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O plus E 2022年Webページ専用記事#5
 
その他の作品の短評
  (注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています)  
 
   『サバカン SABAKAN』:この題名からは,何の映画か全く分からなかった。いや,言葉の意味すら分からなかった。「さばの味噌煮の缶詰め」のことだった。時代は1986年の夏,長崎を舞台とした小学5年生の少年2人が体験する冒険と友情の物語である。クレジットのトップはバツイチのライター・久田孝明役の草彅剛で,主演扱いだが,大人の彼の出番は少なく,物語の大半は彼の子供時代の回顧譚として語られる。夫婦喧嘩が絶えないが,愛情深い両親と弟と暮らす気弱な久田少年(番家一路)は,ふとしたことから,父親を亡くして家が貧しく,友達のいない粗野な少年・竹本健次(原田琥乃佑)と親しくなる。活動的な竹本少年に誘われ,思いがけない体験をする久田少年の日々は,瑞々しく,楽しく,新しい世界が拡がるが,ある悲しい事件で2人の関係は終わりを迎える……。一夏の想い出は青春映画の定番テーマの1つだが,1980年代の長崎という土地がいい。音楽も素朴で,この物語とマッチしている。久田の両親役に竹原ピストルと尾野真千子,竹本の母親役に貫地谷しほりというキャスティングが魅力的だ。他の助演陣の配し方も秀逸で,演出力も見事だった。監督・共同脚本は,金沢知樹。お笑い芸人出身だが,TVドラマや舞台劇の脚本・演出を手がけてきて,これが映画初監督作品とのことだ。次回作にも注目したい。『ミッドナイトスワン』(20年9・10月号)に続く愛の物語という触れ込みだが,主演が草彅剛,キノフィルムズ配給ということ以外,共通項はなかった。筆者には,この映画の方に圧倒的に共感を覚えた。ちなみに,「さば缶」は,竹本が久田を自宅に招いてもてなす際に,寿司ネタとして登場する。久しく食べた記憶がなかったが,この映画の後,思わずスーパーで「さば缶」を買ってしまった。
 『彼女のいない部屋』:不思議な映画だ。『ベルイマン島にて』(22年3・4月号)で女性映画監督を演じていたヴィッキー・クリープス主演のフランス映画だが,予めプレスシートを見ても,何がテーマなのか全く分からなかった。本国での公開時にも,「家出をした女性の物語,のようだ」という一文しかなかったという。それだけの事前知識で観てもいいが,頭が混乱するだけだろう。主人公クラリスを中心に,バラバラに登場するエピソードが,やがてピースが埋まるように繋がり,1つの物語を構成することくらいは知っておいた方がいい。『メメント』(01年10月号)のような短期記憶を失った主人公の「記憶を辿る謎とき」映画ではない。一見,順撮りでなく撮影した映像をそのまま流しただけのように思えるが,勿論,そうではない。それ以上のものを感じるのは,並べ方と編集の妙であり,音楽がそれに一役買う。恣意的にバラバラにした監督の意図を汲み取りながら,頭の中でピースを組み立て直す必要がある。ヒントとなるのは,主人公や家族の服装だ。監督・脚本はフランスの名優マチュー・アマルリックで,これが監督6作目だが,本作では映画中に登場しない。最後に一気に謎が解けるタイプの映画ではなく,主要登場人物の行く末は中盤で想像できる。むしろ,その理由とそこに至る過程を味わう映画だ。このやり方は,過去にもあったのだろうが, 本作が記憶に残る映画であることは間違いない。これは,監督の腕だろう。もう一度最初から見直したいかと言えば,答えは明らかにイエスだ。ただし,同じ手法は,もっと前向きな明るい内容の映画で見たかった気もする。
 『この子は邪悪』:題名だけで,何の映画なのか気になった。ヤンキー映画でも心霊映画でもなく,邦画で,交通事故で大きな傷を受けた家族の物語である。「ありえない」というキャッチコピーで,驚くべき結末というのが,一層興味をかき立てた。物語が始まると,ダークファンタジー&スリラー,サイコサスペンスだと分かる。冒頭から,前半1/3までだけで,よく練られた脚本だと感じる。窪家の家族4人の内,1人だけ身体は無事だったが,心に傷を負った女子高生の長女・花(南沙良)が主人公で,心身喪失状態の母親の原因を探る高校生・四井純(大西流星)がこの家族の物語に加わる。花の父親で心理療法医師の司朗を演じる玉木宏の存在感が突出している。『極主夫道 ザ・シネマ』(22年5・6月号)の笑いを誘う演技との落差も著しい。さすが,プロの俳優だ。監督・脚本は片岡翔で,これが監督3作目である。元は,映画企画の発掘コンテスト「TSUTAYA CREATORS’ PROGRAM FILM 2017」の準グランプリ受賞作『ザ・ドールハウス・ファミリー』であったが,4年間改稿を重ね,題名も『グッド・ファーザー』を経て,最終的に『この子は邪悪』になったという。「不穏な映画にしたい」が「やり過ぎない」という監督のバランス感覚が,見事に結実している。顔に大きな火傷を負った次女・月は終始仮面を被って登場するが,その複数の仮面のデザインにも配慮が行き届いている。最も不気味な白の仮面は,『犬神家の一族』(76)の犬神佐清へのオマージュらしいが,筆者は『呪怨』シリーズの少年・佐伯俊雄の白塗りの顔を思い出した。ストーリーテリングが巧みで,落としどころも見事だ。「予想外のストーリー,想定外のラスト,世にも奇妙な謎解きサスペンス」は誇大広告ではなかった。ネタバレとなるので詳細は書けないが,当欄ゆえのヒントだけ示しておきたい。催眠療法の患者の目が激しく∞の軌道を描くが,これは演技では無理で,目玉だけ描き込んだCG/VFXでの描写である。一方,メリーゴーランドの逆行は単なる映像の逆回しだが,2匹のウサギの挙動やラストシーンもCGの産物だと言っておこう。
 『地下室のヘンな穴』: 再び,不思議な感覚のフランス映画だ。ただし,上述の『彼女のいない…』のような物語進行の不思議さではなく,設定そのものが奇妙奇天烈なコメディである。題名からは,『マルコヴィッチの穴』(00年9月号)を思い出してしまうが,着想の奇妙さでは負けていない。ただし,穴の種類が違っていて,性格俳優ジョン・マルコヴィッチの頭の中に繋がる穴ではなく,空間移動と時間移動の両方を起こす「穴」である。2組の男女カップルが登場するが,まずは平凡な夫婦のアラン(アラン・シャバ)とマリー(レア・ドリュッケール)で,彼らは不動産業者の勧めで郊外のモダンな家に引っ越すが,その新居の地下室に問題の「穴」があった。穴の中の梯子を降りると,同じ家の天井裏から2階へと繋がっていた。この際に,時間軸が12時間未来に進行し,体験者は3日分若返る。夫アランは無関心だが,妻マリーがこの穴通過体験にハマってしまうことから,夫婦の生活が一変し,互いの欲望や衝動がぶつかり合うというのが,この物語のテーマだ。もう1組は,保険会社に勤務するアランの上司で親友のジェラール(ブノワ・マジメル)と恋人のジャンヌ(アナイス・ドゥムースティエ)だ。このジェラールが肉体改造の一部として導入した電子ペニスに呆れた。ブツそのものは登場しないが,その機能紹介に大笑いする。この電子ペニスが故障するが,その制御チップは日本でのみ交換可能というのも笑えた。一体,この物語はどうなるのか,何が起こるのかが興味津々で見守るが,結末は観てのお楽しみとしておこう。終盤は,ほぼ無言で物語が進行するが,事態の推移はそれで十分理解できる。監督はカンタン・デュピューで,個性的な作品作りが得意らしい。1つ不思議だったのは,この穴の梯子は降りるだけで,登ることには利用されていない。逆に辿れば,肉体的の3日分老いるが,12時間過去にタイムスリップできるはずだ。そういう使い方をしたら何が起こるのか,それで続編がもう1本作れるはずだ。
 『デリシュ!』:フランス映画が続く。時代はフランス革命前夜の18世紀後半で,美食映画でもある。豪華な食事を楽しむのは王族や貴族の特権であり,庶民にはまだ外食の習慣がなく,レストランという概念すらなかった時代のことである。宮廷料理人で,公爵の厨房の料理長であったマンスロン(グレゴリー・ガドゥボワ)は,自ら考案した創作料理「デリシュー」を貴族達から酷評され,シャンフォール公爵から解雇されるところから物語は始まる。息子とともに実家に戻った失意のマンスロンの家に,謎めいた女性ルイーズ(イザベル・カレ)が訪ねて来て,弟子にして料理を教えてくれと懇願する。まだ女性が厨房に入ることは許されておらず,一般家庭にはキッチンもダイニングルームもなかったらしい。やがて,彼ら3人は,一般人も利用できる世界最初のレストランを開店して成功し,公爵を見返すという痛快譚となっている。支配階級に叛旗を掲げる革命思想と同時に,「食の革命」や「自立志向のある女性の登場」も同時に描いた盛り沢山のエンターテインメント作品だ。実話ではないものの,この時代にそうした食文化の変化があったことは歴史的事実で,18世紀の料理もしっかりと調査し,2人の著名な料理人を監修者として起用しての映画化だという。冒頭の宮廷料理で40品もの料理が並ぶシーンは壮観だった。貴族の邸宅の内装,衣装も豪華で,その装飾だけでも語るに値する。その一方で,音楽も森の景観も美しい。秋の紅葉から雪化粧へ,そして春を迎える四季の描写が素晴らしい。これぞ映画の醍醐味,娯楽映画の潤いだ。監督・脚本はエリック・ベナールで,既に長編監督は7作目とのことだ。脚本家としての実績が豊富なだけあって,本作の結末も洒落ている。
 『ギャング・カルテット 世紀の怪盗アンサンブル』:今度はスウェーデン映画で,金庫破りのプロチームが伝説のダイヤを狙うという犯罪コメディである。同国で国民的人気を得た伝説のコメディ映画「イェンソン一味」シリーズを原作として,『ぼくのエリ 200歳の少女』(08)で世界的なブレークを果たしたトーマス・アルフレッドソンが監督・脚本を担当している。ゲイリー・オールドマン主演のスパイ映画『裏切りのサーカス』(12年4月号)でも注目を集めた実力派監督が,こうしたコメディを撮るのは少し意外だった。監督自身が子供の頃から親しんできたシリーズであったので,是非自らの手で新メンバーでの怪盗団をキャスティングし,現代風クライムコメディを演出したかったのだという。4人組怪盗団のリーダーのシッカン(ヘンリック・ドーシン)は華麗で芸術的な盗みを働く怪盗だが,ある仕事で失敗し,刑務所に収監される。次なる大仕事として,「フィンランドの王冠」を狙う準備を獄中で始めるが,彼の出所を待たずに,元の仲間達は既に足を洗ってしまっていた。止むなく,1人で計画を実行しようとするシッカンだったが,隣国フィンランドの運命を左右する陰謀が裏社会で進行しつつあることを知り,これを阻止しようと元の仲間達を集めるのに奔走する……。なるほど,怪盗団は個性的な面々で,そのチームワークも上々だ。夏至祭りの前夜,ラジオがアルヴェーン作曲の「夏至の徹夜祭」を流す13分37秒の間に超高層ビルの地下70mの保管庫を襲うという計画は,いかにも犯罪映画のクライマックスだ。基調はコメディタッチではあったが,会話やギャクはさほど面白く感じなかった。おそらく,人気シリーズのファンだけに通じるネタが多数盛り込まれていたのだろうが,我々日本人には通じない。スウェーデンやフィンランドにまつわる歴史的背景,逸品,風俗,音楽,食物等々の話題も満載のようだが,それも正確には理解できなかった。登場人物が多過ぎ,物語も少し複雑過ぎる。国際的に通用するには,もっとシンプルでサスペンス度を高めるべきだと感じた。ただし,そうした予備知識なしでも,美しい街並みやカラフルな夜景,北欧の素晴らしい自然景観は十分堪能できた。
 『グッバイ・クルエル・ワールド』:次は邦画の犯罪映画で,5人組の強盗団がヤクザの洗浄資金を強奪するところから物語は始まる。ただし,プロ集団でも知的でもなく,各人バラバラの訳あり連中で,西島秀俊,斎藤工,玉城ティナ,宮川大輔,三浦友和が演じている。ヤクザ側は,日頃から囲っている現役刑事を使って彼らを追う。笑いとはほど遠い,救いのない暴力映画だが,豪華キャストそれぞれの崩れぶりが注目ポイントだ。全員クズ連中だが,斎藤工のワルぶりが際立っていた。胡散臭さでは,堕落した刑事役の大森南朋が群を抜いている。暴力団幹部の鶴見辰吾と奥田瑛二は,まさに演じ慣れているハマリ役だ。音楽が個性的で,当初この映画に合わないと思ったが,銃撃シーンで納得した。若い2人と刑事のダンスシーンの音楽も様になっていた。監督・大森立嗣,脚本・高田亮は,『さよなら渓谷』(13)のコンビで,本作はオリジナル脚本だ。力作ではあるが,強いて欠点を挙げれば,主役の西島秀俊の起用だろうか。『ドライブ・マイ・カー』(21年7・8月号)で一躍世界に名を知られるようになった彼を看板に据えている。この男に観客の同情を集めようとする演出なのは分かるが,どう見てもワルには見えず,強盗団のリーダーは似合わない。喫茶店での銃撃シーンは壮快だったが,これだけの発砲で誰もかけつけない。ガソリンスタンドの爆発でも近隣の誰も騒がないのが,リアリティに欠けていると感じたが,エンタメとしては上々の出来映えだ。観て損はない。
 『人質 韓国トップスター誘拐事件』:犯罪映画が続くが,こちらは誘拐事件だ。題名通り,韓国の人気俳優ファン・ジョンミンが本人役の実名で登場する。主演の彼自身が誘拐され,身代金を要求されるが,持ち前の演技力で犯人たちを欺くという娯楽映画だ。韓流の典型的な美男俳優ではないので,日本での知名度は高くないが,ノワール,コメディ,時代劇,ミュージカルの何でもこなす演技派である。当欄で紹介した作品としては,『哭声/コクソン』(17年3月号)では怪しい祈祷師,『工作 黒金星(ブラック・ヴィーナス)と呼ばれた男』(19年7・8月号)では北に潜入する主人公の工作員,『ただ悪より救いたまえ』(21年11・12月号)では,実の娘の救出に向かう暗殺者の主人公を演じていた。現在,50代の前半で主役級の男優であるから,日本でなら,大沢たかお,福山雅治,上記の西島秀俊クラスに相当するのだろうか。誘拐犯は,本作も5人組で,女性が1人という構成だ。メンバーの1人がファン・ジョンミンの長年のファンであり,彼の演技と挑発に乗せられて仲間割れを起こすという設定がミソである。気になった存在は,誘拐犯のリーダーを演じるキム・ジェボ厶だった。無表情で冷徹なサイコ男の風貌は,いかにもいかにもで,日本で世間を騒がせた事件の犯人にいそうなタイプだ。筆者の知人の1人に似ている気もした。韓国映画を観る時,ついついよく似た日本の俳優との対応付けをしてしまう。今回は,この誘拐事件の主犯がそっくりなのは,実際にいた犯人なのか,知人の誰かなのか,それがずっと気になりながら,この物語の顛末を楽しんでしまった。
 『AKAI』:ここから邦画が3本続く。1本目の主人公は赤井英和。人懐っこい表情,関西弁丸出しで話す大柄な俳優で,バラエティ番組への出演も数多い。その彼が主人公と聞くと,若い世代の視聴者は,老助演男優が,ようやく映画の主役を射止めたのかと思うかも知れない。とんでもない。映画の主演作は1990年代から何本もあるのだが,1980年代前半に一世を風靡したプロボクサーであり,本作は彼の栄光と挫折を描いたドキュメンタリー映画である。筆者の世代は,「浪速のロッキー」の愛称で人気抜群だった当時のことをよく覚えている。プロ戦績は21戦19勝(16KO)2敗で,2敗は全勝で挑んだ世界タイトル戦でのKO負けと,2度目の世界挑戦の前哨戦で,格下の大和田正春にKOされ,意識不明のまま運び出された衝撃の敗戦だった。脳挫傷で生存確率20%と言われる危篤状態だった。関西人にとっては,生存と復活を望んだ事故が3件あった。1978年名馬テンポイントの競走中の骨折,翌79年天才騎手・福永洋一の落馬事故,そして1985年赤井英和のこの重篤事故である。幸い,赤井は奇跡的に一命を取り止め,ボクサー生命は絶たれたものの,俳優に転じて今日に及んでいる。本作の監督は,長男の赤井英五郎。米国で映画制作を学び,現役のプロボクサーでもあるようだ。映画は,いきなり開頭手術のシーンから始まる。続いて,コロナ禍の緊急事態宣言下で仕事がなく,自宅で過ごす赤井英和本人が,高校生でボクシングを始めた頃の想い出を語り始める…。プロデビュー後の連戦連勝の映像で,改めてその恰好良さに見惚れる。(ボクサーにしては)ルックスがよく,弁も立ったことから,人気が沸騰したことも納得できる。ブルース・カリーとの世界タイトル戦,運命の大和田正春戦の映像も,しっかりと含まれている。たった88分の短尺だが,ここまでが約1時間。残りは,闘病,退院,専属トレーナーのエディ・タウンゼント氏との語らい,俳優として阪本順治監督の『どついたるねん』(89)への主演の逸話等々が語られる。もう数十分長くてもいいから,夫人とのなれそめ,家庭生活,俳優としての実績も盛り込んで欲しかったところだ。
 『よだかの片想い』:「よたか」「よだか」は濁点の有無に関わらず,漢字表記は「夜鷹」である。いくら片想いでも,まさか「街娼」(路上で客引きをする売春婦)のことではないだろうと思ったが,勿論違っていた。濁点があるのは,宮沢賢治の短編小説「よだかの星」に因んだためのようだ。姿が醜く,鷹の仲間からも嫌われ,夜空を飛び続けて,やがて星になった鳥を描いた童話である。本作は,直木賞作家・島本理生の同名小説の映画化作品で,顔に大きな青痣がある女性の恋愛物語だ。島本作品の映画化では,過去に『ナラタージュ』(17年10月号)と『ファーストラヴ』(21年1・2月号)を紹介している。それぞれ,行定勲,堤幸彦という著名男性監督のメガホンであったが,本作は若手女性監督の安川有果と主演の松井玲奈が自らの起用を熱望したというので,尚更楽しみだった。世界的にも,いま女性監督の映画が輝いているからだ。主人公の前田アイコ(松井玲奈)は,子供の頃から周りからの視線が気になり,人間関係に距離を置いていたが,友人から自伝の出版を勧められ,さらにその本の映画化を望む映画監督・飛坂逢太(中島歩)が現われる。アイコの飛坂に対する想いは憧れから恋心へと変わり,やがて2人は恋愛関係へと発展する……。期待通り,アイコの揺れ動く心や彼女が慕うミュウ先輩(藤井美菜)との関係は,女性観客の心を掴む見事な演出だと感心した。その反面,飛坂やアイコに想いを寄せる原田など,男性の描き方がステレオタイプで,女性監督作品に有りがちな欠点を克服できていない。本作の脚本担当は男性(城定秀夫)だが,原作者や監督の女性目線の方が強過ぎるのだと感じた。その一方で,映画撮影現場がしっかり描けているのは,性別とは無関係で,当然と言えば当然だ。それでも,『ファーストラヴ』のように,無理に複雑な人間関係を詰め込みすぎた感はなく,素直で優れた女性映画だと思う。とりわけ,原作とは異なるラストシーンに好感がもてた。
 『川っぺりムコリッタ』:『かもめ食堂』(06)で一躍注目を集めた荻上直子監督が2019年に発表した長編小説を映画化した最新作だ。その意味では,本作も女性監督作品なのだが,既に独特の「荻上ワールド」が知られているためか,余り女性目線という感じがしない。個人的には『バーバー吉野』(03)『レンタネコ』(12)等,結構何本も観ているのに,当欄で取り上げるのは初めてだ。本作は,古い格安アパートに住む人々の心の触れ合いを描いたヒューマンドラマである。ボロアパートやシェアハウスの住人たちの共同生活や交流を描いた映画は数多いが,当欄での紹介作の邦画で印象に残っているのは,かつての『海月姫』(15年1月号),最近の『今はちょっと,ついてないだけ』(22年Web専用#3)と『劇場版 ねこ物件』(22年7・8月号)だ。同じジャンルの映画であるが,登場人物のユニークさでは,本作は一歩もひけをとらない。舞台となるのは,北陸地方の小さな町だ。何やら訳ありでこの町に来て,静かに暮したいと願っている塩辛製造工場の従業員・山田たけし(松山ケンイチ)が主人公である。社長に紹介されて住むことになった「ハイツムコリッタ」の住人は,平気で毎日風呂を借りに来て,食事までして行く厚かましい隣人・島田幸三(ムロツヨシ),墓石を売り歩いて生計を立てている溝口健一(吉岡秀隆)父子と,個性派揃いだ。おまけに,1つある空き部屋には,2年前に死んだ老女の霊までが親しげに出没する。このアパートの大家は南詩織(満島ひかり)で,その他の助演陣は,柄本佑,緒形直人,江口のりこ,田中美佐子,笹野高史と,なかなかの豪華キャストだ。題名やアパート名の「ムコリッタ」とは何のことか分からなかったが,仏教用語「牟呼栗多」で,時間の単位(1/30日=48分)だという。そのためか,いつものほのぼの系の「荻上ワールド」に仏教の世界観が加わっている。寺や火葬のシーンも登場し,遺骨が大きな役割を果たす。「ムコリッタ」には「刹那」「ささやかな幸せ」の意味があることは,楽しそうな食事シーンからしっかり感じられるようになっている。
 『クリーン ある殺し屋の献身』:一転,本ページの最後は,洋画のアクション映画だ。主人公は,深夜の街でゴミ回収車を走らせる清掃員で,廃品や廃屋の修理を趣味にしている寡黙な男だ。本名は不明で,「クリーン」とだけ呼ばれている。またまた訳ありの主人公で,元は凄腕の殺し屋(クリーナー)だったらしい。彼が心に安らぎを覚える隣人の少女ディアンダが,街を支配する麻薬ギャングに狙われたことから,彼女を救出するため,クリーンは単身組織に乗り込む……。これだけ聞くと,いかにも定型パターンのアクション映画で,主演はリーアム・ニーソンでも,ジェイソン・ステイサムでも,キアヌ・リーブスでも様になる。現在の邦画なら岡田准一か小栗旬,かつての千葉真一でも健さんでもピッタリくる。ところが,この映画の主演が『戦場のピアニスト』(03年2月号)のエイドリアン・ブロディとなると,かなり違和感を覚えた。何で,繊細で気品のある役が似合うオスカー男優を殺し屋役に起用するのかと…。監督・製作・脚本は『キラー・ドッグ』(17)のポール・ソレットだが,同作で意気投合したのか,E・ブロディ自身が本作で製作・脚本・音楽を担当している。本人がこの役をやりたかったのなら,仕方がない。そのためか,単純な痛快アクション映画ではなく,意図的にシリアスなタッチでの物語進行にした感がある。かつて自分の責任で娘を死なせたことから心を病んでいるという設定はいいとしても,その描写がくどい。なかなか肝心の事件が始まらず,しかも暗くて,凄腕ぶりも今イチだ。痛快だったのは,ゴミ回収車を敵のアジトに突入させるシーンくらいだった。凄腕の殺し屋を描くなら,もっとスカッとした娯楽映画であるべきなのに,この脚本は中途半端と言わざるを得ない。

 
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