O plus E VFX映画時評 2024年9月号掲載
(注:本映画時評の評点は,上から,,,の順で,その中間にをつけています)
(9月前半の公開作品はPart 1に掲載しています)
■『ぼくが生きてる,ふたつの世界』(9月20日公開)
この題名から,どんな2つの世界なのか,すぐには想像できなかった。まさかマルチバース中の2つではあるまいし,離れた外国間でもなく,主人公がほぼ同時期に体験する異なる環境のことのようだ。本作は邦画で,五十嵐大氏の自伝的エッセイ「ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと」(幻冬舎刊)の映画化作品だった。すぐに思い出したのは,オスカー受賞の音楽映画『コーダ あいのうた』(22年1・2月号)である。CODAとは「Children of Deaf Adults」の略で,同作の女性主人公と同様,本作の主人公の両親も聾者で,彼が半生で体験した様々な出来事,特に母への思いが綴られている。
舞台は宮城県利府町の小さな港町で,主人公の大は父・陽介(今井彰人),母・明子(忍足亜紀子)の間に生まれ,深い愛情を注がれて育った。幼い頃から両親と健聴者の間の手話通訳を務め,その日常を不思議に感じなかった。ところが,小学校に通うようになると,母が好奇の目で見られることが気になり始め,反抗期の中学生では母の明るさを疎ましく感じ,不機嫌な態度で接してしまう。高校受験や役者になろうと受けた試験に失敗した彼は自暴自棄になり,逃げるように東京に旅立つ。そこで偶然に聾者の女性と知り合ったことから,CODA仲間との交流も始まり,CODAであることを隠さずに言えるようになる。就活にも成功して,新しい人生を歩み始めた彼は8年ぶりに帰郷し,母への思いが溢れ出す…。
実話ベースであるだけに,オスカー受賞作ほどの劇的な展開はなかったが,過剰演出を避けた淡々とした語り口に好感が持てた。その一方,驚いたのは見事なキャスティングである。高校生以降の主演は吉沢亮だったが,見事に手話を使いこなしている。劇中に登場する聾者は全員,実の聾者が演じている。母親役の忍足亜紀子は珍しい名前とだけしか知らなかったが,実年齢54歳というので,吉沢亮とは丁度好い年齢差だと思った。ところが,大の出産直後から物語が始まる。少し不安視したが,忍足亜紀子は30歳前後にしか見えない若々しさで,しかも飛び切り美しかった。大は乳児,幼児期2人,小学生の子役全員が目元ぱっちりで可愛く,いかにも吉沢亮の子供時代だ。一方の父親役の今井彰人は,忍足亜紀子より20歳若く,吉沢亮より3歳年長に過ぎないのに,老け顔のためか,こちらも全く自然に感じた。元博打打ちの「蛇の目のヤス」である祖父(でんでん)や祖母(烏丸せつこ)も絶妙の配役で,好い味を出していた。
本作は,介護や認知症等の社会問題に焦点を当てる映画製作者・山国秀幸の企画で,『コーダ…』と同じギャガが配給会社である。シナリオには名脚本家・港岳彦,監督には育児休業後9年ぶりという呉美保が起用されていた。『オカンの嫁入り』(10年9月号)の紹介時に「この監督の演出力には今後とも注目だ」と書いていて,『そこのみにて光り輝く』(14)もしっかり観ていたが,本作で久々に再会した気分になった。
■『ジョン・ガリアーノ 世界一愚かな天才デザイナー』(9月20日公開)
これまでもファッションデザイナーの伝記映画は積極的に取り上げて来たが,この人物の名前は知らなかった。ところが,冒頭に登場する作品を少し見ただけで,すぐに彼は天才だと感じた。それが「愚かな」とは,何たる副題だ。原題は『High & Low - John Galliano』で,「絶頂期の栄光とそこから転落した挫折」のことらしい。冒頭の映像は,彼がヘイトクライムで有罪となったことを伝えていた。
伝記ドキュメンタリーは1980年から始まる。英国の名門美術学校に入学し,フランス革命をテーマにした卒業制作から既に一級品である。すぐに英国のファッション界の寵児となるが,斬新過ぎて服が売れず,個人的には生地も買えない困窮ぶりだ。1990年代に活躍の場をパリに求める。業界の大物の支援を得て,一流ブランドのジバンシィを経て,クリスチャン・ディオールの筆頭デザイナーに就任する。そこからは飛ぶ鳥を落とす勢いで,絶頂期のショーの模様は正に眼福だった。よくぞこんな天才の活躍を見せてくれたと感激に浸った。
彼のその後の転落は,2007年に長年のアシスタントのスティーブンを亡くし,生活が乱れ出したことから始まる。そして2011年2月,酒に酔っての暴言がカメラに収められていて,世界中から大バッシングを受ける。ヒトラー礼賛,ユダヤ人蔑視の差別発言をしたのだ。彼は有罪となり,あらゆるブランドから解雇される……。
そこから先の映画は,許す/許さないの両論の代表者のインタビュー,彼を診断した精神科医や暴言で傷ついた被害者の証言,ガリアーノ自身の反省の弁と贖罪の日々の映像へと続く。ドキュメンタリーとしては入れざるを得ないのだろうが,後半は全く楽しくなかった。
さらに正直に言うなら,有名人ゆえ,社会的制裁を受け,失脚し,名声を失うことはあっても,これは有罪にするほどのことなのか? 酒席での暴言は日常茶飯事であり,どの国でも差別発言は横行している(それがいいという訳ではないが)。欧州での出来事ゆえ,反ユダヤ主義発言は別格の禁忌であり,過剰反応だと平均的日本人は感じることだろう。監督・製作は,英国人のケヴィン・マクドナルド。長編ドキュメンタリー部門でのオスカー受賞監督である。この事件での社会的制裁の妥当性やガリアーノの贖罪意識が十分かまで含めて,観客に問いかけているのだと感じた。映画ファンとしては,シャーリーズ・セロン,ペネロペ・クルス,ナタリー・ポートマン等が登場して来るのが嬉しかった。
■『SONG OF EARTH/ソング・オブ・アース』(9月20日公開)
次もドキュメンタリー映画だが,前半だけでなく,全編で至福の時間であった。ノルウェー西部の山岳地帯の渓谷で暮す老夫婦の姿と見事な大自然の光景をカメラに収めている。監督は彼らの娘でドキュメンタリー作家のマルグレート・オリンで,映画撮影を通して,両親の言葉や生活から,人生の意味や生と死を学んで行くスタイルを採っている。『PERFECT DAYS』(23年12月号)『アンゼルム “傷ついた世界”の芸術家』(24年6月号)の巨匠ヴィム・ヴェンダースとノルウェーの大女優リブ・ウルマンが製作総指揮を担当している。
舞台となるのは,世界有数のフィヨルド渓谷をもつ「オルデダーレン」で,84歳の父が山歩きで娘を案内しながら,生い立ちや自然の中での過去の出来事を語り,娘である監督がその合間にナレーションを入れる。母は9歳若く,まだまだ元気で動きが素早い。四季折々で姿を変える自然と人との繋がりを見事に描いている。
まず季節は,春から夏に。曲がりくねった川,夏だから歩ける岩地,途中で見下ろす青緑の湖面の美しさ,頂きの崖から観る絶景に息を呑む。夏でも残っている氷河から流れ出る水と滝,驟雨と虹,夕焼け…。心が豊になる。岩山から降り,緑乳白色の湖面をボートで移動する。かつて山崩れ,地滑りで18人死んだという。当時の遺体の移送,葬儀のモノクロ映像が映る。痛ましい。
秋になり,鶴が空を飛んでいる。ノルウェーにもいるのだと感心する。色づき始めた木々が風に揺れている。1950年代に小さかった氷河は90年代に大きくなったが,今は小さくなる一方で,もう戻らないようだ。冬は,月が美しい。木の上からフクロウが見ている。雪の平原を歩く動物の姿,人間はスケート靴で湖面を滑っている。春や夏に美しかった山々が姿を変える。厳しい姿が荘厳だ。凄まじい雪崩を,よくぞカメラに収めたと感動する。真っ白な雪で埋もれた崖から,側面の雪が崩れて海に入る構図が殊更素晴らしく,見応えがあった。
世界の秘境の美しい映像を多数見て来たが,本作ほどの絶景の連続は初めてだ。筆者の人生での実体験でのBest1, 2は,カナディアンロッキーとニュージーランドのミルフォードサウンドだが,それを併せたよりもこの映画の方が数段上だ。歩きながら常に語りかけ,自分の父や祖父の話もする監督の父の姿をカメラは追う。崖の上から湖面まで,一体誰が撮ったのだろう? さすがに監督自身ではないだろうと思ったが,9人のプロのカメラマンが配されていて,ドローンでの撮影も多用されていた。題名の「Song」は「自然が織りなす地球の歌」の意であり,歌唱曲が流れる訳ではないが,景観に呼応した音楽や自然音は秀逸だった。是非大画面で音響効果の好いシアターで観て頂きたい。
■『憐れみの3章』(9月27日公開)
全3話のオムニバス形式であり,主たる8人の俳優の内7人が,各話で別々の役柄を演じる。3話に共通項はあるのか,各俳優は演技も使い分けているのかを意識して観た。
【第1章 R.M.F.の死】テーマは「選択肢を奪われ,自分の人生を取り戻そうと格闘のする男」。主人公はビジネスマンのロバート(ジェシー・プレモンス)で,10年来の同性愛関係にある上司(ウィレム・デフォー)から無理難題を出されて悩む。毎日の献立,読書,夫婦間のSEX等々を逐一指示し,報告を求める上司の支配欲,執拗さに呆れる。3話の中では,まだ一番分かりやすかった。
【第2章 R.M.F.は飛ぶ】テーマは「海で失踪し帰還するも別人のようになった妻を恐れる警官」。夫ダニエルは引き続きJ・プレモンス。妻リズ(エマ・ストーン)は海で遭難したが,奇跡的に生還する。戻った妻が別人としか思えない夫は,不信感から,指を切り落とし,肝臓を取り出して料理しろと命じ,妻は応じる。この役が警官である必然性は全くない。ラストも意外だが,2組の夫婦の性交映像等,それまでも徹底しておぞましかった。
【第3章 R.M.F.サンドイッチを食べる】テーマは「卓越した教祖になると定められた特別な人物を懸命に探す女」。いきなり死体安置所が登場し,エミリー(E・ストーン)はある女性アナ(ハンター・シェイファー)に死者に触れて蘇らせることを求めるが,失敗する。エミリーはカルト集団の構成員で,指導者オミ(W・デフォー)は「教祖に相応しい奇跡を起こす人物」を探し求めていて,双子の女性の1人で,もう1人が死亡していることが条件だった。エミリーはその条件に合う女性レベッカを見つけ出したが……。新興宗教とはこういうものだと思いつつ観ていたが,章が進むに連れ,不条理で不愉快な描写の連続となる。よくもまあ,人の死を平然と描き,目を背けたくなるシーンを何度も出せるものだ。章の題名自体が,観客を馬鹿にしている。こういう映画を創るのは監督のお遊びか。独創的でなく,これは「独善」だ。
試写を観終えた時,評点は久々に[評価不能]にしようかと思った。監督・脚本が,過去作『女王陛下のお気に入り』(19年1・2月号)と『哀れなるものたち』(24年1月号)にを与えたヨルゴス・ランティモスでなければ,そうしていたに違いない。そもそも原題の『Kinds of Kindness』に違和感があったが,それをこの邦題にしたことも納得できない。安易に前作の『哀れなる…』を踏襲し,漢字を変えただけじゃないのか。「頭が固いと,人生の楽しみの大事な部分を逃す」なる宣伝文句は,まるで脅迫だ。批評家・著名人からの本作への賛辞は,自らのゲテモノ好きを他人に吹聴したいだけか,理解できないと素直に言えない場合の欺瞞的発言に思える。筆者はRotten TomatoesのTomatometerでなく,平均的観客のPopcornmeterの数値の方を支持する。
当欄ではかねてから,難解な内容は「未熟な作者の表現力のなさ」か「意味不明を高級と思わせる老いた傲慢な大家の手口」だと述べてきた。この監督はまだ老人ではないが,識者や観客を試しているとしか思えない。であれば,この映画で入場料を取るのは,これまで過去作を愉しんでくれた観客に失礼である。内容の評価はだが,各俳優の演技力を高く評価して,今回の評点にした。
■『犯罪都市 PUNISHMENT』(9月27日公開)
不愉快で不可解だった映画の次は,口直しにスカッとするアクション映画にしたい。映画評としての評価とは別に,自分で入場料を払ってでも観たい映画,主人公のNo.1は,この「犯罪都市」シリーズであり,マ・ドンソク演じる怪物刑事マ・ソクトである。本作はシリーズ4作目だが,第3作『犯罪都市 NO WAY OUT』(24年2月号)は今年紹介したばかりだ。その中で「既に4作目を撮り終え,5作目が撮影中だという」と書いたのだが,もう今年の内に国内公開とは喜ばしい限りである。
第1作『犯罪都市』(17)ではソウル衿川警察署管内の中国人朝鮮族マフィアの抗争を一網打尽にし,第2作『犯罪都市 THE ROUNDUP』(22)では国内逃亡犯の引き取りにベトナムに出張し,現地で韓国人凶悪殺人犯を逮捕した。前作でソウル広域捜査隊に移動したマ刑事は,新日本の暴力団「一条組」が絡む新種の合成麻薬密売ルートの殲滅を担当し,殺し屋リキ(青木崇高)と戦った。その事件から3年後の2018年が本作の時代設定である。製作年が1年後なのに,なぜ3年後なのかはよく分からない。各々実在の事件をモチーフにしているため,急ぎ現在に近い年月に追いつくよう配慮したのかも知れない。
本作では,デリバリーアプリを悪用した麻薬密売事件の捜査を進める中で,手配中のアプリ開発者が謎の死を遂げた。事件の背後に,韓国とフィリピンを股にかけて悪事を働く国際IT犯罪組織の存在が浮かび上がる。一発必殺パンチで事件解決を図るマ刑事には,少し苦手な知的な犯罪者集団のように思えた。この組織のリーダーは,拉致・監禁・暴行・殺人を厭わない元傭兵のペク・チャンギ(キム・ムヨル)で,違法オンラインカジノ市場も掌握していた。一方,組織のオーナーは,「ITの天才」のチャン・ドンチョル(イ・ドンフィ)で,彼は韓国での史上最大規模のIT犯罪を企てていた。マ刑事は,広域捜査隊とサイバー捜査隊の合同チームを結成して,この組織の撲滅に乗り出す……。
共演者で注目すべきは,1& 2作目に登場した「グッチ」ことチャン・イス(パク・ジファン)の再登場である。違法カジノ経営経験を買われて,マ刑事から特別警察官のバッヂをもらい,有頂天で捜査に協力する。結局は,マ刑事にコケにされる破目になり,笑いを誘う愛すべき存在だ。悪役側の2人は,武闘派と頭脳派の組み合わせが見ものだった。メイン悪役で武闘派のキム・ムヨルにはさほど目新しさはなかったが,サブ悪役で頭脳派のイ・ドンフィが少し面白い役柄を演じていた。その半面,デジタル犯罪や資金洗浄の手口を説明する中盤がややもどかしかったが,マ刑事は仁川空港から高飛びしようとするチャンギらを追い,離陸寸前の飛行機に乗り込む。機内で彼らを叩きのめす下りの痛快さで,しっかり帳尻を合わせてくれた。一件落着後,亡くなった被害者の母との約束を果たせたことを墓前で報告する。これまで安酒場での宴会で終わっていたのに,今回は少し人間味がある締めくくりだったことが印象に残った。
■『サウンド・オブ・フリーダム』(6月27日公開)
次も犯罪捜査官が主人公で,国際犯罪組織に立ち向かうが,だいぶ印象が違う。囮捜査という点では,Part 1の『ヒットマン』と共通項はあるが,娯楽性は乏しく,本作は実話ベースのクライムムービーである。国際的性犯罪組織に誘拐された少年少女の救出に向かう米国の連邦捜査官の奮闘を描いた真摯な物語となっている。
物語は中米のホンジュラス共和国から始まる。才能ある子供のスカウト女性の勧誘で,父親ロベルトは娘ロシオと息子ミゲルをオーディション会場に送り届ける。迎えに時間に彼が会場に戻ると,部屋はもぬけの空だった。子供たちは児童人身売買組織に誘拐され,小児性愛者に売り飛ばされる運命にあった。大半は奴隷として性愛対象となるが,その過程で落命する事件も頻発していた。
幸運にもミゲル少年は,米国国土安全保障省のティム・バラード捜査官(ジム・カヴィーゼル)に救出される。彼は12年間に数百人もの小児性愛者を逮捕していた。意図的に児童買春容疑で収監中の男を釈放し,自ら小児性愛者を装って「本物の子供を買いたい」と持ちかけたところ,ミゲル少年がメキシコから米国に送られて来たのだった。父親と再会したミゲルから姉ロシオも見つけて欲しいと懇願され,テイム捜査官は上司を説得して,単身で犯罪の温床となっている南米コロンビアに渡る。首都ボゴタ警察のホルヘ警部(ハビエル・ゴディーノ)や闇の協力者バンピロ(ビル・キャンプ)の支援を得て,危険なナリーニョ県に向かい,サルンカス伝道団の医師として潜入する。実話である以上,犯罪者逮捕には成功したと想像できたが,少女ロシオは存命のまま救出できたのかはずっと気になりながら観続けた……。
監督・共同脚本は,アレハンドロ・モンテベルデ。メキシコ人で,恵まれない子供の教育と支援の非営利団体を設立した慈善運動家でもある。本作にかける監督の情熱が,主演のJ・カヴィーゼルに乗り移ったかのような演技であった。捜査の合間に,攫われた少年少女の受ける処遇が描かれていたが,これが実態なのだろう。マ刑事のような痛快アクションがある訳はなく,過剰演出でないクライマックスにリアリティが感じられた。音楽は,シックで敬虔な教会音楽と陽気なラテン音楽が,場面によって使い分けられていた。少女の救出は別の事件からの合体のようだが,犯罪組織の大規模摘発「トリプル・テイク作戦」は実話だそうだ。実話映画の定番で,最後に実在の人物の業績が紹介され,その映像が登場する。かなり知的な印象のイケメンで,俳優でも通用する。
■『Cloud クラウド』(9月27日公開)
ここから2本は邦画だ。1本目は黒沢清監督作品で,セルフリメイク作『蛇の道』(24年6月号)を紹介したばかりなのに,早くも最新作の登場である。海外での評価が高い監督だが,当欄の評価は作品毎に乱高下している。本作はオリジナル脚本のサスペンス・スリラーというので,『クリーピー 偽りの隣人』(16年6月号)『散歩する侵略者』(17年9月号)の路線であることを期待した。初タッグとなる菅田将輝が主演で,転売業で日銭を稼ぐ若者を演じるが,「インターネットを通じた殺意のエスカレート」も,この監督には珍しいテーマだと感じた。
主人公の吉井良介(菅田将輝)は町工場の労働者だが,「ラーテル」なるハンドルネームを使い,ネット利用の転売屋を営んでいた。医療機器,バッグ,フィギュア等々,何でも安く仕入れ,高く売るだけの手口だが,すぐに買い手が現われ,商売になっている。この種の転売を教えた先輩・村岡(窪田正孝)が勧める「デカい儲け話」には耳を傾けず,勤務先の社長・滝本(荒川良々)からの管理職昇進の打診に対しては固辞し,その場で退職を決めてしまう。その一方で,郊外の湖畔に事務所兼自宅を借り,恋人の秋子(古川琴音)との同棲生活を始める。さらに地元の若者・佐野(奥平大兼)をアルバイトとして雇い,転売業を本格化させる。
ここまでの前半は,最近の若者はこんなやり方でしこたま儲けるのかと感慨新ただった。後半は物語が一変する。吉井の周りで不審な出来事が連続し,過去に恨みを買った連中が復讐団を結成して姿を現わし,彼を拉致する。いきなりのサプライズでなく,それぞれに伏線があり,それが累積して,憎悪の連鎖となったようだ。さらにネット上の不特定多数が狂気の集団へと変貌する。まさに固唾を呑んで観る活劇であり,結末が愉しみだった。
曲者揃いの助演陣の中で,バイトの佐野と彼女の秋子の描き方が秀逸だった。とりわけ,古川琴音は『言えない秘密』(24年6月号)『お母さんが一緒』(同7月号)『シサㇺ』(同9月号)と立て続けの出演だが,本作の謎の女・秋子が一番似合っていた。その一方で,監督の弁でピンと来なかった点がある。監督自身は本作を「アクション」に分類しているが,「バイオレンス」の方が相応しい。殴打も出血もなく,射撃だけなのだが,狂気の爆発がそう感じさせる。また,参考にすべき作品として,アラン・ドロン主演の『太陽がいっぱい』(60)を挙げているが,似ているとは思えなかった。黒沢監督のお気に入りがこの映画というのも,意外であった。
■『SUPER HAPPY FOREVER』(9月27日公開)
2本目は青春恋愛映画で,監督・脚本は五十嵐耕平。全く知らない名前だ。『息を殺して』(14) 『泳ぎすぎた夜』(17)が海外の映画祭で評価を受けた俊英だそうだ。両作とも聞いたことはなかったし,この程度の経歴紹介も単館系の若手監督にはよくあるパターンだ。出演者にも名のある俳優はいない。では,なぜ試写を観たかと言えば,さして深い考えはなかった。表題が少し気になったのと,「青春期の終わりを迎えた人々の“奇跡のような幸福なひととき”」なるキャッチコピーが,本当にそうなのか眺めてやろうじゃないかという気にさせたからである。
結論を先に言えば,このコピー文句通りの映画であり,十分合格点の青春映画である。紹介記事を書こうとして,少し困った。余り予備知識なく,素直に観た方が味わい深い映画だからだ。それではレビュー記事にならないので,予告編から分かる範囲+α程度で書くことにした。
映画は,男性客2人がホテルの1室にいるシーンから始まる。窓の外の景観から伊豆半島であることがすぐ分かる。筆者は若い頃の10数年間に何度も来たことはあるが,一見して分かったことに自分でも驚いた。2人の男,佐野(佐野弘樹)と宮田(宮田佳典)は幼馴染みで,5年前にこの部屋に宿泊したらしい。時代設定は,2023 年 8月19日。コロナ禍が峠を越しても客足が戻らないリゾートホテルは,経営不振でまもなく閉館するようだ。一足先にベトナム人従業員が退職し,母国に帰って行く。
佐野は浜辺を歩き,家族連れに話しかけ,失礼にも子供の被っている帽子が自分のものかと問う。さらにホテルのフロントで,5年前になくした帽子の行方を知らないかと尋ねる。慇懃に対応するフロントマンに呆れた。アホか,そんなものある訳ないじゃないか。佐野の奇行は続く。酔ってタクシーの運転手に絡んで,降ろされる。見ているだけで不愉快で,嫌な若者だ。やがて会話の中から,5年前にこの地で知り合った女性・凪(山本奈衣瑠)と恋に落ち,結婚したが,最近彼女を亡くしたらしい。失意の底にあるとはいえ,傍若無人な行動に呆れ,まともな社会人の宮田は怒って東京に帰ってしまう。
映画は一転して,若い女性の行動を追う。遊覧船で佐野と出会うが,帰ったはずの宮田にもいるから,これが5年前の出来事だと気がつく。佐野と彼女は夜中まで町や浜辺を歩き,2人で語らう。他愛もない会話だが,最近の若者はこんなものだろう。やがて,赤い帽子をなくした経緯や,2人にとっての意味が理解できる。
もう中身を語るのはこれくらいにしておこう。散々観客に不愉快な思いをさせておいて,終盤で幸せな気分にさせてくれる。見事なストーリーテリング力である。結婚と彼女の死を詳しく描かないのが良かった。邦画には珍しく,饒舌すぎないのが美点だ。その分,名曲「Beyond the Sea」が何度も流れる。今後,この曲を聴いた時に,この映画を思い出すことだろう。
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