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O plus E 2021年Webページ専用記事#4
 
 
ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党, 集結』
(ワーナー・ブラザース映画 )
      (C) 2021 Warner Bros. Ent.
TM & (C) DC Comics

  オフィシャルサイト[日本語][英語]    
  [8月13日より丸の内ピカデリー他全国ロードショー公開中]   2021年7月19日 大手広告試写室(大阪)
2021年8月14日 TOHOシネマズ二条(IMAX)
       
   
 
スペース・プレイヤーズ』

(ワーナー・ブラザース映画)

      (C) 2021 Warner Bros. Entertainment Inc.
 
  オフィシャルサイト[日本語][英語]    
  [8月27日より丸の内ピカデリー他全国ロードショー公開予定]   2021年7月27日 大手広告試写室(大阪)  
       
  (注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています。)  
   
  評価が大きく別れたこの2作で, 当欄の視点を再整理  
  久々に2作まとめて論じてみよう。ただし,映画ジャンルとしても,CG/VFXの意義でも,この2本には余り共通点はない。強いて言えば,共に当映画評のメイン欄で扱うべき今夏のVFX多用作であり,約1週間違いで同じ試写室で観た,同じ配給会社の2本である。ところが,表題欄の評点を見て頂ければ分かるように,評価が極端に分かれてしまった。
 そもそも,本誌7・8月号の締切に間に合わず,このWeb専用#4で扱わざるを得ないVFX大作が,既に6本もある(メイン欄では書き切れないので,2本は短評欄に回した)。その大半は全く面白くなく,凡作ばかりだと感じた。評点は,精一杯,CG/VFXの使い方で加点しているに過ぎない。この種の映画を多数観過ぎて,もはや楽しさを感じる感覚が麻痺してしまったのか,それとも公開延期となっていたハリウッド大作が駄作揃いだっただけなのか……。そんな中での最高点評価と最低点評価の2本は,どうしてこれだけの差が生まれたのか,当欄の評価はこれでいいのか,自問自答しながら,この2本を比べて論じたくなったのである。
 当映画評の原点は,1992年に始めた「コンピュータイメージフロンティア」なる先端技術解説シリーズである。50年か100年に一度と言える映像技術革命の様相を,同時代進行で俯瞰し,記録に残しておこうという試みであった。その中で,映画評は大型イベントのルポや書評と同等の扱いであり,SF映画でのCG利用を時々付録で解説していたに過ぎない。それを,1999年の夏に映画評を主体とした連載に切り替えた。映像制作におけるCG利用やディジタル合成は,最新映像技術の最もクリエイティブな利用法であり,他分野への波及効果も大きいと感じ,ここに集中しようと考えたからである。映像業界にとっても,撮影や上映のディジタル化は必然的な流れであり,映像制作担当者にとって,CG/VFXの利用は挑戦すべき大きな革新であった。
 そうした考えから,ディジタル技術で映画がどのように変わって行くかを見守ることにしたが,当初から,映画そのものの評価にCG/VFXの利用効果を加えた「総合評価」で評点を付けていた。映画としては平均レベルであっても,CG利用で斬新なビジュアルであれば,総合評価の点数が少し高くなっていた訳である。一方,途中から始めた「その他の作品の短評」では,(一観客の視点での)普通の評価点であることは言うまでもない。
 当初は,個別のシーンごとに,CG技術やVFX技法を分析・解説していたのだが,20年以上も経てば,CG/VFXのレベルは飛躍的に向上し,分量も増えて,もはや分析し切れなくなった。最近は,単に見どころと言えるVFXシーンを列挙し,同時代記録とするのがやっとであることは,ご存知の通りである。メジャー系の大作映画でCG/VFXの多用が常態化した以上,その利用度で評点の差はつけにくくなった。では一体,この2本のような大きな差は,どこから生じているのだろうか?
 本稿は,そうした自問自答での論評であるから,それを承知の上で,御用とお急ぎでない方はお付き合い願いたい。
 
 
  またかと思った悪党集結が, 驚くほどの大傑作  
  高い評価を与えた1作目は,スーパーヒーロー映画で一時代を築いたMCU(Marvel Cinematic Universe)に対抗すべく,DCコミックスが生み出したDCEU (DC Extended Universe)の最新作である。早いもので,もう10作目になるそうだ。一見して,バットマンもワンダーウーマンもいないが,「そうか,アンチヒーロー(敵役の悪漢)たちを集めた『スーサイド・スクワッド』(16年9月号)があったのだ」と思い出した。その続編らしい。同作でマーゴット・ロビー演じる女ピエロのハーレイ・クインの人気が抜群であったことから,彼女を一枚看板にした『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY 』(20年3・4月号)が作られた。本作でも彼女は堂々の主役扱いだから,ハーレイものとしてはこれが3作目ということになる(写真1)
 
 
 
 
 
写真1 主役は愛すべき我らのハーレイ・クイン
 
 
  前作では,減刑を条件に,10人の受刑者に極秘任務を遂行させる特殊部隊「スーサイド・スクワッド」を編成していた。今回も同じく減刑が見返りで14人を集めたというから,少しだけメンバーを入れ替え,せいぜい新顔5〜6人が加わったのかと想像した。ところが,何とハーレイ以外は全員入れ替わっていた(と思ったのだが,後で調べたら,「キャプテン・ブーメラン」だけが前作にも登場していたようだ)。本作の原題は『Suicide Squad 2』ではなく,『The Suicide Squad』(副題はなし)であるから,物語的に連続した続編ではなく,同じ趣旨の独立作品で,むしろこちらが本命と言いたげである。と言っても,特殊任務を命じる政府の女性高官アマンダ・ウォラー(ヴィオラ・デイヴィス),悪漢どもを率いる実行部隊のリーダーのリック・フラッグ大佐(ジョエル・キナマン)は前作と同じ役柄で登場し,フラッグ大佐とハーレイは旧知の間柄というから,前作の枠組みを踏襲していることは間違いない。その分,全くのリブート作品ではない。
 今回の任務は,南米の島国コルト・マルテーゼに上陸し,独裁国家が運営するヨトゥンヘイム研究所を破壊し,そこで進行中の秘密実験「スターフィッシュ計画」を阻止することである。この計画がなぜ世界平和を脅かすのか,ジャスティス・リーグを呼ばずに,なぜ悪党どもに頼るのかは,筆者には判然としなかった。それでも,この種の映画では理屈は追求せず,設定をそのまま受入れ,その後の展開を楽しむしかない。
 監督・脚本は,前作のデヴィッド・エアーでも,『ハーレイ・クインの…』のキャシー・ヤンでもなく,何とMCUの『アベンジャーズ』シリーズの最終2話の製作総指揮を務め,『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』』(14年9月号)『同:リミックス』(17年6月号)のメガホンを取ったジェームズ・ガンが起用された。同監督が『同 Vol.3』の監督を解雇されたと知ったワーナー&DC組が,急遽本作の監督に抜擢したらしい。慌てたディズニー&マーベル組も考え直し,上記3作目の監督に復帰させる再契約をしたという。即ち,J・ガン監督は,ライバルであるMCUとDCEUの両方の監督を務めるという売れっ子ぶりなのである。
 そうした降板・再登板の話題も興味をそそられるが,肝心の映画では,ハーレイ以外の13人は,余程のDCコミックスファンでない限り,知らない名前ばかりである。超能力や得意技も分からず,これは物語中で覚えるのが一苦労だなと感じた。せめて半分にしてくれよと思ったら,本当にそうなってしまった。島への上陸作戦の部隊は2つに分かれていて,フラッグ大佐率いる部隊は内部通報による裏切りで,アンチヒーロー達は次々と死んでしまい,大佐とハーレイだけが敵方に捕縛されてしまった。手足を取り外せるT.D.Kはユニークな存在で,折角名前を覚えたのに,すぐに死亡とはちょっと残念だった。
 残るもう一部隊は,ブラッドスポート(イドリス・エルバ)(写真2)が率いる5名の小部隊だ。こちらは全員無事で島に上陸し,その後の物語を主体的に牽引する。いずれ劣らぬ曲者揃いで,ピースメイカー(ジョン・シナ)は筋骨隆々たる射撃の名手だ。ラットキャッチャー2(ダニエラ・メルシオール)はネズミのセバスチャンを飼っている女性で,特殊機器を用いてネズミの大群をコントロールできる(写真3)。一方,水玉模様のスーツを着たポルカドットマン(デヴィッド・ダストマルチャン)は気弱な男性で,両腕からカラフルな水玉状の爆薬を発射することができる(写真4)。何と言ってもユニークなのはキング・シャークで,実験の失敗で生まれたサメと人間の混血であり,銃弾を跳ね返す硬い表皮をもっている。知能は高くないが,人肉が好物なので,上手く使えば,敵を捕食して倒す役に立つ(写真5)。およそ知性を感じない,能天気な声の出演は,あのシルベスター・スタローンとのことだ。
 
 
 
 
 
写真2 隊長のブラッドスポート(左)とサメ男のキング・シャーク(右)
 
 
 
 
 
写真3 ラットキャッチャー2とネズミのセバスチャン
 
 
 
 
 
写真4 カラフルな水玉を発射するポルカドットマン
 
 
 
 
 
写真5 食べることしか考えないサメ男は,使いようで強力な戦闘要員
 
 
  一気に数を減らして覚えやすくした上で,1人ずつの得意技を披露させ,生い立ちや悩みも語らせている。『アベンジャーズ』シリーズと同様,各登場人物に焦点を当てたパートを設け,感情移入させて,活躍を楽しませる手口を採用している。VFXを駆使したアクションと非アクションの会話シーンの緩急のつけ方も絶妙であった。前作と比べて,随所に配されたギャグも楽しく,見どころでは派手な挿入曲が気分を高揚させてくれる。その分,物語が分かりやすく,流れに沿って素直にこの娯楽大作を楽しめるという仕掛けである。
 映画の途中で,紛うことなくこれは☆☆☆に値する大傑作だと感じたのだが,とてもその魅力をすべて語り切れないので,(多少のネタバレを含むが)特に気に入ったシーンを列挙し,解説しておこう。
 ■ 「極悪党集団」と言いながら,ブラッドスポートは責任感がある立派なリーダーだし,ラットキャッチャー2,ポルカドットマンもとても悪人には見えない。それでも,大半は元々アンチヒーローらしく,敵の倒し方が残虐だ。銃弾で射殺するだけでなく,身体の一部が吹っ飛ぶシーンが頻出する。CG/VFXならではの描写だと言えるが,これでは「R15+指定」になるのも致し方ない。
 ■ ハーレイは,今やワンダーウーマンと並ぶDCEUの2枚看板らしく,ますます魅力的に描かれている。性格が相変わらずハチャメチャなのが,却って可愛く感じる。情を通じ合った直後に,目的のためには子供も殺すと言ったイケメン男性(誰であるかは見てのお愉しみに)を一撃で射殺するシーンは,面目躍如たる演出だ。捕縛され,拷問を受けた場所から脱出するアクションシーンも拍手喝采である。過去作品にない激しいアクションをこなし,大ジャンプする等,とてもM・ロビーの生身の演技と思えないから,スタント俳優やCG製のデジタルダブルを利用しているのだと想像できる。脱出劇の最中のハーレイの周りに大量の花を出現させたり,ボスキャラの体内でネズミたちと出会う癒しシーンを配したり,CG/VFXの使い方にも味がある(写真6)
 
 
 
 
 
 
 
写真6 (上)戦うハーレイを応援するかのように大量の花が舞う
(下)ボスキャラ体内でのハーレイとネズミたち
 
  ■ CGクリーチャーなど,今や本物そっくりにも個性的にも,自在にデザインできるが,ネズミのセバスチャンの挙動は上出来だった。一部本物のネズミも起用されたようだが,愛らしい仕草は勿論CGでの描写である。もっと愛くるしく感じたのが,獰猛なはずのキング・シャークだ。デカパン姿で飄々とした立ち居振る舞いは,これまでに見たこともないユニークな存在だ(写真7)。どう見てもCG製のフルボディだが,よたよた歩く姿は人間そのものだから,スタント俳優の歩く様をMoCapして描写しているに違いない。撮影時の集合写真(写真8)から分かるように,他の登場人物達が共に映り込むシーンでは,大きなフェイスガードと分厚いベストを着込んだ人物の挙動をCG製のサメ男に置き換えていたようだ。グッズ市場でも人気が出ることだろう。
 
 
 
 
 
写真7 こんな時にも,また何かを食べているキング・シャーク 
 
 
 
 
 
写真8 後でCG化されるサメ男は,撮影現場ではこんな姿(左から4人目)
 
 
   ■ 小道具類で出色だったのは,ブラッドスポートがラストバトルで手にする回転銃だ(写真9)。先端部が回転して,マシンガンのように連射できる。実物大模型も作られただろうが,まるで『トランスフォーマー』(07年8月号)のように素早くメカが組み上がる様や,先端部の高速回転は,CGでしか描けない代物と言える。露出し過ぎず,さりとて一瞬しか見せない訳でもなく,カッコいいなと感心するに足る長さで,見せ方も映像編集も巧みだと言える。
 
 
 
 
写真9 ブラッドスポートが素早く組み立てる回転銃がカッコいい
 
 
   ■ 使われているCG技術はさほど斬新ではないものの,VFXシーンはたっぷりとあり,クライマックス,ラストバトルの演出も素晴らしかった。まずその第1部と言える前半は,要塞のような研究施設ヨトゥンヘイムでの攻防だった。古い塔のような建物の中をブラッドスポートが落下するが,地上に辿り着くまでの過程が斬新だ。建物上部が倒壊する描写もVFXシーンとして平均以上の出来映えだった。後半は,この研究施設が生み出した「スターロ」なるボスキャラとのラストバトルである。Starfish=ヒトデ状の怪物で,赤と青の星条旗カラーであることに意味がある。この巨大ヒトデが体内から発する無数の小型ヒトデの存在で,色々な謎が解ける。ヒトデは造形的には単純で平易だが,スターロの動きが滑稽で,これも見事な演出だと感じた。この巨大ヒトデへの言及は特に禁止されている訳ではないが,全身が写ったスチル写真が公開されていないのが,少し残念だ(写真10)
 
 
 
 
 
写真10 巨大ヒトデのスターロは,全身の一部しか見えていないのが残念!
(C)2021 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved. TM & (C) DC Comics
 
 
   ■ アンチヒーロー達で「スーサイド・スクワッド」なる特殊部隊を編成するというのは,元々のコミック時代からのアイディアで,前作のオリジナルではない。前作はDCEUの中でも評価は低く,当映画評では「アンチヒーローの個性が光るが,VFXは既視感も」「肝心のCG/VFXだが,利用場面は多いものの,余り印象に残っていない」と論評していた。基本的枠組は同じで,ハーレイ以外のメンバーを一新した本作はと言えば,評価は全く真逆となった。即ち,CG/VFXはユニークで見応えがあり,印象に残るシーンの連続であった。そのCG/VFXの担当は,Framestore, Weta Digital, Trixter, Scanline VFXの4社体制で,多数社に分散発注をしていない。その一方で,プレビズは,Proof, Halon Entertainment, The Third Floorと,3社に担当させている。いかに事前デザインに力を入れ,しっかりと作り上げたかが伺い知れる。
 
  VFX視点での価値は認めつつも, 期待外れだった一作  
  さて,もう一方の低評価を下してしまった一作である。NBAバスケットボール選手のマイケル・ジョーダンとアニメキャラのバッグス・バニーが共演した『スペース・ジャム』(96)のリブート作品という位置づけだ。原題は『Space Jam: A New Legacy』であるのに,邦題は少し変えてしまったため,関係性のアピール力が少し弱まっている感じがした。25年も前の映画を知る若者は殆どいないだろうから,ワーナーの日本法人は新しい題にしたかったのだろうか?  前作の本邦公開は1997年4月で,まだ当映画評の連載を始める前であったから,当然紹介していない。その前作を少し振り返っておこう。宇宙人チームとバッグス・バニーと仲間たち(彼らは「ルーニー・テューンズ」と総称されている)のチームが戦うバスケットボールの試合に,バッグスがNBAを引退しプロ野球選手となっていたマイケル・ジョーダン(以下,MJと略す)を引っ張り出し,強力な助っ人とするというスポーツ・コメディ映画だった。MJがNBAのスーパースターであった事実を宇宙人は知らないという点がミソとなっている。この映画の公開時には,MJは既にNBAに復帰していて,シカゴ・ブルズの第2次黄金期の真っ只中であった。人気も最大級であり,宣伝効果も抜群であった訳である。
 映像的には,MJやバスケットボールの試合は実写であり,宇宙人やバッグスたちは古典的な2Dのカートゥーン・アニメの手法で描かれ,合成されていた。3D-CGは使われていない。既に実写とアニメの融合は『ロジャー・ラビット』(88)で実現済みであり,新規性はなかった。今年公開された『トムとジェリー』(21年3・4月号)もほぼ同じ手法であるが,同作で使われていたアニメキャラが実写の床に影を落としたり,実物の光沢表面に映り込むといったテクニックは,まだこの時代には存在しなかった。
 本作の実写の主演は,MJ以降のNBAの最高のスタープレーヤーと言われるレブロン・ジェームズ(以下,LJと略す)で,本名で物語の主人公を演じる。NBA現役プレイヤーも敵チームのメンバーで登場するようだ。バッグスをはじめ「ルーニー・テューンズ」の面々も再登場するが,本作では2Dカートゥーン描画だけでなく,3D-CGで描かれたキャラが仮想空間内に登場するシーンもたっぷりと描かれている。彼らに加えて,他のアニメのキャラ達もカメオ出演する,さらに,スーパーマン,バットマン,ジョーカー,キングコングにアイアンジャイアント,さらには『マトリックス』や『マッドマックス』の登場人物,『IT/イット “それ”が見えたら,終わり。』(17年11月号)のピエロ,ペニーワイズ等々までが登場するという。要するに,ワーナー・ブラザース映画の人気キャラ達が住むバーチャル・ワールドが舞台だという訳だ。どこで誰が登場するのかを探し当てるのが楽しみという仕掛けであることは容易に理解できた。
 物語の骨子は,LJは息子のドンがバーチャル空間に吸い込まれ,そこで息子を助けるために,LJは最強の殺し屋軍団とe-スポーツバトルを繰り広げるというものだ。息子ドンはLJの実子ではなく,物語の上での存在で,子役俳優のセドリック・ジョーが演じている。LJは息子を自分と同様のバスケ選手にしたがっているが,ドン自身はゲーム・クリエーターになりたがっているという父子関係である。2人がワーナー本社のサーバー室を訪れ,「ワーナー3000」なるAIサーバー内に取り込まれるという筋書きで物語は展開する。その部門の責任者で,本作の敵役アル・G・リズムを演じているのがドン・チードルというのに少し驚いた(写真11)。自社内のサーバー室が舞台の上に,その管理者(言わば,ワーナーの社員)が悪役で,しかも善人役が多いD・チードルを配しているという設定自体が,洒落か,お遊び感覚なのだろう。
 
 
 
 
 
写真11 LJ父子のお相手をするのは,WB社のサーバー室の管理責任者(右)
 
 
   本作の監督は,マルコム・D・リー。劇場公開映画の監督は11作目でヒット作もあるようだが,過去10作はいずれも本邦未公開作品ばかりなので,この名前を聞くのは初めてだ。NBAのスーパースターとアニメキャラの組み合わせという基本路線は踏襲し,最新のe-スポーツの世界に既視感のある人気キャラを大勢登場させようという企画は悪くないと感じた。本作の原題は当初『Space Jam 2』であったのに,最終的に副題「A New Legacy」が付いた。LJがMJに代わるレガシー的存在だというのか,それとも,この映画自体を歴史に残るレガシー的存在にしようという意気込みなのだろうか。予告編を観ても,CG/VFXの出番もたっぷりとありそうで,かなりの期待をもってマスコミ試写に臨んだ。
 ところが,どうにもこうにも,この映画の世界に没入できなかった。『ザ・スーサイド・スクワッド…』とは正反対で,何一つ面白く感じない。ここまで期待外れだったのは,単に筆者が勝手に期待し過ぎただけなのか,この監督の語り口が好みに合わないだけなのか,それとも誰が見てもエンタメとしては失敗作なのか……。その議論は後に回し,本作のCG/VFXの意義だけを解説しておこう。
 ■ サーバー内に吸い込まれたLJが,どうなるのかと思ったら,何とカートゥーン化されたキャラとして登場し,バッグス・バニー相手にドタバタ劇を演じる(写真12)。これじゃ,全くの昔のギャグアニメだ。バッグス達だけでなく,他作品のキャラ達も次々とカメオ出演する。このレベルで,スーパーマンやバットマンも登場した。即ち,DCコミックスのルックスのままでだ。実写のパートで,ヘンリー・カヴィル演じるスーパーマンやベン・アフレック演じるバットマンが登場する訳ではなかった。バットマン役には,懐かしいクリスチャン・ベールや,宣伝を兼ねて新バットマンのロバート・パティンソンもありかな,などと期待していたのだが,すべては勝手な思い込みであった。こんな古くさいアニメなら,いくらでも作ることはできる。一体いつまでこんなものを見せ続ける気か?
 
 
 
 
写真12 カートゥーン化されたLJの相棒は,お馴染みバッグス・バニー
 
 
   ■ と思っていたら,一転して,実写LJが3D-CGで描いたキャラ達と合成された仮想空間へと変わった(写真13)。バッグスや仲間たちもしっかり3D化されている。ここで,セールスポイントのe-スポーツの世界が始まるのだから,当然である。ただし,現在のe-スポーツはある種のビデオゲームだから,フルCGが普通あるのに対して,本作は大作映画レベルのCG/VFXを駆使している。その分,ビジュアルのクオリティが高いのは間違いない。では,ワーナー映画の歴代人気キャラ達はどこに誰がいたかと言えば,試合を見守る観客席に多数いたようだ。キングコングはただの巨大ゴリラだとして,『マトリックス』のエージェント・スミスや『IT…』のベニーワイズがどこにいたのか,どんなルックスだったのか,気がつかなかった。テンポが速く,試合の行方を熟視していると,観客席までゆっくり見ている余裕などなかった。
 
 
 
 
 
 
 
写真13 一転して,実写と3D-CGをVFX合成した立派なゲーム空間が登場する
 
   ■ 3D-CGで描かれた「ルーニー・テューンズ」の面々には全く違和感はなかった(写真14)。実写との相性は圧倒的に上だから,元のカートゥーン・アニメに拘る観客でない限り,こちらの方が受入れやすいとも言える。これなら,先の『トムとジェリー』もこの方法で作るべきだったと思う。終盤には,実写のLJと2Dのバックスたちの組み合わせでの合成シーンも登場する。サーバー内のバーチャル世界から抜け出した姿は,この組み合わせだということらしい。こうした3パターンを見比べると,圧倒的に3D-CGを使う第2パターンが優れていることが分かるかと思う。本作のCG/VFXの主担当はILMで,営業方針を変えたのか,最近この老舗スタジオはかなり多数の映画に関わっている。他には,Luma Pictures, Cinesite等が参加している。アニメパートには,Warner Animation Groupの他,Company 3 Animation,Tonic DNAの名前があった。
 
 
 
 
 
 
 
写真14 (上)3D-CG化されたバッグス・バニーはいい出来だ。
(下)彼らのチーム名は「Tunes Squad」。ナイキがスポンサーらしい。
(C) 2021 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved.
 
   ■ ワーナー映画で親しんだキャラを多数盛り込んでいる以上,パロディやオマージュは満載なのだろうが,筆者にはわずかしか読み取れなかった。ギャグも余り面白くない。唯一笑えたのは,前作のヒーローのMJがサプライズで再登場して来るかと思わせるシーンだ。いかにもそれらしいMCの紹介の後に登場したのは,俳優の「マイケル・B・ジョーダン」だった。というオチである。物語をじっくり味わう映画ではないが,LJの演技力はなかなかのものだと感じた。主役を張らせるだけのことはある。プロレスから映画界に転じたドウェイン・ジョンソンの成功に影響されているのかも知れない。ただし,正義の味方のヒーローではなく,パワフルな悪役の方が似合うと思う。「スーサイド・スクワッド」のメンバーを演じさせる手もありだ(笑)。  
 
  一般の評価を眺めてから, 改めて思う  
   さて,両作の紹介を終え,映画全体の評価として,なぜここまでの差を感じたのか,自問自答してみた。
 Q1: NBAに興味があり,「ルーニー・テューンズ」に思い入れがあれば,感激しないまでも,もっと楽しめたのではないか?
 A1: そうかも知れない。映画の宣伝文句では「地球の果てまで探しても,レブロン・ジェームズを知らない人間を見つけるのは至難の業だろう」とのことだが,実を言うと,名前を聞いたことがある程度だった。筆者のNBAへの興味は,MJの引退とともに消滅していたからである。バッグス・バニーが登場するアニメの番組名が『Looney Tunes』であったことも忘れていた。実は,日本では長い間「バックス・バニー」と誤記されていて,昔日本で放映されていたのは『バックス・バニー劇場』だった。「トムとジェリー」ほどの親しみは持っていないが,それでも,破天荒な鴨の「ダフィー・ダック」やお人好しの豚の「ポーキー・ピッグ」の姿を見たら,すぐに思い出した。LJの熱烈ファンや「ルーニー…」オタクには嬉しい映画だったかも知れないが,それでは想定観客層が狭過ぎる。
 Q2: では,DCコミックスのヴィランに親しんでいた訳でもないのに,なぜ『ザ・スーサイド…』の評価がこんなに高い? 他の夏の大作が駄作揃いだから,思わず高得点をつけただけではないか?
 A2: 確かに,他は凡作揃いだが,やはり『ザ・スーサイド…』はVFX的にも,エンタメとしての演出面でも,大傑作だと思う。1回の試写だけで済まさず,公開後に改めて映画館に足を運び,IMAX上映を観たが,細部を観れば観るほど見事な演出だと感じた。ハーレイ・クイン以外は,名前も知らないアンチヒーローばかりだったが,彼らに感情移入して観られたのは,明らかに監督の腕だ。前作が駄作で低評価だったことが,それを証明している。
 Q3: 単にアメコミは好き,若者が好きなゲームは嫌い,ということではないのか?
 A3: アメコミだって好きではないし,まともに読んだこともない。アメコミを「実写+CG/VFX」で映画化した作品群の出来映えを,当欄の視点で高評価しているだけだ。映画との相性は良く,視覚効果だけでなく,脚本・美術・編集にもハイレベルの人材を投入しているから見応えがあるのだろう。一方,ゲームベースの映画化作品は,娯楽作品としての骨格が違っているのを吸収できていないと感じる。ゲーマー達に阿るあまり,映画演出の基本方程式を守っていない作品が多いと感じる。その意味では,ワーナー映画の人気キャラを多数登場させておきながら,『スぺース・プレイヤーズ』は映画ファンの求めるストーリーテリングの満足水準を満たしていないと感じた。

 といったところが,自問自答である。過去に何度も書いたことだが,試写を観て,自分の評価を確定させるまで,他誌や他サイトの評点は見ないことにしている。映画祭での受賞や興行成績でのランクは,宣伝チラシや予告編でも目に入って来てしまうが,他人の評点を先に見ないのが自分に課した基本ルールである。カンヌやヴェネチアの受賞作などは,プロの(それも少し気取った)批評家の評価とは,見事に違うことが少なくない。
 本稿の大半を書き終えてから,ようやくIMDb,Rotten Tomatoes,metacritic等のスコアを見たのだが,少なからず驚いた。一般観客の評価もプロの評論家の評点も,本稿と見事なまでに符合していて,この2作には大差がついている! 当欄として,CG/VFXの視点から綿密に分析し,それぞれの前作や関連作品の評価まで考慮したのに,一般観客の素直な評価と殆ど同じとは……。改めて,筆者の映画全体の評価は,入場料を払って映画を観る一般観客の視点に過ぎないと感じた。
 CG/VFXの技術的進歩は既に飽和しつつあるので,後はその演出面での利用法にかかっている。となれば,脚本の良し悪し,監督の演出能力に左右されるのは自然の成り行きであり,VFX大作と言えど,普通の映画採点に近づいて来るのは何の不思議もない。
 自ら映像製作に携わって以来,大勢の制作者が関わった作品を酷評することを躊躇しがちで,低評価作品は掲載を見送ることが増えている。今回の2作は同じ配給会社ゆえ,評価の差を露骨に論じても許されるかと思い,敢えて両作とも掲載した次第である。
   
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