O plus E VFX映画時評 2024年3月号掲載
(注:本映画時評の評点は,上から,,,の順で,その中間にをつけています)
(3月前半の公開作品は Part 1に掲載しています)
■『COUNT ME IN 魂のリズム』(3月15日公開)
当短評欄のお気に入りの1つ,音楽分野のドキュメンタリー映画である。最近頻度が高くなり,今年に入って毎月紹介しているが,今月は2本目だ。紹介したい映画というより,評者が自分で観たくて選んでいると言っても過言ではない。既に故人のミュージシャンの功績を讃える伝記的な内容ではなく,本作の対象はロック分野で活躍する(した)ドラマー達である。彼らにスポットライトが当たるのは,恐らく初めてだ。劇映画の場合も,ドラマーが主役だったのは,『セッション』(15年4月号)くらいしか思い出せない。個人的なことを言うなら,大学に入った頃,ドラマーになりたかったが,ギターのように独習はできず,しかるべき教室が見つからずに断念した覚えがある。今ならドラムマシンを使って,かなりのレベルまで独習することも可能かと思う。
それで興味が半減した訳ではないが,誰が登場するのか,殆ど名前が思い浮かばなかった。伝説のギタリストならすぐに何人も名前が出るのに,これはどうしたことだろう? 人気バンドのドラマーなら覚えている。メル・テーラー,リンゴ・スター,チャーリー・ワッツ,デニス・ウィルソン,ジャッキー吉川,田辺昭知らの名前はすぐ出て来るし,フィル・コリンズやカレン・カーペンターがドラムを叩きながら歌っていたのもよく覚えている(そう言えば,ハナ肇や加藤茶もドラマーだった)。後の2人はソロ歌手やリードボーカルとして名を成し,前者らはバンドあっての存在で,単独で「伝説のドラマー」とは言い難い。ドラムでは主旋律を弾けず,ドラムソロでは何枚ものアルバムやコンサートは成り立たないので,ギタリストに比べて注目度が低いのかと思われる。
本作は英国映画で,映画音楽分野で豊富なキャリアをもつマーク・ローが彼らに脚光を当てることを企画し,行きがかり上,監督も務めたドキュメンタリーである。インタビューを受けたのは19名で,彼らがドラムの歴史や自らがドラマーを目指したきっかけを熱く語る。筆者が知っていたのはクイーンのロジャー・テイラーだけだったが,女性ドラマーが4人も含まれていたのは嬉しかった。奏法やテクニックでは,ジャムセッションでのアドリブやドラムソロの機会が多いジャズ分野からの影響が大きいという。代表例のバディ・リッチの超絶技法に痺れた。ジャズ出身でロック界での成功者ジンジャー・ベイカー(クリーム)の打法にも魅せられた。そして,誰もが褒め称えるジョン・バーナム(レッド・ツェッペリン)のライヴシーンで最高潮に達する。「好きでたまらないからやっている」の熱気が全編で溢れていた。
■『12日の殺人』(3月15日公開)
気になる題名の映画だったので早めに観るつもりだったが,確定申告で手間取り,公開日直前に慌ててオンライン試写で観た。日付や時刻等が題名に入って映画には秀作が多い。それだけ描かれている出来事のシチュエーションが限定されていて,リアリティが高いためかと思う。本作の場合,殺人事件だと分かっているので,実話で事件の情況が詳しく語られ,犯人逮捕までの捜査が克明に描かれているのかと想像した。冒頭から,その予想を見事に外されてしまった。仏警察は年間800件以上の殺人事件を捜査し,約20%は未解決で,その1つだという。監督は『悪なき殺人』(19)のドミニク・モル。2作続けて殺人がテーマとは,よほど「殺人」に至る人間関係や未解決で終わる事情に監督自身が興味をもったのだろう。
舞台はグルノーブル署管轄のサン=ジャン=ド=モーリエンヌの町で,山の景観が美しく,音楽も軽やかだ。まるで青春映画かと思ってしまう。事件は,2016年10月12日の夜に起きた。女性だけのパーティからの帰宅途中,21歳のクララが待ち伏せていた男にガソリンをかけられ,ライターで火をつけられて,翌朝焼死体として発見される。絞殺や撲殺でなく,明らかに計画犯行的なので,すぐに犯人は見つかると思われたが,一向に容疑者が特定できない。捜査を担当するのは,昇進して着任したばかりのヨアン班長(スティアン・ブイヨン)とベテラン刑事のマルソー(ブーリ・ランネール)だ。聞き込みを続けて,浮上してきた男たちは全員クララと男女関係があり,胡散臭い男ばかりだ。アリバイがあったり,決め手がなかったりで,事件は迷宮入りし,捜査班は解散する。約3年後,女性予審判事の指示で捜査が再開され,クララの命日の10月12日に墓に現われた男が真犯人かと思われたのだが……。
捜査途中に2人の刑事は交わす会話が生々しい。とりわけ,不倫した妻に離婚されたマルソーの未練たらしさ,愚痴の数々がリアルだ。これだけ人情味溢れる刑事もの映画も珍しい。さすがにその部分は実話でなく,フィクションだろう。怪しげな男ばかりで,未解決事件とは形式上に過ぎず,実は真犯人が判明したが起訴できなかっただけか,あるいは彼が抹殺されてしまう展開になるのではと期待したが,そういう結果にはならなかった。それでも固唾を飲んで観てしまうのは,監督のストーリーテラーとしての才覚である。じっくり眺めていたら,日付が変わって3月13日になっていた。ということは「12日の夜」に観始めていた訳だ。これもクララの怨念のなせる技かと思い,彼女が成仏してくれるよう,遺体が発見されるまでの朝までに,もう一度映画を観直し,この稿を書き終えることにした。
■『恋わずらいのエリー』(3月15日公開)
こちらは上記よりもさらに後に,全くの予備知識なく,駆け込んで観てしまった。邦画の青春ラブコメディなので,いつもの強いて観た理由を述べるべきところだが,特段の理由はない。いや,正直に言えば,対象リスト中で上記のすぐ下にあり,主人公名の「エリー」から洋画かと勘違いしてしまったためである。原作は藤もも作画の人気少女コミックで,『渇水』(23年6月号)の宮世琉弥と『ミステリと言う勿れ』(23)の原菜乃華の共演での実写映画化だということは,映画観賞後に知った。
主人公は,地味で目立たない高校生の市村絵利子(愛称:エリツィン)で,少しドジな普通の女の子だ。スポーツマンで学校一の爽やかイケメン男子・近江章(俗称:オミくん)にひたすら憧れ,彼との交際の妄想を「恋わずらいのエリー」のハンドルネームでSNS上に毎日発信していた。ある日,オミくんの裏の顔が口の悪い粗雑な男であることを知った上に,ケータイを置き忘れたことから,彼にSNSの内容を知られてしまう。この種の映画では,やがて2人が心を通わせるようになるのが定番だが,実際にその通りに進行する。ところが,エリーのSNS投稿に応答してくれた「ペロリーナ」が同級生の要陽一郎(西村拓哉)君であることが判明し,彼からも想いを寄せられ,これまた定番の三角関係に突入する……。全くお気楽な学園青春映画で,自民党の裏金問題にもウクライナやガザ等の世界情勢にも無縁の世界であった。
他作品がすべて満席の超混雑のシネコンで,止むを得ずに観た映画の気分だったが,それなりに楽しめた。果たしてエリーは2人のどちらを選ぶのか,結末が気になった。恋愛談議だけでなく,各自が文化祭に奮闘する光景を描いていたのが救いだった。高校生最後の秋,受験勉強を放り出し,体育祭と文化祭に集中した半世紀以上前を想い出した。筆者のような世代は懐古趣味で観ればいいし,『オッペンハイマー』などに興味のない若い世代は,そのままこの映画を観ればよい。終盤はヒューマンドラマ調になり,涙を誘う結末にしてしまう凡作が多い中,花火まで上げて,お気楽な妄想タッチで通したことがエライ!
■『ペナルティループ』(3月22日公開)
邦画が続くが,勘違いして観たのではない。同じ1日を繰り返すタイプループものと分かった上で,配給会社に請求してオンライン試写で観た。試写室での視聴でなく,オンラインを選んだのは何度も映像を見返すためである。この数年だけでも,当欄では『ハッピー・デス・デイ』(19年Web専用#3)『同 2U』(同号)『パーム・スプリングス』(21年3・4月号)『明日への地図を探して』(同号)『カラダ探し』(22年9・10月号)『MONDAYS/このタイムループ,上司に気づかせないと終わらない』(同年Web専用#6)と6本も紹介し,その中では過去の名作にも言及している。そこに「“これ以上のループものは出て来ないよね”という映画を撮りたかった」なる監督発言や「従来のループものと一線も二線も画す突然変異」なるキャッチコピーを見ると,これは放ってはおけない。脚本・監督は,木下グループ新人監督賞で準グランプリを受賞したオリジナル脚本『人数の町』(20)で長編映画デビューした荒木伸二で,本作が長編2作目である。
時代設定は2033年で,建築模型制作で生計を立てている主人公の岩森淳(若葉竜也)は,恋人の砂原唯(山下リオ)と同棲していた。物語は,ある朝彼女が出勤するところから始まる。岩森が夕食を作りながら待っていても唯は帰らず,川で水死体となって発見された。そして,6月6日(月)の朝,岩森はクルマである工場に入る。岩森が毒物を仕掛けた自販機のコーヒーを飲んだ社員・溝口登(伊勢谷友介)が苦しみ出す。この男が唯の殺人犯で,夜を待って岩森はナイフで留めをさし,死体は袋に入れて川に捨てる。朝,岩森が目を覚ますと,同じ6月6日だった。前日とは別の手口で殺すが,次の日も,また次の日も,溝口は生きていて,復讐を繰り返さざるを得ない……。ここまでは,典型的なタイムループものに思えたが,彼を殺しても別の日が始まらない。その謎や最後に岩森や溝口がどうなったかを書く訳には行かないが,ループの仕組みを考えつつ楽しみたい観客のために,途中までに明かされるヒントで考えよう。
予告編や公式サイトには「何度でも復讐できるプログラム」と書かれている。「もう終わりにしたいんですけど」と言う岩森の声に,「無理です同意されています」なる声が入り,「同意します」の契約文面が映る。さらに,岩森が「止めるのが無理みたい」と語り,溝口は親しげに「そうなんだ」と返す。これだけで,岩森は模擬殺人体験を一定回数実行する契約を結んだことが分かる。劇中では,被害者遺族に「復讐執行の新システム」を勧める商業サービスのパンフレットらしきものが映る。ループものは「主人公が意図せずループに巻き込まれるもの」と「主人公が復讐のループを自ら選択する」ものに大別できるというが,間違いなく本作は後者に属している。
筆者は別の視点で,「ループの仕組みが不明のままの映画」と「(現実には有り得なくても)ループの原因や仕組みが示され,それを利用して脱出する映画」に大別している。本作は誰もがVRシステムらしいと想像できるので,仕組みの概略は分かる。契約回数が固定されているので,ループから途中で脱出することはできない。
という訳で,従来のループものとは一味違ったが,ワクワク感は少なく,面白味には欠けていた。それは,まだ監督2作目ゆえに,脚本力&演出力が足りないためかと想像したが,そうではないようだ。50歳の監督デビューで,彼はCM/MV畑ではベテランの映像プランナーである。前作『人数の町』を観たが,日本社会を風刺したメッセージが強く伝わってくる。本作には,被害者遺族の私刑願望をどう満たすかの問題提起であり,VRやAIの未来形への疑問のように感じた。エンタメとしてのループ映画の脚本などいつでも書けるが,この監督は意図的にそれを外したのだと受け取れた。
■『ラブリセット 30日後,離婚します』(3月29日公開)
予想通り,楽しい映画だった。韓国製のラブコメディで,本作もそうと知っていた上で見た映画だ。歯の浮くような純愛もの,定番の難病&悲恋ものは苦手だが,副題から全くのコメディだと分かる。邦画の俳優の場合,イメージと違う役柄だと違和感が生じるが,韓流だとそれがない。韓国人の若者の暮しぶりや価値観が分かるのも愉しみなのである。監督のナム・デジュンは初めてだったが,「イケメンだがどんくさい夫 VS お嬢様だがぶっ飛んでいる妻」のコピー文句で期待がもてたし,「前代未聞の離婚狂騒曲」というので,期待が倍加した。
夫は長年の司法試験浪人中のノ・ジョンヨル(カン・ハヌル),妻は映画プロデューサーのホン・ナラ(チョン・ソミン)で,両親の反対を押し切って結婚した。弁護士にはなれたが,価値観と生活習慣の違いから,夫婦喧嘩が絶えない。両家の母親や妹までが参戦する。『きっと,それは愛じゃない』(23年12月号)よりも罵詈雑言が凄まじい。元々韓国語は汚いが,女性のそれは尚更だ(人種的偏見ではなく,音韻学的な分析)。いま気がついたが,父親はどうしていたのか? 存在感が殆どなく,覚えていない。家裁での離婚調停の場でも悪口の応酬は収まらず,熟慮期間30日後の離婚の裁定が下る……。
この手の映画は終盤に再度愛し合うのが定番だが,単純にそうはならなかった。家裁からの帰路に交通事故を起こしてしまい,2人とも意識回復後に記憶喪失になってしまう。同時に記憶がリセットされた2人は,離婚寸前であったことも忘れ,心を通わせ始めるが,周りはそうはさせじと離婚への誘導に努める。
生活形態はといえば,今回は入試地獄や就職難の描写はなく,司法試験だった。若い2人の新居がこんなに豪華なのかと驚いたが,それはナラの実家が金持ちのせいだった。友人達との行きつけの飲み屋のレベルは日本と大差はない。さて,30日が過ぎ,離婚届に署名した後の成り行きは……。こちらも上記の『恋わずらいのエリー』と同様,シリアスドラマにせず,最後までドタバタ劇を緩めない。デートムービーにはオススメだ。
■『パリ・ブレスト 〜夢をかなえたスイーツ〜』(3月29日公開)
色々表題のことを書いてきたが,本作には紛れはなかった。「パリ・ブレスト」は分からなかったが,フランス映画で,副題から菓子作りのことだと想像できた。パティシエ(菓子作り調理人)として成功を収めた人物の物語で,カラフルかつ涎が出そうなデザートが次々と出て来る映画を思い浮かべた。正にその予想通りで,14歳で菓子職人の見習いとなり,名のあるレストランで経験を積み,22歳でGelato World Cup(冷菓世界選手権)のチャンピオンとなった天才パティシエの映画であった。その名はヤジッド・イシェムラエン。養護施設生活体験のあるモロッコ系のフランス人で,本作は彼の自伝がベースのサクセスストーリーである。
物語は,スーパーで小麦粉,卵,チョコレート等を万引きした少年が自宅のキッチンでチョコレート菓子を作っているシーンから始まる。一転して,レストランの厨房で働く皿洗いの青年へと切り替わり,物語は1998年と2006年〜14年の間を往復する。父親の顔を知らないヤジッド少年は,アルコール依存症の母親から金銭目当ての里子に出され,穏やかな里親夫妻の家庭で暮していた。レストランのシェフに天才的な才能を売り込み,次第に頭角を表わす展開にはワクワクするが,事あるごとに彼の行く手を阻む母親の存在には苛立った。クライマックスは,2014年の世界選手権のフランス代表チームの1人に選ばれ,ヤジッド青年が任された最後の氷像制作のシーンだった。氷柱を削って創る氷像はまさに芸術的で,その出来映えにも目を見張った。この世界選手権の2位が日本チームだったことも,少し嬉しく感じた。
映画中で登場する垂涎の菓子類は,すべてヤジッド・イシェムラエン氏本人が監修した本物だという(撮影後,誰が食べたのだろう?)。目の保養は,その美しさだけでなく,後半の舞台となるコートダジュールの景観もしかりだ。昼も夜も美しかった。劇伴曲や挿入曲の音楽も多彩で,ヒップポップもあれば,朗々と歌われるシャンソン,ピアノソロ,電子音楽のBGMまで堪能できた。
青年期のヤジッドを演じたのはリアド・ベライシュで,見事な手さばきだったので,本物のパティシエの中から選ばれたのかと思った。その集中講座を受講して既にセミプロ級の腕らしいが,本職はSNSで6600万人のフォロワーを持つ映像クリエイターだという。監督はこれが長編デビュー作となるセバスティアン・テュラールで,自伝ベースの成功譚を期待通りに描く腕は正統派だ。
余談だが,この映画の観賞後何日か経って,「パリ・ブレスト」とは何か検索してみた。「パリとブレスト間を往復する自転車ロードレース」だという。「パリ-ダカール・ラリー」のようなものらしい。一瞬,上記の『12日の殺人』の冒頭とラストの自転車シーンを思い出し,「あれっ!? 自転車競技者の映画を観たっけ?」と錯覚してしまった。実は,この競技会を象徴する菓子の制作を依頼されて生まれた「円環状のシュークリーム」で,この名前で呼ばれるようになったらしい。早速,とろけるようなクリームが入ったそれを買いに行くことにした。
■『オッペンハイマー』(3月29日公開)
やっと,この映画を観ることができた。一般公開前に記事に出来なかったのは,「第96回アカデミー賞の予想(+結果分析)」で愚痴を書いたように,当欄のようなマイナーメディアではマスコミ試写会の座席が確保できなかったためである。とはいえ,今年のアカデミー賞で最多13部門ノミネート,7部門でオスカー獲得を果たしたこの話題作をスルーする訳には行かず,公開初日の初回に自宅近くのシネコンに足を運んだ。金曜日の午前中であったから,観客は10数名に過ぎなかった。3時間の長尺を観終えて出て来た時間帯には,親子連れの客でロビーは混雑していた。ほぼ全員『映画ドラえもん のび太の地球交響楽』を見るためのようだった。まあ,日本の映画興行事情はこんなものだと分かっていたが……。
主人公のJ・ロバート・オッペンハイマー(キリアン・マーフィー)は理論物理学者で,米国の原爆開発の「マンハッタン計画」の責任者であり,後に「原爆の父」と呼ばれた人物である。最近の若い世代はともかく,筆者の年代の大半は,学生時代からこれくらいは知っていた。それでも本作が話題になるにつれ,様々な報道があり,学問上のライバル,政敵との確執等々も伝わって来ていて,人物相関図や演じている俳優,アカデミー賞での受賞部門も頭に入れた上で,本作に臨んだ。
彼の研究者としての駆け出し時代から始まり,「マンハッタン計画」を巡る紆余曲折,開発実験に成功しての広島・長崎への原爆投下までが前半だ。戦後は水爆開発に強固に反対し,政敵ルイス・ストローズ長官(ロバート・ダウニー・Jr.)との確執,共産党員でソ連のスパイとの嫌疑をかけられ,聴聞会や公聴会での証言シーンやその結果までが描かれる。ただし,単純にこの時間順ではなく,回想シーンも多く,カラーとモノクロも切り替わるので,かなり予備知識をもって観ないと,クリストファー・ノーラン監督の意図するところは読み取れない。いや準備していても,ことは核開発の功罪に関わることであり,観客毎に感想や評価はかなり違うはずだ。既に様々なメディアでの論評があるので,以下では,完全に個人的に印象深く感じたことのみを述べる。
180分の長尺なので,ゆったりとした展開を想像したのだが,全く違っていた。もの凄いテンポでの会話が続き,まるで1.25倍か1.5倍の再生モードで眺めている感覚で,情報量の多さ,中身の濃さに驚いた。歴史に名が残る人物とはいえ,徹底調査と主人公1人に絞り込んだ演出の妙に感嘆した。さすが当代随一の監督だ。
前半で,A・アインシュタインは勿論,恩師のN・ボーアや,E・フェルミ,W・ハイゼンベルグ,A・ローレンス等の著名な物理学者は登場するのが嬉しかった。その一方,オッペンハイマーは理論だけの才覚しかなく,実験物理学は苦手というのが意外だった。よくそれで,開発責任者としての業績が残せたものだと…。
映画としてのクライマックスは,2つあった。前半では,最終的なトリニティ実験を見守る緊迫感とその成功による歓喜の嵐だ。終盤では,公聴会での彼や妻や関係者の証言であり,彼の弾劾に対する最終的な結論である。その他の組織内部のいざこざ,政治的駆け引きの部分は退屈極まりなかった。贔屓目に見ても「面白い映画」ではない。映画史に残る秀作だが,「好きな映画」には入らない。ノーラン監督は観客を愉しませる娯楽映画を作る気は全くなかっただろうから,楽しくないのは当然だ。
筆者にとって,最も意外だったのは,トリニティ実験の成功がポツダム会談の前日であり,その時期まで米国の原爆投下に目処は立っていなかったという事実である。この第二次世界大戦中に,ナチス・ドイツが先に原爆開発に成功し,連合国側に多数の原爆投下を成功させていたら,世界はどうなっていたのだろう? 日本でも仁科研究班が本気で取り組んでいたという。それゆえ,連合国側の物理学者が原爆開発に協力しようとした心情は理解できる。であれば,1945年4月にドイツの敗戦,ヒトラーの自殺時点で,「マンハッタン計画」を終了させても不思議はない。既に,東京大空襲で日本は疲弊していたことをオッペンハイマーは知っていた。それを最終的な開発成功まで見届け,そのことで生涯,良心の呵責と戦い,悩み続けたのは自業自得である。
それでも原爆投下の最終的責任はトルーマンにあり,ましてや日本での使用を強く望んだのがスターリンであったことこそ,日本人は恨むべきだ。もし,オッペンハイマーが開発責任者を辞しても,後任者が継続して,トリニティ実験は数ヶ月先に成功していただろう。広島,長崎への原爆投下がなくても,日本はポツダム宣言を受諾していたと思われる。このいくつかのIFがなくても,世界大戦後の冷戦構造は殆ど変わらなかったと感じた。多数の国が,核開発・保有できたことが,それを証明している。
ラストのアインシュタインとの会話,JFKとオッペンハイマーとの関わりへの言及から,ノーラン監督の「原爆の父」への思いは読み取れた気がした。そうした観客個々の感想を予想して上で,監督は,このクソ面白くもないが語るに足る秀作を作ろうとしたと思われる。まごうことなく,オスカーに値する映画である。そもそも『バービー』(23年8月号)と一括りにして,大騒ぎするような映画ではない。『オッペンハイマー』に対して失礼だ。
少し軽い話題で締め括っておこう。オッペンハイマーと愛人のジーンとの情交シーンがあり,ジーンを演じたフローレンス・ピューの裸体が見られるとは思いもよらなかった。これが『デューン 砂の惑星 PART2』(本号)で,可憐な皇女を演じていた女優だとは驚き以外の何物でもない。
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