O plus E VFX映画時評 2023年12月号掲載

その他の作品の短評 Part 2

(注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています)


(12月前半の公開作品はPart 1に掲載しています)

■『ティル』(12月15日公開)
 短く単純な題名だが,1950年代に米国で実際に起きた「エメット・ティル殺人事件」の映画化作品で,殺された少年の姓である。この事件の名前は初めて聞いた。14歳の黒人少年が白人男性たちから激しい暴行を受けて死亡した事件で,その抗議運動や法廷闘争は米国の公民権運動を大きく前進させる契機になったという。そう聞いただけで,大真面目な社会派映画であると想像でき,エリを正し,少し身構えて観てしまう。それだけのことはある映画で,記憶に留めおくべき事件だ。この映画では,エメット少年ではなく,母親のメイミー・ティル=モブリーを主人公として描いている。それを承知した上で,彼女の行動と果たした役割をじっくり観るべき映画である。
 母子が暮すのはイリノイ州シカゴで,夫の戦死後,メイミー(ダニエル・デッドワイラー)は,空軍で唯一の黒人女性職員として働き,母アルマ(ウーピー・ゴールドバーグ),息子エメット(ジェイリン・ホール)と平穏に暮らしていた。1955年8月,夏季休暇を利用して,南部ミシシッピ州マネーの親戚宅に滞在するエメットを送り出す。その際,黒人差別が激しい地域ゆえ,言動に気をつけるよう,何度も念を押す。現地で休暇を楽しんでいたエメットは,白人夫妻が経営する雑貨店を訪れた際,妻キャロリンに向けて口笛を吹いて,ちょっかいを出してしまう。あれだけ母親に注意されたのに,困った息子だ…と観ている側が感じてしまった。殺人事件に至るには,その後,何をしでかしたのかと思ったが,何もなかった。たったそれだけのことで,町中が大騒ぎになり,エメット少年は白人集団に拉致され,壮絶なリンチを受けて,川に捨てられてしまう。遺体が発見されたのは3日後で,見るも無惨な姿であった。いくら50年代の南部でも,これは余りに酷過ぎる。
 物語はここからだ。母メイミーは息子の死を悲しむだけでなく,白人に向けて大胆な抗議の行動に出る。エメットの遺体(特に,原形を留めない顔)を隠さず,大衆に見せることで,いかに理不尽な仕打ちを受けたかを訴えた。メイミーは知的で魅力的な女性であったが,法廷で戦う場面では,目を大きく見開き,小鼻も開き,もの凄い形相となる。この女優はこれまで知らなかったが,見事な演技だ。この映画は彼女がすべてである。本作の法廷シーンで陪審員や傍聴人を演じた白人たちは,どういう思いで出演していたのだろう? トランプ支持の白人至上主義者たちは,この映画を観て,どう感じるのだろう? 映画も重厚,音楽も重厚だった。

■『きっと,それは愛じゃない』(12月15日公開)
 一転して,英国製の斬新なラブストーリーである。『ブリジット・ジョーンズの日記』(01)『アバウト・タイム ~愛おしい時間について~』(14年10月号)の製作陣が贈る「悩める現代人への愛と人生のガイドブック」だそうだ。女性が主対象で,それも都会で働くキャリア志向で婚期を逃しがちな独身女性向きに思える。多文化が共存する町・ロンドンが舞台というが,複数の民族が登場するのではなく,典型的な英国人家庭とパキスタン人家庭が描かれている。それもそのはず,監督は『エリザベス』(98)『エリザベス:ゴールデン・エイジ』(08年2月号)のシェカール・カプールで,パキスタンのラホール(当時はインド帝国)生まれの男性だ。脚本・製作は英国生まれの女性脚本家ジェミマ・カーンで,彼女はパキスタンの前首相イムラン・カーンと結婚してパキスタンに10年間住んだ経験がある。本作は彼女が主体の企画で,出演俳優も両国から選ばれている(一部はインド人)。
 主人公のゾーイ(リリー・ジェームズ)はドキュメンタリー映画の監督で,実家の隣家のパキスタン人家庭の次男の結婚式に招かれる。そこで久々に長男で医師のカズ(シャザト・ラティフ)に会うが,「自分も両親の勧める女性と見合い結婚する。相手は未定」と聞いて驚く。新作の企画に困っていたゾーイは,「幼馴染の男性の見合い結婚の一部始終を追う記録映画」を提案し,採択される。嫌がるカズを説き伏せて,両親のインタビューや結婚相談所の様子等の撮影を始めるが,前半はまるで婚活案内映画だった。ここで見合い結婚の合理性や数々の長所に目を開かれる観客も少なくないことだろう。
 中盤からパキスタン在住との女性とのオンライン見合いが始まり,両家の両親や親族の辛辣な質問応酬の描写が楽しい。22歳の女性マイムーナ(サジャル・アリー)とのリアルな顔合わせのため,カズがラホールに向かうのにゾーイも同行し,婚約から結婚に至る過程を克明に記録する。結婚式前の3日間に及ぶ大イベントはパキスタンの伝統儀式で,カラフルな衣装や躍動感のある踊りが披露され,パキスタン文化の紹介映画となっている。ゾーイは恋多き女性だが,交際した男性はいつもハズレだった。カズが初恋の相手というだけで,物語の結末はほぼ想像できてしまう。95%そうだと思う観客はそのプロセスを楽しめば好い。結婚式への順調な進展に,もしかしてこの映画は…と5%の驚きに期待するのもアリだと思う。ゾーイが結婚式場で大暴れし,カズの手を引いて会場を飛び出すシーンはないとだけ言っておこう。

■『ポトフ 美食家と料理人』(12月15日公開)
 米,英ときて,次はフランス製の美食映画だ。時代設定は19世紀末で,舞台はフランスの片田舎である。「ベル・エポック」と呼ばれる輝かしい時代で,フランスの食文化が大食から美食へと変貌する時期であったらしい。監督・脚本は,『青いパパイヤの香り』(93)の名匠トラン・アン・ユンで,1920年にマルセル・ルーフが書いた伝説の書「美食家ドダン・ブーファンの生涯と情熱」に着想を得て,その前日譚として,美食家ドダン(ブノワ・マジメル)と天才料理人ウージェニー(ジュリエット・ピノシュ)との愛の物語を描いている。J・ピノシュは別項の『Winter Boy』に続いての出演だが,同作の母親役に比べて,本作での役割は遥かに大きく,彼女の代表作の1つとなるだろう。相手役のB・マジメルとは『年下のひと』(99)以来,20数年ぶりの共演である。
 いきなり料理作りのシーンから映画は始まる。ドダンの大きな屋敷で美食仲間の4人に振る舞う昼食の宴だが,見事な料理の連続だった。デザートがオムレツというのが怪訝に感じたのだが,アイスクリームをメレンゲ(卵白)で包んで炎に通す「ノルウェイ式オムレツ」であった。見た目だけでも絶品だ。ドダンは20年間もコンビを組むウージェニーに何度も求婚したが,プロ意識の高い彼女は固辞し,料理人を続けている。ユーラシア皇太子に献上する「究極のポトフ」を目指す中で,突然ウージェニーが倒れる。ドダンは自ら料理を作ることで彼女への愛を訴え,ようやく2人は結ばれるが,彼女の病状は徐々に悪化していた……。
 調理法や食材に関する用語が多数出て来る。調理器具,食器,火を燃やす薪,機能的な厨房も完璧だった。何よりも,登場する料理がすべて芸術的である。それもそのはず,料理監修はミシュラン三つ星シェフのピエール・ガニェールで,全品を撮影現場で本当に作って出演者たちに供したという。気になったのは,絶対味覚をもつという設定の少女ポーリーヌの存在だ。(少しネタバレになるが)ドダンがウージェニーの身代わりでこの少女を助手として起用し始めたので,どんな活躍をするのかと期待したところで,映画は終わってしまう。「究極のポトフ」も完成形を見せてくれない。画竜点睛を欠くので,大満足だったこの映画に三つ星を与えなかった。
 主演の2人の呼吸はぴったりだと感じたが,男優が10歳年下だという。なるほど『年下のひと』での共演が頷ける。その共演中に2人は結ばれ,約5年間パートナーで,女児をもうけた関係らしい。2人は撮影中どんな気分で演技し,監督はどう対処したのかが気になった。

■『PERFECT DAYS』(12月22日公開)
 題名・監督・主演以外の予備知識なく試写を観た。終了後に受付で,この映画は洋画/邦画いずれの分類なのか尋ねてしまった。舞台は東京,登場人物は全員日本人だが,監督はドイツの名匠ヴィム・ヴェンダース,題名は英語,洋画が多い配給会社だったからだ。「邦画」扱いだというので,安心して宣言しておきたい。今年は邦画の評価が多かったが,文句なくそのBest 1である。役所広司がカンヌで何か受賞したと聞いていたが,この映画で「最優秀男優賞」だったのだ。第96回アカデミー賞国際長編映画賞の日本代表だという。当然の選考結果だ。
 主人公の平山は公衆トイレの清掃員で,毎日決まった時間に起き,身支度をして,軽自動車で渋谷に向かう。手慣れた手つきで,丁寧に個室内や便器を磨き上げる。同僚の若い清掃員のタカシ(柄本時生)が話しかけるが,頷いて微笑み返すだけだ。仕事を終えると銭湯に行き,馴染みの店のいずれかで食事し,1人住まいの古アパートに帰る。スカイツリーの近く,隅田川沿いの押上のようだ。時々,古本屋やレコード店にも寄る。カセットテープで音楽を聴き,古本を読むのが至福の時間のようだ。The Animalsの“A House Of The Rising Sun”やOtis Reddingの“Dock Of The Bay”が流れてくる。
 当初,彼のセリフがないので,唖なのかと思ったが,寡黙なだけだった。家出した姪のニコ(中野有紗)が訪ねて来て,ようやく普通に会話する。安心した。毎日,判で押したような日常生活だが,平山に不満はなく,人生を楽しんでいるようだ。日々がPerfect Dayである。それを見事なタッチで描く監督の手腕が素晴らしい。
 そんな中で,少しメリハリをつけ始める。姪とその母親(平山の妹),日曜日だけ行く小料理屋のママと離婚した元夫(三浦友和)の関係も,よくある人生の縮図である。ママがギター演奏で歌う日本語版「朝日のあたる家(朝日楼)」が絶品だった。熟年の女優が誰だか分からなかったが,歌でようやく気がついた。石川さゆりだった。物語に直接関係はないが,何という贅沢な演出だ。
 最後まで分からず,不思議だったことがある。平山が清掃するトイレ内部が余りに新しく綺麗なので,公衆便所らしくない。高層ビルのトイレ清掃も請負っているのかと思ったが,外は公園なので,そうではない。いくつか回る内に,外観が斬新なトイレが複数登場する。一体これは何だ!? オープンセットを組んだにしても,これを建てるのは容易ではないし,こんな奇抜なデザインの必要性が理解できなかった。後で豪華なプレスシートを読んでやっと理解できた。柳井康治氏(ユニクロの取締役。創業者の次男)の発案で始まった「The Tokyo Toilet」プロジェクトの成果物で,世界的建築家の槇文彦・安藤忠雄・伊東豊雄・隈研吾らが設計したという。知らなかった。そもそも,このトイレを舞台とした映画を作ることになったそうだ。現在,渋谷区に17ヶ所あるという。一度行ってみたいと思いつつも,神奈川&京都在住の筆者にはその機会がなく,まだ体験できていない。

■『TALK TO ME/トーク・トゥ・ミー』(12月22日公開)
 オーストラリア製のホラー映画だ。サンダンス映画祭で上映されて巨匠たちから絶賛され,話題作連発のA24が配給権を得て,「A24ホラー史上最大のヒット」がセールストークとなっている。今月のPart 1の『エクソシスト 信じる者』でホラー映画の系譜と守備範囲を概観したのだが,本作は「ただの怖い映画」ではなく,降霊会がテーマで,しっかりと死者の霊が登場する。その種のホラーは喰わず嫌いで,最初から敬遠する観客が少なくない。青春映画好きの若者にその傾向が強いが,年齢を重ねると嗜好が変わり,熟年層の映画通は本格派ホラーを好むようになる。ところが,本作は多くの若者の支持を得たという。SNSで流行する「憑依チャレンジ」体験がテーマになっているのと,双子の人気YouTuberダニー&マイケル・フェリッポウ兄弟の長編映画監督デビュー作であるためのようだ。
 主人公は17歳の高校生のミア(ソフィー・ワイルド)で,2年前の母の死以降,精神的に落ち着かない生活を送っていた。そんな中で,親友のジェイド(アレクサンドラ・ジェンセン)と共に,同級生間で話題の降霊を楽しむ会「#90秒憑依チャレンジ」に興味本位で参加する。おぞましい霊媒師がいて気味の悪い呪文を唱える訳ではなく,呪物として置かれている「手」を握り,「Talk to Me」(話してごらん)と唱えるだけで,霊を体内に呼び寄せるという簡単なものだった。1つだけルールがあり,90秒以内に手を離して霊を祓うことである。それを守らないと体内に霊が居座って,永久に支配されるという。スリルと高揚感に魅せられたミアは,ジェイドの自宅でこの会を開くが,母親の霊を憑依させ,「90秒ルール」を破ってしまう。その結果,ジェイドの弟ライリーが邪悪な魂に支配され,自傷行為を繰り返し,意識不明になってしまう。ジェイド一家に責められ,恐怖と孤独感でミアは追い詰められて行く……。
 なるほど,本格派ホラーというより,新感覚の青春映画である。VFXも交えて,それなりに恐怖心を掻き立てるシーンはあるが,例によって筆者には全く怖くなかった。それでも,エンディングは全くの予想外で,このオチには感心した。ただし,この手は2度と使えない。誤解なきように言っておくが,SNS上にこの名前のサイトがある訳ではなく,専用アプリをダウンロードして自分たちで楽しむものでもない。SNSで有名なのは,監督兄弟が運営する「RackaRacka」なるサイトで,ホラーコメディ映像や,著名映画のヒーローを登場させる過激パロディ動画を多数投稿して人気を博しているらしい。
 既に続編『Talk 2 Me』(仮題)の製作が決まり,人気ゲーム「ストリートファイター」の実写化の監督に抜擢されるなど,彼らの前途は明るそうだ。デビュー作で注目を集めたのはいいが,『シックス・センス』(99年11月号)のM・ナイト・シャマランや『マトリックス』(同年9月号)のウォシャウスキー兄弟(現在は,姉弟)のような竜頭蛇尾にならないでいてもらいたい。

■『NOCEBO/ノセボ』(12月29日公開)
 次はアイルランド製のホラーだ。題名が気になったのと,久々のエヴァ・グリーンの主演作であったので食指が動いた。ホラー映画の主人公に美女は定番だが,ホラーとしては少し異色であった。「ノセボ」は,「【ノセボ効果】偽薬(プラセボ)の投与によって,望まない有害な作用が現れること。偽薬効果とは逆に,薬物や医師に対する不安感などの心理作用によるものとされる」との説明書きがあった。監督は,『ビバリウム』(15)のロルカン・フィネガン。同作は「ビバリウム=自然の生息状態をまねて作った動植物飼養場」を舞台としたホラー映画であったので,一体何だろうと思わせる異色ホラーが得意なようだ。
 クリスティーンはダブリン郊外に夫と娘と住む売れっ子デザイナーで,ある日狂犬病の犬の幻影が見え,ダニに噛まれる。それから8ヶ月後に,痙攣や記憶喪失の症状が出る。医者に相談しても症状が改善しないところに,フィリピン人のメイドのダイアナが自宅に現われ,助けに来たと言う。依頼した覚えはなかったが,記憶が曖昧なまま受け容れたところ,彼女の不思議なパワーで体調不良が解消する。すっかり信頼したクリスティーナはその民間療法にのめり込むが,それは自分の娘を彼女に殺されたと信じる復讐鬼ダイアナの罠であった……。
 民間療法の効用を信じる/信じないは別として,ある種の魔女ものである。ダイアナ役を演じたのは,フィリピン在住の女優&シンガーソングライターのチャイ・フォナシエルで,気味の悪い存在として描かれている。そんなにクリスティーンが悪いのか,逆恨みじゃないかとも思える。西洋人から見たら,東洋人は神秘的な存在なのか,悪霊に見えるのかと感じてしまう。結末は書けないが,後味は良くなかったものの,エンタメとしてはそこそこ面白い。早い時期に公開されたフィリピン国内では,この描き方はどう受け止められたのだろう?

■『ラ・メゾン 小説家と娼婦』(12月29日公開)
 フランス映画で実話に基づく物語だが,女優作家エマ・ベッケルの驚くべき体験を映画化している。ベルリンにある高級娼館「La Maison」が舞台で,底辺社会に生きる女性(娼婦)の実態を描いているが,この作家が単に取材した結果を小説にしたのではなく,現地に移り住んで,実際に自ら娼婦となって働いたという。究極の自伝小説であるから,リアリティが高いのも当然だ。この小説はフランスで賛否両論を巻き起こしたそうだ。
 小説家自身が主人公で,映画中でも実名のエマで登場する。27歳の彼女は作家としての好奇心と野心から,娼婦たちの実情を把握するため,身分を隠して娼館に潜入する。様々な客がやって来て,SMプレイも要求される。中には女優もやって来る。エマは顧客相手の傍ら,危険と隣り合わせの女性たちの日常と孤独や恋愛の悩みを,日々ノートに記録している。新しい交際相手に真実を告げ,妹には大反対される様子も劇中で描かれている。2週間のつもりが,新しい発見の日々の中で,いつの間にか2年の月日が流れていた…。
 題材の取捨選択はあったとしても,脚色は少なく,ほぼ実体験通りなのだろうと思わせる。さすがに作家自身が映画での主演ではなく,女優でファッションモデルでもあるアナ・ジラルドがエマを演じた。画家・藤田嗣治の伝記映画『FOUJITA』(15年11月号)で藤田の新しい恋人・ユキを演じていた女優である。高級娼婦役は,考えただけでも大変だ。この役を演じるに当たって,パリの老舗キャバレー「クレイジーホース」で2ヶ月間トレーニングを積んだという。一方,監督には原作者の強い希望で,気鋭の女性監督アニッサ・ボンヌフォンが起用された。この映画は「女性が自らの意志で生きること」がメッセージであるが,監督も「女性が自分の身体をコントロールする権利」に共感を示している。
 劇中でエマが発する「娼婦は元の自分には戻れない」なる言葉は強烈だった。これは実体験による本音か,それとも小説としての技法なのだろうか? その疑問を感じさせること自体,エマの実体験も小説&映画も成功だと思う。この紹介記事を書くに当たり,筆者も顧客となって実体験してくるべきかと迷ったが,元の映画評ライターに戻れないと困るので,断念した(笑)。

■『宝くじの不時着 1等当選くじが飛んでいきました』(12月29日公開)
 こういう長い題の映画は,邦画の喜劇かと思ったが,韓国映画であった。そーか,題名は『愛の不時着』のパロディだったのだ。宝くじの1等に当たって,その当選券が飛んで行ってしまったら,そりゃ洋の東西を問わず,大騒動なる。しかも,韓国から北朝鮮の領土内まで行ったというから,これは国際問題であり,南北間での戦争となりかねない一大事だ。
 もう少し詳しく述べよう。ある夜,飲食店の床に落ちていたロトくじの1枚が市中を舞い,軍用車両に貼り付いて,北との軍事境界線の基地までやって来る。ある兵士がそれを拾い,TVをつけると抽選が始まり,1等に当選してしまった。日本円にして約6億円だ。有頂天で何度も眺める内に,風に乗って北朝鮮領土内に落ちてしまった。かくして,所有権を巡り,共同警備区域内で上官を巻き込んだ3:3の南北会談が開かれる。罵詈雑言の応酬は,いかにも北が言いそうな言動で笑えた。山分けに落ち着くが,北では換金できないので,1人ずつ人質交換し,北の兵士が南に来て現金化を見届ける……。
 非武装地帯周辺の描写がリアルだ。手土産交換で,南の食料品に北が目を輝かせる場面や,南に来た北のヨンホ上等兵が南の文明に触れた時の驚きは,韓国の観客へのサービスと思われる。北に残されたチョヌ兵長と女性兵士セワンとのロマンスの芽生えは,少し嬉しくなる。両軍が次第に仲よくなって行く過程や,酒を飲んで一緒に踊る姿がいじらしい。勿論,北の俳優が出演しているのではなく,全員韓国側の俳優が演じている。
 この映画を見る限り,韓国庶民は平和的な南北統一を望んでいるように感じる。つくづく敗戦後の混乱期に日本の北半分がソ連統治にならなくて良かったと思う。太平洋戦争を直接戦った米国の発言力が強かったのは当然だが,その後もソ連の介入を許さなかった進駐軍のマッカーサー元帥は,(結果的に)日本の恩人である。

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