欝やディストピア社会を描いているが,『サンシャイン 2057』だけは人類滅亡の危機の地球から太陽に向かう宇宙飛行士が登場していた。
本作は演出以前に,脚本としての出来の良さ,緻密さが感じられた。各俳優からはその脚本に見合う演技を引き出していたが,撮影,音響を含めた作品全体のバランスの良さが際立っていた。A24史上最大の製作費というが,総計は$50millionに過ぎない。『ザ・クリエイター/創造者』(23年10月号)の記事中でまとめておいたが,ハリウッド大作の相場に比べれば,さしたる額ではない。ちなみに,ダニー・ボイル監督のシリーズ3作目で,A・ガーランド脚本の『28年後…』(仮称)は来年公開予定で,その製作費予定額は$75millionであるから,それよりもかなり下だ。それでも,A24にとっては高額,低予算映画ばかりに甘んじてきたガーランド監督には画期的な金額である。本作は,その製作費に見合ったスケールの撮影・編集を経た大作に仕上がっていた。この金額でどんなCG/VFXを実現できたかは後述する。
キャストの先頭にクレジットされ,主演扱いなのは,先輩カメラマン,リー・スミス役のK・ダンストである(写真4)。子役時代からの多数の映画に出演していて,大人になってからは,トビー・マグワイア主演の『スパイダーマン』3部作(02, 04, 07)のヒロイン,メリー・ジェーン役の印象が強かった。その頃はさしたる演技力に見えなかったが,前作『パワー・オブ・ザ・ドッグ』(22年Web専用#1)の子連れ未亡人役では見事な演技を見せ,アカデミー賞,GG賞の助演女優賞にノミネートされた。本作でも好演は続き,いい中年女優になったなと感じられた。
本作の役柄は,名前からして,20世紀を代表する女性報道写真家リー・ミラーをイメージしていると思われる。若い未熟なジェシーを指導する姿が印象的であったので,今後の賞獲りレースでは,主演女優賞よりも助演女優賞扱いの方が成功確率は高いと思われる。
若いカメラマンのジェシーを演じるC・スピイニーは,3〜4番目にしか名前が出てこない記事が多いが,W主演と言える存在だ(写真5)。いや,印象としては事実上の主演と言ってもいい。今年は既に『プリシラ』(24年4月号)『エイリアン:ロムルス』(24年9月号)の主演があり,いま最も輝いている女優である。今更紹介の必要はないだろう。公開順が逆になったが,撮影は『…ロムルス』よりも本作の方が先である。個人的には,エイリアンと戦う女性レインよりも,先輩達に頼りながらも成長して行く本作のジェシーの方が好感がもてた。いや,筆者だけでなく,世の男性観客の大半は,誰に何と言われようと,こうした小柄で可憐な女性が大好きなはずだ(笑)。
男性記者ジョエル役のW・モウラは,『セルジオ: 世界を救うために戦った男』(20年Web専用#2)の主人公のセルジオを演じていた男優である。イラクへのテロ攻撃で落命した「国連人権高等弁務官」で魅力的な人物であったことは覚えているが,俳優が誰であったかは全く覚えていなかった。出演歴を調べると,『エリジウム』(13年10月号)『トラッシュ! -この街が輝く日まで-』(15年1月号)『グレイマン』(22年Web専用#5)にも出演していたようだが,典型的な助演らしく,記憶に残っていない。本作も同様で,写真1では運転席にいるのだが,女性主体の映画なので,「4人の中にいた男性記者」程度の記憶しか残らない。要するに,誰が演じても大差がない役柄だ。
その一方,途中で落命するサミー役のS・ヘンダーソンは,極めて記憶に残りやすいベテラン男優だ(写真1の助手席)。出演作はそう多くないのだが,当欄では『ペントハウス』(12年2月号)『ものすごくうるさくて,ありえないほど近い』(同号)『リンカーン』(13年5月号)『レディ・バード』(18年5・6月号)『ボーはおそれている』(24年1月号)『デューン 砂の惑星』シリーズ2本の計7本に登場している。体形と顔立ちが個性的なため,そこにいるだけで識別できてしまう。そんな中でも,本作のサミーはしっかり劇中の役割まで記憶に残る存在であった。彼の存在が,本作の取材チーム4人組を引き立てていた。好いキャスティングだと思う。
その他で言及すべきは大統領役だろうが,この大統領には名前がついていない。演じているのはニック・オファーマンで,数え切れないほど多くの映画に出演している助演男優である。顔写真で見るとそこそこ威厳のある偉丈夫であるが,名前がないだけあって,大統領としての存在感がなく,あまり独裁者には見えなかった。もっとトランプ風の個性ある悪役面の俳優にすべきだったと思う。
もう1人,クレジットされていないカメオ出演だが,飛び切り存在感がある出演者がいた。赤いサングラスをかけて,とんでもない言葉を発する兵士である(写真6)。既に色々な記事で話題になっている。演じていたのは,ジェシー・プレモンス。上述の『パワー・オブ・ザ・ドッグ』や『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』(23年10月号)でも個性的な人物を演じていたが,先月の『憐れみの3章』(24年9月号)ではそれを上回る印象的な演技を3回も見せて(正確には,見せつけて)くれた。本作での登場は1シーンだけだが,この場面にK・ダンストの実の配偶者である彼を配したのは,何か監督の特別な意図があったのだろうか? それとも,台本になく,現場で思い浮かんだ役だったので,急ぎ手配できる身内の中から選んだのだろうか? [注:予定していた俳優が急に降板したので,監督から相談を受けたダンストが,急ぎロケ地(アトランタ)の近くで子守りをしていた夫を呼び寄せたそうだ。エンドロールにクレジットされてないのも納得できる。]
【美術セットとCG/VFXの見どころ】
本作の製作費は約$50millionで,VFX大作としては低額だということは既に述べた。では,CG/VFXは少量で低レベルなのであろうか? そんなことはない。随所で効果的に使われていて,映画のスケールアップや製作費のコストダウンに寄与している。エイリアン,恐竜,ロボット,宇宙船などは登場しないので,観客がデジタルVFXの産物と気付かないだけで,ほぼすべてInvisible VFXの範疇である。最新,最高レベルの技術ではないが,むしろ安心して使える古典的で安定した技法が多く,処理結果はIMAX上映にも耐える描画品質に仕上がっていた。
CG/VFXの利用方針としては,『M:Iシリーズ』や先月論じたばかりの,『エイリアン:ロムルス』『ビートルジュース ビートルジュース』(24年9月号)と真逆である。即ち,監督の思い入れや広報宣伝材料として,実物主義を吹聴する作品とは対極にあり,CG/VFXで実現した方が容易かつ安価で済む場合は,積極的にそうしている訳である。例えば,実際の対象都市まで出かけず,近くにあるロケ地で済ませて,CGやデジタルマット画を重畳して加工したり,大きなスタジオ内での大道具,CG,古典的なブルーバック合成を巧みに使い分けている。
以下,具体的な例を挙げて解説する。
■ 道中で,内戦により荒廃した町や建物を何度も見かけるが,その大半はデジタル加工による産物だ。道路上に捨てられた廃車はその典型である(写真7)。手前の数台以外はCGと思われる(あるいは全部CG?)。そりゃそうだ。実物の壊れた車を撮影現場の道路上に多数持って行くには手間もコストもかかり,撮影後に撤去するのも容易ではない。同じように,建物やショッピングモールも正常な状態を撮影し,デジタル処理で劣化させたり,いくつか廃材を置いて,荒廃したように見せかけている(写真8)。閉鎖されたゴルフ場は,草を描き加えてそれらしく見せている(写真9)。森林の火災もCGによる産物である(写真10)。
■ ヘリは,小型機の数台はおそらく実機で,大型機は実物かCGかは不明だ。空からの撮影では,逆に地上部分にCGで描き加えている場合もある(写真11)。戦闘機は常識的に考えて,すべてCG描画だろう(写真12)。軍から借用してくる方が大変だ。それらしい音を聴かせれば,大抵は本物に感じてしまう。ジェシーが地上で撮影していたヘリは,美術班が作った実物大の張りぼてと思われる(写真13)。戦車もしかりで,重い戦車の実物をスタジオ内で動かす訳には行かず,キャタピラー付きで戦車らしく見える軽い車輌を動かしておいて,完成画像ではVFX加工で本物らしく見せているのだと思われる。
■ シャーロッツビルやD.C.の市街地は,様々な技法を使い分けている。現地撮影で景観を多数撮影してあることは確実だが,爆発や戦闘がある部分は,スタジオ内か近くの適当な町(アトランタやロンドン)で撮影し,遠景はデジタルマット画で置き換えている(写真14)。小規模な爆発やそれに伴う煙は,映画技法で使い慣れているが,近隣に影響を与える場合は,今やCGで済ませることも当たり前になっている(写真15)。
■ ワシントンD.C.への急襲部隊による総攻撃は,かなり手の込んだVFXが駆使されている。リンカーン記念館からホワイトハウスに至る市街地は,通り毎に綿密なCGモデルを作っておいた上で,スタジオ内撮影した映像と組み合わせている(写真16)。リンカーン記念館の空撮部分は本物で,地上攻撃部分はCGのようだ(写真17)。一方,ホワイトハウスの外観は,実物より少し小さめのセットを組んでいる(写真18)。ホワイトハウス周辺に政府側が設けたバリケード壁は,スタジオ内に作った上で(写真19),完成映像では VFX加工している(写真20)。本作のCG/VFX担当はFramestore 1社が担当している。英国の有力スタジオの1つである同社にとっては,新人か中堅社員の肩慣らし程度で片づく仕事だったと思われる。
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