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O plus E 2021年Webページ専用記事#5
 
その他の作品の短評
  (注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています。)  
 
   『THE GUILTY/ギルティ』:隔月刊の本誌の短評欄では,可能な限り先々公開の作品までカバーしている。よって,その谷間となるWeb専用ページでは当然作品数は少なくなるので,長めの記事を書いているのだが,本号はかなり本数が多い。まずは,10月1日から独占配信されているNetflixの劇映画から語ろう。2018年に公開された同名映画のハリウッド・リメイク作である。この作品のプロットを気に入り,リメイク権を得て自ら製作・主演したのは,お馴染みのジェイク・ギレンホールだ。監督には,『エンド・オブ・ホワイトハウス』(13年6月号)『イコライザー』シリーズのアントワーン・フークアが起用されている。当欄には何度も登場するアクション・サスペンス得意の監督で,『荒野の七人』(60)をリメイクした『マグニフィセント・セブン』(17年2月号)のメガホンもとっていた。ジェイク・ギレンホールとは,『サウスポー』(15)でタッグを経験済みである。筆者はデンマーク製の前作を未見であったので,まずAmazon Primeで観られる同作でしっかり予習することにした。キャッチコピーは「犯人は,音の中に,潜んでいる」だった。警察の緊急通報司令室(日本の110番)のオペレータ(警察官)が,誘拐されたという女性の通報を受け,電話通話と司令室の端末操作だけで事件を解決しようと奔走する物語である。なるほど,設定が飛び切りユニークだ。テンポもよく,たっぷりサスペンスを味わえる上に,意外な真実が待ち受けている。当時の公式サイトには「リメイク権を巡って,争奪戦が起るだろう」と書かれている。さて,そのリメイク権を得た本作は,事件の場所と登場人物名が米国流に変更されているだけで,前半は基本骨格だけでなく,構図もセリフもほぼそっくりに再現されていた。主人公は,何か不祥事を起こして係争中の敏腕刑事で,その判決が確定するまで,電話番に回されている。一方,女性を誘拐したのは逮捕歴がある元夫で,自宅にいる子供にも危険が及ぶ可能性がある……。じゃんけん後出しだけあって,中盤以降,少し物語は膨らみ,主人公の性格描写も増している。前作と本作,いずれを好むかは,正に観客の好みによって分かれるだろう。筆者は,前作の冷静で知的な主人公の方が好ましく感じた。本作の主人公は,感情的で精神的に追いつめられた人物であり,J・ギレンホールに思い入れがある分,演技過剰だと思えた。これは両作を連続で観たゆえの印象で,本作だけを観る観客には,十分楽しめるサスペンス映画に仕上がっていると思う。
 『最後の決闘裁判』:夫の旧友に強姦されたという妻の訴えに対して,裁判官が判決を下さず,原告の夫と被告が決闘する。真実を知る神の加護で勝利した方が,栄光を手にするという決闘裁判である。驚くべき理屈であるが,実話だという。一体いつの時代なのかと思えば,14世紀後半のフランスでの出来事で,中世のキリスト教社会ならありそうな話だ。さすがに,これを最後に公式の決闘は禁止されたらしい。2004 年に出版された「決闘裁判 世界を変えた法廷スキャダル」が原作とのことだが,脚本担当を知ってワクワクした。何とオスカーを得た『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』(97)以来24年ぶりに,マット・デイモンとベン・アフレックのコンビで共同執筆し,2人がともに重要な役柄で出演するという。となれば,2人の決闘を期待したが,さすがにそれはなかった。主役の原告側の騎士ジャン・ド・カルージュをM・デイモンが演じるが,対戦相手の被告ジャック・ル・グリにはアダム・トライバーが配されている。『SWシリーズEP7〜9』で悪役カイロ・レンを演じていたので,相手にとって不足はない。B・アフレックは被告側に肩入れする伯爵役で,原告の妻マルグリットには『フリー・ガイ』(21年Web専用#4)でヒロインを演じたジョディ・カマーが抜擢されている。となれば,B・アフレックが監督かと思ったのだが,何と,メガホンをとるのは巨匠リドリー・スコットだった。重厚な史劇を描くのに,これ以上の人選はない。映画ファンにとって,この監督・脚本の組み合わせは最高の愉しみだ。強姦事件は,夫,被告,妻の順で,三者三様の視点から語られる。所謂「薮の中」の演出である。当然,決闘場面は終盤のクライマックスとして描かれるが,前半から中盤にかけての百年戦争の模様や,王や貴族たちの振舞い,人間関係の描写も興味深い。中世の野戦の描写,城の外観や邸内の装飾,衣装・甲冑・刀剣等々,何をとっても格調が高い。さすが,リドリー・スコットだ。美術,衣装部門でオスカーの有力候補だろう。一見,男性中心の物語のようでいて,J・カマー演じる妻マルグリットの存在感が際立っていた。上記の2人に加えて,ニコール・ホロフセナーなる女性脚本家がマルグリットのパートを担当し,J・カマーも自分の意見を述べたという。古風な女性でなく,しっかり自分の価値観と主張をもった現代風の女性に描かれている。その一方で,M・デイモンとB・アフレックが演じる騎士カルージュと伯爵ピエールは,いずれも身勝手でプライドだけが高い下司だ。自ら演じる役をこんな風に貶めた脚本にできるのは,大スターゆえの余裕だろうか。
 『CUBE 一度入ったら,最後』:本作もリメイク作品だ。ヴィンチェンゾ・ナタリ監督の『キューブ』(97)は,着想の斬新さから話題を呼び,続編『キューブ2』(02),完結編『キューブ ゼロ』(04)が作られたが,本作は第1作の邦画リメイク作である。監督は,清水康彦。なぜ松竹が20数年後に日本人俳優を起用してリメイクするのか不思議だったが,V・ナタリ監督公認の初のリメイク作で,ご本人がクリエイティブ・アドバイザとして参加しているとあっては,興味が湧かない訳がない。その期待もむなしく,無惨な映画だった。通常☆評価なら,記事を書かずに済ますのだが,豪華キャストを起用しながら余りに惜しいと感じたので,敢えて酷評を掲載する。原作と同様,全く理由不明で,謎の立方体形状の迷宮(=CUBE)に閉じ込められた男女6人の脱出劇を描いたサイコスリラーである。菅田将暉,杏,岡田将生,田代輝,斎藤工,吉田鋼太郎の6人で,原作は女性2人だったが,本作では1人しか入れていない。上下左右も同じ大きさの立方体の部屋で,その間の通路はあるが,これが延々と続く。各部屋にセンサがあり,様々なトラップが仕組まれていて,落命の危険性がある。この予備知識がなくても平気だが(むしろない方がいいが),さっぱり面白くなく,延々と続くCUBE内でのドラマに退屈する。原作は人種,年齢にバラエティがあり,ルックスもかなり違うが,本作ではその差が小さい。原作に比べて,各部屋の寸法はやや大きく,広々感がある。トラップも少し高級になっている。擬似シチュエーションドラマなので,鍵は人物描写とストーリーテリングなのに,原作にあったホラー性,サバイバル,脱出ものの面白さが希薄で,口論もつまらない。これじゃ,じゃんけん後出しで,何で勝負しているのかが全く分からない。とにかく,退屈な映画だった。
 『そして,バトンは渡された』: 通常,若いカップルの青春恋愛映画は観ない。とりわけ,高校生の男女のキラキラムービーは避けて通る。それでも試写を観る時は,自分への言い訳も考えていて,読者諸兄にも理由を述べるようにしている。本作の場合は,①原作が本屋大賞受賞作だと物語の骨格がしっかりして,ハズレは少ない,②『地獄の花園』(21年5・6月号)ですっかり永野芽郁がお気に入りになり,彼女の主演作というので観る気になった,である。その永野芽郁が演じるのは義理の父・森宮(田中圭)と暮す女子高生の優子で,別途,次々と伴侶を乗り換える魔性の女・梨花(石原さとみ)と義理の娘・みぃたんの物語が並行して展開する。チラシに「ネタバレがあるので裏面は鑑賞後に」とあったので,そのつもりで観たら,仕掛けはすぐ分かった。梨花の末路も容易に想像できた。それでも,さすが本屋大賞受賞作だけのことはあり,しっかり物語の展開を楽しめる。中年以上の男性なら,ずっと優子を見守る気分で観てしまうはずだ。自分なら3人の父親の誰がいいか,どの役をやりたいか,真剣に考えながら観てしまった。永野芽郁は堂々たる主演で,愛らしかったが,美形度においては石原さとみの方が数段上だ。同窓会シーンでの美しさは格別で,男なら誰でも誘惑されるだろう。かく左様に,若者も中年も楽しめるヒューマンドラマだが,欠点は悪い人が全く登場しないのと,終盤が少し長過ぎることだろうか。もう少しテンポよく進め,尺を短くして,余韻を残す方がいいと感じた(贅沢か?)。
 『スウィート・シング』:同じく家族ものだが,インディペンデント系の洋画で,女房に逃げられた飲んだくれの父と姉弟の物語だ。姉ビリーは15歳,弟ニコは11歳だが,酒乱の父との貧しく荒んだ生活は不幸そのもので,もの悲しい。観ているのも辛いが,こういう映画の結末は明るく希望に満ちていると期待するしかない。ある日,父アダム(ウィル・パットン)が強制入院させられてしまい,身寄りのない姉弟は家を出て母イヴ(カリン・パーソンズ)を訪ねるが,新しい粗暴なパートナーの家庭からは邪険に扱われてしまう。姉弟は近くに住む少年マリクと知り合い,3人での逃避行のロードムービーが始まる。金持ちの留守宅に侵入して,食べ物を漁ったり,居間で勝手放題に過したり,物語の展開にハラハラしてしまう。監督・脚本は,『イン・ザ・スープ』(92)で知られるアレクサンダー・ロックウェルで,米国インディーズ界の象徴的存在だ。16ミリフィルムで撮影したモノクロ映像が鮮烈で,時折挿入されるカラー映像が一層まぶしく感じる。3人が廃線の線路上を歩くシーンは,誰もが『スタンド・バイ・ミー』(86)を思い出すはずだ。演出も音楽も素晴らしいが,姉弟の呼吸が絶妙だと感じた。それもそのはず,演じているのは監督の実子のラナとニコで,父の映画での共演はこれが2度目だという。おまけに母イヴ役が監督の現在のパートナーとなれば,見事な家族愛映画になる訳だ。さて,期待した結末は……。第70回ベルリン国際映画祭ジェネレーション部門の最優秀作品賞受賞作だけのことはあると言っておこう。
 『リスペクト』:ソウルの女王アレサ・フランクリンの半生を描いた伝記映画だ。生前のアレサが指名したジェニファー・ハドソンが主演で,自ら劇中の全曲を歌唱している。『ドリームガールズ』(07年2月号)での彼女は太めだったので,アレサの若き日を演じるには似合わないと思っていたが,その後かなりスリムになっていて,これならアレサ役でも十分通用すると感じた。表題はアレサの代表曲の1つの曲名で,劇中でも流れていたが, J・ハドソンがアレサを深く敬愛していたことも込められているのだろう。伝記映画としてはあまり魅力がなく,よくある名声を得た大歌手の舞台裏の暴露,私生活での苦悩が描かれている。協会でのライブコンサートの記録映画『アメイジング・グレイス/アレサ・フランクリン』(21年5・6月号)を見る限り,理想的な父と娘の関係だと思えたのだが,実際には,父娘にこんな葛藤があったとは意外だった。登場人物のほぼすべてが黒人で,主要人物の数人以外は,皆同じような顔立ち,髪形で,見分けがつかない(これは人種差別ではなく,ほぼ全員が濃い髭面のアラブ人の場合も同様だ)。グラミー賞の実績から見る限り,凄い歌手のはずだが,それを支えたのは,ほとんどブラックパワーであり,これが米国の現実だということなのだろう。J・ハドソンの歌唱力は元々折り紙つきだったが,本作での歌唱は想像以上だった。圧巻は,最後に登場する1972 年の教会でのコンサートの「Amazing Grace」だ。上記ライブ記録での本人の歌唱に比べると,音質もカメラワークも格段に上だから,極上の出来映えだった。背景にキリスト像を配していたのも心憎い演出だ。それに続く,アレサ本人のライブ歌唱にも驚いた。晩年で,これだけのパフォーマンスができるとは凄い。映画は暗く,重苦しかったが,ラストのこの2曲だけで,すべてが吹っ飛んだ。音楽映画としては素晴らしい(別ページのサウンドトラック盤ガイドも参照されたい)。
 『ドーナツキング』:ここから先はすべて11月12日本邦公開の映画だ。コロナ禍で待機していた映画が緊急事態宣言の解除で一気に出て来たようで,次々と舞い込む試写案内を図に乗って観ていたら,こんなに溜まってしまった。本誌11・12月号では紹介が遅くなるので,(低評価の2本を除いて)残る10本をすべて紹介しておこう。まずは,カンボジア出身で,カリフォルニア州のドーナツ店経営で成功した男の物語である。劇映画ではなく,実録映像,イラスト画,インタビューで構成されるドキュメンタリー作品だ。前半20分は,難民としての入国までの出来事である。1975年のプノンペン陥落は,今夏のカブール陥落を思い出す。国民の反対の中,難民を積極的に米国に受入れたフォード大統領は偉かった。元々移民で成り立った国としての矜持を感じる。トランプやバイデンも見習うべきだ。市民の中にも多数の支援者や財政的援助があり,この映画は現在の米国民や各国の指導者に語りかけているように思えた。続いて,ドーナツ店を例にした米国の消費発展史が語られる。当時のベルボトム・ジーンズが懐かしい。1970年代後半から80年代,誰もがチャンスを掴んだ夢の時代を懐かしむ映像が続く。日本なら高度成長期の昭和に相当する。主人公の夫妻のラブストーリーも微笑ましいが,やがて夫がギャンブル中毒に陥り,破産,離婚,家庭崩壊とお決まりのコースを辿る。その後のドーナツ業界の様相,初代が築いた店を高等教育を受けた2代目が継がない等々,諸問題を織り込んで,素晴らしいドキュメンタリーに仕上がっていた。監督は中国系米国人のアリス・グーで,名匠リドリー・スコットが製作総指揮に名を連ねていた。
 『ボストン市庁舎』:もう1本,ドキュメンタリーを続けよう。巨匠フレデリック・ワイズマン監督の最新作だというので,早速オンライン試写を申し込んだ。過去に当欄で取り上げたのは,『パリ・オペラ座のすべて』(09年11月号)『クレイジーホース・パリ 夜の宝石たち』(12年8月号)『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』(19年5・6月号)の3本だ。長尺なのは覚悟していたが,視聴可能になって,たじろいでしまった。何と,274分もあるではないか。覚悟を決めて見始めたが,ボストン市行政の細々とした活動が綴られている。レッドソックスの祝賀パレードがあるかと思えば,障害者対策(図書館のスロープ等)委員会での真面目な議論,企業との温暖化対策,ゴミ回収,ホームレス対策,麻薬対策,動物保護センター,冬のシェルター,ネズミ駆除等々,とても書き切れない。報告書やWebページなら読む気にならないが,映像なら引き込まれて観てしまう。真面目に市職員が対処している様を観ると,ある種の感慨を覚える。参加する市民も真面目だ。何日かに分け,一部は早送りで,何ヶ所かは巻き戻して再度見ながら,全編を踏破した。映画館ではこうは行かないから,DVDかネット配信に適しているかと思う。全編を通して,映像が綺麗で,カメラアングル,録音もいい。例えば,道路舗装やフードバンクのバケツリレーのシーンだ。そこが広報ビデオと違う。さすがドキュメンタリーの大家だ。何度も登場する市長の存在感が抜群で,パレードには率先して参加し,障害者雇用センターのパーティでダンスを踊る。クライマックスは,2019年の市長の施政方針演説だ。シンプルだが心を打つ。市民に扉を開くことは,多民族国家,民主主義の基本姿勢で,監督はそこに国のあるべき姿を観たのだろう。「ボストン市庁舎は,トランプが体現するものの対極にあります」と語っている。本作は,米国では昨年秋の大統領選挙の前週に公開されたが,この監督は現バイデン政権をどう見ているのだろう?
 『アイス・ロード』:リーアム・ニーソン主演のアクション映画となると,元CIAエージェントやFBI捜査官を期待してしまうが,そうでなくても,まず外れはない。前作『ファイナル・プラン』(21年7・8月号)では,元軍人の銀行強盗だったが,本作では極寒地を走る大型トレーラーの運転手役である。カナダのマニトバ州での鉱山事故で,坑道内に生き埋めになった26人の救出機材を米国ノースダコタ州から運ぶ物語である。30トンもある18輪トラックが,冬期に凍結した湖上の氷の道(アイス・ロード)を走る。速く走ってもダメ,遅くてもダメという氷の道の特性が興味深い。生存の制限時間は30時間だが,坑道内でのサバイバル・サスペンスではなく,トラックの進行を妨害しようとする陰謀との戦いが主である。現地ロケを敢行したという極寒の地の風景がいい。横転したトラックを起こすシーンがあるが,本当にこんなことができるのかと驚いた。随所でCG/VFXが使われている。突っ込みどころはいくつもあり,物語としてのリアリティは高くないが,エンタメとしては上々の出来映えだ。
 『フォーリング 50年間の想い出』:認知症の父をもつ家族の物語だ。若い頃からの父との50年間を振り返る息子が主人公で,『ロード・オブ・ザ・リング』3部作,『グリーンブック』(19年Web専用#1)のヴィゴ・モーテンセンが演じ,自ら製作・監督・脚本も担当している。父母は離婚し,再婚した継母も早世し,自らは同性愛者で,養女をもらって育てているという複雑な人間関係の家族である。23〜43歳時の父親をスヴェリル・グドナソン,75歳の父親をランス・ヘンリクセンが演じているが,V・モーテンセンと顔立ちが似ているので,親子だと意識しやすい。元々そりが合わなかった父子の口論は凄まじく,それでいて認知症となった父への思いやりにはじんと来る。古風な父親はどこにでもいる爺さんだが,こういう認知症役は,演じる俳優にもかなりの演技力が要求される。全体としては,クリント・イーストウッドを彷彿とさせる監督&主演作品で,自ら作曲したピアノ音楽を使用するというのも,彼を意識している証拠だろう。ただし,美しい農場風景をバックにした曲は,ジョージ・ウィンストン調だった。絵柄としては,つばめの巣や同性愛パートナーのタトゥーが印象的だった。これが監督デビュー作で,長年暖めていたテーマを映画にしたのだろう。私小説の映画版という感じだが,数作描いている内に好い監督になりそうだ。
 『マリグナント 狂暴な悪夢』:ワーナー・ブラザース作品で,「死霊館ユニバース」のジェームズ・ワンが仕掛ける「新次元の恐怖」だそうだ。久々に自らメガホンをとり,原点に帰って新しい挑戦というので,まずはお手並み拝見と思って見始めた。主人公のマディソンを演じるのは『アナベル 死霊館の人形』(15年3月号)に起用されたアナベル・ウォーリス。本作にアナベル人形は登場せず,彼女の夢の中に登場した連続殺人事件が次々と現実世界で起こるようになる。悪夢が現実になるという,ある種の予知能力もののようだ。それ自体は定番パターンの1つだが,夢の部分のVFXを駆使したビジュアルが粋だった。なるほど,新感覚という気がする。ネタバレになるので書けないが,「ヤツは【一番近く】にいる。」のヒントから,殺人鬼の正体は想像がついた。ホラーというより,サイコサスペンスの範疇に入る。それだけじゃありきたりの凡作なので,一体どうする気かと思ったら,後半に登場するシーンに驚愕した。こんなのありか!? 主人公の養母や妹と一緒に観客一同も驚くはずである。ILMのCG描写あっての演出で,メイン欄で紹介したかったのだが,そのスチル画像を公開してくれる訳はないから,断念せざるを得なかった。色々張られていた伏線も辻褄が合って,それなりの結末を迎える。徹底したB級テイストの映画だが,このテイストが大好きなホラーファンは少なくないはずだ(筆者もその1人)。1作で終わらせることなく,シリーズ化して,この殺人鬼ガブリエルを再登場させることだろう。『ハロウィン』シリーズのブギーマン(マイケル)に匹敵する存在を目指していると思われる。いっそ,結構可愛かった妹シドニー役のマディー・ハッソンとイケメンのショウ刑事役のジョージ・ヤングも続投させ,『死霊館』シリーズのウォーレン夫妻のように育てて行くことを期待しておこう。
 『ファイター,北からの挑戦者』:韓国製のボクシング映画だが,ボクサーを目指す主人公が脱北者の女性というのが,この映画のすべてである。女性ボクサーの映画と言えば,『ミリオンダラー・ベイビー』(05年5月号)と『百円の恋』(14)を思い出す。いずれも秀作だが,主人公は屈折していて,一途な性格で,悲愴感を伴っていた。本作の主人公リ・ジナ(イム・ソンミ)もしかりで,無表情で少し暗いが,意志が強そうだ。北朝鮮を脱出し,辿り着いたソウルでの生活は楽ではなく,北に残して来た父親を呼び寄せる資金を稼ぐため,昼も夜も必死で働いている。韓国人が彼女を見る目は蔑視に近く,我々日本人には意外とも思える描写だった。やがて,ボクシングジムの館長に才能を見出され,プロのボクサーを目指す。トレーナーのテスとの間に芽生える恋心の描写には癒される。その半面,女性ボクサー内での陰湿な扱いや,家族を捨てて先に韓国に来ていた母親との確執が物語を盛り上げる。清楚だが,内面で静かに燃える挑戦心をもった主人公は,誰もが応援したくなる存在として描かれている。これまでの韓流映画とは違った視点から,韓国の別の一面を知ることができた。少し残念だったのは,想像したよりもボクシングの試合シーンが少なかったことだ。監督・脚本のユン・ジェホの名前を聞くのは初めてだが,ジムの館長役のオ・グァンロクが渋く,この映画を引き締めていた。
 『梅切らぬバカ』:ここからの残る4本は,いずれも邦画である。まずは,加賀まりこの主演作で,中年になった自閉症の息子の未来を案じる母親役で,この親子を取り巻く市民,地域社会の対応を描いたヒューマンドラマだ。彼女の主演作を観るのは何年ぶりだろうと思ったが,そもそも過去に主演作を観た覚えがない。若い頃は小悪魔的な魅力で売り出したお騒がせ女優だったが,映画の主演は『濡れた逢びき』(67)以来,54年ぶりだそうだ。高齢期に入り,こういう役柄で登場するのも感慨深い。題名は諺の「桜切る馬鹿,梅切らぬ馬鹿」に由来している。元来の意味では,梅は剪定すべき対象であるのに,本作では逆説的にそのまま切らずにおく生き方を推奨する形となっている。映画の中では実際に,主人公母子の家の庭から道路にはみ出す「梅の木」が登場する。障害者の息子役は塚地武雅で,難役を見事に演じていて,母子共に好演だった。障害児を扱った映画では,行政や社会の対応に憤りつつも,暗い映画が多く,観客側にもまともに論評することが憚られる風潮がある。一方,本作は笑いを誘うシーンも数多くあるかと思えば,きれい事で済まない問題も登場し,自分が当事者だった場合,どういう態度を取れるか,考えさせられる映画となっている。登場人物が優しい人ばかりでないのがリアルだ。全編でたったの77分で,もっと見たかったと感じた。監督・脚本は,和島香太郎。当欄で取り上げるのは初めてだが,素晴らしい脚本,素晴らしい演出だった。こういうテーマを取り上げる勇気に拍手だ。この監督の今後の作品に注目したい。
 『恋する寄生虫』:次なる映画では,一気に主人公の平均年齢が下がる。8歳で両親をなくした「極度の潔癖症」の青年と,母をなくした「他人の視線恐怖症」の少女の物語だ。2人とも脳内に虫がいて,それが人間の脳を食べて成長するという。三秋縋の同名小説の映画化作品で,題名通りのラブストーリーと寄生虫の共存となると,異色の青春ドラマであることは明らかだ。主演は林遣都と小松菜奈。筆者のお目当ては,とかく気になる女優・小松菜奈の存在と多くのシーンで登場するVFXの存在だった。『溺れるナイフ』(16年11月号)の頃の彼女の演技は稚拙極まりないと思ったが,『さよならくちびる』(19年5・6月号)『さくら』(20年Web専用#5)では,つっぱりタイプの女性役が似合うと感じて,気になり出した。本作の役は,その彼女の個性にぴったりの役柄だ。一方,脳内や食べ物等に出現する虫は勿論CG製で,チープだが結構楽しい。互いの病気のリハビリと称して,2人はデートを重ねるが,やがて恋心が芽生えて行くことは自明だ。虫の除去手術の後,果たして彼らの恋愛はどうなるのかが鍵だが、結末は観てのお愉しみとしておこう。かつては素直な好青年役一辺倒だった林遣都は,最近は癖のある人物も演じるようになったが,存在感は小松菜奈の方が断然上だ。監督は映像作家の柿本ケンサクで,助演は井浦新と石橋凌。ピアノ中心の音楽がいい。邦画にしては上出来の部類に入る。
 『信虎』:この映画の試写を観たのは大阪で,10月中旬のことだった。「虎は あきらめない」のキャッチコピーは,まだセ・リーグの優勝争いで一縷の望みを残していた「阪神タイガース」とタイアップしているのかとの声に,会場から笑いがこぼれていた。戦国時代の武将・武田信玄の父・信虎の晩年を描いた物語である。息子・信玄に甲斐から放逐され,駿河の今川氏に頼って身を寄せるところまでは,信玄を描いた大河ドラマや戦国劇でしばしば描かれている。武田信虎自身を主人公として描いた映画は,これが初めてのことだと思われる。息子の危篤の報を得て,足利将軍に仕えていた信虎は甲斐に戻ることを決意する。武田家の存続と自らの復権を目指して,80歳の信虎が孫の勝頼を凌ぐ知略を張り巡らす様は,現代の長老政治家も顔負けの行動力である。主演は,個性派俳優で,ほぼ同年齢の寺田農。見事なキャスティングだ。監督は『デスノート』シリーズの金子修介だが,黒澤明の『影武者』(80)をかなり意識していると感じられた。セリフは武田家の「甲陽軍鑑」に基づいて忠実に再現したという。衣装・メイクも本格的で,甲冑・旗・馬・髷等もかなり凝っている。その半面,低予算なのか,戦闘シーン,切腹シーンがお粗末だった。登場人物がかなり多く,字幕で人物名や背景解説が入っていたが,読むのが追いつかなかった。労作ではあるが,盛り上がりに欠け,長くて退屈する。後世の柳沢保明(吉保)が息子・伊織に語り聞かせる話として描かれているが,最後に伊織が「有難いお話だったが,長くて居眠りしてしまった」と告白する。試写室の我々も同じ思いだった。
 『SAYONARA AMERICA』:実に気持ちのいい音楽映画だった。ミュージシャンの細野晴臣がデビュー50周年を記念して,2019年5月にLA,6月にNYで行った単独公演の模様を収めたライブドキュメンタリーである。コロナ禍での閉塞感が漂う中なので,騒動の前年であったゆえに実現したコンサートの模様を伝えようと企画された映画である。2日間の公演のステージの模様だけでなく,本人の語りの他に,会場外で列をなす観客のコメントや,サポートメンバー,細野の長年の知人のインタビューが収められている。曲に関連する映画の一部も流れ,ドキュメンタリーとしての工夫もなされている。コンサートを見に来たファンの声は,細野晴臣の音楽をよく理解していると感じられた。はっぴいえんど,YMOの頃から彼の活動は知っていたが,こんなに海外にもファンが多かったとは思わなかった。さほど大きなホールではないが,会場の熱気,観衆の満足感が伝わって来る。軽やかに歌うブギウギ中心の選曲だが,いずれも拍手喝采だった。録音状態が良く,試写会場でもライブコンサートを生で見ている気分に浸れた。とりわけ,エレキギターとドラムの音が心地よい。細野晴臣は1947年生まれで,筆者と同年齢であることを後で知った。まだまだ老け込むことは許されないと,この映画から少し元気をもらった。    
 
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