head
titlehome略歴表彰学協会等委員会歴主要編著書論文・解説コンピュータイメージフロンティア
| TOP | CIFシネマフリートーク | DVD/BD特典映像ガイド | 年間ベスト5&10 |
title
 
O plus E 2018年Webページ専用記事#5
 
その他の作品の短評
  (注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています。)  
   
   『人間機械』:現在は筆者が関西在住のため,試写の大半は大阪で観ているが,当欄は(地域振興映画の特別先行上映を除いて)首都圏での最も早い一般公開日に合わせて紹介ように努めている。単館系で全国順次公開の場合もこの原則を守ろうとしているが,本作と次項の2本はさすがにそうは行かなかった。東京では既に7月中~下旬に公開されていたが,その存在を知ったのは8月末のことであり,大阪・京都では10月以降に公開とのことだった。興味をもったのは,通常はマスコミ試写などなく細々と公開されるのに,(配給会社は異なるのに)2本まとめての試写会が行われたからである。左翼運動の典型のようなこの2作を観て,筆者自身が何を感じるのか,自分で自分に興味をもったことも一因だ。さて,「人間機械」と題した本作だが,一般観客は何を想像するだろう? 「アンドロイド」や「サイボーグ」が登場するSF映画ではない。映画通なら,チャップリンの名作『モダン・タイムス』(36)を思い出すことだろう。産業革命後の機械文明が人間の尊厳を蹂躙する様を笑いで表現した話題作であったが,本作で描かれるインドの繊維工場の実態はそれ以下の前近代的なものだった。映画としては,たった61分のドキュメンタリーだが,キャッチコピーには「超絶音響」「工場労働」「記録映画」の四字熟語が並ぶ。まだオートメーションにも至っていない。1日12時間労働,時には36時間,立ちっ放し,食事なしの過酷な労働状況である。貧富の差が激しいインドだが,先端のIT産業の華々しさの裏で,労働組合なしの19世紀より酷い搾取経営に行われていることに驚く。大発展途上のインドですらこうなら,世界各地ではもっと過酷な労働が強いられているのだろうと観客が想像するだけで,監督の意図は達成されている。音響記録も凄まじいが,映像の鮮烈さにも息を飲んだ。暗いはずの工場労働を描く映画で,そうしてこんな鮮やかな色が出せるのだろう? 監督のラーフル・ジャインは,ニューデリー出身で,米国のカリフォルニア芸術大学で映画学を学んだ若手であり,これがデビュー作である。映像作家としての感性の鋭さは十分感じられた。今後,監督として成功した時,10年後,20年後にどんな作品を撮っているのだろうかと,そちらの方が興味深かった。
 『乱世備忘 僕らの雨傘運動』:こちらは香港映画で,2014年に普通選挙を求めて起こった「雨傘運動」の模様を,渦中にあった学生運動家自らが記録した映像を編集したものである。筆者は,その数年前に香港での国際会議に参加し,近代的なビル群と活気のある経済活動を目の当たりにして,1999年の返還後の繁栄を実感していただけに,中国共産党政府の政治的干渉でまだ普通選挙すら行われていないという報道を知って驚いた。それに対して立ち上がった学生達の心意気に感心していたから,この学生側視点での映像記録を興味深く観た。監督のチャン・ジーウンは,映画制作を学ぶ学生であり,こちらも長編デビュー作である。街を占拠するこの運動の前線に立ち,自らカメラを回している。「乱世備忘」なる表題通り,まさに自分たちの抗議運動の79日を映像記録として残すことが,この映画の第一義だ。冒頭のビル群,最後の締めに若干の演出が感じられるが,残りは外連味のない淡々とした活動の記録である。その分,128分の長尺は少々退屈する。それでも,この映画はこれでいい。社会の不条理や不公平に対する怒りと連帯は,若者の特権である。これを青春群像劇と見るか,反政府運動の教材のように見るか,あるいは中央政府を硬化させるだけの逆効果の無謀な活動と見るかは,観客個人の生活環境や政治的信条によるだろう。筆者の場合は,約50年前の学園闘争時の自分をこの中に投射して観た。ただし,本作や雨傘運動自体を評価する識者のコメントには,何一つ共感できるものはなく,いずれも白々しく感じた。
 『ルイスと不思議の時計』:この表題を見て,2012年のアカデミー賞で最多11部門にノミネートされ,視覚効果賞,美術賞等5部門のオスカーを得た『ヒューゴの不思議な発明』(12年3月号)を思い出した。駅舎内の時計台裏の小部屋で暮す孤児のヒューゴ少年が主人公の話であった。本作は,両親を事故で亡くし,魔術師の伯父に引き取られたルイス少年が遭遇するファンタジー映画であるから,設定も似ている。原題は『The House with a Clock in the Wall』で,原作は米国の作家ジョン・ベレアーズによる同名の児童文学である。その邦訳本の題名は「壁の中の時計」で,この題の方が正確だが,配給会の担当者は多分に『ヒューゴ…』を意識して今回の邦題にしたのだろう。映画の宣伝効果に期待してか,原作の新訳もこの映画の題に合わせるようだ。伯父のジョナサン役はジャック・ブラック,隣人の元魔女のフローレンス役をケイト・ブランシェットが演じている。この2大俳優に掛け合いが絶妙で,随所で笑いを誘う。この2人の魔法使いが登場し,ルイス少年(オーウェン・ヴァカーロ)までが魔術書を盗み見て呪文を唱え,さらには敵役で邪悪な魔女まで蘇るので,当然CG/VFXたっぷり使われている。本来なら,本誌9&10月号のメイン欄に載せるべき作品なのだが,締切に間に合わなかったので,長めの短評で紹介する次第だ。時代設定は1955年,大きな屋敷の美術セットに力が入っている。邸宅の外観だけでなく,調度類も肝となる時計のデザインもなかなかものである。印象は,確かに上記『ヒューゴ…』と『ハリー・ポッター』シリーズの併せ技の感がある。一見,ゴシック・ホラーだが,実はブラック・コメディと言った方が近い。いやいや,主演はJ・ブラックだが,全く暗くはなく,怖くもない。布団,椅子,勝手に動くのは勿論,首がぐるぐる回ったり,床が抜けて,大時計が登場したり……。豪華な学芸会風で,ハロウィーンのおまけのアトラクションの感もあった。力作ではあるが,展開が目まぐるしく,雑然としていて,緊迫感が少なかったのが少し残念だ。
 『アンダー・ザ・シルバーレイク』:最近色々な役柄に挑戦し,芸域を拡げているアンドリュー・ガーフィールド主演のサスペンス・スリラーというので,大いに食指が動いた。舞台となるのはロサンジェルスの人気スポットであるシルバーレイク地区で,LAを描いた数々の名画へのオマージュもたっぷり登場するという。この町で,無職で家賃も払えない青年サムが,向かいに引っ越して来た美女サラに恋するが,ある日彼女が突然姿を消す。彼女の行方を追う内に,サムの行動はカルト集団の陰謀を暴く旅へと変わって行く……。カルト集団,ヒット曲や雑誌記事の隠された暗号,サブリミナル効果等々を扱うだけあって,音楽もビジュアルも凝りに凝っている。ところが,その素材の料理法が個性的過ぎて,消化不良を引き起こす。監督は,鬼才(奇才?)のデヴィッド・ロバート・ミッチェル。筆者はこの監督の演出に付いて行けず,長尺の2時間20分が苦痛だった。なるほど「悪夢版 ラ・ラ・ランド」という前評判がピッタリだ。ハリウッドの業界人,LAのサブカルチャー信奉者には楽しいかも知れないが,万人受けする映画ではない。ヒロインのサラ役はライリー・キーオで,エルヴィス・プレスリーの孫娘だという。初めての重い役で,演技力はまだまだだが,母親のリサ・マリー・プレスリーよりはずっと美形なので,こちらは万人受けする女優に成長するかも知れない。
 『テルマ』:ノルウェー製のサイコ・ホラーで,今年後半の公開作の中で,間違いなく衝撃作ベスト3に入る逸品だ。昨年度,各国の映画祭で絶賛され,既にハリウッドでのリメイクが決定しているという。冒頭シーンの父娘は一体どこを歩いているのだろうと思ったら,湖上の氷の上だった。続いて,森の中で娘にライフル銃を向け,思いとどまる父親……。表題は主人公の少女(エイリ・ハーボー)の名前だが,彼女が大学に進学したところから物語は本格化する。不思議な能力をもち,毎夜悪夢に悩まされる彼女の秘密が徐々に解き明かされる。全く先が読めない展開だが,やがて前半の伏線が見事に繋がって行く脚本が素晴らしい。少女も美形だが,美しい北欧の自然風景が恐ろしさを倍加させる。父親に感情移入して娘の行動を見守ろうとすると,この展開は尚更怖い。CG/VFXが随所で使われていて,多数の鳥,鹿,蛇,炎,ガラスの破壊,水中シーン等もその産物だろう。高いアングルからの映像も印象的だった。完全に結末が分かった上で,もう一度この映画を観たくなるし,ハリウッド製のリメイク作も観たくなることだろう。
 『華氏119』:アポなし突撃インタビューが十八番のマイケル・ムーア監督の社会派ドキュメンタリーの最新作だ。題名だけ見たら『華氏911』じゃないかと思う読者も少なくないだろう。それは,彼の2004年の作品(原題は『Fahrenheit 9/11』)で,2001年の同時多発テロ9・11へのジョージ・W・ブッシュ大統領政権の対応を徹底的に糾弾し,大統領の無能ぶりを指摘した作品だった。本作の原題は『Fahrenheit 11/9』で,現ドナルド・トランプ大統領が標的だ。2年前の米国大統領選は11月8日で,翌日(11/9)にトランプが勝利宣言したことにちなんでいる(多少,こじつけっぽいが…)。題名だけでなく,現職大統領をこき下ろす姿勢も対をなしている。選挙戦中からトランプの危険性を指摘していたM・ムーアならば,当然映画にするだろうと思っていたが,意外と遅かった。来るべき中間選挙に影響を与えようとして,今まで待っていたのだろう。大好きな突撃ドキュメンタリー・シリーズであるが,本作は期待外れだった。いつもほどのドキッとした切り込みがないと感じるのは,トランプ批判報道にはもう毎日のように接していて,新たな驚きがないためだろう。彼は民主党支持だからスタンスは理解できるが,ヒステリックに現職大統領を「ヒトラーの再来」と叫んでも,40%のトランプ支持者たちはびくともしない。本作に関しては,基本戦略が間違っていると感じた。一体,誰に何を訴えたいのだろう? 民主党支持者やトランプ嫌いが観ても,多少溜飲が下がるだけで,それだけのことだ。本気で中間選挙での批判票を掘り起こしたいならば,良識ある共和党支持者にもっと説得力のある論調で語り,「今回だけは,民主党に…」と思わせるしかないだろう。
 『生きてるだけで,愛』:単館系の邦画で,題名通りに「愛」を感じ,魂を揺さぶられた映画だった。原作は芥川賞候補となった本谷有希子作の同名恋愛小説で,精神障害者で過眠症の女性(趣理)と彼女に寄り添い同居する男(菅田将輝)の不思議な生活を描いている。障害者の行動と分かっていながら,前半1/3はとにかく不愉快だった。ところが,中盤から俄然面白くなり,感情の制御ができない女性の一挙一動を固唾を飲んで見てしまう。ということは,まんまと監督の演出と主演女優の演技力に乗せられてしまったということになる。同居人の男性にも,次第に感情移入できる。いつも目をむいて騒いでいる菅田将輝が,本作では抑えた演技で,その物静かさ,クールさも見どころだ。彼女が勤めるようになるカフェ・バーの店主夫妻(田中哲司と西田尚美)の心の広さに感服する。自分には到底ここまでの人間愛は持てないと感じ入った。監督は,先日の『太陽の塔』(18年9・10月号)を撮った関根光才。これが劇映画の初監督作であるが,脚色も演出も見事だ。
 『ジョニー・イングリッシュ アナログの逆襲』:待ち遠しかったスパイ・コメディの3作目で,6年半ぶりに彼が帰ってきた。ローワン・アトキンソンが『Mr. ビーン』のイメージそのままで,007風の英国のスパイを演じるシリーズである。前作『ジョニー・イングリッシュ 気休めの報酬』(12年2月号) は,言うまでもなく『007/慰めの報酬』(09年1月号)のパロディで,本物のボンドガールのロザムンド・パイクを起用していた。となると,本作の副題も再度007シリーズに倣って欲しかったのだが,それは叶わなかった。原題が"Johnny English Strikes Again"なので,SWシリーズのEP5『帝国の逆襲 (Empire Strikes Back)』(80)をもじったのだろう。ただし,本作でも本物のボンドガールのオルガ・キュリレンコをロシアの女スパイとして登場させている。その点は感心で,大満足だ。今回は上司のペガは登場せずに,女性英国首相(エマ・トンプソン)の指令を直接受ける。1作目の助手のボフ(ベン・ミラー)の再登場も,クルマが赤い旧型のアストン・マーティンであることも嬉しい。いいね!MI7の司令室,敵のクルーザー内のサーバールーム等のデザインがカッコいい。小物のスパイグッズも楽しいし,ロンドンの夜景も南仏の崖も美しい。こんなパロディものでも,製作費をたっぷりかけているように見える。主役をダニエル・クレイグかトム・クルーズにして,クライマックスを少し豪華にすれば。このストーリーはそのまま007かM:Iシリーズで使える感じだ。つくづく役名は「ジョニー・ブリティッシュ」にしておけば良かったのにと思う。イニシャルが「JB」なら,ジェームズ・ボンド,ジェイソン・ボーンと並ぶ3大スパイ・シリーズになったのに…(笑)。
 『アンクル・ドリュー』:あるトラウマからNBA選手となることを断念した青年が,老人たちだけのバスケチームを編成し,監督として,ストリート・バスケットボール(ストバス)の祭典を目指すというのが,物語の根幹だ。それだけなら,スポーツものだけでなく,音楽ものでもよくあるパターンだが,本作にはもっと大きな仕掛けがある。事前知識をもって見ることを勧めるか,白紙の方がいいか迷うところだが,前者だと判断した。NBA現役選手が特殊メイクで老人に扮して,市中のストバスのプレイに参加し,圧巻のプレイで皆を驚かすドッキリカメラ風の映像がある。ペプシコーラのCMで,第1作はYouTubeで5千万回,シリーズ化して累計1.5億回のアクセスがあったという。そのアイディアでチームを編成し,長編映画化したものだ。同CMシリーズのファン,NBA事情に詳しい者なら泣いて喜ぶ映画だろうが,そうでない初見の観客には,普通の凡庸なスポーツ映画に思えてしまう。主演のドリュー爺さん役は,CMシリーズから引き続き,カーリー・アービング。NBAの現役トップ選手である。新規編成チームの変人の面々として,かつての名選手,S・オニール,R・ミラー,C・ウェバー、N・ロビンソンらが出演して,プレイする。まるで,我が国のモルツチームに,大谷亮平が老人に扮して加わったような感じだ。シュートシーンはCGの助けを得ず,多分本物ばかりだろう。老人姿でのダンクが頗るカッコいい。
 『ボヘミアン・ラプソディ』:この秋の話題作だ。既に各種雑誌上も,ネット上も本作にまつわるエピソード,製作秘話で溢れ返っている。かなりの広告宣伝費をかけているようで,大阪市の繁華街には車体に本作のキービジュアルを描いたダブルデッカー(2階建てバス)が走り回っていた。東京ではもっと凄いのだろう。音楽ものの伝記映画で,対象は1970~80年代のロックシーンで大人気を誇った英国のロックバンド「クイーン」である。そのリード・ヴォーカルのフレディ・マーキュリー中心のドラマだというので,1991年にエイズで逝去するまでの苦悩を描いているのかと思ったが,映画は1985年の伝説のチャリティコンサート「Live Aid」の出演シーンで終わっていた。いや,このライブ・パフォーマンスを描くために作られた映画だと言っても過言ではない。伝記映画としては,平凡で標準的な作りである。フレディが自らを売り込んで既存バンドに加入し,人気バンドとして数々の名曲を生み出して行く過程が淡々と描かれている。やがて,他のメンバーとの確執,和解し復活をかけた再編成,HIV感染の告白等のドラマ展開も悪くないが,何と言ってもウリは音楽シーンだ。リハーサルシーンを含め,ほぼ総て過去の本人の歌唱を使っているが,フレディを演じるラミ・マレックも他の4人にキャスティングされた俳優も「クイーン」になり切っている。残されたビデオを見て,徹底練習したのだろう。単なる口パクでなく,舞台上のパフォーマンスは楽器演奏のアップシーンにも堪え得るクオリティだ。「Live Aid」の英国のコンサート舞台は同じ大きさで再現したという。そして,ウェンブリー・スタジアムを埋め尽くした7万2千人の大観衆をCG/VFXで描いたのは英国No.1スタジオのDNEGで,圧巻だった。映画クオリティに合わせたサウンドのミキシングも素晴らしい。絶対に大きなスクリーンで音響効果の良いシアターで観るべき作品だ。
 『バルバラ~セーヌの黒いバラ~』:同じく音楽映画だが,上記とは全く異なる対照的な作りだった。主人公は,英仏海峡を渡ったフランスのシャンソン界の女王バルバラだ。この歌手のことはよく知らなかったが,先日紹介した『ダリダ~あまい囁き~』(18年5・6月号)のダリダと同時期に活躍した歌姫らしい。この神秘的な存在を演じるのは,ジャンヌ・バリバール。監督は彼女の元夫で,『潜水服は蝶の夢を見る』(08年2月号)の主役や『007/慰めの報酬』(09年1月号)の悪役で個性的な演技を見せた俳優のマチュー・アマルリック。それなら自ら出演すればいいのに思ったら,映画監督役で登場しているではないか。単なる伝記映画ではなく,バルバルに関する映画を作る制作過程を描き,主演女優も監督も伝説の歌姫と同化して行く様を描いている。監督とはそういう意味かと思ったら,本編の監督・脚本もM・アマルリックであった。話がややこしい。歌声だけでなく,本作はバルバラ本人のステージ映像を交えながら物語は展開する。物語が入れ子構造になっていて,現実と虚構が入り乱れる様は,ロマン・ポランスキー監督の『毛皮のヴィーナス』(14年12月号)を思い出す。そういえば,同作の主演女優は監督夫人のエマニュエル・セニエで,演出家役が本作のM・アマルリックだった。完全に同作を意識した作品で,そこに伝説のバルボラの歌と映像を組み込んだということだろう。過去のバルバラの映像に同期させて,彼女を演じる女優を手前に重ね合わせる手法は印象的だった。やがて,何が現実で,何が妄想で,何が劇中劇なのか分からなくなる。複数の映画賞を受賞しているように,玄人受けする映画なのだろうが,筆者は,2,3度じっくり観ないときちんと理解できないと感じてしまった。
 『母さんがどんなに僕を嫌いでも』:衝撃的な題名だ。この題から何が想像できるかと問われたら…。多分,感動系のヒューマンドラマだろう。大抵はシングルマザーで自堕落な性格の母親で,生きて行くために再三男を自宅に連れ込んで,子供を邪険にする。そんな母親でも見捨てられない,素直で健気な男の子。この母と子の関係の中で少し親子の情が芽生えた頃に,息子は衰弱死するか,不慮の事故に遭遇する……。てな,勝手なストーリーを考えてみたのだが,少年は死なずに,大人になるまで物語が続く以外は,余り外れていなかった。原作は,作家の歌川たいじが自らの壮絶な少年時代を綴ったコミックエッセイで,主人公名も同じである。それにしても凄まじい児童虐待だ。普通ならもっと早く家を出て,こんな親とは絶縁するだろう。主演は太賀で,鬼母役は最近当欄でよく取り上げる吉田羊。『ハナレイ・ベイ』(18年9・10月号)の少し醒めた母親役も好かったが,この役も似合っている。何よりも,少年時代を描くのに,よくぞ演技力のあるデブの子役を探してきたものだ。祖母,叔母,友人たちを演じる助演陣も皆好演だ。というか,脚本がいいし。この監督(御法川修)も語り口が上手い。以前観た同監督の『すーちゃん まいちゃん さわ子さん』(13年3月号)は,全くの駄作としか思えなかったから,監督と脚本にも相性があるのだろう。
 『人魚の眠る家』:邦画が続くが,一転こちらは狂気とも言える執念で娘を守り抜こうとする母親が主人公だ。人気作家・東野圭吾の同名小説の映画化作品だが,ミステリーではなかった。強いて言えばヒューマンドラマだが,脳死,臓器移植,BMI等の情報もたっぷり盛り込まれている。監督は,比較的原作に忠実に描く堤幸彦。プールで溺れた娘が意識不明の植物人間となるが,脳死判定を拒む母親は延命治療を希望し,さらに最先端最新の神経接続手術を施して生き長らえることを選択する……。篠原涼子が娘の死を受入れられない母親役で,鬼気迫る演技を見せる。共演の夫役は西島秀俊で,夫婦喧嘩のシーンがいい。包丁を取り出すクライマックスシーンもなかなかの見どころだ。助演は,田中泯,松坂慶子,坂口健太郎,田中哲司等々で,坂口の研究者馬鹿ぶり,松坂のおろおろ婆ちゃん姿がいい。キラキラムービーがばかりの中で,しっかり見応えのある映画だった。
 
 
     
  ()  
   
  Page Top  
  sen  
 
back index next