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O plus E 2019年Webページ専用記事#6
 
その他の作品の短評
  (注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています。)  
   
   『ルディ・レイ・ムーア』:当欄では「19年Web専用#1」で初めてNetflixオリジナル作品『バスターのバラード』と『ROMA/ローマ』を取り上げた。試写案内は来なくて,いきなり配信となるので紹介のタイミングが難しいが,さすがにアカデミー賞予想をするのに,この2本を無視する訳には行かなかったからである。その後も同社の勢いは増すばかりだ。VFX専門誌Cinefexが掲載するCG/VFX多用作も独占配信されている。驚いたのは,現在進行中の第77回ゴールデングローブ賞では,ノミネート作品で圧倒的な強さを見せていることである。早速,候補作4作品を一気に観た。いずれ劣らぬハイレベルの傑作だ。内3作品を,以下で連続して紹介しよう(残るVFX大作『アイリッシュマン』は,年明けの1・2月号のメイン記事として解説する)。まずは,10月25日から配信されている本作からである。1970年代に活躍した米国のミューシャン兼コメディアンの伝記映画で,邦題は主人公名のカタカナ表記だ。ところが,原題は『Dolemite Is My Name』だから,少し説明を要する。「俺の名前はドールマイト。クソを消すのがドールマイトの仕事だ」で始まる下ネタ満載の話芸の中で,ルディが生涯演じ続けた人物名が「ドールマイト」であり,彼の初製作&主演映画の題名でもある。話芸と音楽を収録したレコードで成功し,映画製作に挑戦する物語が描かれている。本作でルディを演じるのは,これが久々の主演作となるエディ・マーフィで,全編でこの映画に賭ける情熱と黒人コメディアンの先駆者ルディに対する敬意が感じられた。衣装を70回以上も替えるが,どれもカラフルで,注目の的だ。脚本が素晴らしい。素人製作者の映画撮影シーンが頗る楽しい。映画愛にも満ちている。吹替版では,山寺宏一がいつもにも増してエディになり切り,マシンガン・トークを炸裂させている。最後に,本物の『ドールマイト』(75)のシーンを少し見せてくれるのが嬉しい。
 『マリッジ・ストーリー』:続いては,限られた映画館で1週間の劇場公開した後,12月6日からネット配信されている作品である。今年のGG賞最多6部門ノミネートされている話題作だが,これがドラマ部門というのに違和感がある。どう観ても,筆者には悪趣味か,皮肉たっぷりのコメディとしか思えない。表題の直訳は「結婚物語」だが,互いの長所を認め合っていた夫婦が,一直線に親権争いの訴訟に向かう「離婚物語」である。ハリウッド映画で,主人公の家庭が登場する場合,夫か妻の(あるいは両方の)70%以上が離婚経験者として描かれている。本当にこれが普通なのかと思うほどだ。本作では,まだ離婚の決意をしたばかりだが,それが訴訟合戦に至ってしまう過程を克明に描いている。監督は『イカとクジラ』(07年1月号)のノア・バームバックで,主演の夫婦を演じるはスカーレット・ヨハンソンとアダム・ドライバーだ。図らずも,『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』(20年1・2月号で紹介予定)『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』(19年Web専用#6)と本作で,5日間に3本もA・ドライバーの主演作を観た。頭の中が,もう彼で一杯だ(笑)。改めて,引き出しの多い達者な俳優だと再認識したが,この3本では,本作の演技がベストだ。どうしても男性側視点で観てしまうのは止むを得ないとしても,米国の離婚訴訟の実態はやはり異常だ。円満に別れたがっていた夫婦を,辣腕離婚弁護士が法廷で互いの弱点を責め,罵り合う関係にしてしまう展開が,不愉快極まりない。腹立たしい。こんな風に,両親それぞれと交互に過す子供がまともな精神状態で育つとは思えない。なぜ,NYとLAで逆単身赴任のような関係に留め,結婚関係を維持できないのだろう? そう言えば,『イカとクジラ』も家庭崩壊を描いて,各種映画祭の脚本賞を得た作品だった。この監督は,高額の訴訟経費を請求する離婚弁護士や訴訟社会を批判するために,この映画を作ったのだと思いたいが……。
 『2人のローマ教皇』:こちらも1週間の劇場公開を経て,12月20日からネット配信されているNetflixオリジナル映画である。先月の現役ローマ教皇来日以来,すっかり「法王」でなく,「教皇」という言葉にも馴染んできた。2人の教皇とは,第265代教皇のベネディクト16世と第266代のフランシスコ教皇のことで,それぞれアンソニー・ホプキンスとジョナサン・プライスが演じている。2人とも,本人に似た顔立ちの名優をキャスティングしているのが嬉しい。A ・ホプキンスが先にクレジットされているが,実質の主演は,後に教皇となるホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿役のJ・プライスだ。彼もまた,数日前に『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』で半狂人のドン・キホーテ役を怪演しているのを観ただけに,本作での質素で,慈悲深く,見識が高い教皇役で,その落差に驚いた。こちらも改めて,一流の俳優の演技力は凄いなと実感した。物語は,2005年ヨハネ・パウロ2世の死去に伴うコンクラーベから始まり,カソリック界のスキャンダルに直面したベネディクト16世が辞任して,2013年ベルゴリオ枢機卿がフランシスコ教皇になるまでを描いている。中心となるのは,2012年に枢機卿辞任を願い出たベルゴリオを,ベネディクトがバチカンに呼び出して慰留する間の2人の交流,打ち解けた会話だ。途中の回想シーンで,若き日のベルゴリオの苦悩や奮闘も描かれている。来日時の紹介にはなかった側面を観て,一層親しみが増した。随所で,本物の記録映像が流れるが,2人の対話はどこまで実話なのだろう? おそらく,2人でW杯サッカーの決勝戦中継を観て興じるシーンはフィクションだろう。
 『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』:あの感動の名作アニメが帰ってきた。「…リターンズ」といった後日談の続編ではなく,前作に盛り込めなかったエピソードを追加した長尺版である。筆者は,期待と不安をもって試写に臨んだ。前作『この世界の片隅に』(16年12月号)は126分であったが,マスコミ用試写は東京国際映画祭で上映された159分版で,さらにエピソードを追加して,最終的には170分を超えるという。主人公の北條すずが迷い込んだ遊廓で出会った同世代の女性・白木リンのエピソードが大幅に追加されているらしい。原作コミックにあった重要なエピソードで,絵コンテまで作られていたが,2時間前後の尺に収めるためにバッサリ割愛したという。その意味では,少し変種のディレクターズ・カット版だと言える。それでも,初見の観客にはちょっとつらい長さだ。ここまで延ばすなら,いっそ80分程度の新作を作り,主人公が過去の想い出を回想する形に出来なかったのかと思った。何よりも,60カ国以上で上映され,国内外で約70の映画賞を受賞した名作が,間延びした長尺版になっていないかと心配したからである。これは,完全に杞憂だった。「新たなエピソードが,物語を塗り替える」なるキャッチコピー通りに,見事に別の新しい印象を与えてくれる。すずとリンとの交流だけでなく,夫・周作が彼女と特別な関係にあったことも衝撃だが,別の遊女テルとの逸話も心に滲みる。別の物語と言うよりも,同じ物語の枠組の中で,登場人物の心情をよりきめ細かに描いている。映像的には,周作とすずが並んで屋根の上に佇み,赤とんぼを眺めるシーンが新鮮だ。昭和20年4月の花見のシーンも鮮列だった。戦局厳しい折にも,こんな華やかで穏やかな日もあったのかと感じさせるが,それゆえに,その後の空襲,原爆投下の過酷な運命がより際立って来る。音楽は,コトリンゴ作の新曲が4曲(劇伴の演奏曲3曲とエンドロールの歌唱曲1曲)追加され,主題歌「たんぽぽ」にはストリング演奏が強化され,サントラ盤にはさらに1曲が加わっているようだ。筆者は,前作までコトリンゴなるシンガーソングライターを知らなかったが,その後,彼女のアルバム計15枚を揃えた。彼女の声や音楽は,改めて,本作の画調や「のん」の声の演技と見事にマッチしていると感じた。主題歌と劇伴曲を別の作曲家にしなかったことも成功要因だ。彼女を音楽担当に選んだ監督の眼力(耳力?)にも感心した。
 『燃えよスーリヤ!!』:ちょっと驚きのインド製カンフー映画だ。上半身裸で構えたポスターから,ブルース・リーに捧げた映画で,邦題は『燃えよドラゴン』(73)のもじりであることはすぐ分かる。全体的印象はボリウッド作品らしいアクション・コメディだが,香港製とは一味違う,新感覚のアクション映画だ。トロント国際映画祭ミッドナイト・マッドネス部門で観客賞を受賞したというから,会場は狂喜乱舞し,スタンディングオベーションでは拍手でなく,身振り手振りを真似,奇声を発したと想像できる。原題は『Mard Ko Dard Nahi Hota』,直訳英題の『The Man Who Feels No Pain』から分かるように,生まれつき痛みを全く感じない青年スーリヤが主人公だ。少年時代に祖父から大量のアクション映画のビデオを与えられて育った彼は,「空手マン」になることを決意する。大人になって幼なじみのスプリと再会するが,彼女が街を支配する悪の組織に狙われていることを知り,彼らに戦いを挑む……。主演は,本作がデビュー作となるアビマニュ・ダサーニー。ヒロインのスプリ役はラーディカー・マダン。サルマ・ハエックに似た小柄な人気女優である。結構気に入った映画だが,筆者が感じた美点と欠点を列挙しておこう。まさか,カンフーアクションの途中に歌って踊り出すことはないだろうなと思ったが,踊りはないものの,ボリウッド流の音楽は全編で流れ続けていた。主人公の独白とこの音楽の組み合わせは新感覚だとも言えるが,その反面,香港映画,日本の仁侠映画のような緊迫感や高揚感には浸れない。主人公には痛覚がないという設定はユニークだが,その設定の面白さを活かし切っていないとも感じた。ヒロインはなかなかの美形で,アクションもこなす。格闘家マニと悪役のジミーは双子の設定で,グルシャン・デーヴァイヤーなる俳優の1人2役だが,全く別の人物に見えるのが見事だ。願わくば,主演男優にもう少し魅力が欲しかったが,これがデビュー作なら仕方がないとも言える。シリーズ化して,痛覚のなさを武器にしたヒーローの痛快譚を見せて欲しい。
 『ダウントン・アビー』:英国の大ヒットTVドラマの映画化作品である。2010年から2015年の6シーズンに渡って全52話が放映され,日本ではスターチャンネルが2011年から,NHK総合TVが『ダウントン・アビー 華麗なる英国貴族の館』なる題で2014年から放送していた。描かれた時代は1912~1925年で,タイタニック号の沈没,第一次世界大戦,米国のティーポット・ドーム事件等の欧米の大事件を織り交ぜて描かれていた。英国ヨークシャー州ダウントン村に大邸宅を構える貴族クローリー家と使用人たちの大家族が織りなすドラマで,ロマンスと不倫,汚職や陰謀等々のスキャンダルでの人間模様の描写をウリにしている。筆者自身は未見だが,家内がハマって熱心に観ていたので,それを時々後から覗き込んでいた程度である。城のような大邸宅,その中の調度や衣装は格調高かった印象があるが,映画版となるとそれが一層豪華になっている。内容は,シリーズ全体の要約版ではなく,TVシリーズ最終話の2年後の後日譚で,念願だった国王夫妻の行幸を迎える大騒動が描かれている。冒頭の鉄道の駅舎,機関車からして格調高く本格的だ。勿論,CG/VFXの産物で,映画版の豪華さを強調している。邸内の壮麗さも,大画面で見る価値は十分ある。マギー・スミス,ヒュー・ボネヴィル,ミシェル・ドッカリー等のオリジナルキャストがほぼ総出演だが,新登場のイメルダ・スタウントンが親族間の相続問題の火種となる。初見でもストーリーを追うことは出来るが,これだけ大人数となると,原シリーズを観ていないと人間関係の機微が分からない。どう考えてもTVシリーズのファンを意識した映画だ。本作に魅了され,原シリーズを全部見て,再度本作に戻って来る新しいファンが大勢出て来ても不思議はない。
 『マザーレス・ブルックリン』:演技派俳優エドワード・ノートンの『僕たちのアナ・バナナ』(99)以来,20年ぶりの監督第2作目である。前作で監督としても才能豊かであることを示したので,てっきりもっと監督業に傾くと思ったのに,こんなに間が空いたのは,主演・助演作の依頼が絶えなかったからだろうか。本作では製作・脚本・監督・主演と,脚本執筆が加わり,さらに実力発揮が感じられる一作だ。1950年代のNYブルックリンが舞台で,障害をもつ孤児が,彼を育ててくれたボスに従い,私立探偵業に従事している。突然,意味不明の奇声を発するというチック症状があるが,人並み外れた記憶力の持ち主という設定が,主人公の性格にも物語の展開にも厚みを増している。なるほど,自分で脚本を書き,自分で演じたくなるのも理解できる。原作の同名小説は1999年に出版され,同時代を描いていたが,ハードボイルド調にするため1950年代に設定を変えたという。犯罪が横行する荒んだ町,ハーレムのスラム街を描くノワール映画としては,理にかなった変更だ。全編にジャズが流れ,中盤のジャズ・クラブでの演奏シーンが圧巻だ。その後,終盤にかけて物語が一気呵成に進行する。ヒロインの黒人女性ローラ役はググ・バサ=ローで,主人公ならずとも,保護したくなる存在だ。敵役のアレック・ボールドウィンはハマり役だが,助演のブルース・ウィリス,ウィレム・デフォーの演技が本作の価値を高めている。VFXの力を借りての1950年代のブルックリンの再現もなかなか見事だった。
 『ティーンスピリット』:サントラ盤紹介も含め,当欄が積極的に取り上げる青春音楽映画だ。ましてや,主演が筆者のエンジェルの1人,エル・ファニングとあっては,書かない訳には行かない。既に21歳だが,17歳のポーランド人移民の少女を演じている。その年齢設定でも,まだ十分に通用する。彼女が住んでいるのは英国南部のワイト島。この映画で初めて知ったが,離れ小島ではなく,本土とは2km程度しか離れていない至近距離のリゾート地であり,人口は14万人だそうだ。母親の反対にもめげず,夜はバイト先のパブのステージに立つ歌好きのヴァイオレットが主人公である。冴えない中年男のヴラドと知り合うが,彼はクロアチア人の元オペラ歌手だった。彼から呼吸術の指導を受け,ロンドンでのオーディション番組「ティーンスピリット」出場を目指す……。架空の番組名だが,「アメリカン・アイドル」の英国版,スーザン・ボイルを生んだ「ブリテンズ・ゴット・タレント」の若手版だと思えばいい。典型的な音楽サクセスストーリーで,物語としては他愛もないが,むしろ単純さが心地よい。説教じみてもいないし,妙にシリアスなエピソードを盛り込まなかったのが正解だ。何よりも,E・ファニングがこんなに歌唱力があるとは驚いた。審査ごとに振付けも向上し,アイドル性抜群のステージは,まるで女性版ジャスティン・ビーバーだ。番組の舞台裏も楽しく,さすが『ラ・ラ・ランド』(17年3月号)のスタッフ達が再結集して作った音楽映画だけのことはある。
 『パラサイト 半地下の家族』:いや面白い,抜群に面白い。韓国映画初のカンヌ国際映画祭のパルムドール受賞作だという。ソウル市内の安アパートの半地下に住む貧困家族が,富裕層の家庭に寄生して生きて行く様を描いている。前年度受賞作は是枝裕和監督の『万引き家族』(18年5・6月号)だったから,カンヌの審査員はこの種の詐欺まがいの家族ものが好みなのか。そういう嫌みな言葉も思いつつ観たのだが,見事な快作で,圧倒された。各紙誌やWeb上でも絶賛されているだけのことはある。これで,筆者の「カンヌ・アレルギー」も少し弱まりそうだ。前半は,その日暮らしのキム一家の親子4人が順次富裕層のパク一家に取り入り,経済的に寄生する。痛快なブラックコメディで,とにかく楽しい。パク一家のキャンプ旅行中に豪邸内でハメを外すが,思いがけない出来事に遭遇する…。起承転結パターンに忠実な見事な脚本で,後半の展開には呆然,唖然とする。娯楽性,芸術性に加えて,格差社会を描いた社会派映画の側面もある,などという単純な表現では失礼に当たるくらいだ。監督・脚本は,『グエムル ー漢江の怪物ー』(06年9月号) 『母なる証明』(09)のポン・ジュノ。韓国の中堅実力派監督だ。主演は,お馴染みのソン・ガンホ。『観相師-かんそうし‐』(14年7月号)『弁護人』(16年11月号)『密偵』(17年11月号)等々,どんな役をやらせても上手い。まさに名優だ。韓国政府の無定見ぶりには辟易とするが,この映画は,昨今の「嫌韓ムード」など忘れて見入ってしまう。アカデミー賞では外国語映画賞の大本命で,脚本賞にもノミネートされることだろう(本稿執筆後に,ゴールデングラブ賞外国語映画賞を受賞した)。
 『ジョジョ・ラビット』:かなりユニークなナチスもののコメディ映画だ。舞台となっているのは第2次世界大戦中のドイツで,ヒトラー・ユーゲントに所属し,ナチスを信奉する10歳の少年ジョジョが主人公である。色調も明るく,冒頭で流れる音楽はビートルズが歌う「抱きしめたい (I Want To Hold You Hand)」のドイツ語版「Komm, Gib Mir Deine Hand」だった。その意味でも異色作である。独裁政権のシンボルとしてナチスが描かれているが,ホロコースト等の凄惨なシーンは全く登場しない。ヒトラーはしっかり登場するが,ジョジョ少年にしか見えない空想パートナーで,何とタイカ・ワイティティ監督自身が演じている。全編がコメディタッチで,ナチス・ドイツの圧制を徹底して茶化している。となると『チャップリンの独裁者』(40)を思い出すが,映画のタッチはウェス・アンダーソン監督の『グランド・ブダペスト・ホテル』(14年6月号)に近いものを感じた。母親役のスカーレット・ヨハンソンが色っぽく,ナチス教官役のサム・ロックウェルも存在感がある。自宅に匿われていたユダヤ人少女エルサ(トーマシン・マッケンジー)が清楚で,ジョジョがこの年上の女性に恋するのも無理はない。エルサとの交流から,ジョジョがナチスの教えに疑問を感じる過程が一番の見どころである。最後に引用されるリルケの詩も心に残った。
 『ペット・セメタリー』:原作はスティーヴン・キング作の同名小説で,「ペットの墓地」を意味している。1983年のベストセラーだが,1989年に一度映画化されているので,本作は再映画化となる。 『IT/イット “それ”が見えたら,終わり。』(17年11月号)の姉妹編という触れ込みだが,共通項は舞台が米国メイン州であることだけで,かなり印象は違う。ホラー映画としての出来映えも劣る。ボストンから田舎に越してきた医師の一家が,この土地特有の不思議な物語に遭遇する。というと『死霊館』シリーズ等のホラーによくある設定だが,悪霊が取り憑く訳ではない。死者が蘇るが,ゾンビではなく,S・キング得意の超能力,超常現象の一種だ。音楽が恐怖をかき立てるまでは良いが,大きな音で脅すのは本格化ホラーとしては邪道である。監督はS・キングを敬愛するケヴィン・コルシュとデニス・ウィドマイヤーだが,結末の後味がよくない。小説には適したエンディングだろうが,映画には合わないと感じた。主演はジェイソン・クラークだが,娘エリー役のジェテ・ローレンスが印象的だった。とにかく上手くて,怖い。この才能は末恐ろしい。
 『リチャード・ジュエル』:89歳のクリント・イーストウッド監督の最新作だが,この歳でもクオリティが落ちない。語りの上手さ,観客の心を捉える技は,もはや名人芸だ。ここ数作と同じ実話ベースの作品で,題名は実在の警備員の名前である。警察官になることが夢のリチャード(ポール・ウォルター・ハウザー)は,コンサート会場でテロリストが仕掛けた爆弾を発見し,大惨事を未然に防いだ英雄として報道される。一転してFBIに嫌疑をかけられ,これを地元紙がスクープしたことから,容疑者として扱われる苦悩の日々が始まる……。官憲とメディアの巨大な力に抗することが出来ない一般市民が,旧知の弁護士(サム・ロックウェル)の力を借りて闘う姿を見事に描いている。うまい!母親役のキャシー・ベイツが絶品で,弁護士役のサム・ロックウェルもいい味を出していた。上述の『マリッジ・ストーリー』の離婚弁護士とは大違いで,こういう弁護士には拍手を送りたくなる。それもこれも,映画での描き方1つと言える。監督の手腕には感心したものの,リチャードがこの弁護士費用をどうやって払ったのかが少し気になった。
 
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