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O plus E誌 2015年11月号掲載
 
その他の作品の短評
  (注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています。)  
   
   『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』:衝撃の女性写真家の実像に迫る,異色のドキュメンタリー映画だ。著名なデザイナー,写真家,音楽家を描いた作品は数多く,当欄でもしばしば取り上げている。その成功要因は,人物が個性的か,作品が凄いか,映画の構成が優れているかの何れかである。本作の場合,対象が頗る個性的だ。既に故人だが,15万点もの作品がありながら,生前に発表されたものはなく,すべて没後に発見されている。プロの写真家ではなく,全く無名のナニー(乳母)が本職で,趣味で個性的な写真を撮り続けたらしい。なるほど,素晴らしい視点の写真揃いだが,彼女の実像を追う本作も,まるでミステリー作品のように魅力的だ。雇用者や知人の目から見たヴィヴィアン・マイヤーは毀誉褒貶が半ばするが,彼女がレンズを通して見た世界は,彼女の観察眼の鋭さを物語っている。
 『ヒトラー暗殺,13分の誤算』:前号で紹介した『顔のないヒトラーたち』と同様,実話がベースで,ドイツ人自身が作った映画だ。ただし,舞台となる時代はだいぶ違っていて,1939年,ナチスが勢力を伸ばし始めた時代の出来事だ。アドルフ・ヒトラーの暗殺未遂事件で,平凡な一市民の正義感による爆破事件であった。純粋な単独犯だが,黒幕の存在を信じるナチスは彼を拷問にかけ,共犯者名を聞き出そうとする……。題名からはサスペンス・ドラマを想像してしまうが,実態はだいぶ違う。爆破事件は早々に起こり,わずか13分の差で,演説を早めに終えたヒトラーは難を逃れる。後は,拷問シーンと回顧シーンの往復だ。独裁政権の恐ろしさを描くことに専念していて,時代考証もしっかりしていて,当時を再現した映像がリアリティを高めている。この暗殺が成功していたら,世界はどう変わっていただろうと,誰もが想像するに違いない。
 『マジック・マイクXXL』:もう驚かなかった。男性ストリッパーの世界は前作『マジック・マイク』(12)で経験済みだったので,素直にこの続編に入って行けた。劇中でも3年後に,主人公のマイク(チャニング・テイタム)が戻ってくる設定になっている。ただし,監督は社会派のS・ソダーバーグからG・ジェイコブズに代わり,クラブの経営者役だったM・マコノヒーは登場しない。「究極の女子会映画」というが,本当に日本の女性観客がこの映画を観に行くのだろうか? むしろ男性ストリッパー達の仲間意識が見どころで,実に男臭い映画だ。セックスアピールは強烈だが,さほどエロではなく,全く下品ではない。肉体的魅力と現実離れした想定が,そう感じさせるのだろうか? ダンスシーンは前作に劣らず鮮烈だ。曲とも見事に一致している。コンテストの最後を飾る各演技は,ただただ圧巻だった。
 『ヴィジット』:もう何度も彼の作品はゴメンだと思いながら,「M・ナイト・シャマラン監督からの挑戦状」とのキャッチコピーに心が揺らいだ。監督自身が予告編に登場し「あなたは既にダマされている」と語る宣伝上手にも乗せられてしまった。前にも同じ題の映画があったと思ったが,それは『ヴィレッジ』(04)だった。あまりの凡作だったので,当欄では紹介すらしていない。それが,5年ぶりの監督作品で,7年ぶりの「スリラー映画への原点回帰」と言われると,大ヒット作『シックス・センス』(99) 並みの驚愕の結末を期待してしまう。実際は,一時期の駄作ほどではないにせよ,やはりさほどの作品ではなかった。休暇を母方の祖父母の家で過ごす姉弟が遭遇した恐怖体験を描いているが,大体手の内は読めるので,大きなサプライズはなかった。手持ちカメラの映像は煩わしかったが,それは中盤で慣れてしまい,ホラー映画としては結構楽しめる。この人は自ら監督せず,脚本だけ書いている方がいいと思う。
 『アクトレス~女たちの舞台~』:オスカー女優(ジュリエット・ビノシュ)が,当代の若手人気女優2人(クリステン・スチュワート,クロエ・グレース・モレッツ)を従えての演技合戦というので,この豪華な組み合わせに惹かれた。役柄上も,ベテラン女優とそのマネージャー,若い奔放な新進女優の三つ巴である。いやいや,世代的に1対2の対戦の様相だが,女優として,雇用主として応戦する姿が印象的だった。ただし,存在感では,マネージャー役のC・スチュワートが一番光っていた。クロエちゃんも,面白い役柄を卒なくこなしていた。映画業界の内幕ものとしては面白いが,別の終わり方でも良かったかなと感じた。
 『1001グラム ハカリしれない愛のこと』: ノルウェー映画で,主人公は国立計量研究所勤務の女性研究員だ。結婚生活の破綻,「キログラム原器」を抱えて出席した国際セミナー,敬愛する父親の死,パリで出会った男性との出会いと恋の芽生え……。彼女が短期間に遭遇する人生の変化を淡々としたタッチで描いている。金髪の女性,シンプルで洒落た家具,いかにも北欧調の清々しさと,暖かみのあるパリの街のバランスが好い。セリフもノルウェー語,英語,フランス語が混ざり合う。「キログラム原器」の形状や計量研の実験装置など,理系としては大いに勉強になった。上映時間は91分で,上品で淡泊な描写にやや物足りなさを感じるが,怒鳴り合うだけの邦画よりはずっと好い。ただし,この副題はピンと来ない。計量になぞらえたのだろうが,彼女の恋の行方は容易に推し量ることができる。
 『グラスホッパー』:140万部を誇る伊坂幸太郎作のベストセラー小説の映画化というので,監督の瀧本智行も気合いが入り過ぎたのだろうか。主演は生田斗真,助演陣も浅野忠信,山田涼介,麻生久美子,吉岡秀隆,石橋蓮司等の多彩なキャストで,かなり期待したのだが,凡庸な出来映えだった。悪質な事件で婚約者を失った中学校教師が,復讐のため,裏組織に潜入する物語だが,緊迫感と大作感の両方を追い求め,バランスが悪くなっている。各俳優はそれぞれの味を出しているが,脚本が感心しない。原作は草食系の主人公と2人の殺し屋の3人の物語が並行して進展するが,これを崩した結果,柱が曖昧になってしまった。裏社会を象徴した陰影の強い映像は汚いし,仰々しい音楽もマッチしていない。相変わらず,野卑な言葉を大声で発するだけの邦画の演出には辟易する。伊坂作品らしく,最後にミニ・サプライズがあるが,ミニ止まりに留まっている。
 『サヨナラの代わりに』:35歳で難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症し,余命僅かになった女性(ヒラリー・スワンク)と,介護人として雇った女子大生の交流を描くハートフル・ドラマだ。奔放な女子大生役は,『オペラ座の怪人』(05年2月号)のエミー・ロッサム。久々に出演作を観たが,酷いアバズレ女子大生役は,可憐なクリスティーナとは全くイメージが違った。こんな役柄は似合わない。ところが,物語の進行とともに,次第に清楚で素直な女性に様変わりする。そう,これでこそ彼女の本来の持ち味だ。もっと沢山の作品に出て欲しい。お涙頂戴もので,間違いなく泣けるが,物語の起伏が少なく,映画としては少し素直過ぎる。
 『コードネームU.N.C.L.E.』:1960年代に人気を博したTVシリーズ「0011ナポレオン・ソロ」の再映画化作品である。時代は冷戦下の1963年で,東西ベルリンを舞台に物語は始まる。当時毎週観ていた筆者らにとって,ソロ(ヘンリー・カビル)もイリヤ(アーミー・ハマー)も,全くイメージが合わない。とりわけ,イリヤがこんな大男とは!? 欧米のファンも,そう感じたはずだ。風貌だけでなく,日本語吹替の矢島正明と野沢那智の軽妙なやり取りがないのが淋しい。そうした不満を感じながら進行するうちに,次第にこのコンビもなかなかいいな,と感じ始める。何かに似ていると思ったら,同じガイ・リッチー監督作の『シャーロック・ホームズ』シリーズのホームズとワトソン博士だった。時代は違えど,映画の語り口とコンビの描き方が似ているのだろう。徹底してハイテクなしで,せいぜい盗聴器しか登場しないが,それでいて本格的スパイ・アクション映画だ。初期の007映画を思い出す。美女が出て来るのが嬉しい。シリーズ化するつもりなら,大賛成だ。
 『ローマに消えた男』:主演は『グレート・ビューティ/追憶のローマ』(13)のトニ・セルヴィッロ。このオスカー受賞作は少し難解だったが,本作はスカッと分かりやすい。政治家で支持率低下に悩む野党の書記長と双子の兄弟(哲学の教授)の二役で,対照的な2人を演じ分けるのがウリである。しばしば双子というのはずるい設定だと思うが,本作の「替え玉作戦」は実に愉快だった。半狂人の演説が,国民の圧倒的支持を得るというのは,まさにブラックユーモアだ。1つ間違えばドタバタ喜劇なのに,シニカルなコメディに仕上がっているのは,ピアノやストリング中心の音楽が上品だからだろう。この物語の結末は,途中まで全く読めなかった。終盤,誰もが想像できる結末に向けて一直線かと思いきや……。さあ,側近のアンドレア(ヴァレリオ・マスタンドレア)と共に,彼はどちらか,よーく観察しよう!
 『FOUJITA』:戦前フランスを中心に活躍した画家・藤田嗣治の半生を描く伝記映画だ。監督は,寡作で,これが10年ぶりの作品となる小栗康平。この監督の映画をスクリーンで観るのは初めてだったが,かなり個性的な映像作りであることは知っていたので,覚悟して臨んだ。その覚悟にも拘らず,余りの退屈さに何度も睡魔に襲われた。ロングショット多用で,カメラワークを使わない監督だが,日本を舞台にした後半はそれが極端過ぎる。登場人物の表情は見えず,話し手も判別出来ない。強い美意識は感じるが,観客無視と言わざるを得ない。常識に捕らわれない作風が強い自己主張であるとしても,「藤田嗣治」という好素材を,こんな独善的な解釈で描いていいのか? 中身の濃い伝記ドラマを期待したゆえに,この無法ぶりは残念だ。久々に「評点なし」で済ませようかと思ったが,国際的評価が高い監督であることを知りつつ,敢えて最低点のにした。
 『ラスト・ナイツ』: 『GOEMON』(09)は,戦国時代の三英傑と石川五右衛門が登場するが,国籍不明の映像だった。その紀里谷和明監督が,今度は一層の国際化を目論んだ。ハリウッド俳優を起用,ロケはチェコで行い,韓国チームがアクションとVFXを担当している。時代は中世,舞台は欧州のどこかだが,中身は「忠臣蔵」で,賄賂要求に屈しなかった不器用な領主の遺恨を家臣達が晴らす物語である。何となく,浅野内匠頭=志村喬,大石内蔵助=三船敏郎,吉良上野介=仲代達矢で見ているかのような感じがした。映像的にも音響的にも国際水準なのに,なぜか洋画らしい香りがしない。英語のセリフは分かりやすいが,リズム感がなく平板だ。多分,日本語で考えたセリフを直訳したためだろう。サザンやユーミンの曲を外人歌手が歌っているかのようだ。唯一の日本人俳優・伊原剛志が好演だった。それならいっそ,クライヴ・オーウェン主演でなく,役所広司を起用し,日本語映画にした方が好かったのにと思う。
 『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲』:キャッチコピー中の前半「少女と犬の友情,そして人類最愛の友から…」だけを読んで,てっきり心温まる動物物語だと思い込んで観てしまった。冒頭2分足らずで,そんな生易しい映画ではないと感じた。副題中の「狂詩曲」に気付くべきだった。劇中で流れる「ハンガリー狂詩曲」から取られたのだろうが,本作には「狂詩曲」なる言葉が相応しい。捨てられ,心ない人間の仕打ちに憤りを感じた一匹の犬が,保護施設の約250匹の犬たちを率いて反乱を起こす物語だ。まさに犬版の『猿の惑星』で,主役犬のハーゲンはシーザーを彷彿とさせる。あちらはCGで描いた猿だが,こちらは本物の犬であり,そのトレーニングの見事さに感心する。とりわけラストシーンの犬たちの姿が印象深い。カンヌ国際映画祭の「ある視点」部門グランプリを得た上に,特別に「パルムドッグ賞」が与えられたのも当然だと思う。
 
   
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