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O plus E誌 2017年2月号掲載
 
 
マグニフィセント・
セブン』
(MGM&コロンビア 映画/SPE配給 )
     
 
  オフィシャルサイト[日本語][英語]    
  [1月27日よりTOHOシネマズ日本橋他全国ロードショー公開予定]   2016年12月14日 GAGA試写室(大阪)
       
   
 
沈黙 -サイレンス-』

(KADOKAWA配給)

      (C) 2016 FM Films, LLC.
 
  オフィシャルサイト[日本語][英語]    
  [1月21日よりTOHOシネマズ スカラ座・みゆき座他全国ロードショー公開中]   2016年12月26日 松竹試写室(大阪)  
       
  (注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています。)  
   
  日本と関わりが深い意欲作2本  
  次なる2本は,全くジャンルの異なる映画だがまとめて語っておきたい。共通点その1は,日本との関わり合いが多いこと。その2は,VFX多用作ではないが,目立たないインビジブル・ショットで,各作品の土地柄,時代背景を引き締めていることだ。そして何よりも,筆者がメイン欄で語りたかった2本なのである。
 
 
  伝説のリメイク作が,現代風西部劇として再登場  
  本作もカタカナ題名だが,洋画ファンの殆どは『The Magnificent Seven』が西部劇の名作『荒野の七人』(60)の原題であり,同作が黒澤明の大傑作『七人の侍』(54)のリメイク作であることを知っている。即ち,本作は『七人の侍』の孫のような存在だ。ついでに言うなら,後年の黒澤作品『用心棒』(61)をリメイクしたマカロニ・ウエスタンが『荒野の用心棒』(64)であり,その後,邦題で乱発される「荒野の…」の原点的存在が『荒野の七人』であった。その「荒野の…」の冠がないのは淋しいが,当時続編として『続・荒野の七人』(66)『新・荒野の七人 馬上の決闘』(69)が作られていたので,『新々・荒野の七人』などと名乗る野暮は避けたのだろう。
 結論を先に言えば,このリメイク作は久々の本格的な西部劇であり,現在の映画として通用するスピード感,銃撃戦の激しさも備えている。さらに,往年のハリウッド製西部劇の香りを維持しつつ,マカロニ・ウエスタンからの影響も受けている。細部は『荒野の七人』の方が『七人の侍』に近いが,本作も随所で原点帰りして『七人の侍』の名場面を彷彿とさせるシーンが登場する(写真1)
 
 
 
 
 
写真1 原点返りのこのシーン,思わず嬉しくなる
 
 
  『荒野の七人』の舞台はメキシコの寒村であったが,本作ではアメリカ西部の町ローズ・クリークとなっている。冷酷非道な悪人の略奪から町を守るため,アウトロー7人が雇われるという基本構図は全く同じだ。監督は『トレーニング デイ』(01)のアントワーン・フークア。興味の的は7人のキャスティングだが,リーダー役はフークア監督とは3度目のタッグとなるデンゼル・ワシントン。前作のユル・ブリンナーよりも,志村喬が演じた勘兵衛に近い存在感だ。サブリーダーのガンマンにクリス・プラット,南北戦争で心に傷を負った狙撃手にイーサン・ホーク,ナイフ投げの達人にイ・ビョンホンが配されている。それぞれ,前作でスティーブ・マックィーン,ロバート・ヴォーン,ジェームズ・コバーンが演じた役に当たる。ネタバレになるので詳しくは書けないが,7人中で生き残る数は,前2作と同じだと言っておこう。
 しばらくの間7人の区別がつきにくいが,これは6人が同じような黒めのハットをかぶり,口髭,顎髭を生やしているためだ。かつての西部劇の主役も前作の7人も髭面ではなかった(写真2)。これは『荒野の用心棒』のクリント・イーストウッド以来の流行のようだ。あるいは,三船敏郎が演じた「菊千代」や「三十郎」の影響なのかも知れない。以下,当欄の視点での感想である。
 
 
 
 
 
 
 
 
写真2 上:前作では誰も髭はない。下:右の1人以外は全員髭面。
メンバーも,黒人,先住民,メキシコ人,東洋人と多彩。
 
 
 
  ■ 冒頭からオスカーを受賞した前作の名テーマ曲が流れることを期待したのに,それは裏切られた。同曲はエンディングでしっかり登場するので,『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』(17年1月号)と「SWのテーマ」との関係と全く同じである。ただし,本作で流れる音楽も悪くない。前作のイメージを残したオリジナル・スコアであり,エンニオ・モリコーネ風のトーンも織り交ぜている。これがジェームズ・ホーナーの作品であり,遺作であることは後で知った。他にサウンドで特筆すべきは,銃の発砲音や爆発音が新鮮で,心地よいことである。旧作と比べるとその差は歴然で,映像だけでなく,音響効果も着実に進歩している。
 ■ 美術面では,本格的な西部劇セットが組まれていることが嬉しい(写真3)。前作を見直したら,もっとオンボロのメキシコの町だった。本作は,どこかで見かけた典型的な西部開拓時代の町を再現していると言える。荒野の描写もしかりで,前作を上回り,広大な西部の光景が展開する。これは,しかるべき場所を探してロケをしたのではなく,巧みにVFX加工を施し,この広大さを描出しているものと思われる。
 
 
 
 
 
 
 
 
写真3 本格的西部劇セットでの活劇が嬉しい
 
 
 
  ■ メイキング画像と前作を見直すまで気がつかなかったのだが,遠景の山々の形は前作に似せて描いている(写真4)。固定点での映像だけでなく,どのアングルの映像でも同じような山々が見えるから,きちんと山を3Dモデリングし,世界座標中に町と山を配置して,カメラ位置に応じたCG製の背景を生成しているのだと考えられる(写真5)。Zero VFX, Rainbow CGI, Luma Picturesが担当で,手堅い出来映えだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
写真4 背景の山は前作に似ている(上),と思ったら,これはCGで描いた合成画像だった。
(下左:実際の光景。下右:山と雲を描き加えた)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
写真5 どのアングルから見ても,矛盾のない山々を描き込んでいる
 
 
  巨匠念願の映画化作品は,江戸時代の日本が舞台  
  もう1本は,遠藤周作の小説「沈黙」を巨匠マーティン・スコセッシが映画化した歴史ドラマで,江戸時代初期の日本が舞台である。徳川幕府が切支丹弾圧を強化した1930年代から40年代の長崎が舞台で,来日した宣教師の衝撃と苦難を描いている。
 原作の出版は1966年で,筆者はまだ大学生だった。「純文学書下し作品」として話題を呼び,谷崎潤一郎賞を受賞したことも覚えている。1971年に篠田正浩監督が映画化し,監督と原作者が共同で脚本を執筆している。同作に比べて,本作の方が原作に忠実な映画化のようだ。「ようだ」というのは,当時の筆者には,神と信仰心について語る原作は退屈過ぎて,途中で断念し,読破していないからである。そのリターンマッチとしての本作は,分かりやすく,かつ感動の一作であった。年齢を重ねたせいもあるだろうが,1980年代に原作に注目し,映画化を切望していたオスカー監督の情熱と伎倆のなせる業だと思う。既にいくつかの映画祭で受賞しているが,映画史に残る名作として語られることだろう。
 日本が舞台の映画をハリウッド資本で製作するので,注目点はキャスティング,美術セットやロケ場所である。ポルトガル人宣教師役には,長崎で棄教した教父フェレイラにリーアム・ニーソン,彼を追ってマカオ経由で来日する弟子のロドリゴ司祭にアンドリュー・ガーフィールド,ガルペ司祭にアダム・ドライバーが配されている。長身痩躯のL・ニーソンやA・ガーフィールドは長髪,髭面で登場すると,キリストに見えてしまう(写真6)。もうそれだけで,宗教映画の香りがする。
 
 
 
 
 
 
 
 
写真6 西洋人でこの風貌だと,イエス・キリストに見えてしまう
 
 
 
  出演者の大半は日本人で日本語を話す。外国語(映画中では英語だが,本当はポルトガル語であるべきか?)を話せる日本人役として,浅野忠信,窪塚洋介,イッセー尾形らが登場する。セリフには日英両言語が混じり合っていたが,極めて視聴しやすく,物語に自然に没入できた。両言語とも字幕が付いている上,音がクリアで,聴き取りやすかったからである。
 ■ 大勢の日本人を起用するなら,オープンセットもロケも日本のどこかを選んだのだろうと思ったが,何と制作コストを考えて,台湾でセットを組んで撮影したという(写真7)。そうでありながら,セットの屋内外は見事に和風に作られ,十分に江戸時代の日本だと感じられる完成度である(写真8)。『ラスト サムライ』(04年1月号)もそうだったが,ハリウッド資本で撮った方が,邦画よりも日本らしい光景が見られるというのが皮肉だ。

 
 
 
 
 
写真7 日本から美術班が渡航し,台湾にこのオープンセットを作った
 
 
 
 
 
写真8 洋画で,この和服と和室は見事
 
 
   ■ コスト面で台湾を選択したとしても,約400年前の日本に見せるには,山間部も海岸部もかなりVFX加工したはずだ。冒頭のポルトガルの教会や港(写真9),マカオの市街地シーンも,デジタル加工の産物と考えられる。そして,マカオから日本への航海(写真10)は,どう見てもCGで描いたとしか思えない。いずれも上質の出来映えだと思ったら,老舗ILMが手がけたシーンであった。この種の作品にILMが参加するのが意外な上に,エンドロールには予想以上のアーティスト名があったので,かなりのシーンがVFX加工されていたと思われる。
 
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写真9 教会から見た17世紀のポルトガルの町や港を再現
 
 
 
 
 
写真10 マカオから長崎への航海は,海も船もCG製だろう
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  (画像は,O plus E誌掲載分に追加しています)  
   
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