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O plus E 2020年Webページ専用記事#5
 
その他の作品の短評
  (注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています。)  
   
   『オン・ザ・ロック』:作品内容以前に話題だったのは,新興映画製作会社として注目を集める「A24」とApple社が複数年契約を結び,オリジナル作品として「Apple TV+」で独占配信を始めることだった。その共同製作の第1作にソフィア・コッポラ監督作品が選ばれ,コロナ禍で映画興行が大きな痛手を受ける中で,堂々の船出を果たす役目を担っている。といっても,いきなりネット配信ではなく,日米欧で10月2日に同時劇場公開した後に,10月23日に世界一斉配信されることになっている。S・コッポラ監督作品としてはこれが7作目だが,過去作と同様,自ら脚本も書いている。初めて生まれ育ったニューヨークを舞台にしているが,マーティン・スコセッシのように社会の暗部をあぶり出す訳でも,ウディ・アレンのようなシニカルな目で人間関係を描いている訳でもない。もっと素直で,軽いタッチの女性目線で綴った都会派アドベンチャー・コメディである。夫の不倫を疑う妻がプレイボーイの父親に相談し,父娘のチームがアマチュア探偵として夫の行動を尾行するという設定だ。父親役は,ビル・マーレイ。と言えば,誰もが監督2作目でアカデミー賞脚本賞を得た『ロスト・イン・トランスレーション』(03)を思い出す。となると,娘役にはスカーレット・ヨハンソンを期待してしまうが、本作で起用されたのはラシダ・ジョーンズだった。ハーバード大学出身で,自ら監督・脚本も務める才女である。女優としての大きな実績はなく,これが初の本格的な主演作である。なかなかチャーミングな女性だが,ジャズ・ミュージシャンのクインシー・ジョーンズの娘とのことだ。夜のNYの町を渡り歩く描写も楽しいが,その一方で,裕福な主婦の子育て生活の様子もよく分かる。セリフが多い映画で,父娘の会話が頗る面白い。父親世代とのカルチャーギャップを描いたというが,ひいては男性社会,男性的価値観への皮肉とも受け取れる。娘離れできない富裕な画商の父親が,孫娘2人の相手をする生活の描写にリアリティがある。ひょっとして,これはフランシス・コッポラやクインシー・ジョーンズの私生活での言動がモデルなのかと思ってしまう(意図的にそう思わせている?)。終盤,舞台はメキシコのリゾート地に移るが,最後はまずまず予定調和の結末だった。これが女性目線での願望なのだろうか。本作の主要な撮影は2019年夏のようで,物語も風景も新型コロナウィルスの影響を受ける前の平和なNYである。今回のパンデミック終焉後には,きっとコロナ禍の悲劇を描いた暗いドラマやドキュメンタリーが多数作られることだろう。そう考えると,この穏やかな光景を描いたコメディもいいものだ。
 『キーパー ある兵士の奇跡』:第二次世界大戦中に連合国軍の捕虜となったナチス・ドイツ兵士が,英国のサッカー・チームのゴールキーパーとなり,やがて国民的英雄になる物語である。そのサッカー選手の名は,バート・トラウトマン。勿論,実話である。戦時中も戦後も,英独間の確執が激しかったことが克明に描かれている。その一方で,英国人のサッカー愛好の熱っぽさ,凄まじさも伝わってくる。ランカシャー収容所内での試合を見ていた地元サッカー・チームの監督に見出され,主人公はゴールポストを任されるが,当然のことながら,チームメートからの反発は激しかった。やがて,名門クラブのマンチェスター・シティFCに入団すると,国中の戦争遺族からの凄まじい誹謗中傷に晒される。そんな逆境の中で,次第に実力が認められ,信頼されるようになるプロセスは観ていて気持ちがいい。監督の娘との恋物語も,それを見守る父親の心配振りも微笑ましい。スポーツ・サクセス物語として,このまま順調に終わると思っていたが,終盤に大きな悲劇が待ち受けていた……。それも映画としての味付けの1つで,全体としては,安心して楽しめる娯楽作品である。英独の合作で,監督はマルクス・H・ローゼンミュラー,主演のトラウトマン役はデヴィッド・クロスで,ともにドイツ人だ。妻のマーガレット役は勿論英国人女優で,フレイア・メーバーが演じている。サッカー競技場の大観衆は言うまでもなくCG/VFXの産物だが,空から見たスタジアムの外観や戦後まもなくの英国都市の景観もよくできていた。
 『ストレイ・ドッグ』:久々のニコール・キッドマンの主演作というので,それだけで食指が動いた。MeToo映画の代表作『スキャンダル』(20年1・2月号)では,上司のセクハラの標的となった3人の金髪美人の1人を演じていたが,存在感は特殊メイクで見事に看板キャスターのメーガン・ケリーに化けたシャーリーズ・セロンの方が上だった。『LION/ライオン ~25年目のただいま~』(17年4月号)ではオスカー候補になっていたが,助演であり,出番もさほど多くなかった。一枚看板の主演作となると『グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札』(14年10月号)『アラビアの女王 愛と宿命の日々』(17年2月号)が記憶に残っている。ただし,実在の王妃や上流階級出身の活動家ではなく,本作は一介の女刑事役だという。それも,かなりの汚れ役とのことだ。元FBI捜査官で,現在はLA市警の刑事だが,17年前の捜査活動の失敗がトラウマとなって,身勝手な行動をとり,同僚からも疎まれる存在である。言わば,女性版ダーティ・ハリーで,それだけなら警察もののよくあるパターンだ。邦題は「Stray Dog=野良犬」のカタカナ表記だが,原題は『Destroyer(破壊者)』なので,かなり荒々しい役だろうと思ったが,冒頭シーケンスでの顔を見て驚いた。醜悪そのものだ。実年齢50歳を超えたとはいえ,あの美人女優が,スッピンだとここまで醜いのかと……。これは映画のつかみであり,特殊メイクで極端に醜悪にしてあったようだ。このシーン以降はそこまで醜悪でなく,その醜さの理由も後で明らかになる。17年前の潜入捜査のシーンでは,まだまだ年齢を感じさせない美しさで,ほっとする。映画のタッチは現代風ノワールもので,銀行強盗チームでの内紛や金に目が眩む警官の描写などが登場する。観客としては,トラウマの原因となった事件を早く見せろよと少し苛立つが,これは演出上の焦らし作戦で,過去を小出しに明らかにして,過去と現代を交錯させるミステリー仕立てだ。監督は,日系の女性監督のカリン・クサマ。これが長編5作目というから,既に中堅どころである。女性監督ならではの繊細な演出だなと感じるシーンもあるが,悪役に凄みがないのが欠点だとも感じた。本作は,徹頭徹尾ニコール・キッドマン発の汚れ役を前面に出した映画である。個人的には,彼女のこの姿は好きになれない。汚れ役なら,ライバルのC・セロンの方が上だ。N・キッドマンには,ノーブルで美しい姿であって欲しい。ただし,本作でのこの変貌ぶりを高く評価する向きもあり,一昨年のゴールデングローブ賞でドラマ部門の主演女優賞にノミネートされていたことを付記しておこう。
 『ウルフウォーカー』:期待通りの良質のアニメだった。予告編だけでワクワクしていたが,その期待を全く裏切らない見事なお伽話である。アイルランドのアニメスタジオ「カートゥーン・サルーン」は,創立以来の長編3作品すべてがアカデミー賞長編アニメ部門にノミネートされる快挙を成し遂げたスタジオだ。第1作『ブレンダンとケルズの秘密』(03)は本邦未公開だったが,2作目『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』(16年9月号)は当欄でしっかり紹介している(第3作『ブレッドウィナー』(17)が,Netflixでの配信の後に,2019年12月に日本でも劇場公開されていたことは,最近初めて知った)。本作は1作目,2作目と同じく中世のアイルランドを描いていて,ケルト3部作と呼ばれている。1作目は森,2作目は海が舞台だったが,この最新作では,再び森に舞台を戻している。古くからある童話のアニメ化ではなく,伝説上のオオカミ人間を題材にしたオリジナル脚本である。見かけは人間だが,眠ると精霊が身体から抜出し,オオカミの姿で彷徨う種族が「ウルフウォーカー」で,「オオカミと共に移動する人々(people who walk with wolves) 」を略した呼称だそうだ。オオカミ退治見習いの少女ロビンと,「ウルフウォーカー」の少女メーヴの交流を描いた物語である。まさにファンタジーだ。森の描写が神秘性を増していて,欧州テイストを満喫できる。アイルランドでなくても,オーストリアやトランシルバニアが舞台であっても全く違和感がない。王子様と少女のラブストーリーではなく,少女2人の友情を描いた物語にしたのが奏功している。女性が主人公の新しいタイプの現代の童話だとも言える。前作『ソング・オブ…』よりも進化したのは,画調と画質だ。人物は相変わらずシンプルな2Dデザインだが,背景描写や立体的な構図は3D-CGをベースにしているなと感じられた。階段を上から眺めたり,奥行きを感じさせる神秘的な森の描写,2匹の牝狼が戯れる様……等々だ(残念ながら,それに相当するスチル写真が一切提供されなかったので,本作をカラー画像入りで解説するメイン記事として紹介できなかった)。海外製の絵本とモダンアートの併せ技のような作品だと言える。アニメとしてより,童話として良く出来ていて,盛り上げもしっかりしている。余談だが,悪役の護国卿の横暴で傲慢な言動は,現職米国大統領を彷彿とさせるものだった。いっそ,声の出演を依頼していたら,これ以上の適役はいなかったと思う。来たる大統領選で再選されなくても,彼は十分映画の悪役としてやっていけると思う(笑)。
 『おらおらでひとりいぐも』:東北弁丸出しの少し滑稽なタイトルは,「私は私らしく,1人で生きて行く」という意味らしい。第54回文藝賞と第158回芥川賞をW受賞した若竹千佐子のベストセラー小説の映画化作品である。純文学の受賞作と聞くとシリアスなドラマかと構えがちだが,『南極料理人』(09年9月号)『横道世之介』(13年3月号)の沖田修一が監督・脚本だから,心配無用だった。題名のイメージ通り,沖田ワールド全開のコメディタッチに仕上がっていた。もっと思いっ切り笑わせる演出でも良かったと思うほどだ。岩手県出身で,夫に先立たれた1人暮らしの75歳の老婆の1年間を描いている。昭和39年の東京五輪の年に故郷を飛び出して上京し,結婚・出産・子育てという平凡な人生を送って来た「桃子さん」が,夫婦の想い出,子供時代の想い出を振り返り,自問自答して自分が生きてきた証しを得ようとする物語である。主役は田中裕子で,若き日の彼女を蒼井優が演じるという2人1役である。2人とも目が切れ長で,イメージは繋がっている。実年齢65歳の田中裕子は,75歳の老婆にしては可愛過ぎるくらいだ。出色なのは,彼女の「心の声=寂しさ1・2・3」に,濱田岳,青木崇高,宮藤官九郎という個性的な男優3人が割り当てられていることだ。代わる代わる声だけのナレーションではなく,3人揃って姿も見せ,桃子さん自身とも絡む。即ち,本作には計5人の桃子さんが登場する訳である。生真面目に描いたら,暗くなりがちな話を,軽妙かつ人間味溢れる描き方をしている。桃子さん自身が,ステージ上で本音を歌う空想シーンは大いに笑える。考古学,古代生物好きの桃子さんは,頻繁に図書館や病院に通う日常生活の中で,約46億年間の歴史ノートを作成している。マンモスが絵本から飛び出して町を闊歩するシーンや,医者が古代人の姿で登場する空想シーンには度肝を抜かれる。孤独なはずの老婆の生活を,かく左様に賑やかで彩り豊かなものに変貌させている。青春,朱夏,白秋,玄冬と巡る時代と季節の描き分け方にも工夫があるが,138分の上映時間は少し長かった。110分程度が丁度良かったと感じた。
 『シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい!』:楽しい映画だった。「シラノ・ド・ベルジュラック」と言えば,大きな鼻の醜い容姿の作家を主人公とした純愛物語の戯曲だ。19世紀末のパリで初演されて大人気となり,現在に至るまで,世界各国で上演されている舞台劇の定番作品である。映画化回数も十指を超え,ミュージカルやアニメにもなっている。我が国では,「白野弁十郎」の名前で翻案され,新国劇としても上演されていたとのことだ。主人公は17世紀に実在した剣豪作家だそうだが,本作はこれまでと同様の戯曲の映画化ではない。原題は『Edmond』で,劇作家エドモン・ロスタンがこの戯曲を発表し,成功するまでの誕生秘話を描いた伝記ドラマである。そう聞くとすぐに思い出したのが,文豪ウィリアム・シェイクスピアが「ロミオとジュリエット」を生み出すまでの舞台裏を描いた『恋におちたシェイクスピア』(98)だ。ロマンティック・コメディ映画に仕立てた構想までが似ている。それもそのはず,監督のアレクシス・ミシャリクが『恋におちた…』を観て,フランスを舞台として同じ着想の映画を撮りたいと考えて脚本を書いたそうだ。そして,まず舞台劇として上演し,それで資金を得て,長編映画の初監督作として本作を生み出したそうだ。おそらく,恋愛劇そのものはフィクションだろうが,エドモンが当時の大女優サラ・ベルナールに気に入られたり,名優コンスタン・コクラン主演の舞台劇の脚本執筆依頼を受けることは,ほぼ史実通りである。上演される劇場ポルト・サン=マルタン座の名前もそのままだ。美男だが全く文才のない友人のために,恋文を代筆するという展開は戯曲「シラノ・ド・ベルジュラック」と同じである。主人公のシラノが作家であるので,恋文の代筆は物語として二重構造になっている。それゆえ,原典の「シラノ…」を知らなくても,本作でその概略が分かる。ただし,エドモンは醜男ではなく,彼を演じる主演のトマ・ソリヴェレスは結構イケメンだ。彼が恋する衣装係ジャンヌ役のリュシー・ブジュナー,糟糠の妻ロズモンド役のアリス・ドゥ・ランクザンは,ともに美形で嬉しくなる。映像的には,『ムーラン・ルージュ』(01年11月号)にも似ていると感じた。19世紀末のパリの描写は,美術的に見応えがある。少し作り物っぽいが,意図的であり,絵画的である。CG/VFXもこの10数年間にかなりの進歩があったことが伺えた。この時代,いかに演劇が愛されていたかが,この映画を通して実感できた。
 『詩人の恋』:韓国映画のLGBTもの。美しい詩を書くが,売れなくてスランプに陥った主人公が,同姓の美青年に恋心を抱き,妻との間で三角関係が生じる話である。純愛もの,それも悲劇が得意な韓流映画には珍しいネタだ。主人公の30代後半の詩人テッキを演じるのは,『息もできない』(09)で監督・主演を務めたヤン・イクチュン。北朝鮮の監視員を演じた『かぞくのくに』(12年8月号)や菅田将暉と共演の『あゝ,荒野』(17)等,日本映画にも再三出演している。この詩人は,口ひげや顎ひげがある剽軽な風貌の持ち主だ。この冴えない男と妥協して結婚したという遣り手の妻ガンスン役には,『名もなき野良犬の輪舞《ロンド》』(18年3・4月号)のチョン・ヘジンが配されている。2人して美男美女でないのがいい。そして,テッキが想いを寄せるようになるのはドーナツ屋の店員セユンで,チョン・ガラムが演じている。まあまあイケメンの類いだが,驚くほどの美青年ではない。韓国一の観光リゾート・済州島を舞台にしたドラマで,語りも音楽も詩的ではあるが,いかんせん韓国語は元々音が汚いので,それが最大のマイナス要因だ。どの言語であっても,詩を映画の字幕にするのは難しい。主人公が乏精子症で,詩的とは正反対の妊活の話題が再三登場するが,下ネタの扱いも軽妙で,余り下品に感じない。肝心のテッキとセユンの同性愛はと言えば,2人に肉体的交わりはなく,プラトニックなもので,擬似親子程度の関係に過ぎない。監督は,これが長編初作品となるキム・ヤンヒ。まだ監督も観客も,LGBT映画に慣れていないのだろうと感じられた。
 『ホテルローヤル』:北海道の釧路湿原にあるラブホテルを舞台とした人間模様を描いたヒューマンドラマだ。原作は桜木紫乃作の自伝的小説で,直木賞受賞作である。主人公はこのホテルの一人娘で若女将の雅代で,波瑠が演じている。NHKの朝ドラ『あさが来た』の白岡あさ役の印象が強いが,映画の主演作はこれが7本目となる。夏川結衣,松山ケンイチ,余貴美子,安田顕等の芸達者が周りを固めている。Netflix配信ドラマ『全裸監督』(19)の武正晴監督の作品となると,もっと生々しい男女の絡みを想像したのだが,ラブホに「非日常」を求める人々のエピソードには様々な人生が刻み込まれていた。さすが直木賞受賞作だ。原作は7編の連作小説だが,これらを巧みに繋ぎ合わせ,過去と現在を交錯させた物語となっている。群像劇であると同時に,主人公の女一代記というキャッチ通りで,主演の波留の好演が光っていた。爽やかなエンディングで,Leolaが歌う主題歌「白いページの中に」が心に沁みた。シンガーソングライターの柴田まゆみが1978年に発表した名曲だが,この映画の主題歌に選んだ監督のセンスに感心した。
 『さくら』:こちらも直木賞作家・西加奈子の同名小説が原作だが,受賞作ではなく,その10年前の2005年に書かれ,ベストセラーとなったデビュー2作目の映画化作品である。監督は『三月のライオン』(92)『太陽の坐る場所』(14)の矢崎仁司だが,本作に関しては「この小説には私の映画史がすべて入っている。だから私以外の誰にも映画化させたくなかった」とまで語っているから,かなりの思い入れだ。長谷川家5人家族の物語で,両親は永瀬正敏と寺島しのぶ,長男・一(ハジメ)は吉沢亮,次男・薫は北村匠海,長女・美貴は小松菜奈が演じている。主役の次男が年末に実家に戻るところから映画は始まるが,幼い頃の記憶に戻り,妹・美貴の誕生,愛犬サクラとの出会い,引っ越し,初めての恋と失恋など,平凡な一家が過ごした日々が描かれる。そして,「ありふれた家族の,きれいごとじゃない物語」のキャッチコピー通り,長男の死から家族がバラバラになってしまう。「それでも,僕たちはずっと生きていく」「壊れかけた家族をもう一度つなぐ奇跡のような出来事が,大晦日に訪れる」というので,一体何が起こるのか,この映画はホラーなのか,SFなのかと見守ったが……。その意味では意外で,微笑ましいサプライズだった。このエンディングも悪くない。主役は次男だが,存在感があったのは破天荒な長女役の小松菜奈だった。その一方で,今イチだったのは,母親役の寺島しのぶだ。演技派の彼女にはもっと崩れた汚れ役が向いていて,こんな健全で優しい母親役は似合わない。
 
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