O plus E VFX映画時評 2024年6月号掲載
(注:本映画時評の評点は,上から,,,の順で,その中間にをつけています)
■『ハロルド・フライのまさかの旅立ち』(6月7日公開)
今月号は何から始めようかと考えて,この映画にした。暗過ぎて思い出すのも辛い映画,呆れ返ってどう書き出そうか迷う映画より,エンディングが心地よく,平穏な心で臨める映画にした訳である。原作は,英国人作家レイチェル・ジョイスが2012年に出版した「ハロルド・フライの思いもよらない巡礼の旅」で,同国では最高峰のブッカー賞にノミネートされ,日本では本屋大賞(翻訳小説部門)の第2位だそうだ。そう聞いただけで,心温まる映画であることは確実だった。
題名から分かるようにロードムービーで,主演は名優ジム・ブロードベントだ。『ブリジット・ジョーンズの日記』シリーズではブリジットの父,『ハリー・ポッター』シリーズでは魔法使いのスラグホーン,『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』(12年3月号)では首相の夫デニスを演じていた。しかめっ面の老人の脇役が似合うが,『ベロニカとの記憶』(18年1月号)『ゴヤの名画と優しい泥棒』(22年1・2月号)では,しっかり主演を務めていた。本作の主人公のイメージはこの両作に近く,結末の味わい深さは前者とほぼ同等だった。
主人公のハロルドは定年退職後,平穏な生活を送っていたが,妻モーリーン(ペネロープ・ウィルトン)との関係は冷え切っていた。ある日,かつての同僚の女性クイーニー(リンダ・バセット)から手紙が届き,余命僅かでホスピスで暮していると書かれていた。ハロルドは「お大事に」とだけ書いた手紙を投函に出かけたが,考えを変え,「自分が着くまで生きているように」と電話伝言し,歩いてホスピスに向かう。ハロルドの住む英国南西部のデボン州からスコットランドの目的地までは,何と800kmの距離である。普段着,革靴の上,所持金僅かで,彼はこの長距離徒歩の旅を始めてしまった…。
800kmは東京から広島近郊までの距離だが,英語圏では500mileの方が遠距離感が出る。前半は予想通りの人情味溢れるロードムービーで,英国では清掃婦しか職がないスロバキア人の医師の話は心を打たれた。なぜロクな食事も取らず,野宿までして歩き続けるのか,ヒッチハイクくらいしてはと思うのは,筆者のような凡人の感覚なのだろう。この徒歩の旅が新聞記事になり,TVニュースを見た人々が一緒に歩き始め,大集団となる。
後半,クイーニーになぜ負い目を感じていたかの事情や,息子の死による妻との関係悪化が小出しで語られる。夫の行動を気にし始めた妻が何度か先回りして登場するので,実は夫婦愛の物語だと気がつくはずだ。ラストシーンは美しかったとだけ書くに留めておこう。
■『かくしごと』(6月7日公開)
次の2作品は,邦画のヒューマンドラマだ。まずは,北國浩二の「嘘」の映画化作品で,「ミステリー作家が書いた感動作」との触れ込みだ。監督・脚本は,これが監督2作目となる関根光才。デビュー作『生きてるだけで,愛』(18年Web専用#5)も魂を揺さぶられる映画であったが,本作も負けてはいない。同じく女性が主人公だが,前作の精神障害者で過眠症の女性から,本作では認知症の父をもち,交通事故で記憶喪失となった少年に寄り添う女性で,杏(渡辺謙の娘)を主演に抜擢している。
絵本作家の千紗子(杏)は絶縁状態だった父・孝蔵(奥田瑛二)が重度の認知症になったため,止むなく田舎の実家に戻る。ある日,旧友の久江(佐津川愛美)と再会するが,彼女の運転する車が少年(中須翔真)を撥ねて,少年は記憶を失う。少年の身体には虐待の跡があったため,千紗子は自分が母親だと「嘘」をつき,少年を「拓未」と呼んで,父親との3人暮しを始める…。
最初に小さな嘘から始まった共同生活はぎこちなかったが,次第に和やかな家族の形成して行く過程が心地よい。それでいて,少年の記憶が戻ったら,実の親が現われたら…と観客に不安感を抱かせる脚本が見事だった。「この擬似家族が続けばいいのに…」という思いは『護られなかった者たちへ』(21年9・10月号)に近く,「嘘がバレなければいいのに…」の思いは『八日目の蝉』(11年5月号)を観ていた時のシンパシーに近かった。物語構造はこの両作よりシンプルで,結末も容易に想像できるが,満足度は本作の方が上に感じた。
演技では,ボケ老人を演じる奥田瑛二の演技が迫真だった。自分も老いたらこうなるのかと感じる男性観客も少なくないことだろう。モデル出身で女優歴も長くなった杏も,既に3児の母だけに,十分母性を感じさせる演技だった。上映時間128分はやや長く,少し中だるみを感じたが,ラストが簡潔であったので,引き締まった印象を与える。この映画の価値は,このエンディングに尽きる。題名を「嘘」でなく,「かくしごと」にしたことで一層余韻が残り,関根監督の美意識の高さを感じる。瀬々敬久監督や成島出監督のような存在になって行くのか,この監督は次作以降も注目したい。
■『あんのこと』(6月7日公開)
同日公開の上に,上記と同じく題名が平仮名で文字数も同じ,その上,こちらは主人公の名前が「杏」だから,尚更紛らわしい。思い出すのも辛い映画で,できれば避けて通りたかったが,キャスティングも演出も見事な逸品で,紹介しない訳に行かない。主演は若手実力派の河合優美,監督・脚本は脚本家出身の入江悠。この10年間に,『日々ロック』(14年12月号)『22年目の告白-私が殺人犯です-』(17年6月号)『ビジランテ』(同12月号)『ギャングース』(18年11・12月号)『AI崩壊』(20年1・2月号)『映画 ネメシス 黄金螺旋の謎』(23年3月号)と6本も取り上げているように,中堅の注目株監督である。
本作はオリジナル脚本だが,実話ベースである。2020年6月,薬物依存からの更生途中にコロナ禍に行く手を阻まれ,自らの命を絶った若い女性を報じた新聞記事を読み,取材記者から得た事実から紡いだ物語だという。主人公の香川杏(河合優美)は20歳のシャブ中で,ホステスの母(河井青葉)と足の不自由な祖母(広岡由里子)との3人で粗末な団地暮しをしていた。小学校は不登校で漢字もロクに読めず,母親に強いられて12歳から売春を続けている。正に底辺中の底辺の生活である。
杏は覚醒剤使用で逮捕されるが,出所後に刑事・多々羅(佐藤二朗)が運営する薬物更生者の自助グループに参加し,夜間中学に通い,老人ホームでの介護の仕事を始め,新しい人生を歩み始める。多々羅の裏の顔を探る雑誌記者・桐野(稲垣吾郎)も彼女の更生を助ける。その一方,隣室の紗良(早見あかり)から自分の子供を預かってくれと,幼児・隼人を押し付けられ,杏は必死でこの子を育てる……。その彼女がなぜ自らの命を絶つことに至ったかは,悲しくてとても書けない。
せめて主演の河合優美のことを書いておこう。名前は知っていたが,出演作の印象がなかった。調べると,『サマーフィルムにのって』(21年7・8月号)『冬薔薇(ふゆそうび)』(22年5・6月号)『PLAN 75』(同号)『ある男』(同11・12月号)と4本も紹介しているではないか。すべて助演だったからだろうが,驚いたのは,楽しんで観ていたTVシリーズ『不適切にもほどがある!』で,松田聖子カットで登場するスケバン女子高校生を演じ,父親役の阿部サダヲと丁々発止の掛け合いをしていた若手女優であった。全く気付かなかった。なるほど大した演技力だ。本作の悲しい女性役で,完全に記憶に残った。
映画を観終わって,犯罪者であっても,多々羅のような男も必要悪なのかと感じたが,佐藤二郎は正にハマり役の好演だった。多々羅の性加害の告発を逡巡する桐野役の稲垣吾郎の演技はさらに印象的だった。『半世界』(19年1・2月号)『窓辺にて』(22年Web専用#6)でも褒めたが,年々見事な演技派男優になって行く。
■『ドライブアウェイ・ドールズ』(6月7日公開)
監督・脚本・製作はイーサン・コーエン。数々の洒脱な作品を生み出した「コーエン兄弟」の弟で,本作は彼だけの単独名義である。そう言えば,『マクベス』(22年Web専用#1)は,兄ジョエルの単独名義であった。長年共同名義であったが,いよいよ単独での映画作りを始めたということか。となると,その作風の違いを比べてみたくなる。『マクベス』は言うまでもなく,シェイクスピアの四大悲劇の1つであり,それを現代風にアレンジしてあるのかと思ったら,時代は原典通りの11世紀のスコットランドあり,モノクロ映像,スタンダードサイズという古典的なスタイルであった。おそらく,こういう映画も作れるというアピールの実験的作品であったのだろうが,見事に彼の力量を示していた。
一方,弟イーサン単独の本作は,それとは真逆で,洒脱を通り越して,お馬鹿ギャグや下ネタが頻出し,LGBTQテイスト満載の破天荒ガールズムービーとして作られている。兄ジョエルが『マクベス』で,コーエン組の常連で彼の妻のフランシス・マクドーマンドを主人公の相手役に起用していたのに対して,本作では共同脚本にイーサンの妻トリシア・クックの名前がクレジットされている。コーエン兄弟の作品の編集や編集助手を長年務めていた女性である。というか,兄はデビュー作『ブラッド・シンプル』(84)の準主演女優フランシスを妻にし,弟は3作目『ミラーズ・クロッシング』(90)の編集助手トリシアと結婚したという経緯だが,イーサンとトリシアの現在の関係はかなりユニークらしい。ともあれ,単独名義ともなると,堂々と「家族対抗映画合戦」の様相を呈していて,何やら微笑ましい感じがする。
時代はミレニアム直前の1999年12月で,主人公は奔放なジェイミー(マーガレット・クアリー)と堅物の友人マリアン(ジェラルディン・ビスワナサン)という設定で,いずれも同性愛者だ。それぞれ日常生活に行き詰まりを感じた2人は,気分転換にレンタカーの配送(=Drive Away)をしながら,フロリダのタラハシーに向かうことにした。女性2人の道中となると,当然名作『テルマ&ルイーズ』(24年2月号)を思い出すが,しっかり同作を意識した作りになっていた。もっとも道中でレズビアンバーを楽しむのは,いかにも現代風である。
一方,あるギャング一味が手配済みのクルマで同じくタラハシーに向かおうとするが,手違いでそのクルマは女性2人に貸し出され,既に出発していた。慌てて彼らはジェイミー達を追う。追われていることに気付いた2人が後部トランクを開けるとスーツケースが入っていた。その中身は,銃や麻薬や現ナマでなく,とんでもない「ブツ」であったが,とてもここでは書けない。他のシーンでは生首まで登場させる困った監督だが,それでもない。これは,読者それぞれに想像してもらうとしよう。
後は,描写は露骨,スリル満点&予測不能のアメリカ縦断ロードムービーである。フロリダ州選出の上院議員をマット・デイモンが演じているので,彼が問題の「ブツ」にどう関わるのかも楽しんで頂きたい。
■『チャレンジャーズ』(6月7日公開)
テニス映画で,主演はゼンデイヤというので,それだけで観たくなった。当映画評では,トム・ホランド主演の『スパイダーマン』シリーズ3作のヒロインMJ役でお馴染みだ。大作『DUNE/デューン 砂の惑星』(21年9・10月号)と続編『デューン 砂の惑星 PART2』(24年3月号)でも主人公ポールの恋人チャニ役で,物語の行方を左右する重要な役柄であり,女優としての存在感を高めている。それ以前は人気ファッションブランドの広告塔を務めるトップモデルであったから,長身でスタイルは抜群だ。身長180cmは大坂なおみと同じであり,女王セリーヌ・ウィリアムズより5cmも高い。テニスウェア姿が似合うだろうと思ったが,しっかり予告編冒頭にその姿があった。当然,グランドスラムに「チャレンジ」する女子選手の成功物語かと思ったのだが,彼女が男子選手2人を操る三角関係のラブストーリーであった。
女子プロテニス選手のタシ・ダンカン(ゼンデイヤ)は将来を嘱望されるスター選手であったが,試合中の大怪我で選手生命を絶たれてしまう。ところが,親友同士で男子ダブルスを組むパトリック・ズワイク(ジョシュ・オコナー)とアート・ドナルドソン(マイク・フェイスト)の2人ともがタシの虜になっていたので,彼女は2人を同時に愛して,彼らを支配することを新たな生甲斐とする。全くの女性上位の映画だが,これも最近のトレンドなのだろうと考えて観ることにした。
映画は怪我から10年経った2019年の試合のシーンから始まり,パトリックとアートが戦っている。パトリックは落ちぶれて,宿代もない生活だった。一方のアートはトップ選手であり,タシと結婚して子供もあり,タシがテニスのコーチを務めていた。即ち,男女関係の勝負はついていた訳だが,そこから時代は13年前に戻り,その3年後を描くかと思えば,何度も2019年の試合シーンが登場し,目まぐるしく時間軸上を移動する。当然その中で男女三角関係が変遷するが,単なる回想シーンではなく,観客を翻弄することが目的だと感じた。
トーナメントはパトリックが健闘し,試合はアートとの決勝戦だった。スコアは伯仲していて,何度も休憩が入り,マッチポイントからダブルフォールト,デュース,タイブレークと進行するたびに,1週間前,前夜のエピソードが入る。まるで再三CMで中断するTVのバラエティ番組の感じである。決勝戦前日の嵐の夜にタシとパトリックの情交シーンを描くに到っては,「早く試合の決着を見せろよ」と言いたくなった(笑)。そして,遂に試合の結末は……,これはジョークか漫画かと驚く滑稽なエンディングであった。VFXを駆使した試合のシーンは迫力があっただけに,このラストは残念に感じた。
監督は,『君の名前で僕を呼んで』(18年3・4月号)のルカ・グァダニーノ。彼の配偶者は,アカデミー賞ノミネート作『パスト ライブス/再会』(24年4月号)のセリーヌ・ソン監督である。同作は彼女の自伝であるから,映画中の米国人の夫アーサーのモデルはルカ監督ということになる。それぞれ男女比率を逆にして三角関係を描いているので,こちらは夫婦対抗の「三角関係映画合戦」となっている。
■『男女残酷物語/サソリ決戦』(6月7日公開)
こんな映画があったとは驚いた。配給会社の勧めで観て,度肝を抜かれた。1969年製作のイタリア映画で,「55 年間もの間,その存在と真価に誰も気づかなかった衝撃的傑作」が日本では初公開となる。ジャンル的には,「ウルトラ・ポップ・アヴァンギャルド・セックス・スリラー」だそうだ。よくぞ,こんな映画を見つけてきたものだ。その鑑識眼に敬意を表し,配給元が用意した「あらすじ」数種類の内の1つをそのまま記しておく。
「精巧な拷問技術の達人という裏の顔を持つ慈善財団大幹部セイヤーは,ジャーナリストのメアリーを拉致監禁,ハイテク装備満載の秘密のアジトで,想像を絶する肉体的,精神的凌辱の限りを尽くす。だが,言葉にできない恥辱を受けても微笑むメアリーはセイヤーの想像を遥かに超えていた。弱音を吐き始めるセイヤー。いま,洗練と野蛮が表裏一体の,性の対決がはじまる…。」
監督・脚本は,ピエロ・スキヴァザッパ。ドキュメンタリー分野出身で,本作が長編デビュー作だったようだ。一応物語はあるが,観客それぞれが自分の好みで男女の性の攻防を楽しむ映画である。男が主導のはずが,いつの間にか立場が逆転するとだけ留意しておけば十分だ。俗に言えば「SMもの」だが,そんな既成概念には当てはまらない。陰惨な表現,卑猥な感じは全くなく,スタイリッシュかつモダンだ。以下では,ビジュアル面を中心に筆者が気に入った点,気がついた点のみを述べる。
美術面での拘りが凄い。慈善財団内部の壁画には圧倒された。セイヤーの自宅のインテリアはポップアートそのもので,サイケデリックカラーで彩られている。駐車場へのドアが蛇腹のようで,調度や建物,拷問の道具に至るまで,デザインは斬新で凝りまくっている。機能的には,水陸両用車が活躍するのが面白かった。ただし,ビジュアル的には優れていると思いつつも,時代的に古くさく感じた。すぐに昔の映画だと分かってしまうのは,街行く女性のスカートの長さやクルマの形状がそう感じさせるのだろう。この映画のモダンは,典型的な「過去から見た未来」なのである。
本作の原題は『Femina Ridens』,英題は『The Laughing Woman』である。この映画の邦題は,いつ決めたのだろう? 公開しなかったが,当時からあった仮題なのか,それとも今回つけたのか? 1960年代にイタリア映画『世界残酷物語』(62)が大ヒットし,その後『○○残酷物語』が続々と登場した。即ち,まさに55年前にタイムスリップしたような題名なのである。
セイヤーを演じるのは,フランス人男優のフィリップ・ルロワ。貴族出身らしいノーブルで洒脱な佇まいと金髪ショートカットのルックスは,全盛時代のスティーブ・マックィーンや6代目ジェームズ・ホンドに就任した頃のダニエル・クレイグを彷彿とさせる。本作出演時のルロワは38〜39歳のはずだが,『華麗なる賭け』(68)公開時のS・マックィーンも『007/カジノ・ロワイヤル』(07年1月号)のD・クレイグも38歳であり,見事なまでに符合している。一方,メアリー役はダグマー・ラッサンダー。ドイツ出身でイタリア映画に転じた女優で,こちらは初期のボンドガールを思い出す。『007シリーズ』の開始が1960年代であったことを考えれば,こちらもそう感じるのは当然と思える。即ち,本作は,欧州映画全盛時代の洒落っ気と美意識を目一杯盛り込んだ映画なのである。筆者は,大泥棒のトーマス・クラウンや秘密諜報員のJ・ボンドは,こんな風に美女と戯れていたのかと想像しつつ,本作を観てしまった。
■『蛇の道』(6月14日公開)
題名は素直に「へびのみち」と読む。ことわざの「蛇の道は蛇」は「じゃのみちはへび」だが,本作はそうは読まない。本物の蛇もCGで描くモンスターの大蛇も登場しない。では,何が蛇なのかは,最後まで観れば大体分かるはずだ。監督・脚本は,国際的に評価が高い黒沢清だが,彼の単なる新作ではない。黒沢監督自身が26年前に撮った『蛇の道』(98)のセルフリメイク作であるが,舞台をフランスに移し,主人公を男性から女性に変更している。映画国籍はフランス・日本・ベルギー・ルクセンブルグの合作だが,全編をパリとその近郊で撮影し,監督以外のスタッフは現地人であり,実質はフランス映画である。
何者かに8歳の娘を殺されたジャーナリストのアルベール・バシュレ(ダミアン・ボナール)は,診察を受けた心療内科医の新島小夜子(柴崎コウ)の協力を得て,復讐計画を立てる。ミナール財団の元会計係ティボー・ラヴァル(マチュー・アマルリック)を拉致して監禁したころ,黒幕は財団の影の実力者ビエール・ゲラン(グレゴワール・コラン)だと主張した。次にゲランを監禁し,2人に拷問を加えると,衝撃の真実が語られ,また別の人物の名前が浮上した。拉致・監禁・殺害を繰り返す中で,次第に小夜子の不信な態度が目立ってくる…。
「リベンジ・サスペンス」という触れ込みだが,単純な復讐劇ではない。ワクワクするような緊迫感はなく,グロとバイオレンスの方が目立った。強烈に凄惨なシーンはないが,トイレにも行かせず,指を1本ずつ切り落とそうとする場面はおぞましかった。復讐とはいえ,一体何人殺す気かと不安になる。監督は,追いつめられた時に口にする人間の本性を描きたかったのだろう。何が真相なのか,この先どうなるのかが分からない。その意味では面白かったが,観終った後の爽快感はなかった。
柴崎コウの他に,日本人として西島秀俊,青木崇高も登場する。日本人同士の会話は日本語だが,他のセリフはすべてフランス語である。撮影の半年前から語学レッスンを受け,2ヶ月前からパリで生活したという柴崎コウのフランス語は十分許容範囲だった。演技がやや硬かったのは,現地人俳優とスタッフの中での緊張感からかと思ったのだが,実際に渡仏した日本人在住者の言葉や生活態度もこんな感じなのだろう。そこまで計算した演技であれば,大したものだ。十分好演の部類であり,彼女の代表作の1つに数えられると思う。
冷酷無比で落ち着いた態度から「蛇」だと感じさせるのに,主人公を女性にしたのは正解だ。黒沢監督は「最高傑作ができたかもしれない」と公言しているが,日頃の巧みな演出からすると,これが「最高」とは思えない。次作には菅田将暉主演の『Cloud クラウド』(9月号掲載予定)が控えている。純然たる邦画で,人気若手男優が主演となるとどんな演出になるのか,比べて論じたい。
(6月後半の公開作品は,Part 2に掲載しています)
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