O plus E VFX映画時評 2024年9月号掲載

その他の作品の論評 Part 1

(注:本映画時評の評点は,上からの順で,その中間にをつけています)


■『夏目アラタの結婚』(9月6日公開)
 今月は邦画の意欲作数本から始める。まず個性的な題名の本作だが,同名コミックの映画化作品だ。結論を先に言えば,頗る魅力的な前半で,驚くべき設定にワクワクした。その一方,後半と結末は少し残念な出来映えであった。なぜそう感じたかを分析しながら紹介する。気になったので,原作コミックの冒頭21話までしっかり眺め,全巻の概要紹介も熟読した。それも交えての分析である。
 まず小菅の東京拘置所と思しき建物の俯瞰映像から始まり,しつこくX文字が登場する。続いて,異臭がするとの通報で警察がアパートの部屋に踏み込むと,ピエロの扮装をした肥満体の女性がバラバラ死体をバッグに詰めていた。日本中を震撼させていた連続バラバラ殺人事件の犯人で,本名が品川真珠であるため,「品川ピエロ」と呼ばれるようになる。それから2年後,一審判決で死刑判決を受けるが,控訴中で拘置所に収監されていた。児童相談所職員の夏目アラタ(柳楽優弥)は,事件の被害者の少年から,未発見の父親の首を探して欲しいと依頼され,拘留中の品川ピエロの面会に出向く。ところが,現れたのは全く凶悪犯には見えない,細身で美形の女性(黒島結菜)だった。この面会で何も聴き出せなかったアラタは,大胆にも彼女に結婚を申し込む。
 その後,担当弁護士・宮前光一(中川大志)の同席で真珠との接見を重ねるが,会うたびに言動が変わり,自分は誰も殺していないと言い出す。婚姻届を出して獄中結婚は成立し,控訴審も始まる。アラタと宮前の調査で,彼女の子供時代の驚くべき事実が判明し,控訴棄却で差戻し審となる……。ここまでは,大満足の展開だった。
 乃木坂太郎作画の原作コミックの絵柄は,かなり達者で見応えがあるが,バラバラ死体やピエロのメイクは,カラー映像であることと相俟って,かなりリアルであり,実写映画化は成功している。原作の主人公は典型的なヤンキーだ。柳楽優弥はそうは見えないが,目の演技が見事だった。最大の見どころは,黒島結菜の変身ぶりである。主演級の映画で観るのは初めてだったが,NHKの朝ドラ『ちむどんどん』(22)での可愛いヒロインの印象が強かった。最初の面会の品川真珠もその印象通りだったが,口を開くと歯並びの醜さが不気味で,まるでホラー映画風だ。法廷シーンでの答弁も含め,この難役の演技で,黒島結菜は一気にブレイクしている。助演では,佐藤二朗,市村正親,立川志らくが好演だった。
 では,何が問題かと言えば,終盤の大仰な演出であり,アラタと真珠のラブストーリーの落とし所だ。原作と映画は別物であるとはいえ,この脚色と演出は原作を改悪し過ぎていると感じた。弁護士・宮前の役割をここまで変えるのは感心しない。説明的過ぎるのか,結末は容易に想像できた。即ち,①連続殺人が真珠の犯行かどうか,②真珠が書いた離婚届の扱い,③2人の逃避行の決着,である。邦画の常ではあるが,後日談が長過ぎる。ミッドエンド映像に登場するX文字の種明かしは,余りに馬鹿馬鹿しい。そもそもラブストーリーにはせず,真実の追究,裁判制度の盲点で収めた方が良かったと思う。真珠の訳ありの過去の解明は,『ある男』(22年11・12月号)『市子』(23年12月号)に匹敵する題材であるのに,この両作と比べると脚本が数段劣る。前半が秀逸なだけに,惜しい。それでも,一見の価値ある力作だ。

■『ナミビアの砂漠』(9月6日公開)
 アフリカ南部の国名が入っているが,洋画ではなく,監督・脚本は山中瑶子,主演が河合優実という邦画である。お目当てはただ1つ,いま最も旬の女優・河合優実だった。TVドラマ『不適切にもほどがある!』(24)と前作『あんのこと』(24年6月号)での印象がまるで違ったからで,その演技力に目を見張った。映画デビューは19年2月だが,既に出演作は24本目,当欄では6本目である。どんな役でも器用にこなし,重宝がられているのだろう。
 一方,この監督は知らなかった。19〜20歳で自主製作した『あみこ』(17)が評判になり,世界各国の映画祭で上映されたそうだ。現在27歳とまだ若手だが,本作が劇場公開映画での長編監督デビュー作である。最近の当欄では,女性監督のデビュー作が殊更多く,毎号またかと思うほどだ。ほぼすべて洋画で,その大半が秀作であるのは,既に高評価が判明後に輸入しているからだろう。そのファルターがかかっていない本作が,それらと比肩し得る出来映えなのかに注目して観ることにした。
 主人公は,東京の片隅で暮らす21歳のカナ(河合優実)で,Z世代の女性である。美容脱毛サロンで卒なく働いているが,あまり生活感はない。女友達とホストクラブに通うこともあるが,それにも退屈して,自分の将来を真面目に考えようとしていない。それでいて,恋人と思しき男性ホンダ(寛一郎)と同棲している。彼が家賃も払い,料理を作り,酔って帰宅したカナを介抱する等,甲斐甲斐しく彼女の面倒を見ている。既にこの男に飽きたらしく,カナは刺激を求めてクリエーターのハヤシ(金子大地)との交際を始める。彼とのデート中に鼻ピアスを入れ,ハヤシはカナがデザインしたイルカのタトゥーを入れる。ある日,ホンダが出張中に風俗店に行ったことを白状すると,それを理由にカナは荷物をまとめて家を出て,ハヤシとの同棲を始める。初めの内はハヤシに依存し,甘えていたが,カナの情緒不安定が高じると,彼を罵り,暴力を振るい,取っ組み合いの喧嘩をする。それでいて,また仲直りの繰り返しだった。限界を超えたカナは,カウンセリングに通い始めるが……。
「現代社会の中で自分の居場所を見つけられない若者」がテーマのようだ。Z世代とはそういうものかと,社会勉強のつもりで観ていたが,ストーリー性は希薄だった。団塊の世代の筆者には,理解しがたい人物達だ。現在の東京なら,普通に働くなら生活には困らず,ましてや少し可愛ければ,男にも不自由しないのだろう。ホンダやハヤシが「ゴメン,ゴメン」と謝るシーンが10数回あった。最近の若い男はここまで女性の言いなりになり,執着する弱い立場なのかと嘆息した。
 河合優実は,監督の意図通りに演じていたたように見えた。相変わらず器用だ。カナの行動の描写は克明であったが,男性側のセリフは深く考えずに書いた脚本に思えた。カナはこの監督の分身なのか? 本格的長編監督作という機会を与えられた彼女にとって,「自分の居場所がない」はずはない。となると,これがZ世代の平均像と考えた即席のテーマのように思える。騒々しかったり,無音だったり,音の使い方が下手くそで,これはプロの映画ではない。スタッフ任せで,そこまで点検指示する余裕はなかったのだろう。才能のある若手監督が,人生で一度だけのデビュー作を,こんな安直で完成度の低い映画で済ませたことを,勿体ないなと感じた。
 題名の意味が不明だったが,ようやくミッドエンドで,砂漠の水場でオリックス(プロ野球球団でなく,アフリカに生息する牛科の動物)が水を飲んでいるシーンが登場する。カナが何度かスマホで眺めていたのは,この映像のようだ。満たされないカナにとってのハヤシが,砂漠の中のオアシスなのだと解釈した。であれば,ナミビアが殺伐とした社会の象徴ということになる。随分ナミビア共和国に失礼な話ではないか。
 と高齢者の苦言を呈してしまったが,勿論,河合優実の出番は多く,それには満足した。思えば,人気女優の中では,飛び切りの美人ではなく,個性的な顔立ちでもない。それゆえに,役柄に応じて何にでも化けられるのだろう。今後も彼女の出演作を追いかけたい。

■『シサㇺ』(9月13日公開)
 本作も邦画の意欲作だが,舞台はアイヌの村である。原作が人気コミックで今年ヒットした『ゴールデンカムイ』(24)が日露戦争後の20世紀初頭を描いていたのに対して,本作の時代設定は江戸時代初期で,時代劇に属する。当時,江戸幕府の支配下で蝦夷地を領有していた松前藩はアイヌと交易で利益を得ていた。この両者の間に起こった諍いを描いた本格的な史劇映画である。
 表題の「シサㇺ」は,アイヌ語で「和人(倭人)」を指す言葉で,元は「隣人」を意味する言葉だそうだ。一方,「アイヌ」は「人間」を意味する言葉で,元々は樺太南部と北海道で生活して独自の文化をもつ先住民であり,「蝦夷」という言葉は南方から来た「和人」がつけた差別用語である。本作は,登場人物に応じて,日本語とアイヌ語をきちんと使い分けているのが最大の特長であり,魅力である。また,元々アイヌの村だったいう北海道・白糠町で殆どの撮影を行っていることも特筆に値する。
 前年に父を亡くした松前藩の青年武士・高坂孝二郎(寛一郎)は,兄・栄之助(三浦貴大)に連れられ,初めてアイヌとの交易の旅に出る。使用人の善助(和田正人)を伴った海上ルートの船旅で,3人は無事に目的の商場シラヌカの海岸に着いた。翌朝からの交易に備えて浜辺に野営したが,栄之助が善助に交易歩合や品数での不正行為を咎めたところ,首元を刺され落命した。孝二郎は森に逃げた善助を追うが,脇腹を刺され,崖から落ちて川に流される。目が覚めると,アイヌの人々に助けられ,手厚く介抱されていた。村のリーダーのアㇰノ(平野貴大)は和人言葉を話せたので,彼の庇護の下,孝二郎は村の暮しに慣れながら,兄の仇・善助への復讐を心に誓った。
 傷も癒え,アイヌ言葉や風習も覚えて,彼らの独自理念の共鳴して行く孝二郎であったが,和人の彼を疎ましく思う者もいた。さらに,和人との不公平な交易に反発する別の村の集団は武装蜂起を計画していた。それを察知した松前藩は,孝二郎の師の大川(緒形直人)を組頭とした討伐隊を差し向ける。アイヌの弓矢と和人の鉄砲の戦いで,アイヌには勝ち目はなかったが,板挟みになった孝二郎は必死の思いで村人達を助けようとする…。
 山や森は美しく,アイヌの化粧,服装,人家もこれが正しく伝承された文化なのかと感じさせる。戦いを避けようとするアㇰノの言葉には含蓄があった。この種の侵略者と先住民の戦いは,白人の騎兵隊とインディアンの戦いを描いた西部劇とそっくりで,思わずアイヌの味方をしたくなること必定だ。主演の寛一郎は,『せかいのおきく』(23年4月号)では文字も書けない下肥買いの青年,『』(同11月号)では信長の寵愛を受ける森蘭丸,上記『ナミビアの砂漠』ではカナに付きまとう軟弱男のホンダ役を演じていた。本作でもおよそ武芸は得意でない武士であるが,良識と優しい心をもった孝二郎役にはぴったりのキャスティングであると感じた。
 セリフの大半をアイヌ語にした上で,それをアイヌ側の俳優たちが覚えるのはかなりの苦労があったことだろう。本格的な監修を受けているので,これが正しいアイヌ語だと想像しながら観ていられた。物語としてはやや淡泊だが,「アイヌを丁寧に描いた作品で,アイヌについてもっと考えたいと思う人が増えることを期待する」という目的は十分叶うと思われる。ちなみに筆者は,この稿を書くまで,アイヌ語用表音文字が最近のPC環境で簡単に表示できることを知らなかった。古いPCで表示できない読者は,フォント設定を更新して頂きたい。JIS X 0213またはUnicode 3.2以降にフォント拡張すれば済むようだ。

■『ヒットマン』(9月13日公開)
 何から書こうか,どこまで書こうかと迷った映画だ。テーマ・脚本・演出が,いずれも卓越した逸品であったからである。監督は『6才のボクが,大人になるまで。』(14年11月号)のリチャード・リンクレイター,主演は『ツイスターズ』(24年8月号)のグレン・パウエルで,共同で脚本を書いたという。題名からして,殺し屋が主人公のクライムムービーであるが,この監督には珍しいテーマだ。それもそのはず,「偽の殺し屋」=「囮捜査官」の話であるから,ある種の詐欺師映画である。それも約70件を立件したという実在の捜査官の逮捕歴がベースで,しかもコメディタッチというから,興味が湧かない訳がない。
 主人公のゲイリー・ジョンソン(G・パウエル)は,ニューオーリンズ大学で心理学と哲学の講義を担当する非常勤講師で, 2匹の猫と暮す独身男だ。地元の市警には,技術スタッフとして囮捜査の盗撮・盗聴等に協力していた。ところが,問題児捜査官のジャスパー(オースティン・アメリオ)が停職処分になったことから,急遽代理で殺人依頼を受ける役目となる。偽の殺し屋「ロン」が様々な依頼人と面談し,殺人相手と依頼理由を録音して,手付金を受け取ったところで警官が駆けつけ,嘱託殺人教唆で逮捕する。ここまでの手口の紹介部分が抜群に面白かった。依頼相手に応じて変装するが,主人公は地味男で,記憶に残らない顔というのが笑えた。
 ある日,美しい人妻のマディソン(アドリア・アルホナ)から,支配的で冷酷な夫の殺害を依頼される。犯罪歴はなく,結婚生活で傷ついただけの彼女に対して,ロンは依頼を受けず,「家を出て,新しい人生を歩め」と諭す。その後,立ち直った彼女からの連絡を受け,2人の仲は急速に縮まり,恋人関係となる。ところが今度は,彼女の夫から妻マディソンの殺害依頼があり,さらにこの夫が死体で発見されたことから,物語は急旋回する。魅力的なマディソンの前でロンとゲイリーを使い分ける主人公が滑稽だ。停職が解けて事件に関与してくるジャスパーの存在が物語に緊迫感を与える。結末がどうなるのか終始気になったが,落とし所は見事だった。
 ところで,ゲイリーとマディソンのラブストーリーは,どう考えても実話とは思えない。気になったので,オンライン試写を冒頭から見直したら,「やや本当の話 (a somewhat true story inspired by Gary Johnson)」 と書かれていた。監督と主演が製作も担当し,2人で脚本を書いただけのことはある。惜しむらくは,この洒落た映画に相応しい題名でなく,過去に何度も登場した陳腐極まりない題名にしてしまったことである。

■『アビゲイル』(9月13日公)
 試写案内が届いた時に,「既に観たはずなのに,何かの間違いか」と思った。同じ配給会社の『ARGYLLE/アーガイル』(24年3月号)と混同したのだった。英文字の有無の違いはあるものの,共にカタカナ5文字で紛らわしい。いずれも主人公の名前である。「アーガイル」はヘンリー・カヴィル演じる秘密諜報員で,こちらは12歳のバレリーナの名前だが,意外性もアクション度も良い勝負だった。
 スパイ映画に対して,本作はと言えば,ずばりヴァンパイア映画である。可憐な少女が襲われるのではない。アビゲイルこそが,恐るべき吸血鬼で,もの凄い戦闘能力をもち,宙を舞う…と書いてもネタバレにはならない。予告編を見ただけで,そこまでは明らかだ。当欄で取り上げた吸血鬼映画は,『ダレン・シャン』(10年3月号) 『リンカーン/秘密の書』(12年11月号)『ドラキュラZERO 』(14年11月号)等のダークファンタジーで,いずれも男性の吸血鬼だった。そういえば,『モールス』(11年8月号)の吸血鬼少女は「アビー」だった!
 本作の少女アビゲイル(アリーシャ・ウィアー)は,舞台で華麗に「白鳥の湖」を踊った帰路,6人組(男4:女2)に誘拐され,予め用意されていた邸宅に運び込まれる。富豪の親から身代金を奪う計画だったが,少女が「踊る吸血鬼」で,むしろ誘拐犯達がこの屋敷に閉じ込められたという訳である。元刑事フランク,巨漢の用心棒ピーター,凄腕ハッカーのサミー,元狙撃兵リックルズ,逃走車ドライバーのディーン,従軍医師ジョーイといった面々だが,誰が生き残るのか,面識のなかった彼らが集められた理由が証されるのを愉しむ映画である。
 監督は『スクリーム』シリーズのマット・ベティネッリー=オルピン&タイラー・ジレットで,絶叫映画は得意のようだ。本作も戦慄の一夜を過ごすホラーであるが,かなりコメディタッチで描いている。吸血鬼は首から血を吸うだけかと思ったが,凄まじい血液が流れ出る。これだけの分量は初めてだ。おそらくCG描写だろう。実年齢13歳の少女にこんな役を演じさせるのかと驚く。『ARGYLLE…』の実質の主人公はスパイ小説を書く女流作家だった。本作も主演は,6人の1人である。最初にクレジットされている俳優であることは自明だが,それが誰だか知らずに観た方が愉しめると思う。

■『ジガルタンダ・ダブルX』(9月13日公開)
 もはやボリウッド映画は世界の映画界の一大勢力だが,ハリウッド作品と比べて情報が少なく,良作を見つけるのが難しい。韓国映画は登場人物名が覚えにくいが,大スターの名前は知っている。インド映画は,監督も俳優もよく知らない上に,長過ぎるのが欠点だ。ただし,オンライン試写の場合,何度も登場する「歌って踊って」のシーンを早送りするか,スキップすれば時間短縮を図れる。本作もたっぷり172分あったが,エンドロール前半を含め20分弱を短縮できた。
『クリント・イーストウッドとサダジット・レイが出会う南インドで…』のコピー文句に惹かれた。後者は1950〜60年代に名作を生み出した巨匠で,インド映画界の黒澤明のような存在らしい。本作の監督・脚本は,タミル語映画界の鬼才カールティク・スッバラージで,伝説のギャングスターミュージカルの第2作だそうだ。前作は未見だが,ストーリー上の繋がりは薄いというので,内容は「素っ晴らーしい」のだと判断して観ることにした。
 時代は1970年代の半ばで,物語は南インドの古都マドゥライと湾岸の大都会マドラス(現,チェンナイ)を中心に展開する。主人公はマドゥライのギャング組織「ジガルタンダ極悪連合」を率いるシーザー(ラーカヴァー・ローレンス)で,有力政治家の手先として,象牙の違法取引から殺人まで,あらゆる非合法活動に関わっていた。もう1人の主人公,マドラス出身のキルバイ(S・J・スーリヤー)は小心者で,警察官採用試験に合格したものの,不可解な殺人犯に仕立てられ,投獄されてしまう。彼は無罪放免・復職と引き換えに,悪徳警視のラトナ(ナヴィーン・チャンドラ)からシーザーの暗殺を命じられる。ラトナの兄ジェヤコディは映画界のトップスターだが,次期州首相の座を狙っていたからだ。
 シーザーに近づくため,キルバイは自らをサダジット・レイ門下生だと偽り,シーザー主演の映画監督公募に応募する。シーザーがC・イーストウッドの大ファンで,マカロニウェスタンの主人公を演じたがっていたからだ。キルバイは採用されて,西ガーツ山脈を舞台にした森と巨象の西部劇撮影が始まる。ロクな台本はなく,成り行き任せの撮影風景は抱腹絶倒だった。シーザーから先生と呼ばれるキルバイは,これじゃオスカーは取れないと脅して,殺害に好都合なようにシナリオを変更させる。別の悪人,象狩りのシェッターニと戦わせる計画だったが,目的達成の遅延に苛立つラトナ一派が絡んできて,悪人達三つ巴のバトルで物語は二転三転する。
 暴力アクション中心の映画なのに,頻繁に歌って踊るシーンが入るのは予想通りだった。主人公だけあって,大スターのR・ローレンス演じるシーザーが強く,瀕死のキルバイをも救う。もうこの辺りは善人だ。ダンス振付師出身だけあって,自らのダンスも見事だった。
 象との絡みも秀逸で,アッティニなる象が「神の象」との位置づけで登場する。多数の象は本物のように見えたが,象の調教は容易ではないので,大半の象はCG描画かと思われる。エンドロールの終盤には,多数のVFXスタジオの名前があった。既にインド映画界のレベルは高く,米国,英国の大手VFXスタジオがインドに支社を設けているのが納得できた。何度か若き日のC・イーストに見えるカウボーイの姿があったが,そっくりさん俳優なのかCG/VFXの産物なのかは分からなかった。

(9月後半の公開作品は,Part 2に掲載します)

()


Page Top