O plus E VFX映画時評 2024年5月号掲載

その他の作品の論評 Part 2

(注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています)


(5月前半の公開作品はPart 1に掲載しています)

■『ソイレント・グリーン』(5月17日公開)
今月後半は,このリバイバル映画から入ろう。1973年製作のSF映画だが,はっきりとこの題名を記憶している。当時,社会的にもかなり話題になっていたからだ。それでいて,自分が映画をきちんと観たか怪しかった。今回の試写を観て,やはり映画館で観ていなかったことに気がついた。この映画のテーマを真剣に受け止め,人類社会への警鐘と見るべきか,SF作家や映画監督のたわ言と見るかの甲論乙駁の論争がバカバカしく,映画を見る気になれなかったことを思い出した。では,そんな映画のリバイバル上映は勧めないかと言えば,そんなことはない。半世紀以上の前のSF映画が,こんな風に未来を描いていたという1点で,観る価値がある。
 映画は,スモッグで空が暗く,街も荒廃した2022年のNYの光景から始まる。撮影中の丁度50年後を描いている訳だ。1966年にハリイ・ハリスンが発表した「人間がいっぱい」の原作通り,街には人が溢れている。NY市の人口が4000万人,失業者が2000万人だという。人口爆発で貧民は住む家がなく,食料難が常態化し,肉や野菜は貴重品で富豪しか食べられない。一般大衆の食料は配給制で,長蛇の列をなしている。「ソイレント・グリーン」は海洋プランクトンを基にした栄養価の高い新製品だったが,製造元ソイレント社の幹部が何者かに殺害されたことから,殺人課のソーン刑事(チャールトン・ヘストン)が捜査に乗り出す。彼は,工場と製造工程を調査する内に,恐るべき秘密を知ってしまう……。
 主テーマは人口急増と資源枯渇だが,異常気象,環境破壊,食料不足,生態系崩壊,貧困等,21世紀の現代が抱える問題を予言した映画との触れ込みだが,予想は見事に外れている。中国はともかく,欧米,日本では大気汚染はそう重大事ではない。先進国に食料難はなく,人口爆発どころか,現実のNY市の人口は2020年に880万人,2022年の予想は833万人に過ぎない。各国とも,出生率低下による人口減少対策の方が懸念事項だ。長蛇の列は貧困の象徴だが,1973年はオイルショックの年であり,生活必需品を求めてスーパーの棚に物がなくなったため,説得力があったのだろう。
 C・へストンは,『十戒』(56)『ベン・ハー』(59)でブレイクし,当時のヒット作『猿の惑星』(68)『エアポート75』(74) 『大地震』(同)に主演する大スターだった。その彼を主演に据えておきながら,未来の描き方がお粗末だった。TV画面が4:3でブラウン管なのは仕方ないとしても,部屋の照明は電球で,旧式の黒電話しかなく,街を走る車は当時の大型車のままだ。監督は『ミクロの決死圏』(66)で素晴らしいビジュアルを見せてくれたリチャード・フライシャーなのに,一体どうしたことだろう? 大作『2001年宇宙の旅』(68)は予想される未来機器を描いていたから,本作は低予算による手抜きだったに違いない。それでいて,当時最新のアーケードゲーム機「コンピュータースペース」が登場している。
 これから本作を観る読者のためにエッセンスは伏せておくが,女性の描き方の酷さにも驚く。本気の未来予測なのか,ジョークなのかと疑う。全体としても科学的根拠に基づく警告になっていない。CG/VFXの進歩により,最近は低予算でも未来機器や未来社会を描きやすくなっている。それゆえに,いい加減なディストピア映画を見分ける反面教師として,本作は貴重だと言える。

■『ボブ・マーリー:ONE LOVE』(5月17日公開)
 当欄の読者が混乱されない内に,先に言っておきたい。3ヶ月前に紹介した『ボブ・マーリー ラスト・ライブ・イン・ジャマイカ レゲエ・サンスプラッシュ』(24年2月号)とは別物である。同作は1980年製作のドキュメンタリー映画の復刻版であり,本人が発言するインタビュー映像やステージで歌うライブ映像が多数盛り込まれていた。本作は新作の劇映画であり,当然,1981年に36歳で早世したボブ・マーリー自身はエンドロールの映像だけで,現役の俳優が演じている。広い完成披露試写会場は,ほぼ満席だった。こんなに知名度があり,人気があったのかと驚いた。筆者は,前作までは名前を聞いたことがある程度で,ジャマイカが生んだ英雄であり,レゲエ音楽を世界に広めた最大の貢献者であることを知らなかった。なぜ彼が今これだけ注目されるのかは不明だが,本作がハリウッド・メジャー作品であり,欧米で大ヒットしたことから,単館系の前作を見逃した映画関係者が気になって試写会場に来たのかもしれない。
 ボブを演じる主演は,英国人男優のキングズリー・ベン=アディル。『あの夜,マイアミで』(21年Web専用#1)でも主演扱いのマルコムX役を演じていた。同作の劇中ではサム・クック役のレスリー・オドム・Jrが歌うだけで,マルコムX役の彼は歌っていない。サントラ盤でも同じだ。本作の劇中で多数の曲が流れるが,いずれもボブ・マーリー自身の歌だろう。K・ベン=アディルが,長いドレッドヘアでボブ演じることには違和感はなかった。彼は英国人の父とトリニダード・トバゴ系の母親の間に生まれた混血だという。ボブ・マーリー自身も白人男性の父と黒人女性の母の間に生まれたので,それも起用の一因だったと思われる。トリニダード・トバゴはカリブ海の中でも南端で南米に近く,ジャマイカは北のキューバに近いが,人種や文化には共通点もある。
 映画は,既に国民的歌手としての名声を得ていて,ジャマイカの政治闘争に巻き込まれる1976年以降を中心に描かれている。同年の暗殺未遂事件,その2日後に出演したコンサートの模様,身の安全のためロンドンへ逃れ,名盤「エクソダス」を制作する風景等が登場する。この間,妻リタ(ラシャーナ・リンチ)や子供たちと過ごすシーンもしっかりと盛り込まれている。ジャマイカの文化や政治的背景は前作のドキュメンタリーで知っていたので,大きな衝撃はなかった。盛り上がりには欠けるが,伝記映画としてはオーソドックスな作られ方だと感じた。監督は,『ドリームプラン』(22年Web専用#1)のレイナルド・マーカス・グリーン。テニス選手ビーナス&セリーナ・ウィリアムズの父リチャードを描いた伝記映画で,ウィル・スミスがアカデミー賞主演男優賞を受賞した映画だった(その授賞式で,例のビンタ事件を起こす)。当欄は彼の演技を評価しなかったが,この監督は著名人の伝記映画が得意なようだ。

■『ミッシング』(5月17日公開)
 ここから邦画が続く。時間的余裕がなかったせいもあるが,監督・脚本が吉田恵輔であることと,2つのキーフレーズをチラ見しただけで,テーマも出演俳優も知らずに試写を観た。この監督なら,シリアスな社会派ドラマだろうから,予備知識なしでストレートに観ればいいと思ったからである。「愛する娘が失踪した」「失くしたのは,心でした」の二言と題名から,少女の失踪事件であることは分かったが,少し予想が外れたので,それを順を追ってそのまま語ることにしよう。
 まだ幼女の美羽が行方不明になり,あらゆる手をつくしたのに3ヶ月が過ぎた。世間の関心が薄れていることに,母・沙織里(石原さとみ)は焦りを感じ始めた。夫・豊(青木崇高)とは夫婦喧嘩が絶えず,取材を続ける地元TV局の記者・砂田(中村倫也)に頼り切っていた。娘の失踪時に沙織里がアイドルのライブに行っていたことが知られ,SNSでは「育児放棄の母」との非難を受ける。視聴率獲得が狙いの上司の意向で,砂田は沙織里や弟・圭吾(森優作)に対して世間の関心を煽る取材を指示され,沙織里は次第に「悲劇の母」を演じるようになる。2年後,類似の行方不明事件が起き,その少女は発見されたが,依然として美羽は見つからなかった……。
 誘拐なのか,何かの事故かは不明で,場所も時刻も出て来ない(別の失踪事件はマップまで出ていた)。これは,誘拐犯との駆け引きや少女救出の過程を追う映画ではなく,徐々に関係者の人間関係や背景を小出しに証して行く手口の映画だと気がついた。そこまで約1時間で,もう満腹だった。残り半分は進展のない同じ展開で,観ていて辛いだけの映画であった。以下,誤解を怖れずに,筆者の忌憚のない個人的な感想を述べる。
 過剰取材&報道のメディアに対しては,誰もが不快に思う。それを告発する社会派映画のつもりだろうが,特ダネを狙う軽薄男やその上司の登場場面はもっと少なくていい(全くなくてもいい)と感じた。この監督の映画への出演を切望しただけあって,主演の石原さとみは熱演で,出産後の転機での気迫が感じられた。数々の映画賞の候補になることだろう。夫役の青木崇高は,いつもは粗野で暴力的な役ばかりなので,DVから離婚に至るのではないかと心配した(笑)。珍しく常識人で,妻との接し方に苦慮している姿に好感がもてた。この映画は彼の視点か,母親にどういう態度で接すべきか迷う知人の視点で観てしまう観客が多いのではないかと思う。
 真面目な脚本と演出だが,誰のため,何のための映画なのか疑問に感じた。社会派映画であるが,これが社会的正義とは思えない。メディアの再三の報道が,SNSでの誹謗中傷や炎上を生むことは明らかだが,こういう映画を作ることも,それに近いのではないか。 見つかる見込みのない失踪事件に対して,「いい加減で諦めて,新しい人生を始めるべき」とは口にできないが,多くの人がそう感じているはずだ。何年間も待ち続け,ビラ配りを続ける両親の態度を,この映画は肯定し,これくらいするのは当然だと主張していると思える。ある意味では「罪」ではないか。この監督の『空白』(21年9・10月号)の紹介では,「監督のオリジナル脚本だが,描くことだけに興味があり,観客がどう感じるかは考えていない」と書いていた。本作に対しても同じ思いだ。

■『碁盤斬り』(5月17日公開)
 異色の題名で,邦画の時代劇というので食指が動いた。主人公は「碁」の達人のようだが,丁度今月の日経新聞の「私の履歴書」の対象が名誉名人・25世本因坊の趙治勲だったので余計に興味をそそられた。主演は元SMAPの草彅剛。時代劇出演は,変則の部分的時代劇『BALLAD 名もなき恋のうた』(09年9月号)で経験済みである。年々演技力が増し,『ミッドナイトスワン』(20年9・10月号)ではトランスジェンダー役で数々の映画賞に輝いたので,本作での新境地も期待した。むしろ少し不安視したのは,初の時代劇となる白石和彌監督の方だった。出世作は『凶悪』(13),大ヒット作は『孤狼の血』(18)だが,当欄では『彼女がその名を知らない鳥たち』(17年11月号)『凪待ち』(19年Web専用#3)『ひとよ』(19年Web専用#5)『死刑にいたる病』(22年Web専用#3)の4作を紹介している。文句なしに日本を代表する実力派監督だが,いつもの大胆な設定,緻密な演出が,色々と制約の多い時代劇で発揮されるのかを心配した。
 草彅演じる主人公は,元彦根藩藩士の柳田格之進。同僚との諍いであらぬ疑いをかけられ,浪人となって江戸の長屋で娘・絹(清原果那)と暮らしている。ここまでは,『せかいのおきく』(23年4月号)で佐藤浩市と黒木華が演じた父娘を思い出した。貧困ぶりは似たようなものだが,こちらは大店・萬屋の主人の碁の相手をする内,現金盗難の嫌疑をかけられた。その金子を調達するため,お絹は自ら遊廓に身を売ってしまう。ダブル冤罪で娘とも引き裂かれた格之進が,いかに身の潔白を証明し,かつての敵討ちも果たすかという物語である。
 脚本もキャスティングも絶妙だった。脚本の加藤正人は,『クライマーズ・ハイ』(08年7月号)『孤高のメス』(10年6月号)等で数々の脚本賞を受賞したベテランで,白石監督とは『凪待ち』以来,2度目のタッグである。本作はオリジナル脚本ではなく,何と,原作は古典落語の名作「柳田格之進」(別名「碁盤割」)だという。最低40分以上,通常1時間前後演じる長編の人情噺だが,そこに冤罪を増やし,敵討ちを加えて映画化している。絹役の清原果那は,Part 1の『青春18×2 君へと続く道』より本作の方が好演で,和服が似合っていた。萬屋源兵衛(國村隼),手代の弥吉(中川大志),侠客の長兵衛(市村正親),女郎屋のお康(小泉今日子),敵の柴田兵庫(斎藤工)等の豪華助演陣も見事な配役である。
 初の時代劇対応は全くの杞憂だった。思い出せば,山田洋次監督も時代劇1作目『たそがれ清兵衛』(02)を見事に仕上げ,京都・太秦に残る時代劇の伝統に感心していた。3作目『武士の一分』(06年12月号)の脚本執筆時に山田監督と懇談する機会があり,この伝統を残すため,老朽化した松竹京都撮影所のスタジオを何とかしたいと相談され,京都府からの経済的援助を得るお手伝いをした。別途,筆者は東映京都撮影所も熟知していたので,本作のどのシーンが両社のオープンセットのどこで撮影されたか見分けられた。大雑把に言えば,江戸市中の大店と遊廓は東映であり,貧乏長屋は松竹である。衣装,小道具等も外注レンタルのインフラが整っているので,意欲と実力のある監督なら,初体験でも優れた時代劇を撮ることができる。本作はその2つ目の好例である。
 もう1つ余談だが,YouTubeで落語の「柳田格之進」を視聴した。(五代目)古今亭志ん生が復元した得意ネタだが,その実子の金原亭馬生と古今亭志ん朝の兄弟,(五代目)三遊亭圓楽,若手の春風亭昇吉の5件を聴いたところ,古今亭志ん朝が一番面白かった。

■『劇場版 おいしい給食 Road to イカメシ』(5月24日公開)
 先月号後半は暗い映画が続いたので,今月号は明るいラブコメディ『マイ・スイート・ハニー』から始めたのだが,本作はもっと能天気で屈託のない学園グルメコメディである。上記の『ミッシング』もこの後で取り上げる数本も重いテーマなので,ここらで少し肩をほぐし,気楽な紹介記事を書きたかった。まさに口直しにはピッタリの映画があって,ほっとした。人気TVドラマシリーズの全10話分を劇場映画化したもので,第1作『劇場版 おいしい給食 Final Battle』(20)の公開時には存在を知らなかったが,第2作『同 卒業』(22年Web専用#3)で試写を観る機会を得たので,第1作も観た上で記事を書いた。もはや完全にお気に入りの範疇に入る。第3作の本作はTV版のseason3に対応し,1989年冬から同年春までの出来事が描かれている。
 主人公が,とにかく学校給食が大好きで,それを食することが生き甲斐という中学校教師・甘利田幸男(市原隼人)であることは言うまでもないだろう。都道府県名は明示されていなかったが,第1作は首都圏内と思われる常節中学校,第2作は同県内の黍名子中学校が舞台であった。給食の食べ方を巡ってのライバル生徒・神野ゴウ(佐藤大志)が彼を追って転校して来たので,ライバル関係は継続し,宿敵である教員委員会・鏑木(直江喜一)も同じだった。ところが,本作では甘利田が北海道・函館市の忍川中学に赴任したという設定なので,ライバル生徒は粒来ケン(田澤泰粋)に,宿敵は給食完食を政治利用しようとする等々力町長(石黒賢)にリセットされている。TV版と同様,淡いラブロマンスのお相手は新米英語教師の比留川愛(大原優乃)で,校長には小堺一機,PTA幹部には六平直政といったベテラン俳優が配されている。甘利田は1年1組の担任という設定なので,4作目もヒロイン以外の出演者はほぼ同じと思われる。
 ヒロイン役の大原優乃が小柄で可愛く,とても実年齢の24歳には見えなかった。こんな先生がいたら,男子中学生は嬉しいことだろう。給食談議の他に,本作では学芸会の演技指導も加わるが,この劇が結構面白かった。甘利田は,町長相手に大真面目に人生哲学をぶつけて戦うが,じっくり考えると,これがまともな教育論になっていた。そして,給食のクライマックスは,題名通りの「イカメシ」で,その食し方が笑いを誘う。不味い典型として,かつての「脱脂粉乳」が登場するが,今の若い世代には,この不味さは想像もつかないだろう。
 終盤で,同窓会案内を貰った甘利田が黍名子中学校を訪れるが,そこでかつてのライバル神野ゴウ(既に高校2年生)を再登場させている。シリーズものとして嬉しい配慮だ。さて,次作では別の函館名物を登場させるのか,それとも北海道の他都市を巡って別の名産品を取り仕上げるのかが楽しみだ。「給食」という制約の中では,そうそう冒険もできないのが辛いところだ。

■『バティモン5 望まれざる者』(5月24日公開)
 その重いテーマで,できれば観たくなかった映画だ。ではなぜそんな映画を取り上げるかと言えば,「義務感」からだと言えようか。劇場用映画として監督やスタッフが精魂込めて創り上げ,映画祭で話題になり,配給会社が厳選して国内公開する映画である以上,それだけの価値があるはずだ。この短評欄に入れたことで,読者の何割かが目にして,映画館に向かわれることを期待している。
 本作はフランス映画で,パリ郊外の都市における行政と住民(大半は移民の貧困層)の対立と抗争を描いた社会派映画である。「バティモン5」とは,10階建てのスラムの一画の通称だそうだ。老朽化した団地を取り壊して一掃する再開発計画により,強制的立ち退きを強いられる住民たちの反発から生じる事件を描いている。類似テーマの映画『GAGARINE ガガーリン』(22年1・2月号)を思い出した。同じくパリ郊外の公営住宅団地の解体計画と住民の反対を描いていたが,主人公の青年の成長物語であり,美形の少女に対する恋心も含まれていたので,まだしも救いがあった。一方,本作は「排除 vs 怒り」の衝突ばかりで,少しやるせない結末で終わる。監督・脚本は,長編デビュー作『レ・ミゼラブル』(20年1・2月号)で高い評価を得たラジ・リだった。パリ郊外の犯罪多発地区モンフェルメイユ出身で,この種のビル解体作業を実際に目の当たりにしたのが,本作のきっかけになったという。ドキュメンタリーではなく,架空の都市モンヴィリエを舞台としているが,実話に基づくエピソードを収集・整理した産物であるに違いない。
 映画は,居住棟の10階から数人がかりで棺桶を地上に降ろすシーンから始まる。不穏な音楽の中でのこの光景に驚いた。10年前からEVが壊れていて動かないそうだ。実際のビルの爆破解体シーンが続く。それを見ていた市長が急死し,小児科医ピエール(アレクシス・マネンティ)が政党の要請で臨時市長に祭り上げられる。それも驚きだった。市長になった彼は,副市長の腐敗を糾弾し,市政改革と治安維持のための再開発を推し進めようとするが,その横暴なやり方に住民たちは猛反発する。その渦中で,移民たちのケアスタッフとして働く女性アビー(アンタ・ディアウ)が本作の主人公である。
 通常の社会派映画なら,被害者=住民側の立場に立って彼らの主張を支持するが,本作のスタンスは少し違う。党に責められ,部下からも市民からも責められ,妻にも散々苦情を言われる市長を,少し気の毒に感じる。だからと言って,夜間外出禁止令,3人以上の若者の集会禁止は,いくら何でもやり過ぎだ。公権力による強制転居の執行は最も観たくないシーンだが,その中で幼児がミニカーと縫いぐるみを持ち出そうと大騒ぎする下りは余りにもリアルで,どこの家庭も同じだと笑ってしまう。家を追われた上に車まで焼かれた男性が怒り狂うのは当然だが,市長が不在の個人宅に押しかけ,Xmasパーティの団欒を破壊して火をつけようとするのは許し難い。アビーの悲しそうな表情が目に焼き付いた。
 誰も解決できない,正解のない社会問題。それが現実の社会だというのが,監督の主張なのだろう。欧州だけでなく,世界的に保守派,右派が支持を延ばしている現在の政治情勢が分かる気がした。

■『関心領域』(5月24日公開)
 やはり見応えのある映画だった。今年のアカデミー賞には5部門にノミネートされ,国際長編映画賞,音響賞でオスカーを得ている。演技賞だけの場合,映画は今イチのこともあるが,作品賞,監督賞,脚色賞にもノミネートされただけあって,演出も時代考証もしっかりしていた。お馴染みのナチスのホロコーストものだが,収容所の悲惨な状況を描いた映画ではない。「関心領域(The Zone of Interest)とは,ポーランドのアウシュビッツ強制収容所の周り40平方kmの地域を指す言葉のようだ(当然,元はドイツ語かポーランド語だっただろうが)。英国人作家マーティン・エイミスの同名小説が原作で,監督・脚本のジョナサン・グレイザーも英国人である。
 強制収容所の所長は親衛隊将校のルドルフ・ヘスで,ヒムラーの指示でユダヤ人虐殺の具体的方法を決定した実在の人物である。着任とともに,収容所と壁一枚隔てた新居(言わば,所長官舎)には,妻ヘートヴィヒと子供5人が同居し,現地人家政婦を雇って裕福に暮していた。広く美しい庭にはプールや温室があり,湖畔でのピクニック,カヌーでの川下りやフィッシング,花畑や家庭菜園等の日常生活が克明に描かれる。夫の昇進による転勤に対して,妻は夢のような生活を失うことに断固反対し,夫には単身赴任,後任所長には他での住まいを求め,家族はそのまま居残る。まるで,子供の教育優先の現代の主婦のようだ。これには呆れた。
 強制収容所の様子は,時折悲鳴や銃声が聞こえ,煙突から煙や炎が見えるだけで,所内の収容者の姿やガス室での出来事は全く映像として登場しない。映画の冒頭は真っ暗画面と不穏な音楽が何分間も続き,途中では真っ白な画面,真っ赤な画面が登場する。何が起こっているかを観客に想像させる手口である。終盤,ようやく所内の廊下をスタッフが清掃する姿,焼却炉と思しき場所,膨大な数の靴や松葉杖等の残存物が映される。どうやらこれは,現代のアウシュヴィッツ博物館の内部のようだ。
 こんな奇妙なホロコースト映画は初めてだ。それでいて,ナチの将校たちの豪華なパーティやきらびやかな建物,神秘的なモノクロ映像で観客を幻惑する。長編デビュー以来23年間でたった4本という寡作な監督だが,この精緻な描写なら,準備に10年かかったというのも頷ける。監督の意図は,我々の平凡な日常生活が史上稀にみる残虐な出来事に隣り合っていること,自分の関心事以外には無頓着である大衆への警鐘のようだ。
 本作でヘス所長を演じたのは,クリスティアン・フリーデル。『白いリボン』(10年12月号)では主人公の学校教師,『ヒトラー暗殺,13分の誤算』(15年11月号)では暗殺未遂事件の実行者を演じたドイツ人男優だ。一方,妻ヘートヴィヒ役はサンドラ・ヒュラー。同年のアカデミー賞脚本賞受賞作『落下の解剖学』(24年1月号)で夫殺害の容疑者を演じたドイツ人女優である。ともに名優で,どんな役でもこなすのが職業とはいえ,どういう気持ちでこの役を演じたのかを聞いてみたくなった。

■『告白 コンフェッション』(5月31日公開)
 概要を読んだだけでワクワクするようなサスペンスドラマだった。雪山での遭難で重傷を負い,死を覚悟した男が「最期に聞いてくれ―」と昔自分が犯した殺人を親友の相棒に告白する。ところが,近くに山小屋が見つかり,一命を取り留める。迂闊に語ったことを後悔し,犯罪を知らせてしまった親友を殺そうとする……という筋立てだ。元は2001年に発表されたコミックで,福井伸行原作,かわぐちかいじ作画だという。大半のかわぐち作品は読んでいたはずなのに,この作品は知らなかった。映画はたった73分だが,原作漫画も単行本で全1巻だというので,省略せずストレートに映画化しているに違いない。ただし,結末は意図的に変更している可能性が大だ。となると細部まで比べて論じたくなり,早速Kindle版を購入して,かつてよくやった方法で味合うことにした。即ち,まず原作本を半分弱読んで物語設定と登場人物を把握し,それから映画全編を一気に視聴し,その後に原作漫画をじっくり眺めて比べるという方法である。
 主人公は,大学山岳部OBで親友の浅井啓介(生田斗真)と韓国人留学生のリュウ・ジヨン(ヤン・イクチュン)だ。16年前に事故死した同級生の西田さゆりの17回忌に慰霊登山を計画したが,猛吹雪に遭遇する。映画は,雪山で2人が座り込んでいるシーンから始まり,脚に重傷を負ったジヨンが死を覚悟し,浅井に自分がさゆりを殺害したと告白する。ところが,視界が開けて近くに避難小屋が出現し,浅井はジヨンを担いでそこに駆け込み,救助隊を待つことになる。告白で長年の重荷にから解放されたはずのジヨンが,告白を後悔し,浅井を殺害しようとして2人の凄まじい攻防が始まる……。基本骨格は漫画も映画も同じで,典型的なワンシチュエーションドラマであった。
 原作が日本人2人だったのを,映画で『かぞくのくに』(12年8月号)『中学生円山』(13年5月号)の韓国人男優ヤン・イクチュンを起用したのは大正解と感じた。精神構造の異なる外国人の方が,鬼気迫る感じが出ていたからである。少し複雑な構造の山小屋は,漫画では図化して説明されていたが,1軒丸ごとセットを組んだという屋内の出来映えが上々で,緊迫感の演出に効果的に思えた。逃げる浅井をジヨンが歩いて追跡できないのは同じだが,高山病で浅井の視力が低下することは漫画の方が強調されていた。「目が見えなくなってきた男と足をケガした男」という対立構図が面白かった。
 実は浅井にも重大な秘密があったことが本作の肝だが,これは伏せておき,観てのお愉しみとしておこう。予想通り,結末は少し違ったが,ラストの意外性はほぼ互角だと思う。強いて言えば,個人的には原作漫画の方が好ましく感じた。監督は『カラオケ行こ!』(24年1月号)の山下敦弘で,主演男優2人も好演だが,かわぐちかいじのコマ割りの見事さと,彼の描画力による2人の心理描写が卓抜していると感じたからである。

■『ユニコーン・ウォーズ』(5月31日公開)
 スペイン製の2Dアニメ-ションである。絵柄を見ると,擬人化されたお目々キラキラの可愛い動物が描かれているので,誰が見てもお子様向きの漫画映画だ。別の画像は,美しい森や親子での魚釣りシーンだったので,メルヘン調の童話かと思われた。それならパスしようかと思ったのだが,これがディストピア世界でのダークファンタジーであり,ゴヤ賞の最優秀アニメ賞受賞作であった。監督はグラフィックノベル作家出身のアルベルト・バスケスで,何作かの短編アニメ制作の後,初の長編『サイコノータス 忘れられたこどもたち』(15)でも同賞を受賞し,その内容が衝撃を与えたようだ。本作と同様,2頭身の可愛い動物たちが荒廃した島に住む悩める若者たちであり,彼らが抗う姿を描いている。この監督は知らなかったが,可愛さと不気味さのアンバランスの中で,訴えたい問題を描くのが特長らしい。
 本作の舞台は魔法の森で,「テディベア」と「ユニコーン」の一族同士が先祖代々の戦いを繰り広げていた。主人公は,テディベアの双子の兄弟のアスリンとゴルディで,まだ特訓を受ける軍の新兵であったが,捜索部隊に加わって森に入り,部隊からはぐれて深い奥に進んでしまった。アスリンがユニコーンに襲われて顔の半分を失ったことから物語は急展開し,彼は火を放って森を焼き,全面戦争に突入してしまう……。
 テディベアは文字通り「熊」であるが,大半は余り熊には見えない丸顔ルックスだった。いずれも表情は豊かだ。弟アスリンは冷酷でいじけた性格だが,兄ゴルディは優しく温和な性格に描き分けてある。ユニコーンは一般には一角獣の総称だが,本作では尖った角をもつ「馬」の姿をしていて,こちらは擬人化して描かれてはいない。不穏な音楽を伴って,どんどん恐ろしい物語に進展し,ラストは驚くべき着地点であった。
 血しぶき,内臓,ドラッグも登場するかと思えば,下半身露出の下ネタも登場する。「地獄の黙示録」×「バンビ」×「聖書」が企画コンセプトだというが,あまり「バンビ」の素朴さは感じられなかった。「分断の無意味さ」を描く「究極の反戦アニメーション」だという監督のメッセージは十分伝わって来た。まかり間違っても,子供に見せるべきアニメ映画ではない。

■『ライド・オン』(5月31日公開)
 今月は韓国製の明るく楽しいラブコメディで始めたので,最後は中国製の楽しいアクションコメディで締めたい。ジャッキー・チェン(以下,JC)の主演映画50周年記念作と聞いただけで,外れはないと分かる。毎度サービス精神満点の映画作りであるから,役柄設定も繰り出すアクションも,そして人情味溢れるエンディングまで,抜かりはない。監督・脚本は,中国人監督のラリー・ヤン。脚本家出身のこの監督は,今年70歳になるJCをひたすら尊敬していて,彼の輝かしい経歴に相応しい役柄と素晴らしい相棒を見つけ,映画愛に溢れる脚本を用意した。娘役にリウ・ハオツンを配したのも嬉しい。チャン・イーモウ監督の『ワン・セカンド 永遠の24フレーム』(22年5・6月号)に抜擢された新人女優だったが,今や中国映画界の若手トップ女優の1人である。
 JCが演じるのは,香港映画界伝説のスタントマンと言われたルオ・ジーロンで,怪我が原因で第一線を退き,いまは中国の撮影所内に住み込み,地味なスタント仕事をこなしていた。香港映画界から中国映画界に転じたJCになぞらえている。彼の経歴を語るシーンで,香港映画時代のヒット作『プロジェクトA』(83)や『ポリス・ストーリー/香港国際警察』(85)等の名場面を登場させている。本作の相棒は,スタントマン仲間でなく,愛馬・赤兎(チートゥと読む)であった。即ち,この馬に乗ってのスタント演技がウリであり,西部劇さながらの馬を使ってのアクションシーンが続々と登場する。
 物語は,この赤兎を譲ってくれた元の持ち主ワンの債務のため,抵当扱いされていた馬が連れ去られる危険が生じるという設定である。困ったルオは,疎遠であった一人娘のシャオバオに助けを求めるが,彼女は母と離婚した身勝手な父を受け容れようとしない。ようやく新米弁護士ナイホァの助力を得るが,結局は裁判に負け,赤兎は馬好きの富豪に元に引き取られてしまう……。
 もう10年以上前になるが,『ライジング・ドラゴン』(13年4月号)は「JC最後のアクション超大作」という触れ込みで,「アクション引退宣言」をしていた。その後もそれは全く守られず,「半引退宣言」などどこ吹く風で,本作も冒頭からカンフーアクションや馬に乗っての派手なチェイスシーンを見せてくれる。もうこれだけでサービス精神たっぷりだ。愛馬の訓練シーンが頗る楽しく,劇中劇での危険なジャンプシーンが大きな見せ場であった。赤兎役の馬は引退した競走馬で,危険を伴う演技シーンでは訓練された馬が代役とのことだが,全く区別がつかなかった。劇中で,映画のセットや撮影シーンが何度も登場するのも映画愛の表われだと感じられた。
 同時進行で,父と娘の和解物語が進行するのも好い味付けだった。回想シーンで登場する子役の少女がリウ・ハオツンに似ているのも嬉しい配慮と言える。富豪が有している「馬の博物館」の充実した展示にも感心した。さほどの危機はなく,緊迫感もなかったが,JC愛と映画愛が目的のエンタメ映画であるから,これで十分だ。

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