O plus E VFX映画時評 2026年5月号掲載
(注:本映画時評の評点は,上から![]()
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■『サンキュー,チャック』(5月1日公開)![]()
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怪訝な題名で,先月の『これって生きてる?』ほどではないが,一体誰が誰に語りかけ,感謝しているのかが気になる映画だった。原題は『The Life of Chuck』で,原作はスティーヴン・キング作の短編小説「チャックの数奇な人生」だという。疑問符は入れなかったものの,短編の第3章の題名を映画の邦題にしている。この大人気作家の場合,ベストセラーの長編だけでなく,短編の映画化も数多い。最近は,『THE MONKEY/ザ・モンキー』(25年9月号)がそうだった。S・キングの名前だけで集客力はあるし,短編を2時間弱の映画に引き伸ばすのだから,監督の腕の見せどころである。
同じS・キング原作の『シャイニング』(80)の40年後を描いた『ドクター・スリープ』(19)の監督の抜擢されたマイク・フラナガンが,本作でも監督・脚本・製作を担当している。 本作は「ヒューマン・ミステリー」で,お得意のホラーではなさそうだ。非ホラー小説の映画化作品には,『スタンド・バイ・ミー』(85)『ショーシャンクの空に』(94) 『グリーンマイル』(00年4月号)があるが,名作揃いである。となると,本作がどんなミステリーなのかを愉しみに,気合いを入れて観ることにした。
映画は,何と第3章「サンキュー,チャック」から始まった。カリフォルニアで大地震が発生,フランスは津波に襲われ,メキシコでは大規模な森林火災,イタリアのトスカーナでは街が水没した。ネットや SNS が繋がらなくなる中で,高校教師のマーティー・アンダーソン(キウェテル・イジョフォー)だけは冷静で,淡々と毎日授業を続けていた。ある日,別れた妻別れた妻フェリシア・ゴードン(カレン・ギラン)から電話が入る,看護師の彼女は絶望のあまり 自殺を選ぶ人々への対処に疲れ切っていた。翌朝,道路の陥没で学校に通勤できなくなり,フェリシアへの電話も通じなくなったので,彼は歩いて彼女の家まで歩いた。すっかり夜になり,街灯が消えた街は真っ暗だったが,再会を悦び合った。
そんな中,ずっと続いていたのは街頭看板やラジオ・TV放送に登場する「チャールズ・クランツに感謝します。素晴らしい 39 年間に,ありがとう,チャック」なる不可解な広告だった。誰に尋ねても,誰もこのチャックなる人物を知らなかった。そして,チャックの死の予兆とともに宇宙の終焉を思わせる現象が起こる……。
極めて分かりやすい描写の映画だったが,この先がある訳ではなく,後は,第2章,第1章と時間軸を遡る。第2章「大道芸人サイコー」の主人公が,当のチャールズ・クランツ(トム・ヒドルストン)で,生真面目な会計士である。背広姿で街を歩いていたチャックは,ストリートミュージシャンが叩くドラムの音に魅せられ,その場にいた女性ジャニス・ハリデー(アナリース・バッソ)を誘い,2人でダンスを踊る。このダンスシーンが文字通り最高だった。小説では味わえない映画ならではのシーンで,このダンスだけで記憶に残る映画となる。
第1章「私の中には無数の人が存在する」は,チャックの少年時代から大学進学前までの物語だった。父母を交通事故で亡くしたチャックは,祖父母に育てられる。明るい祖母のサラからダンスの楽しさを教わるが,厳しい祖父は,ダンスに興じずに,自分と同じ会計士になれと諭す。祖父の死後,チャックが屋根裏部屋で見た光景が何を意味するかは,観てのお愉しみとしておこう。
この祖父を演じる老優の名前は,エンドロールを観るまで分からなかった。何と『スター・ウォーズ』シリーズでルーク・スカイウォーカーを演じたマーク・ハミルだった。フラナガン監督が彼を起用したのは,この映画を宇宙の終焉と関係づけるためだったのかと,勝手に解釈してニヤリとした。ともあれユニークな物語で,さすがS・キングだと感心したが,電気が途絶えた中,どうやってあのCMが流れたかの謎は解けなかった。
■『幸せの,忘れもの。』(5月1日公開)![]()
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しばしば題名と内容の関係に拘る当映画評であるが,本作ほどこの題名のおかげで安心して観ていられた映画も珍しい。ポスター画像は,仲睦まじく見つめあう男女で,男性が乳児を抱きかかえている。淡橙色の服を着ているから女児だろう。そこに黄色の文字で書かれた原題は,たった一言『Deaf』だ。聴覚障害者(聾者)が主人公のスペイン映画なのである。この類いの映画は過去に何本も紹介して来たが,この数年だけでも『サウンド・オブ・メタル ~聞こえるということ~』(21年Web専用#1)『ケイコ 目を澄ませて』(22年11・12月号)『ぼくの名前はラワン』(26年1月号)があった。当然,年齢・性別・職業等で状況は異なるが,聾者が悲惨な結末で終わることはまずなく,大半は心暖まるヒューマンドラマである。そうと分かっていても,どんな差別を受け,どんな苦難に耐えるのかは気になる。そこにこの表題がついているだけで,心穏やかに安心して見ていられる。
アンヘラ(ミリアム・ガルロ)は生まれつきの聾者であったが,田舎町の陶芸工房で働き,視覚と触覚を頼りに陶芸品を作っていた。健聴者の夫エクトル(アルバーロ・セルバンテス)は,手話を通じてアンヘラと心を通わせあっていた。アンヘラは訓練を受けたのか,少しだけ言葉を話せる。また補聴器をつけることで,音の有無を感じることはできるようだ。映画は,そんなアンヘラの聾者としての日常生活を丁寧に描いていた。
アンヘラは第一子を妊娠したが,喜びよりも,不安が募り始めた。「母として必要な瞬間を聞き逃してしまうのではないか」という恐れだった。経過は順調だったか,生まれて来る子が「聴者」か「聾者」かは生まれるまで分からないらしい。『コーダ あいのうた』(22年1・2月号)では,健聴者の女子高生が聾者の両親と兄の手話通訳をしていたので,有り得ることなのだろう。
出産の場では,夫エクトルが医師との通訳をすることになり,アンヘラは必死で助産師の唇を読み取ろうとする。産まれた女児は聴者だと判明し,「オナ」と名付けられる。その後の日々の生活の中で,アンヘラは「断絶」を感じ始める。娘の泣き声は聞こえず,夫と娘の音声でのやり取りの姿を目にする。アンヘラは娘オナを「聾者のコミュニティの一員として育てたい」と願い,エクトルは「社会に適応しやすいように聴者として育てること」を希望する。2人の間の「埋められない距離」は,この先,縮めることができるのか……。
いやぁ,題名に『幸せの…』がついていなければ,アンへラが海辺に向かうシーンで,最悪の結果を思い浮かべるところであった(笑)。やはり,手話中心の映画を字幕で観るのは疲れる。どの映画でも,誰の気持ちになって観ているかを意識するが,本作の出産シーンでは,自分も手話で語りかけねばと感じてしまった。それにしても,これほど聾者の主人公の揺れ動く心を繊細に捉えた映画はこれまでなかった。
音のモード切り替えも見事だった。アンへラとエクトルの衝突では音量が一気に増す。その一方,ある場面では音がなくなり,全くの無音となる。アンヘラが補聴器の電源を入れると,彼女が嫌う甲高いノイズ音が押し寄せる。アンヘラの心の揺らぎを代弁しているかのようだ。本作の監督は,劇作家・社会学者のエバ・リベルタで,これが長編デビュー作である。この監督は聴者だが,主演のミリアム・ガルロは聾者女優で,実の妹だという。なるほど,彼女の人生に常に付き添って来た立場ゆえ,これだけの映画を作れたのだと納得した。
(以下,5月公開作品を順次追加します)
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