O plus E VFX映画時評 2026年9月号

『オデュッセイア』

(ビターズエンド&ユニバーサル映画配給)




オフィシャルサイト[日本語][英語]
[9月11日より全国ロードショー公開中]

(C)2026 UNIVERSAL STUDIOS


2026年9月8日 109シネマズグランベリーパーク(IMAX)[先行上映]

(注:本映画時評の評点は,上から,,,の順で,その中間にをつけています)


格調高く, 分かりやすく, 面白い。文句なしの超大作。

 この秋一番の話題作であり,監督は当代随一の人気監督クリストファー・ノーラン。当映画評では,デビュー作『フォロウィング』(98)だけが未紹介で,2作目『メメント』(01年10月号)以降の11作品をすべて紹介している。第5作『プレステージ』(07年6月号)と前作(第11作)『オッペンハイマー』(24年3月号)以外の9作品が画像入りのメイン欄記事で,7作品が評価という比率であった。最近とみにCG軽視のスタンスを公言しているこの監督の映画を,当欄がどんな評価を与えるか,読者も気にしておられることだろう。
 サスペンススリラー,史実に基づく戦争映画,SFアクション,アメコミ実写化3部作等々,ジャンルを問わず挑戦する多才な監督であるが,本作は古代ギリシャの詩人ホメロスの叙事詩「オデュッセイア」の映画化である。「イーリアス」と共に,誰もが中学生時代に名前を聞いたことがあるはずだ(筆者の学校時代は「イリアス」「オデッセイ」と習ったが)。西洋人なら誰もが知るこの叙事詩を,どんなのノーラン流解釈を披露するのかが楽しみだった。きっと過去に何度も映画化されているのだろうと思ったが,TVシリーズはあったものの,映画は一部の抜粋や後日譚だけであった。その意味では,本作が劇場用映画としては,初のほぼ全編映画化作品なのである。
 北米では7月17日公開となり,日本でも9月4日からIMAX先行上映が始まっていたので,映画雑誌や映画サイトでの解説は勿論,既に個人の叙事詩解説講座,ノーランの過去作との比較等々がひしめいている。よって,本稿はそうした解説は繰り返さない。筆者個人の感想から始め,当欄の視点でのIMAXフィルムカメラの利用や実物撮影主義に偏重したノーラン美学に関して私見を述べる。

【ざっとしたこの映画の概要と感想】
 原典は約2800年前に作られた叙事詩で,全24歌からなるが,ノーラン監督はかなりその順序を入れ替え,一部は省略している。イタケ国の王・オデュッセウス(マット・デイモン)の物語で,彼はギリシャ軍がトロイア国を破った10年戦争の英雄であった。戦争終了後,他国の王は自国に戻ったのに,神々の怒りを買った彼は,その後10年間も行方不明だった。国王の地位を狙い,王妃ペネロペ(アン・ハサウェイ)に結婚を迫る求婚者たちが,クセニアなる「客人歓待の慣習」(ゼウスの掟)に乗じて3年間も連日飲み食いしているシーンからこの映画は始まる(写真1)。


写真1 約3年間, 連日タダ飯を食べ続けた求婚者たち

 彼らから暗殺される怖れがあった皇子テレマコス(トム・ホランド)は,父の行方を探すため,スパルタ王メネラオスのもとに向かった。一方,オデュッセウスは帰路の島々で怪物と戦い,亡霊とも遭遇した後,オギュギア島で7年間も精霊カリュプソ(シャーリーズ・セロン)の虜になっていた。彼が記憶を取り戻す過程で,回想シーンとして,トロイア戦争の顛末,地中海の島々での出来事が語られる。ようやく,カリュプソから解放されたオデュッセウスはイタケ島に戻る。物乞いの姿で身を隠して宮殿に潜入し,求婚者たちを討ち果たして,ペネロペと再会する……。
 以上が,最低限の要約である。原典が古体詩といっても難解ではなかった。多数の登場人物の関係は分かりやすく,人名も繰り返して語られるので,覚えやすかった。時代背景やギリシャ神話の知識がなくても物語が理解できるように配慮されている。その意味では,巨匠の大作には珍しいサービス精神満載の映画であった。波瀾万丈の物語は,見事なストーリーで描かれ,とにかく面白い。上映時間172分を全く長く感じさせず,全編の隅々まで楽しめた。

【主要キャストの印象】
 舞台挨拶で20人弱が並ぶという豪華キャストであるので,彼ら全員の紹介はできない。特に目立った俳優の印象だけ触れておこう。主人公オデゥッセウス役には,マット・デイモンが配されたが,もう少し堂々たる体躯の俳優の方が似合うのにと思った。過去に『インターステラー』(14年12月号)や『オッペンハイマー』に出演した時の演技力を買われたのだろう。知的な軍の指揮者としての冷静な判断,物乞いに扮した佇まい,クライマックスの強弓を引く様等々,まさに円熟期というべき風格ある演技であった(写真2)。


写真2 現在55歳, 風格ある演技でまさに円熟期

 王妃ペネロペ役には,いっそ洒落でペネロペ・クルスが適任だと思った。美人度では一級であるし,年齢や身長でもM・デイモンと釣り合う。アン・ハサウェイだと少し年齢差があるが,彼女もまた『インターステラー』での演技が気に入られたのかも知れない。A・ハサウェイは,今年の夏前から『プラダを着た悪魔2』(26年5月号)『隣人たち』(同7月号)『オークストリートの異変』(同8月号)に続いてのお目見えである。これだけの大スターが5ヶ月間に4作という過密スケジュール,売れっ子ぶりに驚く。演技力では,エミリー・ブラントやジェシカ・チャステインに劣るような書き方をしてしまったが,気品と美しさを備えた本作の王妃役は出色で,彼女の女優人生のベスト1である。年齢相応の演技力が身に付いてきたのだと思われる。
『スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ』(26年7月号)のピーター・パーカー役とMJ役で観たばかりのトム・ホランドとゼンデイヤが,夫婦揃ってノーラン監督のお眼鏡にかなって本作に出演しているのも印象的だった。ゼンデイヤはオデュッセウスにしか姿が見えない「アテナ」なる不思議な女神役で,セリフの量は少なかった。存在感抜群だったのは,テレマコス役のT・ホランドの方である。小柄で童顔なのが,若々しい皇子役にぴったりだった。A・ハサウェイとT・ホランドは,実年齢では13歳しか違わないが,本作ではしっかり親子に見える(写真3)。これまで彼は,スパイダーマン/ピーター役のイメージを払拭できなかったが,本作のテレマコス役でその壁を打破できたことは確実だ。本作は世界中で特大ヒットとなり,ノーラン映画の興行成績記録を更新中と報じられている。皮肉なことに,『…ブランド・ニュー・デイ』はそれを遥かに上回る金額を稼いでいるので,まだピーター役でのオファーも続くだろう。


写真3 実年齢は43歳と30歳だが, しっかり親子に見える

 上記の3人は,来年のアカデミー賞で,主演男優賞,助演女優賞,助演男優賞のノミネートされることは確実と思われる。他の男優で最も目立ったのは,最有力求婚者アンティノオス役のロバート・パティンソンだった。彼は『TENET テネット』(20年9・10月号)の準主役であった。本作では悪役であるが,イケメンで凛々しい。バットマン俳優としても成功しているので,オデュッセウス役でも良かったくらいだが,さすがに20年ぶりに帰還する国王役には少し若過ぎる。彼の若き日を演じる10代の俳優レイミー・ラングが,R・パティンソンにそっくりなのが,嬉しいキャスティングであった(写真4)。当欄では紹介できなかったが,R・パティンソンは8月公開の『ドラマなふたり』(26)で,ゼンデイヤと夫婦役で共演していた。この2人は,年末公開の『デューン 砂の惑星PART3』にも出演している。T・ホランドは同日公開の『アベンジャーズ/ドゥームズデイ』でスパイダーマンとして登場する。即ち,今年の下半期だけで,R・パティンソンとT・ホランドは3作,ゼンデイヤは4作で姿を見せることになる。ハリウッド映画界はそこまで俳優が払底しているのかと感じるほど,人気俳優に重要な役が集中している。


写真4 青年期と成人期のアンティノオス。なるほど, 似ている。

 他の女優陣で最も強烈な印象を残したのは,アイアイエ島に住む魔女キルケ役のサマンサ・モートンだった。『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』(16年11月号)では人間の役で,「魔女や魔法使いは実在して,危険だ」と主張していたが,本作では自分が魔女だったのである(笑)。別の意味で目立ったのは,ルピタ・ニョンゴだった。ギリシャ軍の総大将アガメムノン(ベニー・サフディ)とその弟スパルタ王メネラオス(ジョン・バーンサル)のそれぞれの妻クリュタイムネストラとヘレネは双子の姉妹で,特にヘレナはトロイア戦争の原因となった「絶世の美女」という設定だった。この2人をケニア人の両親をもつルピタが一人二役で演じていたので,「ギリシャの美女役になぜ黒人女優を起用する。ノーランお前もか!」と,SNS上ではお馴染みのポリコレ論争が起きたようだ。「傾城の美女」とは思えないが,黒人女優としては相対的に美しく,こうしたアクセント的な起用もいいのではないかと思う。
 美女の度合いでは,カリュプソ役のC・セロンが一番だった(写真5)。7年間に渡ってオデュッセウスを誘惑し続けるのであるから,これくらいの美しさは必要と監督も考えたのだろう。『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(15年7月号)で坊主頭の大隊長を怪演したかと思えば,『ワイルド・スピード』シリーズや本作で平然と正統派の美女に戻れるのだから,さすがハリウッド女優だ。既に五十路に入っているはずだが,この美しさは驚異的だ。


写真5 既に五十路とは思えぬ美しさ。見惚れてしまう。

【全編IMAXフィルム撮影の価値はあったか?】
 ノーラン監督は,子供の頃から巨大スクリーンIMAXのファンであった。IMAXデジタルカメラとIMAXデジタル上映が主流になってからも,フィルム撮影に執着し,過去作でもその一部で,下記のようにIMAXフィルムを使い続けた。

『ダークナイト』(08年8月号)  約28分(18%)
『ダークナイト ライジング』(12年7月号) 約72分(44%)
『インターステラー』(14年12月号) 約65〜66分(39%)
『ダンケルク』(17年9月号) 約79分(75%)
『TENET テネット』(20年9・10月号) 約76分(51%)
『オッペンハイマー』(24年3月号) 約40分(22%)

 そして今回,20年来の念願であった全編IMAXフィルムによる撮影を敢行したのである。このこと自体が,本作の大きなセールスポイントとなっている。これは撮影に関してだけであって,観客が全員IMAXフィルム上映を見られる訳ではない。その実状と監督が目指したものが達成されているのかを整理してみることにした。

①「初の全編IMAX70mmフィルム撮影による映画」は本当か?
 上記の表現は,厳密には正しくない。「65mmフィルムで撮影」と書かれている記事があるので,70mmとは別フィルムと誤解されがちである。正しく言えば,撮影時は65mmで,上映時はサウンドトラックを付しての70mmなのである。35mmフィルムと区別するため,便宜的に65mm撮影も70mmと称しているに過ぎない。
 かつて大画面映画の定番であった70mm映画は,フィルム縦送りであったが,IMAXはそれを横送りにして1コマの面積を大きくしていることは,以前に何回も述べた。フィルム送りの穴は,縦送りフィルムでは5穴/コマなのに対して,横送りのIMAXフィルムでは15穴/コマである。よって,IMAX15/65,IMAX15/70mmのように表記することが多い。
「初の全編…」は,ノーラン映画に関しては正しい。1985年のつくば科学博でIMAXの知名度は一気に増し,20世紀末までに,様々な博覧会・大型展示会で採用され,各国の科学博物館にもIMAXシアターが常設された。その時代には,まだIMAXデジタルカメラはなかったので,当然全編フィルム撮影/上映であった。ただし,フィルム映写機のプラッターの制約から,上映時間は40分以内であった。

②「史上初の全編IMAXフィルム撮影の劇映画」は本当か?
 こちらも,ノーラン映画と限定すれば正しい。上記の博展映像の大半はドキュメンタリー,それも科学映画が中心であったが,ストーリー性がある劇映画も存在していた。どこで観たかは覚えていないが,『愛と勇気の翼』(95)を観た記憶がある。これは40分程度のIMAX映画であったので,単なる「劇映画」でなく,本作を「初の劇場用長編映画」とするのなら,上記はほぼ正しい。かつて紹介した『ファンタジア2000』(00年2月号)は,IMAXフィルム上映を前提とした,画期的なデイズニー製のミュージカル映画であった。上映時間は75分で,世界初の劇場用長編商業映画であったが,アニメであったので,IMAXフィルムカメラで実写撮影していたのではない。手書きアニメや初期の3D-CG映像の素材を35mmフィルムに焼き,それをIMAX15/70mmフィルムに再プリントして各映画館に配られていた。

③日本では『オデュッセイア』のIMAXフィルム上映は観られない?
 残念ながら,これは本当だ。日本にはそれをIMAX15/70フィルムで上映できる映画館は存在していない。日本だけではなく,アジア,アフリカ,南米にも存在しないが,北米,欧州,豪州では計50館以上でフィルム上映されているようだ。
『ファンタジア2000』は東京・新宿の高島屋にあった「東京アイマックス・シアターで観た。他に大阪,札幌,穂高の4館で公開されていたが,いずれも数年ともたず,閉館となってしまった。科学博物館等でのIMAX上映施設もほぼなくなってしまった。全く旧式の設備を保守しながら維持して奇跡的な科学館が鹿児島にあるが,40分しか上映できないので,172分の『オデュッセイア』は上映できない。かつてのIMAXフィルム上映館がすべてなくなったのは,手軽に上映できるデジタル方式が出現したのと,IMAXフィルムで製作された劇場用コンテンツがなかったからだと言える。
 現在のIMAX上映は,デジタル方式でアスペクト比「1.90:1」の「IMAX4Kレーザー」が主流で,これは全国約50館で採用されている。IMAX15/70フィルムと同じ「1.43:1」の「IMAXレーザー/GTテクノロジー」方式を採用しているのは,「シネマサンシャイン池袋」と「109シネマズ大阪エキスポシティ」の2館だけである。筆者は後者での『オデュッセイア』完成披露試写会に招待されていたが,日程の都合がつかず,断念した。9月4日からの先行上映を池袋で観ようとしたが,満席であったため,止むを得ず「IMAX4Kレーザー」で観た。本稿での感想や画質に関する論評は,この方式での観賞結果である。9月11日からの一般公開では,一般スクリーンでの「2.39:1」(シネスコサイズ)上映が加わっている。画面比がこれだけ違うと,印象もかなり異なると思われる。

④海外のIMAXフィルム上映館は日頃何を上映しているのか?
『オデュッセイア』が史上初だとすれば,上記のようなIMAXフィルム上映館は,これまで一体何を上映して営業していたのかという疑問が湧く。どうやら,以下のような営業方針で運営されていたようだ。
 (a) フィルム撮影が全編の一部であっても,『インターステラー』『ダンケルク』のような作品をフィルム上映する。昨年は『罪人たち』(25年6月号)が加わった。それらのリバイバル上映もしばしば行う。
 (b) 『デューン 砂の惑星 PART2』(24年3月号)のようなデジタル方式の大作を,意図的にIMAX15/70フィルムに逆現像して上映する。あるいは,同シアター内に併置したIMAXレーザーでデジタル上映して,スクリーンを遊ばせない。
 (c) かつて,5/70mmフィルムで上映された『アラビアのロレンス』(62) 『2001年宇宙の旅』(68)等の名作を,IMAXフォルムに復元して上映する。
 それで大きな利益は出ないだろうが,納得が行く営業形態である。そこに今回の『オデュッセイア』のような映画が登場すれば,特別料金でもマニアックなファンからの予約が殺到し,連日満席となる。それが大きな利益を生んで採算が取れる,という訳である。日本でも実現して欲しいところだが,和製アニメで利益を得ている安全志向の日本の映画興行界には,そんな勇気はないだろう。

⑤この20年間でIMAX15/70上映やIMAX15/65カメラは飛躍的に進歩したのか?
 ノーラン監督が待ち望んだ20年間に,大きな進歩があったのかを調査してみた。IMAXフィルムフォーマットはずっと同じであり,既に『ファンタジア2000』時点でIMAX15/70フィルム映写機もかなり高度なシステムであったので,基本性能は同じだ。ただし,2002年頃からIMAX用プラッターシステム(連続上映用フィルム供給・巻取装置)の大型化が進んだため,ノーラン作品のIMAX上映の道が拓けたという幸運もあった。35mmフィルムに比べて圧倒的に大きな設備であったため,かつては40分制約があったが,まず120〜150分に延長され,さらに180分の連続上映可能な超大型化が達成された。『オデュッセイア』は5本のIMAXリールをプラッターに装填することで,172分上映を達成している。
 その一方で,コダック社が提供する撮影用65mmネガの乳剤技術には,結構な進歩があったようだ。暗部の情報量,ハイライトのラチチュード,色再現,粒子構造などが改善され,かなり広いダイナミックレンジを後工程で調整できる自由度が増えたという。「明るい空+人物の顔+暗い室内」のバランス調整が容易になったのである。拘り派の監督や撮影監督がこうしたフィルムを好むのは十分理解できる。ただし,『オデュッセイア』がその威力を十分発揮できるコンテンツであったかどうかは別問題である。これに関しては,次項で私見を述べる。
 IMAX15/65カメラもかなり大型の機材であり,その操作性,安定性は徐々に改善されていたようだが,しばらく大きな改善はなかったようだ。IMAX社の関心や投資は,デジタル技術に向けられていたと考えられる。ところが,数年前から,ノーラン監督の強い要望により,約2年間かけて小型軽量のキーリー(Keighley)カメラが開発され,本作の撮影時に完成した。さらに,従来のIMAX15/65カメラ(IMAX MSM 9802)は撮影時に爆音が生じていたため,俳優のセリフは同時録音できるようノーラン監督から静音化の要求があった。IMAX社はこの要望にも応え,防音ケース(ブリンプ)も開発された。メイキング映像を見ると,このブリンプ付きキーリーカメラが重用されていることが分かる(写真6)。このようにノーラン監督はIMAX映画にとっての特別な存在であり,彼が望んだ条件が整ったゆえに,全編IMAXフィルム撮影で『オデュッセイア』が制作できたのである。ただし,IMAXフィルムは高価であるので,この映画1本のために,約300万ドル(46.5億円)のフィルム代が必要であったという。


写真6 防音ケース付きのキーリー・カメラ。小型軽量化されたとはいえ, まだ結構重そう。

⑥フィルム上映の『オデュッセイア』はノーランの目指した映画になっていたかの検証
 フィルム撮影/上映に執着する映画監督や業界人は,「フィルムでしか表現できない質感・粒状性」,特に暗い室内や夜間の屋外での照明と闇のバランス等を長所として挙げる。劇映画の『オデュッセイア』は,その威力を十二分に発揮していた映画だったかと言えば,国内にIMAXフィルム上映館がない以上,正しい評価のしようがない。前述のように,IMAXフィルムの表現力も増しているので,過去のIMAX作品にはない質感表現を達成していた可能性も高いが,フィルム自体に陰影表現の調整の自由度が高くなっているなら,IMAXレーザー用へのデジタルリマスターリング時にHDR (High Dynamic Range) 技法を用いて変換すれば,デジタル上映でも良質の陰影表現ができるはずである。フィルム上映との差はあるだろうが,デジタル上映との差はそう大きくないとも考えられる。
 当欄で紹介したIMAXフィルム上映映画は,上記『ファンタジア2000』以外に,『エンカウンター3D 』(99年12月号)『ジークフリート&ロイ』(同号)『美女と野獣』(02年2月号)『ジェームス・キャメロンのタイタニックの秘密』(03年10月号)の4本がある。個人的には,もう数本を映画館で観ている。科学映画まで含めると,海外出張時に,NYの自然史博物館,ワシントンD.C.のスミソニアン博物館,フランス・ポワチエ市のフチュロスコープ等にも足を伸ばしてIMAXシアターを体験したので,20本以上になる。なかんずく,最高の映像体験は,フロリダのNASAケネディ宇宙センターで観た『夢は生きている』(The Dream Is Alive)であった。スペースシャトルから撮影されたIMAXフィルム映像で,漆黒の宇宙空間と青い地球の対比,打ち上げ後の地球表面がどんどん遠ざかって行く光景は,まさにIMAX映像の極致であった。
 こうした体験をもとに,IMAXレーザーで観たデジタル版『オデュッセイア』で,「ここはフィルム上映で観たかった」と思うシーンが多数あったかと言えば,余り肯定的な発言はできない。あくまで私見であると断った上で言うならば,せいぜい「キュクロプス島の洞窟内の暗部での攻防」と「夜のトロイア宮殿の炎上」だろうか(写真7)。最大限に見積もっても,172分の内,数%に満たないと思う。


写真7 洞窟の暗さ, 夜間の炎がフィルム上映でどう表現されたかは見たかった

 陰影表現での長所が少ないだけでなく,大きな欠点だと感じたのは,画面アスペクト比への配慮によって,理想形から遠ざかってしまったことである。ノーラン監督が本当に見せたかったのが「1.43:1」のフィルム上映であるなら,「1.90:1」のIMAXレーザー上映は大幅に上下の画像領域を失い,「2.39:1」の一般上映では,さらに上下がカットされた欠陥映画だということになる。ところが,『オデュッセイア』では「2.39:1」に切り出すことを意識し過ぎたカメラアングルや構図を採用しているように感じた。即ち,プラチナチケット代を払った観客は,上部は空ばかり,下部は海や荒地ばかりを見せられていることになる。室内の対話シーンもかなり多いので,その場合は,天井や床の比率が大きい画面を見ていることになる。一般上映に,シネスコサイズの「2.39:1」でなく,ビスタサイズの「1.85:1」を採用していれば,まだしも「1.90:1」に近かったので,空や海の比率は抑えられた。邦画ではビスタサイズが主流だが,北米のシアターでは「2.39:1」が標準なので,それに配慮し過ぎてしまい,結果的に「1.43:1」の観客を軽視した形になっている。

【CG/VFXの出番はあったのか?】
 ノーラン監督は徹底した実物主義者であり,「CG嫌い」であるとの評判が定着している。厳密に言えば,監督は「可能な限り実写(プラクティカル・エフェクト)で撮影し,CGIは補完的にしか使用しない」としか発言していない。かつての『ダークナイト』では,かなり積極的にCG/VFXを活用していたし,『インセプション』(10年8月号)『インタステラー』はCGなしでは実現できなかったので,少なくとも「CG嫌い」ではない。『オッペンハイマー』では,CG/VFXの出番がほぼなかったのは理解できるが,怪物や魔女が登場する本作では,そこそこ使われているのではないとの期待をもって観てしまった。
 ■ 明白にCG/VFX(厳密には,CGIと発言している)の利用を公言しているのは2箇所だけである。その1つは,冥界を脱して航海を続けるオデュッセウス一行が海の渦(カリュブディス)と遭遇するシーンである(写真8)。普通に考えれば,この渦はCGで描けば,さほど難しくもない。流体力学による物理レンダリングを利用すれば,いくらでもリアルに描ける。ところが,実物主義のノーラン監督はそうはしなかった。実際に水上バイクを走らせ,水流と水しぶきによる大きな円運動(外側の渦)を物理的に作り出し,それをフィルム撮影している(写真9)。VFXチームは撮影映像から水上バイクをデジタル処理で消去し,渦の中心部が回転しながら下がって行くCG映像をVFX合成して完成映像とした。写真9は崖の上から撮影したか,ヘリを飛ばしての撮影かは不明だが,実物主義に拘るために余計なコストがかっている。写真8と写真9を見比べると,「1.43:1」での上映が空と海ばかりを見せられていることが実感できるはずだ。


写真8 海の渦(カリュブディス)の完成映像

写真9 水上バイクを走らせて, 水流や水しぶきを撮影

 ■ もう1つは,渦を避けた船が写真8の右の2つの岩の間の海峡を抜ける時に登場する出来事だ。6つの頭と長い首を持つ巨大な怪物サキュラが岩陰から現われ,6人の兵士を次々と船から引き上げて殺害してしまう(写真10)。さすがにこのサキュラはCG製のようだが,兵士は実在の俳優である。CGクリーチャーとしては,かなり単純な怪物だ。あまりに短いシーンだったので,後で解説を読むまで,頭の数は分からなかった。そもそもこのサキュラがどんな怪物なのか,監督は全身を見せてくれず,あっという間に終わってしまった。カリュブディスもサキュラも叙事詩中に登場する魔物なので,ノーラン監督としては描かない訳には行かない。渋々最低限の手間で,不思議な出来事があったことだけを見せて済ませたのだろうか。


写真10 6つの頭と6本の触手を持つ怪物サキュラ。全身は見せてくれなかった。

 ■ サキュラをCGで描くなら,他のクリーチャーもそうすれば良かったのにと思うシーンがいくつもあった。その代表例は,キュクロプス島の洞窟に住む一つ眼の巨人ポリュフェモスの登場場面である(写真11)。俳優ビル・アーウィンに特殊メイクを施してポリュフェモスを演じさせ,他の俳優とは別撮りした。6mの巨人であるため,他の俳優たちが視線を合わせられるよう,実物大のパペットを作ってビル自身が操作に操作させた(写真12)。その後,パペットは消した上で,ビルの演技と他の俳優の演技をVFX合成したのが完成映像である。他の俳優に怪物の位置と高さを実感させるのなら,パペットを作って操作する必要などない。6mの棹の先にランプをつけおけば高さは伝わるし,さらに顔だけでもつけておけば怪物の感じは出る。ポリュフェモスの怪物らしさを強調したいなら,CGでもっと怪物らしい体形で描き,動きはビルがMoCap演技をすれば良いのである。怪物の動きはプレビズ段階で確認修正できる。最近は,LEDスクリーンにCG製の怪物や洞窟を表示し,その前で演技する方法が普通だ。そんな当たり前のCG/VFXを採用しないのは,ロケ地に選んだギリシャ・ペロポネソス半島の「ネストルの洞窟」に全員を集合させ,ノーラン監督が撮影現場でポリュフェモスの動きを視認しておきたかっただけに過ぎない。


写真11 洞窟に住む一つ目の巨人ポリュフェモス

写真12 俳優ビル・アーウィンが特殊メイクで演じ, 高さ6mのパペットも彼自身が操作

 ■ この洞窟のシーンでポリュフェモスが飼っている多数の羊が登場する(写真13)。勿論,この羊たちも本物だ。40頭の羊と6mのパペットをギリシャの洞窟まで運ぶのであるからご苦労な話である。洞窟はCGでなく,本物を使ったとしても,そうそう羊たちは監督の意図通りには動いてくれないだろうから,これもCGで描いた方が映画演出としては自由度が高かったはずだ。それだけではなく,オデッセウスたちが羊を利用して洞窟からの脱出方法を原典から改変してしまっていることの方が問題だ。原典では,兵士が1人ずつ羊の腹にぶら下がり,盲目になったポリュフェモスは羊の背をなでて,羊だと確認したとなっている。羊と兵士の重さからして,実際にそんな映像は撮れない。おそらく,兵士役の俳優たちは,羊と羊の間を地を這うようにして洞窟の出口まで移動したのだろう。そうしている映像もなかったので,実際の撮影がどうだったのかは不明である。CG/VFXを用いれば容易に原典通りの映像を実現できたことは自明だが,都合の悪いシーンは見せていないようだ。


写真13 左下に見える実物の羊を40匹持ち込んだが, 臭いに閉口したらしい
(C)2026 UNIVERSAL STUDIOS

 ■ この映画の中では,羊の他にも,牛,豚,カラス等の動物たちが登場するが,これらもすべて本物を登場させたのだろう。アイアイエ島の魔女キルケの館では,1匹ずつであるが,ライオン,虎,豹までが登場するシーンがある。さすがにこれはCGだろうと思ったのだが,それらも訓練された動物を使用したとのことだ。ホメロスの叙事詩に登場するためかと思ったら,原典で語られているのは,狼とライオンだけで,虎や豹はノーラン監督が加えたらしい。ホメロスの時代,ギリシャ近郊にもライオンは棲息していたらしいが,アジアにしかいない虎まで登場させるのはやり過ぎだ。現実ではない,魔女が支配する異界らしく演出したかったのなら,この場面はCGでもっと多様な猛獣や怪物を描けば良かったのである。
 ■ 魔女キルケで語るべき特撮シーンは,彼女が魔力で兵士たちを次々と豚にしてしまうシーンである。魔法をかけ終わってからは,生きた豚を登場させているが,その豚は多少の演技ができるよう訓練されていたそうだ。見どころはキルケが兵士の顔を操作して,徐々に豚の顔になって行くシーンだった(写真14)。明らかに不自然だったので,CGでないことは誰にでも分かる。メイキング画像を見ると,豚への変形途中のゴム製の模型が複数並んでいる(写真15)。魔女役のS・モートンは,この顔面を触って手を動かしていただけなのである。彼女が男の口に手を入れているシーンまで,胸から上の実物大模型を用意していたのには呆れた(写真16)。実物主義もここまで来るとお笑いだ。CG製の頭部を単純にモーフィングするだけで,滑らかに人間から豚に変形できることは,VFXの初心者でも分かる。そう提案しても,監督は自説を曲げないだろうから,スタッフも大人しく従ったのだと思われる。


写真14 キルケの魔法で豚にされてしまう途中の顔

写真15 キルケ役の女優が手にするラバー製の頭部がいくつも用意されている

写真16 こんな模型まで作っていたとは驚いた。耳や肩を弛みを見ると, なるほどラバーだ。

 ■ ここまで来ると,大きな見どころである「トロイの木馬」が,すべて実物であることは明らかだ。確かに,ポリュフェモス,スキュラ,豚のように変形しないから,CGの利点はなく,実物大模型の方が質感は高い。ただし,過去作で見慣れた「四つ足」が台車に乗った単純な形状ではなく,前脚2本を上げたダイミナミックなポーズをとっている(写真17)。映画史上だけでなく,数百年以上前から描かれていた絵画を含めても,こんな斬新な(奇妙な?)ポーズの「トロイの木馬」は初めてだ。海岸,市中,宮殿前等,撮影場所に応じて,同サイズの複数の木馬を制作したようだ(数は不明)。高さは10.6〜11m,重量は3.6〜4トンというから,こんな運びにくいポーズの木馬をロケ地まで運ぶスタッフも苦労したことだろう。基本骨格は鋼鉄製,外装は軽量のファイバーグラス・パネルを使ったと書かれているので,もはや「木馬」ではない。ノーラン監督の実物主義もここでは破綻している。


写真17 前脚2本を挙げた史上最もダイナミックなポーズの「トロイの木馬」

 ■ 余談になるが,この機会に他の「トロイの木馬」の大きさや形状も調査してみた。現在のトルコ共和国に残されている世界遺産の「トロイ遺跡」の入口にある木馬は,1975年にトルコ人芸術家İzzet Senemoğluが制作した観光用施設で,高さ12.5mで,山地から運んだ松材で作られている(写真18)。観光客が中に入って周りを見渡せるようになっているので,ある種の建築物である。一方,2004年の映画『トロイ』(04年6月号)に登場する木馬は,もっと重々しいデザインで,高さ12.4m,重量11〜12トンだという(写真19)。同作はCG多用作であったが,木馬だけは実物を作ったようだ。多人数で引いているシーンがあったと記憶している。こちらは,映画終了後にトルコ政府に寄贈され,トロイ遺跡に近いチャナッカレ市の海岸に設置されている。この2体とも4本足はしっかり台座に着いている。更に余談だが,本作の字幕では「トロイア国」「トロイア戦争」と記しておきながら,プレス資料や公式サイトでは「トロイの木馬」と書き,映画雑誌等もそれに追随している。もはや日本国内では,この表記が定着しているからだろう。そう言えば,中国の首都・北京の読み方は,世界的には,かつての「ペキン(Peking)」から「ベイジン(Beijing)」に変わったが,「北京ダック」は相変わらず「ペキンダック(Peking Duck)」のままだ(笑)。似たような事例である。


写真18 「トロイの遺跡」に飾られた純木製の木馬。観光客が窓から外を眺められる。

写真19 『トロイ』(04)に登場したどっしりした木馬。重さは本作の約3倍。

 ■ 質感重視のノーラン監督は,当然のことながら,城や宮殿は,欧州中を探して,しかるべき史跡を見つけた。イタカ島に選ばれたのは,イタリア・シチリア自治州にあるファヴィニャーナ島で,この島にある石造りのサンタ・カテリーナ城が一貫して撮影に使われた(写真20)。なるほど,海抜340mの城からの眺望は抜群だが,この城に着くには,3週間以上,全員が毎日片道274mの坂道を登る必要があったという。遠景の外観は実物を撮影し,近景はCGで描き,宮殿内はセットを組むのが普通だが,勿論,ノーラン監督はそんなことは許さない。イタリア文化庁の許可を得て,一時的な建て増しをして,必要な資材はヘリ等で運んだという。さすが,巨額の製作費を使えるノーラン映画だと感心する。


写真20 イタリア・ファヴィニャーナ島のサンタ・カテリーナ城を改葬して撮影に使った
俳優もスタッフも, 3週間毎日急な坂道を登って, この城に通ったという。

 ■ 一方,古代都市トロイアの市街地や宮殿の実現には,モロッコの世界遺産「アイット=ベン=ハドゥの集落」が利用された。この地に約1万平米に及ぶオープンセットを組み,高さ11mのアテナ神殿,約60の建物,石造りの階段を作った。写真21を見た時には,城門や外壁は新設であるとしても,丘の上の要塞集落との間のどこまでがオープンセットなのか,どこがアテナ神殿なのかは見分けられなかった。集落との繋ぎ目を自然に見せるため,VFX加工されている可能性は十分にある。写真22を見ると,ライトアップされて部分がオープンセットであり,木馬が前にあるのが神殿だと分かる。ちなみに写真23は映画『トロイ』のシーンであるので,似たようなデザインだ。さすがに,写真24の建物の倒壊や火災はCGだろうと思ったのだが,建物は本当に倒し,特殊なLED照明を新規開発して火炎のように見えるようにしたという。大量のトロイア軍兵士も2千人のエキストラを使っている。VFX後処理は否定していないので,その出番はかなりあったと思われる。


写真21 トロイアの宮殿用には, モロッコの「アイット=ベン=ハドゥの集落」が使われた。
実在の世界遺産の砦と映画用のオープンセットの境界がよく分からない。

写真22 ライトアップされている部分がオープンセットらしい
(C)2026 UNIVERSAL STUDIOS

写真23 『トロイ』(04)で描かれていたトロイアの宮殿と城門・外壁。
CG/VFX多用作であったので, どこまでが本物かは識別できない。
(C)2004 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved.

写真24 さすがに, このシーンはCGだと思ったのだが…。
張りぼてのセットとはいえ, やはり演じる俳優も危険を感じるはず。

 ■ オデュッセウス一行の帰路用の船も古代の船らしく見えるよう配慮している。ようやく見つかった古代仕様の船をオデュッセウスの主船として利用し,他の数隻はそれを真似て新たに作ったようだ。かつてのギリシャ,ローマ時代を描いたスペクタクル大作では,もっと多数の実物の船を登場させていたので,特に感心するには値しない。本作でも,実際に俳優たちが帆を張り,櫓を漕ぐ訓練をした上で,撮影に臨んでいる(写真25)。波が荒く見えるシーンは,VFX加工で波を加えている可能性が高い。さすがに,テレマコスがスパルタ国を往復する間に遭遇する大嵐は,海上での撮影にCG製の暴風雨を描き加えているものと思われる。


写真25 古代史仕様の帆船。帆を張ったり, 櫓を漕ぐ訓練をしてから撮影に臨む。

 ■ アイアイエ島に到着したオデッセウスの軍は,魔女キルケに出会う前に,ライストリュゴネ族に襲われる。全身銀色の甲冑で身を包んだ巨人たちで,まるでロボットのように見える(写真26)。かなり身長差があるので,カメラ配置の工夫により古典的な強制遠近法を使っているように見えたが,それでは説明できない構図のシーンも登場する。巨人たちは210cm以上の俳優を起用し,オデッセウスと部下たちは137〜152cmの小柄な俳優を配して撮影したようだ。彼らが一同に介した集合写真(写真27)を見ると,女性俳優も兵士たちを演じていたことが分かる。甲冑姿の巨人がイタカ軍兵士の脚を掴んで放り投げ, 投げられた兵士がぶつかった木が折れてしまうシーンがあった(写真28)。危険なので,ここはCGだと思いたかったが,おそらく,小柄なスタントマンと張りぼての木(実際は発泡スチロール?)を使って撮影したのだろう。

   

写真26 全身銀色の甲冑で身を包んだ巨体のライストリュゴネ族が襲いかかってくる

写真27 210cm以上の俳優と152cm以下の俳優たちの集合写真

写真28 放り投げられた兵士が当たった木が真っ二つに割れる。多分, 本物ではない。

 ■ 上記のようなロケ現場での撮影に,徹底してIMAXフィルムカメラの利用に拘ったので,カメラの移動・設置は大変だったに違いない。メイキング映像を見ると,実に様々な場所から撮影していることが分かる(写真29)。上述の小型軽量のキーリー・カメラは2台しか生産されなかったので,俳優の演技を捉えるシーンは,旧式の大型カメラも複数台(最大6台)配置して多視点で準同時録画している。いずれのカメラも,フィルムロールの制限から3分しか撮影できないので,カット割りを考慮し,少し時間差をもたせて,別アングルから撮影するのである。さすがに,ヘリからの撮影に防音ケースは必要ないから,キーリー・カメラ単体がヘリの先端に装着されている(写真30)。

   

写真29 海の上からも, 海辺の車からも, 丘の中腹からも撮影。 撮影機材の準備も大変。

写真30 ヘリの先端に付けられたキーリー・カメラ

 ■ 上記のようにIMAX上映を撮影&上映を前提とした映画だけあって,かなり広々とした構図のシーンが目立った(写真31)。確かに,没入感はたっぷりと味わえ,大作らしい風格も感じる。観客にとっては満足だが,これだけ広いエリアだと,カメラの調整,小道具の配置,崖を降りたり,海辺を走る俳優への連絡に,撮影スタッフは悪戦苦闘したことだろう。ただし,写真31はすべて「2.39:1」での上映に配慮した構図である。フィルム上映の「1.43:1」,IMAXデジタル上映の「1.90:1」と並べると,写真32のようになる。この被写体の場合,横幅を揃えると,いかにも上下が失われたと感じる。ところが,当欄が日頃掲載しているアスペクト比に応じた横幅で表示すると写真33のようになり,「2.39:1」の横長表示も悪くないなと感じる。「1.43:1」表示は上下が冗長な上に,現行のIMAXフィルム撮影で生じる四隅の暗部が気になってしまう。我々人間の目は両眼が左右に配置され,視野角は横長であるから,かつての70mm縦送り上映の方が自然なのである。このように考えると,全編IMAXフィルム撮影に拘るのは得策でなく,撮影対象に応じたカメラを選択し,上映フォーマットに応じて適宜トリミングするのが当たり前の選択ではないかと思う。


写真31 (上)敗軍兵士を弔う, (中1&2)海で見つかった木馬に向かうトロイア軍,
(中3)急坂を降りるライストリュゴネ族, (下)漂流したオデュッセウスを引き上げるカリュプソ

写真32 上から順に, 「1.43:1」「1.90:1」「2.39:1」

写真33 同じアスペクト比だが, 印象はかなり違う
(C)2026 UNIVERSAL STUDIOS

【このノーラン作品の総合的評価】
 素朴な感想とCG/VFXの出番に簡単に触れるだけで終わる予定が,思いがけず長文になり,ノーラン流映画作りへの強い批判とも読める記事になってしまった。要点を整理しておきたい。
 冒頭に書いたように,素直に面白く,見やすい映画だ。古典の現代風解釈としてはよくできている。この思いは今も変わらない。原典の叙事詩と比較して,省略や独自解釈が多く,時代考証がいい加減だとの批判もあるが。それには組みしない。全24話はとても1本の映画には入り切らない。現代の映画監督である以上,独自の解釈を加えたくなるのも当然だと思う。ただし,172分のこの映画を,現時点でもう一度見たいとは思わない。後年,同テーマの別監督の大作が登場した時,比べたくなるとは思うが。
 上記のように高い評価を与えつつも,監督の拘りが少し違っていれば,もっといい映画になったのにと思う。これは,「全編IMAX70mmフィルム撮影」と「極力CGを排した実物撮影主義」とを,別々に考えるべきである。まず,前者に関しては,部分的な利用の過去作が好評で,既に自らがブランド化されているなら,「今の内に一度はやってみたい」と思うのも自然だろう。彼の強い要望で小型軽量のキーリー・カメラが生まれ,さらに静音化まで達成できたのだから,結構なことではないか。それを押し通せる監督が1人くらいいてもいいと思う。このカメラの出現を喜ぶ監督は,他に多数いるに違いない。どんどん神格化されて,今後「ミニノーラン」「新種ノーラン」が姿を見せる可能性は大だ。
 IMAX社は,ノーラン監督が機材レンタルで上得意であり,本作の公開で同社の知名度も一層増すとの経営判断で,この監督の要望を聞き入れたのだろう。ユニバーサル映画は,「史上初の全編……」を大きな付加価値のある広告塔として利用している。両社とも「ノーランというブランドを守るための神話作り」に加担にしていると言える。これが通用するのは「史上初」だからであって,2作目以降は,その話題性は急速にしぼむ。フィルム上映館の数を考えれば,このノーマン神話はいつまでも維持できないことは明らかだ。
 音響面での優秀さも含めたトータルで,IMAXシアターに商業的価値が高いことは間違いない。ただし「1.43:1」は,同社が15/70mmフィルムの横送りを採用したことから生まれたアスペクト比に過ぎず,この数値自体にさほど意味はない。没入感を重視するなら,平面スクリーンでは限界があり,かつて存在した3Dオムニマックスシアターが最適・最強なのである。どうせなら,ノーマン監督にはオムニマックス信奉者であって欲しかったところだ。普通の劇映画を巨大平面スクリーンで観ることには弊害も伴う。
 ノーマン監督は,それらをすべて承知の上で,教祖として神輿に乗っかり,一度は「全編フィルム…」をやってみたかったのか,それとも本気で自分の美学と選択の正統性を信じているのだろうか? それは次作以降でも同じ撮影方法に固執するかどうかで判明する。賢明な人物であれば,いずれ部分的利用に戻り,被写体や脚本に応じて,カメラを使い分ける健在な映画作りに回帰するはずである。
 本作での「極力実物撮影主義」の浸透度は,【CG/VFXの出番…】の章で点検した通りだ。本作以前にも『エイリアン:ロムルス』(24年9月号)等があったように,「極力実物撮影主義」を標榜したがる監督は何人かいる。実質はかなり使っているのに,配給会社がしばしば「CGなし」をセールスポイントしているのは,ある種の詐欺である。その点では,本作はフェアプレイであるが,この面でもノーラン監督が神格化され,「ノーランの実物主義は凄い」なる評価が定着する怖れを感じてしまう。
 使う必要がないなら使わなくても良いが,本作は神話世界の物語であり,怪物や魔法の例を挙げるまでもなく,CG活用でもっと素晴らしい絵作りができるはずだ。『インセプション』や『インターステラー』の頃の柔軟なCG/VFX観を保ったまま,この神話を撮っていたなら,どこまで凄い映画になっていただろう? この叙事詩の初の本格映画化であったゆえに,実物主義に傾倒し過ぎを勿体ないと感じるのである。同じように,著名な原典の映画化で,斬新なCG/VFXをフル活用したピーター・ジャクソン監督の『ロード・オブ・リング』3部作 (01~03)の方が映画史に残る偉業である。
 上記の2つを別々に考え,前者は肯定したが,後者は当欄の立場からは否定せざるを得ない。監督にとっては「美学」であっても,観客から見れば「エゴ」か「道楽」に過ぎない。俳優や撮影スタッフに過酷な演技や作業を強いているなら尚更である。製作会社幹部もそう感じているのに,誰もそう発言できないのなら,「宮崎駿現象」とそっくりだ。いや,映画人としての実力はノーラン監督の方が遥かに上である。少なくとも,巨匠になっても,他人が理解できない難解な映画は作っていない。個人的には,古典的な技術の存続に拘る監督よりも,新規技術の導入に積極的なジェ—ムズ・キャメロン監督や,同じIMAX好きでも,バランス感覚の良いドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の方が好ましく感じる。試したかった念願の「全編フィルム撮影」も「極力実物撮影主義」もやり遂げたので,ノーラン監督も昔のマインドに戻って,さらに魅力的な映画を作り続けて欲しい。
[付記]最も好きなノーラン作品は『メメント』で,2番目が『インターステラー』である。

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