O plus E VFX映画時評 2024年6月号掲載

その他の作品の論評 Part 2

(注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています)


(6月前半の公開作品はPart 1に掲載しています)

■『九十歳。何がめでたい』(6月21日公開)
 今月のPart 1の最初は心温まる映画だったので,後半はリラックスできるコメディ映画から始めよう。長寿の直木賞作家・佐藤愛子のベストセラー・エッセイ集の映画化作品である。元々エッセイの達人であるが,作者自身が「小説が売れない作家」と自称しているのに,なぜシリーズ累計175万部の大ベストセラーになったかと言えば,題名が高齢化社会に見事にフィットしたからだと思う。筆者のような団塊の世代は,自分もそこまで生きていたらどうしようかと思い,現実に老親を抱える介護世代も内容が気になったに違いない。この表題での女性週刊誌の連載が単行本化されたのは2016年で,作者は93歳であった。5年後の続編「九十八歳。戦いやまず日は暮れず」と併せた2冊から,歯切れのいい発言や笑いを誘うエピソードが選ばれている。作者は現在100歳,彼女を演じる主演は現在90歳の草笛光子で,絵に書いたような見事なキャスティングだ。
 実名の佐藤愛子で登場する主人公は,90歳で自伝的小説を書き終え,断筆宣言をした。2階には娘・響子(真矢ミキ),孫娘・桃子(藤間爽子)が住んでいるものの,めっきり人付き合いも減り,のんびり暮すはずが,退屈のあまり毎日気分が沈んでいた。そこに,大手出版社の冴えない中年編集者・吉川(きっかわ)真也(唐沢寿明)がやって来て,愛子に連載エッセイの執筆を持ちかける。何度追い返しても,日替わりの手土産を持参して執拗に迫る吉川に根負けして,ヤケクソの本音を語る隔週連載を始める。選りすぐったエッセイ文がベースなので,老人が感じる日常,呆れるような社会的出来事への本音の発言は痛快で,実に楽しい。書籍化して,大ベストセラーになってからの騒動も盛り込まれていた。
 典型的昭和世代人間の吉川が第2の主役とも言うべき存在で,彼が社内でのパワハラ,セクハラ発言で謹慎処分になることや,編集長・倉田(宮野真守)や辣腕若手社員・水野(片岡千之助)との掛け合いも物語を盛り上げる。その一方で,妻・真理子(木村多江),娘・美優(中島瑠菜)に愛想を尽かされ,別居から離婚騒動に至る描写は,中年以上の平均的日本人男性は身につまされるはずだ。監督は,『そして,バトンは渡された』(21年Web専用#5)『大名倒産』(23年6月号)の前田哲だが,ヒューマンドラマよりもコメディ演出の方が上手い。
 映画を観終えてすぐに,かつて買いそびれた原作エッセイを読みたくなり,編集者・吉川がどんな人物か知りたくなった。エッセイ集の1冊目は文庫本,2冊目はKindle版を購入したが,表紙カバーはいずれも本作のメイン画像そのものだった。それもあってか,文を読んでも佐藤愛子の顔は思い浮かばず,草笛光子が語っているかのように感じてしまった。
 編集者・吉川はエッセイ中にも再三登場するのかと思ったが,後書きで「K氏」と言及されているだけだった。2冊目でようやく見つけた編集者名は,橘高(きつたか)で,本名ではなかった。本作の脚本担当の大島里実が,フィクションを交えて愛すべきに中年男に仕立てている。ならばいっそ,彼を主人公にしたスピンオフ作品『昭和的編集者・吉川真也』を作ることを提案したい。『不適切にもほどがある!』の小川市郎に匹敵する存在になると思うのだが,如何だろうか?

■『ザ・ウォッチャーズ』(6月21日公開)
 あのM・ナイト・シャマランの映画だというので,試写を観るべきか迷った。大ヒット作『シックス・センス』(99年11月号)で一躍人気監督となり,彼の脚本には驚くべき高額が支払われるようになった。次作『アンブレイカブル』(01年2月号)はまずまずの出来映えだったが,その後は凡作,駄作の連発で,ラジー賞の常連となった。何度も期待外れであったことは,長年の読者ならご存知の通りである。『スプリット』(17年5月号)の宣伝文句が「完全復活」であったから,その間がいかに劣悪であったか,配給会社が認めていた訳である。同作も「復活」とは言い難い出来映えで,続編『ミスター・ガラス』(19年1・2月号)は元の木阿弥状態に戻ったと感じた。
 10数年前の『デビル』(11年7月号)は,ホラーとしてもミステリーとしても好い出来映えだったが,彼は原案・製作だけで,監督や脚本は若手映画人に任せていた。自ら監督しない方がずっと良かった訳である。本作は,原案にもタッチせず,製作だけなので期待が持てた。では,監督・脚本は誰かと言えば,何と24歳の次女イシャナ・ナイト・シャマランで,これが彼女の長編デビュー作である。原作はアイルランドの作家A・M・シャインの同名ホラー小説で,物語は同国のゴールウェイ市の郊外の森を中心に展開する“覗き見”リアリティーホラーとのことだ。果たして,父親のDNAがどう発揮されるのか,一気に興味が増して観てしまった。
 主人公は米国からやって来た28歳の女性アーティストのミナ(ダコタ・ファニング)で,町のペットショップで働き始めた。鳥籠に入った黄金色のオウムを自動車で指定場所に配達に出かけたところ,地図のない森に迷い込んでしまう。スマホやラジオが突然壊れ,車も動かなくなったので,森の探索に車外に出たところ,車は消えてしまった。森を迷い歩く内に老女マデリン(オルウェン・フエレ)に出会い,彼女に導かれて隠れ家のような建物に入ると,そこには20代の女性シアラ(ジョージナ・キャンベル)と10代の青年ダニエル(オリバー・フィネガン)がいた。ガラス張りの建物内部は,毎夜,外部から不思議な監視者たちにすべての行動を覗かれていたが,この森で生きて行くには,決して監視者に背を向けず,ドアは開けてはならないと,ミナは教えられる。
 窃視ホラーとしてはユニークで,ようやく脱出方法を見つけ出した後も,想像した以上の不思議な物語が展開する。ファンタジー要素のあるホラーで,監視者の正体を知りたくなること必定だ。エイリアンでもゾンビでもなく,ある種の魔物/妖精と言えるが,人間との関係の辻褄は一貫していて,矛盾はない。これ以上詳しく書くことは避けるが,父親が作った『サイン』(02年10月号)の宇宙人や『ヴィレッジ』(04)の怪物ほどバカバカしい存在ではないことは保証しておこう。不気味な音の使い方も巧みで,ホラー作家としての才能を感じる。どうやら,どうやら,娘イシャナは懲りない父親の悪いDNAは受け継いでいないようだ。大ヒットして慢心せずに,着実に成長して行くことを期待する。

■『フィリップ』(6月21日公開)
 ポーランド映画で,同国の作家レオポルド・ティルマンドが1961年の出版した自伝的小説「Filip」の映画化作品である。時代はナチス支配下の第二次世界大戦中で,主人公はユダヤ人だが,収容所に送られることはなく,ホロコーストの惨状は直接描かれていない。
 まず登場するのは,1941年のワルシャワの劇場で,主人公のフィリップ(エリック・クルム・ジュニア)はそこに出演していたが,ナチスがなだれ込んで来て発砲し,多数のユダヤ人が虐殺される。フィリップは難を逃れたが,将来を誓い合った恋人や家族をすべて失った。
 そして,舞台は2年後のドイツのフランクフルトへと移り,街はナチスの旗一色に染まっていた。フィリップは,自らをフランス人だと偽り,高級ホテルのレストランの給仕として働いていた。人生の目標を失った彼は,夜も寝つけず,深夜のホテル内で自らの身体を痛めつけて心の平静を維持していた。その一方,上流階級のドイツ人女性を次々と誘惑して情交を続けた後,侮蔑的な言葉で卑しめた。それが彼流のドイツ人への復讐であった。当事,外国人との情事は犯罪で,女性は公衆の面前に髪を切られたが,男性の大半は戦地で従軍していたので,孤独な妻たちはその危険を犯してまで外国人男性を求めていた。やがて,フィリップはプールサイドで知り合った美女リザ(カロリーネ・ハルティヒ)と真剣に愛し合うようになり,2人でパリに脱出しようとするが……。
 ホテルでの結婚披露パーティの準備,ゲイの親衛隊高官,将校夫人との情事の顛末等々,連合軍との戦闘やホロコースト以外のナチスドイツの日常の描き方が興味深かった。ホテル・レストランの従業員も,フランス,ポーランド以外に,イタリア,オランダ,ベルギー,チェコ,ハンガリー等々の欧州一円から集められていて,いかに当事のドイツが欧州を支配していたかが分かる。戦時中でも,毎日定時23:20にパリ行きの列車が運行されていて,前線行きとパリ行きで乗客を仕分けるシーンが面白かった。終盤の緊迫感はなかなかのもので,鮮やかな結末を迎える。これが創作でなく,自伝だというのに驚いたが,実話でないと書けない物語だと思い直した。監督・脚本は,ポーランド人のミハウ・クフィェチンスキ。演劇学校卒業生で科学アカデミーの博士号をもち,勲章や文化功労賞を得ている人物のようだ。

■『ONE LIFE 奇跡が繋いだ6000の命』(6月21日公開)
 ナチス関連の映画が続く。上記と同様,直接ホロコーストの描写はなく,他国への脱出に成功したユダヤ人を描いているという点は同じだが,かなり情況が異なる。フィリップのように才覚を発揮できる人物ではなく,チェコスロバキアにも迫り来るナチスの脅威の中,プラハで悲惨な生活を送るユダヤ人難民が本作の対象だ。英国人の人道活動家が,難民の子供たちをロンドンに移送し,669人もの命を救ったという実話を映画化している。6000という数は,彼らの子孫も含めた累計である。
 映画の冒頭で,1938年当事の欧州での政治情勢が語られる。続いて,時代は1987年,ロンドン在住の主人公ニコラス・ウィントン(アンソニー・ホプキンス)の家庭から物語は始まる。集めた書籍や資料を捨てられず,書斎は満杯だったため,娘の出産で渡米する妻から不在中に断捨離しておくことを要求される。一転して,第二次世界大戦開始前の1938年に戻り,チェコ在住ユダヤ人の惨状を知った29歳のニコラス(ジョニー・フリン)はプラハを訪問し,彼らを救出することの行政的困難さを理解する。ユダヤ人のルーツをもつ彼は,自らが現地と連携して活動することで,子供たちだけでも英国に避難させる計画を立てる。当初反対していた母親(ヘレナ・ボナム=カーター)も巻き込み,資金集め,パスポート&ビザの手配,英国での里親探しに奔走する。ロンドン行き列車での移送に何度か成功するが,1939年9月の開戦により,最後の250人の避難は達成できなかった…。
 てっきりA・ホプキンスの登場は最初と最後だけかと思ったのだが,これは外れた。時代を往復し,78〜79歳のニコラスを何度も登場させることで,この映画の重みが増している。断捨離中に往時のスクラップブックを見つけたニコラスは,救えなかった子供たちを思い出し,自責の念に苦しむ。この貴重な資料の公開を友人に相談するが,世の中の反応は芳しくなかった。ところが,1988年にBBCのTV番組『That’s Life』がこの話題に触れることになり,ニコラスはその公開収録に招かれる。会場の聴衆席で彼の隣の席にいたのは,想像もできなかった驚くべき女性であった。この番組は大きな反響を呼び,ニコラスの元には多数の手紙やFAXが舞い込む。2度目の番組収録は,さらに驚く感動の場面となる……。
 副題から,感動系の映画だと想像できたが,期待以上の素晴らしい作品であった。監督のジェームズ・ホーズはTV局のディレクター出身で,これが映画デビュー作である。終盤の感動を呼ぶ演出が秀逸であり,その伏線を予め忍ばせていることも心憎い。TV番組収録時のエピソードは,かなり脚色したフィクションかと思ったが,番組名も登場人物も完全に実話である。(少し調べたら)むしろ映画は少し簡略化してあり,実際の番組内では,もう一段階感動を呼ぶ演出がなされていたようだ。
 こんな偉業を達成した立派な人物が英国にいたとは,本作を観るまで知らなかった。確かに1988年までは全く公知の事実でなかったが,その後,106歳で他界するまでに,彼は国内外から数多くの賞賛や表彰を受けている。「英国のシンドラー」と呼ばれ,チェコの天文学者が発見した小惑星の名前にもなった。映画としては,本作以前にスロバキアで3本の映画(劇映画とドキュメンタリー)が作られ,英米合作の『Into the Arms of Strangers: Stories of the Kindertransport』(00)は,アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞している。いずれも日本では公開されなかったので,我々日本人の大半は,本作までこの人物の存在を知らなかっただけのようだ。
 本作を観て,改めて感じたことがある。この主人公以外にも,ナチスの手からユダヤ人の隠匿や脱出支援を試みた事実は多数存在する。ところが,現在の欧州各国の難民救済は大半が同じ欧州内に留まっていて,中近東やアフリカからの難民受け入れに極めて消極的であることは,先月の『人間の境界』(24年5月号)で見た通りだ。ニコラス・ウィントンの勇気ある行動を賞賛しておきながら,シリア等からの移民・難民を嫌うあまり,EU離脱にまで至った英国には,失望を禁じ得ない。

■『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』(6月21日公開)
 GG賞,アカデミー賞受賞作の積み残し分である。GG賞では3部門にノミネートされ,M/C部門の主演男優賞,助演女優賞を受賞し,アカデミー賞は5部門にノミネートされ,助演女優賞でオスカーを得た。先月の『関心領域』(24年5月号)もそうだったが,やはり作品賞候補作に外れはなく,間違いなく誰もが納得する良作だ。本作の監督アレクサンダー・ペイン,主演ポール・ジアマッティは,ワイン映画の『サイドウェイ』(05年3月号)のコンビである。「holdover」は「残留者。残留物」を意味するが,ここでは置いてきぼりになった「居残り組」程度の意味合いである。
 舞台はマサチューセッツ州にある全寮制の寄宿学校で,時代は1970年のクリスマス休暇だ。大半の生徒は帰省するが,急遽スキーリゾートに出かける組もいた。多額の寄付をする有力者の子弟に落第点をつけた古典の教師ポール・ハナム(P・ジアマッティ)は,校長から懲罰として休暇中も出勤する「居残り生徒の子守役」を命じられる。博識だが頑固者の皮肉屋で,教師仲間や生徒たちからも嫌われている。生徒の態度をこき下ろして,厳しい課題を次々と出すので,今なら,パワハラ,アカハラで訴えられること必定だ。
 一方,母親が再婚相手と新婚旅行に出かけたため,自宅に戻れない高校生のアンガス(ドミニク・セッサ)だけが居残る。家庭内に居場所がなく,ひねくれ者のため,友人もいない。12月17日から年明けまでの2週間余は退屈極まりなく,ハナム教師に反抗的態度をとるので,倍返しの罰則が彼に下る。人生の落後者の2人の葛藤を,客観的な冷めた態度で仲裁するのは寮の料理長のメアリー(ダバイン・ジョイ・ランドルフ)だった。彼女は一人息子をベトナム戦争で亡くしたばかりで,学園内で静かに休暇を過ごそうとしていた。夕食を3人でする内に,次第に打ち解け,擬似家族のようになる過程が絶妙だ。アンガスの希望を聞き入れて,社会科見学の名目で3人はボストンに出かけ,楽しい数日を過ごす。それが原因で起きた騒動で,アンガスは退学の危機に瀕する……。
 街の光景も行き交う人々の風俗も,見事に1970年という時代の空気感を活写していた。日本は大阪万博の祭りの後の時期だが,なお高度成長の真っ只中だった。一方の米国は,ベトナム戦争への国内反発は激しさを増し,国際的地位も急落し,経済的も翌年ニクソンショックを迎える。退学になると陸軍学校に入れられる運命のアンガスの恐怖心は,まさにこの時代を反映した描写だ。ハッピーエンドではなく,大きな感動を呼ぶ結末でもないが,何か心に沁みるものを感じる映画であった。
 ペイン監督は珍しく自ら脚本を書かず,プロデューサーのデヴィッド・ヘミングソンに,ジアマッティを想定した脚本を依頼していた。深い教養と圧倒的な言語的表現力を基にした脚本が素晴らしい。字幕担当者は,言葉選びに苦労したことだろう。演技賞よりも,脚本賞を受賞すべき作品だったと思う。音楽も抜群で,既存曲の選曲も劇伴曲の出来映えも秀逸だったが,これは「サントラ盤ガイド」のコーナーで語ることにする。

■『ふたごのユーとミー 忘れられない夏』(6月28日公開)
 近年『プアン/友だちと呼ばせて』(22年7・8月号)『卒業 Tell the World I Love You 』(23年8月号)とタイ映画を取り上げたが,偶然なのか年1本のペースで,またタイ映画を紹介する。2本とも「青春ドラマが熱い」の標語通りの若者映画であったが,本作はさらに年齢層が下がっている。題名通り,一卵性双生児の女子中学生が主人公の青春映画で,明るい日差しの下で展開する一夏の物語を描いている。監督・脚本も一卵性双生児の女性監督で,ワンウェーウ&ウェーウワン・ホンウィワット姉妹の監督デビュー作である。それじゃ呼吸もぴったりの上に,主人公2人の気持ちも手に取るように分かるはずだ。自伝ではないが,祖母と暮した日々の記憶は本作の中に活かされていると語っている。
 時代は1999年,舞台となるのはタイの東北部にあるイサ―ン地方の町である。家庭の事情で田舎の祖母の家で暮すことになった2人の名前はユーとミーで,監督名よりはずっと分かりやすい。一卵性だけあって,見た目はまさにそっくりで,それをいいことに,映画も食べ放題レストランも1人分の料金で済ますという狡いことをやっている。見分け方は,ホクロのある方がミー,ないのがユーである。映画としては,観客が見分けやすいよう,さらに配慮していた。髪をピンで留めて耳を出しているのがユーで,隠しているのがミーとなっていた。
 何でも語り合い,いつも一緒で何事もシェアしてきた2人であったが,イケメンでスポーツマンの男子生徒マークと知り合って,2人の関係は微妙になる。2人ともマークに想いを寄せたが,相手が1人では「初恋」はシェアできない。マイクがユーと恋仲になり,予想通り,ミーは複雑な心境の三角関係が展開する。2人が入れ替わってマイクと接するというシーンも登場するが,マイクがある選択をする。さらには,両親が離婚し,2人が離れ離れになるという運命が待ち受けていた……。
 さてここからはネタバレになることを断っておきたい。まずまず予想通りの甘酸っぱい青春映画で,まだまだ映画後進国のタイならば,こんなものだろうと感じた。少女2人が可愛いので,何事も許せた。そして,最後にエンドロールを見て驚いた。演じていたのは双子ではなく,ティティヤー・ジラポーンシンなる若手女優が,1人2役を演じていたのである。見事に騙された! いや製作側に騙すつもりはなかっただろうが,筆者が勝手に本物の双子が演じていると思い込んだに過ぎない。
 オンライン試写で3度まで見ることができたので,2人同時に登場するシーンを徹底的に点検してみた。大変は,後向きなど片方が顔を見せないシーンであったので,それは体形がそっくりの代役が演じていたのだろう。一部は古典的なスプリットスクリーンの技法で,別撮りした映像を合成してあるだけだ。2人並んで撮影し,顔だけデジタル後処理での差替も可能だが,それはしていないと見て取れた。何度も見直したので,中国系タイ人のこの新人女優の顔は完全に覚えてしまった。泣き顔のシーンだけは下手くそだったが,2人の性格の演じ分けは見事だった。撮影したのは数年前のようだが,現在の彼女は19歳。今後どんな映画で見られるのかが楽しみだ。

■『言えない秘密』(6月28日公開)
 邦画の青春恋愛映画である。その場合70%以上はスルーするが,当欄で取り上げた理由を説明するのが約束事なので,それから語ろう。理由は2つあり,1つ目は2007年製作の同名の台湾映画のリメイク作であることだ。アジア全域で大ヒットしたというので,物語の骨格はしっかりしていると思われた。第2はヒロイン役の女優である。主演の男女優は,アイドルグループ「SixTONES」の京本大我と個性派女優の古川琴音だったが,ある映画雑誌で彼女が大きく取り上げられ,恋愛映画のヒロインは初めてで,かなりピアノの練習をしたと語っていた。NHK大河ドラマ『どうする家康』(23)で演じた武田家の間者役が強烈な印象を与えたので,彼女が純愛劇のヒロインを演じるとどうなるのかが関心事であった。
 主人公は英国へのピアノ留学帰りの樋口湊人で,帰国後,青葉音楽大学に編入したが,過去のトラウマから,ピアノが弾けなくなっていた。ある日,取り壊し間近の旧講義棟の演奏室から聞こえるピアノの音色に心を奪われる。弾いていたのは,内藤雪乃なる女性で,曲名を尋ねても「秘密」と答えるだけだった。何度か出会いを重ね,傷ついた心を癒してくれる雪乃に湊人は夢中になり,2人の距離は急速に縮まって行く。湊人が幼馴染みで同級生のひかり(横田真悠)とキスする姿を見て,雪乃は姿を消してしまう。必死で雪乃の後を追う湊人はようやく再会を果たしたが,雪乃にはある「秘密」があり,別れを伝えに来たのであった……。
 古い演奏室でのピアノ演奏をネタにした恋愛映画では,『サイレントラブ』(24年1月号)を思い出した。評点は同じだが,音楽的には同作の方が上だと感じた。本作の監督は,『総理の夫』(21)『身代わり忠臣蔵』(23)の河合勇人。コメディ映画の方が得意で,純粋な恋愛劇には向いていない。リメイクするからには,もっと見応えある作品を期待したが,ストーリーテリングが拙い。まず,2人の出会い,恋に落ちるプロセスが不自然だ。雪乃の「秘密」は,すぐに想像がついてしまう。それでも,終盤の種明かしパートがそこそこ見られたのは,原作のおかげだろう。ピアノ連弾シーンは,俳優自身が弾いているアングルもあり,練習の賜物だと感じられた。
 最大の欠点はキャスティングで,主演の男女に全く魅力がない。男優は誰でも演じられるレベルだが,このヒロインに古川琴音は全く似合わない。演技は素人並みでも,誰もが一目惚れする,見るからに可憐な美女の方が合っている。個性的演技派の古川琴音にとって,こんな単純で幼稚な恋愛劇は全くの役不足だ。来月の『お母さんが一緒』では三姉妹の三女役で,9月号で紹介予定の『シサㇺ』『Cloud クラウド』にも出演している。それらの演技と比べて,改めて言及したい。

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