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O plus E誌 2017年6月号掲載
 
その他の作品の短評
  (注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています。)  
   
   『オリーブの樹は呼んでいる』:樹齢2000年のオリーブの巨木が印象的で,一度観たら,忘れられない映画になる。名匠ケン・ローチの名があったが,彼自身が監督ではなく,長年の盟友ポール・ラヴァーティが脚本を書き,配偶者で元女優のイシアル・ボジャインがメガホンを取った作品だ。先祖伝来の多数の巨木を有するスペインのオリーブ農園の物語で,経営難から,父親がその一部を売ってしまった。そのことで,すっかり元気がなくなった祖父を救おうと,孫娘のアルマは恋人と叔父を騙して,売却した樹を取り戻すための無謀な旅に出る。スペインのバレンシアからドイツのデュッセルドルフまでの3人の珍道中は,ロードムービーとしての躍動感があり,途中の景色も見応えがある。小さな木を植えるエンディングも秀逸だが,無断でクルマを持ち出した男と「自由の女神」の彫像を壊した男は,その後,どうなったのだろう?
 『美しい星』:予習の時間がなく,あらすじも読まず,出演者も知らずに,試写を観てしまった。いつも好い人を演じていたリリー・フランキーは,最近,嫌な奴や悪役もよく似合う。本作では,少し嫌味なお天気キャスターだが,家庭は平凡な家族構成で,家族の描き方が巧みだった。それが,突如途中から火星人を名乗り,変なオジサンになる。娘(橋本愛)は自らを金星人,息子(亀梨和也)は水星人だと言う。どうやらトンデモナイSF映画のようだ。地球温暖化に関する意見対立,論争は面白かった。これが監督(吉田大八)のメッセージなら,悪くない。破天荒ながら快調だったので,果たして『インターステラー』(14)『メッセージ』(16)級の上質SFか,それとも『サイン』(02)流のバカバカしいオチかと見守ったが,結局は後者だった。原作があるようで,これが何と,1962年に出版された三島由紀夫作品だという。いくら文豪でも,SFは苦手だったようだ。
 『家族はつらいよ2』:予想通りシリーズ化され,またあの『東京家族』(13)以来の4組の夫婦と再会できるのが嬉しい。前作同様,喜劇としてはさほど面白くないが,家庭内ケンカの場面だけは大いに笑える。橋爪功は,監督の期待に応えるべく,少し背伸びしながらも,主役の老人が様になってきた。高齢者の友人同士の会話,孤独な老人の描き方は,山田洋次監督の脚本力,演出力が冴える。小林稔侍を別名の友人として再登場させているのは,意図的なのだろうか? 一方,老父母に対する嫁(夏川結衣)や娘(中嶋朋子)の言葉遣いが丁寧過ぎるし,次男夫婦(妻夫木聡&蒼井優)も善人過ぎる。前作からずっとそれが不自然で,「現実離れしている,監督の感覚は古過ぎる」と感じていたのだが,終盤になって考え違いであることに気づいた。これは,日本の家庭はこうあって欲しいという山田監督の願望,若者へのメッセージなのだろうと理解した。
 『光』:海外の映画祭での受賞や批評家筋の評価がいかに高くても,その作風が筆者とは肌が合わない監督が何人か存在する。河瀬直美監督はその1人だったが,珍しくこの映画は分かりやすく,演出力の好さを感じた。今更筆者の感性や理解力が増す訳はないから,監督の表現力が少しマイルドになったのだろうか。視覚障害者のための映画の音声ガイド制作に取り組む若い女性(水崎綾女)と,かつての名カメラマンだが視力を失いつつある中年男性(永瀬正敏)の恋を描いている。音声ガイドにコメントする複数人のモニター(彼らも障害者)の性格の描き分けが秀逸で,そのセリフの重みにも感じ入った。まさに脚本力,演出力だ。ところが,2人が想いを寄せ合って以降の終盤は,元の木阿弥に思えた。母の失踪を描く意味が理解できない。やたら空を見上げるシーンが登場し,光に意味を持たそうとする作為が感じられる。純文学的な香りを出したかっただけに思えた。
 『ゴールド −金塊の行方−』:「170億ドルの金塊が一夜にして消えた」というキャッチコピーだが,その表現も副題も正しくない。それではまるで,銀行の金庫から金塊の山が忽然と消えたマジックのような盗難事件を想像するではないか。「金塊」でなく,ここは「金脈」か「金鉱」というべきだ。実態は「今世紀最大の巨大金脈」と思ったインドネシアの金鉱の発見が,全くの嘘だったと判明する「鉱山詐欺事件」だ。高騰していた採掘会社の株は大暴落し,主人公は破産する。果たして,彼はこの偽装を知っていたのか…? 1990年代の実話で,23kg増量してマシュー・マコノヒーが演じる主人公は,スマートな頭脳犯でも何でもなく,デブでハゲの中年男だ。父の遺志を継いで,ひたすら金山を追い求める探鉱者をエネルギッシュに演じている。彼の熱演にも関わらず,この主人公には感情移入できなかった。ストーリーの起伏が激しく,物語に没入しにくいためだろう。最後に少しニヤリとさせてくれるが,さほど爽快に感じない。脚本が今イチだ。同じネタでも,別の語り口で撮っていれば,もっとワクワクする良作に成り得たと思う。
 『20センチュリー・ウーマン』:前作『人生はビギナーズ』(10)で,75歳にしてゲイであることを告白した父親を描いたマイク・ミルズ監督が,本作では自身の母親をテーマに,自らの実体験に基づく物語を作り上げた。時代はベトナム戦争後の自信をなくした米国で,サブカルチャーが台頭し,まだ東西冷戦下である。行動派のシングルマザーで,思春期で反抗的な息子の教育に悩む55歳の母を演じるのは,アネット・ベニング。彼女は,15歳の息子ジェイミー(ルーカス・ジェイド・ズマン)の教育を,2人の若い女性に託す。階下に住む間借り人で24歳の写真家アビー(グレタ・ガーウィグ)と幼なじみの17歳の少女ジュリー(エル・ファニング)だ。主題は思春期特有の普遍的なテーマだが,それでいて時代を感じる数々の描写が巧みだ。良く練られたセリフの連続で,各シーンで登場人物の心象を表わした音楽も印象的だ。選曲が素晴らしい(別項参照)。
 『ザ・ダンサー』:19世紀末から20世紀初頭に活躍したダンサーのロイ・フラーの伝記映画だ。米国の田舎からNY,パリへと活動の場を移すが,各シーンできちんと英語と仏語が使い分けられている。ダンサーとしての実力よりも,アイデアに溢れる女性で,棒で衣装を動かす「サーペンタインダンス」を生み出し,それに合った照明装置や舞台もデザインしたという。こういう人物を発掘してきて,伝記映画にしてくれるのは嬉しい。主役を演じるのは,フランスの歌手兼モデルでもあるソーコで,裸体も見せる。イケメン伯爵との特異な関係,満身創痍でオペラ座への出演等々は,女性心理を知る女性監督ならではの踏み込んだ演出だ。ロイが嫉妬する若い才能あるダンサーのイサドラ・ダンカンを演じるのは,リリー=ローズ・デップ。ジョニデの娘で,自然に英語&仏語が話せる。輝くような美しさで,主役以上のオーラを発している。見事なキャスティングだ。
 『ローマ法王になる日まで』:現在の第266代ローマ法王フランシスコ(本名:ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ)の半生を描いた人間ドラマだ。数々の映画で神父は脇役のことが多く,主演作はさほど多くない。『エクソシスト』(73)や先日の『沈黙―サイレンス―』(16)は特異な物語であり,著名聖職者の伝記映画となると他の例を知らない。「ロックスター法王」と呼ばれ,型破りの情熱家ゆえに,数々のエピソードを盛り込んだ映画が成立している。2013年に法王選挙のためにバチカンに赴いたベルゴリオ枢機卿(セルヒオ・エルナンデス)が,自らの半生を振り返る形を採っている。イタリア移民の子としてブエノスアイレスに生まれ,神と共に生きる道を選んだ若き日の彼を,ロドリゴ・デ・ラ・セルナが演じている。イタリア人監督のダニエーレ・ルケッティが,すべてスペイン語で撮っているのが嬉しい。
 『海辺のリア』:仲代達矢主演と聞いただけで,「リア王」の翻案ものだと想像がつく。実際,主人公は高名な新劇俳優で,映画も多数出演した大スターというから,仲代達矢が自分自身を演じている訳である。既に認知症が進み,老人ホームから脱走した主人公が,浜辺を徘徊するシーンが映画の殆どを占める。阿部寛,原田美枝子,黒木華と共演は豪華だが,全員動きは少なく,仰々しいセリフは,舞台劇そのものだ。認知症老人の惚けぶりや身勝手な家族の発言は,見ていて苛々する。このテーマを,敢えて映画にする必要はあったのだろうか? 仲代達矢は何のために,こんな役を演じたのか疑問に思う。上映時間は105分だが,舞台劇なら,この6割程度の時間で十分だ。
 『22年目の告白−私が殺人犯です−』:副題通り,22年前の連続殺人事件の犯人が名乗り出て,手記を出版する。既に時効が成立しているためだ。韓国映画『殺人の告白』(12)がベースだが,現代の日本に合うよう脚色されている。知的で豪胆な殺人犯役は,藤原竜也。見事なまでのハマり役で,彼をおいてこの主演は考えられない。事件当時,逮捕寸前で取り逃がした刑事を演じるのは,伊藤英明。こちらは誰でも良さそうだが,22年前の当人を少し若作りのメイクだけで演じられる俳優はそうそういない。クライム・ミステリーとしては単純だが,テンポが良く,観客を全く厭きさせない。ネタバレ禁止で,配給会社から箝口令が敷かれているが,それを強調しない方が好いと感じた。本格ミステリー・ファンや映画通なら,(筆者を含めて)むしろそのプロットや結末は予想できてしまうからだ。それでも,抜群に面白い。願わくば,もっと魅力的な女性,真犯人かと疑うような悪女を登場させて欲しかったところだ。
 『残像』:ポーランドの至宝アンジェイ・ワイダ監督は昨年10月に鬼籍に入ったが,本作はまさに彼の遺作となった。主人公は片足の画家ヴワディスワフ・ストゥシェミンスキで,彼の晩年の4年間が描かれている。先月号の『僕とカミンスキーの旅』の盲目の天才画家マヌエル・カミンスキーのようなフィクションではなく,実在の画家が全体主義政権の迫害を受け,権力と戦った実話である。第2次世界大戦末期からのスターリン独裁体制に蹂躙されたポーランドで,レジスタンス運動の象徴となった存在は,完全にA・ワイダ監督と重なる。政府の方針を拒絶して,大学教授の職を剥奪され,美術館からは展示作品が撤去され,最後は画材を買うことすらままならない。この過酷な迫害の中で芸術に全身全霊を注ぐ姿は,悲痛であり,義憤を感じる。その一方で,娘ニカに対する冷徹な態度もリアルに描かれている。遺作に相応しく,2人分の「残像」を遺している。
 『おとなの恋の測り方』:和製キラキラ・ムービーとは一味違う,フランス製の大人のラブ・コメディーだ。主人公は3年前に離婚したバツイチ弁護士のディアーヌ(ヴィルジニー・エフィラ)で,彼女に積極的にアプローチする知的な男性は,イケメンながら背が低かった。それも少しではなく,何と身長136cmの小男で,40cmも見下ろす特異な存在だった。周囲の好奇の目や両親の反対を押し切って,この恋が成就するのかがテーマである。相手役のアレクサンドルを演じるのはオスカー男優のジャン・デュジャルダン。実際は180cm以上ある彼を136cmに見せるには,様々な特殊撮影技法やCG/VFXが駆使されている。当欄としては,その技法を点検するのに忙しく,随所で違和感を覚えてしまった。個々のシーンで,相手役と比べて顔の大きさが違ったり,当人の腕の長さが違ったりする。そんな細部を気にしなければ,楽しく,挿入曲もご機嫌だ。
 『世界にひとつの金メダル』:フランスの馬術障害競技の選手と馬の物語で,1988年ソウル・オリンピックでの金メダリストのピエール・デュランとジャップルー号が主人公だ。題名から最後に優勝することは自明で,物語は単純で一直線だが,それまでの艱難辛苦,関係者の人間模様の描き方は,ドラマとしてよくできている。何よりも,障害飛越場面のリアリティが出色だ。飛越の姿が美しく,着地音の迫力にも圧倒される。P・デュラン役は監督・脚本家としても知られるギョーム・カネだが,本作では脚本と主演を務め,監督はクリスチャン・デュゲイに任せている。馬術はプロ並みの腕前で,すべて自ら馬の背に跨がり,障害飛越もこなしている。父と子の物語が機軸だが,女性の描き方も悪くない。願わくば,馴染みのない観客のために,障害の種類,ジャンプの訓練,騎手の伎倆等について,さりげなく,もう少し掘り下げた説明が欲しかったところだ。  
 
  (上記の内,『ゴールド −金塊の行方−』『海辺のリア』は,O plus E誌には非掲載です)  
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