O plus E VFX映画時評 2026年9月号
(注:本映画時評の評点は,上から![]()
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この秋一番の話題作であり,監督は当代随一の人気監督クリストファー・ノーラン。当映画評では,デビュー作『フォロウィング』(98)だけが未紹介で,2作目『メメント』(01年10月号)以降の11作品をすべて紹介している。第5作『プレステージ』(07年6月号)と前作(第11作)『オッペンハイマー』(24年3月号)以外の9作品が画像入りのメイン欄記事で,7作品が![]()
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評価という比率であった。最近とみにCG軽視のスタンスを公言しているこの監督の映画を,当欄がどんな評価を与えるか,読者も気にしておられることだろう。
サスペンススリラー,史実に基づく戦争映画,SFアクション,アメコミ実写化3部作等々,ジャンルを問わず挑戦する多才な監督であるが,本作は古代ギリシャの詩人ホメロスの叙事詩「オデュッセイア」の映画化である。「イーリアス」と共に,誰もが中学生時代に名前を聞いたことがあるはずだ(筆者の学校時代は「イリアス」「オデッセイ」と習ったが)。西洋人なら誰もが知るこの叙事詩を,どんなのノーラン流解釈を披露するのかが楽しみだった。きっと過去に何度も映画化されているのだろうと思ったが,TVシリーズはあったものの,映画は一部の抜粋や後日譚だけであった。その意味では,本作が劇場用映画としては,初のほぼ全編映画化作品なのである。
北米では7月17日公開となり,日本でも9月4日からIMAX先行上映が始まっていたので,映画雑誌や映画サイトでの解説は勿論,既に個人の叙事詩解説講座,ノーランの過去作との比較等々がひしめいている。よって,本稿はそうした解説は繰り返さない。筆者個人の感想から始め,当欄の視点でのIMAXフィルムカメラの利用や実物撮影主義に偏重したノーラン美学に関して私見を述べる。
【ざっとしたこの映画の概要と感想】
原典は約2800年前に作られた叙事詩で,全24歌からなるが,ノーラン監督はかなりその順序を入れ替え,一部は省略している。イタケ国の王・オデュッセウス(マット・デイモン)の物語で,彼はギリシャ軍がトロイア国を破った10年戦争の英雄であった。戦争終了後,他国の王は自国に戻ったのに,神々の怒りを買った彼は,その後10年間も行方不明だった。国王の地位を狙い,王妃ペネロペ(アン・ハサウェイ)に結婚を迫る求婚者たちが,クセニアなる「客人歓待の慣習」(ゼウスの掟)に乗じて3年間も連日飲み食いしているシーンからこの映画は始まる(写真1)。
彼らから暗殺される怖れがあった皇子テレマコス(トム・ホランド)は,父の行方を探すため,スパルタ王メネラオスのもとに向かった。一方,オデュッセウスは帰路の島々で怪物と戦い,亡霊とも遭遇した後,オギュギア島で7年間も精霊カリュプソ(シャーリーズ・セロン)の虜になっていた。彼が記憶を取り戻す過程で,回想シーンとして,トロイア戦争の顛末,地中海の島々での出来事が語られる。ようやく,カリュプソから解放されたオデュッセウスはイタケ島に戻る。物乞いの姿で身を隠して宮殿に潜入し,求婚者たちを討ち果たして,ペネロペと再会する……。
以上が,最低限の要約である。原典が古体詩といっても難解ではなかった。多数の登場人物の関係は分かりやすく,人名も繰り返して語られるので,覚えやすかった。時代背景やギリシャ神話の知識がなくても物語が理解できるように配慮されている。その意味では,巨匠の大作には珍しいサービス精神満載の映画であった。波瀾万丈の物語は,見事なストーリーで描かれ,とにかく面白い。上映時間172分を全く長く感じさせず,全編の隅々まで楽しめた。
【主要キャストの印象】
舞台挨拶で20人弱が並ぶという豪華キャストであるので,彼ら全員の紹介はできない。特に目立った俳優の印象だけ触れておこう。主人公オデゥッセウス役には,マット・デイモンが配されたが,もう少し堂々たる体躯の俳優の方が似合うのにと思った。過去に『インターステラー』(14年12月号)や『オッペンハイマー』に出演した時の演技力を買われたのだろう。知的な軍の指揮者としての冷静な判断,物乞いに扮した佇まい,クライマックスの強弓を引く様等々,まさに円熟期というべき風格ある演技であった(写真2)。
王妃ペネロペ役には,いっそ洒落でペネロペ・クルスが適任だと思った。美人度では一級であるし,年齢や身長でもM・デイモンと釣り合う。アン・ハサウェイだと少し年齢差があるが,彼女もまた『インターステラー』での演技が気に入られたのかも知れない。A・ハサウェイは,今年の夏前から『プラダを着た悪魔2』(26年5月号)『隣人たち』(同7月号)『オークストリートの異変』(同8月号)に続いてのお目見えである。これだけの大スターが5ヶ月間に4作という過密スケジュール,売れっ子ぶりに驚く。演技力では,エミリー・ブラントやジェシカ・チャステインに劣るような書き方をしてしまったが,気品と美しさを備えた本作の王妃役は出色で,彼女の女優人生のベスト1だと思う。年齢相応の演技力が身に付いてきたのだと思われる。
『スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ』(26年7月号)のピーター・パーカー役とMJ役で観たばかりのトム・ホランドとゼンデイヤが,夫婦揃ってノーラン監督のお眼鏡にかなって本作に出演しているのも印象的だった。ゼンデイヤはオデュッセウスにしか姿が見えない「アテナ」なる不思議な女神役で,セリフの量は少なかった。存在感抜群だったのは,テレマコス役のT・ホランドの方である。小柄で童顔なのが,若々しい皇子役にぴったりだった。A・ハサウェイとT・ホランドは,実年齢では13歳しか違わないが,本作ではしっかり親子に見える(写真3)。これまで彼は,スパイダーマン/ピーター役のイメージを払拭できなかったが,本作のテレマコス役でその壁を打破できたことは確実だ。本作は世界中で特大ヒットとなり,ノーラン映画の興行成績記録を更新中と報じられている。皮肉なことに,『…ブランド・ニュー・デイ』はそれを遥かに上回る金額を稼いでいるので,まだピーター役でのオファーも続くだろう。
上記の3人は,来年のアカデミー賞で,主演男優賞,助演女優賞,助演男優賞のノミネートされることは確実と思われる。他の男優で最も目立ったのは,最有力求婚者アンティノオス役のロバート・パティンソンだった。彼は『TENET テネット』(20年9・10月号)の準主役であった。本作では悪役であるが,イケメンで凛々しい。バットマン俳優としても成功しているので,オデュッセウス役でも良かったくらいだが,さすがに20年ぶりに帰還する国王役には少し若過ぎる。彼の若き日を演じる10代の俳優レイミー・ラングが,R・パティンソンにそっくりなのが,嬉しいキャスティングであった(写真4)。当欄では紹介できなかったが,R・パティンソンは8月公開の『ドラマなふたり』(26)で,ゼンデイヤと夫婦役で共演していた。この2人は,年末公開の『デューン 砂の惑星PART3』にも出演している。T・ホランドは同日公開の『アベンジャーズ/ドゥームズデイ』でスパイダーマンとして登場する。即ち,今年の下半期だけで,R・パティンソンとT・ホランドは3作,ゼンデイヤは4作で姿を見せることになる。ハリウッド映画界はそこまで俳優が払底しているのかと感じるほど,人気俳優に重要な役が集中している。
他の女優陣で最も強烈な印象を残したのは,アイアイエ島に住む魔女キルケ役のサマンサ・モートンだった。『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』(16年11月号)では人間の役で,「魔女や魔法使いは実在して,危険だ」と主張していたが,本作では自分が魔女だったのである(笑)。別の意味で目立ったのは,ルピタ・ニョンゴだった。ギリシャ軍の総大将アガメムノン(ベニー・サフディ)とその弟スパルタ王メネラオス(ジョン・バーンサル)のそれぞれの妻クリュタイムネストラとヘレネは双子の姉妹で,特にヘレナはトロイア戦争の原因となった「絶世の美女」という設定だった。この2人をケニア人の両親をもつルピタが一人二役で演じていたので,「ギリシャの美女役になぜ黒人女優を起用する。ノーランお前もか!」と,SNS上ではお馴染みのポリコレ論争が起きたようだ。「傾城の美女」とは思えないが,黒人女優としては相対的に美しく,こうしたアクセント的な起用もいいのではないかと思う。
美女の度合いでは,カリュプソ役のC・セロンが一番だった(写真5)。7年間に渡ってオデュッセウスを誘惑し続けるのであるから,これくらいの美しさは必要と監督も考えたのだろう。『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(15年7月号)で坊主頭の大隊長を怪演したかと思えば,『ワイルド・スピード』シリーズや本作で平然と正統派の美女に戻れるのだから,さすがハリウッド女優だ。既に五十路に入っているはずだが,この美しさは驚異的だ。
【全編IMAXフィルム撮影の価値はあったか?】
ノーラン監督は,子供の頃から巨大スクリーンIMAXのファンであった。IMAXデジタルカメラとIMAXデジタル上映が主流になってからも,フィルム撮影に執着し,過去作でもその一部で,下記のようにIMAXフィルムを使い続けた。
『ダークナイト』(08年8月号) 約28分(18%)
『ダークナイト ライジング』(12年7月号) 約72分(44%)
『インターステラー』(14年12月号) 約65〜66分(39%)
『ダンケルク』(17年9月号) 約79分(75%)
『TENET テネット』(20年9・10月号) 約76分(51%)
『オッペンハイマー』(24年3月号) 約40分(22%)
そして今回,20年来の念願であった全編IMAXフィルムによる撮影を敢行したのである。このこと自体が,本作の大きなセールスポイントとなっている。これは撮影に関してだけであって,観客が全員IMAXフィルム上映を見られる訳ではない。その実状と監督が目指したものが達成されているのかを整理してみることにした。
①「初の全編IMAX70mmフィルム撮影による映画」は本当か?
上記の表現は,厳密には正しくない。「65mmフィルムで撮影」と書かれている記事があるので,70mmとは別フィルムと誤解されがちである。正しく言えば,撮影時は65mmで,上映時はサウンドトラックを付しての70mmなのである。35mmフィルムと区別するため,便宜的に65mm撮影も70mmと称しているに過ぎない。
かつて大画面映画の定番であった70mm映画は,フィルム縦送りであったが,IMAXはそれを横送りにして1コマの面積を大きくしていることは,以前に何回も述べた。フィルム送りの穴は,縦送りフィルムでは5穴/コマなのに対して,横送りのIMAXフィルムでは15穴/コマである。よって,IMAX15/65,IMAX15/70mmのように表記することが多い。
「初の全編…」は,ノーラン映画に関しては正しい。1985年のつくば科学博でIMAXの知名度は一気に増し,20世紀末までに,様々な博覧会・大型展示会で採用され,各国の科学博物館にもIMAXシアターが常設された。その時代には,まだIMAXデジタルカメラはなかったので,当然全編フィルム撮影/上映であった。ただし,フィルム映写機のプラッターの制約から,上映時間は40分以内であった。
②「史上初の全編IMAXフィルム撮影の劇映画」は本当か?
こちらも,ノーラン映画と限定すれば正しい。上記の博展映像の大半はドキュメンタリー,それも科学映画が中心であったが,ストーリー性がある劇映画も存在していた。どこで観たかは覚えていないが,『愛と勇気の翼』(95)を観た記憶がある。これは40分程度のIMAX映画であったので,単なる「劇映画」でなく,本作を「初の劇場用長編映画」であるというなら,上記はほぼ正しい。かつて紹介した『ファンタジア2000』(00年2月号)は,IMAXフィルム上映を前提とした,画期的なデイズニー製のミュージカル映画であった。上映時間は75分で,世界初の劇場用長編商業映画であったが,アニメであったのでIMAXフィルムカメラで実写撮影していたのではない。手書きアニメや初期の3D-CG映像の素材を35mmフィルムに焼き,それをIMAX15/70mmフィルムに再プリントして各映画館に配られていた。
③日本では『オデュッセイア』のIMAXフィルム上映は観られない?
残念ながら,これは本当だ。日本にはそれをIMAX15/70フィルムで上映できる映画館は存在していない。日本だけではなく,アジア,アフリカ,南米にも存在しないが,北米,欧州,豪州では計50館以上でフィルム上映されているようだ。
『ファンタジア2000』は東京・新宿の高島屋にあった「東京アイマックス・シアターで観た。他に大阪,札幌,穂高の4館で公開されていたが,いずれも数年ともたず,閉館となってしまった。科学博物館等でのIMAX上映施設もほぼなくなってしまった。全く旧式の設備を保守しながら維持して奇跡的な科学館が鹿児島にあるが,40分しか上映できないので,172分の『オデュッセイア』は上映できない。かつてのIMAXフィルム上映館がすべてなくなったのは,手軽に上映できるデジタル方式が出現したのと,IMAXフィルムで製作された劇場用コンテンツがなかったからだと言える。
現在のIMAX上映は,デジタル方式でアスペクト比「1.90:1」の「IMAX4Kレーザー」が主流で,これは全国約50館で採用されている。IMAX15/70フィルムと同じ「1.43:1」の「IMAXレーザー/GTテクノロジー」方式を採用しているのは,「シネマサンシャイン池袋」と「109シネマズ大阪エキスポシティ」の2館だけである。筆者は後者での『オデュッセイア』完成披露試写会に招待されていたが,日程の都合がつかず,断念した。9月4日からの先行上映を池袋で観ようとしたが,満席であったため,止むを得ず「IMAX4Kレーザー」で観た。本稿での感想や画質に関する論評は,この方式での観賞結果である。9月11日からの一般公開では,一般スクリーンでの「2.39:1」(シネスコサイズ)上映が加わっている。画面比がこれだけ違うと,印象もかなり異なると思われる。
④海外のIMAXフィルム上映館は日頃何を上映しているのか?
『オデュッセイア』が史上初だとすれば,上記のようなIMAXフィルム上映館は,これまで一体何を上映して営業していたのかという疑問が湧く。どうやら,以下のような営業方針で運営されていたようだ。
(a) フィルム撮影が全編の一部であっても,『インターステラー』『ダンケルク』のような作品をフィルム上映する。昨年は『罪人たち』(25年6月号)が加わった。それらのリバイバル上映もしばしば行う。
(b) 『デューン 砂の惑星 PART2』(24年3月号)のようなデジタル方式の大作を,意図的にIMAX15/70フィルムに逆現像して上映する。あるいは,同シアター内に併置したIMAXレーザーでデジタル上映して,スクリーンを遊ばせない。
(c) かつて,5/70mmフィルムで上映された『アラビアのロレンス』(62) 『2001年宇宙の旅』(68)等の名作を,IMAXフォルムに復元して上映する。
それで大きな利益は出ないだろうが,納得が行く営業形態である。そこに今回の『オデュッセイア』のような映画が登場すれば,特別料金でもマニアックなファンからの予約が殺到し,連日満席となる。それが大きな利益を生んで採算が取れる,という訳である。日本でも実現して欲しいところだが,和製アニメで利益を得ている安全志向の日本の映画興行界には,そんな勇気はないだろう。
⑤この20年間でIMAX15/70上映やIMAX15/65カメラは飛躍的に進歩したのか?
ノーラン監督が待ち望んだ20年間に,大きな進歩があったのかを調査してみた。IMAXフィルムフォーマットはずっと同じであり,既に『ファンタジア2000』時点でIMAX15/70フィルム映写機もかなり高度なシステムであったので,基本性能は同じだ。ただし,2002年頃からIMAX用プラッターシステム(連続上映用フィルム供給・巻取装置)の大型化が進んだため,ノーラン作品のIMAX上映の道が拓けたという幸運もあった。35mmフィルムに比べて圧倒的に大きな設備であったため,かつては40分制約があったが,まず120〜150分に延長され,さらに180分の連続上映可能な超大型化が達成された。『オデュッセイア』は5本のIMAXリールをプラッターに装填することで,172分上映を達成している。
その一方で,コダック社が提供する撮影用65mmネガの乳剤技術には,結構な進歩があったようだ。暗部の情報量,ハイライトのラチチュード,色再現,粒子構造などが改善され,かなり広いダイナミックレンジを後工程で調整できる自由度が増えたという。「明るい空+人物の顔+暗い室内」のバランス調整が容易になったのである。拘り派の監督や撮影監督がこうしたフィルムを好むのは十分理解できる。ただし,『オデュッセイア』がその威力を十分発揮できるコンテンツであったかどうかは別問題である。これに関しては,次項で私見を述べる。
IMAX15/65カメラもかなり大型の機材であり,その操作性,安定性は徐々に改善されていたようだが,しばらく大きな改善はなかったようだ。IMAX社の関心や投資は,デジタル技術に向けられていたと考えられる。ところが,数年前から,ノーラン監督の強い要望により,約2年間かけて小型軽量のキーリー(Keighley)カメラが開発され,本作の撮影時に完成した。さらに,従来のIMAX15/65カメラ(IMAX MSM 9802)は撮影時に爆音が生じていたため,俳優のセリフは同時録音できるようノーラン監督から静音化の要求があった。IMAX社はこの要望にも応え,防音ケース(ブリンプ)も開発された。メイキング映像を見ると,このブリンプ付きキーリーカメラが重用されていることが分かる(写真6)。このようにノーラン監督はIMAX映画にとっての特別な存在であり,彼が望んだ条件が整ったゆえに,全編IMAXフィルム撮影で『オデュッセイア』が制作できたのである。ただし,IMAXフィルムは高価であるので,この映画1本のために,約300万ドル(46.5億円)のフィルム代が必要であったという。
⑥フィルム上映の『オデュッセイア』はノーランの目指した映画になっていたかの検証
フィルム撮影/上映に執着する映画監督や業界人は,「フィルムでしか表現できない質感・粒状性」,特に暗い室内や夜間の屋外での照明と闇のバランス等を長所として挙げる。劇映画の『オデュッセイア』は,その威力を十二分に発揮していた映画だったかと言えば,国内にIMAXフィルム上映館がない以上,正しい評価のしようがない。前述のように,IMAXフィルムの表現力も増しているので,過去のIMAX作品にはない質感表現を達成していた可能性も高いが,フィルム自体に陰影表現の調整の自由度が高くなっているなら,IMAXレーザー用へのデジタルリマスターリング時にHDR (High Dynamic Range) 技法を用いて変換すれば,デジタル上映でも良質の陰影表現ができるはずである。フィルム上映との差はあるだろうが,デジタル上映との差はそう大きくないとも考えられる。
当欄で紹介したIMAXフィルム上映映画は,上記『ファンタジア2000』以外に,『エンカウンター3D 』(99年12月号)『ジークフリート&ロイ』(同号)『美女と野獣』(02年2月号)『ジェームス・キャメロンのタイタニックの秘密』(03年10月号)の4本がある。個人的には,もう数本を映画館で観ている。科学映画まで含めると,海外出張時に,NYの自然史博物館,ワシントンD.C.のスミソニアン博物館,フランス・ポワチエ市のフチュロスコープ等にも足を伸ばしてIMAXシアターを体験したので,20本以上になる。なかんずく,最高の映像体験は,フロリダのNASAケネディ宇宙センターで観た『夢は生きている』(The Dream Is Alive)であった。スペースシャトルから撮影されたIMAXフィルム映像で,漆黒の宇宙空間と青い地球の対比,打ち上げ後の地球表面がどんどん遠ざかって行く光景は,まさにIMAX映像の極致であった。
こうした体験をもとに,IMAXレーザーで観たデジタル版『オデュッセイア』で,「ここはフィルム上映で観たかった」と思うシーンが多数あったかと言えば,余り肯定的な発言はできない。あくまで私見であると断った上で言うならば,せいぜい「トロイア宮殿の倒壊と炎上」「キュクロプス島の洞窟内の暗部での攻防」だろうか(写真7)。最大限に見積もっても,172分の内,数%に満たないと思う。
陰影表現での長所が少ないだけでなく,大きな欠点だと感じたのは,画面アスペクト比への配慮によって,理想形から遠ざかってしまったことである。ノーラン監督が本当に見せたかったのが「1.43:1」のフィルム上映であるなら,「1.90:1」のIMAXレーザー上映は大幅に上下の画像領域を失い,「2.39:1」の一般上映では,さらに上下がカットされた欠陥映画だということになる。ところが,『オデュッセイア』では「2.39:1」に切り出すことを意識し過ぎたカメラアングルや構図を採用しているように感じた。即ち,プラチナチケット代を払った観客は,上部は空ばかり,下部は海や荒地ばかりを見せられていることになる。室内の対話シーンもかなり多いので,その場合は,天井や床の比率が大きい画面を見ていることになる。一般上映に,シネスコサイズの「2.39:1」でなく,ビスタサイズの「1.85:1」を採用していれば,まだしも「1.90:1」に近かったので,空や海の比率は抑えられた。邦画ではビスタサイズが主流だが,北米のシアターでは「2.39:1」が標準なので,それに配慮し過ぎてしまい,結果的に「1.43:1」の観客を軽視したことになったのが残念だ。
【CG/VFXの出番はあったのか?】
ノーラン監督は徹底した実物主義者であり,「CG嫌い」であるとの評判が定着している。厳密に言えば,監督は「可能な限り実写(プラクティカル・エフェクト)で撮影し,CGIは補完的にしか使用しない」としか発言していない。かつての『ダークナイト』では,かなり積極的にCG/VFXを活用していたし,『インセプション』(10年8月号)『インタステラー』はCGなしでは実現できなかったので,少なくとも「CG嫌い」ではない。『オッペンハイマー』では,CG/VFXの出番がほぼなかったのは理解できるが,怪物や魔女が登場する本作では,そこそこ使われているのではないとの期待をもって観てしまった。
■ 明白にCG/VFX(厳密には,CGIと発言している)の利用を公言しているのは2箇所だけである。その1つは,冥界を脱して航海を続けるオディセウス一行が海の渦(カリュブディス)と遭遇するシーンである(写真8)。普通に考えれば,この渦はCGで描けば,さほど難しくもない。流体力学による物理レンダリングを利用すれば,いくらでもリアルに描ける。ところが,実物主義のノーラン監督はそうはしなかった。実際に水上バイクを走らせ,水流と水しぶきによる大きな円運動(外側の渦)を物理的に作り出し,それをフィルム撮影している(写真9)。VFXチームは撮影映像から水上バイクをデジタル処理で消去し,渦の中心部が回転しながら下がって行くCG映像をVFX合成して完成映像とした。写真?は崖の上から撮影したか,ヘリを飛ばしての撮影かは不明だが,実物主義に拘るために余計なコストがかっている。写真8と写真9を見比べると,「1.43:1」での上映が空と海ばかりを見せられていることが実感できるはずだ。
■ もう1つは,渦を避けた船が写真8の右の2つの岩の間の海峡を抜ける時に登場する出来事だ。6つの頭と長い首を持つ巨大な怪物サキュラが岩陰から現われ,6人の兵士を次々と船から引き上げて殺害してしまう(写真10)。さすがにこのサキュラはCG製のようだが,兵士は実在の俳優である。CGクリーチャーとしては,かなり単純な怪物だ。あまりに短いシーンだったので,後で解説を読むまで,頭の数は分からなかった。そもそもこのサキュラがどんな怪物なのか,監督は全身を見せてくれず,あっという間に終わってしまった。カリュブディスもサキュラも叙事詩中に登場する魔物なので,ノーラン監督としては描かない訳には行かない。渋々最低限の手間で,不思議な出来事があったことだけを見せて済ませたのだろうか。
■ サキュラをCGで描くなら,他のクリーチャーもそうすれば良かったのにと思うシーンがいくつもあった。その代表例は,キュクロプス島の洞窟に住む一つ眼の巨人ポリュフェモスの登場場面である(写真11)。俳優ビル・アーウィンに特殊メイクを施してポリュフェモスを演じさせ,他の俳優とは別撮りした。6mの巨人であるため,他の俳優たちが視線を合わせられるよう,実物大のパペットを作ってビル自身が操作し,パペットは消した上で,ビルの演技とVFX合成して完成映像としている(写真12)。他の俳優に怪物の高さを実感させるのなら,高さ6mの棹にランプでもつけおけば伝わるし,せいぜい顔だけでもつけておけば感じは出る。パペットを操作する必要はない。ポリュフェモスの怪物らしさを強調したいなら,CGでもっと怪物らしい体形で描き,動きはビルがMoCap演技をすれば良いのである。怪物の動きはプレビズ段階で確認修正できる。最近は,LEDスクリーンにCG製の怪物や洞窟を表示し,その前で演技する方法が普通だ。そんな当たり前のCG/VFXを採用しないのは,ロケ地に選んだギリシャ・ペロポネソス半島の「ネストルの洞窟」に全員を集合させ,ノーラン監督が撮影現場でポリュフェモスの動きを視認しておきたかっただけに過ぎない。
■ この洞窟のシーンでポリュフェモスが飼っている多数の羊が登場する(写真13)。勿論,この羊たちも本物だ。40頭の羊と6mのパペットをギリシャの洞窟まで運ぶのであるからご苦労な話である。洞窟はCGでなく,本物を使ったとしても,そうそう羊たちは監督の意図通りには動いてくれないだろうから,これもCGで描いた方が映画演出としては自由度が高かったはずだ。それだけではなく,オデッセウスたちが羊を利用して洞窟から方法を原典から改変してしまっているのは,本物の羊を使ったことの弱点である。だからCG製の羊を使うべきと助言しても監督は自説を曲げなかっただろうから,大人しく素直に観ているねきだ。羊の他にも,牛,豚,カラス等の動物たちが登場するが,これらもすべて本物を登場させたのだろう。アイアイエ島の魔女キルケの館では,1匹ずつであるが,ライオン,虎,豹までが登場するシーンがある。さすがにこれはCGだろうと思ったのだが,それらも訓練された動物を使用したとのことだ。ホメロスの叙事詩に登場するためかと思ったら,原典では狼とライオンだけで,虎や豹はノーラン監督が加えたらしい。ホメロスの当時,ギリシャ近郊にもライオンは棲息していたらしいが,アジアにしかいない虎まで登場させるのは不自然だ。現実ではない,魔女が支配する異界を演出したかったのなら,この場面はCGでもっと多様な猛獣や怪物を描けば良かったのにと思う。
(この他にも,CGの方が好ましく感じたシーン,実物主義にVFX加工だけは加えたシーンがいくつもあるが,まだ画像の整理ができていない。それは後日追加するので,一端ここまでを「暫定完成版」として掲載する。)
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