O plus E VFX映画時評 2024年1月号掲載

その他の作品の短評 Part 1

(注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています)


■『マイ・ハート・パピー』(1月2日公開)
 パピー(Puppy)とは仔犬のことで,転じて愛すべき幼児に呼びかける時にも使う。スペル違いのPappyは,パン状のとか,父親に使うこともあるので要注意だ。本作は前者で,愛犬家のための韓国映画である。本作を観る気になったのには2つの理由がある。筆者は数年前に愛犬を亡くし,犬映画を観ると思い出してウルウルしてしまったため,しばらくこの種の映画を控えていた。そろそろそれも解禁すべき頃と考えた時に,本作のメイン画像にあった1匹に魅せられたのが第1の理由だ。
 主人公は無類の愛犬家のミンス(ユ・ヨンスク)で,毎日定時退社して愛犬ルーニーと過ごすのが生甲斐だった。ところが婚約者が先天的な犬アレルギーと判明し,一緒に暮せない。止むなく,ルーニーの安心できる里親探しのため,従兄のジングク(チャ・テヒョン)の助けを借りて,2人で旅に出る。その道中で出会った犬たちを引き取り,どんどん頭数が増えてしまう,というロードムービーだ。この設定に納得が行かなかった。筆者なら,犬か彼女かなら,迷わず愛犬を選び,彼女とは別れる。百歩譲っても,愛犬が天寿を全うするまで,結婚せずに待たせておけば良い。そう思いつつ観ている内に,途中で登場する一匹のパグが,筆者のかつての愛犬に勝るとも劣らぬ可愛さで,目が離せなくなった。
 前半は笑い満載の快適なコメディで,里親探しで登場する様々な人物が愉快だった。韓国の生活水準も上がったなと感じた。その一方で,飼い犬センターの現状や捨てられた雑種犬の運命を知るのは辛かった。富豪の娘の冷たい一言「最後まで一緒にいるのが家族」は,一理あり,突き刺さった。後半のじんとくるドラマへの転換も見事だ。監督・脚本はキム・ジュファンで,コメディセンスのある犬好きにしか描けない映画である。
 視聴のもう1つの理由は,犬食文化のある韓国がどんな犬映画を描くのかへの興味だった。最近,規制法案も提出されたようだが,犬食関連の明確な描写や規制に対する劇中での言及はなかった。主人公は,犬を売ろうとしている飼い主には,なけなしのお金を払って引き取った。これが精一杯の言及のつもりなのか……。

■『エクスペンダブルズ ニューブラッド』(1月5日公開)
 公開は新年だが,昨夏以来のジェイソン・ステイサム主演の一連のアクション映画の1つ数えられていた。待てよ,「消耗品軍団(エクスペンダブルズ)」とは,シルベスター・スタローンがリーダーで,ブルース・ウィリス,アーノルド・シュワルツェネッガー,ミッキー・ロークといった伝説の(もはやポンコツの)アクション俳優を集めたことがウリの同窓会映画ではなかったか。それでは激しい格闘シーンは描けないので,現役バリバリのJ・ステイサム,ジェット・リー,ドルフ・ラングレン等も入れていたのは覚えている。実際の俳優召集役もスタローンで,大根役者であるが,大衆映画の企画力はある。1作目『エクスペンダブルズ』(10年10月号)がヒットしたのに味をしめて,シリーズ4作目まで作ってしまった。毎度自分が美味しい役ばかりだったのに,今回はJ・ステイサムに任せっぱなしのようだ。
 今回のミッションは,核兵器を手中に収めた武器商人が第3次世界大戦を引き起こしかねない危険な計画を立てたので,CIAの依頼でこれを未然に防ぐというもの。途中,敵から思わぬ奇襲を受けたり,ミッションの失敗でCIAから解雇されたり等々,ほぼお決まりのパターンだ。リーダーのはずのスタローンは早々と姿を消すが,そのまま落命したはずはなく,どうなるかは容易に想像できる。この種の映画に,物語のリアリティ,高尚な人生哲学,環境破壊防止のメッセージは求めないので,アクションの爽快感だけあれば十分だったが……。
 新メンバーがかなり増えていたが,それがニューブラッドらしい。ただし,2流ばかりで馴染めない。箔付けで,CIA側にベテランのアンディ・ガルシア,セクシー女優のミーガン・フォックスを起用していたが,大きなテコ入れになっていない。VFXは多用されていて,大型貨物船の破壊・沈没は少し見応えがあったが,ヘリ,爆発,アクロバット・アクションでの利用は特筆するレベルではなかった。メリハリがなく,とにかく騒々しい。J・ステイサムが孤軍奮闘すれども,他の2本『MEG ザ・モンスターズ2』(23年8月号)『オペレーション・フォーチュン』(同10月号)の方が出来が良かった。もうこのシリーズは要らないのではないか。S・スタローンに比べると,改めてトム・クルーズの企画力,製作力は大したものだと感心した。賞賛に値する。

■『ミツバチと私』(1月5日公開)
 ポスターは緑をバックに可憐で美しい少女の姿,それでこの題名となると自然の中でミツバチと触れ合うメルヘン的な物語を想像してしまった。大きくベルリン国際映画祭で「史上最年少8歳で主演俳優賞を受賞!」と書かれている。小さな字で「生まれ変わったら,女の子になれるかな?」とあるのに気付いて,映画を観る視点が一変した。そーか,トランスジェンダーの少年の物語だったのだ。自らのアイデンティティに悩む8歳の子どもの成長を描き,それに家族が寄り添うヒューマンドラマのようだ。
 フランス南西部のバイヨンヌに住む母親のアネは,夏休みに3人の子供を連れスペイン北西部のバスク地方の母の家に滞在する。3人は女・男・男の構成だったが,末子のアイトールがトランスジェンダーだった。男の名前で呼ばれることも嫌い,激しく抵抗するが,養蜂場を営む大叔母のルルデスには心を開き,多数の蜂に話かけることで,彼(彼女?)の心は癒されて行く……。
 関心は,主役に抜擢された子役(ソフィア・オテロ)の演技だった。過去作の『ダラス・バイヤーズクラブ』(14年3月号)『リリーのすべて』(16年3月号)では名のある男優が演じていて,少し演技過剰気味だった。『ナチュラルウーマン』(18年2月号)の主人公マリーナは本物のトランス女性が演じていた。題名通り,まさに自然な演技で,彼女に感情移入し,応援したくなった。『リトル・ガール』(21年11・12月号)のサシャも本物であったが,ジェンダー規範と戦う母親を中心としたドキュメンタリー映画であったので,演技はなかった。本作は,母,祖母,大叔母が見守る女性中心の映画である。オーディションで選んだとはいえ,トランス少女でない普通の少年に,こんな役をさせていいものかと……。
 監督・脚本は,スペインの新鋭エスティバリス・ウレソラ・ソラグレンで,これが長編デビュー作だが,これまでの短編でも一貫してジェンダー問題や家族のあり方を描いていたようだ。彼女はトランス女性ではなく,純然たる女性である。性別で分類しない「主演俳優賞」なる呼称で気がつかなかったのだが,ようやく,アイトールを演じていたのは「少年」ではなく,「少女」であることを知った(「ソフィア」で気付くべきであった)。それでなぜか安心してしまったが,いずれにせよ難役であることに違いはない。見事な演技力と言わざると得ない。もし,従来通りベルリン映画祭が「男優賞」「女優賞」に分けていたのなら,どちらで賞を与えたのだろうか?

■『シャクラ』(1月5日公開)
 ドニー・イェン主演の飛び切りの武侠アクション映画だ。『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』(17年1月号)『ジョン・ウィック:コンセクエンス』(23年9月号)等のハリウッド大作でも活躍が目立つが,本作は前作『レイジング・ファイア』(21年11・12月号)と同様,母国に戻っての映画出演で,「香港・中国合作」扱いである。一国二制度とは名ばかりで,香港はとっくに北京政府が手中に収め,自由を奪ったはずなのに,まだこの合作表記を使っているのは白々しい。映画製作だけは治外法権が少し残っているのか,アクション映画では「香港」ブランドを使いたいためか,多分後者なのだろう。ドニー自身が製作・監督・主演なので,彼の矜持であるのかも知れない。
 舞台は元佑年間の宋の国で契丹・西夏と国境を接する地域,といっても日本人にはすぐには分からない。「元佑」は11世紀末なので,900年以上前の時代劇である。「契丹」は現在のモンゴルと中国の東北部,「西夏」は中国の北西部にあった国で,漢民族の宋とは人種が異なっている。「江湖に満ちる恩讐」と出て来るので,「揚子江」と「洞庭湖」の辺りかと思ったが,武侠小説の「江湖」は武術の達人達が跋扈する特殊世界を意味するらしい。
 そんな中で,宋の国の喬夫妻の家の門前に赤子が捨てられていた。養父母に我が子のように育てられた喬峯(ドニー・イェン)は,少林寺で修業し,無敵の武芸者となって,人々に尊敬される幇主になっていた。ところが,副幇・馬大元殺しの濡れ衣を着せられ,さらには養父母や少林寺の師・玄苦大使をも殺した極悪人とされ,多数の刺客から命を狙われる。陰謀と策略が渦巻く中,喬峯は罠を暴き,自らの出生の真実を突き止めながら,迫り来る無数の敵と戦うが……。
 丐幇,吐蕃,故蘇,聚賢荘,大理国なる共同体名・組織名や,鳩摩智,白正鏡,慕容復,段正淳,等々の人名が次々と出て来る漢字のオンパレードなので,字幕ではとても覚え切れない。加えて,愛人,義兄弟が入り乱れるので,予め人物相関図を見ていても,全く把握できない。いっそ何も見ずに,主人公が武林最強の技「降龍十八掌」を駆使して刺客たちを次々と倒す痛快なアクションを楽しむのが得策だ。著名な武侠小説家・金庸の長編小説「天龍八部」が原作で,4人の主人公の内の喬峯だけに焦点を当てた映画化というので,続編が登場してもおかしくない終わり方になっている。
 かなりの大作で,セットにも衣装にも凝っている。建物や階段も大掛かりだが,どこまでが実物かCGか見分けられない。『るろうに剣心』シリーズの谷垣健治は,ドニー・イェンの信頼が厚く,彼が主演の『燃えよデブゴン/TOKYO MISSION 』(20年Web専用#6)では監督を任された。本作では本来のアクション監督に起用され,飛んだり跳ねたりの凄まじいアクションを演出している。とりわけ,屋根から屋根への高速移動とスケールの大きさが度肝を抜く。伝統のワイヤーアクションだと思わせておいて,大半はVFXで実現しているようだ。

■『燈火(ネオン)は消えず』(1月12日公開)
 香港映画を続けよう。こちらは中国との合作ではなく,単に「香港映画」と書かれている。本作はアカデミー賞国際長編映画部門の香港代表作品だという。米国のアカデミー賞選考委員会が映画制作の独立国として認めている訳ではないので,最終的には中国映画と一本化するのかも知れない。残念ながら,今年のShortlist(最終ノミネートの一歩手前の選考作品)には残っていなかった(日本代表の『PERFECT DAYS』は残っている!)。調べると,Shortlistに残った『少年の君』(21年7・8月号)と最終ノミネートされた『グランド・マスター』(13年6月号)は,中国・香港合作でありながら,アカデミー賞サイトではChinaでなく,Hong Kongと書かれていた。映画業界では香港の方がブランド力が上なのである。
 題名の「ネオン」とは,昔ながらのガス放電管の「ネオン管」のことで,香港の「100万ドルの夜景」を支えてきた象徴的存在である。最近はLED化が進んだため,ネオン職人の伝統芸を守ろうとする映画だと想像はついたが,さらにこの映画の前提を知って驚いた。LEDのせいではなく,2010年の建築法の改正により,香港名物のネオンサイン看板自体が,2020年までに90%撤去されたという。知らなかった。筆者が最後に香港に行ったのは2011年12月だったので,夜景には見惚れていただけで,それがなくなるとは思いもよらなかった。
 腕利きのネオン職人であった夫ビル(サイモン・ヤム)は病死したが,ある日,妻メイヒョン(シルヴィア・チャン)が彼の工房を訪れたところ,師匠の死を知らずに弟子の青年レオ(へニック・チャウ)が働き続けていた。夫の死を告げたが,逆に師匠がやり残したネオンを完成させようと説得され,メイヒョン自身もネオン作りの修業から始めることになる。燈火規制と厳しい財政難で挫折しかけたが,支持者の協力とクラウド調達の資金を得て,一夜限りの光の芸術展示を目指す……。
 熟年の名優2人の夫婦愛の物語が基調だが,彼らの若い恋人時代を演じる若手俳優も良い味を出していた。細いガラス管を細工して,そこに不活性ガスを封入し,そこに電流を流して光らせる技術であるが,俳優たちが本気でガラス細工をやっている。「ネオンは光の書道」とは言い得て妙だと感じた。ほのぼのいい話なのだが,少し悲しく,切ない。劇中で華やかなネオンの夜景が登場するが,現在は既になく,昔の映像を使ったり,CGで描き加えたという。描かれていたのはネオン管の話だけだが,何やら香港全体への鎮魂歌のように感じた。エンドロールには,最近亡くなったネオン職人歴50年以上の人物たちの写真と名前が次々と登場した。合掌。

■『ビヨンド・ユートピア 脱北』(1月12日公開)
 次なる舞台は北朝鮮だ。同国の映画が輸入される訳はないから,当然韓国映画である。ただし,韓国内で,韓国人俳優が演じて,北朝鮮だと思わせている劇映画ではない(そういう映画は多数あったが)。正真正銘,北朝鮮から国境を超えて中国に逃げ,ベトナム,ラオス,タイを経由して亡命先の韓国に至る脱北者の現状を描いたドキュメンタリーである。この数年間で観た中で最高のドキュメンタリー作品であった。
 監督・編集は,戦争で疲弊したコンゴの悲惨な現状を描いた『シティ・オブ・ジョイ~世界を変える真実の声~』(18)で話題を呼んだマドレーヌ・ギャヴィンである。AP通信の元平壌局長,元CIA局長が語る北朝鮮情況や入手した隠し撮りカメラで北朝鮮の生活実態が分かる。脱北者数名がインタビューに応じているが,とりわけ人権活動家イ・ヒョンソが語る自らの体験が生々しい。彼女は映画中で再三登場する。それだけなら,今までも耳にした話題だが,何と言っても圧倒されたのは,ほぼ同時進行で収録された2件のエピソードである。すべて本作の製作陣や脱北者本人達が撮影した生の映像であり,再現映像は一切ないという。
 この映画の要となるのは,これまで1,000人以上の脱北をサポートしてきた「地下鉄道」の中心人物キム・ソンウン牧師の熱意と信念である。彼は韓国人だが,彼の妻は脱北者である。北と南の国境付近は多数の地雷が埋め込まれているため,事実上これを超えることはできず,川を越えて中国に入る。北と中国側の両方の警備隊が見張っているので,牧師や支援者たちが情報収集して,その間隙をつく。ここで落命する者も多く,逮捕されると北での悲惨な収容所生活が待っている。
 2件の実話の1つは,脱北に成功して韓国にいるリ・ソヨンが北に残した息子チョンを脱北させようと奮戦する過程の実録である。もう1件は,中国に入ったものの山間部で迷うロー家(2人の幼児と80代の老婆を含む5人家族)を無事タイから韓国まで導く,移動距離1万2千kmの脱出作戦だ。随所で何人ものブローカーが便宜を図るので,かなりの金銭を投じていると分かる。驚いたのは,中国の官憲の目を逃れるのに,警官を買収してパトカーで移動するという手口だ。ベトナムのジャングルでの移動も過酷だが,それらがすべて映像記録されている。最後のラオスからメコン川を渡って対岸のタイへの入国には,牧師も駆けつけて見届けている。
 最後に近いラオスでのインタビューで,苦難の旅を経た老婆は,まだ「若い金正恩元帥様は国を守っている。豊かになるには国民が一生懸命働いて,元帥様を喜ばせるべきだ」と語っている。見事なのは,2つのエピソードを交互に挟み,牧師やイ・ヒョンソが注釈するという編集の秒である。完全に実話でありながら,まるでサスペンスドラマのように感じさせる手腕に感心した。

■『IL VOLO in 清水寺 京都世界遺産ライブ』(1月12日公開)
 同じくドキュメンタリー映画だが,緊迫感と驚きの上記とは全く異なり,ゆったりと楽しむ至福の92分間であった。題名通り,京都・清水寺で2022年夏に行われたコンサートの全容を映像収録したものだが,映像も音楽も文句なく素晴らしい。このイタリアのヴォーカルユニットの紹介の前に,名前が紛らわしいIL DIVOから語っておこう。
 IL DIVOは,2003年に英国で結成された男性4人組のコーラスグループで,ジャンルはClassical Crossover(クラシックの声楽でポピュラー音楽を歌う)である。「Divo」の原義は「Star」で,歌姫を意味するイタリア語「Diva」の男性形だが,メンバーの出身地はアメリカ,カナダ,スペイン,スイスと多国籍で,イタリア人はいない。イケメン揃いであることも寄与して,世界ツアーで人気を博した。東日本大震災時の被災地訪問を含め,再三来日している。2021年末に1人逝去したが,昨年夏に臨時メンバーが正式加入し,4人に戻った。
 そのIL DIVOの成功を意識して,同分野で2009年に結成されたのがイタリア人3人組のIL VOLOで,イタリア語で「The Fight(飛翔)」を意味している。公募のオーディション番組で選ばれたが,IL DIVOが既に50歳超(新加入者を除く)であるのに対して,こちらは現在28~30歳とかなり若い。2022年の来日が3度目,世界遺産をバックにした歌唱も3回目だ。過去には2016年にイタリアのサンタクローチェ広場,19年に南イタリアのマテーラで敢行し,いずれもプラシド・ドミンゴと共演している。「3大テノール」(カレラス,ドミンゴ,パバロッティ)への敬愛の念が強く,トリビュートアルバムも出している。筆者は,IL DIVOは14枚,IL VOLOは6枚のアルバムを有しているが,正直なところ,いきなり再生するとどちらだか識別できない(四声と三声で区別できそうなものだが…。今回聴き比べてみて,IL VOLOの方がソロパートが多いことに気付いた)。
 さて,本作の奉納ライブの指揮はイタリア人のマルチェロ・ロータで,演奏はパシフィックフィルハーモニア東京(旧東京ニューシティ管弦楽団)が担当している。まず誰もが知る「誰も寝てはならぬ」から始まる。全25曲中で,イタリアらしい代表曲「オー・ソレ・ミオ」「帰れソレントへ」「フニクリ・フニクラ」が配されている。ポピュラーな「マイ・ウェイ」「恋のアランフェス」や『ウェスト・サイド物語』の「マリア」等,すぐに分かる曲が出て来るとメリハリがあって聴きやすい。その他の知らない曲も,じっくり美声を堪能できる。夜間のコンサートで,清水寺のせり出した大舞台で3人が歌い,楽団は後の本堂の中で演奏し,ライトアップされたその模様をカメラが縦横に追う。ドローンを駆使したアングルでは夜景とのマッチが素晴らしく,時折混じる清水寺から見た京都市内の夜景にもうっとりする。
 一体どこに観客がいるのかと探したが,見当たらなかった。コロナ禍ゆえ無観客になったのかと思ったが,そんなことはない。先立って,東京,大阪,名古屋で有観客の公演を行なっている。そもそも清水の舞台で歌っても,観客を入れる場所がなく,最初から映像収録目的の実行計画である。エンドロールには収音以外に多数の撮影クルーの名前があった。ホール公演の映像記録よりも遥かに綿密に準備されたライブ収録であり,是非,大きなスクリーン,音響効果の良い映画館で観て欲しい。

■『ある閉ざされた雪の山荘で』(1月12日公開)
 邦画が続く。当代随一の人気ミステリー作家・東野圭吾が1992年に著した同名小説の映画化作品で,監督・脚本は,『荒川アンダーザブリッジ THE MOVIE』(12年2月号)『宇宙人のあいつ』(23年5月号)の飯塚健である。もう題名だけで,外に出られない雪山で起きた密室殺人,おそらく1人ずつ死体で発見される連続殺人事件の本格派ミステリーだと想像できる。あるいは,猛吹雪の山中で展開するQ・タランティーノの『ヘイトフル・エイト』(16年3月号)のような活劇かと期待した。本作の登場人物に,男4人,女4人,計8人の若手俳優の名前があったからだ。原作者の東野からは,「トリッキーな世界観の物語で映画化は考えなかったが,監督の手腕で完璧に成立」とのメッセージが寄せられている。となると,しっかり犯人当てをしなくてはと意気込んだ。
 ある宿泊所に,劇団「水滸」の主宰者からの招待状を受け取った7人の若い役者が集まった。次回作のオーディションを勝ち抜いた者で,4日間の合宿形式で最終選考を行なうという。同劇団員の6名(男3,女3)と別の劇団にいた部外者・久我和幸(重岡大毅)は,外部と遮断された密室空間で連続殺人事件が起こったという想定で,監視カメラの前で4日間「演技」を続けることを強いられる。すべて架空の事件のはずが,出口のない宿泊所で1人また1人と姿を消し,残された者たちは本当の殺人事件ではないかと疑心暗鬼に陥って行く……。
 物語は大筋,筆者の予想通りだった。最大の当て外れは,全く雪山の山荘ではなく,平地の豪華でモダンな邸宅が舞台だった。せめて途中から猛吹雪になるのかと思えば,それもない。環境を変えても,原作のプロットは完全に維持できるとの監督の解釈のようだ。それならとその前提で,謎解きに集中した。マルチスクリーンを多用したり,上からの俯瞰映像で参加者の全員の挙動を同時に見せる等,斬新な映像で物語展開を見せてくれる。
 結末は口外禁止なのでこれ以上書けないが,原作にはないラストシーンは高評価できる。完璧ではなかったものの,今回,筆者は8割程度トリックを見破れた。この種のミステリー映画の出来映えは,筆者クラスのミステリー通には犯人当てができ,それがお手上げの観客が種明かしで見事に騙されたと納得できるものが望ましい。本格派であればあるほど,それが可能であるはずだ。
 折角だから,筆者流の見破るヒントを書いておこう。こうした場合の部外者は,探偵役かアリバイの証人役であり,犯人であることはまずない。パンフレットで8人だったのに,7人しか最終選考に召集されていない。となると残る1人が(犯人ではないまでも)事件の鍵を握っている。そして,現地で主宰者から7人に配られた本は,アガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」であった。ということは,同書や「オリエント急行殺人事件」「アクロイド殺し」のような古典的なトリックでは有り得ない。それに匹敵する,新しい東野流のトリックを導入しているに違いない……。こうした視点を参考にして,本作を楽しんで頂ければ幸いである。

■『カラオケ行こ!』(1月12日公開)
 題名から想像できる映画の種類に拘る当欄だが,どんな映画なのか全く検討がつかなかった。無理に想像すると,中高生中心の青春映画なのか,同窓会後の男女の2次会でそこから恋愛ドラマに発展するのか,それとも熟年親父の飲み会後の憂さ晴らしで,愚痴と人生讃歌のヒューマンドラマが展開するのかと…。今やKaraokeは国際的に通用するが,片仮名題名はさすがに邦画で,関西が舞台と思えた。結果的に,最初の想像から余り外れていなかった。ただし,男子中学生がヤクザ(非社会的暴力集団)にカラオケの歌唱指導を行うというトンデモナイ設定の爆笑コメディである。原作は和山やま作の同名の青春漫画で,『リンダ リンダ リンダ』(05) 『味園ユニバース』(15年2月号)の山下敦弘監督が実写映画化している。
 舞台は大阪のミナミ(と思える)で,主人公の四代目祭林組若頭補佐・成田狂児(綾野剛)が,森丘中学校合唱部部長の岡聡実(斎藤潤)にカラオケの歌唱指導を申し出る。組長(北村一輝)が大のカラオケ好きで,毎年,組のカラオケ大会を開催するが,最下位には恐怖の罰ゲームが待っているため,何としても歌が上手くなりたいと切望していた。通りがかった合唱コンクール会場で,聡美を見つけて待ち伏せし,その後も毎週学校に現われ,拉致してカラオケBOXで指導を強要する。噂を聞いた多数の組員たちも指導を受けることになるが,音痴揃いの歌に聡美がつける評価コメントが的を射ていて,爆笑する。しぶしぶ付き合っていた聡美であったが,次第に成田との間に奇妙な友情が生まれる。ヤクザ間の抗争で成田が重傷を負って死亡したと知らされた聡美が,彼が好きだった「紅」(X JAPANの代表曲)を熱唱する姿に,組員一同が感動し,思わず涙する……。
 原作も人気コミックのようだが,やはり歌が入った実写映画ならではの物語だ。かつてノーブルで爽やかな青年役が得意であった綾野剛は,『新宿スワン』(15年6月号)の主演以来,裏社会の役柄が増え,『ヤクザと家族 The Family 』(21年1・2月号)は絶品だった。北村一輝,加藤雅也,橋本じゅん等も,ヤクザ役が似合う俳優揃いだが,いずれも本作ではコミカルな演技を見せていた。場末の歓楽街が廃れて行く描写の半面,合唱部内の微妙な人間関係も描き,見事な青春映画に仕上がっていた。

■『ニューヨーク・オールド・アパートメント』(1月12日公開)
 正真正銘,大都会のNYで暮す母子3人を描いた映画だが,古いアパートに住んでいるというので,豊かな生活ではなく,明るく楽しい映画でないと想像できた。不思議だったのは,使用言語が英語とスペイン語で,映画国籍がスイスであったことだ。母子の母国が南米ペルーだというので,スペイン語は理解できたが,なぜスイスなのか? 原作は,オランダ人作家アーノン・グランバーグが1997年に発表した小説「De heilige Antonio(聖なるアントニオ)」で,彼がNYのレストランで働いた経験から,メキシコ人母子を取り巻く移民たちを描いた物語のようだ。ドイツ語訳されたこの本を,スイス生まれで,NYに8年間滞在したマーク・ウィルキンスが読み,「アメリカン・ドリームの首都」に対する疑問を集約した物語として映画化を申し出たという。これが長編監督デビュー作で,彼が現在チューリッヒ在住のため,スイス映画扱いとなっているようだ。時代は現代に,主人公はペルーからの不法入国者に置き換えられているが,物語の骨格は同じである。
 前大統領の厳しい移民政策により,安定した生活を求めて母国ペルーを捨てた母子は不法入国せざるを得ず,NYの片隅で必死に生きていた。母ラファエラ(マガリ・ソリエル)はウェイトレスをしながら生計を立て,双子の兄弟ポールとテイト(アドリアーノ&マルチェロ・デュラン)は,昼は語学学校に通い,夜は自転車でフード配達をしていた。2人は学校で知り合ったクロアチア出身の美女クリスティンに一目惚れし,3人で過ごす時間に夢中になる。クリスティン自身は投獄中の恋人の保釈金を稼ぐため,夜は売春婦をしていた。
 一方,母ラファエラは,客であった自称小説家のスイス人男性との思いがけない恋に落ちる。詐欺師のような彼の口車に乗って,全財産と自宅を提供し,息子たちも巻き込んで,メキシコ料理ブリトーの宅配サービスを始める。それぞれの恋と生計は順調に思えたが,安易なビジネス計画はたちまち破綻し,思わぬトラブルから兄弟は逮捕され,強制送還の危機に遭遇する……。
 本物の双子の兄弟を起用し,彼らを誘惑するクリスティンは確かに美女で,夢中になるのも無理はないと感じさせる。住居は見事なまでのボロアパートだった。猥雑な街でもビジネス街でも交通を止めずに,そのまま街の中を撮影したという。この生々しさが,移民の目を通して見たNYの姿なのかと納得する。希望を抱いた彼らの純粋さや夢破れての現実は,大都会NYの表と裏だと訴えている。少しやるせない想いで観ていたが,故郷ペルーの山と湖やそこで流れる音楽が美しく,心が和んだ。最後にほっとするいい映画だ。 欧州期待の新鋭監督とのことなので,次はどんな映画を撮るのか期待したい。

■『弟は僕のヒーロー』(1月12日公開)
 今月前半の最後は,実話を基にしたイタリア製のヒューマンドラマである。事の起こりは,2015年にYouTubeに投稿されたショートムービー『ザ・シンプル・インタビュー』で,イタリア在住の高校生がダウン症の弟と一緒に撮った5分半の映像であった。これが大反響を呼び,翌年投稿者の兄ジャコモ・マッツァリオールが青春小説「Mio fratello rincorre i dinosauri」(直訳は「僕の弟は恐竜を追いかける」)を発表して,世界的ベストセラーとなった。その邦訳本の題名が「弟は僕のヒーロー」(訳:関口英子,装画:ヨシタケシンスケ,発行:小学館)だ。監督は米国留学経験のあるイタリア人のステファノ・チパーニで,彼の場合もこれが長編デビュー作である。
 舞台は北イタリアの小さな村で,3人姉弟の末っ子のジャックはもうすぐ弟が生まれると聞いて大喜びだった。出産は無事だったが,父母は生まれた子供はダウン症で知的障害や心臓疾患の可能性が高いと知らされ,ショックを受ける。「弟は特別な子供だよ」と聞かされたジャックは「特殊能力をもったスーパーヒーローに違いない」と確信し,率先して世話を焼き,仲良く一緒に成長する。ところが「特別」の意味を知り,世話に疲れたジャックは,村を離れ,町の高校に通う選択をする。そこで見初めた女生徒アリアンナに夢中になり,兄弟のことを尋ねられた時,「弟は死んだ」と嘘をついてしまった。その嘘が新たな嘘を呼び,取り返しのつかない事件を起こしてしまう。家族の怒りを招き,アリアンナには軽蔑され,ジャックは学校での居場所を失うことになるが…。
 彼女の前で背伸びしたくなる思春期の少年の心情は理解できるし,小さな嘘がどんどん大きくなることは誰もが心すべき教訓である。窮地のジャックを救うのが弟のジョーだというのが大きな救いであり,実話であるゆえに心に沁みる。家族の結束,特に父母の深い愛情を描くヒューマンドラマはイタリア映画の得意とするところだ。学園生活の描写も生き生きとしていて,特にマリオやスーパーマンも登場する謝肉祭のコスプレは楽しかった。
 その半面,途中で気になったのは,本物のダウン症の子供を登場させていたことだった。リアリティを重んじたにせよ,こうした起用は無用な誤解を生み,障害者に対する接し方にも悪影響を及ぼすのではないかと…。映画を見終わって,日本ダウン症協会代表理事の解説文中で「自己決定支援」という言葉を目にして,筆者の考えが間違っていると感じた。オーディションへの応募が出演した少年の意思によるものなら,ジョー役を勝ち取ったことは彼の人生での大きな勲章であり,映画出演は素晴らしい体験だったに違いない。そして,同病の仲間にとっても励みになるはずだと思い直した。

(1 月後半の公開作品は Part 2に掲載しています)

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