head
titlehome略歴表彰学協会等委員会歴主要編著書論文・解説コンピュータイメージフロンティア
| TOP | アカデミー賞の予想 | サントラ盤ガイド | 年間ベスト5&10 |
title
 
O plus E 2021年Webページ専用記事#3
 
その他の作品の短評
  (注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています。)  
 
   『オキシジェン』:Netflix独占配信のフランス製のSF映画だ。主演は『イングロリアス・バスターズ』(09年11月号)『オーケストラ!』(10年5月号)のメラニー・ロラン。全作紹介したくなる美人女優だが,巡り合わせが悪いのか,出演作品の半分以下しか観ていない。当欄で最後に紹介したのは4作前の『英雄は嘘がお好き』(19年9・10月号)だが,余り彼女に向いた役柄と思えなかった。本作は,単独主演作で,しかも全編出ずっぱりの独演に近いというので,大いに期待した。目が覚めたら,見覚えのない狭い空間の中で,自分が誰か何も思い出せない記憶喪失状態という設定だ。となると,まず思い出すのが,主人公が地中深く埋められた棺の中で目を覚ます『[リミット]』(10年11月号)である。ライアン・レイノルズ主演で,登場人物は彼1人であり,全編棺桶の中という究極のワン・シチュエーション・ドラマだった。本作もそれに近いが,もう少しスマートで,こちらは人工冬眠できる極低温ポッドの中だった。本作の「Oxygen」は「酸素」のことで,呼吸できる酸素残量を気にするドラマであることもそっくりだ。[リミット]では,ライター,携帯電話,ナイフ,ペン,懐中電灯が手元にあり,電話をかけまくっていたが,本作ではAIエージェントの「ミロ」が会話に応じ,主人公の指示に従い,警察に電話をつないでくれる。この種のAIの声がフランス語で話すのは,慣れないせいか,少し奇妙な気分だ。やがて,彼女がこのポッドを開発した科学者エリザベス・ハンセン博士であることが判明するが,[リミット]の結末を考えれば,安易なハッピーエンドを期待できない。目を覚ました原因と置かれた環境を知り,観客も愕然とする。物語は中盤以降に急旋回するが,ネタバレになるのでこれ以上は書けない。ヒントとして,宇宙空間,植民地,遺伝子,クローン,記憶移植がキーワードで,ロボット,異星人,タイムマシン等は登場しないと言っておこう。最初は低予算映画化かと思ったが,ビジュアルは素晴らしかった。端末画面内の映像,ポッドとその周辺の事物のデザインに惚れ惚れする。大量のネズミや螺旋状に配置された多数の同型の極低温ポッドは,勿論CG描写だ。見比べて楽しんで欲しい類似作品として,『パッセンジャー』(17年4月号)と『ミッドナイト・スカイ』(21年1・2月号)を挙げておこう。
 『Mr.ノーバディ』:緊急事態宣言で試写会が延期になってしまい,本誌5・6月号に間に合わなかった映画だ。少し条件緩和され,ようやくマスコミ試写に辿り着いたが,予告編も見ず,概要も少ししか知らなかった。そのレベルの事前知識で観たら,思いがけない拾い物だと感激する痛快作である。紹介が遅れた分,かなり長めの短評にしておこう。主人公は平凡な一市民で,強盗に入られても対処できず,家族にバカにされ,路線バスでのチンピラ共の悪事に怒りを爆発させる……。というので,社会派映画かと思ったのだが,全くのエンタメで,派手なアクション映画だった。米国Box Office No.1で前評判が高かった『モータルコンバット』(21)を同じ週に観たのだが,どうしようもない駄作で,当欄での紹介を見送った。それに引き摺られ,本作の期待度も下っていた分,余計に嬉しい誤算だった。主人公の前職は3文字の特殊機関だというが,秘密諜報員でも特捜班隊員でもなく,会計士だったという。映画としては,『ボーン』シリーズのような重厚さはなく,痛快さのライバルは『96時間』(09年8月号)『イコライザー』(14年11月号),そして邦画の『ザ・ファブル』(19年5・6月号)あたりだろうか。それらの各1作目を最高点評価☆☆☆にした以上,本作もそうせざるを得ない。と言っても,本作の主人公ハッチは,彼らほど無敵で完璧な戦闘能力の持ち主ではない。結構敵に痛めつけられるし,捕まったりもする。それでいて,中盤以降はライバル作に負けず,痛快無比だった。『ジョン・ウィック』シリーズにも似ている気がしたが,妻子はいるし,職業も違うし…と思ったら,同じ脚本家の作で,制作チームも同じだった。道理で,アクション・デザインや全体のタッチが似ている訳だ。監督はロシア出身のイリヤ・ナイシュラーで,主演男優はボブ・オデンカークというらしい。TVシリーズでは受賞作品多数らしいが,これまで劇場用映画では脇役出演だけで,あまり馴染みがない顔だ。その分,一見平凡な労働者に見える主人公にはピッタリだった。彼の父親役はクリストファー・ロイド。あの『バック・トゥ・ザ・フューチャー』3部作の“ドク”である。さすがにもう相当な老け顔で,老人ホ―ムで寝たきりのボケ老人そのものだったが,彼も終盤で豹変する。設定はだいぶ違うが,この父子関係は『インディー・ジョーンズ/最後の聖戦』(89)のショーン・コネリーとハリソン・フォードを思い出す。あまり書くとネタバレになるので,これくらいにしておこう。メイン欄の『クルエラ』同様,懐メロ中心の音楽も快適だった。とりわけ,冒頭とラストで2度登場する「Don't Let Me Be Misunderstood」に痺れた。『キル・ビル』(03)で使われていたのは,Santa Esmeraldaのディスコ版だったが,本作で使われていたのはNina Simoneのオリジナル版だ。この映画の日本語吹替版を作るなら,是非,尾藤イサオの「悲しき願い」に差替えてくれることを希望しておきたい。その他の曲に関しては,別項のサントラ盤ガイドで触れることにしよう。
 『1秒先の彼女』:高評価の作品が続く。Web専用ページの前半は,本誌掲載に間に合わなかったが,どうしても触れておきたい映画を選んでいるのだから,当然の結果だ。本作は台湾映画のラブコメディで,デートムービーに向いているが,SFファンも気に入る内容だと思う。監督・脚本は台湾映画界の異端児と言われているチェン・ユーシュンで,同国のアカデミー賞である「金馬奨」の5部門受賞作である。主人公は,郵便局員でアラサー女子のシャオチー(リー・ペイユー)だ。美人とは言い難いが,お笑い系のキャラで,一挙一動に愛嬌がある。スポーツマンの男性からデートに誘われ,有頂天になる様子が可愛い。日本人にもよくいる顔立ちで,誰に似ているのだろうと考えたら,「爆笑問題」の太田光に似ていた。何ごともワンテンポ早い彼女と,彼女に想いを寄せるが常にワンテンポ遅い男性グアタイ(リウ・グァンティン)のラブロマンスが展開する。問題は,原題の『My Missing Valentine』通りに,シャオチーが楽しみにしていたバレンタインの1日がなくなってしまうことだ。タイムトラベルやタイムループでなく,彼女だけ1日が消失するという不思議な出来事である。その理屈づけや謎解きが楽しい。映像的には,郵便局内の様子が日本とそっくりだった。郵便業務以外に簡易保険も扱っている。戦前は同じ国であったことの名残だろう。VFXとしては,Image Based Renderingで構成した3D静止空間の利用が目立った。他の人物も事物も静止状態で,その空間内を主人公たちだけが歩き回るという見せ方である。『ザ・ループ TALES FROM THE LOOP 』(20年Web専用#4)等の最近の作品でよく使われている流行の技法であるが,本作は物語展開と絡めた使い方が巧みだった。金馬奨で視覚効果賞も受賞しているだけのことはある。画像入りで解説しようかと思ったが,断念した。静止画を載せても,その面白さは伝わらないからだ。経費削減のためか,この技法を使わずに,生身の出演俳優をじっと静止させて代用しているシーンも頻出する。相手役が演技している間,ずっと瞬きもせず,身体も微動だにしないが,風で髪の毛だけが揺れている。これは演技するよりも大変だっただろう。いや,ご苦労さま。
 『ピーターラビット2/バーナバスの誘惑』:4回も公開延期になって,ようやく公開となった映画だが,マスコミ試写を観る機会を逸したので,公開日翌日の土曜日の午前中に映画館に足を運んだ。緊急事態宣言解除直後であり,夜21時以降の上映がないだけで,映画興行はほぼ正常に戻っていたが,300席弱のシアターに観客はたった20名前後だった。純然たるファミリー映画であるから,こんな時期に子供連れで映画館に来ようという家族が少なくても当然だ。そんな中で,入場料を払ってまで本作を観に行ったのは,当映画評欄がCG/VFX多用作の状況を同時代記録として残すという使命感のためだけである。しかるに,次号掲載が迫っているので,画像入りのメイン記事を書くだけの時間的余裕がない。よって,この短評欄で最低限の記録を残すだけに留めることにした。前作『ピーターラビット』(18年5・6月号)は,英国製の名作絵本で世界的に有名な動物キャラをCGで描いたハリウッド映画で,本作はその全くの続編である。いたずらウサギのピーターが慕う心優しい女性ビア(ローズ・バーン)がトーマス・マグレガー氏と結婚するところから物語は始まる。ビアは絵本作家になっていて,その出版方針を巡る物語が展開する。ピーター以外の4匹の仲間や,キツネ,ブタ,スカンク,ニワトリ等のCG製の動物たちも引き続き登場し,出番は前作よりもかなり多い。動きも表情も前作よりも良質だが,既にモデリングは済んでいて再利用するだけだから,これくらいは当然と言える。新登場はピーターの父の旧友のバーナバスで,彼のギャング仲間も登場する。ギャグ,ドタバタ劇は上々で,前作同様,挿入されている音楽も軽快だ。CG/VFXの主担当は,前作に引き続きAnimal Logic社で,副担当はMethod Studiosだった。オンセットVFXも多用されていた。4回も公開延期するほどの大作ではないが,ファミリー映画としての平均水準は十分クリアしていた。
 『Arc アーク』:原作はSF作家ケン・リュウの短編小説「円弧(アーク)」で,人類史上初めて永遠の命を得た女性「リナ」を芳根京子が演じている。彼女が主演というだけで,固唾を呑んで観てしまった。この映画の「不老不死」が,一体どうやって成立しているのかにも大いに興味があった。樹脂によって遺体を生前時の姿のまま保存する施術「プラスティネーション」を改良し,全身に新しい細胞を注入し,永遠に細胞分裂を繰り返すことで「不老不死」を達成するとのことだった。SF映画らしい躍動感のある展開を期待したのだが,終末問題に重きが置かれ,物語が暗過ぎた。人物造形に魅力がなく,ストーリーテリングもお粗末だった。中盤が退屈過ぎて,何度も欠伸をしてしまった。リナの89歳からはモノクロ映像に転じるが,その意図が理解できなかった。こうした長寿は無機質で潤いがないと言いたいのだろうか,それとも単に転調したかっただけなのか。このモノクロ上映時間が長過ぎる上に,画質的にも感心しない。昔のモノクロフィルムのようなコントラストが強い画調ではなく,映像にハリがない。単にカラー撮影した映像から,彩度を落としただけだ。同時に,その大半で劇伴音楽がなく,陰鬱なセリフだけのシーンが続く。監督・脚本・編集は,『蜜蜂と遠雷』(19)の石川慶。実力派とされる監督だが,画調と音楽に関するセンスには疑問符がつく。お目当ての芳根京子はと言えば,30歳から老化が止まったという設定のため,いつものような爽やかな明るさはなく,随分大人っぽいメイクだった(撮影時の実年齢は23歳)。それでも,彼女の美しさと助演陣(寺島しのぶ,岡田将生,風吹ジュン,小林薫)の演技に免じて,評点は「中の下」で留めておこう。
 『スーパーノヴァ』:題名からはアメコミのヒーローを想像するが,全く違う。宇宙の星が進化の最後に起こす大爆発の前に,突如異常に明るく輝く状態のことで,「超新星」と訳されている。では,宇宙もののSFかと言えば,それも違う。映画のタッチは全く正反対で,2人の名優が演じる文芸調の映画だった。舞台となるのは英国の湖水地方で,景観はもちろん美しい。ピアニストのサム(コリン・ファース)と作家のタスカー(スタンリー・トゥッチ)は20年来のパートナーで,愛し合っている。2人がキャンピングカーで旅する模様が,ゆったりと描かれている。タスカーが人生の最終章を迎える時期が迫り,2人の関係が最後の輝きを帯びてくることを「超新星」に譬えている。この2人のキャスティングは不釣り合いに思えたが,実際にも20年来の親友であり,S・トゥッチの指名でC・ファースの出演が決まったようだ。露骨なゲイの描写は多くなかったが,やはり名優2人のベッドイン・シーンは気持ちのいいものではなかった。映画の宣伝パンフには,「一瞬たりとも目を離せない」「愛し合う男の姿に涙が止まらない」「胸が張り裂けるほどの愛に喝采!!」等の賛辞が並んでいるが,どれにも賛同できなかった。これは,筆者の感性が鈍いからなのか,それとも単に生理的にLGBTQを受入れられないだけなのだろうか。ただし,これが監督2作目となる新星ハリー・マックイーン監督の語り口は,注目すべきレベルだと感じた。
 『シャイニー・シュリンプス!愉快で愛しい仲間たち』:ゲイの映画が続く。一転こちらは副題通り,愉快で楽しい,愛すべき連中の集まりだ。差別発言をした水泳の元オリンピック銀メダリスト(ニコラ・ゴブ)が,罰として3ヶ月間,アマチュア水球チームのコーチを命じられ,ハイレベルの競技会出場を目指すという物語である。それだけを聞くとただのスポーツ映画だが,彼の発言が「オカマ野郎」だったため,指導対象は全員ゲイのチームで,目指すのも最高峰のゲイゲームズ(LGBTQ+の五輪)だという訳である。「Shiny Shrimps」なるチーム名は実在のもので,しかもゲイスポーツ史上最弱というトンデモナイ存在とのことだ。練習試合で女子チームにもバカにされるレベルだったのが,臨時コーチの指導でめきめき腕を上げる展開が心地よい。水球映画は初めてで,水球の試合ルールにも詳しくなかったが,水中からの撮影もあり,楽しかった。この実在のゲイ・チームのメンバーであるセドリック・ル・ギャロが本作の監督・脚本担当であるから,リアリティが高いことは間違いない。ただし,俳優たちはゲイではなく,誇張されたゲイのポーズが観客の笑いを誘う。セリフはフランス語だが,オネエ言葉だと分かる。オープンルーフの観光バスで,パリからクロアチアの大会会場に向かう道中の描写が見もので,観光映画としても優れている。音楽が軽快で,エレキサウンドのインスツルメンタルも歌入りのポップスもゴキゲンだった。終盤の試合の盛り上げ,ヒューマンドラマとしての着地も合格点だ。大きな感動作ではないが,印象に残る映画だと言える。
 『サムジンカンパニー1995』:韓国映画で,大企業「サムジン電子」で働く高卒女子社員3人組が活躍する痛快コメディである。舞台となるのは1995年のソウルで,「漢江の奇跡」と呼ばれた高度成長の真っ只中である。実務能力は高いのに,大卒社員のサポートの雑務しか任されない女子社員の扱われ方と,彼女らの不平不満に関する描写が笑いを誘う。ある日,その1人イ・ジャヨン(コ・アソン)は,自社工場が垂れ流す化学物質フェノールが深刻な公害を引き起こしていることを知り,上司に報告するが,会社上層部はこれを隠蔽しようとする。ジャヨンは,高卒仲間のチョン・ユナ(イ・ソム),シム・ボラム(パク・ヘス)を巻き込んで会社の不正に立ち向かう……。OLたちの織りなすコメディに留まらず,ミステリー要素も入れ,次第に社会派映画の味付けも色濃くなる。およそ美形とは言えない3人組だが,親しみがもて,このトリオを応援したくなってくる。注目ポイントは,街並みからオフィス内部まで,徹底して1995年当時の韓国の世相を盛り込んでいることだ。日本人の感覚からは,もっと古い1975〜80年頃の映画に見える。個人的には,講演会講師として招かれ,筆者は正にこの1995年に初めて韓国・ソウルに行った。日本の約20年前にそっくりだと感じた覚えがある。ベースとなった実話は「斗山電子」が起こした1991年の公害事件だそうだが,劇中の社名からは「サムソン電子」を想像してしまう。筆者自身,1995年に同社の工場を見学していたので尚更だ。監督は,ドキュメンタリーや音楽映画が得意なイ・ジョンピル。劇中,激烈な受験戦争の描き方も皮肉たっぷりで,超学歴社会の韓国は,高度成長期の原点に立ち戻って身を正すべきという想いが込められていると感じた。
 『東京リベンジャーズ』:痛快系の作品が続くが,こちらは邦画で日本のヤンキー男子たちのアクション映画だ。同じワーナー・ブラザース配給の邦画でも,上記の『Arc アーク』とは打って変わった楽しさだ。その意味では,同社配給の『地獄の花園』(21年5・6月号)の男性版であり,ヤンキー度とバトルアクションの楽しさは相似形だ。大きな違いは,同じく「漫画のような展開」であるが,本作は実際に週刊少年マガジン連載のコミック「東京卍リベンジャーズ」が原作で,その実写映画化であることだ。なぜ表題から「卍」を消したのか不明だが,有った方が良かったのにと感じた。主人公のフリーターのタケミチ(北村匠海)は,ある日のニュースで,かつての彼女・橘ヒナタと彼女の弟・ナオト(杉野遥亮)が巨悪組織の東京卍曾に殺されたことを知る。翌日,彼は駅のホームから転落した瞬間に10年前にタイムリープする。このタイムリープ機能を何度も利用し,2人の未来を書き換えて救出しようという筋書きである。同じヤンキー映画でも,このタイムリープの使い方の面白さの分だけ,『地獄の花園』より優れている。自由自在にタイムリープするのでなく,丁度10年前にリープし,過去で過した時間の分,現代では眠っているという制約がいい。即ち,過去のその時刻通りに事件を阻止しないと,2度とチャンスはない,やり直しは効かないからだ。10年前と現在のシーンとで,山の手線の緑の車輌を描き分けているのに感心した。JRに古い車輌を特別走行してもらって撮影したのではなく,CGでの描写だろう。登場人物では,主役の北村匠海はまずまず悪くない出来だったが,マイキー役の吉沢亮とドラケン役の山田裕貴がひたすらカッコ良かった。とりわけ,吉沢亮はNHK大河ドラマの主人公とはまるで別人物である。いいね!
 『ライトハウス』:文字通り「灯台」が舞台で,全編モノクロで,スタンダートサイズの映像である。それだけで,主対象は単館系の映画通の観客,異色作品好きの映画批評家,映画祭の審査委員だと分かる。その意図通り,各国の映画祭で133ノミネート,33受賞を果たしているから立派なものだ。キレのある美しいモノクロ映像は,上述の『Arc アーク』のフニャけた映像とは段違いで,アカデミー賞撮影賞ノミネート作だけのことはある。作品的に対比させて語る対象は『スーパーノヴァ』の方だ。本作の監督・脚本は,デビュー作『ウィッチ』(15)がサンダンス映画祭監督賞を得たロバート・エガースで,こちらも長編2作目である。2大俳優の演技合戦という意味でも共通しているが,本作は文芸調とはほど遠く,狂気と恐怖に溢れた実話ベースのスリラーだ。時代は1890年代,ニュハンプシャーの孤島の灯台に,新旧2人の灯台守がやって来る。ベテランの老人トーマス・ウェイク(ウィレム・デフォー)と未経験の青年イーフレイム・ウィンズロー(ロバート・パティンソン)である。W・デフォーはオスカー・ノミネートされた『シャドウ・オブ・ヴァンパイア』(00)の吸血鬼役が強烈だったが,第1期『スパイダーマン』シリーズの敵役グリーン・ゴブリンも印象に残っている。一方のR・パティンソンもヒットシリーズ『トワイライト』のヴァンパイアの美青年役でブレークし,新シリーズのバットマン役に抜擢されているので,まさに好対照のキャスティングだ。酒が入って一瞬ハグするシーンはあるが,こちらはゲイとは正反対で,初日から全くソリが合わず,連日衝突を繰り返す関係である。前半はトーマスの辛辣な言動での新人いびりが凄まじい。4週間の勤務予定が,嵐のため孤島に閉じ込められ,2人の過去が次第に明らかになってくる。後半は恐怖に包まれた密室もので,とりわけ,青年イーフレイムが幻想から狂気を帯びて行く様の描写が生々しい。詰め込んだという神話や古典文学のエッセンスはよく分からなかったが,細部の拘りは強く感じられた。この演出力は大したものだと思うが,この種の恐怖映画は余り好きになれない。
 
 
  ()  
   
  Page Top  
  sen  
 
back index next
 
     
<>br