O plus E VFX映画時評 2026年7月号掲載

その他の作品の論評 Part 1

(注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています)


■『口に関するアンケート』(7月3日公開)
 今月のPart 1は邦画3本から始める。まずは,この飛び切りユニークな題名の映画がからだ。案内メールが届いた時,Subject欄だけ見て,歯列矯正か歯垢除去の勧誘かと思ったしまった。ヒット作『近畿地方のある場所について』(25)の原作者・背筋の2作目の映画化作品だという。本作もホラーらしい。何を書いたか前作の記事を読み返そうとしたが,見当たらなかった。確かに全編を観たのだが,全くの駄作で,紹介に値しないと判断してボツにしたのだった。近畿地方でなくても通用する話だったので,題名も客寄せ目当てに過ぎないと感じた。
 ユニークであるが,本作にもその恐れはあった。加えて,スマホより小さなサイズの書籍で,たった63頁しかなく,30分で読めるという。それを89分の劇場用映画に仕上げるのは,製作陣の腕の見せ所である。監督がJホラーの旗手,清水崇監督というのにも惹かれた。彼なら原作が少々いい加減でも,しっかり脚色し,本格派ホラーに化けさせてくれるだろうと期待した。
 大学生の男女4人が,面白半分の肝試しとして,深夜に心霊スポットとして有名な墓地を訪れる。翔太(板垣李光人),竜也(綱啓永),杏(吉川愛),美玲(MOMONA)の順で,「呪われた木」に触れて来るという趣向であった。ところが,杏が姿を消し,そのまま行方不明になってしまった。堀田(森愁斗)と川瀬(西山智樹)の2人も同じ墓地に行っていたことが判明する。彼らは杏の失踪に関係していたのだろうか? 貼り紙をしたり,チラシを配ったが,杏の情報は全く得られなかった。そして,墓地を訪れた学生たちの周りに,不可解な現象が次々と起こり始め,彼らは追い詰められて行く……。
 ここまでは怪奇映画の定番だ。この怪事件を捜査する草壁刑事(中村獅童)が何度もボイスレコーダーで,杏以外の5人の証言音声を聴き始める。その独白に合わせて,墓地シーンの再現があり,彼ら5人の複雑な人間関係や性格が明らかになる。5人の証言は,時系列や場所が矛盾している上,「口」を見たのが幻覚なのか事実なのかもはっきりしない。これは「羅生門」(薮の中)スタイルの映画だと分かる。ホラーからミステリーに転じ,さらにサプライズ結末で幕を閉じる。その後に観客へのアンケート5問(回答は各3択)が提示される。
 なるほど,草壁刑事の他に週刊誌記者・西(柄本時生)の大人の視点を導入し,結末も映画独自の拡張がなされていた。それでも「薮の中」型あるので,純粋ホラーのような結末での安堵感や本格ミステリーのような種明かしはない。映画も「未解決のまま,読者/観客に解釈を放り投げる」という背筋スタイルを踏襲している。独りで観ると不満でも,数人で同時に観ると,帰路に自分の解釈を披露し合う愉しみはあるかも知れない。
 視覚的な怪奇性,不穏な音楽でホラー映画らしい恐怖感を煽っていたが,全く怖くなかった。これは筆者がホラー不感症なのと,邦画メジャーの松竹配給ゆえ,清水監督も『呪怨』(00)のような過激な恐怖表現を控えたためかも知れない。それを考慮しても,本作を高く評価できなかった。『羅生門』(50)のように視覚的の違いを明示できれば矛盾は矛盾として感じやすいが,口頭音声証言だけでは一々覚えておられないという不満が残る。草壁刑事が聴く「事情聴取」自体が,いつ誰が録音したのかが曖昧なままなのが「アンフェア」に感じた。

■『死ねばいいのに』(7月3日公開)
 次も凄い題名だ。特異ではないが,映画のタイトルとして珍しい。原作は,推理作家・京極夏彦が2010年に著した同名小説である。「姑獲鳥の夏」「絡新婦の理」「鵼の碑」といった読み方に戸惑う題名が多い中で,珍しく簡単に読める。当欄は過去に妖怪ミステリー『魍魎の匣』(07年12月号)と児童用アニメ『豆富小僧』(11年5月号)を取り上げていて,これが3本目である。原作は犯人当てのミステリーであるが,怪奇性,ホラー要素はない。
 原作の風格,文体,頁数は全く異なるが,上記『口に関する…』と共通点がある。本作の被害者も同じく若い女性であるが,行方不明ではなく,最初から死亡している。彼女の関係者に1人ずつ生前の関係を語らせるという点がそっくりだ。ただし,独白の録音音声でなく,探偵役の主人公が面談して本音を聞き出す形式を採用している。結論を先に言えば,観客とって圧倒的に分かりやすく,かつ映画化での改変が大成功の部類である。
 ある冬の朝,ビルの屋上で女性の絞殺死体が発見された。被害者は22歳の派遣社員・鹿島亜佐美(伊東蒼)で,死後3日経過していた。彼女の知人と称する謎めいた女性・渡来映子(奈緒)が「亜佐美のこと,聞かせてもらいたいんです」と元上司・山崎寛之(前原滉)を訪ねる。映子の辛辣な質問と怒濤の追求に,亜佐美と不倫関係にあった妻帯者の山崎は狼狽し,「自分も辛く,気が狂いそうだ」と弁明する。映子は「なら,死ねばいいのに」と言い捨てた。その後も,映子は先輩でアパートの隣人である篠宮佳織(髙橋ひかる),元恋人・佐久間雄也(草川拓弥),母親の尚子(田畑智子)らと接触し,舌鋒するどく迫り,最後に同じ言葉を発した……。
 映画は原作をかなり脚色していた。最大の違いは,関係者に詰問する無礼な男・渡来健也を,映画では女性・映子にしていた点である。原作は殺人実行者を最終章まで明かさないのに対して,映画では前半の半ばで,警察を訪れた映子が逮捕され,拘留される。それじゃミステリーにならないので,最後に大ドンデン返しがあるのではと想像してしまう。収監中の映子に弁護士・五條陸(平原テツ)が何度も接見して,2人の会話が延々と続くのも映画独自の展開である。また,原作では亜佐美は伝聞でしか登場しないのに対して,映画では回想シーンでかなり出番があり,しっかりセリフもある。
 読み返せる小説と監督の意図通りの展開に従う映画は別物であるのは当然だが,本作の改変は独自の世界を作り上げていた。映子は女性らしい柔らかで1:1の心理戦を挑み,途中からアウトロー的な男言葉で鋭く切り返して罵倒する。これまで見たこともない人物造形を成功させていた。主演の奈緒が過去作でのイメージとかなり異なるのも,相乗効果を生んでいた。素顔が可愛い奈緒が,この映画では恐ろしい女性に見えてしまった。
 映像ゆえの妙味は,映子が態度急変する辺りから,面談場面の背景が緑の草原の中に切り替わることである。ブルーバックや流行のLEDスクリーン前での撮影でなく,本物の草原(東伊豆の桃野湿原)でロケし,配置していた。スタジオ内と同じセリフを2度語らせる異例の「2回撮り」をして,その間を編集で何度か切り替えている。現実世界での建前の会話から,醜い本音の内面を引き出すという場面に緊迫感を与えていた。
 監督は,『ゆるせない,逢いたい』(13)で劇場長編映画デビューし,『マイ・ダディ』(21)以来,5年ぶりとなる金井純一だ。当欄で紹介するのは初めてだ。一方,脚本は『桐島,部活やめるってよ』(12年8月号)『ストレイヤーズ・クロニクル』(15年7月号)の喜安浩平。主演の奈緒の好演を引き出したのは,この監督×脚本コンビの傑出した演出&脚本力のなせる技だと感じた。

■『おばあちゃんの秘密』(7月4日公開)
 上記2本の視聴は緊張続きで疲れた。1人ずつの発言を頭に入れておく必要があったからだ。時間的にはもう1本余裕があったので,のんびり見られる映画にしたかった。複数の候補作の中から本作を選んだのは,竹下景子主演という1点だった。かつての「お嫁さんにしたい女優No.1」も,もう祖母役の年齢なのか,若い観客は名前すら知らないだろうと想像した。最近の出演作は見ていないが,そもそも彼女の主演作は殆ど知らない。最も印象に残っているのは,『男はつらいよ』シリーズに3度もマドンナ役で出演していたことだ。3回とも別の役というのも異例だが,中でも第32作『…口笛を吹く寅次郎』(83)で,寅さんを慕う,寺の住職の娘役がベストだった。
 本作は題名に「秘密」が入っているのが気になったが,仮名で「おばあちゃん」とある以上,孫から見れば気の許せる優しい祖母に違いない。予告編で予習したら,秘密とは祖母が遺した「手紙」のようだ。間違っても犯罪に手は染めていないので,安心して観ることにした。
 予告編と同様,映画本編も美しい満開の桜から始まる。舞台となる新潟県胎内市ご自慢の桜並木のようだ。その桜をバックに竹下景子の笑顔のアップが登場する。さすがにマドンナも老けたなと感じたが,実年齢72歳なら当然だ。東京暮らしの孫娘・鴨下莉莉(島田愛梨珠)は,祖母・時子の遺言で,遺品整理のため,祖母が一人暮らししていた胎内市の家に向かう。祖母と孫娘が一緒に暮した後,祖母の死を迎える物語と思いきや,冒頭から既に故人だった。さすがに72歳での他界は早過ぎる。
 莉莉の遺品整理の応援に,友人の笹岡浩太(篠原雅史)が,さらには親友の山野くるみ(⻑谷川玲奈)もやって来た。その家に,千葉県の宝井裕介なる人物から宅配便が届いた。中身は亡き父・道夫宛に時子が送った多数の手紙だった。時子の遺品からも,宝井道夫(江藤潤)からの131通もの手紙が見つかった。数十年に渡り,2人が交し合った手紙である。手紙の開始時期が,祖父が意識不明で寝た切り時代であったので,不道徳だと莉莉は激怒する。止むなく,数百通の手紙全数を畳に上に並べ,浩太とくるみが1通ずつ交互に読み上げる……。
 手紙がこういう役割を果す映画は珍しい。不倫関係の男女なら,こんな手紙の交流はしない。3年の闘病で夫を亡くした後,時子がこの文通を心に支えにしてきたことは読み取れるが,その内容はここでは伏せておこう。手紙の発端は1982年で時子43歳の時との言及があったから,1939年生まれである。87歳での他界なら,早過ぎはしない。時子のもう1つの心の支えは,孫娘・莉莉が訪ねてくることであった。回想シーンで,何度も時子と子供時代の莉莉の交流が描かれる。いずれもソフトフォーカス映像で,半数以上がモノクロという使い方が秀逸だった。その中の竹下景子は若く,美しい。実質の主役は莉莉役の島田愛梨珠であるが,熟年観客の大半が期待する竹下景子のイメージ通りの起用法であった。
 監督・脚本・製作は,『アイコ十六歳』(83)の今関あきよし。人気絶頂の富田靖子のデビュー作であったので,今でもよく覚えている。その後の作品は知らないが,ベテラン監督らしく,単純なストーリーの本作の中でも,サブエピソードの描き方が巧みだった。例えば,莉莉と浩太のラブシーンは笑えたし,莉莉の両親の離婚騒動の描き方にはリアリティを感じた。その一方で,1980年代からの日本で,これだけの数の手紙を交換する人物達がいるとは思えなかった。この監督や製作陣は,手書きの手紙に憧れをもつ最後の世代なのかと思う。

■『ヌーヴェルヴァーグ』(7月10日公開)
 仏語「Nouvelle Vague」(以下,NV)は「新しい波」の意で,映画人は勿論,オールドファンでこの題名がもつ意味を知らない人はいない。フランス映画が起こした革新的なムーブメントで,英語圏でも「New Wave」とは呼ばず,仏語を使っていた。日本語では当時も今も「ヌーベルバーグ」の表記が主流だ。実は筆者はその最盛期の映画を1本も見たことがない。その理由は後述する。
 本作の邦題を「ヴ」で表記したのは,その新潮流全体を指すのではなく,かつNVの旗手ジャン=リュック・ゴダール作の同名映画(90)の邦題表記と同じにしたかったからだろう。本作の監督は,『ビフォア』3部作,『6才のボクが,大人になるまで。』(14年11月号)で絶賛されたリチャード・リンクレイター。当欄では,他に『30年後の同窓会』(18年5・6号)『ヒットマン』(24年9月号)『ブルームーン』』(26年3月号)も紹介している。本作は純然たる新規劇映画でなく,NVの代表作『勝手にしやがれ』(60)製作の舞台裏を描いた再現劇である。
 1959年,28歳の映画批評家J-L・ゴダール(ギヨーム・マルベック) は,プロデューサーのジョルジュ・ドゥ・ボールガール(ブルーノ・ドレイフュルスト)が製作した『悪魔の峠』を観て酷評し,自分にも監督として映画を撮らせろと訴えた。ゴダールの盟友フランソワ・トリュフォー(アドリアン・ルイヤール)がデビュー作『大人は判ってくれない』(59)をカンヌに出品して絶賛を浴びた。ボールガールは,実在の殺人事件をベースにトリュフォーが書いた原案を長編映画化することをゴダールに提案し,彼は監督デビュー作として同意した。
 ゴダールは,自動車泥棒で警官殺しの主人公ミシェル・ポワカール役に,兵役帰りの若手男優ジャン=ポール・ベルモンド(オーブリー・デュラン)の起用を決めた。恋人で米国人駆け出し記者パトリシア役は,ハリウッドの注目株女優ジーン・セバーグ(ゾーイ・ドゥイッチ)で落ち着いた。ゴダールは,イタリア人巨匠や友人の助言を受け入れ,単純なストーリーでサブプロットは捨て,低予算でさっさと撮り終えることにした。
 撮影開始日に彼は1カットしか撮らなかった。その後も,斬新で自由奔放,ゲリラ的な撮影手法に周囲は振り回される。重要シーンの撮影現場での出来事や,完成後の編集から上映会での評判までが描かれるが,ここでは詳細は省く。観客それぞれが,リンクレーター流のNV解釈を堪能された方が好いからだ。この監督は,『勝手にしやがれ』制作の舞台裏を通して,巧みな方法でNVフィーバーが映画業界に与えた影響を描いている。
 まず,本作は『勝手にしやがれ』と同じ,アカデミー比率(1:1.37)のモノクロ映像を採用し,全編ほぼフランス語で,キャストもセバーグ役のZ・ドゥイッチ以外はほぼ無名の俳優陣で固めている。当時のベルモンドはまだ無名だが,よくぞあの個性的な顔立ちに似た若手男優を探してきたものだ。無名俳優や素人の起用,即興演出,ロケ中心,ハンディカメラの利用はNV映画の共通項だが,それは再現劇の中で描いている。また当時のフランス映画界の関係者多数が,実名で登場する。VFXを活用して,当時のパリの町並みも再現していた。
 筆者は,本作の試写会直後にレンタルビデオで『勝手にしやがれ』を観た。本作で撮影過程が描かれていたのは,このシーンだったのと嬉しくなる。ゴダール流「ジャンプカット」もこのことかと実感できる。ちなみに「勝手にしやがれ」は,映画の冒頭で,運転中の主人公が吐き捨てる独り言である。原題は『À bout de souffle』,英題は『Breathless』で,「息切れ」の意であるから,印象的な邦題をつけた当時の「新外映配給」の宣伝担当者のセンスの良さに感心する。本作の公開を機に,2週間後の7月24日から『勝手にしやがれ』もリバイバル上映される。本作と同作を見れば,NVのエッセンスは理解できる。ただし,筆者の感想はと言えば,物語が単純で,物足りなかった。今見れば,他の名作と同様,余りにも古過ぎる。重要文化財を鑑賞する気分に過ぎない。
 余談だが,公開時に映画を見ていない日本人は,「勝手にしやがれ」と聞くと,沢田研二の1977年の大ヒット曲だと思う方が普通である。これは,アグネス・チャンの「草原の輝き」,森進一の「さらば友よ」,フィンガーファイブの「個人授業」と同様,作詞家の阿久悠が意図的に洋画の題名を流行歌の題名に流用し,元の映画よりも有名になった現象の代表例である。
 なぜ,筆者ら団塊の世代があまりNVの代表作を見ていないかにも触れておこう。『勝手にしやがれ』公開の1960年3月下旬は,小学校卒業式の直後で,まだこの種の洋画には殆ど接していない。観る大半は東映時代劇か日活アクション映画で,洋画はせいぜいハリウッド製西部劇であった。フランス映画,イタリア映画にかぶれるのは高校生以降である。既にNVブームは過ぎていたが,むしろ陳腐なハリウッド映画のアンチテーゼとしてのNVは,欧州映画の標準になっていたとも言える。ただし,1960年代に日本でも和製NVの嵐が吹き荒れていたことは鮮明に覚えている。大島渚の『青春残酷物語』(60)はその代表格であった。羽仁進,勅使河原宏,岡本喜八,篠田正浩,新藤兼人,鈴木清順らの芸術家気取り,左翼志向の監督たちが,この潮流に乗り遅れまじとしていたが,中学生には意味不明の映画ばかりだった。
 こうした映画レビュー記事を書きながら,映画史に残るNV映画を見ていないのかと問われると,自分でもなぜだろうと思う。おそらく,名のある名作映画は,それ以前にもそれ以降にも多数あり,見切れない。新作映画の方を重視しするからでもある。もう1つは,長寿で多作であったゴダールの晩年の映画が,まるで面白くなかったからだと思う。同じような思いだった映画ファンにも,このリンクレイター監督の映画はお勧めできる。

■『大統領のケーキ』(7月10日公開)
 こんな題名の映画は初めてで,すぐに見たくなった。例によって,何も見ずに,どこの国の映画で,いつの時代なのかを予想してみた。マリー・アントワネットのケーキなら分かるが,その伴侶の王様でなく,ケーキを欲しがる大統領は想像できなかった。まさか,トランプのはずはない。無難に考えるならフランスで,現代でなく,ある時代の大統領一家ご用達のパティシエの物語かと予測した。『大統領の料理人』(13年9月号)は,ミッテラン大統領のプライベート・シェフが主人公だったからである。
 見事に違っていた。時代は1990年代,サダム・フセイン独裁政権下のイラクを描いた映画であった。即ち,湾岸戦争の時代である。そもそも,過去にイラク映画を見た記憶がない。湾岸戦争での戦闘や,その後遺症に悩む元米軍兵を描いた映画はあったが,すべて米国映画である。唯一,イラク生まれのクルド人少年が主人公の映画は『ぼくの名前はラワン』(26年1月号)であったが,聾者の彼をいたわる家族が英国移住を決めたため,物語の大半は英国内であり,英国映画であった。
 本作の監督・脚本は,これが長編デビュー作となるハサン・ハーディで,すべてイラク国内で撮影した純然たるイラク映画である。彼は,イラク生まれ,戦時下のイラク南部で育ち,自身の少年時代の記憶に基づく映画だという。それだけでも興味津々であったが,驚いたことに,フセイン大統領が自らの誕生日を盛大に祝うことを,国内の全学校に強要していたという。
 映画は,その誕生日の2日前から始まる。舞台は南部メソポタミアの湿地帯で,児童たちは小舟で学校に通っていた。各種担当は学級内のくじ引きで決めるが,祖母と暮らす9歳の少女ラミア(バニーン・アハマド・ナーイフ)が最も名誉ある「ケーキ係」に当たってしまった。一方,親友の少年サイード(サッジャード・モハンマド・カーセム)は「果物係」に任命された。用意できなければ,通報された上に,思い罰が待っているので,日々の食事に困る貧しい家庭でも従わざるを得なかった。
 翌朝,ラミアは祖母ビビ(ワヒーダ・サーベト)に連れられ,父の形見の時計をもち,雄鶏ヒンディを抱えてと町へ出かける。ところが,「これ以上面倒は見られない」と考えた祖母は,ラミアを飲食店の養子にしようとしたため,隙を見てラシアは逃げ出した。行く当てのないラシアは,遊園地で父親と働くサイードを巻き込み,玉子,小麦粉,砂糖等のケーキ材料を求めて,町中を駆け巡る。道中でサイードがスリを働き,雄鶏ヒンディが逃げ出し,心労の祖母が倒れて病院に運ばれ,揚げ句も果てにララミアは泥棒扱いされ,逮捕されてしまう……。
 まさに波乱万丈の物語であり,これがたった1日の出来事とは驚いた。30年以上前とはいえ,見るもの,聞くもの,初めてのイラクの日常生活が珍しかった。とりわけ,「葦の王国」と言われる湿地帯の光景は一見に値する。短時間TV出演経験のある女性2人を除き,出演者は全員演技未経験者というのも,むしろリアリティが高めていたと思えた。劇中で何度か,米軍による空爆が登場する。社会派映画のような露骨な政治批判はないが,静かに当時の理不尽な社会を描いている。独裁者の誕生日を祝うパレードはおぞましく,フセインが高くそびえる豪華なケーキを口にする記録映像には笑えてしまった。ともあれ,今後ずっと記憶に残りそうな映画であった。

■『ブリング・ハー・バック』(7月10日公開)
 次も確実に記憶に残る映画だが,今度はその恐ろしさゆえだ。『TALK TO ME/トーク・トゥ・ミー』(23年12月号)の内容と監督を覚えておられるだろうか? 若者たちが死者の霊を呼び出す「降霊会」を楽しむ映画で,監督は双子のYouTuberのフェリッポウ兄弟であった。ホラー映画でありながら,青春映画でもあり,スパイスの利いたラストも好評だった。筆者もこの兄弟監督の手腕を気に入り,「デビュー作で注目を集めたのはいいが,M・ナイト・シャマランやウォシャウスキー姉弟のような竜頭蛇尾にならないでいてもらいたい」と書いていた。
 2作目の本作の脚本は,前作ほぼ同時に書かれていて,いずれも「降霊」がテーマだという。即ち,本作もホラーであり,ほぼ同等の注目すべき内容を期待できるということだ。ところが,結論を先に言えば,この2作目は蛇尾どころか,竜の頭を数倍にしたような出来映えだった。前作の降霊儀式には「90秒ルール」があったので,それを破った時に何かが起こると予測できたが,本作で起こる出来事は全く予測不能だった。通常のホラー映画なら助かるはずの人物も,そうはならない。この兄弟監督には,ホラー作家としての末恐ろしい才能を感じた。
 17歳の青年アンディ(ビリー・バラット)は,末期癌の父,義理の妹パイパー(ソラ・ウォン) と3人で暮らしていたが,ある日,アンディは父がシャワー室で絶命しているのを発見する。ソーシャルワーカーのウェンディ(サリー・アン・アップトン)の計らいで,兄妹2人は郊外に住む中年女性ローラ(サリー・ホーキンス)に里子として引き取られる。この家には,もう1人の里子のオリバー(ジョナ・レン・フィリップス)が住んでいたが,彼は全く言葉を発しない少年であった。
 パイパーには視覚障害があったため,幼い頃からアンディはこの妹を気遣い,一挙一動を見守ってきた。ところが,里親のローラはアンディを冷たく扱って遠ざけ,パイパーには異常なまでの愛情で接した。やがて,それは,ローラが亡くした娘キャシーも盲目であったためと判明する。一方,オリバーには奇行が目立った。例えば,台所の包丁を口に入れて自らを傷つけたり,机をかじり,さらには自分の腕の肉まで食べてしまう。
 ローラもまた,普通の里親と思えない奇妙な行動の連続だった。アンディの父の遺体から髪の毛の一部を切り取り,オリバーに食べさせる。自分の尿を集めて就寝中のアンディの下腹部にかけ,翌朝目覚めたアンディが自ら失禁したかのように思わせる。さらには,眠っているパイパーを殴りつけ,その暴行の罪をアンディになすりつけて兄妹の仲を裂こうとする……。
 もうこれ以上は書きたくない。題名の『Bring Her Back』の「Her」が誰であるかの謎は,観客自身に解いて頂こう。いつも書いているように,筆者は大抵のホラーには恐怖を感じず,『TALK TO…』もそうであった。本作に感じた「恐ろしさ」とは,悪霊や危機による「恐怖感」ではなく,よくぞこんな「おぞましい行動」ばかり描くなという「嫌悪感」であった。
 ローラ役のS・ホーキンスは,オスカー受賞作『シェイプ・オブ・ウォーター』(18年3・4月号)での半魚人と恋に落ちる女性役の印象が強いが,元々かなり多彩な役をこなしてきた実力派女優である。『パディントン』シリーズでは駅で見つけたパディントンを自宅に連れて行く主婦,『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』(23年12月号)ではウォンカの母,ハリウッド版『ゴジラ』シリーズでは古生物学者,『ロスト・キング 500年越しの運命』(23年9月号)では英国王の遺骨の発見者,といった具合である。この名優が,よくぞこんな異常人物役を引き受けたと感心した。アンディ役のB・バラットはこれが初の大役となる19歳の英国人男優,パイパー役とオリバー役はともに映画初出演である。いずれも迫真の演技で,それが本作の「おぞましさ」を強調していた。
 誰も見たことがない斬新なホラー映画であったゆえ,高い評価を受けると思う。筆者は見続けることに「苦痛」を感じたが,一気呵成に畳み込む終盤は凝視した。では,何度も見たい映画かと言えば,もう御免だ。2度と見たくない。この双子兄弟監督には,持てる才能をもっと感動を呼ぶ作品に使うことを希望しておきたい。

■『GOOD BOY/グッド・ボーイ』(7月10日公開)
 本作もまたホラーであり,かつ記憶に残る映画であった。ただし,記憶に残るのは,上記の『ブリング…』のような異常行動による「おぞましさ」ではなく,事件の推移を見守る主人公が極めてユニークであったからだ。
 ニューヨークのアパートの一室に住む中年男性のトッド(シェーン・ジェンセン)はレトリバー犬のインディと暮らしていたが,慢性の肺疾患を患っていた。ある日喀血したところに,偶然妹のヴェラ(アリエル・フリードマン)が訪れたため,病院に運び込まれる。退院したトッドは,インディを連れて,亡き祖父(ラリー・フェセンデン)が住んでいた郊外の森の中の空き家に移り住む。近くの森を散策すると,近くに長年住むリチャード(スチュアート・ルーディン)が,祖父の遺体の発見者は自分で,祖父が飼っていたゴールデン・レトリバーの「バンディット」は,それ以来行方不明であることを告げた。リチャードが予備の発電機を貸してくれたので,トッドは電気が使えるようになり,毎日祖父が撮影したホームビデオを見て暮すようになる。
 妹ヴェラは,祖父の変死により,この家が呪われていると信じていた。彼女は再三電話をかけてきて,警告を発していた。その内容は分からなくても,愛犬インディは何かがおかしいという雰囲気を感じ始めていた。何度も不気味な物音を聞き,家の隅から漂ってくる影に気づく。やがて,次第にトッドの体調は悪くなり,頻繁に血を吐くようになる。インディが,バンディットの亡霊に遭遇し,家の2階に導かれると,タンスの下からバンディットのものと思われるバンダナが見つかった。さらにインディは,黒い影に襲われる夢を見て,トッドの祖父の幻影を目にする。インディが覚ますと,トッドは意識混濁状態で,地下室のドアに頭を打ち付けていた。かくして,インディはトッドの容態を悪化させているのは,邪悪な霊がトッドに取り憑いているからであると確信し,飼い主を守る行動に出ようとするが……。
 原題の『Good Boy』は,「いい子だ」と犬に呼びかける時の言葉だ。もうお分かりのように,本作の主人公は飼い主のトッドではなく,彼を気遣う愛犬のインディであり,この映画はすべて犬の視点で描かれた物語なのである。CG製の犬ではなく,本物のノバスコシア・ダック・トーリング・レトリバーであるので,勿論,口は利けない。彼が何が起きているかを語ってくれないので,上記の展開はプレス資料を読みながら,筆者がオンライン試写映像を何度も見返して解釈した内容である(よって,一部間違えているかも知れない)。まさに異色のホラー映画であり,こんな映画は初めてだった。
 監督・共同脚本・撮影監督は,これが長編デビュー作となるベン・レオンバーグ。彼の配偶者であり,プロデューサーであるカリ・フィッシャーと一緒に3年間かけて作り上げた労作なのである。通常,映画中で重要な役割を果たす場合は,見分けが付きにくい訓練犬を複数用意して,シーンによって使い分けるのが常套手段だ。本作のインディは鼻筋が白く,ずっと同じ犬にしか見えなかった。しかも幼犬の時代の映像まで登場する。3年かかったというのは,1歳の時から2人が飼い始めたレトリバー犬であり,満足の行く演技を引き出すのに3年,約400日かけて撮影したということらしい。
 このインディの演技は,2025年のSXSW(サウス・バイ・サウスウエスト)映画祭の最優秀犬演技賞を皮切りに,5ヶ所の映画批評家協会の最優秀動物賞を受賞し,他にも「動物演技に対して」との付記付きで,複数の特別表彰や最優秀撮影賞を授与された。最も驚いたのは,アストラ映画賞で,『28年後…』(25年6月号)のアルフィー・ウィリアムズ,『ブラックフォン 2』(同11月号)のイーサン・ホーク,『トゥギャザー』(26年2月号)のアリソン・ブリー,上記『ブリング・ハー・バック』のサリー・ホーキンスらの名のある人間の俳優たちを抑えて,インディが最優秀演技賞(ホラー/スリラー部門)に輝いたことである。映画史上初の歴史的快挙だ!

(7月後半の公開作品は,Part 2に掲載します)

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