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O plus E誌 2021年3・4月号掲載
 
その他の作品の短評
  (注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています。)  
   
   『星の王子 ニューヨークへ行く 2』:前作はエディ・マーフィの絶頂期の1988年に作られた抱腹絶倒の大ヒット・コメディで,アフリカのザムンダ王国のアキーム皇太子が花嫁探しにNYに来る物語だった。何度も観たので,主要人物の顔も覚えている。その続編が30余年後に観られるとは思わなかった。既に国王となった彼に男児がなく,王位継承者に困っていたところに,NYに婚外子がいたという設定で始まる。前作の主要キャストの大半が再出演するのも,Amazon Prime配信で何度でも観られるのも嬉しい。E・マーフィと親友セミ役のアーセニオ・ホールが前作と同様,1人4役を演じ,NYの床屋を再訪したり,破天荒なブラウン牧師を再登場させてくれるサービスぶりだ。「前作を大切にし,同窓会的映画にした」と監督が語っている。今回はザムンダ国のシーンが中心で,当映画評の読者は,ILM制作のCG製の象やライオンも楽しめる。
 『ミナリ』:1980年代に母国を捨て,米国南部に渡った韓国人家族の物語である。ブラッド・ピットのPlan B製作の米国映画なのに,韓国語での会話が中心のため,ゴールデングローブ賞では外国語映画部門の扱いをされ,受賞した。黒人だけでなく,アジア系の移民も理不尽な扱いを受ける米国南部の描き方は嘆息せざるを得ない。当時だけでなく,現在もそれが続いていることへのプロテスト映画であるが,真摯な家族愛の物語でもある。農業での成功を夢見て突っ走る夫ジェイコブと,荒れた土地とボロボロのトレーラーハウスに戸惑いを隠せない妻モニカの間に亀裂が生じるが……。新天地に希望を見出す姉弟と破天荒で毒舌の祖母の描き方が上手い。監督・脚本は韓国系アメリカ人のリー・アイザック・チョン。小津作品のような穏やかさを感じたという海外評があったが,筆者は1970年代の山田洋次監督作品『家族』(70)『故郷』(72)を思い出した。
 『夜明け前のうた 消された沖縄の障害者』:こんなことが文明国の中で行われていたとは,証拠写真や生き証人の映像なしでは信じられない。かつて存在した精神障害者を隔離する「私宅監置」制度のことである。病院に入れて精神医学で治療するのでなく,私宅敷地内の狭い小屋の劣悪な環境に監禁し,動物並み,いや動物以下の扱いしかしなかった。表題の「夜明け前」とは戦前のことかと思ったら,終戦後も占領下の沖縄だけはこの制度が残存し,1972年の本土復帰まで続いたという。監督はTV局の報道記者,ディレクター出身の原義和。精神科医・岡庭武氏が記録した1960年代の写真とメモを頼りに,20数名の犠牲者の消息を追う。まさに執念だ。前半は観ているのが辛く,早く終わって欲しかった。終盤で「藤さん」という1人の女性のその後を知って,少し心が救われた。改めて社会福祉の大切さ,人権の尊さを知った。映像記録として構成も上手い。
 『ノマドランド』:上記『ミナリ』と並ぶアカデミー賞の有力候補作で,主演は『ファーゴ』(96)『スリー・ビルボード』(17)で2度主演女優賞に輝いたフランシス・マクドーマンド。その2作のようなドラマティックな劇映画とは,かなりタッチが違う。原作は「ノマド:漂流する高齢労働者たち」で,リーマンショックで家を失って,移動しながら車上生活する「現代の遊牧民」を描いた話題の書籍だ。彼らの中に入り込んで覆面調査した手法を,ほぼそのまま踏襲して映画化している。7ヶ月間の撮影の旅で得た多数のインタビューは,クロエ・ジャオ監督と主演女優が仕組んだ実録映像集である。実在のノマドを実名で登場させていて,どこまでが演技で,どこまでが実録かの区別がつかない。道中の自然を記録した映像もそれに加えた音楽も美しい。ヘビやワニのシーンも驚きだ。楽しい映画ではないが,このテーマでの映画を企画し,それを撮れる才能に感心した。
 『水を抱く女』:監督・脚本は『東ベルリンから来た女』(12)の名匠クリスティアン・ペッツォルトで,欧州各国に伝わる「水の精・ウンディーネ」神話を基にしたラブストーリーを作り上げた。本作の舞台もベルリンで,女性主人公の名前もウンディーネである。この精霊名は馴染みが薄いが,仏語発音の「オンディーヌ」の方が知名度は高く,アンデルセンの「人魚姫」はこの神話の変形だという。本作の主人公は,博物館のガイド役を務める歴史家で,その解説内容にも演じるパウラ・ベーアにも魅了される。恋人ヨハネスの心変わりに動揺し,悲嘆するウンディーネの前に心優しい潜水作業員クリストフ(フランツ・ロゴフスキ)が現れ,2人は激しい恋に落ちる。まるで,教養講座と恋愛映画の合体で,知識人の名匠が描いた文学的な香りがする「大人の童話」である。水の精が主役だけあって,水中撮影が何度か登場し,バックに流れるピアノの音が心に沁みた。
 『テスラ エジソンが恐れた天才』:19世紀生まれの天才的発明家ニコラ・テスラの伝記映画だが,こうした副題が付くのは,米国の電気自動車開発会社との混同を避けるためだろうか。丁度1年前に紹介した『エジソンズ・ゲーム』(20)は,彼の交流方式がエジソンとの「電流戦争」に勝利したことを描いていた。今度はその裏返しで,テスラが主人公の映画で,WH社や富豪のJ・P・モルガンも再登場する。語り部はテスラに恋心を抱いていたと言われる財閥令嬢のアン・モルガンで,彼女が紹介する偽の(仮定の)エピソードが面白い。電流戦争の後,絶頂期のテスラは地球規模の無線送電システムに挑むが,電波の減衰が激しく,実験は失敗に終わる。主演はイーサン・ホーク。老けて味が出てきて,渋い役,知的な役を演じられるようになった。本作では,天才ゆえの潔癖症,純粋で拘りのある性格を見事に表現していた。多数登場する当時の挿画や写真も見ものだ。
 『騙し絵の牙』:「罪の声」のミステリー作家・塩田武士が,主人公に大泉洋をイメージして書いたという同名小説が原作で,監督はその殆どを当欄で紹介している吉田大八。期待しない訳はない。コロナ禍とはいえ,1年以上も公開延期で待たせるのは配給会社の自信作のはずだが,それだけのことはある逸品のエンタメ大作だった。勿論,主演は大泉洋自身で,期待通り,個性丸出し,縦横無尽の活躍を見せてくれる。ヒロインは編集部員役の松岡茉優で,一段と可愛くなった。観客の誰もが惚れるはずだ。ファッション・モデル役の池田エライザも可愛い。この2人がいながら一切のラブラブ展開はなく,経営難の出版社が舞台の騙し騙され合戦である。助演陣も,佐藤浩市,國村隼,木村佳乃,リリー・フランキーと豪華だ。とりわけ,國村隼が長髪の作家役で登場するのには驚いた。ネタバレになるので書けないが,終盤のたたみかけは必見ものだと断言しておこう。
 『きまじめ楽隊のぼんやり戦争』:題名とスチル写真から,かなり個性的で奇妙な映画だと想像したが,異色ぶりはそれ以上だった。時代不祥で,場所は架空の町の津平町。川の向こう岸にある町と,目的不明のまま何十年も戦争している。それも毎日朝9時から夕方5時までの時間限定だ。日本だけでなく,世界中の国や組織の愚かな行為を皮肉っているようだ。監督・脚本・編集は国際的評価が高い池田暁。長編映画は4作目だが,劇場公開映画はこれが第1作とのことだ。各登場人物の挙動がとにかくユニークで,随所で笑いを誘う。セリフはあるのだが,いずれも意図的な棒読みだ。サイレント映画を彷彿とさせる。きっと舞台劇の方がもっと映えるに違いない。これがこの監督のスタイルらしい。主演は真面目な兵隊・露木役の前原滉。彼もこれが初主演作だ。助演陣の中では,石橋蓮司,片桐はいり,きたろう,嶋田久作が彼らの芸風にぴったりの役柄だった。
 『僕が跳びはねる理由』:前掲の『夜明け前のうた』と対をなすような良質のドキュメンタリーで,自閉症を正面から取り上げている。自閉症者の日本人・東田直樹が13歳の時に執筆したエッセイに感銘を受けたデイヴィッド・ミッチェル夫妻が同書を英訳し,その英訳を知ったプロデューサー2人が映画化を企画し,英国人監督ジェリー・ロスウェルが起用されている。いずれも,我が子や親族に自閉症者をもつ人々である。世界各国の5人の自閉症児の少年少女を通して,自閉症者が眺めているものが普通人とどのように違っているかを明らかにして行く。会話もできない重度障害者のコミュニケーション方法も克明に描いている。かくいう筆者も親族に(もう少し軽度の)発達障害者をもつが,この映画の「普通とは何か?」の問いに愕然とした。「障害者」「健常者」の言葉自体,多数派が彼らを差別,排除するためのものであることに気付かされた。
 『アンモナイトの目覚め』:『時の面影』(21年Web専用#1)は英国東部サットン・フーでの遺跡発掘の物語だったが,本作は英国南西部のライム・レジスが舞台で,時代もさらに約100年前の1840年代で,こちらは化石発掘がテーマだ。主人公の1人,古生物学者のメアリー・アニングは実績のある実在の人物だが,この物語は全くのフィクションのようだ。演技派女優のケイト・ウィンスレットとシアーシャ・ローナンの競演で,監督・脚本は初長編作『ゴッズ・オウン・カントリー』(17)が注目を集めたフランシス・リーだ。前作はLGBTの「G映画」であったから,今度は2大女優が演じる「L映画」であるとすぐ分かる。人間嫌いのメアリーが富豪の妻で鬱病のシャーロットのお相手を依頼され,高熱を発した彼女を看病したことから,2人は次第に惹かれ合う。その過程の描写が秀逸で,当初共に生気のない表情だった2人が,見違えるように美しくなる。
 『パーム・スプリングス』:題名は加州の砂漠の中にあるリゾート都市名で,昔トロイ・ドナヒュー主演の『恋のパーム・スプリングス』(63)なる娯楽映画があった。最近,前川清がその主題歌を懐メロとしてカバーしていたが,名前を聞くのは同作以来だ。本作はGG賞のコメディ部門にノミネートされていたタイムループもののラブコメディで,同じ1日を何度も繰り返すタイプのループである。このジャンルでは『恋はデジャ・ブ』(93)が代表作だが,最近では『ハッピー・デス・デイ』シリーズが面白かった。本作の主演は,お調子者ナイルズ(アンディ・サムバーグ)と家族内の問題児サラ(クリスティン・ミリオティ)で,特に美男美女でもないのだが,ふとしたことから同じ1日を共に繰り返す内に,次第に2人が惹かれ合うようになる。他作品よりもループの回数が多く,特段珍しい仕掛けはなかったが,コメディとしては結構楽しかった。
 『明日への地図を探して』:2月12日から配信されているAmazon Primeのオリジナル作品だが,公開日順に掲載する原則を崩してここに配置したのは,上記と同じく,同じ1日を繰り返すタイムワープ映画だからだ。永遠に続く平凡な日常の繰返しに飽きていた青年マーク(カイル・アレン)が,同じくループに嵌まっている若い女性マーガレット(キャスリン・ニュートン)を見つけ,恋に落ちる。マークの1日の定番行動パターンも,他の登場人物との関係も楽しく描かれている。BGMは軽快で,他の挿入曲の選曲も上々だ。上記の『パーム・スプリングス』の2人より年齢層が下で,シニカルな笑いや下ネタはなく,いかにも青春SF映画で,典型的なデートムービーだと言える。その一方で,3次元,4次元,奇跡について少し哲学的議論はあるが,科学的意味付けはなされていない。終盤は少し切なく,エンディングが素晴らしい。爽やかな,いい映画だ。
 『21ブリッジ』:遺作の『マ・レイニーのブラックボトム』(20)でのオスカー・ノミネートが確実視されているチャドウィック・ボーズマンだが,2作前に主演したクライムムービーである。NY市警の警官だった父親が殉職し,自らも同じ道に進んだマイケルは辣腕刑事だが,上層部や周囲とはソリが合わない。ある夜,薬物の盗み出しを請け負った2人組が駆けつけた警察官8名を殺害したことから,マイケルが事件の捜査を担当することになり,麻薬取締官の白人女性フランキー・バーンズ刑事(シエナ・ミラー)とタッグを組む。犯人の追跡を進める内,警察内部の協力者の存在に気付く…。主役の位置づけも相棒との組み合わせも,組織内部も腐敗も,定番中の定番だ。それだと黒幕も想像がつく。そうと分かっていても,会話のテンポも展開のスピーディさもすべてNY流で,ワクワクする。生身のチェイス,地下鉄内の犯人との対決シーンの演出は秀逸だ。
 『ザ・バッド・ガイズ』:主演は『悪人伝』(19)のマ・ドンソク。美男・美女俳優とその他の俳優の美醜が極端に違う韓国映画界だが,中でも飛び切りの悪人面で,この題名の映画にはぴったりだ。移送中の護送車が武装集団に襲撃され,凶悪犯たちが野に放たれる。当然その1人だと思ったら,彼は「特殊犯罪捜査課」に召集され,囚人たちを追う役だという。それじゃがっかりだと思ったら,そうではなかった。彼は「伝説の拳」と呼ばれた荒くれ男で,前職ヤクザ,量刑28年で服役中だが,減刑を条件に囚人確保に駆り出されたのだった。同じく召集されたのも,天才女詐欺師,過失致死罪で収監中の元刑事で,彼らが「バッド・ガイズ」だという。何だ,それなら元の予想通りで,「悪には悪」で対抗するクライムアクションだ。任務を進める内に,謎の組織の暗躍が浮かび上がる……。上記の『21ブリッジ』ほどのスマートさはないが,過激度では引けを取っていない。
 『椿の庭』:美しい映画だった。富司純子主演の純和風の花鳥風月映画である。葉山の海を見下ろす旧家が舞台で,ほぼワンシチュエーションドラマと言える。夫の四十九日法要を終えた老婦人・絹子は,孫娘の渚(沈恩敬)と一緒に暮らしている。庭には四季とともに美しい花が咲く。半世紀前に背中に緋牡丹を背負ったお竜さんが,今は「椿」を愛でている。十着以上を替える和服がよく似合う。背筋が美しい。さすが梨園の妻だ。ほぼ同年配の岩下志麻や吉永小百合でも,こうは行かない。庭だけでなく,屋内の和風小物も情緒豊かだ。クルマもTVも,他のあらゆる家電品も登場しない。勿論,PCもケータイもない。時代設定は現代だろうが,この風景は30年前でも通用する。結末は少し残酷で,現実世界に引き戻されてしまう。監督・脚本は,写真家の上田義彦。これが初監督作品で,自ら撮影・編集も担当している。カメラはほぼ固定で,少しチルトするだけだ。
 『ブックセラーズ』:本好きには堪らないドキュメンタリー映画だ。まずは,NYブックフェアの模様から始まり,その規模の大きさと,展示されている書籍の美しさに魅了される。本作は,古書販売の裏側を様々な角度から描いていて,20数名の業界人のインタビューが収録されている。希少本,初版本を巡るビジネスの実態や,ネット販売による書店経営への打撃,デジタルブックの出現による紙の書籍の行方に関する議論も交される。作家のフラン・レボウィッツがガイド役を務め、鑑定士,司書,コレクター等も登場するが,中心となるのは,表題通り,ブックディーラーと古書店主たちである。この業界に入った経緯は様々だが,本に関する愛情と情熱は共通だ。皆,知的で,謙虚で,経験豊かで,古今の書物に通じている。これまで,古書店では本そのものだけを眺めていたが,次回からは店主の様子も観察し,話しかけてみようという気になった。
 『るろうに剣心 最終章 The Final』:明治時代を舞台とした人気シリーズは,前作の『…伝説の最期編』(14年10月号)で完結だと思ったのに,さらに「最終章」2部作が製作された。なぜかこの「The Final」が先で,後から前日譚の「The Beginning」が公開となる。ともあれ,原作コミックを締め括る「人誅編」を描いているというので,大団円を期待した。冒頭から,まさに期待通りの充実度で,列車内のアクションシーンで魅了される。物語は,剣心のかつての妻・雪代巴の弟である武器商人・縁(新田真剣佑)の個人的恨みからの復讐譚である。基本骨格は単純だが,剣心に関わる人々を襲う攻撃が凄まじく,悪人ぶりが一級品だ。セットが豪華で,日本各地でのロケも充実していた。音楽も秀逸で,物語の緩急の付け方も申し分ない。何と言っても,佐藤健のはまり役ぶりが何ものにも変えがたく,壁を伝い,屋根の上を駆けるアクションも一段と進化していた。
 『くれなずめ』:監督は『アズミ・ハルコは行方不明』(16)の松居大悟で,成田凌,高良健吾らが演じる「6人」のアラサーの男たちの青春物語である。友人の結婚式で5年ぶりに集まった彼らが,披露宴での余興を準備するシーンから映画は始まる。2次会までの3時間を持て余す中で,12年前の高校時代に文化祭で同じ余興を演じた思い出や,9年前,6年前,2年前の出来事が交錯する。全くウケなかった下品な余興で,それを振り返る会話も他愛ない。これを延々と見ていると退屈するが,最後に2次会会場に向かう「5人」の姿を見て,もう一度最初から見直したくなる。それもそのはず,これは監督自身の体験談で,自ら描いたオリジナル舞台劇の映画化作品だった。当然,セリフは多く,練りに練った演出で,ヒントは予告編の中でも明かされていた。改めて眺めて,登場人物6人の描き分けに気付き,回想シーンのもつ意味もようやく理解できた。
 『ラブ・セカンド・サイト はじまりは初恋のおわりから』:前述の『明日への地図…』と比べたくなる一作だ。こちらはフランス製のSFラブストーリーで,タイムワープではなく,パラレルワールドものに属する。恋愛中のカップルよりも,結婚後10年以上の夫婦向きだ。高校時代に一目惚れで結婚した2人だったが,夫ラファエル(フランソワ・シビル)が人気SF作家として地位を気付いたのに対し,妻のオリヴィア(ジョセフィーヌ・ジャピ)は地味で小さなピアノ教室を運営するだけの日々だった。夫が妻を見下して大喧嘩した翌朝,彼は別世界に入り込んでいた。そこではラファエルは平凡な中学教師で,オリヴィアは人気絶頂のピアニストで,ラファエルのことも知らなかった……。主人公が再び彼女の心を惹こうとする行動がいじらしい。早婚のユーゴ・ジェラン監督が自らの結婚生活を見つめ直すために書いた脚本だけあって,セリフが真に迫っていた。
 『ファーザー』:公開は先なので次号掲載でも良かったのだが,アカデミー賞で6部門にノミネートされているので,早めに取り上げておく。注目の的は,認知症の父親役を演じる81歳の名優アンソニー・ホプキンスの演技だ。世界30ヶ国以上で上演された舞台劇「Le Père 父」が基であるが,原作者フロリアン・ゼレールは自らメガホンをとって映画化するに当たり,主役の名前も生年月日も,A・ホプキンスに合わせたという。ロンドンで独り暮らしの主人公は,娘のアン(オリヴィア・コールマン)が手配した介護人を追い出したが,アンからは新しい恋人とパリで暮らすと宣言され,途方に暮れる。ある朝,目が覚めると居間にはアンの夫と名乗る男がいて,ここは自分の自宅だと言う……。これは認知症映画なのか,それとも実はミステリー映画なのか,観客も幻惑されてしまう。最後にすべてが氷解するが,この映画ももう一度最初から観たくなる。
 
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