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O plus E誌 2009年11月号掲載
 
    
 
その他の作品の短評
  (注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています。)  
   
   ■『パリ・オペラ座のすべて』 :原題は『ダンス』で,内容的には「オペラ座バレエ団密着徹底取材」と称した方が正確だ。パリ・オペラ座(パレ・ガルニエ)はオペラの殿堂ではなく,約350年の歴史をもつ最古にして世界最高峰のバレエの殿堂である。この映画でその認識が一気に増すだろう。その聖域にカメラを持ち込み,厳しい練習風景から創作過程を密着取材した一大ドキュメンタリーだ。華麗でありかつ驚異的な運動能力で演じる公演は,これが世界のレベルかと息を飲む。ところが,あまりに芸術的で高尚な対象の描写は,しばしば単調で退屈であり,睡魔を誘う。全編160分は長過ぎる。特に最初の1時間は半分に圧縮し,早く公演の部分を観せて欲しかったところだ。
 ■『サイドウェイズ』 :アカデミー賞脚色賞に輝いた『サイドウェイ』(04)のリメイク作品で,こちらは複数形だ。洋画を邦画がリメイクするのは珍しい。ワインを満喫する設定なので,舞台は山梨にでも移したのかと思ったら,そのままナパ・バレーのままで日本人男女4人の他愛もない恋物語を綴っている。原作の男女の会話や行動には全く共感できなかったが,こちらも同様だ。それでも,最後は少しだけいい話になっている。ただし,ナパ・バレーの景観とカリフォルニアの明るい映像は素晴らしく,観光映画としては上々の部類に入る。
 ■『ホワイトアウト』:上述の若松節朗監督,織田裕二主演の同名映画のリメイクかと思いきや,全く別の映画だった。南極で起きた初の殺人事件を女性捜査官(ケイト・ベッキンセール)が追うアクション・サスペンスで,南緯90度,氷点下50℃の真っ白な大地に風速160mの嵐が吹き荒れる中という設定がウリだ。その過酷な条件下の屋外移動は,ロープに命綱をかけてつたうというのが印象的だった。ただし,殺人事件の謎解きは凡庸で,映画通なら犯人はすぐ読める。南極点での長期ロケではなく,カナダ・マニトバ州を南極に見立てての撮影だが,それでも相当な寒さだったようだ。
 ■『僕らのワンダフルデイズ』:末期ガンで余命わずかと知った中年サラリーマンが,高校時代の仲間とバンドを再結成し,コンテスト出場をめざす物語。主演は竹中直人。最初だけ大人しいが,次第にいつもの騒々しさが鼻につく。どのようにも面白くできる題材なのに,脚本が今イチで,何も感動しない。音楽が要であるはずが,奥田民生が書き下ろした楽曲が全くつまらない。これじゃ,主人公の妻役の浅田美代子が懐メロを歌った方がましだった。唯一,稲垣潤一のドラムだけはさすがだったが,それは当たり前か。
 ■『大洗にも星はふるなり』:冬の大洗海岸の海の家を舞台に,1人の女性を巡って7人の男たちが繰り広げるナンセンス恋愛コメディだ。監督・脚本は福田雄一。彼が書き下ろした舞台劇の映画化だけあって,練りに練ったセリフの間の取り方が素晴らしい。他愛もないジョークやとぼけた掛け合いのたびに,試写会場は爆笑の渦だった。これだけ盛り上がることは珍しい。前半は海の家のマスター(佐藤二朗),中盤は弁護士(安田顕)という脇役がこの面白さを牽引する。『キサラギ』(07)を面白いと感じた人は,この映画も気に入るはずだ。何で茨城県の大洗なのかと思ったが,これはきっと「大笑い」の駄洒落なのだろう(違うかな?)。
 ■『千年の祈り』:注目の中国人女性作家イーユン・リーの短編の映画化で,古い詩にちなんだという美しい題名からは,心に滲みる感動ストーリーを期待する。米国に住む一人娘と彼女の身を案じて北京からやってきた老いた父親の物語だ。悠々たる語り口,父親を演じるヘンリー・オーの人生を感じさせる表情の1つ1つに味わいがある。わだかまりがある父娘のぎこちない会話から,やがて父親の衝撃の告白……。良い映画だし,父娘ともに好演なのだが,少し淡泊過ぎる。原作が短編とはいえ,もう少し物語を膨らませ,喜怒哀楽のボリュームも増して欲しかったところだ。
 ■『脳内ニューヨーク』:言うまでもなく,映画の質を決定づけるのは脚本と演出だ。ところが,その両輪が時として噛み合わない。『マルコビッチの穴』(99)の天才脚本家,チャーリー・カウフマンの初監督作品というから,その脚本はタダモノではないと察した。予想通り,奇想天外,常識では次の展開が読めない快作だった。これぞ通好みで,映画祭荒らしと言っても過言ではない。俳優陣も好演で,女性たちは魅力的だ。それでも,渾身の脚本を演出が消化し切れていないというべきか,まだまだ監督としての力量が問われるレベルに留まっている。非凡ではあるが,肩に力が入り過ぎだ。    
   
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