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O plus E 2019年Webページ専用記事#5
 
その他の作品の短評
  (注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています。)  
   
   『スペシャルアクターズ』:キャッチコピーは「この映画,予測不能」だった。「そこまで大見得をはるほどの映画か?」というのが,最初の印象だった。「松竹ブロードキャスティングオリジナル映画プロジェクト」の7作目だという。俳優発掘が目的という志には賛辞を送るが,所詮は低予算映画で,無名俳優ばかりだろうという思いがあった。ところが,社会現象ともなった,あの大ヒット作『カメラを止めるな!』(18)の上田慎一郎監督の長編映画第2作と聞いただけで,俄然,興味は倍加,いや10倍以上になった。それにしては,題名が少し地味な気もした。「Special Actors」とは,劇中で登場する俳優事務所の名前である。売れない俳優たちを集め,依頼者からの要望に応じて「芝居」で問題解決を図る「何でも屋」という設定である。本作は1,500通の応募から先に15人が選ばれていて,後から彼らに合った脚本を書く制作方法だったというから,なるほど上手い設定で,納得が行く。主人公の大野和人(大澤数人)は,正しく冴えない俳優で,高度に緊張すると気絶するという持病の持ち主である。弟に誘われてこの演技集団に参加するが,そこで依頼されたのはカルト集団の正体を暴き,詐欺行為を摘発するという一件だった……。「予測不能」というが,全編の1/3くらいで結末は想像できた。本格ミステリーやコンゲーム映画のファンなら,仕掛けを見破るのはさほど難しくない。そんなことは気にしない純朴な観客が素直に物語を追えば,かなり楽しめる映画である。いや,結末を予測できた筆者も,しばしそのことを忘れて物語展開に没頭した。やはり,この監督は脚本も演出も上手い。各俳優の個性を見事に引き出している。願わくば,『カメ止め』と同様,主要登場人物(例えば,旅館の女将や俳優事務所の社長など)の性格づけをもっと描いて欲しかったところだが,15人ともなるとそれは難しかったのかと思う。監督は,2作目のプレッシャーから,本作の脚本執筆にかなり苦悩し,この映画は難産だったようだ。丁度,サザンオールスターズ(SAS)の鮮烈なデビュー曲「勝手にシンドバット」に対して,2作目「気分しだいでせめないで」のような出来映えだという。筆者には,M・ナイト・シャマラン監督の『シックス・センス』(99年11月号)の後の『アンブレイカブル』(01年2月号)のような関係だと感じた。大ヒット後の2作目ゆえに大きな期待を背負い,類似パターンを踏襲したものの,前作を超えることはなかった。それでも,単独で観たら結構面白く,80点くらいの出来映えだったという訳である。ただし,上田監督には,シャマラン監督のように期待外れの連続になって欲しくない。SASの第3弾「いとしのエリー」のように再ブレイクして,今後もずっと一癖あるスター監督であって欲しい。
 『CLIMAX クライマックス』:酒とドラッグでトランス状態になったダンサーたちの狂乱の一夜を描いた映画で,カンヌ国際映画祭の芸術映画賞受賞作だという。それだけで,筆者の好みとは合わず,当欄では異色の存在だと分かるだろう。監督・脚本は,とかく物議を醸し出す問題作を放ってきたフランスの奇才ギャスパー・ノエというから尚更だ。加えて,「『カノン』(98)を蔑み,『アレックス』(02)を嫌悪し,『エンター・ザ・ボイド』(09)を忌み嫌い,『LOVE 3D』(15)を罵った君たち,今度は『CLIMAX』を試しに観てほしい」と煽る監督の弁が付されていた。ここまで言われると,ある種の怖いもの(?)見たさで,トライすることにした。キノフィルムズ配給の洋画はレベルが高く,外れが少ないことも,敢えて時間と紙幅を割く気になった一因である。時代は1966年のある夜,著名な振付家の呼びかけで選ばれた22人のダンサーたちが,人里離れた廃虚に集合し,米国公演のための最終仕上げを行なっていたという舞台設定だ。映画の冒頭はドキュメンタリータッチだった。振付家がダンサー個々人にインタビューするシーンから始まり,激しいリハーサル後に打上げパーティが始まる。長回し約10分間のダンスシーンの大半はアドリブだという。振付家セルヴァ役の女優ソフィア・ブテラで,ダンサー22人は演技の素人だと聞けば,この演出も頷ける。ところが,誰かがサングリアに大量のLSDを入れたことから,ほぼ全員が酩酊した狂乱状態になり,犯人探しが始まる……。兄妹の近親相姦,妊婦の自傷行為,子供の感電死等々,さながら地獄絵図である。なるほど噂の監督ならではの演出で,奇妙な魅力に溢れている。実話に基づく物語だというが,本当か? マスコミ試写がなかったので,本作はサンプルDVDで観た。暗く小さな試写室で,大音響のダンス音楽が流れる中で観たなら,ある種の催眠状態になり,隣の観客に抱きついていたかも知れない。映画が終わった時,皆どんな顔をしていたかを確認したかった。入場料を払って映画館で観る場合も,その楽しみはあると言っておこう。
 『最初の晩餐』:「最後の晩餐」なら誰でも知っているが,「最初の…」は何だろうと気になった。出演者は,染谷将太,戸田恵梨香,窪塚洋介,斉藤由貴,永瀬正敏と,豪華キャスティングで,魅力的な顔ぶれだった。別項の『ひとよ』と同じく家族もので,比べたくなる一作である。あちらは15年ぶりに母親が帰ってきて,15年前の一夜の出来事が順次明らかにされる。こちらは,父親の通夜から翌日の火葬までの1日で,15年前に家を出た長男がいきなり帰ってくる。ただし,こちらの家族は再婚者同士と2+1の連れ子3人の計5人で,血の繋がりのない家族の物語である。この家族が最初の顔合わせで囲む食卓が,題名の由来だった。そこから,食事シーンが頻出し,5年間の家族の想い出が,通夜の席で次々と語られる。監督・脚本・編集は,CM,MV畑出身の常盤司郎。これが初の長編監督作品だという。出演陣の演技力で何とか持たせているが,ずばり言って,脚本も演出も未熟だ。4人家族になってからの生活は何も語られない。この程度の演出で,このテーマを観客に理解しろ,感情移入しろと強いるには無理がある。 それに加えて,録音レベルが低く,台詞の大半が聴き取りにくい。音楽や効果音に負けている。ただし,長年温めていたネタを,丁寧に描いている感じは伝わって来たので,次回作以降に期待しよう。
 『グレタ GRETA』:「グレタ」というのが,女性主人公の名前というのは容易に想像できた。最近のニュースで,スウェーデンの16歳の女性活動家グレタ・トゥーンベリ嬢が再三報道されていたので,地球温暖化阻止を訴える彼女の活動を描いているのかと思ったが,全く違っていた。フランスのベテラン女優イザベル・ユペールとハリウッドの人気女優クロエ・グレース・モレッツのダブル主演によるサイコ・スリラーだという。グレタは若い女性ではなく,I・ユペール演じる初老の未亡人だった。オスカー・ノミネートされた『エル ELLE』(17年9月号)を模して,英字表記も付したのだろう。彼女は若いウエイトレスのフランシスに想いを寄せ,ストーカー行為を働く。それだけのことなのに,この映画の前半は怖かった。洋風ホラー映画などびくともしない筆者でも,かなり震え上がった。『死霊館』シリーズや『IT/イット』前後編よりもずっと怖い。『エル ELLE』の怪演も印象的だったが,本作では顔を見るだけでも怖い。一方のクロエちゃんは,筆者お気に入りのエンジェル3人の1人だが,少し見ない内に随分顔がふっくらした。その分,天然で,少しトロそうな独身女性役がよく似合う。精神異常の女性ストーカーという,いかにもありそうな設定がリアルだったが,中盤以降,意外な展開となり,結構楽しめた。監督・脚本は,『クライング・ゲーム』(92)『マイケル・コリンズ』(96)のニール・ジョーダン。ベテラン監督が肩の力を抜いて撮ったという感じで,ラストのひねりも乙な味だ。
 『国家が破産する日』:韓国映画で,1997年に起きた通貨危機に瀕しての政治的対応の裏側を描いている。最近の日韓政治状況報道の中で,日本と米国が「通貨スワップ協定」で危機を救った話が再三出て来るが,本作では日本の話題は出ない(敢えて出したくないのか?)。解決策はIMF支援を受けるかどうかだけに絞られている。登場人物の設定はフィクションだろうが,社会情勢,経済環境は正確に描いていると思われる。「漢江の奇跡」以来,緩み切っていた韓国人の経済感覚の描写は,日本のバブル崩壊前夜を思い出す。リーマンショックの経済危機分析なら,ドキュメンタリーの『インサイド・ジョブ 世界不況の知られざる真実』(11年6月号),危機の裏側で大儲けする連中がいるのは『マネー・ショート 華麗なる大逆転』(16年3月号)があったが,映画としての印象は違う。テーマは違うが,女性が主役という点で『女神の見えざる手』(17年11月号)のジェシカ・チャステインを思い出した。本作の主演は,韓国銀行の通貨対策チームのリーダー役のキム・ヘス。凛々しい美女のキャリア・ウーマンで,カッコいい。既に50歳近いはずだが,若く見える。硬派一辺倒の社会派映画で,117分が短く感じるハイテンポの心地よい展開だ。ラブロマンスの1つも絡ませるのかと思ったが,なくて正解だった。交渉相手のIMF専務理事役に,仏人男優のヴァンサン・カッセル。韓国映画初出演だが,劇中では英語で話している。韓国政府に厳しい救済条件を突きつけるのに,こういう悪人面はよく似合う。彼の存在で,この映画が一気に引き締まった。
 『残された者 北の極地』:観るのがつらいが,痺れる映画だ。原題はシンプルな『Arctic』で,北極圏に墜落した飛行機で,たった1人生き残った男が,酷寒の地で,救出を待つ過酷なサバイバル生活の物語である。場所は特定されていないが,アイスランド映画で,同国で19日間のロケを行なっているから,墜落地もアイスランド内の山岳地帯を想定しているのだろう。撮影2日前に,同地では過去50年間で最大の降雪を記録したというから,その中での撮影は,俳優もスタッフも相当な難行だったと想像される。監督・脚本のジョー・ペナがブラジル出身というのが興味深い。零下30度で豪雪の中,よく途中で投げ出さなかったものだ。ほぼ1人でこの映画を演じ切る主演俳優は,「北欧の至宝」デンマークの名優マッツ・ミケルセン。彼の主演作というだけで観たくなる,存在感のある男優だ。『007/カジノ・ロワイヤル』(07年1月号)では敵役を演じ, 『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』(17年1月号)にも脇役で登場しているが,やはり困難に堪え忍ぶ,渋い主人公の方がよく似合う。本作の実質的な出演者はたった2人で(他は遠くに見える捜索隊員2人と墜落による死体だけ),台詞も極端に少ない映画だ。救援に来たヘリが突風で墜落し,パイロットは即死し,同乗者のアジア人女性が重傷を負う。彼女を橇に乗せて,未踏の観測基地を目指すが,言葉は通じず,彼女の容体も芳しくないので,主人公が独り言のように語りかける言葉だけだ。さぞかし,字幕翻訳家は楽な仕事だったことだろう。それゆえ,美しい自然風景をバックにした,M・ミケルセンの珠玉の演技が光る。なるほど「北欧の宝石」と言われるだけのことはある。思いがけず,一瞬登場して,すぐエンドロールに移るエンディング・シーンが絶妙だった。
 『ひとよ』:「劇団KAKUTA」が2011年に初演した舞台劇の映画化で,子供たちのためにDVの夫を殺害した母親が,15年後に帰宅して再会を果たすヒューマンドラマである。「人よ」かと思ったら,小さな字で「一夜」と添えられていた。いやいや,映画の途中で,三兄妹と母親,彼らを取り巻くタクシー会社従業員の濃厚な物語は,やはり「人よ」も掛けた題名だと分かる。監督は,『凶悪』(13)『孤狼の血』(18)の白石和彌。この数年の活躍が目覚ましい売れっ子監督だが,『彼女がその名を知らない鳥たち』(17年11月号)『凪待ち』(19年Web専用#3)での演出力に感心しつつも,『日本で一番悪い奴ら』(16)『麻雀放浪記2020』(19)は好きになれなかった。かく左様に,評者の評価は1作毎に乱高下していたのだが,本作でノックアウトされた。間違いなく,本年度の邦画のベスト1であり,この監督のベスト作品だろう。確かな人間描写力だけでなく,何気ない細部の演出力に感服した。例えば,長男・大樹が母親と再会した食事の場でタブレット端末をいじくるシーン,シングルファザーの運転手・堂下が息子と行った焼肉屋で肉を焼くシーン等々である。キャスティングが素晴らしい。長兄・鈴木亮平,次兄・佐藤健,末娘・松岡茉優が三兄妹で,殺人犯の母親に田中裕子を配している。助演陣の佐々木蔵之介,音尾琢真,筒井真理子,韓英恵も魅力的だ。その全員の個性を活かした演技を引き出している。クレジットの筆頭は,フリーライターの次男・雄二を演じる佐藤健だが,少し崩れた汚れ役だ。終始無精ヒゲで登場し,クライマックスの波止場での格闘シーンでは,真田広之に見えてしまった。家族が絆を取り戻す物語の結末は,『凪待ち』と同様,心が洗われる思いだ。ただし,ラストのタクシー運転手は佐々木蔵之介であって欲しかったところだ。台詞はなくても,目と目で微笑み合うだけでも良かったから……。
 『地獄少女』:「午前0時にのみ出現するサイト<地獄通信>にアクセスし,怨みを抱く相手の名前を入力すると,<地獄少女>が地獄送りにしてくれる」という。こんなテーマの原作は,てっきり安手の青年コミックだろうと思ったが,少し違っていた。元は2005年に放映開始されたオリジナルテレビアニメで,漫画化の方が後らしい。基本コンセプトは,時代劇の『必殺シリーズ』だと言うが,当然,比べてみたくなるのは『デスノート』シリーズだ。監督・脚本は,『ノロイ』(05)『不能犯』(18年2月号)の白石晃士。そう言えば,『不能犯』は電話ボックス内に名前を残して殺人依頼する設定だったから,同工異曲だ。安手のCG/VFXで押しまくるのも,徹底したB級感覚であるのも似ている。いや,冒頭から悪趣味の怪奇映画風で,CGの分量はもっと多い。『不能犯』は,まだしも松坂桃李と沢尻エリカのW主演がウリであったが,本作にはそれもない。登場人物全員演技はド下手で,セリフは棒読みで,まるで学芸会だ。さすがにここまで来ると,これは意図的な演出かと思われる。下手クソな絵の空虚なコミック,チープ感漂うセリフのアニメの観客層を前提として,そのテイスト通りに描くとこうなるのだろう。その意味では,妙にバランスは取れている気がした。全く肩が凝らない,この種の映画を好む若者がいるなら,それでもいいじゃないかと思ったが,この映画の直後に上述の『ひとよ』を観たら,あまりの品質の違い,映画人としての志の違いに愕然とした。同姓の「白石」監督でも,こうも違うのかと……。原作の主人公である地獄少女・閻魔あいは玉城ティナが演じているが,実質の主演は女子高生・美保を演じた森七菜である。別項の『最初の晩餐』では,戸田恵梨香の少女時代を演じていた。素朴で可愛い女子高生役がよく似合っていて,本作での唯一の収穫は彼女の存在であった。
 『オーバー・エベレスト 陰謀の氷壁』:日中共同製作の山岳スペクタクル映画だ。プロデューサーは,ジョン・ウー監督作品の『フェイス/オフ』(98) 『M:I-2』(00年7月号) 『レッドクリフ』シリーズ(08 & 09)を手がけたテレンス・チャン(張家振)で,監督・脚本にこれが長編初監督となるユー・フェイ,主演に我らが役所広司を起用している。共演は『唐山大地震―想い続けた32年―』(11年4月号)で主演した中国人女優のチャン・ジンチュー(張静初)で,むしろ彼女が実質的な主演だとも言える。2人はヒマラヤ救助隊「Wings」の隊長と見習い隊員という役柄である。ヒマラヤ地域の平和のために周辺国家が条約を締結する国際会議の直前,一機のジェット機がエベレスト山頂近くの通称デスゾーンに墜落する。タイムリミット48時間のサスペンスというから,悪天候の中の決死の救出劇を想像したのだが,物語は全く違っていた。その機内には,平和条約締結に不都合な機密文書が残されていて,インドの特別捜査官を名乗る2人からWingsチームがその回収依頼を受けるという設定で,陰謀渦巻くアクション劇だった。大作ではあるが,この映画は色々な所でバランスが悪い。まず,役所広司は純粋日本人でなく,日系人という設定だが,何で彼がヒマラヤで働いているのかと感じてしまう。マスコミ試写は日本語吹替版で上映されていたが,前半はこの吹替が絶悪だった。元は何語のセリフだったのだろう? 中国語,インド語,どう見ても西洋人に見える悪人達は英語? 『唐山大地震』の時にも書いたのだが,吹替の台詞担当者も吹替声優たちも,英語からの吹替に慣れ過ぎているためか,どうにも不自然な会話で,物語に入り込めない。役所広司の吹替は本人の声だが,リップシンクが取れていないので,不自然さが残る。映像もしかりだった。本物のエベレストの山頂の映像の他,カナダ・ロケしたという雪山の雄大なシーンと,小さめのセットでの演技(当然,背景はクロマキー合成)がアンバランスで,全体が嘘っぽく感じてしまう。戦いの中で傷ついた者たちが,平気でエベレスト山頂まで登頂できるのも不思議だ。こうした悪漢たちの悪企みのサスペンスを描くなら,何も舞台はヒマラヤでなくてもいい。結構な大作なのに,無意味なところに製作費をかけ過ぎと感じてしまう。俳優陣の演技は悪くないのに,惜しい!
 『ベル・カント~とらわれのアリア~』:役所広司に続いては,我が国が誇る国際派俳優・渡辺謙が,ジュリアン・ムーアと共演するアメリカ映画である。もう1人,日本人では加瀬亮も出演しているが,本作は日本語吹替ではなかった。あくまで原語ベースでの上映だが,日本人俳優が日本語で話す場面は,字幕もなく,日本語のままである。渡辺謙が演じるのは,南米への工場進出を計画する実業家ホソカワ役で,一方のジュリアン・ムーアは,国際的なソプラノ歌手ロクサーヌ・コスを演じる。南米某国の副大統領邸で,地元名士や各国大使を招き,彼女が歌うサロンコンサートが開かれていたが,そこに過激派テロリストが乱入し,多数の人質をとって立て籠る。テロリストと人質の間に芽生えた信頼関係や心の交流を描いた同名小説の映画化作品で,国名は明示されていないが,大統領の姓が日本名であることから,これが1994年に起きたペルー大使館公邸占拠事件であることはすぐ分かる。となると,途中がどのように進展しても,結末は武力突入で,テロリスト達は全員射殺されることが分かってしまう。問題は,映画として,「リマ症候群」と呼ばれる心の交流部分をどう描くかだ。全体的な印象は,最近紹介した『エンテベ空港の7日間』(19年9・10月号)にかなり似ていた。同作が世界的なダンス集団のダンスシーンを随所に織り交ぜていたのに対して,本作の潤いはオペラ歌手の歌唱だ。歌唱部分は実際のオペラ歌手ルネ・フレミングが吹替えていたが,コスなる歌手の仕草や歌唱のポーズは,J・ムーアのイメージに合っていた。一方,彼女を敬愛するホソカワが日本語しか話せないという設定は,英語もこなせる渡辺謙には少し役不足だった。言葉が通じなくても愛は交わせるという関係にしたかったからだろうか。「ベル・カント」とはオペラの唱法だが,劇中でこの言葉は出てこない。元は単に「美しい声」の意味であることは,今回初めて知った。通常は「ベルカント唱法」として使われているが,わざわざ「・」を入れたのは,あえて元の意味を強調したかったからだろうか?
 『影踏み』:原作は,新聞記者出身の社会派ミステリー作家の横山秀夫の連作小説だ。テーマは一卵性双生児の苦悩で,もう1人の影を引きずって生きていることを意味している。映画化された『半落ち』(04)『クライマーズ・ハイ』(08年7月号)『64-ロクヨン-』(16)等が,いずれも力作であったので,本作にも期待した。監督は篠原哲雄で,主演はシンガーソングライターの山崎まさよし。映画デビュー作の『月とキャベツ』(96)以来の23年ぶりのタッグとのことだ。当欄で紹介した『8月のクリスマス』(05年9月号) でも,俳優としての才能があるなと感じたが,それ以来,14年ぶりの主演作である。彼が演じる主人公の真壁修一は,凄腕の「ノビ師」(住宅忍び込み専門の窃盗犯)だったが,ある夜,県会議員宅に侵入し,放火殺人未遂を目撃したところを,同級生の刑事に逮捕される。刑期2年間を終えて出所した日から物語は始まる。事件の発端となった女性をめぐる殺人事件の謎を探る展開と,彼自身の過去を小出しに見せる演出で,先が読めないミステリーに仕立ている。ヒロインは尾野真千子で,原作よりも出番は多く,20年越しのラブストーリーも鏤めて,物語の深味が増している。連作を換骨奪胎させ,かなり脚色した巧みな脚本だ。原作を知らない方が楽しめると思う。映画ならではの可視化を利用し,観客をも幻惑する。願わくば,弟分の啓二役は北村匠海ではなく,山崎まさよし似の若手俳優を起用して欲しかったところだ。
 『小さい魔女とワルプルギスの夜』:全くの童話の世界だ。原作は,ドイツの児童文学作家オトフリート・プロイスラーが著した「小さい魔女」で,これが初の映画化だそうだ。筆者は全く知らなかった作家と作品だが,世界中で47の言語で翻訳され,邦訳は1965年に「新しい世界の童話シリーズ」の1巻として刊行されているので,それなりに知られた作品のようだ。主人公は「小さい魔女」と呼ばれているだけで,名前はない。小さいと言っても,ホビットやドワーフのような小人ではなく,魔女の世界ではまだ若く,半人前の存在というだけである。とは言っても,既に127歳,見かけは人間なら20代前半の若い女性である。演じるのは,ドイツ人女優のカロリーネ・ヘルフルト。日本語吹替版で観たのだが,口調も含めて,フリーアナウンサーの宮島咲良(BS11競馬中継のキャスター)に感じが似ている。森の中の木製の小屋に住み,相棒はカラスのアブラクサスだ。魔女たちのお祭りである「ワルプルギスの夜」に招待され,そこで踊ることを夢見ているが,まだ若いため招待されない。諦め切れずにこっそり忍び込んだところ,大目玉を食い,一番偉い「大きい魔女」から,1年後までに「良い魔女」のテストに合格したら,正式の招待者にするという約束を取り付ける……,といった筋立てである。予告編では,彼女が魔法の箒に乗って空を飛び,カラスが言葉を話していたので,てっきりCG大作かと思ったが,大外れだった。『ハリー・ポッター』シリーズや『マレフィセント』シリーズのような大作感がないだけでなく,そもそもCGは殆ど使われていない。空飛ぶ箒のシーンは,ワイヤー吊りで背景は単純な合成だろう。カラスはアニマトロニクスで,リモコン操作で表情を変えていると思われる。それならそれで,これだけ多くの登場場面を乗り切るのは大したものだ。他の動物も一部だけパペットで,野ウサギ,ハリネズミ,犬,猫,リス,鹿等は本物の動物を調教し,20匹のヒキガエルも本物だという。その分,ほのぼの感に溢れていて,まるで絵本,紙芝居,人形劇等のレトロな感覚に浸れる。物語的にも,全くのお子様映画だったが,そう割り切って童心に帰って観ると,結構楽しめた。
 『盲目のメロディ インド式殺人狂騒曲』:いや,面白い。抜群に面白い。まさに副題通りの「殺人狂騒曲」だ。本当は目が見えるのに,芸術のためと称して盲人を装っているピアニストのアーカーシュが主人公だ。彼を全盲と信じ込んだ男女が繰り広げる殺人事件を目撃してしまったため,殺人犯達から本当に盲目にされてしまった上に,命も狙われる破目になる。怪しい医者や臓器売買業者なども絡んで,話は二転三転し,全く先が読めない展開だ。「踊らないのに大ヒット!!」というので,ボリウッド映画定番の「大勢で歌って踊るシーン」は全くないのかと思ったら,いつもの明るい調子の歌はたっぷりあった。物語の途中で,登場人物が急に踊り出さないだけで,TV番組内やホール内でのダンスシーンもしっかりあった。監督・脚本は,シュリラーム・ラガヴァン。スリラー好きで,ヒッチコックを敬愛しているという。アーカーシュを演じる主演は,アーユシュマーン・クラーナー。偽の盲人らしく見せる演技は難役だが,見事にこなしている。天性の悪女シミーを演じているのは,インドの人気女優のタブー。美女である上,貫録もある。彼女なしに,この映画は成立しなかった。終盤,慌ただしく物語が展開し,一応一件落着らしい結末を迎える。ところが,2年後にアーカーシュがソフィに出会い,驚くべき真実を明かす。さらに,ラストの1アクション……,これが見事にキマっていた。笑える。
 
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