O plus E VFX映画時評 2024年11月号掲載

その他の作品の論評 Part 1

(注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています)


■『十一人の賊軍』(11月1日公開)
 先月号の当欄を『八犬伝』で締めくくった勢いで,同じく数字入りの邦画から始める。秋のハイシーズンの今月は紹介対象が殊更多く,邦画にも秀作が目立つ。本作は題名から,黒澤映画の傑作『七人の侍』(54)や三池崇史監督の力作『十三人の刺客』(10)並みの面白さを期待してしまう。『日本侠客伝』『仁義なき戦い』シリーズの名脚本家・笠原和夫の構想(原案)を映画用に冲方丁が小説として書き下ろした。これを『孤狼の血』シリーズの監督・白石和彌,脚本・池上純哉のコンビで映画化したのだから,どんな戦闘映画に仕上がっているのかが楽しみだった。
 時代は明治維新の戊辰戦争の最中で,舞台は新潟の新発田藩である。幕末もので,会津藩,長岡藩はよく登場するが,この藩のことは余り知らない。官軍に抵抗する奥羽越列藩連合に参加しているのに,戦意が感じられない。米沢藩,長岡藩に責め立てられても,若く頼りない藩主は官軍に寝返りたいと考えている。策謀家の家老・溝口内匠(阿部サダヲ)は,官軍の侵攻を遅らせるため,牢にいる罪人たちを官軍と戦わせる方法を思いつく。これが11人という訳である。砦を守り抜けば無罪放免の約束だったが,それが怪しいことは容易に想像できる。
 W主演は山田孝之と仲田大賀である。後者は罪人向きでないと思ったら,正義感の強い藩士の鷲尾兵士郎役であった。それなら納得する。一方,山田孝之は妻を寝取られた怒りから新発田藩士を殺害した罪人・政で,薄汚い風貌は彼のハマり役だ。その他の罪人は,尾上右近,佐久本宝,千原せいじ,岡山天音らが演じている。典型的な集団抗争劇であるが,『七人の侍』より人数が多いためか,個々の紹介が少なく,覚えにくい。一方,新政府軍の指揮官・山懸狂介(玉木宏)は存在感があった。
 オープンセット中心で撮影した本格的時代劇で,戦闘場面は激烈で迫力がある。城内,吊り橋等もしっかりした作りで,とりわけ吊り橋が重要な役割を果たしていた。砲弾の音もリアルだった。この地で臭いのする水が沸き出していて,それを使って爆発させるという戦法が登場する。そう言えば,昔,中学校の地理の時間に,新潟には油田があると習ったことを思い出した。
 上映時間は155分で,大勢が決してからの後日談が長いのが邦画の欠点だ。物語としては,まずまず妥当な結末かと思う。罪人に戦わせたのはフィクションだろうが,新発田藩の裏切りは史実のようだ。激動の時代にこうした様子見をするのも,世渡り術だなと了解した。

■『アイミタガイ』(11月1日公開)
 邦画を続けよう。一転して,のんびりした,心優しい映画である。中條ていの連作短編集の映画化で,題名は「相身互い=人々が助け合う心」を意味している。『台風家族』(19)の市井昌秀が脚本の骨組みを作り,『半落ち』(04)『ツレがうつになりまして。』(11年10月号)の佐々部清監督が心血を注いだ企画であったが, 2020年に他界したことから,『彼女が好きなものは』(21)の草野翔吾監督が遺志を受け継いだというのが,製作に至る経緯である。
 主人公はウェデニングプランナーの秋村梓(黒木華)で,中学時代からの親友・郷田叶海(藤間爽子)とは離れて暮らしていたが,頻繁に顔を合わせて励まされていた。カメラマンの叶海は撮影でパプアニューギニアに出かけ,現地で事故死してしまう。心の支えを失った梓は,喪失感から立ち直ることができず,今も変わらずトーク画面に叶海宛のメッセージを送り続けている。一方,叶海の父(田口トモロヲ)も母(西田尚美)も遺品の処分ができずにいたが,娘のスマホ宛に届く通知から梓も同じように心の整理ができないのだと悟っていた。
 その後,梓が金婚式会場でのピアノ演奏を高齢の婦人・こみち(草笛光子)に依頼するエピソードや,父方の祖母・綾子(風吹ジュン)を訪問した際の出火騒ぎが描かれる。その中で梓が学んだのが,隣人の口から出た「相身互い」という言葉で,思いがけない出会いの連鎖や互い助け合う心の大切さを再認識する。
 叶海の両親には,山梨県の児童福祉施設から叶海宛のカードが届く。娘が施設の子供たちと交流を続けていたことを知り,施設の壁には叶海が子供たちと撮った多数の写真が貼られていた。さらには,15歳の梓と叶海の交友関係,互いに支え合って日々が回想シーンとして登場する。それは巡り巡って再び梓に届こうとしていた…。
 見事なまでに,登場する人物は善人ばかりだ。93歳の老人を演じる草笛光子は『九十歳。何がめでたい』(24年6月号)に引き続き,元気一杯だ。梓の叔母・範子は少しお節介なホームヘルパーだが,安藤玉恵にピッタリの役柄で,良い味を出していた。残念だったのは,中学生時代の梓と叶海を演じる少女が,まるで黒木華や藤間爽子に似ていないことだ。梓の恋人・澄人(中村蒼)も再三登場するが,存在感は薄かった。現代の独身男性の典型であり,これじゃなかなか結婚してもらえないのも無理はない。人生讃歌をテーマとしながら,この描写は辛辣で,ある意味でしっかり計算された脚本とも言える。
 思いやりのある優しい映画を描くのに,主演に黒木華を起用した時点で目的の80%は達成できていた。エンドソングに荒木一郎が歌った往年の名曲「夜明けのマイウェイ」を選び,黒木華自身に歌わせたことで,残り20%も埋まった。見事な選曲と選択である。

■『DOG DAYS 君といつまでも』(11月1日公開)
 題名だけで,愛犬家のための映画だと分かる。そうでない人は観なくて良い。ではどこの国の映画かと言えば,これは韓国映画であった。孤独な人々と愛らしい犬たちの出会いが引き起こす奇跡を描いた愛らしい物語で,韓国を代表する名優たちが大集結とのことである。中でも,ユン・ヨジョン×ユ・ヘジンのW主演が看板である。
 相変わらず名前が紛らわしく覚えられないが,ユン・ヨジョンは『ミナリ』(21年3・4月号)で毒舌の祖母を演じ,韓国人初のアカデミー賞助演女優賞に輝いたベテラン女優と聞いて,ようやく思い出した。本作では,打って変わって,豪邸で暮らす世界的建築家ミンソを演じている。一方のユ・ヘジンは『コンフィデンシャル/共助』シリーズの醜男刑事と言えばすぐ分かるだろう。長い俳優歴で初めて演じた恋愛劇『マイ・スイート・ハニー』(24年5月号)が好評だったため,本作でも引き続き美女に恋をする。本作ではビルのオーナーのミンサン役だが,1階のテナントが動物病院「DOG DAYS」であったため,この病院を中心に物語が展開する。
 ミンサンが犬嫌いであったため,日々院長のジニョン(キム・ソヒョン)や来院する愛犬家ミンソらとの口論が絶えない。ところが,勤務先で担当するリゾート開発にとってミンソが重要人物であると知って,態度が一変する。ある日,ミンソが散歩中に倒れて救急搬送されて要る間に,愛犬ワンダが行方不明になってしまう。このワンダを見つけたのが,子供が出来ない夫婦が施設から引き取った養女のジウだった。ワンダが無事飼い主のミンソの元に戻るのかが物語の核であり,並行してミンサンがジニョンに恋心を抱く展開も進行する。
 もう1つの犬物語は,バンドマンのヒョン(イ・ヒョヌ)が恋人スジョンの留守中に預かった愛犬スティング中心の出来事である。スジョンの元彼のダニエルが別れた後も月に一度スティングに会いに来て,そこからヒョンが激しい嫉妬心を燃やす物語だ。ちなみにワンダはフレンチブルドック,スティングはゴールデンレトリバーだが,その他にも多数の犬が登場する。とりわけ,ジニョンがミンサンに預ける保護犬のチワワは飛び切り可愛い。この種の映画の結末はハッピーエンドに決まっているが,それでもワンダがどうなるのか結構気になった。犬の安楽死問題,養女問題等もきちんと描かれていて,丁寧に作られたハートフルコメディであった。

■『カッティ 刃物と水道管』(11月1日公開)
 次はインド映画だ。主演はタミル語映画界スターのヴィジャイで,インドの「若大将」と呼ばれているらしい。現地では2014年の公開作品を今頃日本で公開するとは,内容に自信があるのだろう。ユニークな題名だが,設定も結構ユニークだった。主演のヴィジャイが,初めて天才詐欺師と社会活動家の1人2役を演じたというのが,インドでも話題だったようだ。原題は『Kaththi』で,英語では「Cutty」,「刃物」の意だ。副題にある「水道管」の役割が,本作の大きな注目ポイントなのである。
 インド東部の大都市コルカタとその周辺地域が舞台となっている。少し前まで「カルカッタ」と呼んでいた都市だ。映画は刑務所からの囚人の脱獄場面から始まる。その追跡のため,服役中の「カッテイ」ことカディルが18回脱獄の経験を買われて,脱出ルートを分析し,看守たちを引き連れてそのルートを追送する。惚れ惚れとする手際の良さだった。追いつかれた脱獄囚が身柄確保されている間に,カディル自身が逃走してしまう。友人の手配でバンコクへの高飛びをする寸前,空港で出会った美女アンキタ(サマンタ)に一目惚れして,あっさり出国を止めてしまう。その後,街で襲撃された男ジーヴァを見ると,カディルに瓜二つだった。カディルは悪知恵を働かせ,この男を自分の身代わりに仕立てて追っ手に逮捕させる。自らはジーヴァとして彼の住居に向かう。そこで再び美女アンキタと出会う…。前半は全くのコメディで,相変わらず歌って踊るシーンが何度も登場する。
 中盤以降が抜群に面白かった。ジーヴァは村人たちの尊敬を集める社会活動家で,水不足の農村と老人たちを守るため大企業を告発していた。アンキタの気を引くために行動していたカディルだったが,ジーヴァの紹介ビデオを見て感激した彼は,本気でその志を継ぐことにした。カディルは無敵の強さで,大企業は送り込む刺客をなぎ倒す。これぞエンタメ映画のヒーローだ。
 社会の関心を引こうと,大都市の水道を止める計画を立てる。毒を流さず,水を止めるアイディアが秀逸だった。ここで水道管が重要な役割を果たす訳である。農業の大切さ,年寄りに自覚や自信を持たせるカディルの演説は見事だった。メディアの軽薄性や欺瞞,大企業の横暴を暴くのは定番だが,ハリウッド製の社会派映画が理屈っぽくなりがちなのに対して,本作は社会的正義の主張をアクション映画内に盛り込んでいるのが素晴らしい。悪党側も一切銃を使用せず,せいぜい刃物までなのが特筆に値する。米国映画では有り得ない。
 よぼよぼの老人たちが元気づくのは喜ばしかったが,少し驚いたのは彼らの年齢である。日本人の85歳から90歳前後に見えたが,劇中での彼らは60代後半から70代前半の設定だった。一体,インドの平均寿命は何歳なのだろう? 調べてみると,平均寿命は全体で68.3歳,貧困層は65.1歳だった。国民全体の平均年令は28.2歳で,日本よりも20歳以上も若い。それなら,社会福祉制度も映画の作り方も違ってくるのも当然だ。ともあれ,未来ある国が作った楽しい映画であった。

■『スパイダー/増殖』(11月1日公開)
 ここから翌週公開分にかけて,フランス映画が4本続く。パンデミックホラーと称しているように,毒グモが異常増殖して大騒ぎとなるパニック映画である。すぐ20年以上前に紹介した『スパイダー パニック!』(02年12月号)を思い出した。映画でのCG利用が一気に増える時代で,巨大化したクモをCGで描いていることが大きなセールスポイントであった。その紹介記事中でも述べたが,巨大グモはB級怪獣映画で定番キャラの1つである。ところが,本作の毒グモは少し大きくなるだけだが,毒性が強く,増殖率が高いゆえにパンデミックを恐れて,住民がビル内に閉じ込められてしまう。即ち,逃げ場のない建物内でのパニック映画なのである。
 まず,映画はアラブ人達が砂漠内の岩場で何かを探しているシーンから始まる。穴から大量のクモが出現するが,採種者たちはその何匹かをガラス容器に入れて持ち帰る。どうやら希少価値がある取引禁止種のようだ。主人公はスニーカーの転売業を生業としている青年カレブ(テオ・クリスティーヌ)で,母親を亡くし,妹マノン(リサ・ニャルコ) とパリ郊外のアパートで暮らしている。彼はエキゾチックアニマル愛好家で部屋には,カラフルなカエル,ヘビ,ヤスデ等の入った多数の飼育容器が並んでいる。ある日,行きつけの雑貨屋で珍しい毒グモを見つけ,早速購入して持ち帰るが適当な容器がなかったため,とりあえず空の靴箱に入れた。アパートの住人トゥマニから靴の注文を受けていたが,督促されて急ぎ納品する。まもなくトゥマニが変死体で発見される。どうやら,例の靴箱に注文品を入れて渡してしまったようだ。死体を精査した警察は未知のウイルスが原因と判断し,パンデミックを恐れてアパート全体を封鎖してしまう。毒グモの増殖,凶暴化は急スピードで次々と犠牲者が出てしまうが,行き場のない住民達も次第に敵対するようになり,まさにパニック状態となる……。
 パリ郊外の公営住宅群は「バンリュー地区」と呼ばれ,主に黒人や移民の貧民層が住んでいる。この地区描いた映画も多く,当欄では『GAGARINE ガガーリン』(22年1・2月号)『バティモン5 望まれざる者』(24年5月号)を紹介した。本作では「ピカソ・アリーナ」と呼ばれる円形の建物が印象的だった。原題は「Vermines(害虫)」で,これは虫けら扱いされている住民をも意味しているようだ。B級パニック映画だと思ったが,後半は見応えあるサバイバルドラマであった。住民の生活がよく描けていて,人間関係の描写も秀逸だ。テンポも良く,手持ちカメラのアングル,カメラワークも刺激的だった。
 毒グモはと言えば,どう見ても本物としか思えないシーンがかなりあった。それでいて,大量発生や不思議な挙動はCGとしか思えない。低予算映画ながら,毒性のないクモ200匹を購入してそれを撮影し,複雑なシーンはCGで描いたそうだ。監督・脚本はセヴァスチャン・ヴァニセックで,これが長編デビュー作である。最近女性監督のデビュー作を取り上げることが多かったが,本作は男性監督ならではの映画だと感じた。少し嬉しい。

■『ベルナデット 最強のファーストレディ』(11月8日公開)
 フランス映画の2本目は,大統領夫人の物語だ。主演が大女優のカトリーヌ・ドヌーヴというだけで,筆者らの世代は食指が動く。既に傘寿を過ぎ,容色も体形も『シェルブールの雨傘』(64)当時の神々しい美しさとは程遠いと分かっていても観てしまう。思わせぶりな題名の『しあわせの雨傘』(11年1月号)は元より,その後も『神様メール』(16年6月号)『真実』(19年9・10月号)『ハッピー・バースデー 家族のいる時間』(20年Web専用#6)『愛する人に伝える言葉』(22年9・10月号)等を紹介してしまったのはそのためだ。それが大統領夫人役となると,気品と貫録で堂々たる演技を見せてくれると期待したくなるではないか。
 題名の「ベルナデット」はファーストネームだと思ったが,どの大統領か分からなかった。ミッテランの後,サルコジまでの間の1995年から12年間を務めたジャック・シラクであった。親日家で気さくな人柄との印象があるが,それは表の顔であり,実態は男尊女卑,典型的な亭主関白の古い政治家であったという。その夫が大統領になるのを終始影で支えてきた夫人が,自らの居場所を求めて,夫への復讐とイメージチェンジを図る物語である。それだけで洒落たコメディだと分かる。
 冒頭で「映画はフィクションで,すべて事実とは限らない」という断りが入る。ということは,誇張や脚色はあるが,大筋は真実だということだ。続いて,夫人の経歴や当時の本人の映像がかなり長く流れる。1933年生の貴族の出であり,パリ政治学院を卒業し,コレーヌ県の県議にもトップ当選した政治家でもある。ほっそりした小柄で気品のある顔立ちで,見かけは主演女優とは全く似ていないことも予め断っているように思えた。
 ようやくエリゼ宮の住人となったベルナデットは,夫(ミシェル・ヴュイエルモーズ)やその側近,広報官を務める娘クロード(サラ・ジロドー)から,「時代遅れ」「堅苦しい」と酷評される。そこで,ファーストレディに相応しい人気と任務を得るために,エリゼ宮の職員ベルナール・ニケ(ドゥニ・ポダリデス)を参謀にして,「メディアの最重要人物」となるための戦略を練り始める。やがて彼女は自信を取り戻し,TGVの延伸計画を実現させ,人気も高まる。次期大統領候補には,夫の意向を無視してサルコジ支援の行動に出る……。
 予想通りのコメディタッチで,音楽は軽やか,ファッションはカラフルだった。娘との口論が絶えないが,それも大女優の風格とコメディセンスで楽しく描いている。その一方,ダイアナ妃の事故死の当時,大統領はイタリアの女優との不倫中で行方不明だったという下りは,大統領夫人の鬱憤を,身代わりとなってこの映画で暴露しているかのように思えた。さすがジャーナリスト家系出身の女性監督レア・ドムナックならではの辛辣なユーモアである。本作が長編デビュー作であるが,今後はどんな女性映画を生み出してくれるのか楽しみである。

■『ネネ -エトワールに憧れて-』(11月8日公開)
 次はパリ・オペラ座のバレエダンサーの最高位エトワールを目指す少女の物語である。オペラ座は,オペラよりもむしろバレエの殿堂であることは当欄で何度も述べ,その厳しい練習風景の模様も多数のドキュメンタリー映画で紹介した。劇映画としては,『裸足になって』(23年7月号)『ダンサー イン Paris 』(同9月号)の2本を紹介している。いずれも挫折した女性ダンサーの新たな人生への再出発を描いた映画であった。それに比べると,本作の主人公の少女は,まだ国営バレエ団の団員ではなく,その下部のバレエ学校の入学試験に合格し,教員や同級生からの嫌がらせに耐えながら,才能を磨く物語である。宝塚歌劇団に対する宝塚音楽学校,JRA旗手になる前の競馬学校のような学校と考えれば良い。
 12歳の少女ネネ(オウミ・ブルーニ・ギャレル)は何よりもダンスが好きで,将来はエトワールになることを夢見ていた。パリ郊外の団地に住む労働者階級の家庭の生まれであるから,上記『スパイダー/増殖』と同様,本作もある種の「バンリュー映画」である。この粗筋だけを読んで映画を観たのだが,少女の姿を見て驚いた。何と黒人の少女ではないか! 上記のように多数のバレエ映画を観てきたゆえに,大きな違和感を感じた訳である。
 案の定,母親に大反対されるが,父親の理解で入学試験に臨む。他の受験生の大半は個人レッスンを受け,受賞歴も輝かしい。そのハンデ以上に,ネネのダンスの才能は抜群だった。ところが,元エトワールの校長マリアンヌ(マイウェン)は「バレエは白人のもの」と決めつけ,1人だけ肌の色が違うと統一感がなくなることを理由にネネの合格に強く反対する。それでも,ネネの才能に惚れ込んだ総監督や他の教員の推挙で審査会の議論は真っ二つに分れるが,ネネは合格する。入学後も校長からは終始邪険に扱われ,ネネの才能に嫉妬した同級生からの悪質ないじめに遭う。それに反発した行動により,ネネは何度も退学の危機を迎えるが……。
 他の6人の同級生はバレエ経験のある少女が選ばれていたと思われる。子役俳優のオウミはその中でも堂々と踊っていたので,彼女もダンス経験があるのだろう。とりわけ,町でのストリートダンスのシーンは圧巻だった。それでもバレエの足元のステップは,顔の出ないシーンであったから,これは別のプロ級ダンサーを撮影したのだろう。それだけ本物に徹した映画だと言える。男子も含む教育システムの解説も興味深かった。
 入学審査や退学の是非を判定する会議での総監督の一貫した態度も,ネネの未来を信じる父親の思いやりも立派だった。監督・脚本は,これが長編2作目となるラムジ・ベン・スリマンで,苛めにあって逃げるのは挫折だというメッセージやダイバーシティを受け容れることの大切さを訴える映画となっている。映画を観ながら思ったのだが,1人だけ黒で違和感があるなら,1人だけ白も逆に浮き上がってしまう(競馬がそうだ)。いっそ白・黒半々なら,その方が調和が取れていて美的かもしれない。後で知ったのだが,これは一昔前の議論であり,既にオペラ座バレエ団には国籍や人種での選別は撤廃され,有色人種のダンサーも在籍しているという。

■『動物界』(11月8日公開)
 フランス映画の4本目はかなりの異色作である。短い題名だけではどんな映画か想像できなかったが,「クロネンバーグ流のボディ・ホラー」だという。それでも分かりにくかったが,「人間が動物化していく謎の奇病が蔓延する近未来」「人間と多種多様な動物のハイブリッド=“新生物”の驚異」と聞いて,ようやく理解した。異形の悪霊が登場するホラーでも,上記の『スパイダー/増殖』のように毒性のある生物が急増するパンデミックでもない。自分が「獣」になってしまったらどうしようという「恐怖」である。
 それですぐ思い出したのは,手塚治虫の名作漫画「きりひと讃歌」である。人間が犬のようになってしまう奇病(=モンモウ病)と医学界の権力構造を描いた医学漫画であった。外見による差別と人間の尊厳を描いた重厚なドラマであったが,本作も奇病の恐怖に父と子の絆を絡めた見事はヒューマンストーリーに仕上がっていた。
 映画の冒頭は,互いに不機嫌そうな父と息子の車中の会話から始まる。母親がいなくて打ち解けないシングルファザーの家庭のように見えた。女性医師との面談で,母親の病気の治療のため南仏の施設に転院させると告げられ,父子は愛犬を連れて同地に転居することを決意した。ここで母親ラナが獣化する奇病の患者であり,転院は政府の「隔離政策」であることが読み取れる。料理人である父フランソワ(ロマン・デュリス)は現地のレストランに雇用されたが,地元高校に転入した息子エミール(ポール・キルシェ)は級友たちに溶け込めずにいた。ある日,エミールは自らの身体の異変に気付くが,自分が獣化する恐怖を父に告げられず,苦悩する。その後,立入禁止区域の森で,鳥のような大きな翼をもつ半人間のフィクス(トム・メルシエ)と知り合い,まだ翼での飛行が出来ない彼の手助けをする。やがて,エミールの実情を知った父は息子を守り抜く決断をするが……。
 モンモウ病は手塚治虫の造語であるが,獣化は「犬」もしくは「狼」だけである。医学博士であるだけに,地域病の原因や進行に関する解説ももっともらしかった。一方,本作の動物化の対象は,哺乳類のクマやセイウチだけでなく,鳥,タコ,カメレオンにまで及んでいる。原因がウイルスであれ,突然変異であれ,生物学的には有り得ないと感じた。鳥人間の飛行練習は,当初はワイヤー吊りやアニマトロニクス,終盤の本格的な飛翔はCGに見えた。ラスト近くでまさに「動物界」と呼べる光景が登場するが,当欄としては,鳥人間以外にも半人半獣の新生物を数例じっくりは見せて欲しかった。
 監督・脚本はトマ・カイエで,これが長編2作目であるが,かなりの演出力である。音楽・音響・衣装・特殊メイクにもかなり配慮しているので,セザール賞最多12部門ノミネートが納得できる出来映えであった。

■『イマジナリー』(11月8日公開)
 本作もホラーに分類されている映画だ。宣伝文句では,『M3GAN/ミーガン』(23年6月号)のブラムハウスの最新作で,配給は『ソウ』シリーズのライオンズゲートであることが強調されている。当欄の読者であれば,既にホラー分野でのブラムハウス・プロダクションの実績は周知の事実だ。それが上記の惹句で,わざわざヒット作『M3GAN/ミーガン』の名前を入れるということは,さほどの恐怖映画ではなく,新規性も乏しいのではと思えてしまう。残念ながら,この予想が当たってしまった。
 全く恐怖感は感じず,むしろファミリー映画ではないかと思えた。本作の原題も,ファンタジー映画『ブルー きみは大丈夫』(24年6月号)に多数登場するIF (Imaginary Friends)の前半だけの『Imaginary』である。即ち,子供時代に遊び相手として親しむ「空想上の友達」であり,本作の場合はこのIFによってホラー世界に導かれてしまうという訳である。ポスターやチラシには,不機嫌そうな少女の顔と縫いぐるみのクマの画像が使われている。誰もが最初から元凶はこのテディベアであり,少女が被害者だと容易に想像できてしまう。
 映画の冒頭はしっかり恐怖を感じるシーンで始まった。これは主人公のジェシカ(ディワンダ・ワイズ)が毎晩のように見る悪夢であった。人気絵本作家の彼女は,夫マックス(トム・ペイン)と連れ子の姉妹2人と暮らしていたが,環境を変えるため自らが幼い頃に暮らした家に家族全体で転居する。元々ソリが合わない長女テイラー(テーゲン・バーンズ)は新居に不満を募らせるが,幼い次女のアリス(パイパー・ブラウン)は無邪気で,地下室から古びたクマの人形を見つけて来る。早速「チョンシー」と名付けて,毎日のようにこのクマと「秘密の遊び」を始める。ところが,次第に遊びは危険性を帯び,家族の周囲で不可解な現象が起こり始める……。
 という風に,ホラー映画の定番の展開だ。続いて,実はキョンシーの姿が見えていたのはアリスとジェシカだけであったことが判明し,さらにアリスが行方不明になってしまう。ネタバレになるので,これ以上は書けないが,リアルでなくイマジナリーの世界であることの辻褄合わせはなされていた。アリス探しにはテイラーも加わり,最後は義母との関係も良好なるというハリウッド映画の家族第一主義の方程式に収まっている。
 どちらか言えば,楽しい系の映画であり,これではホラーファンは満足できない。それでいて,暗いシーンと不穏な音楽で,全くの幼児なら怖がるだろう。監督・脚本・製作は『キック・アス/ジャスティス・フォーエバー』(14年2月号)のジェフ・ワドロウで,既に中堅以上の域に達している。それゆえ,発注者指定のホラー仕立てで,かつハリウッド規範を遵守したのだろうが,中途半端な映画に終わってしまったのが残念だ。

■『本心』(11月8日公開)
 原作は芥川賞作家・平野啓一郎の長編小説で,映画化は『マチネの終わりに』(19)『ある男』(22年11・12月号)に続く3本目である。前作『ある男』は日本アカデミー賞8部門受賞を果たしたが,監督・脚本が『舟を編む』(13年4月号)『愛にイナズマ』(23年10月号)の鬼才・石井裕也となると同等の出来映えを期待した。テーマは「AIは,人の心を再現できるのか―」で,この作家には珍しい近未来を描いたSF仕立てである。主演は石井組の常連で9作目の登場となる池松壮亮である。ヒロインの「三好彩花」を演じるのが,何と,モデル出身の「三吉彩花」だった。冗談かと思えるようなキャスティングだ。
 こうした話題性もあって,久々に小説&映画の交互進行方式で臨んだ。即ち,まず原作を10%程度読んで予告編を眺め,約30%読んで映画全編を観てから,小説を読了した。本作の場合,後述するVFとRAのビジュアル化が鍵だと感じたので,原作と対比しながらオンライン試写を視聴して,細部を再点検した。
 主人公は,母子家庭で育った工場労働者の石川朔也である。母・秋子(田中裕子)は「自由死(安楽死)」を望んでいたが,その真意を聞き糺せずにいた。母から「大切な話がある」との連絡が入るが,帰宅途中に豪雨で氾濫する川の対岸に母が立っていた。姿が見えなくなったので,朔也も濁流に身を投じる。救出された朔也は,約1年間意識不明であった。目が覚めた後,警察から母の死は自殺として処理したと告げられる。
 既に工場は閉鎖されていたので,友人・岸谷(水上恒司)に誘われて「リアル・アバター(RA)」なる仕事に就く。依頼者の要望に応じて,現実世界でアバター(分身)として行動し,依頼者にゴーグル等を介して代理体験の模様をライヴ伝達する役目である。その一方で,母が伝えたかったことを受け止められなかった後悔が残り,高額を要する「ヴァーチャル・フィギュア(VF)」の製作を専門業者に発注する。最新のAI&VR技術を駆使して,本物そっくりの仮想人間と対話できるシステムである。このRA体験とVF対話を繰り返す中で,かつて母と同じ職場いたという三好彩花が台風被害の避難所生活を送っていることを知り,自宅の母の部屋に引き取って同居生活を始める。また,RA体験中の朔也の行動がSNSで賞賛され,アバターデザイナーとして高名なイフィー(仲野太賀)から彼のRA役を依頼される。裕福なイフィーと交流する内に,イフィーは彩花に愛の告白する……。
 原作の時代設定はAIが人間を超えるとされる2040年代であるのに対して,本作の大半は映画公開の約1年後,即ち,ほぼ現代の設定で展開する。原作者は複数の専門家に取材し,かなり最新AIやネット社会の現状を学んだ上で執筆しているが,映画はそのビジュアル化に適した実現方法や情報機器を選択している。自由死,同性愛,人工授精の話題も登場するが,要点は母親の「本心」を聞き損ねたゆえに,VFを登場させ,その対置としてRAも配している。原作者の関心は,近未来のAIとその限界に対する興味であったと思われる。
 小説はグダグダした記述で無駄な考察が多く,退屈した。すばり言って,失敗作であると思う。元が新聞連載小説ゆえに,1年弱の連載中にAIに関する思い入れが変わったのではないかと想像する。それに対して,余計なエピソードをそぎ落とし,石井監督流の解釈で描いた映画の方が圧倒的に素晴らしい。とりわけ,原作とは時間順を少し入れ替えたラストシーン,彩花の女心の描写が秀逸で,猫の登場させ方も上手いなと感じた。難役である朔也と彩花を演じる男優&女優の演技も見事だった。母役の田中裕子は表情の演技が絶品だ。上記以外に,田中泯,綾野剛,妻夫木聡らの豪華な助演陣を配しているが,いずれも誰でも演じられる程度の役であった。
 発行元の文藝春秋社が,盛んに原作小説の広告宣伝を行っている。それを読む時間と費用を投じるくらいなら,この映画をもう一度じっくり観ることを勧めたい。

■『対外秘』(11月15日公開)
 韓国映画の政治ドラマで,時代は1992年,大規模な再開発計画が予定されていた釜山が舞台である。「漢江の奇跡」と呼ばれる経済高度成長は,1960年代後半から1990年代までと言われている。筆者が初めて韓国に行ったのは1994年であったが,首都ソウルは既にかなり再開発が進んでいた。ソウル五輪成功後の急成長で,南部の釜山にもその波が及びつつある時代である。題名からすると,重要な機密書類が鍵であり,金権政治や都市開発を巡っての贈収賄が跋扈するのだと想像した。監督が『悪人伝』(20年7・8月号)のイ・ウォンテというので,政治家だけでなく,腐敗した警察幹部やヤクザ組織も絡むと考えられた。その予想(期待?)通りの腐敗,裏切りだらけの物語で,その中で当たり前のように殺人も行われる。
 主人公は釜山市の市会議員のヘウン(チョ・ジヌン)で,与党・大韓民主党の公認候補として国政選挙に立候補することが約束されていた。ところが,それまで仕えてきた釜山政界の実力者スンテ(イ・ソンミン)から,突然公認取消しが告げられる。さらに上部の黒幕から,中央政界の言いなりになる候補への差替えを要求されたからである。プライドを傷つけられたヘウンは無所属で戦う決意をするが,多額の資金が必要なため,極秘文書の「海雲台開発計画書」を市庁勤務の同窓生に盗み撮りさせる。それをギャングのピルド(キム・ムヨル)経由で開発会社に売り渡して選挙資金を得る。地元・海雲台で抜群の人気のヘウンは事前調査で1位となり,当選確実と思われたが,スンテ陣営の逆襲で落選してしまう。
 この逆襲の手口に驚いた。詳しく書くと楽しみがなくなるので伏せておくが,民主主義国の総選挙でこんなことが罷り通るのかと呆れるような禁じ手である。まさに選挙が盗まれた訳で,韓国の選挙ではこれが日常的になのか? その後のヘウン側の復讐とスンテ側の応酬も凄まじかった。ピルドだけでなく,開発会社の社長,釜山毎日新聞の記者も絡んで,選挙違反の告発,裏金疑惑のリーク等々,二転三転の策謀のぶつかり合いである。かつて「正義感の強い政治家」であったヘウンが,平然と悪の世界に踏み込んでしまうことに嘆息してしまった。
 意外な結末とのことだったが,なるほど予想出来なかったエンディングである。ただし,見事に騙されたという爽快感はなく,むしろ後味が悪かった。この映画を見ると,政治家に対する嫌悪感しか覚えない。それが監督の意図なのだろうが,脚本に無理があり,終盤の展開を不自然に感じた。前大統領を次々と罪人扱いする国だから,この程度の裏切りは平気なのかも知れない。これが韓国映画で好かった。本作が邦画で,いつも善人役の俳優が演じていたなら,もっと不自然に感じたに違いない。

■『オアシス』(11月15日公開)
 邦画で「バイオレンス青春映画」とのことである。監督・脚本は岩屋拓郎
。全く知らない名前だったが,これが監督デビュー作である。撮影開始時にはまだ20代で,現在32歳というから,名前を知らなかったのも無理はない。この若さで劇場用長編映画の監督というのは異例だ。「GLASGOW15」の映画企画募集で,602件の応募の中から「新人企画賞」に選ばれた企画(脚本)だという。若手映画監督の発掘・奨励が目的で,企画開発から制作,配給まで一貫して面倒を見る態勢だというので,本作が生まれた背景も理解できた。
 主演は清水尋也と高杉真宙で,W主演の扱いだという。この2人の名前も知らなかった。2人は『渇き。』(14年7月号)『東京リベンジャーズ2 血のハロウィン編-』(23年6月号)での共演経験があるというが,全く記憶にないから,軽めの役だったに違いない。それでもこの両作の出演経験があるから,「バイオレンス映画」に起用されたのだろう。岩屋監督が助監督時代から演技力に注目していた清水尋也に声をかけ,彼が個人的親交のある高杉真宙の起用を進言し,W主演になったそうだ。こうした経緯を聞くと,監督も含めて応援したくなった。
 映画は,黒ずくめの服装の富井ヒロト(清水尋也)がくわえタバコで雨中の市街地を歩くシーンから始まる。早速堅気と思えない男達とのクルマの中での金銭授受と暴力沙汰が始まる。どう見ても裏社会の連中だ。続いて別組織との交渉で,富井は首に入れ墨を入れた金森(高杉真宙)に厳しい視線を向ける。上記の『対外秘』を観た直後であったので,一瞬,邦画であったことを忘れ,釜山市中での縄張り争いなのかと錯覚してしまった。実際は,岩屋監督の思い入れで,出身地の愛知県でのオールロケであり,名古屋・栄地区中心の撮影であったようだ。
 物語の進行とともに,富井と金森は青春時代を共に過ごした関係だと分かる。その後,富井は暴力団・菅原組の構成員となり,組長(小木茂光)や兄貴分・若杉(窪塚俊介)に可愛がられていた。一方,金森は木村(松浦慎一郎)率いる犯罪組織の若手のリーダー格であった。もう1人,富井と金森の幼馴染の女性・紅花(伊藤万理華)が現われ,何度か若き日の回想シーンが登場する。紅花はある不幸な事件のショックで記憶喪失となっていたが,菅原組の組長の息子タケル(青柳翔)に襲われ,誤って彼を殺害してしまう。その場に居合わせた富井と金森は彼女を匿い,3人での逃避行が始まる……。
 監督も初めての主演の2人も緊張だらけの撮影であったことが,画面からも伝わって来た。清水尋也の演技がやや硬かったのは,緊張感からなのか,それとも意図的な演出なのだろうか。彼は少し知的に見えるので,この役は似合わない。それでも新人賞に選ばれた脚本だけあって,「バイオレンス度」も「青春度」も合格の域に達していた。題名の「オアシス」は,3人が安らぎを感じる居場所を意味している。このエンディングは監督が最も撮りたかったシーンだと思われるが,本作の男女比から考えると『明日に向って撃て!』(69)のようなラストシーンにして,映画通のみが分かるパロディで終わるのも味があったのではと感じた。

(11月後半の公開作品は,Part 2に掲載します)

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