O plus E VFX映画時評 2025年6月号掲載
(注:本映画時評の評点は,上から,
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の順で,その中間に
をつけています)
(6月前半の公開作品はPart 1に掲載しています)
■『Mr.ノボカイン』(6月20日公開)
今月後半のトップバッター,楽しい娯楽映画から入ろう。題名の意味が全く分からなかったのだが,「ノボカイン」とは局所麻酔薬の商品名だそうだ。今は最新の別製品に置き換わっているが,かつて歯科治療に用いられていたので,米国では代表名詞のようになっていて,今でも小説や映画の中で登場するという。本作の主人公は生まれつき全く痛みを感じない身体のため,周りから「Mr.ノボカイン」と呼ばれていた。そんな特殊能力ならスーパーヒーローものかと言えば,その範疇ではない。内気で真面目な銀行員が巻き込まれるアクションコメディである。
時代は現代,舞台はカリフォルニア州のサンディエゴである。主人公のネイサン(ジャック・クエイド)は,地元の信用組合の副支店長で,気弱な普通の青年だった。ある夜,窓口係の女子社員のシェリー(アンバー・ミッドサンダー)とバーに行き,思わぬ出来事から打ち解け,一夜を共にする。翌Xmasイブの朝,サンタクロース姿の強盗団が勤務先に押し入る。金庫を開けさせて大金を奪取し,支店長を射殺した上に,シェリーを人質にして逃走した。折角できた大事な恋人のシェリーを取り戻すべく,ネイサンは咄嗟にパトカーを盗んで追跡する。ところが,間違って共犯者の別車輌を追ってしまい,シェリーを乗せた主犯の車は見失ってしまった。その後は,主犯の居所を探し出し,彼を倒してシェリーを救出し,めでたく結ばれる物語だと予想するのが普通である。
車輌は間違えたが,ネイサンは共犯者をレストランの厨房に追いつめて射殺するが,敵の銃を奪う際に重度の火傷を負ってしまう。先天的遺伝子異常で痛みを感じない身体とはいえ,傷は負い,不死身ではない。元々「戦闘能力ゼロ」の気弱男が,恋人のために特異体質を活かして悪人と戦う展開は,スーパーヒーロー映画のパロディとして楽しかった。娯楽映画はかくあるべしとのお手本のような出来映えである。とかくシリアスな味付けにしたがる最近のマーベル映画は,この姿勢を見習うべきだ。途中でシェリーの正体が明らかになり,ネイサンは驚くが,この程度の意外性は観客側には想定の範囲内である。当然クライマックスまでに,形勢は二転三転し,主人公は特異体質を利用した方法で主犯のサイモン(レイ・ニコルソン)を殺害する。これも予想通りだ。
観客の期待を裏切らないに見事な娯楽映画を描いた監督は,ダン・バーク&ロバート・オルセンのコンビだ。当欄での紹介は初めてだが,『ヴィランズ』(18)等のダークコメディ,ホラー,SFが得意なようだ。主演俳優も悪役俳優も知らなかったが,主演のJ・クエイドは,父デニス・クエイド,母メグ・ライアンの息子であり,一方の敵役のR・ニコルソンの父親は名優ジャック・ニコルソンである。それを知っていて観るのも一興である。
映画を観ながら唯一違和感を覚えたのは,字幕は「ノボカイン」であるのに,発音は終始「ノヴァケイン」であったことだ。原題&薬品名の「Novocaine」の英語での発音がそうなるのは止むを得ない。最近よく使われている局所麻酔薬「リドカイン」,その商品名「キシロカイン」,よく知られる麻薬の「コカイン」等,「-caine」の英語発音は「ケイン」でも,日本での薬品名表記はすべて「カイン」であるので,映画の邦題を「…ケイン」する訳には行かなかったようだ。
■『罪人たち』(6月20日公開)
上記とは一転して,重厚かつコクのある映画だ。原題は『Sinners』なので,邦題は直訳であるが,「ざいにん」でなく「つみびと」と読む。犯罪とは無縁ではないが,主人公は受刑者や前科者ではなく,映画も犯罪者と警察が渡リ合うクライムム—ビーではない。ジャンル的には「サバイバルホラー」に属している。監督・脚本は,『クリード チャンプを継ぐ男』(16年1月号)や『ブラックパンサー』シリーズのライアン・クーグラー。まだ長編監督作品は5作目だが,過去4作で主演/準主演としてタッグを組んだマイケル・B・ジョーダンが本作でも主演で起用されている。この監督の手腕なら間違いはないと思ったが,北米興行は2週連続No.1で,Totten Tomatoesの批評家スコアは98%,観客スコアは97%というのに驚いた。ところが,日本国内での公開館数は極めて少なく,マスコミ試写も東京でたった3回しかなかった。何とか日程調整して参加できたが,試写室は完全に満席であった。
映画は1932年10月16日から始まる。退役軍人の一卵性双生児スモーク&スタックのムーア兄弟(M・B・ジョーダンの二役)は,長年マフィアの「シカゴ・アウトフィット」にいた後,組織の金を盗んで,故郷のミシシッピ州クラークスデールに戻る。信心深い人々が暮す田舎町であったが,兄弟は製材所を購入し,一獲千金を狙って違法なダンスホールの開設を計画する。それは当時禁じられていた酒や音楽を供給し,ギャンブルに興じる場所で,虐げられている黒人民衆の欲望を満たすものであった。双子兄弟は,従弟でギタリスト志望のサミー(マイルズ・ケイトン),歌手パーリン,ピアニストのデルタ・スリム(デルロイ・リンドー)らを音楽演奏者に選び,別居中の妻・アニー(ウンミ・モサク)を料理人,畑作業員を用心棒に雇い,中国人商店主夫婦から酒の供給を受ける等の準備を進めた。開店初日の夜から,多数の客が押し寄せ,サミーらの音楽は人々を陶酔させて,宴は熱狂の渦となる。ところが,招かれざる集団の出現により,一瞬にして絶望と狂乱の幕が開く。果たして兄弟は,夜明けまで生き延びることができるのか…。
本作のキャッチコピーは「悪魔と共に,踊り狂え」である。表題の「罪人」は,サミーが牧師である父親から,音楽に興じるのは「悪魔に魂を売り渡すことであり,罪である」と責められたことに由来している。前半は多数の人物が織りなす人間模様と心地良いブルースに彩られた音楽映画であったが,後半は思いもよらぬホラー映画となった。ネタバレを避けたいので詳しくは書かないが,ニンニク,十字架,朝日が大きな役割を果たすとだけ言っておこう。映画の大半は夜明けまでの一夜の出来事を描いている。後日談として,1992年10月16日に生き残った1人の人物がシカゴのブルースクラブにいて,曰く付きのギターが登場することも付記しておきたい。
監督も出演者の大半も黒人であるが,いわゆる人種差別の理不尽さを訴えるブラックムービーではない。黒人音楽に深く根ざしているという意味であれば,堂々たるブラックムービーである。高評価を得た映画でありながら,日本での公開館数が少ないのは,黒人文化や彼らの宗教観,倫理観を理解していないと分かりにくく,日本での集客力は期待できないと判断されたからかと思われる。かく言う筆者も,前半と後半の繋がりや,この映画のもつ意味をきちんと理解できたとは言い難い。音楽映画としては高く評価するが,ホラー映画としては平凡だと感じた。クーグラー監督作品のファンやブルース音楽好きには,文句なく勧められる映画である。
■『レオ:ブラッディ・スウィート』(6月20日公開)
Part 1の『おばあちゃんと僕の約束』の中で,当欄で取り上げるタイ映画が,かつての年1作のペースが,半年に1作に倍増していると書いた。では,その中でライバル視したインド映画はどうなのか調べたら,2023年は2本だったのが,2024年は5本紹介した。今年は本作で早くも4本目であるから,インド映画も確実に増加している。年間製作本数では世界No.2の映画大国であるから,発展途上のタイと比べるのは失礼とも言えるが,インド映画を扱う配給会社の数は限られている。総じて上映時間が長いので,配給ルートからは敬遠されがちなのも一因である。そのハンデがありながら本邦公開される映画は,間違いなくヒット作,自信作である。
メイン欄で紹介した『カルキ 2898-AD』(25年1月号)では,紹介記事を書く立場からは,参考資料が少ないこと,(母集団が大きいため)俳優名,監督名が覚えにくいという愚痴も述べた。ところが,本作の主演俳優ヴィジャイはタミル語映画界の大スターであり,彼の名前は文句なしに覚えている。『カッティ 刃物と水道管』(24年11月号)が抜群に面白かったからである。10年前のヒット作を発掘してきただけのことはあると言える逸品であった。一方,本作のインドでの初公開は2023年10月であるから,それに比べるとぐっと新しい。
それでも,前作から9年後の製作であったためか,ヴィジャイの愛称であった「若大将(Ilaya Thalapathy)」が,本作では「大将(Thalapathy)」に変わっていた。加山雄三は「永遠の若大将」であるのに,これが日本語の「大将」となると躍動感がなく,アクション映画の主役らしくにない。せいぜい「大工の棟梁」か「町内会の仕切り役」程度のイメージだ。広辞苑では「他人を親しみ,または,からかって呼ぶ称」とまで書かれている。もう少しましな愛称にならないかと思うのだが,インド語(タミル語)の直訳だとこうなるのだろう。内容は前作を上回る大活劇であると信じて観ることにした。
舞台となるのは,インド北部ヒマーチャル・プラデーシュ州の静かな町テオグである。ヒマラヤに近いこともあり,町の通りには雪が積もっている。主人公のタミル人パールティバン(ヴィジャイ)は,カフェを経営し,妻サティア(トリシャー・クリシュナン),子供2人と平穏な生活を送っていた。頭髪は豊かだが,顎髭の大半は既に白く,なるほど「若大将」ではない。動物保護活動家だが,ある日,町に襲った獰猛なハイエナを槍と靴ひもだけで捕獲し,身体能力の高さを人目に晒してしまった。続いて,凶悪な強盗団が夜にカフェに侵入し,女性スタッフと娘に危害が及びそうになったことから,パールティバンは5人の敵を瞬く間に仕留めてしまった。彼の戦闘能力の高さに周囲の人々は唖然とする。事件が大きく報道されてしまったことから,彼を標的とする複数の闇の勢力が動き始める。その中の1人,アントニー・ダース(サンジャイ・ダット)は,パールティバンを「レオ」と呼び,自分は父親だと名乗る。
アンソニーは,南部のタミル地方でタバコ工場と称して麻薬を製造する悪人だった。かつて工場の火災で43人が死亡し,それ以来,息子のレオは行方不明となっていた。フラッシュバックで当時のアントニー&レオ親子のシーンが登場するが,なるほどパールティバンそっくりだ。演じるヴィジャイも若い。これならまだ「若大将」で通用する。アントニーは妻子を誘拐し,頑なに否定するパールティバンに「レオ」だと認めろと迫るが…。
結末は観てのお愉しみとしておこう。監督のローケーシュ・カナガラージは当欄では初めてだが,『マスター 先生が来る!』(21)でヴィジャイとのタッグは経験済みであり,アクション演出も秀逸であった。パールティバン場面でもレオ場面でも,代役なしのヴィジャイの戦闘シーンは凄まじく,恒例の歌って踊るシーンの動きまでそれに比例している。インド映画の大スターには,ダンスでも一流であることが求められるのだと改めて感心した。映画全体は『カッティ…』の方が優れていたが,アクション映画としては本作も水準以上で,見応え十分だ。
■『秘顔-ひがん-』(6月20日公開)
次なるは韓国映画のサスペンススリラーである。「秘顔」なる日本語は存在しない。わざわざ「かな」が添えられているのは,「秘密の顔」の意だと思いつつも,何と読むのかと訝る人に素直に読めばよいと諭している。筆者はハングルが読めないので,韓国語の原題がこの漢字2文字に対応しているのか分からなかった。英題は『Hidden Face』であり,中国では『隱藏的面孔』の題名で公開されている。「秘密の顔」でも「隠された顔」でも似たようなものだが,「秘顔」と記すと,単なるsecretでなく,神秘的(mysterious)な感じがしてくる。スリラー映画の惹句としてはかなり秀逸だ。これが国内の宣伝担当者の造語だとしたら,見事な言語センスである。
主人公のソンジン(ソン・スンホン)は前途有望な指揮者で,オーケストラのチェリストのスヨン(チョ・ヨジョン)と婚約していた。オーケストラの団長(チャ・ミギョン)はスヨンの母親であったから,事実上「婿入り」した形である。ところが,大事な公演が迫り,結婚式も近づく中で「あなたと過ごせて幸せだった」と語るビデオメッセージを残して,スヨンが失踪してしまった。何も持ち出した形跡はないので,母親は娘の気まぐれと激怒しつつも,すぐ帰って来ると取り合わなかった。一方,ソンジンは動揺し,リハーサルにも身が入らない。事務局長の勧めるまま,ソンジンは代理のチェリストのミジュ(パク・ジヒョン)と面接し,彼女を採用する。当初はミジュに冷たく接していたが,彼女の魅力に惹かれ,スヨンのいない自宅に彼女を招き入れ,2人は過ちを犯してしまう。その後,本能のままに何度も激しい情交を重ねる2人を秘かに眺めている人物がいた…。
キービジュアルは鏡/ガラス越しに向かい合う女性2人の画像で,予告編にも「婚約者が覗いていた」とあるから,「隠し部屋からマジックミラー越しに2人を眺めていたのはスヨン」と書いてもネタバレにはならない。問題はそこから先で,3人それぞれが「秘密の顔」をもち,その秘密が明らかになるたびに物語はどんでん返しの連続という展開である。本作は,その先をどう予想するか,観客を試している映画なのである。監督キム・デウの代表作は,『春香秘伝 The Servant』(10)『情愛中毒』(14)だというので,題名からだけでも「情欲に溺れる男と女」の描写が得意なのだと分かる。音楽は重厚で美しく,照明の使い方も巧みで,カメラワークも印象的であった。
余談だが,逆ネタバレとも言うべき,筆者の失敗を披露しておこう。母親を演じるチャ・ミギョンは,少し若く見え,娘の婚約者に親しげに語りかけるので,ソンジンの「秘密」とは,この母親と男女関係にあったのではと邪推してしまった。この予想は見事に外れた。そんなシーンはないので,3人の俳優の演技合戦として,残る展開を楽しんでもらいたい。『タイヨウのウタ』(25年5月号)の主演女優チョン・ジソが『パラサイト 半地下の家族』(19年Web専用#6)の富豪の娘役であったことは先月書いたが,本作のスヨン役のチョ・ヨジョンは,同作でその母親役を演じていた。同じく美人で,キム・デウ監督のお気に入り女優あるが,本作で彼女の裸体は見られないので,それは当てにしないで頂きたい。
■『フェイクアウト!』(6月20日公開)
インド,韓国ときて,今度は邦画のクライムエンターテインメントである。こちらは和製英語でなく,しっかり「Fake Out」なる英語表現がある。「人を騙す,裏をかく」の意で,名詞では「騙し,偽装」の意味で使われる。同日公開作が多かったので,紹介予定はなかったのだが,この題名が気になり,少し遅れてオンライン試写で観た。「羅生門スタイル」の映画であることを強調している点も,紹介する気になった一因である。監督も主役級の俳優も知らずに観たのだが,思わぬ掘り出し物であった。
黒澤明の名を世界に知らしめた『羅生門』(50)を知らない若い読者のために,そこから入ろう。芥川龍之介の短編小説の映画化作品で,ヴェネチアの金獅子賞,アカデミー賞の名誉賞を受賞した日本映画の記念碑的作品である。時代は平安時代,山の中で盗賊(三船敏郎)が武士の妻(京マチ子)を犯し,夫である武士(森雅之)を殺害した事件が起こった。検非違使の詮議で,盗賊,妻,巫女が呼び出した武士の霊,事件を目撃した杣売り(志村喬)の4人が証言するが,主張は全て食い違っていた。ここから,同じ出来事を複数の登場人物の視点から描く手法を「羅生門スタイル」と呼ぶようになった。正確には,殺人事件の証言は芥川の「薮の中」であり,小説「羅生門」は映画の冒頭と終盤に3人の男が雨宿りして語り合う部分に過ぎない。このため,証言が矛盾していて真実が定かでないことを「薮の中」という場合も多い。
さて,本作の時代設定は現代で,主人公はIT企業の警備員の高島誠人(三浦獠太)である。恋人・清美(呉城久美)の誕生日にプロポーズする気でいたが,父親が残した借金2千万円のことは言えない。知人の桝井(田中優樹)が勤務先のデータを盗み出すと100万円くれるというので実行に移したところ,それは超高精度の AI 株価予想プログラムであった。その価値を知った誠人は桝井に2千万円への増額を要求したところ,桝井が激高し,誠人の妹・ゆい(浅川梨奈)を誘拐し,データを持って来ないと妹を殺すと脅迫する。清美や刑事・杉本(久保田秀敏)の協力を得て,指定場所に向かったところ,そこには桝井の死体があり,現場に駆けつけた警官たちに誠人は逮捕されてしまう…。
ここまでの上映時間は36分だったが,ここで誠人のデータ持ち出し前に時間が巻き戻る。彼の感知しないところで,様々な企み,罠,駆け引き,裏切りが繰り広げられていた。再度時間が巻き戻されると,また別の視点での出来事を目にすることになる。果たして誠人は,この騙し合いの渦から抜け出し,借金全額を返済できるのか……。もう少し詳しく書きたいところだが,ネタバレになりそうだ。ぐっと堪えて,途中から登場する柏原淳史(矢柴俊博)なる男とその相棒の女性が操る催眠術が大きな役割を果たすとだけ言っておこう。
監督は,『ベロニカは死ぬことにした』(05)の堀江慶。見るからに低予算映画であったが,テンポの良いストリーテリングに好感が持てた。きっとこの監督が長年温めていた構想なのだろう。ライターの火を使った催眠術は,そんなに上手く行くはずはないと感じたが,物語を面白くする上では有効であり,効果的に使われていた。
ただし,厳密にはこの映画は「羅生門スタイル」や「薮の中プロット」ではない。時間巻き戻しは,演出上の技法で,タイムワープでもパラレルワールドでもない。出来事に矛盾はなく,主人公や彼の視点で映画を観る観客への種明かしとなっている。視点を変えていることは事実で,一部同じシーンも繰り返す。矛盾はない上に,新たな人物が次々登場するので,「羅生門スタイル」とは言い難い。その意味では,次の『でっちあげ…』の方が,それに近いスタイルだ。そうであっても,本作が一見に値する見事なエンタメ作品であることは間違いない。
■『でっちあげ 〜殺⼈教師と呼ばれた男』(6月27日公開)
今月の締め括りも邦画だ。監督・三池崇史,主演・綾野剛の組み合わせは,上記よりもぐっとビッグネームである。とりわけ,三池監督は日本を代表する「バイオレンスの巨匠」だ。前々作『怪物の木こり』(23年12月号)は「サイコパスvs連続猟奇殺人鬼!」であり,前作『BLUE FIGHT 蒼き若者たちのブレイキングダウン』(25年1月号)は「少年院出身の不良青年の格闘技映画」であったから,本作の副題から,てっきり学校教員が犯した殺人事件だと思った。綾野剛なら,クールなシリアルキラーも見事に演じられる。
映画の冒頭は「真実に基づく物語」との断りであり,ある女性(柴咲コウ)の法廷での宣誓シーンから始まる。2003年10月に起きた事件で,大勢のマスコミが裁判所の前で待ち受けていたから,当時は週刊誌やワイドショーでも大きく報道されたことだろう。筆者はその事件を知らなかった。映画を観終わった後で,「福岡殺人教師事件」と呼ばれていたことを知った。その年は,首都圏から関西に転職&転居した年で多忙だった上,関西は阪神タイガースが18年ぶりの優勝騒ぎで沸いていたから,社会面を賑した「殺人教師」のニュースには目もくれなかったのだと思われる。筆者と同様にこの事件を全く知らなかった読者は,先に映画を観ることをお勧めする。何となく覚えている程度の読者は,下記を読んで20数年後にこの事件を映画化した三池監督の意図を理解した上で,映画本編でそれを再確認する価値があると思う。
映画の縦書き字幕は「氷室律子の供述」へと続く。雨の夜,小学校教諭・薮下誠一(綾野剛)は保護者の母親から電話で呼び出され,氷室拓翔の自宅へ家庭訪問に向かった。そこで児童の祖父が米国人であったことを知った彼は侮蔑的態度をとった上に,学校では「穢れた血」であるとの「差別的発言」をする。体罰を加えた上で,放課後には「自殺教唆」と思える言動で少年を追い詰めた。なるほど,この教師なら連続殺人鬼になってもおかしくないないと感じながら観ていた。学校側の虐め対応の無策を報じる地方版新聞報道を見た「週刊春報」の記者・鳴海三千彦(亀梨和也)が,実名を入れたスクープ記事「『死に方教えたろうか』と教え子を恫喝した『殺人教師』」を発表したことから,一気に全国的ニュースとなり,弁護団550人による民事告発となる…。
ここまでが約20数分で,ようやく表題「でっちあげ」が登場する。続いて字幕「薮下誠一の供述」が出るに至って,これは「羅生門スタイル」の映画だなと気付いた。となると,もう数名の証言があるのかと思ったが,それはなく,映画の残りは教師側視点での反論,人権派弁護士・湯上谷年雄(小林薫)の反証集めの奮闘が描かれる。クライマックスは,停職6ヶ月の懲戒処分を受けた被告人・薮下の意見陳述であり,教育者としての心を打つメッセージであった。ここでは書かないが,1審,2審の判決結果,10年後のある出来事は,映画を観て確認して頂きたい。原告側の主張の矛盾が指摘された判決が下っている以上,本作は「薮の中プロット」とは言えない。堂々たる正統派の社会派映画である。
本作には原作があり,ノンフィクション作家・福田ますみの著書「でっちあげ 福岡『殺人教師』事件の真相」であった。興味をもった筆者は,関連記事も読み漁ったが,今では両親側の主張のみを鵜呑みにしたマスメディア報道であったことで一致している。映画では,原告と被告だけが実名で,他の人物名,学校名等は仮名だが,週刊誌が「週刊文春」であることは誰でも分かる。その後,同誌からの謝罪記事はない。Wikipediaの長文記事は,当事者の発言の変化,著名ジャーナリスト間の論争にまで及んでいる。この記事への反論が現在はない以上,映画はほぼ「真実」を描いていると考えられる。
唯一かなり誇張だと思ったのは,薮下への罵詈雑言でSNSが炎上するシーンだ。当時,まだSNSは黎明期で,社会的影響力は小さかったはずである。現在は首長選挙を左右するほどモンスター化していて,痴漢事件と同様,一旦虐め事件の加害者扱いされると,本作の薮下誠一が受けたような制裁が再発する可能性は高い。三池監督が20数年前の事件を敢えて映画化した意図は,ネット社会の脆弱性,危険性への警鐘とその実例提示だと思われる。主演に,本物の殺人教師役も誠実な教師役も演じられる綾瀬剛を選んだのは,見事なキャスティングだ。柴咲コウのモンスターペアレントぶり,嫌み極まりない週刊誌記者役の亀梨和也の演技もリアリティが高かった(週刊文春には,こんな記者がゴロゴロいそうだ)。
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