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O plus E誌 2018年5・6月号掲載
 
その他の作品の短評
  (注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています。)  
   
   『モリのいる場所』:画家の老夫婦を山崎努と樹木希林が演じ,94歳と76歳の役というだけで興味津々だった。監督は『南極料理人』(09)『横道世之介』(13)の沖田修一。一風変わった主人公を描くのが上手い。本作も彼のオリジナル脚本だが,淡々かつ飄々とした画家は実在の人物で,97歳まで生きたという長寿の異色画家・熊谷守一である。主演の山崎努が見つけてきて,監督に紹介した結果,沖田ワールド全開となった訳である。伝記映画ではなく,結婚52年目,昭和49年の夏の1日を切り出して,彼らを取り巻く人々との交流を描いている。画伯が愛した庭は,葉山にある旧民家を借りて再現したというが,これがなかなかの見ものだ。映画の冒頭で,展覧会で彼の素朴な絵を見た昭和天皇が「これは……何歳の子供が書いた絵ですか?」と尋ねられたというエピソードが描かれている。実話なら,随行員や展覧会主催者は,このご質問にどう答えたのだろう?
 『ダリダ~あまい囁き~』:フランスの人気歌手ダリダと言えば,美貌と歌唱力抜群の歌姫だった。日本では,1973年アラン・ドロンとのデュエット曲「あまい囁き」が世界中でヒットし,日本でも一躍有名になった。エジプト出身のイタリア人で,ミス・エジプトであり,フランスに渡って大成功を収める。何人もの男性との熱愛と苦悩を描いた伝記映画は,『エディット・ピアフ~愛の讃歌~』(07)と印象が重なる。ただし,別れた男性が3人も自殺するというのは,遥かに凄い。藤あや子も敵わない。ダリダを演じるのはイタリア人モデルのスヴェヴァ・アルヴィティ。よくぞ,これだけの美形を探してきたものだ。結構ダリダ本人に似ているが,鼻はメイクで高く見せているようだ。全編歌だらけで,ステージ風景は勿論,普通のシーンのバックにもダリダ本人の歌が流れる。サンレモ音楽祭,米国でのカーネギーホール,ラスベガス公演の描写も華やかだ。
 『ゲティ家の身代金』:1973年に起きた誘拐事件を基にしたサスペンス・ドラマで,石油王で世界一の富豪ジャン・ポール・ゲティの孫息子ポールが誘拐される。守銭奴の彼はビタ一文払おうとしない。身代金を出すと決めても,会社の経費扱いする。元CIAの男フレッチャー(マーク・ウォルバーグ)が誘拐犯との交渉役を命じられ,ポールの母親アビー(ミシェル・ウィリアムズ)とともに事件解決に臨む。単純な身代金支払いや奪回劇でなく,物語は二転三転する。実話なので結末は分かっているが,それでもラスト20分の緊迫感は,さすが老匠リドリー・スコットだと思わせる。クルマ,豪邸の調度類,衣服,すべてが豪華だ。ほぼ全編を撮り終えていたのに,富豪役のケビン・スペイシー,セクハラ事件で降板し,代役のクリストファー・プラマーで撮り直したことが話題となった。K・スペイシーの方が,遥かに強欲な億万長者に見えたと思え,少し残念だ。
 『妻よ薔薇のように(家族はつらいよⅢ)』:シリーズ3作目だが,別途メインタイトルが付いている。『東京家族』(13)以来の4夫婦8名は固定で,他に風吹ジュン,徳永ゆうきは同じ役で続投し,小林稔侍,笑福亭鶴瓶は別の役で登場する。第1作は「熟年離婚」,第2作は「無縁社会」に続き,本作では「主婦への讃歌」がテーマだ。長男の嫁の史枝(夏川結衣)が反乱し,家出する騒動を描いている。相変わらず,喜劇としては面白くないが,ほろっとさせる場面は得意だ。家族会議シーンが増えているが,わざとらしさは減ってきた。騒動と収め方は古いテーマの焼き直しだが,古典落語のようなものだと思えてくる。長女の中嶋朋子が,それまで「兄さん」と呼んでいた長兄(西村まさ彦)を,終盤の見せ場で「お兄ちゃん」と呼ぶ。勿論,『男はつらいよ』ファンへのサービスシーンで,帝釈天の境内が映るカットも同様だ。横尾忠則のイラスト画が素晴らしい。
 『友罪』:「ゆうざい」と読む。コンパクトで良い題だ。主演は生田斗真と瑛太で,この2人の友情物語で犯罪がらみだと分かる。キャッチコピーで「心を許した友は,あの少年Aだった」と聞くと,複雑な心境になる。現実味があり,更生のための女性保護観察官(富田靖子)も登場するので,どこまでが実話なのかと思ってしまうが,原作は薬丸岳作のミステリーで,純然たるフィクションだ。本作刊行の2年後に,少年A自身の手記が出版されるが,それによって色褪せてはいない。他の助演陣,夏帆,佐藤浩市,山本美月らも,皆好演だ。監督は『64−ロクヨン−』(16)の瀬々敬久で,脚色も演出も見事だ。同作に劣らぬ渾身のヒューマンサスペンスに仕上げている。かく左様に,褒めっぱなしなのだが,敢えて評価にはしたくなかった。余りにテーマが重く,見ていて辛かったからで,感情移入するより,早く終わってくれと願ってしまった。
 『海を駆ける』:ちょっと珍しいインドネシアとの合作映画だ。セリフは,日本語,英語,インドネシア語が混じるが,登場人物と場面で,正しい使い分けがなされている。監督・脚本・編集は『淵に立つ』(16)の深田晃司。大津波で甚大な被害を受けたインドネシアが舞台で,「震災復興リサーチ」に参加して同地に赴いたことから,本作のアイディアを思いついたそうだ。スマトラ島の北端バンダ・アチェ市で約1ヶ月間のオールロケを敢行し,主演にインドネシアと縁が深いディーン・フジオカを起用する徹底ぶりだ。助演陣の太賀,阿倍純子,鶴田真由らの他は,インドネシアの俳優が登場する。主人公のラウは,海から現れた身元の不明の不思議な男で,実は奇蹟(水の逆流,テレポーテーション等)を起こす超人である。ラブストーリーかと思えば,大災害の被害と復興の描写,果てはSFミラクル…と,観客の目を幻惑する。表題の意味は最後に分かる。
 『軍中楽園』:台湾映画『モンガに散る』(10)のニウ・チェンザー監督の2014年の作品だが,本邦公開までに4年弱もかかっている。1969年,中台間の対立激化の時代で,大陸の目の前の金門島は攻防の最前線だった。その島にある「特約茶室」,俗称「軍中楽園」での人間模様を描いた作品である。要するに,軍公認の慰安婦を置いた娼館なのだが,この話題を堂々と映画にする感覚に少し驚いた。当然,娼婦たちはそれぞれ訳ありの出自で,陰惨な物語になりがちだが,映像が明るく,鮮やかだったのが救いだ。主人公は軍から運営管理に派遣された青年兵ルオ・バオタイ(イーサン・ルアン)だが,彼と不思議な友情で結ばれる娼婦ニーニー(レジーナ・ワン)が物静かで,頗る美しい。彼女がギターを手に歌う「帰らざる河」が印象的だった。マリリン・モンローが主演し,歌った同名映画(54)の主題歌だが,モンローの姿が重なって見えてしまった。
 『男と女,モントーク岬で』:ドイツの老匠79歳のフォルカー・シュレンドルフの最新作で,大人の男女の愛の物語である。主人公マックスは人気作家で,取材で世界中を旅し,時々NYにやって来る。現地妻がいるのに,17年前に別れた恋人レベッカとの再会を画策し,ロングアイランドの東端モントーク岬で一夜を過ごす。音楽がいい。2人で歩く海辺の光景は絵になる。それでいて,恋の行方が今一つ不可解だった。尖った映画の難解さではない。男女の恋愛観の違いを描き,「答えはない。人生には後悔だらけだ」というメッセージなのだろうが,思わせぶりな老匠の演出が,筆者の肌には合わなかった。実年齢25歳差の男優と女優の起用が,甚だしく不釣り合いに感じた。全く魅力的に見えないハゲの老人男性(ステラン・スカルスガルド)が,『東ベルリンから来た女』(12)よりも格段に美しい姿で登場するヒロイン(ニーナ・ホス)と情を交わすことが許せない!
 『レディ・バード』:GG賞2部門受賞,アカデミー賞5部門ノミネートで,主演女優賞候補シアーシャ・ローナンの好演が話題だった。チラシ裏の壁に寄りかかる彼女の写真は,『ブルックリン』(15)での彼女の姿にそっくりだ。メイン画像はノーブルな横顔で,映画が始まると,この横顔や髪形も似た母親(マリオン・マクファーソン)が先に登場する。続いてシアーシャの順だが,2人顔立ち,背格好が似ていて,誰が見ても一卵性親子だ。意図的に似たポーズを選び,並ばせているのだろう。青春映画でプロムでの男女関係が大きなテーマなのかと思いきや,反発しながらも,気になる母娘の絆が物語を支えていた。米国内での大学進学事情,大学間格差,西海岸から見た東部エリートへの憧れも伝わってくる。予備知識なく観たのだが,女性監督の作品で,自らの若い頃の同世代体験を描いているのだと分かった。ラスト15分の母娘の心理描写が素晴らしい。
 『ビューティフル・デイ』:カンヌ映画祭の主演男優賞&脚本賞受賞作で,主演はホアキン・フェニックス。元海兵隊員,FBI捜査官で,現在は行方不明の少女を探して救出する裏稼業兼殺し屋だが,議員の依頼を受け,娘の救出に向かう。これが素直に語られていれば,サスペンス・アクションのエンタメだが,カンヌ受賞作がそんな生易しい作品の訳がない。説明的な描写は徹底的に排除し,主人公の心象描写のフラッシュバックを多用と来ると,簡単に物語の展開を追えないということだ。即ち,ストーリーを楽しむ映画ではなく,前提,設定を全部分かっていた上で,どこまで説明を省けるかを実験した映画だと言える。皮肉で言えば,最小限の描写で何が起こったのか観客に当てさせる映画だ。筆者には,「孤独な魂の悲鳴を映し出す」「予測不能な軌跡」「スタイリッシュな映像美」との褒め言葉は,内容を理解できなかった映画評論家たちの自己弁護としか思えない。
 『家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。』:まず,この表題に度肝を抜かれる。頭部をワニに噛まれているスチル画像も最高だ。これが実話だというのに再度驚く。「Yahoo! 知恵袋」サイトに実際にこの投稿があり,多数の応答が寄せられ,やがて専用ブログになり,コミックエッセイが出版されているそうだ。毎夜,様々な手法で死んだふりをする主婦役は榮倉奈々。バツ一で彼女と再婚した夫を安田顕が演じる。前半は10種類の屈託のない死んだふりの扮装に大笑いするが,後半は一転,大真面目な夫婦愛のヒューマンドラマに転じる。本編中に何度も登場するセリフ「結婚を,そんな難しく考えなくても…」と思ってしまう。観客それぞれが,そう感じたり,真剣に我が身に照らし当てたりすることだろう。監督は『デトロイト・メタル・シティ』(08)の李闘士男。この映画で初めて榮倉奈々を可愛いなと感じた。それだけで,監督の意図は半分以上達成している。
 『30年後の同窓会』:原題の『Last Flag Flying』じゃサッパリ分からないが,味のある邦題をつけたものだ。主演はスティーヴ・カレル,ブライアン・クランストン,ローレンス・フィッシュバーンの3人で,ベトナム戦争の戦友達の30年後を描いている。バーで再会し,教会に押しかけるまでは,『ハングオーバー』シリーズの戦友版で,ハチャメチャな映画かと思ったが,リチャード・リンクレイター監督作品がそんな訳はなかった。コメディアン出身のS・カレルが,従軍中の息子を亡くした父親の失意の様を見事に演じている。戦死した米軍兵士への鎮魂歌がテーマで,葬儀時に星条旗を三角形にたたむシーン,ラストの手紙にじんとくる。本当に軍はここまで手厚く遺族に接するのかと思うが,米軍御用達のプロパガンダ映画ではない。むしろ,反戦メッセージだが,破天荒で非常識な大統領に国を任せておけないという思いからの映画化だろうか?
 『万引き家族』:この題名と監督名,主演がリリー・フランキー,安藤サクラと聞いただけで興味が湧く。下町に住む犯罪者家族の物語で,助演陣が樹木希林,松岡茉優,柄本明,池松壮亮…とくると尚更だ。少し意外だったのは,主演の2人は父娘ではなく夫婦役だったことだ(実年齢は,22歳も違う!)。一貫して家族の姿を描いてきた是枝裕和監督の最新作で,オリジナル脚本となると,また映画賞を総なめにすることが予想される。半面,なまじっかメジャーになり,お気に入りの俳優を起用した,お手軽なヒューマンドラマで留まっているのではとも懸念した。それは杞憂だった。ところどころに,突き刺さるようなセリフがある。束の間の倖せと平穏が終わり,不条理な結末へと向かうタッチは,この監督にまだ『ワンダフルライフ』(99)『誰も知らない』(04)の頃のインディペンデント魂が残っている気がした。本作は,もう少し捻った題でも良かったかと思う。
 『ワンダー 君は太陽』:いい映画だ。噂には聞いていたが,予想以上だった。先天的障害で27回も手術し,誰も一瞬たじろぐような容貌の少年オギー(ジェイコブ・トレンブレイ)が主人公である。彼を周囲が温かく見守る感動の物語と聞けば,すこしクサいヒューマンドラマを想像する。その通りなのだが,単なるお涙頂戴映画ではない。爽やかで,かつ誰もが勇気づけられるのは,語りが上手いのと,いじめ,嫉み,誤解等々,周囲の人々間のドラマも巧みに描いてあるからだ。姉ヴィアだけでなく,サマー,ジャック,ジャスティン,ミランダにも,ブラウン先生や校長先生にも拍手したい。知的で聡明な母親(ジュリア・ロバーツ)よりも,一見存在感が薄い父親を演じるオーウェン・ウィルソンが最高だった。彼でないなら,イーサン・ホークでも構わないが,この2人以外には思い付かない。オギーの特殊メイクやチューバッカの再三の登場も注目の的だ。
 『スパイナル・タップ』(評点なし):『スタンド・バイ・ミー』(86)等の名作を生み出したロブ・ライナー監督の1984年のデビュー作だが,今回,本邦での劇場初公開となる。1966年デビューで一世を風靡した英国の重鎮ロックバンド「スパイナル・タップ」が,1982年に再起をかけた新アルバムを掲げて行なった全米ツアーの模様を密着取材したドキュメンタリーだ。過激なステージ風景,バンド結成時の秘話,プロモーション時のトラブル,楽屋裏や宿泊ホテルでの素顔まで,生々しい映像が見事に編集されたロック映画史上のNo.1作品である。こんなバンド,聞いたことない? それもそのはず,全部架空の「偽実録映画」だ。初期のTV出演映像,ドラマーの交替,真っ黒なアルバムジャケット等は,ビートルズ,R ストーンズのパロディだろうが,音楽的にはレッド・ツェッペッリンを真似ているという。久々に「評点なし」としたのは,筆者が80年代初期のハードロック/ヘヴィメタル事情に疎く,発音,会話,衣装,演奏等での風刺を正確に把握できないからだ。
 『天命の城』:韓国映画で,「後金」改め「清」が李氏朝鮮を侵略した1636年の「丙子の役」を描く。言わば屈辱の歴史であるのに,こうしたテーマをリアルに映画化するとは,韓国も民主化している証拠だ。いつの時代も政権内では「主戦派」と「和親派」に分かれるという見本であり,愚かな重臣の存在も典型的である。主演のイ・ビョンホンは『王になった男』(13)以来の歴史ものへの出演で,抑えた演技が光る。主戦派の政敵を演じるキム・ユンソクも存在感がある。何やら,韓国から北朝鮮へのメッセージのようでもあり,明治時代の西郷と大久保を見ているようでもある。極寒,飢え,乏しい軍備と兵器の描写がリアルだ。華麗さはかけらもない。少女ナルの存在が一抹の清涼剤であり,癒しになっている。対する清軍の砲撃もリアルで,将官の首,鹿の死体等,美術班の腕の良さも感じる。坂本龍一の音楽が終盤の重厚感を増している。
 『オンリー・ザ・ブレイブ』:消防士が主人公の火災映画といえば,まずは名作『バックドラフト』(91),当欄紹介では『炎のメモリアル』(04)『ザ・タワー 超高層ビル大火災』(12)が挙げられる。いずれもビル火災を描いていたが,本作は森林火災を扱っている。消防隊も建物火災とは別の専門部隊であり,その隊長役の主演はジョシュ・ブローリン,妻はジェニファー・コネリー,消防署長役にジェフ・ブリッジスという布陣だ。この種のパニック映画では,危機状態での人間模様を描くのに,前半はその前提となる個々人のエピソードが描かれ,後半は迫り来る焔の中での緊迫感が定番だ。本作も前半からの人間ドラマのウエイトが高く,本格的な山火事もシーンは最後の25分だけだった。それでも,スタジオの裏手に可燃林を作り,消火体制をとった上で,本当に燃やしたという映像は迫力満点だった。遠くの山火事や火だるまの熊の描写は,当然CG表現だろう。
 『焼肉ドラゴン』:表題は伊丹空港の近くのホルモン焼屋の店名で,店主「龍吉」にちなんでいる。日韓共同製作され,両国で上演されて,演劇賞を総なめにしたという名作舞台劇の映画化作品で,強い絆で結ばれた家族6人を含む在日韓国人たちの物語である。原作戯曲は在日3世の劇作家・演出家の鄭義信の作で,自ら映画用に脚色し,初の長編映画監督も務めている。時代は高度成長の真っ只中,1970年の大阪万博の前年から翌年春までの出来事を描いている。3姉妹の恋愛と結婚,長男のいじめ問題をめぐる愛憎劇は,かなりの力作だった。韓国人俳優は4人起用されているが,韓国語と日本語のセリフはきちんと使い分けられている。店主夫妻を演じるキム・サンホとイ・ジョンウンの演技が出色だ。とりわけ,戦争で片腕を失い,日本での定住を余儀なくされた龍吉の言葉が重く,心に滲みる。強いて欠点を挙れば,3姉妹(真木よう子,井上真央,桜庭ななみ)が両親に比べて美人揃い過ぎることだろうか。
 『猫は抱くもの』:監督は犬童一心。以前は犬の映画もあったが,『グーグーだって猫である』(08)がヒットしたからか,再度猫がテーマの映画である。単に猫を可愛がる映画ではなく,少し不思議なファンタジー映画だ。所々,多数の猫が人間の姿で出て来る。「人間の世界」と「猫の世界」を交錯させ,どこからが妄想か分からなくなる。至るところで舞台劇風に撮影されていて,ミュージカル風の場面も何度か登場する。大半の場面は,群馬県最古の公会堂を丸ごと借りて撮影したようだ。異色のファンタジーと猫好きの映画を掛け合わせた企画で,その意欲は分かるが,少し空回りしているようにも感じた。『ヘルタースケルター』(12)以来,6年ぶり主演の沢尻エリカは,相変わらず美しく,歌も上手い。『不能犯』(18年2月号)の刑事役よりは似合っているが,もっと堂々たる主人公を演じられる大女優の素質をもっているはずだ。今年はこの後も出演作が続く。楽しみだ。
 『死の谷間』:2015年製作のSF映画だが,ようやく日本でも公開される。本作の登場人物はたった3人だ。いわゆるディストピアものだが,荒廃した都市が舞台ではなく,土地は肥沃で,日差しも明るい。核汚染を免れた奇跡の谷(第2のエデン)にたった1人で生き残った若い女性アン(マーゴット・ロビー)は,ある日,核シェルターで生き残った科学者のジョン(キウェテル・イジョフォー)と遭遇する。2人は次第に打ち解けるが,さらに白人男性のケイレブ(クリス・パイン)が現れたことで,2人の距離感に変化が生じる……。典型的な男女の3角関係の物語だが,自制心はあるが信仰心はない黒人中年男性と,彼女の信仰心を尊重する白人イケメン青年では,勝負ありだ。上記の『ビューティフル・デイ』と同様,言葉も説明も少なめだが,本作の方が分かりやすい。それでも,結末は意図的にぼかしてあり,観客の解釈に委ねている。
 
 
   
     
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