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O plus E VFX映画時評 2023年1月号
 
その他の作品の短評
  (注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています)  
 
   隔月刊であった紙媒体のO plus Eは休刊となったが,当欄は継続執筆するので,従来の月刊スタイルでWeb上にアップロードすることとなった。雑誌掲載分のような一括掲載でなく,Web専用記事分と同様,順次記事を追加して行くスタイルを踏襲する。読みやすさを重視して,この短評ページは,多少書式を変更した。

 『ドリーム・ホース』(1月6日公開):クリスマス・イブの夜,溜まっているオンライン試写の中からどれを観ようかと思い,この英国映画を選んだ。翌日がドリームレースと言われる競馬の祭典「有馬記念」の日で,その予想番組を眺めた後だったので,頭の中が競馬一色だったからだ。英国と言っても,イングランドやスコットランドではなく,連合王国の中でも比較的地味なウェールズが舞台である。大ブリテン島の南西部に位置していることも,あまり知られていない。その谷あいの小さな村で,子育ても終わり,夫と2人暮らし,スーパーのレジ係のパートと親の介護だけの生活に退屈していた主婦ジャン・ヴォークス(トニ・コレット)が主人公だ。馬主経験のある知人の税理士ハワード(ダミアン・ルイス)に触発され,競走馬を育てることを思いつき,地元住民を巻き込んで馬主組合を立ち上げる。約20人の共同馬主の夢を託したドリーム号が,奇跡的にレースを勝ち進み,彼らの人生も変えてしまうヒューマンドラマである。
 実在した競走馬の出来事で,それがドキュメンタリー映画となり,さらに劇場用長編映画となったのには,競馬先進国の英国でも少し珍しい経緯があったからである。競馬産業の中で,競走馬を共同所有する「一口馬主」は珍しくないが,通常は既に生まれている未出走馬に出資する。ジャンの場合,競走馬の血統体系を徹底調査した上で,まず引退した良血の牝馬を購入する。そして,有力な種牡馬と交配させ,生まれた牡馬を市民農園に建てた馬小屋で自ら育てるという育成過程を選んだことが,かなり異色だったのである。
 2001年生まれのこの牡馬の正式登録名は「Dream Alliance(夢の同盟)」で,3歳で初出走し,2012年に11歳で引退するまでに,30戦5勝の戦績だったという。クライマックスは,大きな怪我の後,ウェールズ最大の障害レース「Welsh National」に勝利したことだ。映画用に撮影したレースであり,本物の競馬ではないが,ラスト20分はしっかり興奮させてくれる。まさに「庶民の夢を乗せ走って跳んだ,労働者階級産まれの名馬」の物語なのである。
 競走馬を描いた映画はいくつもあるが,本作は閉塞感漂う田舎町の人々が夢を語り,胸の高鳴りを楽しむことを生き甲斐とする様子を見事に描いている。エンドロールで流れる映像は,地元出身の人気歌手トム・ジョーンズの持ち歌「デライラ」を大勢で歌うシーンで,これも素晴らしかった。
 『非常宣言』(1月6日公開):次は韓国製のパニック映画で,航空機内で発生するバイオテロを描いている。主演は,『パラサイト 半地下の家族』(19年Web専用#6)『ベイビー・ブローカー』(22年Web専用#4)のソン・ガンホ。この近作2本を挙げるまでもなく,当欄で多数の主演作を紹介してきた韓国映画界随一の名優だ。本作では,ベテラン刑事ク・イノを演じるが,妻がテロ対象となった航空機に搭乗していることを知り,地上で奔走する役柄である。
  W主演のもう一方は,『王になった男』(13年2月号)『KCIA 南山の部長たち』(21年1・2月号)のイ・ビョンホン。韓流のイケメン男優で収まらず,『G.I.ジョー』シリーズ,『ターミネーター:新起動/ジェニシス』(15年8月号)『マグニフィセント・セブン』(17年2月号)等に出演し,今やハリウッド映画のアクション男優の印象が強い。本作では,娘とハワイに向かうため止むなく搭乗する飛行機恐怖症の乗客パク・ジェヒョクという役柄だ。どう考えても主演の1人がそんな軟弱な男の訳はなく,いつ物語の鍵を握るべく変身するのかが見どころだ。
 パク父娘につきまとった薄気味悪い男(イム・シワン)は,仁川発KI501便に搭乗後,早々と行動を起こし,その結果,乗客の1人が死亡する。彼が事前にネットに流した犯行予告動画がSNS上に拡散し,バイオ産業が培養したウイルスが原因のテロであることが判明する。機内では,感染した乗客の他に,犯人や機長までもが次々と死亡し,まさにパニック状態となる。副機長が操縦桿を握り,着陸後すぐに乗客を隔離し,治療薬を投与することを計画するが,米国から着陸を拒絶され,止むなくKI501機は韓国へと引き返す……。ここまでが前半の約1時間で,快適なテンポだった。かつての『エアポート』シリーズの再来かと思わせる見事な演出だったので,どういう解決策で決着をつけてくれるかが楽しみだった。
 期待に反して,後半はグデグデで,およそリアリティのない展開となってしまう。米国だけでなく,日本からも着陸を拒否され,強行しようとしたところ,航空自衛隊の戦闘機が韓国の民間機に発砲までする(あり得ない!)。おまけに韓国内でも着陸拒否のデモが全国的に起こってしまい,どの空港にも着陸できなくなってしまう(しっかり隔離すれば済む話なのに,この反対運動も理解できない!)。「非常宣言」が要請されると,「布告された航空機には優先権が与えられ,他のどの航空機より先に着陸でき,いかなる命令も排除できる」と述べておきながら,全くその効力がないのだから,一体この題名は何なのかと感じてしまう。
 監督・脚本は,ハン・ジェリム。ソン・ガンホ主演作はこれで3作目だが,本作は2大スターの競演で肩に力が入り過ぎたのか,余計なネタを詰め込み過ぎだ。ウイルスの特性も治療薬の効能も説明不足だ。前半が上々だったゆえに,後半の脚本が練れていればと,少し残念に感じた。
 『ファミリア』(1月6日公開):ここから邦画が3本続く。トップバッターの本作の監督は,『孤高のメス』(10年6月号)『八日目の蝉』(11年5月号)『いのちの停車場』(21年5・6月号)の成島出。社会派映画の演出が上手く,好きな監督の1人だ。この映画には原作小説はなく,オリジナル脚本のようだ。役所広司と吉沢亮の初共演で,父と息子を演じるというのに食指が動いた。
 役所広司が演じるのは,昔気質の陶器職人・神谷誠司で,名前通り誠実な人間だ。山里で独り暮らし,古い窯に自ら火を入れる姿は,『半世界』(19年1・2月号)で稲垣吾郎が演じた炭焼き職人を思い出す(年齢はだいぶ違うが)。一方,吉沢亮演じる息子・学は,一流企業のプラントエンジニアで,アルジェリア赴任中に現地人の女性ナディアと結婚し,彼女を連れて一時帰国する。前半で,この外国人妻を見る周囲の目の描き方が絶妙だった。後半,アルジェリアに戻った2人は重大事件に遭遇する。国際化に伴い日本人が直視すべき課題を「家族もの+社会派映画」として描いている。
 この親子の物語なのかと思いきや,同時進行で在日ブラジル人たちの貧困や,彼らが感じる日本での住みにくさが描かれ,後半はこちらが中心テーマとなる。日本生まれのブラジル人や,ブラジル出身で日本在住の労働者を多数起用しているが,マルコス(サガエ ルカス)とエリカ(ワケド ファジレ)の若いカップルが主役級の扱いだ。半グレ集団に追われていたマルコスを誠治が救ったことから,交流が始まり,マルコスは誠治に父親像を重ね始める…。
 力作であり,心温まる映画であるが,本作も上記の『非常宣言』同様,多くの話題を盛り込み過ぎだと感じた。役所広司×吉沢亮の親子関係中心の展開を期待したのに,在日ブラジル人のエピソードが多過ぎる。そのテーマを重視したいのなら,若い2人だけの物語で良いのに,役所広司の存在感が重過ぎる。佐藤浩市や松重豊らの助演陣の渋さもさすがだが,テーマを絞り切れていない欠点の方が目立った。本作も,もっと脚本が練れていたら大きな感動作になったのにと感じた。惜しい。
 『嘘八百 なにわ夢の陣』(1月6日公開):中井貴一演じる古物商・小池則夫と佐々木蔵之介扮する陶芸家・野田佐輔のコンビが織りなすバデイコメディの3作目である。コテコテの関西ネタの連続で,毎度大阪でのマスコミ試写会の帰路では,いつも試写室で出会うお馴染みの面々(映画欄の記者やラジオパーソナリティたち)の会話が盛り上がる。
 1作目『嘘八百』(18年1月号)の舞台は堺市内に特化していて,千利休の幻の茶器をめぐって,古物商,鑑定士,陶芸家たちが騙し合いするコン・ゲーム映画だった。2作目『嘘八百 京町ロワイヤル』(20年1・2月号)は舞台を京都に移し,利休の茶の精神を引き継いだ武将茶人・古田織部が遺した茶器をめぐる騒動だった。3作目の本作の舞台は大阪市で,大阪城で開催の2つの「秀吉博」が描かれている。2025年の大阪博を勝手に応援すべく,一役買って出ようという企画なのかと想像してしまう。「秀吉七品」などといういかにもありそうなネタが登場し,行方不明の7つ目の逸品「鳳凰の茶碗」を贋作する物語である。いやはや,毎度茶器だけが対象ネタで,よくぞこうした物語を思いつくものだと感心する。
 2作目までに登場した常連の出演者に加え,安田章大,中村ゆり,笹野高史等々,新登場も徹底して関西出身者で固めている。2つの陣営が張り合い,「大坂秀吉博 vs. TAIKOH 秀吉博」の2つのイベントがガチンコバトルする展開だ。大阪城の全面協力を得ていて,「天守閣復興90周年」や「豊臣石垣公開プロジェクト」とリンクして撮影を進めたという。制作陣の地元愛だけは確かだ。「波動アート」なる流行を取り入れたかと思えば,霊感商法まがいのネタも盛り込まれている。豪華になったが,面白さは少し減ったと感じる。ヒューマンドラマ色が強くなった半面,コンゲーム要素がなくなったのが残念だ。
 とはいえ,このシリーズは是非作り続けて欲しいものだ。大阪中心の関西での反応は分かるが,この映画の東京での評判はどうなのだろう?「日本維新の会」が地域政党の壁を突破できないのと同様,本シリーズもあまり全国的評価を得られていないことを懸念する。いっそ4作目には,民間人となって久しい橋下徹氏や,まもなく政界を引退すると公言している松井一郎氏を起用してはどうかと提案しておきたい。騙し,騙される相手には,立憲民主党の辻元清美参議院議員のゲスト出演が最適だと思う(笑)。
 『恋のいばら』(1月6日公開):基本的に若者の他愛もない恋愛映画は見ないことにしているのだが,この題名が少し気になった。加えて,「恋人同士では絶対見ないでください!」という惹句で,さらに気になった。ある男性をめぐる元カノと今カノの不思議でいびつな三角関係がテーマで,元カノが今カノを誘って彼氏の部屋に忍び込み,PCから写真データを抹消しようとする。何だ,それはある種の犯罪じゃないかと思い,一気に食指が動き,試写を観ることにした。ただし,その程度の知識で観終わったのだが,後で得た情報を考慮すると,この映画の印象がかなり変わってしまった。まともなネタバレではないが,そのことが気になる読者は本稿の後半を読むのは,映画を観終わってからにして頂きたい。
 主人公の富田桃(松本穂香)は図書館勤務の地味な24歳の女性で,最近,1年交際したカメラマンの湯川健太朗(渡邊圭祐)に振られてしまった。彼のインスタ写真から,現在の恋人がダンサーの真島莉子(玉城ティナ)であることを突き止め,彼女を呼び出して,「リベンジポルノを知っていますか?」と語りかける。交際中に撮られた痴態写真がSNSに流されて拡散することが怖いので,健太朗のスマホやPCから写真データを抹消して欲しいという依頼だったのである。やがて自分も同じ目にあうことを恐れた莉子は協力を約束するが,なかなかその機会がなく,2人で健太朗の部屋に忍び込んで無断でPCにログインすることにした……。
 住宅不法侵入の挙句に,PCのパスワードまで盗み見るのであるから,これはれっきとした犯罪だ。この2人は同い年だが,男性遍歴が少ない地味女と現代風で洗練された派手女の対比が面白い。価値観や行動力の違いや恋愛論議の会話も,筆者には若者文化のいい勉強になった。誰もが抱く嫉妬や恋心を繊細かつエキセントリックに描いた恋愛ドラマをウリにしているので,この世代の若者にとっても,身につまされる出来事ばかりで,どれも「あるある」映画なのだろう。2人の女性が意気投合して,1人の男の部屋に忍び込んだ共犯関係の結果,待っていた「恋のいばら」の結末がどうなるのかは,観てのお愉しみとしておこう。
 ラストで冒頭部の伏線の意味が分かる仕掛けなので,ここまで読んでしまった読者は,しっかり冒頭の出来事を脳裏に焼き付けておくとよい。こういう三角関係の描き方は,てっきり女性監督の作品だと思ったのだが,見事に外れた。監督は『アルプススタンドのはしの方』(20)の城定秀夫だった。『よだかの片想い』(22年Web専用#5)も女性監督かと思った映画だったが,早撮りで多作な監督なので,特に女性目線が好みという訳ではないようだ。本作の場合,共同脚本の澤井香織の筆力の影響が大きかったのかも知れない。
 全く意外だったのは,これはオリジナル脚本ではなく,香港映画『ビヨンド・アワ・ケン』 (04)のリメイク作品であるということだ。完成当時は日本では劇場公開されず,2011年に特集上映されただけの映画を,なぜ今リメイクする気になったのかは,よく分からない。もう1点付記しておこう。健太朗の祖母を演じている老女の存在感が,終盤になって一気に増加する。エンドロールで彼女の名前を知って驚いた。筆者と同じ団塊の世代の女優で,半世紀前の映画ファンなら誰でも知っていた有名人である。あえてここでは名前は明かさないので,映画を観て当ててみるのも一興だろう。ヒントは,本作の監督がピンク映画出身ということだ。
 『モリコーネ 映画が恋した音楽家』(1月13日公開):何という凄い音楽ドキュメンタリー映画だ。当欄ではしばしば同じジャンルの作品を取り上げてきたが,ボリュームとクオリティで本作に勝るものはなかった。その対象は,映画音楽作曲家のエンニオ・モリコーネ。500本以上の映画音楽を担当し,2020年7月に鬼籍に入った文字通りのマエストロである。彼の葛藤と栄光を描いた伝記ドキュメンタリーの監督を本人から指名されたのは,『ニュー・シネマ・パラダイス』(88)のジュゼッペ・トルナトーレ。そう聞いただけで,あの哀愁を帯びた「愛のテーマ」の旋律が浮かんでくるではないか。
 157分の長尺と聞いた時は少したじろいだが,本当は3〜4時間使いたかったのに違いない。インタビューに登場する著名人は総勢79人で,映画監督,プロデューサー,俳優,歌手,作曲家,サウンドエンジニア等々が,このマエストロが映画界に与えた影響を賞賛する。本編中に登場する映画は52本に及ぶ。それだけなら驚くに値しないが,モリコーネ当人が赤いカジュアルなポロシャツ姿で登場し,自らの半生を語り,代表的な映画の音楽の成り立ちを克明に語っている。スチル写真が出るのでなく,それぞれの音楽が流れる映画のシーンが使われていることが特筆に値する。この映画の初上映は2021年9月のヴェネチア国際映画祭であったが,5年以上の密着取材によるものなので,まだ元気な頃の本人の姿と語りが記録できている訳だ。本作の正しい観賞法は,なるべく音響効果の良い映画館の大きなスクリーンでその個々のシーンと音楽を堪能することだ。さらに後日DVDを購入して,何日かに分けて本人の語りを味わいたいと感じるはずである。願わくば,DVDでは,157分に収まらずにカットされた映像&音楽を復刻して欲しいものだ。
 トランペット奏者であった父親の希望で,少年期から同じ道を歩み,音楽院では和声と作曲に関しても学ぶ。やがて映画音楽に関わるようになるが,当時まだ社会的地位が低かったため,クラシック音楽の道に進まなかったことへの自責の念も回想している。1960年代に小学校の同級生セルジオ・レオーネ監督に再会し,クリント・イーストウッド主演の西部劇『荒野の用心棒』(64)『夕陽のガンマン』(65)『続・夕陽のガンマン』(66)の音楽を担当し,注目を集めた。それ以降の活躍はここで述べるまでもない。
 偉業としては,単なる効果音か美しい器楽曲であったハリウッド流の映画音楽を,物語に合わせて観客の感情を揺さぶるサウンドに転化させ,他の音楽家や起用する監督にも影響を与えたこととされている。楽器の種類に拘らず,「音の効果」を追求したことを「映画音楽の発明音」と表現されているのは,言い得て妙だと思う。本作の原題は単なる『Ennio』だが,邦題には素晴らしい副題がついている。「映画を恋した…」ではなく,「映画が恋した…」であることが,このマエストロが果たした業績への敬意の表れだと思う。
 『ノースマン 導かれし復讐者』(1月20日公開):最近,題名だけを見て,どんな時代の何の物語かを想像する癖がついている。映画にとって表題は大切で,その微妙なニュアンスで観客の興味を惹き,結末に向けてのヒントともなっているからだ。といっても,試写状や案内チラシにはメイン画像が掲載されているから,全くの文字列の題名だけという訳には行かない。本作の場合,上半身裸で,腹筋がたくましいマッチョな男の姿があった。「北」と言っても,この姿で「北極物語」の訳はないから,北欧のデンマークかバルト3国の辺りで,時代は10〜12世紀頃,父親か恋人を殺された男の復讐劇を想像した。
 予想は大きくは外れていなかった。スカンジナビアのとある島が舞台であり,西暦895年に時代設定されていた。10歳の王子が,目の前で国王の父を殺害し,母を奪い取った叔父への復讐を誓う物語だというから,余りにも定番の設定である。成人後のアムレート王子を演じるのは,『ターザン:REBORN 』(16年8月号)のアレクサンダー・スカルスガルド。それなら上半身裸姿は似合うし,スウェーデン・ストックホルムの出身というのもピッタリだ。父オーヴァンディル王にイーサン・ホーク,母グートルン王妃にニコール・キッドマン,敵役の叔父フィヨルニルにはデンマーク出身のクレス・ハングが配されている。その他,魔法使いの恋人オルガ役に『ザ・メニュー』(22年11・12月号)のアニヤ・テイラー=ジョイ,道化ヘイミ役にウィレム・デフォー,スラブ族の預言者役にビョークという豪華キャストであり,ただならぬ人物ばかりだ。我々東洋人にとっては,ギリシャ,ローマの権力争いや英雄譚であってもそう変わりはないが,西洋人は神秘性のある北欧の物語が好きらしい。アムレート王子はこの地方の伝説上の人物であり,シェイクスピアの悲劇「ハムレット」のモデルとのことだ。
 監督・共同脚本は,『ライトハウス』(21年Web専用#3)のロバート・エガース。彼にとっては,まだ長編3作目であり,初のアクション映画であるが,豪華キャストで撮るだけあって,かなり重厚で見応えのあるドラマに仕上げている。時代考証の正確さは分からないが,島を脱出した王子が東欧を彷徨った後,バイキングの戦士になっていた設定であるから,あまり正確な考証は要らないのだろう。何もかも北欧調で,音楽も寒々とした感じが出ていた。
 最大の欠点を指摘するなら,10歳の王子の10年後を40代半ばのA・スカルスガルドに演じさせるのは,さすがに無理がある。『離ればなれになっても』(22年Web専用#7)の男性トリオの年齢設定も無茶だったが,こちらもいい勝負だ。せめて20年後にすべきだったと思うが,そうすると母親役のN・キッドマンが困ることになったのだろう。
 『母の聖戦』(1月20日公開): 映画国籍としてはベルギー,ルーマニア,メキシコの合作となっているが,娘を誘拐された母親が娘を取り戻そうと奮戦する映画で,全編がメキシコ・ロケで撮影されている。監督・共同脚本はルーマニア出身のテオドラ・アナ・ミハイで,これが監督デビュー作だ。16歳で米国に移り住んで映画を学び,多数のメキシコ人の友人の影響でメキシコ文化に興味をもち,現在はベルギー在住だという。それでこの3ヵ国の資本が入っている訳だ。
 時代設定はほぼ現代で,麻薬組織が跋扈し,誘拐ビジネスが横行しているメキシコが舞台である。北部のある町で暮すシングルマザーのシエロ(アルセリア・ラミレス)が主人公で,10代の一人娘ラウラが犯罪組織に誘拐されてしまう。身代金を払っても,一向に娘は返されて来ない。警察に相談してもまるで取りあってくれず,母シエロは自らの手で娘を奪還する決意をし,犯罪組織の在り処を探して奔走する……。実話ベースの物語だが,世界にはこんな国がいくつも存在すると思うと暗澹たる気持ちになる。その反面,日本に生まれたことに安堵感を覚え,感謝したくなる。
 ズバリ言って,かなりリアリティの高い秀作だ。とりわけ,軍のパトロール部隊のラマルケ中尉(ホルヘ・ A・ヒメネス)と協力関係を結んで,誘拐犯を追い詰める展開にぞくぞくする。それもそのはず,実際に娘を誘拐され,殺されたメキシコ人女性の打ち明け話を聞き,密着取材し生活記録を残したというから,素材のリアリティが高いのも当然だ。平凡な主婦であった母が次第に強くなって行く過程の描写も秀逸だ。取材対象の女性に監督自らが感情移入し,この逞しい母親像を作り上げたのだろう。若い愛人と暮している元夫のグスタボ(アルバロ・ゲレロ)の描き方も,女性監督ならではの視点である。ともあれ,また若い有望な監督が登場したので,彼女の今後の活躍に注目したい。
 『エンドロールのつづき』(1月20日公開):次はインド映画で,貧しいチャイ売りの少年が映画監督の夢を抱いて走り出す姿を描いている。厳格な父親に連れられ,家族全員で初めて映画館に行った9歳の少年サマイは,たった一度の経験で映画に魅せられてしまう。学校を抜け出してギャラクシー座に忍び込み,入場料を払えずに追い出される。そこに映写技師ファザルが母の作る弁当と引き換えに映写室に入れてやると提案し,サマイ少年は連日映写窓から映画を観ることになる。色とりどりの映画に圧倒され,彼は「自ら映画を作りたい」と思うようになる…。もうこう聞いただけで,これはボリウッド版『ニュー・シネマ・パラダイス』だと誰もが感じるはずだ。監督・脚本は同国出身のバン・ナリンで,故郷のグジャラート州でロケを敢行している。既に世界の映画で活躍する監督の自伝的映画だというから,サマイの夢が叶うことも保証されているようなものだ。後は監督の映画愛で,どれだけ多くの名作へのオマージュが捧げられているかを楽しむことだけである。
 貧しそうな田舎町の古びた映画館が舞台で,映画は人々の娯楽となっている。当然フィルム上映が主体だ。拾い集めたフィルムの切れ端から,サマイはフィルムの複製と編集に成功する。さらに手作りの映写機も開発し,サリーの白い布をスクリーンにして仲間相手の上映会を開催する。当然トーキー機能はついていないから,少年少女が語る活弁と物を叩いてつける音楽が素晴らしかった。このくだりは,まさに監督の若き日の姿なのだろう。
 やがてデジタル化の波が押し寄せ,ギャラクシー座のフィルム映写機もお払い箱になることが決定し,物語は急旋回する。古い映写機が製鉄所で圧延され,スプーンに生まれ変わる描写はいい出来映えだった。インド映画らしく,ほぼ全編で明るい色使いで,カメラアングルや景観の入れ方も印象的だ。約50年前の出来事と思わせておいて,実は現在のインドの姿を描いている。貧富の違い,経済的格差から生まれる社会的問題も見事に織り込んでいる。
 映画愛に関しては,「第80回ゴールデングローブ賞ノミネート作品」のページで紹介した『エンパイア・オブ・ライト』と見比べることをお勧めしておきたい。
 『ヒトラーのための虐殺会議』(1月20日公開):題名を読み違え,最初この映画は「ヒトラー虐殺計画の会議」だと誤解していた。事実として暗殺はなかったので,この計画がバレて未遂に終わるサスペンス映画なのかと。実際は例によって,ナチス・ドイツの蛮行に関する映画であるが,ヒトラーは登場しないし,アウシュヴィッツ収容所の凄惨な場面も出て来ない。ナチの総統親衛隊と事務部門の高官が集まり,1942年1月20日にベルリン郊外のヴァンゼー湖畔で開催された国家保安本部主催の会議の模様を克明に描いている。「ユダヤ人問題の最終的解決」と題した会議で,史実であり,ユダヤ人の大量虐殺を決定したとされているが,虐殺は既に行われていたので,それを効率化する方法を確認する会議であったようだ。
 純然たるドイツ映画で,この制服でドイツ人俳優がドイツ語で話してこそのリアリティを感じる。内容は残された会議録からの再現で,全員俳優が演じているが,まるでドキュメンタリー映画だ。昼食とコーヒーブレイクでの休憩を除いて,ほぼ全編が会議での発言ばかりで,まるで会議中継だ。さぞかし,字幕翻訳者は大変だったことだろう。迫害は当然であり,銃殺よりもガス室での大量殺害の方が人道的という身勝手な論理に驚き,呆れる。
 主催者側の1人,国家保安本部ゲシュタポ局ユダヤ人課課長で親衛隊中佐のアドルフ・アイヒマンの冷静沈着かつ非道ぶりが際立っていた。戦後の裁判で,「自分は命令に従っただけ」と述べた主張が全く通用しないことは,この会議記録からも明らかだ。一方,首相官房局長クリツィンガーを演じるトーマス・ロイブルは,現在のロシアのラブロフ外相にそっくりだった。「ナチはウクライナでなく,お前だろ!」と言いたくなる(笑)。移送,強制収容,強制労働,計画的殺害等の方策が淡々と議決され,1,100万人のユダヤ人虐殺(実際は,約600万人と言われている)がたった90分で決定してしまい,参加者は平然と自分の職場へと戻る。ドイツ人の驚くべき効率的行動に絶句してしまうが,この蛮行を正視して,こうした映画を作っていることがせめてもの償いのつもりなのだろうか。
 『ピンク・クラウド』(1月27日公開):かつて同名のロックバンドがあったと記憶しているが,それとは無縁で,当欄で取り上げるのは珍しいブラジル映画だ。若手女性監督のイウリ・ジェルバーゼの長編デビュー作のSFスリラーである。突如として発生したピンク色の雲が強い毒性をもち,それに触れるとわずか10秒で死に至るという。このため,人々は密閉された室内空間の生活を余儀なくされる。誰もがコロナ渦のロックダウン状態を思い出すので,映画本編が始まる前にスクリーンには「本作品は2017年に書かれ,2019年に撮られた。現実との類似は偶然である」とのメッセージが入っていた。2020年の世界的パンデミックは予想できなかっただろうが,閉鎖空間での長期間生活が人間性にどのような影響を与えるかを先んじて描いたことは大したものだと言える。
 主人公は,ジョヴァナ(ヘナタ・ジ・レリス)とヤーゴ(エドゥアルド・メンドンサ)のカップルだ。一夜を共にしただけの関係だったが,外出禁止令の中,2人だけの生活が何年も続き,やがて2人の間に息子リノが生まれる。年齢も職業も明確になっていないが,唯一ヤーゴがカイロプラクターであるらしい会話があった。ジョヴァナは「友人の家から帰れなくなった妹」「看護師と閉じ込められた年老いた父」「自宅に1人きりの親友」と連絡を取り合うが,彼らはスマホやPC画面に登場するだけで,居住空間で行動している姿は親子3人だけだ。
 着想は秀逸で,ピンクの雲と言う設定もユニークだが,会話のテンポが単調で少し退屈した。自宅の部屋,ネット上と,ジョヴァナがゴーグルを着けて体験するVR空間だけしか描けないのだから,物語が制限されるのも無理はない。その一方で,ネット経由での指導で,ジョヴァナが出産するシーンの描写は,さすが女性監督の視点と思わせるものだ。このピンクの雲現象は地域や国限定なのか,それとも世界レベルの危機なのかの言及はなかった。ドローンで医薬品や食料が送られてくるが,政府や産業はどう機能し,人々はどうやって収入を得ているのか不思議だった。いかに大胆な設定のSFといえども,その辺りの理屈付けはしておいて欲しかったところだ。
 『金の国 水の国』(1月27日公開):毎度のことだが,和製2Dアニメが大の苦手の筆者が敢えて当欄で取り上げる以上,それなりの理由(言い訳)を明らかにしておく。このアニメの原作は,岩本ナオ作画の同名コミックで,2017年「このマンガがすごい!」で第1位(オンナ編)だという。それを映画化したら,どんなものか観てやろうじゃないかとの想いだった。加えて,「高純度のやさしさに2023年初泣き」なるコピーにも,じゃあ泣かせてもらおうじゃないかと。東映や東宝の定番のシリーズでなく,WB配給の単発ものとなると,もう少し骨太だろうと予想した。
 人気の連載コミックは,単行本は20〜30巻に及び,先にTVアニメ番組化されていることが多い。それだと,単独の劇場用アニメでは話題を絞らざるを得ず,充実度も減じてしまう。本作にはTV版アニメはなく,いきなり劇場用映画だ。原作が全1巻なのに,上映時間は1時間57分と短くなく,かなりしっかりした脚本になっているはずだと期待した。
 舞台となるのは,商業国家で水以外は何でも入手できる裕福な「金の国:アルハミド」と,貧しいが緑と水資源に恵まれた「水の国:バイカリ」の2国で,長年に渡って戦いを続け,100年以上も国交は断絶したままである。前者の王女サーラ(声:浜辺美波)と後者の建築士ナランバヤル(声:賀来賢人)が主人公だ。両国の対立を緩和するため,2人は偽装結婚するが,やがて互いに惹かれ合う…。というお決まりのラブラブ展開のようだ。
 監督/絵コンテ/演出は渡邉こと乃で,作画は『サマーウォーズ』(09)『若おかみは小学生!』(18)のマッドハウスが担当している。まず驚いたのは,冒頭からの背景の絵の美しさだ。劇場用アニメに手慣れた実力派スタジオだと思っていたが,本作のその中でも際立っている。限られた光景だけでなく,次々とシーンが変わる。約70枚の精緻な水彩画は,よくぞ描いたと褒めるべきレベルだ。その一方で,登場人物の顔立ちがプアなのは,和製アニメの欠点だが,常にも増してプアだった。どうやら原作マンガが下手くそで,そのイメージを踏襲しているからのようだ。背景が力作ゆえに,もう少し格調高いルックスが欲しかった(別ページの『犬王』もそうだった)。王女サーラは,ディズニープリンセスとはほど遠く,丸ポチャで体重もかなりありそうだ。それなりに可愛いが,劇中ではおよそ美人とは言い難いという扱いだ(これは可哀想)。お相手のナランバヤルは,いかにもヤンキーで,アニメの主人公にはどこにでもいるタイプだ。女性向けコミックでは,どうしても添え物の存在になってしまう。
 始まって早々の2人の出会いの場面はスムーズで,物語に付いて行きやすかった。ところが進行するにつけ,物語は複雑になり,分かりにくい名前の人物が続々と登場する。『鋼の錬金術師』シリーズもそうだったが,外国人の名前ばかりだと覚えにくい。コミック,アニメの国際的商品価値を考えてのことなのだろうが,迷惑な話だ。この種の映画がハッピー,パッピーな結末を迎えることは自明だが,まずまず第1位に相応しいしっかりした物語で,十分平均点以上の満足感が得られた。ただし,筆者が泣けるような映画ではなかった。
 
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